「米百俵」小泉総理以前の国会における論戦。

 「米百俵」について小泉総理以前にも何度か国会で引用されています。やはり、国立国会図書館の国会会議録検索システムを利用して収集しました。

147回-衆-予算委員会-06号 2000/02/15

○栗原(博)委員(自由民主党)
 さすが、中曽根文部大臣、そしてまた、ただいま御発言いただきました河村総括政務次官、教育に大変熱心でございまして、的を射た答弁でございまして、お話をしまして感無量でございます。
 さて、私ども新潟では、誇るべき米百俵という精神の運動がございます。これは、戊辰戦争の戦禍で、約二百五十年の間に築き上げました長岡藩という藩がありますが、その藩が戊辰戦争で敗れまして、わずか一年の間でこの長岡の町が荒廃いたしました。そして、荒廃をすると同時に、やはりそこに住んでおります武士あるいはまた一般の方々は飢えておったわけでありますが、そこに近くの支藩から米百俵が送られてまいりました。この米百俵は、本来、当時の長岡の方は、それを一刻も早く食べたい。しかしながら、当時の小林虎三郎という偉い方が、その米の百俵は食べないで教育に使おう、教育の施設を、あるいはまた本とかを買うということで、長岡藩が見事に復興したわけであります。
 その中で、私は、教育というものは何物にもかえがたいものだと思っています。今、中曽根大臣並びに河村総括政務次官のお話を聞きまして、そういうお気持ちで今度教育を改革していただきまして、このような事件が再び起きないように、また教育の現場でも御努力願いたいと思っております。


140回-参-予算委員会-06号 1997/03/10

○高橋令則君(平成会)
 今重要性について総理は述べられたわけでございますが、私はまさに同感とするものでございます。
 平成七年に科学技術基本法ができ、そしてこれに基づいて科学技術基本計画ができました。五年間で十七兆円という巨額の額が示されているわけでございます。平成八年度、これは補正を含めてですけれども三億円余、それから平成九年度、当初予算で三億円、六億これまで計上されてきております。今後十一億が必要になるわけであります。しかしながら、これはもう大変な努力を要することではないかなと、このように思っております。
 金額的なことを今申し上げるわけではありません。私はこの際少し古い話を申し上げますが、戊辰の役の後、越後の長岡藩で米百俵の話がございます。御存じのように、長岡藩が戦いに敗れて、そしてあれは十二万石が三分の一ぐらいになったんですか、もう塗炭の苦しみを味わうような苦しみの中で当時の大参事であった小林虎三郎という人が、その支藩でしたか、三根山藩から贈られた米百俵の処置をめぐって、今食べてしまったのでは何にもならない、これは教育に投じよう、学校を建てようということで、その後の同藩の人材輩出の因をなしたというふうに感動的に、これは山本有三先生の本ですけれども、書いてあります。私は、相当前に読ませていただいて、また確認をさせていただきました。
 私は、今非常に我が国は厳しい状況、行財政環境の中にありますが、やはり古人のこのような見識といったものに学んで、そして厳しい中にあっても精いっぱいの努力をしなければならない、このように思いますが、総理の御見解をもう一度お示しいただきたいと思います。

○国務大臣(橋本龍太郎君)
 幕末から維新史を見ましたとき、越後長岡藩というのは独特の人材を輩出しております。河井継之助あるいは山本帯刀、そしてその山本家を継がれた高野五十六、後の山本五十六、その中に小林虎三郎も数えられる。私は越後の方々が、長岡の方々が誇られる人材であったと思います。
 そして、将来というものに、人をつくるということにその投資を向けた、長岡藩独自のやはり士風の中からそのようなものが育った、私はそんな感じでこの話を受けとめておりました。


140回-衆-法務委員会-03号 1997/02/21

○栗原(博)委員
 先般、予算委員会で、私の同じ選挙区であります坂上富男先生が、我が地元で長岡藩の小林虎次郎大先生の米百俵運動で、河井継之助の有名なあの長岡藩が、困窮の中にあっても後世のために百俵運動の米を教育に回す、そういう歴史的な事実を坂上先生が御披瀝されました。なるほど友部氏なかなかいいことを言うなと思っておったのですが、実はそれが、よく私が調べましたら弁護士が長岡の出身なので、すべて他人様に依存して、みんないいところだけ取り繕ってやったような気がいたします。
 そういう中で、大変私は、この起訴内容をただいま聞きまして、実は国会議員が詐欺を働いたのではなく、大型の詐欺グループの総大将が、なしなしの金を老後のためにいろいろ蓄えた、そういう方々を、そのお宅に泥靴で入り込んでいって、手で金をわしづかみにして、それを豪遊三昧し尽くして、さらにその金が足りなくなったら国会を目指して、国会の地位を利用しまして、さらに堂々とまた金をかき集めだということが、私は今回の事件の背景であろうと思います。
 でありますだけに、こういう行為を許した政党の責任ははかり知れないものがある、弾劾に値するものと私は思っておるわけであります。しかし、このことを新進党の皆さんのみであるというふうに片づけてはならないと思っております。国会の権威を、そしてまた国会議員の名誉を守るためにも、今我々は何をすべきかということをやはり自問自答することが大切だと思っておるわけでありまして、我が国の法律の最高の番人でございます法務大臣から、この本件の事件についての御所見と、政治家たる倫理観というものをひとつ御教導賜りたいと思います。

○松浦国務大臣
 このたびの事件は、極めて被害額も多額であり、また被害者も非常に多数であるという意味で、極めて刮目しておかなければならない事件ではなかろうか、こう思っております。しかも、こういった犯罪が、御指摘のとおり、国民の間に政治に対する不信、これを促進する一つの事件ではないか、こう認識しておりまして、厳正な裁きをこれからも検察庁でしていくものと期待をいたしております。


