宇宙の闇で、光る海の中で、地上の霧の中で

−私的サイボーグ009−

  私にとってこの作品はかなり個人的な、大切な体験なので、この作品についての思いを書こうかどうしようかずっと迷ってHP(12/6注記:暖簾分けした個人サイトBar L'Homme de Berlin(工事中)のこと)開設1年以上が過ぎ ました。
 しかしここへきて若い関連サイトがどんどんでき、嬉しい気持ちから、私も出来る限り書きたいと思うようになってきました。
 そう、実はこのサイト(12/6注記:同上)はタイトルからして「004トリビュート」でもありますし!(白状)
 迷いながら少しずつ、ですがこれから、書いていきたいと思います。順番は気にせず、まずは日記風に、ドイツ語オタクな側面も取り混ぜつつ、 掲示板に書けないような細かいことを中心に書いてみます。

***


 まずは出会いですが、この有名な作品のことはいつのまにか知っていました。おぼろげな記憶にあるのは、親類の家で見た当時のソノシート付き マンガ雑誌で、海のトリトンなどと共に旧009アニメの「島村ジョー」のサイボーグにされるいきさつが書かれていたものです。 レース中の事故直後ブラックゴーストに連れ去られる...というあれです。これで年齢はばればれですね(笑)。

 改めて出会ったのは「海底ピラミッド編」を漫画雑誌で目にした頃です。その時ちょうどドイツ語始めて熱中していたせいもあって 004に注目しまして、再放送された新アニメでも ひたすら彼に注目してました。しかしながら、あの私服の設定は...あれって、「アフロディーテ編」から取ってますよね。 もっと暗めの色調にして欲しかったな。帽子もイヤ〜。動画にはし難いでしょうが私はあのヘリンボーンのジャケットに黒のタートル、それに黒いコート、の服装が気に入ってます(^^)。

●旧カラーアニメについてちょっとだけ●
 アニメについては、「かなりウェットだなあ〜」と思いつつも004見たさに毎日テレビの前に陣取って、カセットデッキを前に置いて 録音してみたり、中学生らしいことをやってました。(当時ビデオなどは存在せず。)
 しかし断片を覚えているだけで、その全貌は:
1.ヒルダが金髪、ショートヘアのド美人。かつセリフがきつい!
2.004がメンテナンスを受けてぼやいていたことと、その時「ちゃんとドイツ語らしく書かれた」(←これに狂喜!)ファックス(?)が来たこと。
3.ソンビ(?)になった女の子を撃つ時004が言ったあのセリフ。
4.ジェットが片腕をもがれちゃったこと!
5.同じくジェットが故郷のニューヨーク下町に帰ったが、旧友の輸血に協力できなかった下り。
 な、なんと記憶にあるのはこれで全て(^_^;

 その後原作を読んでからアニメとは縁がなくなってしまいましたが、以上の項目について思うところ...
 1.について:確かヒルダは、(ライオンと一緒で?)「怖くないか?」というハインリヒの問いかけに対し、「この国を出られるんなら、悪魔と一緒だって怖くないわ」と答えたと記憶。強烈!あの国の関係者には、見せられないぞ。と思った。
 これを言わせてしまうと、彼の行動に「巻き込まれた」という側面が弱まって、彼の悔恨のニュアンスが大分異なってきて しまうような気がします。原作では、自分が亡命についてどう考えているかは描かれていないですから、勝手な解釈ではありますが。
 頭の回転がよさそうな、ブラウンの髪のキュートな彼女が好きです。かなり能天気に見える彼に比べて、危険性について 心配していますよね。
ただアニメのこのやり取りの時の仕草にはどきっとしました。
2.について:この場面にはけっこうどっきりだった(笑)。「自分が出来損ないの機械人間だってことを、これほど思い知らされる時はないからな」と 言ったと記憶。ギルモア博士本人の前でそれはないだろう〜(笑)。でもそのくらい言ってやってもいいかな。
5.原作では、血液はありますよね?いくつか設定はありますが(栄養液とか)。 成分が違うんだなきっと。


●なかったことにしている話●
そうですあれです。新アニメを見ていた当時話題でしたが劇場公開には間に合わず、 本などで内容を知って大ショック!でした。 19年も経って今更私が更にまた言うこともないだろうとは思いますがこれだけは書かなくては!と思うことを (書きたいので(^_^;)書いてみます。

最近流行っている「語録」のページでこんなのが出ました。
 奇跡の生還を果たした直後アルベルトはこう語った。  『うぃ、まどもあずぇ〜る。それいいすぎ。』
 こ、これには、笑いました〜〜〜〜(泣)。なんでそんなに笑ったのかというと、私はこの映画最悪のポイントは最後のフランソワーズの 問いかけの下りにあると思っているからです。すなわち、
 「なんでタマラのことを考えなかったの?生き返って欲しいって...」
 「分からない、僕には....」
 嬉しそうな顔のフランソワーズ。

 ううーんやばい。これはヤバイ!!!!
 ジョーのやったことは何でしょうか。それは、「人間による人間の生命の選択」です。このやり取りには、恐るべきタブーが秘められてしまっているのです。ま、自然といえば自然なんですけどね。
 というわけで、一番まずいのはこの点だと私は考えていますが、目にする批判では004の蘇生の是非についてが中心のようです。

 これについて。繰り返しにはなりますがまたサイボーグにしてくれ、はないだろう。これでは死に際に言ったことが道化になってしまう。 サイボーグの悲哀をテーマにした話が書けなくなってしまう。
  仲間の絆、仲間の愛を描こうとしたからだ、という意見も聞いたことがあります。でも、仲間同士の愛などは所詮宇宙の高みに昇るような愛ではない。あのような立場に置かれた彼らの唯一の拠り所であることは分かる。でもこれでわざわざ宇宙すら巻き込んで「愛」を語ることなど出来ないはずです。それを「十億光年」だなんて。自らの身を投げ打つことは尊いことなのでしょうが、それを「仲間意識」に集約してしまっては...。
 あのラストの弛緩した場面ははっきり言って醜悪以外の何物でもないと思います。

 それに彼が「死に場所を探し」始めたのは「サイボーグにされた」時点ではないのではないでしょうか。(ほぼ同時とはいえ) 愛する人を死なせてしまってからだと私は思いたい。
 しかし、それよりもまず、常に「死神」としての自分の役割を 引き受けることを自分に架しているハインリヒは、ヒルダ、そしてかつての彼を殺したマシンガンを体内に持つという運命の皮肉を、 むしろ罰として十字架のように、背負って行こうと思っているのではないでしょうか?「求める」ことを放棄しようと足掻き続ける彼は、 「死による赦し」を求めることさえも自らに許していないように思えるのです。

(1999年11月9日記)

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