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宇宙戦争 〜大阪戦記〜 後編 『 一万年の絆 』

 二時間が過ぎた。日が傾き始めている。
 野外音楽堂の観客席には、思い詰めた顔の男女が数十人ほど集まっていた。
 小野と井上はステージの下で老人と再会していた。
「……とりあえず、これでよいかな?」
 しかし、小野は首を振った。
「いや、多分この中で最後までついてくるのは十人に一人や。大半はここで追い返したった方がええやろ」
 老人は何も言わず、ただニコニコとしているだけ。
 小野と井上は頷き合うと、ステージの下で全員を差し招いた。
 いよいよか、と顔を輝かせる者、緊張した面持ちをさらに緊張させ、顔面蒼白になっている者、あまり緊張を感じさせない面持ちの者、友人と連れ立って来る者、小野のチンピラ風の姿に顔をしかめる者……ともあれ、全員がステージ前に集まった。
 小野は大きく深呼吸して、口を開いた。
「よお来てくれた。オレが言い出しっぺの小野や。大体の話は聞いとると思う。せやけど――」
 そのとき、自動小銃の射撃音が鳴り響いた。
 音のした方を見やれば、芝生席の隅で井上と同じ迷彩服姿の男が、空に89式自動小銃を向けていた。
 男は自分に充分注目が集まったことを確認して、背後にいる者を呼ぶように軽く手を振った。
 その途端、野外音楽堂芝生席はどこからともなく現れた自衛隊員たちで埋め尽くされた。
 ステージ前に集まった人々の間に、恐怖が走る。ヒステリックな悲鳴を漏らしている者もいる。
 最初に小銃を撃った自衛官は、傍にいた者にその小銃を渡し、観客席の間をステージに向かって降り始めた。
「……困るな。勝手にこういうことをされては。自衛隊の立つ瀬がない」
 男の声はよく通り、ステージに響いた。怒っている雰囲気ではない。むしろ愉快そうだ。
 年の頃は四十代半ばから五十代くらい、妙に落ち着きがある。
 訝しげに目をすがめていた井上は、その肩章を確認した途端、直立不動で敬礼を取った。
「なんやなんや」
 いきなりの行動に驚いて振り返った小野に、井上は敬礼したまま小さく呟いた。
「支倉(はせくら)一等陸佐……伊丹駐屯の第36普通科連隊の連隊長や。何であないな人がこんな最前線に……」
 ふぅん、と気のない返事をした小野は、人々を押し退けて前に立った。
 支倉は小野の前に立つと、なぜか敬礼した。
 チンピラに敬礼する自衛官の図に、周囲がどよめく。
「君が小野君か。あの敵三脚戦車を攻略する糸口をつかんだと聞いている」
 支倉は薄く笑みを浮かべて、敬礼を解いた。
 小野は腕を組み、傲然と第36普通科連隊連隊長を見返した。
「それがどないした。その手柄の横取りがしたいんか」
「政府組織が混乱壊滅状態の現状で、手柄に何の意味がある。……我々は自衛隊だ。民間人に出来ないことが出来る」
「それで、なにがしたいんや」
「君の指揮下に入ろう」
「……………………はぁ!?」
 小野でさえその申し出は予想外だったらしく、腕組みを解いて身を乗り出していた。
「なんやて? 今、なに言うた?」
「実は3時間ほど前、第37普通科連隊をはじめとする信太山(しのださん:大阪府和泉市内)駐屯の部隊が壊滅した。連中の転進は、それを受けてのことだ。少なくともあと一時間ほどで、連中の先鋒が大阪駅に到達すると千僧の第三師団司令部は読んでいる」
「つまり、自衛隊にはもう連中に対して取るオプションがないっちゅうことやな」
「藁にもすがる思いだよ、小野君」