140回-衆-予算委員会-15号 1997/02/18

○坂上委員
 大変結構なことです。悪用された、こういうわけでございます。これもまた欺罔の手段で使ったんですね。詐欺の手段で使ったわけでございます。
 さて、今度文部省、もう一つ。
 友部容疑者から、21世紀青少年育英事業団の財団設立について文部省に相談がなされたようでございます。さすが文部省はこれに対しまして適切な対応をされたようでございまして、財団設立はできなかったようでございます。結構でございました。
 さて、そこで、設立趣意書によりますと、こういうことが書いてあります。
 明治維新の前夜、官軍と幕府との壮絶な戦いの中で、幕府側を支持した長岡藩は、長岡藩というのは私の郷里の大事な藩でございますが、官軍に徹底的に叩きのめされ、藩は焦土と化した。こうした惨状を見かねた周辺の藩より、藩内の人々の飢えを救うために米百俵が長岡藩に寄付された。人々はこれを食べて飢え凌ごうとしたとき、小林虎次郎という優れた教育者は、米を食べずに売却し、その得た代金で長岡藩の次の世代を担う青少年の教育の費用に充てることを提案した。この説話は、現在でも「米百俵物語」として語り継がれ、小学校の国語の教科書にも取り上げられている。
とあります。そして、この財団は、日本の将来を担うところの優秀な人材を育てることを目的とする、こう引用して書かれているわけでございます。
 私のふるさと、越後の長岡藩の「米百俵物語」は、我がふるさとの誇りでありまして、語り継がれているのであります。友部のようなこの悪人ばらによって「米百俵」が引用されることは、まことに不快きわまりありません。友部容疑者の犯罪集団によって青少年が育てられたとすれば、本当に暗たんたるものがあったであろうと思っておるわけでございます。そんな意味で、白川公安委員長、頑張っていただかぬとならぬと思っておるわけでございます。
 さて、いろいろ調査によりますと、被害者に被害を回復することはまことに薄いようでございます。このような友部詐欺犯人を国会議員にさせたのであります。友部が国会議員になったために、六十六億円の被害が増大したとも言われておるわけでございます。このような友部を公認して国会議員にした政党の責任は重大でございます。(発言する者あり)静かに。
 その責任は何としても問われなければなりません。政党そのものが存在を問われているのであります。決してこの党だけではありません。私たち全体の政党人が問われていると言っても過言でありません。
 公職法第二百二十四条の三、「候補者の選定に関する罪」に該当する疑いのある政治家が存在するとも言われております。ありとすれば、厳重なる刑事処罰がなされなければなりません。細川、初村両氏の疑惑が取りざたされております。法務大臣、これらの政治家への資金の流れと責任について、現在のところの捜査の状況、お話しできますか。できるだけ答えてください。

○原田政府委員
 検察の現在における捜査状況についてのお尋ねでございますので、事務当局からお答えさせていただきたいと存じます。
 現在、本件につきましては、一部関係被疑者につきまして公訴が提起されております。引き続き、検察当局は警察当局と相助け合いまして、本件の全容の解明に向けて努力しているところと存じております。


108回-衆-文教委員会-03号 1987/05/22

○馬場委員(馬場昇・日本社会党)
 一部の報道によると、二、三日前の新聞にこれまた臨教審の民間活力の強調という中でいろいろ出ておりますが、具体的にちょっと言うと、国立学校設置法の規則を改めて国立大学でも民間の寄附金一〇〇%で賄う「寄附講座」というのをつくるのだ、「冠(かんむり)講座」と言っておる報道機関もあるわけでございます。このやり方というのは、さっきから大臣も大学の自治、自主性とおっしゃいますけれども、大学の自主性とか創造的な教育論理、創造性とかが本当に失われて、教育論理というものが経済論理に取ってかわられて、利潤追求に追随させる、こういうことになりかねない。教育の産業化とか、教育の商品化というものに進みかねないという危険性が非常に多いと思います。そういう意味で、民間活力の導入というものについては、これは大学の自治にかかわる問題ですから大学が主体的に考えるのでしょうけれども、ぜひ文部省もそういう観点で対応していただきたいということを申し上げておきたいと思います。
 それから教育財政のところで、第三次答申がありましたときに岡本会長が、例の越後長岡藩の小林虎三郎の故事を題材にした山本有三の「米百俵」の思想を説かれたわけでございます。この山本有三が書いている小林虎三郎の、藩士が米を配れといって抜刀してきたときに、小林虎三郎がどう説得したかという部分について、この百俵の米をもとにして学校を建てて子供を育て上げていきたいのだ、この百俵は今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか百万俵になるかはかり知れないものがある、いや米俵などでは見積もれないというものになる、こういうことを言っておられるわけでございまして、それで藩士も了解して、そして国漢学校ができて立派な人材が輩出したわけでございます。
 これについて、中曽根さんの今やっている教育改革や行政改革、子供のための教育費をさっき言ったようにずっと削って、あるいはけちってと言っていいかもしれませんが、それで片方では防衛費なんかがどっとふえている、それで財政を黒字にしたい、こういうことで今行政改革なんかをやっておられるわけでありますが、この小林虎三郎の、国は腹が減っておっても教育に金を使う、そのことが日本の将来のためだ、こういう「米百俵」の思想と、中曽根さんの今の行政改革の思想、私はここに教育とは何かというものに対する違いがあると思うのですよ。私は少なくとも、国の教育行政を預かる者としてはこの小林虎三郎の「米百俵」の思想というものを大切にし、その方向に近づく努力をすべきじゃないかと思うのですが、大臣、いかがでございますか。

