−私的サイボーグ009−

 さてここからが「私的」になってきます。
 怖いこと嫌いでイメージを保ちたい人はここから先は読まないで!

 「ドイツ入院日記」に書きつつありますが私は病気してます。で、97年からこのかた既に6回手術受けてます。 うち5回が全身麻酔です。あと来春までに2度手術の予定です。(追記:無事終了。手術回数8回(笑)) 前回の手術では結構なカサの「異物」を体内に埋め込まれてしまい、今の医術の定義では 私も「サイボーグ」ということになるらしいです(^_^;。で、真面目にサイボーグ達に感情移入するようになってしまいました。 「ずっと海の中で暮らしていたら...」というピュンマの科白にはぐっときました(T_T)。そのあたり前提に読んで頂けましたら。

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 全体的にはクリーンなイメージのある「サイボーグ009」という作品ですが、内含する残酷性が時々顔を覗かせているように 思えます。
 実際作者は、「仮面ライダー」を、「改造」の悲劇を鮮明にするため、もともと「ドクロ」の顔にしたかったが通念上かなわず、 デザインを変更したり (このドクロの原形も『スカルマン』として発表されていますが)、しかも本来あの仮面は、怒りによって浮き出る手術の「傷痕」を 隠すためのもの。グロテスクで冷酷な設定です。「仮面ライダーBlack」では思う存分ダークな 話が展開していきます。
 「009」においても作者のストーリー構築の根底にあるそういった暗黒面がかなり押さえ込まれて いる可能性は十分にあるといえます。いや、押さえ込まれてもいないかな?

『見えない糸編』
 最初にこれを取り上げるあたり既に結構キテますが(^_^;。これは傑作だと思います。作品の本質のひとつが出てると思います。
 『キカイダー』を読んだことがないのが残念!なのですがこれにはピノキオが出てきます。そのピノキオに頼まれて、 家に一人残され寂しいギルモア博士は、ガールフレンドを作ります。木に彫刻刀をふるううちに人形の少女のイメージが 改造手術中のフランソワーズに重なる。ぞっとするほど残酷なイメージのある場面です。
 で、経験者は語りますが...「手術」というのはすご〜く「あられもない」ことなのよーーーーー!!!一糸もまとわず 手術台に乗せられ腕を固定され針を刺され管を刺され、麻酔をかけられ意識を失えば、あとはなされるがまま。体内を晒さなければなりません。
 そんなことを本人の承諾無しに行うとは、身体を犯すに近い。ましてや肉体を異物に置き換えるとは。 科学者の悪、が鮮明に見えます。
 と同時に彼は創造者−父(親父さん)でもあります。老いた彼は自分の創造物−息子、娘とも言える009たちを盲愛し、執着するように なってしまっています。
 博士が抱える罪悪感、老いて弱くなった心の姿が鮮明に描き出されていますが、最後戻ってきたジョーたちを見て流すあの涙と一緒に、こんな思いが溶けてしまうようです。
 が....。「糸はつけないでね、自由でいたいの!」と言った木彫りの少女。果たして009たちに糸はついていないのでしょうか...。 そして博士自身にも。

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 SW版第2巻巻末の先生自身によるギルモア博士のキャラ紹介は、この話のことなど言っているのかな。(引用はしません、 買って読みましょう(^-^)。)
 でも彼らの後に続くサイボーグ達の改造はもっともっと残酷ですよね。0011なんてもう〜気の毒で気の毒で。 (「ロボコップ2」を見たときこの人を思い出してしまった。)「家」なんかにもなりたくないしさ。

(1999年11月26日記)

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