 支倉は小野の目を見つめて、何度も頷く。
 小野も応えるように頷いた。
「ええやろ。……せやけど、こっちの用件が済むまで待ってんか」
「いいだろう。外にテントを建てた。そこで待っている」
 支倉は踵を打ち合わせ、もう一度敬礼するとすたすたと観客席を上がって行った。
 井上が溜めていた息を一気に吐き出す。
「あ〜〜〜〜、びっくりした。よもや、連隊長が来るとはなぁ」
「井上、連隊ちゅうのは何人ぐらいおんのや」
「千二百ぐらいかなぁ。せやけど、あんなこと言うぐらいや。連隊関係無しに、志願者だけ募って来たんとちゃうか」
 そうか、とだけ答えて小野は振り返った。集めた人たちをじろりと見渡して、言い放つ。
「待たせたな。ほな、話の続きや。自衛隊も来てくれたし、中途半端な覚悟のもんは、今すぐ抜けた方がええ。ちょっとでも悩むところや、トライポッドにビビっとるもんもや。悪いが、この作戦は始まったら99%死ぬ。せやから、純粋に、冷静に自分の人生終わらせたい奴だけついて来い。あとは帰れ」
 ざわめきが広がり、一人、また一人と抜けてゆく者が現われた。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 モスグリーンのテントを迷彩服の自衛官が頻繁に出入りする。
 小野と井上は、その戦闘指揮所へと入って行った。
 支倉は次々と入る情報を聞きながら、机の上に広げられた大阪市街地の地図と睨めっこしていた。
 そして、その部屋の中には瀬崎の姿があった。
「……瀬崎。おのれか、自衛隊にチクったんは」
 苦笑する小野に、瀬崎はぷいっと横を向いてしまった。
 支倉は顔を上げて、にっこり笑った。
「やあ、小野君。状況はかなりまずい。連中の先鋒は今、難波・戎町辺りまで戻って来ている。もう時間がないな」
「向こうの状況がわかんのはありがたいな。……ほな、オレが指揮官ちゅうことでええんやな」
 小野の念押しに、支倉は顔を引き締めて大きく頷いた。
「私が君の下につくと明言した。覆せるのは師団長クラスの人間だけだ。だが、現場には出てこないから――」
「そんなんどうでもええ。とりあえず、こっちの志願者に自衛隊の服を着せたってえな。外に十人ほどおるんや」
「……彼らを、使うのか?」
 支倉の渋い表情は如実に拒否を示していた。自衛官として、民間人を巻き込むのは色んな意味で耐え難いのだろう。
 しかし、小野は一笑に付した。
「自衛隊が来たかて、囮は必要や。しかも、いざというときには毒になれる囮がな」
「自衛官がいる。民間人をそんな役に当てるのは……」
 渋る支倉の胸倉を、小野は遠慮なくつかんだ。傍にいた女性自衛官が驚きの声をあげる。
「この戦いに民間もクソもあるかい。度胸の据わっとるもんが何より必要なんや。第一、俺は自衛隊の隊員をそこまで信用してない。自衛隊に入ったから言うて、皆が皆いざというとき命捨てられるようなキチガイになるとは思えん。そんなんよりは、あいつらの方を俺は信用する」
「……実際ケツまくったわしが目の前にいるわけやしのぅ」
 井上が自嘲の笑いをあげると、しらーっとした空気が流れた。
「わかった。用意させよう」
 小野の眼光の鋭さに、支倉は折れた。
 頷いた小野は胸倉を放して、卓上の地図に目を向けた。
 ぼきぼき、と指を鳴らす。
「ほな、作戦の指示を始めよか。支倉さん、突っ込み頼むで」
 嬉しそうにメガネが光を反射した。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


