1.バイバイ下関

◆準備 編◆

 とりあえず行き先と交通手段は決まりました。まず昔のパスポートがすでに期限切れだったので、新しいパスポートを作らなければなりません。必要書類(注1)を揃えて埼玉県庁へいったところ、パスポートの受け付けは、ここ(県庁)ではなく、大宮のソニックシティーに移った、とのこと。次の週、また出掛けなければなりませんでした。
 パスポートの次は、ビザを取らなければなりません。当時、韓国は入国にビザが必要でした。フリーダム(注2)で、調べたところ、観光用は、滞在日数30日以下、料金3100円で、有効期間3カ月でした。ところが実際取りに行くと、滞在日数15日以下の、1年間のマルチビザになっていました。後で知ったのですが、1990年の7月から日韓協定により変わったのだそうです。滞在日数は減ったかわりに、1年間何度でも入国でき、なおかつ、料金は無料になっていました。
 さて、ビザの次は旅費をどうするかです。なにせビザが取れたのは、2月の28日です。3月の23日が卒業式、何としてでもその日までに戻りたいので、3月の頭には出発したいのですが、最低もって行きたい5万円すら、どうにもならなかったのです。トラベルローンなどあたってみたのですが、審査は、早くても3週間かかるらしく、とても間に合いません。結局、先輩、後輩から借金をしての出発と、なりました。
 ところで、向こうでやるマジックですが、外国でやるわけですから言葉の要らないもの、ステージではなく野外で客に囲まれた状態でもできるもの、途中から見ても楽しめるもの、派手で目立つもの、かつ、間近かで見てもタネの見えないもの、などを考慮して考えたところ、チャイナリング(注3)が良いだろうと考えました。でも僕の持っているリングは4本セットの小さいもの。形造り(注4)をやってひとつの出し物らしくするには、どうしても6本リングがほしい。そこで知り合いのマジシャンから半額でそれを購入しました。急いでルーティンを考え、言葉の通じない外国人にも形造りの内容がわかるように、A5版の画用紙に形造りの内容がわかる絵を描きました。この絵を見せながら形造りをやろうと思ったのです。
 フリーダムを読んでいたら、ソウルの学生路(テハンノ)という所では日曜日、歩行者天国になり、若い人達がブレイクダンスなどのストリートパフォーマンスや、バトミントンやローラースケートなどのスポーツを楽しんだり、マロニエ公園ではところどころに輪をつくりコンパを楽しんだりする、というようなことが書いてありました。よし、テハンノへ行こう、となりました。こうしてパフォーマンスの内容と場所が決まりました。下関へ行き、釜山へ渡り、バス乗り継いでソウルに着き、テハンノでパフォーマンスをする、これが今回の旅行の青写真です。
 ところで、問題点が生じました。形造りの出し物の中に、『人力車』というのがあるのですが、はたしてこれをそのまま演じることができるのかどうか、ということです。心配なのは、韓国にも人力車があったかどうか。人力車を知らないとネタとして通用しないし、知ってたとしても日本の乗り物として認識されていたら、反日感情の強い国、あまり楽しんではもらえないでしょう。かつて朝鮮は1910年以降日本の統治下にあり、それは1945年の日本敗戦にまで至るのですが、これが現在の反日感情に繋がっているわけです。(資料)早速、神保町のアジア専門の本屋へ行って調べたのですが、結局わからずじまいでした。

注1・必要書類
(当時)

1.一般旅券発給申請書
 各都道府県庁の旅券係の窓口に置いてあり、白色の用紙で必要事項を正副2通記入する。
2.戸籍抄本(謄本)
 発行から6ヶ月以内のもの。
3.住民票(謄本)
4.写真(2枚)
 6ヶ月以内に撮影した5 ×5 の無帽かつ正面向きの上半身で、背景無地のもの。
5.印鑑
6.ハガキ
 申請者の住所と氏名を宛先に記入した未使用の官製ハガキ。
 申請すると、裏面に受け取り日など が記入されて郵送されて来る。
7.身元確認書類
ア.次の証明書のうち1点を提示する。
 運転免許証、日本国旅券、官公庁職員身分証明書(写真を貼ったもの)など。
 (その他、船員手帳、海技免状、猟銃空気銃所持許可証、戦傷病者手帳、
 宅地建物取引取扱主任者証、電気工事士免状、無線従事者免許証など。)
イ.上記の証明書がない人は、次の欄から2点を提示する。  
書類の名称 組み合わせの可否
◎健康保険、国民健康保険、船員保険等の被保険証
◎共済組合員証
◎国民年金手帳
◎厚生年金手帳
◎国民年金・厚生年金・船員保険の年金証書
◎共済年金、恩給等の証書
◎申請書に押印した印鑑の印鑑登録証明書と印鑑手帳
欄の1点
   +
欄の1点