○塩川国務大臣
 今は財政の苦しいときでございますから、いろいろと財政窮迫の中で教育予算の削減ということは、これは確かに非難を受ける、またこれをはね返していかなければならぬと私は思っておりますが、しかし文部省が設置されまして百十数年になるわけでございますが、その間、文部省は終始一貫「米百俵」の精神で通してきていると思います。現在もその気持ちだと思っております。
 でございますから、義務教育の制度においても改正に必死になって取り組んでまいりましたし、また科学技術の研究につきましても、例えば筑波にございますトリスタン、あれなんかでも、最初やりますときには、こんなとてつもない研究をどうしてやるんだという議論はいろいろあったと思うのです。しかし、ああいうようなことに積極的に取り組んでまいりました。そしてこれを共同利用機関として育て上げていった、これが今日世界に注目される研究機関として成長してきておりますし、そういうふうに、やはり根本の精神はそこは狂わなかった、狂ってはおらないと思っております。
 だけれども、現在当面この財政の窮迫の中に立っておりますので、あれもやりたい、これもやりたいというのはなかなか思うようにいかないということでございますけれども、ぜひ財政の好転を待って教育に積極投資をすべきだ、それは私たちも信念として持っております。そういうふうに自分らでも道を切り開いていくべきだと思っております。

○馬場委員
 やはり熱意の問題だと思うのですけれども、小林虎三郎がこういうことを決定したときの越後の長岡藩の状況というのは、もう御承知のとおり、明治維新のときの戊辰戦争で、あそこは戦場、焦土と化したわけです。だから長岡藩の窮乏というのは甚だしくて、藩士とかその家族が飢えのどん底にあったときに救援米として送られてきた米百俵です。それをいつかいつかと藩士や家族が米を配給していただきたいと待っておるときに、これを売って金をつくって学校をつくるんだ。それを藩士たちは刀を抜いて何事だといって攻撃してきた。それを説得して国漢学校をつくったということですから、今の財政状況と比べますと全然違う。やはり小林虎三郎の「米百俵」の思想というものを文部省はまだ十分に発揮していないということを私は追及しておきたいと思います。


101回-参-文教委員会-15号 1984/07/19

○参考人(伊藤昭君)立命館大学生部厚生課長
 この問題につきまして、やはり過去の日本の中でのいろんな逸話がございますが、米百俵というお話がしばしば引用されるかと思います。やはり、領民が飢えて死ぬと、そういった段階でも学校を建てて教育に投資をした、そういった経験もございますし、あるいは関西電力におられた芦原さんなんかは、百年先であればこれは人を育てようということはおっしゃっておられます。そういう点では、やはり、現在そこまで本当にこういった教育にかかわる議論が詰められていたのであるかどうか、その点では私どもまだまだ足りない。そういう点でまだ残念ながら教育改革ではなくて行政改革ということで余りにも話が進められ過ぎているのではなかろうかというように考えております。


101回-衆-文教委員会-17号 1984/06/27

○稲葉参考人(東京大学新聞研究所教授)
 しばしば教育を語るときに、それは国家百年の大計であると言われ、また一つの歴史的な事実として、長岡藩におけるいわゆる米百俵の例が出されるわけですけれども、そのときの小林虎三郎の論理というのは、まさに今ここにおける利益を追求するのではなくて、どう文化の論理あるいは教育の論理に立って人間を育てていくか、あるいは社会を築いていくか、こういう理念の表明であったと思います。それが米百俵の話を私たちに非常に感銘深いものにしていると思うわけであります。
 それが、現実の社会を見ますと、いろいろな形で教育にも資本の論理が浸透しようとしている。そこに財政危機、国家財政の危機ということが言われるわけでありますが、私自身、先ほど申しましたように、戦後間もない時期に旧制高校で学びまして、たしか月六百円の奨学金を受けたと思います。そのころ、私も寮生活を送っておりましたが、よく芋が一切れぐらい乗っかって夕食である、あるいはすいとんを食べてそれで一念終わりというような生活をしていたときでも、奨学金に利子をつけようというような発想は恐らく出ていなかったのではなかろうか、あるいは奨学金をやめようというようなことも恐らくなかったのじゃなかろうか。その辺は詳しくは存じませんけれども、そういう時代に無利子制の奨学金を受けてきた一人として、これからのまさに二十一世紀を担っていくと言われる子供たち、青年たちに対して、今の時代は苦しいのだから本当は無利子がいいのだが有利子も我慢してくれと言うようなことは、親の世代の一つの発言としてとてもできるものではないというのが私の実感であります。どんなに苦しくても無利子制を守っていく、あるいはさらにはそれを改善していくということであれば給付制にしていく、授業料については無償制にしていく、こういう方向こそが歴史の流れを踏まえたものであって、そこへ有利子制を導入し、それによって奨学金を受ける人数をふやすというようなことは、確かに人数はふえているとは思いますけれども、これはまさに資本の論理に教育の論理あるいは文化の論理が屈服していくことであって、今あらわれているところだけを見ればせいぜい二万人が有利子貸与になるということだけのように見えますけれども、教育全体の質の問題として、これは極めてシンボリックな事件あるいは導入でありまして、こういうところから教育の全体がまた変質していくことが予想されるわけであります。
 今盛んに教育改革が議論されておりますが、私はここで一つの理念として、資本の論理に抗した、そして本当に人間を進歩させ発展させていく教育の実現ということを国民全体の願いとして受けとめていくならば、教育全体がそういう方向に改革されなければいけないだろうし、そういう改革の一環として奨学金制度も、英才に対して利子を取ってでも与えるということではなくて、すべての人間に給付をしていく、少なくとも現行の無利子貸与ということぐらいは守らなければ子孫に対して顔向けができないのじゃないかというふうに考えている次第であります。