『――まず、敵を迎え撃つのはここ、大阪城公園は市民の森周辺や。見通しはええから配置次第で攻撃がしやすい。それに森が繁っとるさかい、あの巨体が倒れても檻に捕まっとる人が助かる可能性がわずかやけど、高うなる。……この戦闘指揮所は大阪城ホール辺りへ引っ込んだ方がええな』

 小野の指示にしたがって、後方支援部隊は一斉に北へ動き出した。現戦闘指揮所のテントを放棄、一行は地図と通信機を手に手近な指揮車の陰に移る。

『――囮部隊その1は、市営地下鉄・長堀鶴見緑地線の森ノ宮駅に潜ませる。連中は地下や物陰を透過スキャンする能力までは持ってへん。もし持ってたら、井上のおった部隊を近づけることもなかったはずやし、逃げる井上隊員を追うなり、先回りすることも出来たはずや。せやから、地下道は格好のシェルターになる』

 囮部隊は南北に走る長堀鶴見緑地線の森之宮駅へと潜んだ。ダメージを受けていない無線をそれぞれに抱え、"その時"を固唾を飲んで待つ。

『――次に、周辺ビル・施設に攻撃隊を配置。ここ、ここ、ここ。それと、こっちとあっちとそっちも』

 小野の指差す地図上のビルや建築物を脇に立つ自衛官が拾い上げ、各攻撃班に配置を伝える。
 大阪府立健康科学センター、大阪府立成人病センター、近鉄森之宮ビル、大阪城一番櫓脇、JR環状線高架、そして遠くは大阪城天守閣と大阪市立博物館、大阪城公園駅、ホテルニューオータニにまで重火器が運び込まれる。
 阪神高速上にも部隊は展開した。それぞれにカールグスタフやパンツァーファウスト3を担ぎ、ジープやトラックにも火砲を積んでいる。

『――ただし、武器を抱えた連中がうろちょろしとったら、連中もさすがに警戒しよるやろ。囮に注意を集めさすためにも、一切外に出したらアカン』

 屋内にいる者は外部から見えにくい場所に、屋外にいる者は茂みや障害物の陰に身を潜める。
 阪神高速上では何台もの車両をバリケード代わりにして道を塞ぎ、隊員達はその陰に隠れた。

『――正直、どのタイミングでシールドが消えるのかオレにもわからん。早すぎても、遅すぎてもダメや。囮が絡め取られそうになったら、攻撃部隊は即、撃て。ただし、各隊はわずかずつ着弾のタイミングをずらすんや。その場合、倒し損ねても触手とシールドの位置関係から発生までの時間が測れるやろ。この作戦後は、そのデータが物を言うはずや。偵察、監視の部隊は絶対にその瞬間を撮り逃すな』

 廃墟と化し、赤い生物組織に蔽われた大阪の街をゆっくりとトライポッドが北上している。その様子を、大阪湾上空を旋回する哨戒機やヘリコプター、ツイン21などの高層ビル上の偵察班からの映像が映し出していた。

『――あとは、囮部隊その2が市民の森までトライポッドをいかに上手に誘導するかや』

 指揮車の脇に並んだジープ・バイクに十人ほどが乗り込み、出撃命令を待っていた。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


「――……以上が俺のプランや。どや、突っ込みどころはあったか?」
 地図上にコマを置いて、作戦概要を細かく説明し終わった小野は、支倉に聞いた。
「いや、見事です。……私でも大体同じように配置します」
「ほな、後は任せてええっちゅうことやな」
 小野は女性自衛官が持ってきてくれたモスグリーンのヘルメットをかぶった。アロハシャツにランニング、ジーンズ姿にそのヘルメットは凄まじく違和感がある。
「小野指揮官?」
 不思議そうにしている支倉連隊長に、小野は言った。
「後は俺が指示するより、支倉さん――あんたがやった方が隊員たちも動きやすいやろ。戦闘中の指示・判断は訓練でしっかりやっとるやろうしな。この戦闘は、初撃が全てやと言うてええ。俺がやったら、大事なとこでワンテンポ遅れかねん。しっかり頼むで」
「ちょ、ちょっと。指揮官が戦闘指揮所を出て、どこへ――」
 出て行こうとしていた小野は、振り返って当然のように言った。
「前線や。囮部隊に参加する」
 支倉はじめ、その場にいた者は全て驚愕に目を見開いた。
 小野は不満げに鼻を鳴らした。
「当たり前やんけ。言いだしっぺが後ろに隠れとんのは卑怯や。俺の言い出したことに乗って、命懸けてくれる連中がおんのにそんな卑怯な真似、できるかいな。オレがいの一番に行く」
「……小野はんの場合、間近でトライポッドを見たいのが半分以上でしょ」
「誰や、図星を突いてくんのは!?」
 笑いながらそちらへ顔を向けると、怒っているかのように顔を強張らせた瀬崎少年の姿があった。
「なんや、少年。また止める気かい」
「止めまへん」
 少年は、傍に置いてあった支倉のヘルメットを無断で取り上げると、自分の頭に載せた。
「止めまへんから、小野はんも僕を止めんとって下さい。僕も行きます」
「わかった」
 小野は頷き、即答した。
「ほな一緒に行こかい。自転車で」
「ちょちょちょちょちょっと、小野指揮官!! いくらなんでも。彼はまだ高校生……」
「年は関係ない。俺かてまだ二十歳の、あんたから見たらこいつとどっこいどっこいの小僧や」
 小野は支倉を睨み、瀬崎の胸を軽く叩いた。
「男がそう決めたら邪魔すんな、とさっきこいつに教えた。せやから、俺は邪魔はせん。あんたも邪魔すんな。――ああ、これは指揮官命令やと思うてや」
「指揮官命令だとおっしゃるなら、従いますが……」
 支倉は天を仰いで、肩をそびやかした。その苦笑は、誰に向けられたものか。
「それでは、小野指揮官殿。私もあなたを止めはしませんが、前線に赴かれる前に最後の一仕事、お願いできますか」
「一仕事?」
 頷く支倉。小野の目の前に、女性自衛官がマイクを差し出した。
「作戦開始前の訓示を。全ての無線機、全てのスピーカーにつないであります。部下の士気を大いに盛り上げるのも、指揮官の役目です」
 支倉の笑みは、悪戯っ子のそれに似ていた。
 小野は応えるように、たくらみ顔で頬を緩めた。
「ふふん、おもろいやないか」
 ふぅ、と天井に向かって一息ついた小野は、指先でマイクのスイッチを入れた。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


