屋根裏 Home >  おしゃべりな椅子 >  2011. 9. 10  陸前高田に行ってきた



*陸前高田に行ってきました  


9月9日〜10日、ボランティアバス・レーベン号で陸前高田市へ行ってきました。
陸前高田は、ずっと行きたかった場所でした。
5月に、『被災とセクシュアル・マイノリティ』の集まりで、ドラァグクイーンのららみぃさんから写真を見せてもらって以来、ことさらに...。

以下、mixi の日記(9/12〜18)をまとめました。


震災前の広田町




陸前高田に行ってきた 1  ―― 2011年09月12日


レーベン号で、陸前高田に行ってきた。
何をどう伝えたらいいだろう。わたし自身、これからどうしたらいいんだろう。
まだ、途方に暮れている。
でも、だからこそ言葉にしていこうと思う。 すこしずつ。



3.11直後から陸前高田を知る人たちは、「半年で、よくぞここまで」と感慨をこめて言う。
でも、わたしみたいに初めて現地入りしたものは、がれきと化した町の様子に絶句する。
「半年たっても、まだこんな...」

涙がはらはらあふれてくる。
泣いてることを周りの人たちに気づかれないよう、嗚咽をこらえるのが精一杯だった。

わたしはセンチメンタルなほうじゃない。
子どものときから、火事や交通事故の現場だとか何度も遭遇しているし、友人たちの死にもずいぶんと立ちあってきた。自殺体の発見も三度している。だからそういうの、わりと平気で、たぶんけっこうドライ。
それでも、あふれる涙を止められなかった。

テレビで見る映像は、どんなに鮮明だとしても「面」なんだと思った。
画面からは、見渡すかぎり広がる荒涼とした風景の、"奥ゆき" や "広がり" が、ほんとうには感じられない。
町全体が根こそぎ持っていかれた、その根こそぎの "深さ" が、感じられない。


ららみぃさんが、写真を見せてくれたとき 言っていた。

「ああ、海がやってきたんだ」 と思った、
って...。
哀しみを抑え、淡々と、詩みたいに。

そのときは、わかったつもりでいた。でも、違ってた。
実際に行って、はじめてちゃんとわかった。
「そうなんだ...その日、海がやってきたんだね」


「僕のふるさと陸前高田は、ほんとうに綺麗な街だったんです」
ららみぃさん、そうも言ってた。
うん 、きれいだったって、想像できる。
いまも、空と海はどこまでも青く続き、カモメが遊んでいるもの。


高速の渋滞で、予定より一時間ほど遅れて、
レーベン号は、災害ボランティアセンターに到着した。
わたしたちは、広田町の一角の草刈りとがれきの片づけをすることになった。

(つづく)




陸前高田市災害ボランティアセンター





陸前高田に行ってきた 2  ―― 2011年09月14日


陸前高田市の災害ボランティアセンターには、すでに数台のバスが止まり、敷地内は大勢の人で賑わっていた。
センターのスタッフはみな笑顔で、とてもウエルカムな雰囲気。

でも、バスにやってきて注意事項などを話してくれた青年は、すこし違った。
彼が入ってきた瞬間、そのタイトな気配に、車内の気圧が変わる。
――陸前高田で生まれ育った人で、彼自身も被災者だった。

まず、わたしたちが向かう広田町の説明。
広田は、津波で道路が完全に分断されて、孤立してしまった集落。長いあいだ、寄せ集めた食糧を分けあい肩を寄せあって生き延びてきたため、いまでも「自分たちのことは自分たちで」という考えが強い。実際、7月頃まで、ボランティアはほとんど入れなかった。
が、疲れもあるのだろう、最近ようやく少しずつ作業依頼がくるようになった。

人が手作業でできることは、たかが知れている。がれきはいずれは重機が入って片づける。
しかし、重機が入るまで長い時間がかかる。まだまだ待たせることになる。
だからいま、ボランティアの仕事は、作業そのものではない。大切なのは、"気にかけて来てくれる人がいる"ってこと、そして、"他者に頼ってもいいんだ"ってことを、見せて伝えること。

「地元の人が話しかけてきたら、作業なんかしなくていいです。作業をやめて、話を聞いてください。」

……了解。

きょう作業をしてもらう場所からは、すでに二人分の遺体が出ている。いま見つかるのは、たいていは足や腕など部分で、ほとんど白骨化している。見つけたときは、現状をキープ。動かさないで、すぐに警察に連絡すること。
ときどき、ボランティアセンターに帰ってからも、大騒ぎして「見つけた、見つけた」と吹聴して歩く人がいる。興奮する気持ちもわかるが、遺体や遺骨が一部でも戻ることを、ずっと待っている人たちがいるのを忘れないでほしい。

……了解。

絶対に無理はしないこと。熱中症やケガのないように。さっきも話したように、作業の効率など期待していない。
ボランティアに無理が禁物なのは、自身を守るためもあるが、まず被災者を守るため。

「"もうこれ以上、誰が死ぬのも見たくない、誰にも傷ついてほしくない"――それが、被災した人たち皆の気持ちなんです。」

……了解。

うん。わたしももう、誰も 死なないでほしい。誰にも傷ついてほしくない。
どんなサバイバーも、願うことは同じだね。

そう思ったとき、止まっていた涙が、またあふれそうになった。


レーベン号は広田半島へ向かって走る。

(つづく)





震災前の陸前高田市の田んぼ





陸前高田に行ってきた 3  ―― 2011年09月15日


作業は、かつて "田んぼ" だった場所の草取り・草刈りだった。

津波で、泥やがれきを厚くかぶった田の上に、葦や茅が生い茂っている。
足もとは、おもに腐った粘土が干あがった感じだ。油っぽい。でも、ところどころはまだ沼地、そして砂地。ヘドロみたいな臭いと、磯の香りが入り混じる。

――ここにも海がやってきたんだね。


草取りなどしたところで、すぐに "田んぼ" として使えるとは思えない。
それでも草を除くのは、大切な "田んぼ" を荒れ放題にしておくのがつらいから。それに、そうしないと、がれきの片づけも遺骨探しも進まないからだ。

   だけど、ショベルカーやブルドーザーの仕事を人の手でするなんて、バッカみたい。
   ってか、馬鹿そのものだよ。絵に描いたような「非効率」。
   人件費に換算したらいくらにつく? 
   そのお金と時間、募金にまわせば? 
   こんな慣れない作業じゃなくて、それぞれ得意なことで役に立てないかな?