101回-衆-予算委員会-11号 1984/02/25

○山原委員(山原健二郎・日本共産党)
 一方は法律にあるからやります、一方は法律にあるけれども検討中であるということは、やっぱり四十人学級については余り中曽根政権は積極的な意思をお持ちでないというふうに考えざるを得ません。
 在日米軍の子弟に対するいわゆる思いやり予算ですね、あれは二十九人学級です。それで要求して今度の予算では二十五人になっています。しかもこの在日米軍の子弟の教室の面積は八十平米です。これで二十五人ですね。日本の子供たちは四十五人で七十四平米です。人数の多い四十五人学級の日本の子供たちは狭い教室で、二十五人の在日米軍の子弟は八十平米。それは私は本当に不合理だと思いますよ。
 中曽根総理、米百俵という故事をお聞きになったことあるでしょうか。
○中曽根内閣総理大臣 越後長岡藩の物語で、読んだことがあります。
○山原委員
 さすがに博学の総理ですからおわかりだと思いますが、あの越後長岡藩ですね、くしくも新潟三区でありますが、これは戊辰のとき二度にわたって焦土と化して、そこへ三根山藩から百石のお米を贈ってきた、藩士たちがそれを飯米として分けろと言うのに対して、小林虎三郎という家老職の人が、皆に配ったら二升しかないんだ、そうでなくて、これは販売をして学校をつくるという、これは山本有三の「米・百俵」という戯曲にもなりまして大変な反響を呼んだわけでありますが、どんな困難なときでも二十一世紀を展望して教育の大改革をやるというならば、私は、教育の問題に対して、現実の父母や国民が困難に直面している問題に対して、どう実績として中曽根内閣がこたえるかということが必要だろうと思います。


096回-参-文教委員会-06号 1982/04/01

○宮之原貞光君(日本社会党)
 全然大臣の所信表明と一致しないという、この実感というのはこれは私一人ばかりじゃないんですよね。大臣は、財政事情の許す限り、非常にあたうる限りの努力をされたと、こういうことですけれども、結果から見ますと、これは財政事情を考慮しつつどころか、全く実際は財政事情に屈服した形の文教の定数関係しか出ておらない、こう申し上げた方が私は適切だと思うんですよ、これ、この点、たとえば文部省としては相当な前進的な、教育を前進させるという立場から予算要求をしたけれども、健闘むなしく予算内示のところで切られてどうにもできなかったというんなら話わかるんですよ。けれども、実際そうじゃないじゃありませんか。概算要求の際からもう前年度寄りの削減を打ち出しておられるでしょう。これだったら、いわゆる財政事情を考慮するどころじゃなくて、まさに臨調の言う財政事情に屈服した形で、文部省は一歩も二歩も後退をして初めからこれは予算要求されておるとしか判断できないんです、大臣。これは後からおいおい申し上げますけれども、財政事情と片一方では言いながら、防衛予算だけは聖域化でしょう。七・七五%も増大をする。そのしわ寄せが教育にきたということも、これは世論の指摘しておるとおりなんですよ。私はここで防衛論争をやろうとは思いませんけれども、しかしやはり一番国家百年の大計の中では教育ということが大事だということは、文教関係者のひとしく指摘をするところなんです。まああの山本有三さんの「米百俵」の話じゃないですけれども、こういうときにこそむしろ教育の条件をつくり上げていくというところに文部省自体積極的な姿勢を示してこそ、私はやっぱり世論の支援も受けると思うんですがね。どう考えてみてもそうは思えないんです。初めから一歩も二歩も後退した形で昨年度よりもうんと定員減をして概算要求からやっておる。これはもちろん大臣の就任以前の話でしょうけれども、大臣、いかがなもんですかね、こういう姿勢であなたは文教行政を預かるところの最高の責任者ですから、私は少なくともそれであっては困る。本当に大臣が苦労をして、集中攻撃を受けて悪戦苦闘して大蔵査定で削られたというんなら私は、先ほど申しましたように話はわかるんです。初めからその方向に沿ってやっておるという、これでぼくは大臣が所信表明でおっしゃるところの、児童一人一人の能力と適性に応じたよりきめ細かな教育を行うという所信に対比いたしましてどうだろうかと思うんですがね。こういう物の考え方について大臣いかがですか。大臣の所信と関連をしてお聞きしたいんですがね。

○国務大臣(小川平二君)
 改めて申すまでもなく、教育行政はいわゆる国家百年の計でございまするから、非常に厳しい財政状況のもとにおきましてもあとう限りの努力をして拡充を図っていくべきものだと存じております。しかし、財政の事情というものをまるまる無視するわけにはまいりません。今日の財政の状況が非常に憂慮すべき危険な状況に立ち至っておりますことは御高承のとおりでございます。財政が崩壊して文教施策も福祉施策もあり得ないわけでございまするから、今日の財政の状況というものは正しくこれを認識する必要があると存じております。