『みんな、ご苦労さん。この作戦、言いだしっぺの小野や』
 町中の拡声器、スピーカー、無線、そしてなぜかラジオからさえ流れ始めた小野の声に、自衛隊をはじめ全ての人が手を止め、聞き耳を立てた。
『正直、この作戦はかなり杜撰や。ネタは俺の思いつきやし、その証明なんかやってへん。しかも、バリアが解除されるっちゅうところまでしか考えてへん。そもそも、バリアを解除したトライポッドの装甲に地球の兵器が通用するかどうかは、ぜーんぜん考えてへんねや、実は』
 自衛隊の隊員から、失笑が漏れた。
 市民の表情に不安のかげりがよぎる。
『せやけど、俺は地球の武器は奴らの装甲をぶち抜けると思うとる。科学的な根拠はない。けど、100%精神論でもない。……俺は大学で近現代史を専攻しとった』
 大阪城の一番櫓に配置された攻撃隊を任された井上班長は、苦笑した。
「まぁたあのイカサマ野郎は。なに言い出す気や」
『人類一万年の歴史は、戦争の歴史やと言われとる。それを人類史の汚点のように言う学者も多い。特に日本は平和を何より大事にする国やさかいな。けどな、俺はそうは思わん』
 再び、静寂が町を覆った。聞こえるのはセミの鳴き声だけ。誰もが聞き耳を立てている。
『……全ては、今日のこの日のための演習(シミュレーション)やったんやと、俺は思う』
 一瞬遅れて、ざわめきが広がる。
『人類は戦争を繰り返し、その戦術や兵器を洗練させてきた。同じ人間に刃を向けるなんぞ、愚の骨頂やと現代の人間は言う。戦争で命を落とすのは無駄死に、犬死やと言う。せやけど、今日、この日、連中に勝つために人類が戦い方を磨き上げてきたんやとしたら、連中に勝つことでその人らの命は無駄やなかったと、言えるんちゃうか?』
 攻撃隊の隊員たちが、お互いに拳を突き合わせはじめた。
 囮部隊に参加した隊員たちも、民間人を含め、お互いにがっちり握手を交わし合う。
『連中の戦い方を見てみい。巨大なマシンに乗って、ただ逃げ惑う人類を追い回しとるだけや。戦術なんかあらへん。ガキでも出来ることや。つまり奴らの頭は、こと戦争することに関しては俺らの足元に及ばへん。まして、神風特攻隊、硫黄島玉砕、悪夢の沖縄戦を知っとる日本人相手にするには、実力不足もええとこや。しかし、それも仕方のないことや。オレらのご先祖様たちがそうやって、同胞の血で自らの力を研ぎ上げてた間、連中は地面の下で眠っとったんやからな』
 ラジオの前で拳を握り締める市民。ハンカチで涙を拭く市民。ぐっと何かをこらえ、唇を噛む市民。
 仙人じみたあのホームレスの老人も、似合わぬ迷彩服に身を包み、地下道に待機しながらゆっくりと頷いていた。
『……みんな。目を閉じて、少しだけ歴史に想いを飛ばしてみてくれ。みんなが今向きおうてるこの戦いは、遥か遥か一万年前から続く、長い戦いの最終章なんや。みんなの後ろには、人類の歴史上、生れ落ちた全ての人間がおる。白人も、黒人も、黄色人種も、男も、女も、王様も、市民も、乞食も、農民も、兵隊も、武士も、騎士も、僧侶も、商人も全部や。大丈夫や。一万年の絆、一万年の戦略、一万年の意志、一万年の覚悟、一万年の想い……それら全てが、一人一人の中にある。オレらは――』
 小野の声が、一瞬途切れた。
『――絶対に、勝てる』
 わぁっと歓声が挙がった。
 戦う者、戦わない者、残る者、行く者、待つ者、進む者……放送を聴いていた全ての人が一斉に頷き、一斉に拍手した。
『ここは大阪や! 人類最初の反攻の地や! お上に頼らん独立独歩の歴史を刻む土地や! ええか、今日、この場に集うとるもんはみんな、生まれは違うても大阪もんや! 関西人や! 人類の意地、日本人の意地、大阪もん・関西人の底なしの意地を、宇宙の田舎もんに見せつけたれ!!』