欄の2点

欄の2点
◎会社の身分証明書
◎学生証
◎公の機関発行の資格証明書
(いずれも写真付きのもの)
以上の必要書類を各都道府県庁の旅券課に申請する。

補足・受領のしかた
*受領までの日数
 申請から受領まで10日前後みておこう。
 ただし、都道府県庁所在地以外の支庁や事務所で申請した場合は
 2、3週間かかるところもあるので
 申請前に確認しておこう。
*受領に必要な書類
 ◎申請時に渡された一般旅券受領証
 ◎8000円(収入印紙6500円+収入証紙1500円)の手数料。
 ◎返送されてきた官製ハガキ
 ◎申請書に押印したものと同じ印鑑
                 以上を持参する。(参考・日本交通公社『フリーダム』1990年度版)
注意
現在パスポートの有効期間や写真のサイズなど違う部分もあるので、これから取る方は確認してください。
【参考】パスポートの取り方
http://www.clair.or.jp/j/info/kokusai/theme/japanese/001.html
(財)自治体国際化協会のサイトです。

注2・フリーダム(自遊自在)
日本交通公社が出版している個人旅行者用のガイドブック。
この手のガイドブックで有名なのは『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)であるが、見やすかったので『フリーダム』を持っていった。
補足・韓国観光公社
上記のガイドブックの情報は編集上の都合などもあり、一、二年遅れた事が書いてあったりする。
韓国観光公社では、最新のパンフレットや地図などを無料でくれたりする。私はトラベルマップをもらったり、(チャイナリングの形造りに使う絵 の為)ソウル五輪のマスコット、ホドリのデザインの資料をもらったり、慶州(キョンジュ)の郵便番号の問い合わせで利用した。

注3・チャイナリング
別名、チャイニーズリング、リンキングリングともいう。2本以上の切れ目の無い金属製のリングをつないだり、外したりするマジック。さまざまなテクニックが必要。
注4・形造り
複数のリングを組み合わせていろいろな形を造り、さまざまな物に見立てていく芸。“なるほど”と思わせたり、逆にこじつけて笑わせたりしながら演ずる。リングの他にもこの手の芸として『南京玉すだれ』などがある。どちらかと言うと東洋的な芸なのか、あるアメリカの著名なマジック百科には11本ものリングを使った手順が載っているにもかかわらず、形造りは十字(クロス)のような単純なものが数個紹介されているだけで、形造りそのものは演技の中のジョーク程度の扱い。
最近はテレビでマジックと言うと超能力風のクローズアップマジックやファンタジックなイリュージョンなどが主流になり、こういう所謂“奇術”があまり見られなくなったのは残念。

◆今回のパフォーマンスでやった形◆
リングの組み合わせ方 見立て(パフォーマンス用
の画用紙に描いた絵)
骸骨
(眼鏡を目に見立てる)
イス
三輪車
人力車
ミッキー
馬車
オリンピック
※籠や三輪車、人力車などは昔からある形
資料・韓国国定小学校六年用社会科教科書  1985年
 わが国を奪った日本は、総督府を設け、1945年の独立までの35年間、植民地政治を敷いた。この間わが国は、日帝によってすさまじい弾圧と数々の経済的な搾取を受けた。
 日本は、わが民族を憲兵と警察の銃剣で屈伏させて統治した。一般の役人はもちろん、甚しくは、学校の先生にまで、制服を着せ、剣をさげさせて教室に立たせた。
 このように暴悪な武力政治の下で、わが民族は生きる権利すらことごとく踏みにじられた。幾人かが集まって会議を開くこともできず、われわれの文字や言葉も思うように使えなかった。彼らはわれわれの目を覆い、耳をふさぎ、話すこともろくにできなくした。
 国を奪われた苦しみは、この程度ではすまなかった。政治運動をしたり、少しでも日本人の気にさわる行動を取る人は、残らず捕えられ、情容赦なく罰せられた。
 植民地統治の最高責任者である日本人総督は、すべての権力を一手に握っていた。高位の役人はみな日本人がなり、警察署長も必ず日本人とした。
 しかし、このような暴悪な武力政治の下でも、わが同胞は屈することなく、秘密裡に、国の独立を取り戻すための闘いを強く進めていった。
奪われた農地
 日本は、自分の国の貧しい人々をわが国に移り住まわせた。そして、日本から続々と渡ってくる者たちに、土地調査事業を行なうという口実で、農民の土地を盗りあげた。これが、日帝がわが国の財産を狙った略奪行為の始まりである。
 彼らは、すべての土地を一定の期間内に申告させた。このとき、わが国の農民たちは、自分たちが耕している土地を自分の土地というよりは、朝鮮時代のように国の土地と考えており、また、新法に暗かったこともあって申告者は少なかった。こ うして、申告しなかった土地は、所有者がいないものとして彼らが占有し、官庁のような公共機関の所有地や村の共有地なども残らず盗りあげられてしまった。
 こうして、全土の半分近くが総督府に没収され、ただ同然で、日本人や東洋拓殖株式会社
(著者注・1908年に日本が設立した国策会社)に譲り渡された。その結果、わが国の農民は、土地を失って、日本人の下で小作人となるほかなく、暮らしはますますひどくなっていった。
                          (『理解されない国ニッポン』別技篤彦 著より)

子供の教科書としては感情的すぎる嫌いがあるが、韓国人の日本観がよく分かる。


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