090回-参-文教委員会-01号 1979/12/06

○宮之原貞光君(日本社会党)
 大臣は率直に自分のことをお認めいただいて、それは無理からぬことだと思いますから、それ以上は申しませんけれども、実はここのところを私は大臣はうんとレクチュアを受けて、確信を持って、いわゆる新聞に出ておる政府首脳なり、大蔵大臣とやっぱりやってもらわなければ、とうてい一般のいわゆる財政の云々だけでこれやっちゃったんでは、向こうのペースに入っちゃうと思いますよ、これ。少なくとも文部大臣は教育効果を高めるためには、教育は国家百年の大計だと言うならば、いま財政がどれほど厳しくとも、いまこれが大切なんだと、十年、二十年後の日本の教育ということを展望したら、いまがしんぼうのしどころなんだと、こういうことになるんだという、教育の発展をさせるという、そこのところを私はやっぱり急速にいろいろ大胆の方も頭の中に詰めていただいて、私はその点文部当局はやっぱり大臣に、きちんとレクチュアと言うと失礼ですが、御進講申し上げる責任があると思うんですよ。そのことなくして、私はこれは単に予算折衝の財源問題のやりとりだけでは、これは負い目になっちゃうと思いますよ。だから、その点多くは申しませんけれども、少なくともいろんなデータの中でも明確に出ておるわけですね。たとえば、全国教育研究所連盟の調査結果も文部省はお持ちでしょうし、あるいは諸外国の例もお持ちでしょうし、あるいは教育現場での実際教育を担当しておるところのいろんな団体からのいろんなデータもお持ちでしょう。言うならば今日やはり教育不在と言われておるところの教師と子供一人一人とのコミュニケーションがない。子供をできるだけ少なくして、一人一人をやはり教師が接触をする中で、個別指導をしていくという中では、この学級定員という問題は、教育発展の中では欠かすことのできないところのきわめて重要な問題なんですから、そこのところを私は踏まえていただきたいと思うんです。こういうことを言って、農林出身の大臣に申し上げて失礼かもしれませんけれども、山本有三さんの「米百俵」という小説がありますわな。御存じでしょう。あの戊辰の役前後、長岡藩が焼かれて、米百俵を贈られた。これを何に使うか。そのときに、これをやはりその領民の皆さんが飢えておるというのでこれを配る、それは一時的には助かるかもしれない。それをやはり将来の日本をつくり上げるためには教育以外にないということで、教育の費用にこれをつぎ込んだという、ここのところですね。私はこれは米百俵ですから、これは農林関係でも関係あることの一つの例だと思って申し上げておるんですけれども、この問題のやはり本質的な理解ということを、文部大臣がきちんと腹におさめておいて折衝に当たっていただかなければ、なまはんかなことでは私は解決できないと思うんです。率直に申し上げまして、それならば、私どもは文部省から出されたところの九年計画で、これでいいかというと満足してないんです。これは。非常に問題点があるんです。いまの私の質問や、いろんな大臣に対するところの激励は、いや、文部省の案は一〇〇%だ、じゃあ支援してくれるかと、こうお感じになったらそれはちょっと早計だ。それはたとえば九年もかかる、ここにも問題がある。いままでの四次までのものは五年計画とか、いろいろなものがある。せめて小学校と中学校ということを考えれば、年次別ではやっぱり最長六カ年ですね、これは。そういう年次の問題もあります。あるいはまたこの案が、いま一番この定数を減らしてもらいたいという要請の声というものは人口急増地帯なんですよ、四十五名のすし詰めをやっているところは。ところが、この案はどうですか。過疎地帯で、その学校へ行けば平均して三十二名とか、三十名ぐらいのところからこれは始まっている。これ自体から言えば問題がないとは言いません。しかしながら、私どもはこのことにあえて目をつぶって、まず文部省の案で芽を出しておいてもらいたいと願いながら強く申し上げているところのゆえんは、いま申し上げたように、この問題がやはり日本の今後の初等教育のあり方の中に、きわめて重要な要素を与えるところの問題だから申し上げておるんです。したがって、私はこのことを文相が十分ひとつ踏まえていただいて、今後折衝に当たっていただきたい。もし財源上の問題があるならば、ぼくはいま文部省に要求されておるところの文教予算で何が何でもいまやらなければならないという問題も場合によっては予算の中にありますよ、私どもの方から言わせれば。あるいは現場の先生要らぬと言ったのを、無理やりに政治的な一つの物の考え方で押しつけてやっているところの主任手当の問題もあるでしょうが。どっちを選ぶかと言われたら、ここを選びますぐらいの大胆な発想を持って、私はやはり文部大臣は事に当たるぐらいの腹構えがなければできないと思うんですよ、これは。こういう私の主張に対しまして、文部大臣はどうお考えになりますかね。

○国務大臣(谷垣專一君)
 宮之原さんが長い教育の場における、あるいは政治家としての長い経歴の中で固められた御信念、それに基づきましての、ある意味におきましてはしっかりしろという御激励の言葉に対しては敬意を表するわけでございます。
 いま出しております文部省の案というものが、やはり定数基準の問題が文部行政の中における非常に重要な問題であるという認識のもとに、しかもそれが長期における日本の教育行政の中の流れの中での役割り、これは十分私も及ばずながら理解をしておるつもりでございます。その立場に立って、具体的な今日の状況で、私たちの考えております案を実現していくために、全力を尽さなければならぬと考えておるわけでございますが、いまの段階は財政当局とこれからやる段階でございます。これを通すためにこっちの方は遠慮するとかいうような問題のまだ出る段階ではなく、これからどういうような処理をしていくか、私の方はひたすらこの問題を文部行政の重要な流れの中でやっていくんだということをはっきりさして、そして財政当局もまたこれに賛同をしてもらうような努力をやっていかなければならない、こういうふうに考えておるわけでございます。


082回-衆-文教委員会-03号 1977/11/16
○小川(仁)委員(小川仁一・日本社会党)
 それじゃ、私の見解はもうおわかりいただいたと思いますのでそれ以上は追及いたしませんが、法治国家でございますから、法律というものは、私の方から申し上げては大変失礼ですが、お守り願いたい。
 大蔵省の方にお伺いいたします。大蔵省もいままでこの五カ年計画に御協力をいただいて大変ありがたいわけでありますけれども、同時に、先ほど来申し上げていますような教員の状況、学校の状況があるわけでございます。教育というものは国家百年の大計、そして日本の将来を背負う子供たちの課題でございます。それに対する施設、設備というのは当然必要だと思われます。山本有三の小説の中に「米百俵」という小説がございました。お読みになっていただければ、これまた非常に苦しい時代における教育の必要性というのをおわかりいただいている、こういう前提の中で、まずこれは本年度の足踏み、そして来年度の五カ年計画の最終完結年度に対して最大の努力をお願いを申し上げたいと思うわけで、教育の現状をお考えになっておられる大蔵省としてどういう態度をおとりになろうとしておられるか、お伺いしたいと思います。

