ステイゴールド(2001年京都大賞典パドック)
馬名 ステイゴールド
香港名 黄金旅程
生年月日 1994年3月24日  北海道白老ファーム
性齢 牡11歳
サンデーサイレンス
ゴールデンサッシュ
母の父 ディクタス
毛色 黒鹿毛
厩舎 栗東 池江泰郎厩舎
馬主 (有)社台レースホース
成績 50戦7勝(うち海外2戦2勝) 2着12回
芝:7−12−8−22
ダ:0−0−0−1
引退日 2002年1月20日
獲得賞金 10億3747万3000円
主な勝ち鞍 香港ヴァーズ 国際G1 (2001年)
ドバイシーマC 国際G2 (2001年)
日経新春杯 G2 (2001年)
目黒記念 G2 (2000年)

種牡馬成績
種付け年 総種付け頭数
2002年 177頭 (受胎率約85%)
2003年 115頭
2004年 87頭
2005年
サンデーサイレンス
Sunday Silence
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
ゴールデンサッシュ ディクタス
Dictus
Sanctus
Doronic
ダイナサッシュ ノーザンテースト
ロイヤルサッシュ

4代血統表

ステイゴールド号の引退式
ステイゴールドの引退式

ステイゴールドの戦績

 エアグルーヴから競馬にハマった私ですが、ステイゴールドはグルーヴ以上に応援したくなりました。小さな体でずっと一流馬達と戦い続け、勝つとはいかないまでもいい成績を残してきたのですから。2着がやたら多いというのにも親近感が沸いてきました。こういう馬って応援したくなるのです。

 ステイゴールドは名前とは相反して2着の多い馬でした。なんと阿寒湖特別を勝ってから2年8ヶ月間で、10回も2着になっているのです。その内訳は、下はゴールデンホイップトロフィーのような1600万下の条件戦から上は天皇賞のようなG1と、バラエティーに富んでいます。重賞を勝つまでは、いくらG1で2着になろうとも主な勝ち鞍は阿寒湖特別であったため、このレースが日本で1番有名な条件特別といわれるようになってしまいました。

 日本でG1にもっとも近づいたのは1999年の秋の天皇賞です。最後の直線で抜け出し、勝ったと思ったところに外から突っ込んできたのがあのスペシャルウィークでした。ステイも当時のレコードタイムで走っているように、このレースは本当に惜しいレースでした。

 「相手なりに走る馬」「シルバー・ブロンズコレクター」と言われてきたステイゴールドでしたが、鞍上に武豊を迎えて臨んだ2000年の目黒記念でマチカネキンノホシを差しきり優勝。ついに念願の重賞制覇を成し遂げたのです。この日は土曜日、しかも大雨だったにもかかわらず、G1並かそれ以上の声援がステイゴールドに送られました。が、この日は長年のパートナーであった熊沢騎手が、ステイの主戦をおろされた日でもあります・・・。

 2001年にはいると5番人気という低評価に発奮したか、珍しく切れのいい末脚を発揮し日経新春杯で2個目の重賞を手にして、UAEのドバイシーマクラシックに挑戦しました。そして前年度ワールドシリーズチャンピオンであるファンタスティックライトと叩き合いの末ハナ差先着し、見事国際G2を制覇しました。凱旋レースとなった宝塚記念では4着でしたが、秋初戦の京都大賞典では失格になりはしたもののあのテイエムオペラオーに先着しました。天皇賞は最後の直線で内にササるわ落鉄するわでまともに追えず7着と散々な結果でしたが、ジャパンカップでは7歳にして自身初の掲示板となる4着と頑張り、国内最終戦を無事に終えました。

 年内での引退が決まりラストランとなった香港ヴァーズでは、単勝2.0倍と1番人気に支持されました。しかしレースはエクラールが3コーナーで突き放す展開となり、直線に入ってまだ先頭のエクラールとの差が5馬身以上とかなり絶望的な状況から、武豊騎手曰わく「羽が生えたみたい」という伸びで頭差だけ抜け出し、引退レースで初のG1制覇を成し遂げました。日本産日本調教馬初の海外G1制覇というおまけつきです。当初引退式の予定はありませんでしたが、ファンからの強い要望もあり1月20日に行なわれました。引退式終了後は京都競馬場から直接北海道は門別町富川のブリーダーズスタリオンステーションに向かいました。


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