もし、ボランティアの意味や意義について知らずにいたら、きっとそう思って腹を立てただろう。
それとも、あまりのはかどらなさに、悲しくなって落ち込んでしまったか。

でも、わたしたちは聞いていた。
めっちゃ効率が悪くて、らちがあかなくても、
「いま、ここにいる」ことに意味がある、って...。


見せるだけ...デモンストレーションでいいはずなのに、
誰もが、黙々と、汗だくになって、作業を続けていく。

「うわわ、そこまでやるか?」って感じだ。
みんな、ほんとうに馬鹿みたい。
そして、その馬鹿みたいなところが、とても素敵...。 (*⌒―⌒*)♪


わたしの中にも、同じバスの人たちへの、優しい気持ちが生まれていた。
まだ、どこからきただれなのかも、よくは知らないのだけれど。

(つづく)




「恐竜博2011」の ヘスペロサウルス





陸前高田に行ってきた 4  ―― 2011年09月18日


ひたむきなボランティア仲間を見ていたら、だんだん怒りがこみあげてきた。

(ほんとうなら、みんなここにいたのに...。)
そう。技術も知恵も、情熱もお金も、復興と再生のためだけに使えたのに。
そうなんだ。原発さえなかったら、たとえば山本太郎君だとか、いの一番に被災地入りしスコップを握っていたはず。
公的資金も人材も、すべてが分散してしまっていることを痛いほどに感じた旅だった。
―― 一刻もはやく原発を止めて、福島でも再生に集中できるといい。


「忘れないでほしい」「風化させないでください」
陸前高田で、気仙沼で、そんな言葉を何度も見かけ耳にした。
前回(9/15の日記に)もらった、福島の みーさん のコメントでも。

「私の住んでる南相馬市の海側も同じです。
 知り合いも未だに見つかっていません。消防車が津波でぐちゃぐちゃになったまま、今もあります。今、一番怖いのは、やがてみんなの記憶から忘れられることです。」

忘れないよ。忘れるわけないじゃない...と、わたしなんかは思う。
小さいときから、好きになった人やものはずっと好きなのだ。何十年でも。カニグズバーグしかり、ココナッツクッキーしかり。
わたしのLD(学習障害)は、飽きるということがよくわからない。関心が薄れない。忘れるのも、無かったことにするのも苦手だ。

でも、世のふつうの人たちは、いろいろ上手に忘れていくのらしい。数ヶ月とか一年とかの短いスパンで...。そのことが、いま被災地の人たちをいっそう不安にさせている。
―― でも、どうしたらいいんだろう?


小さなヒントが、13日、「恐竜博2011」で見つかった。
大好きな博物館で太古の生物に思いをはせるのは、どんなにか平和だろうと、じつは骨休めのつもりで出かけた。
だけど、がーん。
「恐竜博」の第二会場は、東日本大震災復興支援企画。
陸前高田の「市立博物館」や「海と貝のミュージアム」での標本レスキュー活動が紹介されていて、また泣いてしまった。
だって、いきなり目にしたパネルが、次のようなんだもの。

" 岩手県の陸前高田市立博物館は50年以上の歴史を持つ、東北地方で最も古い博物館のひとつで、15万点の資料を収蔵していました。2階建ての博物館は津波で完全に冠水、6名の職員全員が命を落とすか、行方不明になっています。
(中略)
これまで多くの博物館は、ほかの博物館と「オリジナリティ」を競い合ってきました。しかし、今、博物館は、コレクションを人類共有の財産として、全国の博物館同士が協力しあって、被災地の博物館のために働くという新しい役割を担うようになっています。
東北から、このような協力の輪が全国に広がっています。…… "


―― そうだ、好きなことで行こう。
涙をぬぐいながら、思った。
恐竜好きなら、博物館。お祭り好きは、花火や祭り。
山ガールは山。鉄ちゃんは鉄道。
美味しいものが好きな人は、美味しいものを求めて..。
それぞれの "好き" で、東北を気にかける。

出かけていけば、友達もできて、とっても親しい土地になる。
そしたら、忘れられないね。

したいことから、できるだけ。
そう。 5年でも 10年でも...♪




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写真1: 震災前の広田町  (東日本大震災 写真保存プロジェクトより )
http://p.tl/ejof

写真2: 陸前高田市災害ボランティアセンターの様子

写真3: 震災前の陸前高田市の田んぼ (東日本大震災 写真保存プロジェクトより)
http://p.tl/WkNI

写真4, 5: 「恐竜博2011」のお気に入り、ヘスペロサウルスと 、毛の生えた里芋のようなティラノサウルスです。

◆ 国立科学博物館の「恐竜博2011」は、10月2日(日)まで。 ティラノサウルスとトリケラトプスの競演、とても迫力があります。




「恐竜博2011」の 毛の生えたティーレックス
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