○的場説明員
 お示しの事柄は来年度予算の事柄でございまして、御承知のとおり、財政状況は、国の財政も地方財政と同様に大変苦しい状況になっております。したがいまして、既定の制度あるいは施策等につきましても見直しを図るという見地で一般的に検討しているところでございます。教職員の定数を繰り延べさせていただいている問題をどうするかという点につきまして、大蔵省としていまの段階で態度を決めているわけでもございませんし、来年度予算の全体の枠の中で考えていくことだろうと思います。文部省と十分に検討、相談をさせていただき、また自治省の意見も聞かせていただきましてこれから決めることだというふうに考えております。


072回-衆-予算委員会-03号 1973/12/07

○竹本委員
 ただいまの大蔵大臣の御答弁でございますけれども、私は先ほど申しましたように、自然増収というのは、経済学的に見れば、特にインフレ過程から出てくる。インフレ過程だけからじゃありませんが、いまの段階でいえば、インフレを通じての自然増収というものが相当大きい。そういう意味で、インフレがすぐストップできないということになれば、石油ショックを別にしても、ある程度自然増収があると見ていいのではないかという点が一つ。これは金があるかないかの問題があります。それからもう一つは、その金を三分の一、地方に交付金で返さなければならぬ。これはそのとおり。しかしながら、あるから減税に回す、こういうのですけれども、ここで、私は野党でございましてなかなか立場が苦しいのだけれども、減税一本やりでものごとを処理するということが、今後の財政制度のあり方として正しいかどうかということには私は疑問を持っている、率直に言って。それは、庶民は減税だといえば飛びつくし、選挙政策にはいいかもしれぬけれども、しかし、まじめに国の全体のインフレを押えるという立場から考えれば、減税一本やりでいくということ、あるいは減税中心主義でいくということにも、やはり慎重でなければならぬだろうと思うのですね。
 そういうことも含めて、入ってきた金のうちの三分の一というものはここで積み立てておく。そして公共料金を上げれば千億円の収入あるいは二千億円の収入というようなことがありますけれども、それの与える影響は、金の面では計算ができない。政府がこんなに上げているのだ、たとえば、今度は、石油の問題並びに生活安定法の問題にも関連しますが、標準価格は高値安定になるのではないかと、皆さんが非常に心配して、深刻な質問が先ほど来出ておる。その場合に、標準価格はなるべく下へ押えなければ、生活安定ではなくて企業安定になる、高値安定になるということをいろいろ御指摘があったと思うのですね。しかし、政府が自分の公共料金をどんどん上げておいて、そして業者に向かっては、標準価格は下げていけなんということが、一体道義的に言えますか。私は、そういう点から考えてみても、政府がえりを正すことが先だと言うのですよ。そういう意味からいえば、公共料金を上げるということは、それによって赤字が千億円解消するとか二千億円解消するという問題以上に大きな問題があるのだから、そういうりっぱな積み立てをひとつ考えられたらどうですかということを、御検討いただくということでけっこうですが、考えていただきたい。私は、いまの政治は大衆政治でありますから、しかたがありませんけれども、率直に言って、良心的にわれわれ野党でもまじめに悩んでおりますよ。こんなに大衆迎合ばかりやってよろしいかどうか、ぼくは悩んでおる。政府ももう少し真剣になってもらいたい。
 「米百俵」という小説がありますが、これは山本有三さんの有名な小説ですが、昔、米百俵分けてやれば、みんながもらえる米は、二合か三合か、知れたものだ、これを、ほしかろうけれども預けてくれ、それを別にたくわえて、それで、あれは米沢藩ですか、教育資金にしたのですね。教育基金にして、それで人材が出てきたということは、歴史でも、山本有三さんの小説でも書いてあるが、いま政府に必要なことは「米百俵」ですよ。この「米百俵」の考え方に立って、人気取りにばらまくのはやめて、できるだけ押えておくということが必要ではないか。そういう意味で私は安定基金ということを言っておるのでございますから、ひとつ御検討をいただきたい。


040回-衆-地方行政委員会-02号 1961/12/15

○太田委員(太田一夫)
 従って、これは総理にでもお尋ねしないとまずいというわけですね。お答えをいただく方がないとするならば、まことに困ったことだと思うのです。それは最近非常にファシズム的な傾向が国会の中にも横溢しておると世間、特に新聞などにおいては書きたてられるのです。この前の幾多の強行採決をめぐり、国会空白になった時分に、ファシズム的なにおいが強くなった、ファシズム的な傾向があるとかいうようなことなどが言われて、いろいろと民主主義政治の危機について述べられたのです。そういうことが今日は少しずつやわらかになってきたかと思うときに、片方で政治の現状に不満を抱いて蜂起した今のクーデターの一味があるのです。そうすると、その根というものが政治に一切が発しておると見るならば、根源が政治にあるならば、われわれがみずから省みなければならない、国民もすべて考え直してみなければならぬ、こういうことになるわけです。そうすると、今の日本の国の一番大事なものは教育だと思います。「米百俵」という小説がありますけれども、教育ほど国の運命に大事なものはない。今日民主主義が進歩してきていると思うのに、実はそれが崩壊の道をたどっておるとするならば、柏村長官は予算と人員のワク内で最大の努力をするとおっしゃるけれども、もしも何ともならないときが来たときに、私は最善の努力を尽くしましたといって腹を切ってみたところで、国民は救われない。そこで教育基本法の精神というものを文部省がしかと把握していらっしゃるかどうかという点を少々お尋ねしておるのです。教育基本法の前文には、こういうことが書いてあるのです。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」まことにいいことが書いてある。この教育基本法の精神というものに立ち返ったような教育がなされ、この思想というのが、今の日本の国の国民の最も尊厳な、また中心となる考えというものに一致しているならば、こういう右翼なんというものは出てこないですよ。それはみんなで寄ってたかってつみ取ってしまうと思うのです。国民がそういうものを寄ってたかってつみ取るようにならなければ、警察力をもってつみ取るということでは、どちらかというと邪道です。だから私は、警察力でつみ取るということに一切をまかせるのではない、国民の民主的な思想でつみ取るということにならなければだめだということを言うのですが、文部省はその覚悟のほどがおありでございますか。

