![]() ■ ノイシュヴァンシュタイン城の入り口 ![]() 城門を入った「下の中庭」側の城門の色 |
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※印は高さ90mの天守が建設される予定だった位置 ![]() ![]() 「上の中庭」から |
■ ノイシュヴァンシュタイン城内へ
白亜の城の中で唯一レンガ色した入り口の正門をくぐると、城内の 「下の中庭」 にはすでに70〜80人の見学者が並んでいる。夏の最盛期にはこの庭一杯になり、2〜3時間待ちは普通だと聞いていたので安心して日の丸のマークのゲートに並ぶ。 ■ 人間棒グラフ? 城の見学は数十名のグループ毎にガイドの案内によって行われるため、説明される言葉の列に並ぶ必要がある。列のゲートにはアメリカ、日本、フランス、イタリア、ドイツの国旗が描かれ、それぞれの国の人が並んでいる、飛びぬけて多いのは日の丸の列で、とんだところで 「人間棒グラフ」 が出来て思わず微笑んでしまう。 かみさんは待ち時間のあいだに、周りの奥さん達と話がはずみ、久しぶりの同姓との会話が楽しそう。夫婦だけで 「レンタカーの旅」 をしていることに、ツアーの人達も大変興味を持たれ、色々と質問をされてしまう。その方達のグループはこれからミュンヘン経由で帰国される様子だった。 ■ 城内のガイドツアー 4F 廊下-控えの間-王座の広間-寝室-居間-洞窟、 5F 階段の天井-歌人の間 |
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![]() 「廊下」 ![]() 4階「王座の広間」 ![]() 「王座の広間」の床 大理石のモザイクで地球上の動植物が描かれている ![]() 「王座の広間」の天井画 キリストと6人の聖王 ■ 「王座の間」 城内の4Fにある5Fまでの吹き抜けの部屋 「王座の間」 (1F〜3Fは使用人の部屋で、現在は管理事務用に使用され、調理場以外は未公開) 流暢な日本語で説明が始まる。あまりにも喋り方が1本調子だと思ったら、なんと案内したガイドが日本語のテープを回していたのだ。高さ16メートルの丸天井は天が復元され、隣の半円天井には後光の中にキリストが描かれ、その下に6人の聖王が鮮やかに描かれている。 ■ 重さ約1トンの大シャンデリア また天井の中央には、王冠を形とった重さ約1トンもあ大きなシャンデリアが飾られ、周りにある96本のローソクに明かりを点けるため、ウインチによって床まで下ろせるように設計されている。大理石の階段上に設置される予定の王座は残念ながら工事中止のため未完成のままでした。 ■ 大理石のモザイク画の床 この広場の床には、ウィーンの職人デトマンによる、部屋全体に表現した大理石によって地球上の動植物をモザイクでカラフルに描かれており、美しい光沢をいまでも保っている。かみさんも関心が深いのか、ガイドの傍でさかんにうなずきながら聞いていた。 ![]() 王の「食堂」 3階下の調理室から料理用のエレベーターで食事が運ばれたという。 ![]()
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![]() 「居間及び応接室」 右側は「白鳥の間」、奥は「更衣室」 ![]() 王の「執務室」 ![]() ■ 最上階の 「歌人の間」 ヴァルトブルク城の 「祝宴の大広場」 を模したという 5階の 「歌人の間」 は、城内では最も高い位置にあり、傾斜した天井に特徴がある。5階はほとんどこの広場で占められ、窓が多く明るい部屋で、正面の舞台には4本の丸柱があり、その両側に建造主として、この城内で随一の王の紋章が飾られている。 天井や壁には中世の叙事詩が色鮮やかに描かれ、床は樫の木の接着はされていない 「寄席木細工」 で、王の死の直前に完成したため、王は一度も使用することはなく、初使用は1933年ワーグナー没後50年記念のコンサートであった。現在では毎年9月中旬にコンサートが開催され、その人気は非常に高く、きっと王も喜んでいることであろう。 ![]() 人工の「鍾乳洞の洞窟」 驚いたのは、4Fにあった人工で作った鍾乳洞の洞窟、最後は1階に降りて当時としては超近代的なキッチンなどを見学する。城内はルートヴイッヒ2世のリヒァルト・ワーグナーの熱狂たる崇拝者であったため、どの部屋も過剰なほどのワーグナーオペラの装飾や壁画が施され、オペラを知らない自分では、とうてい理解できない世界であった。真っ白な外観で、別名 「白鳥城」 と呼ばれるこの城は、ウオルト・ディズニーの 「シンデレラ城」 のモデルになったと云われているが、城内を見学するとそれとはまったく違った印象を受けたのは我々夫婦だけであったのか・・・? ![]() 清潔で近代的な「調理場」 銅製の調理具が多く使われている。 |
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