○長谷川政府委員
 ただいま太田委員の申されたように、教育基本法に述べられたその通りのことを今の教育界の中にぜひ実現したい、そうして国際的にも尊敬される日本人を作りたいということで、お互いが努力している途中であります。しかし、それがまだまだ徹底しないうらみがありまして、ときにファシズムのようなにおいが出たり、ときにまた暴力的な共産革命的なにおいが出たりするところに現代のいろいろな不安があると思います。それを何とか一人々々の力で冷静なうちにやっていきたいというので、私たち初め皆さんにそういうために御努力していただいておるわけです。そう思って足らざるを補うべく努めながらやっておるわけであります。


033回-衆-災害地対策特別委員会-14号 1959/12/08

○竹内参考人(竹内節雄・津島市長)
 次に、文教施設についてお願い申し上げます。文教施設につきましては、はなはだ残念でございまするが、一昨日十二月六日の朝日新聞、同じ日の中部日本新聞が筆をそろえて、「台風後ふえた少年犯罪、被災せぬ子への反感、暗い環境に心すさんで」あるいは「少年が不良化の恐れ、台風による環境変化で」というような記事を載せております。しかし、私は、この記事が載って初めてそういうことを知ったわけではございません。何とぞ文教施設の復興につきましては、十分なる御配慮を賜わって、青少年の士気の阻喪の起こらぬように、青少年をしてがっかりさせぬように、御考慮がいただきたいと思うのであります。数日前だったと思いまするが、文教方面におきましては、災害復旧のために相当額の資金を要するので、すでに決定をいたしましたように、補助あるいはその他の国の御認可のあったものが、幾らか取り消しあるいは中止をされて、いわゆる財源を吸収するというようなお考えがどこかにあるがごときことを伺ったのでありまするけれども、これははなはだおかしいと思うのであります。災害を受けた文教施設を復旧するために、増強なり新設を決定しておった工事をやめるということであれば、これは結局プラス・マイナス・ゼロでありまして、いささか災害に対して親心をもって復旧してやろうということとは遠ざかっていくのではないかと思うのであります。わが学校には、体育館がことしできるんだ、すでに文部省なり自治庁からの御認可までいただいておるということになれば、そのことはPTAの役員も、PTAの人たちも、子供自身も、よく知って楽しんでおったのであります。もし、それを今日、水災のために金が要るようになったから、体育館はお前のところは建たぬようになったのだと生徒に言うたならば、それこそこれらの新聞が書いておりますように、生徒自身がこの災害の痛手をもう一度教室において受けるようになると思うのであります。私は、山本有三氏の小説であったと思いまするが、「米百俵」という小説を読んだことがあります。越後の長岡藩では、大災害に見舞われたときに、見舞いにもらった米百俵を分けて食おうとしたときに有識の士がとめて、塾を開いたという意味の小説であったと思うのであります。その塾からは、山本元帥とかなんとか、偉い人がたくさん輩出しておるということまで、その小説には書いてあったようでありますが、かかる際に、極端な言い方をするならば、他のことは幾らか譲っても、文教に関する、第二国民の養成の教育の施設こそは、むしろ力を入れて、そうして災害のためにむしろよくなったのだ)災害のためにこれができたのだというようなふうに一つ御配慮を願わなければならぬ。


015回-参-予算委員会-35号 1953/03/12

○相馬助治君
 次に予算の問題で総理にお尋ねしたいと存じます。午前中に文部大臣、それから本多国務大臣、向井大蔵大臣、三人に私どもが発した質問によつての答えを総合いたしますると、文部大臣の場合には、昭和二十九年度以降においても現員現給で組む、従つて給与の切下げ首切り等はありません、こういうお考えなのです。これに対しまして本多長官並びに大蔵大臣は、当然その主管大臣としての責任からでしようが、さようなることを明快に文部大臣の言葉を裏付けされていないのです。進んで聞いてみますというと、それは先に属することだということらしいのですが、問題は、現在の教職員は大蔵省の統計によれば、地方公務員より給料が高いと言われておる、それをそのまま文部大臣の言うように組んで頂けるようなら非常に有難いが、国の財政規模の上からは直ちに来年の予算編成でこれが問題になろうと存ずるのであります。従いまして、首相は我々の同僚議員山本勇造氏が書いた「米百俵」という小説に現われているように、飯を食わなくても教育するのだ、こういう精神に立つて、教育優先の建前から飽くまで現員現給を守つて、本法案の施行に伴つて予想される首切り、それから教員の給与引下げ等は行わない、こういう決意であろうと存ずるのでありまするが、是非この点について明確に答弁されて、全国五十万教職員に勇気を与えて欲しいと思います。一つ明確なる答弁を要求いたします。

○国務大臣(吉田茂君)
 政府としても無論首切りとか、或いは免職ということは希望いたしませんが、同時に国の予算ということも考えなきやならんのであつて、政府としては成るべく現員現給という線に近いようにしたいとは考えますけれども、国全体の財政ということも考えなければなりませんから、各方面の関係を勘案いたしまして適当に善処いたしたいと考えております。


001回-衆-隠退蔵物資等に関する特別委員会-07号 1947/08/08

○本多委員
 ただいまのお手紙については、私も質問したいと思いますが他の委員も質問されることと思いますから、その方に讓りますが、私がお尋ねしたいのはそういう手紙のような結果に陷つたのも、結局國民が大きな疑惑をもつておる。期待する隱匿物資が出ないからである。それほどの努力をされても、あれほどあらねばならぬと思われる隱匿物資がひとつも出ない。それが出ない理由はいろいろ言われておりますが、隱匿物資であつても、あるのかないのかまごまごしているうちに、結局正式ルートに乘るように官公署に運動をして、遡つて帳簿に登録されてしまう。そのために、隱匿物資が隱匿物資でなくなつて出なくなつてしまうのだということを國民は疑つております。でありますからそういう結果になつたことにつきまして、警察竝びに檢事局あたりの仕事には遺憾なしと考えておられるかどうか。國民の疑惑を解き得る程度のことができておるように思つておられるかどうかということを私は聽いたわけであります。それに對するあなたの心境をひとつ御説明願つてその後で今のあなたの御證言に對する關連質問が他の方からあることと思います。

○森證人
 先ほど一番はじめにちよつと申し上げたつもりでおつたのでありますが、もちろん當時非常に厖大なる物資が流れまして、それが不當に利得されたり、あるいは現在でも隱匿されておるものが相當にあるのじやないかと確信しております。ただ終戰以來責任を當時私がもつていたかと申しますと、當初お斷りいたしましたように、私は當時も司法の責任者ではありませんし、警察にもいなかつたわけであります。その點についてはお答えできない。ただ結果といたしまして先ほど申し上げましたように、單にみなの目のつくような所にそういうふうな隱匿物資が現在でもありますのでただ隱匿物資としてあり得るのは先ほどちよつとお尋ねがありましたように、相當の大きな事業者等におきましては、正規の物資の間に一緒にはいりまして、隱匿物資が正規の名をかりてはいつておるというふうなのが相當あるように思います。それ以外の物は大體においてもうすでに消費されたとか、あるいは全國の散らばつておるといふうな實情じやないかと思つております。しかし先ほど申し上げまたように、これらにつきましても、かりに物資があつてもなくてもとにかく全面的に取調べまして、御期待に副うようにできるだけの努力はいたしたい。また實際に警察といたしましては努力している状態なのであります。現在栃木縣で取調べ中のものは、當時たくさんありましたタンニン劑、繊維、皮革というようなものにつきまして徹底的な捜査をいたしております。計畫的にこれを調べまして、順次全般に及ぼしたいと考えておるわけであります。なお今まで隱匿物資が全然出ないということは、まことに申譯ない次第であります。相當の量はわれわれとしても出しておるつもりであります。全般的に集計したのを見ますと、必ずしも多い數字ではありませんが、警察だけで檢擧し、摘發いたした數は栃木縣だけでも相當の數に上つております。全國的に見ますと相當莫大な量に上つておるのではないかと考えております。今後も引續いて一層努力いたしたいというふうに考えております。

○加藤委員長
 本多君の質問に對する花岡檢事の答辯を求めます。

○花岡證人
 私どもは一月二十日、二十一日の二日間にわたりまして出まして、一應封印した數量を全部隱匿物資であるというように報告されたのではないかと相像するのでありますが、これはまことにどうかと思うのであります。私どもが行きまして、あそこにはドラムカンが三十本あるとか、六十本あるとか言われたのが全然なかつた所があります。またあそこは砂糖が何十俵あるかと言われておる所へ行つてみると、全然ない所があります。また米が百俵ぐらいあるという所に行つてみると、一俵もなかつた。この米百俵と言われた所は、私どもははじめ裁判所、檢事局から來たのかと疑われまして、非常に閉口したことがありました。それは前にもさようなことを言つて來た人がある。それであなた方をただちに信用することはできません、と言つて、一應疑つたこともありました。そこで米百俵があるからというので、くまなく探したのでありますが、一俵もなかつたかという所がありました。またドラムカンが二百カンぐらい埋藏してあるという情報に基きまして、そこへ行つて探してみましたところが、空カンは相當たくさんあるが、中に配給のドラムカンが二十數本あつただけである。土をちよいちよいあつちこつち掘つて見たが、埋没してあるような形跡は全然なかつたというような事實が相當たくさんありまして、一緒に行きました判事とともに、何か狐につままれたような非常に奇異なる感じを抱きまして、苦笑したような事實さえあつたのであります。從つて一應封印した品物を全部隱匿物資であるというふうに報告されたとすれば、まことにこれはどうかと思いまして私どもは何ら職務上遺憾な點はないと考えております。また終戰後すでに一年半を經過し、あるいは隱匿物資等緊急措置令が發布されまして一年を經過した本年の一月ごろ、すでにそんな品物がたくさんあるはずはないであろうということを一應想像されたのでありますが、行つてみましてくまなく捜索しました結果、ただいま申したような結果に至りまして、當初の豫想通り、ははあなるほどというような感じがしたのであります。從つて私どもは職務上何ら遺憾の點はないと考えております。

○本多委員
 職務上遺憾の點がないと考えておられるかどうかということを私は聽いたのではなく、國民一般の常識を納得させることが、今日までの結果ではできないと思うがどうかということをお伺いしたのでありますが、期待するような御證言は得られないと思いますから、私のこの點に對する質問は打切ります。


「米百俵」小泉総理、国会での論戦。

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