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 小野はマイクのスイッチを切ると、女性自衛官に押し付けるようにして返した。
 ヘルメットのつばを軽く持ち上げ、瀬崎に自信たっぷりの笑みを向ける。
「待たせたのう、瀬崎! 行くで!」
「はいっ!!」
 振り向きもせず、小走りに自転車へ駆けて行く二人。
「御武運を」
 支倉はその背中に敬礼を贈った。その場にいた自衛官もそれぞれに敬礼する。
 敬礼を解いた支倉は振り返るなり、号令を発した。
「全隊員に告ぐ、これより作戦開始だ! 機械のタコどもに地球人類のしたたかさ、教えてやれ!」


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 大阪市営地下鉄・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅構内3−B階段。
 大阪城公園へ向かって上がって行く扇状の階段に、囮部隊は潜んでいた。
 西に沈む夕日が差し込むそこへ、小野と瀬崎も合流した。
 自衛隊隊員から各自、手榴弾の使い方をレクチャーしてもらい、一人二つずつ持つ。持てる者には89式小銃や拳銃も手渡された。

 やがて、その時は来た――怪獣の咆哮を思わせる重低音の大音響が空気を震わせる。
 同時に、囮部隊あてに通信が入った。
『――こちら、大阪城ホール前戦闘指揮所。小野指揮官、敵は今、日生球場跡地に侵入。その数、三機。囮部隊は、残りジープが一台。現在、大阪城公園内へ――』
 その時、囮部隊の潜む地下からの上がり口に、ジープが突っ込んで来た。
 上にあがるほど扇形に広がっている階段を斜めによぎり、壁に衝突して止まる。
 慌てて小野と自衛隊員が駆け寄った。
 乗っているのは若い自衛隊員だった。意識を失っている。
「こちら小野、最後の一台を確認。ドライバーは意識を失っとる。ここに置いとくさかい、終わった後に拾いに来たってんか」
『了解』
 通信が途切れると同時に、再びあの凄まじい咆哮が響き渡り、次いで何かの構造物が崩壊する地響きが轟いた。
『――阪神高速高架、崩壊!!』
 通信機から流れる、女性自衛官の緊迫した声。
 囮部隊の潜伏しているところにも、立て続けの衝撃でぱらぱらと砂礫が落ちてくる。
 小野は隊員と二人してドライバーをジープから降ろし、コンコースの一番下に寝かせた。
『――今、先頭の一機が大阪城公園内に侵入しました!』
 トライポッドのあげる耳が痛くなるような雄叫びに、短い地響きが重なる。阪神高速高架の崩壊が続いているのか、それとも奴らの足音か。強烈なサーチライトらしき光条が何度も入り口付近を舐めてゆく。
 肩をつつく自衛隊隊員に、小野は首を振った。
「まだや。焦んな。……こちら小野。戦闘指揮所、残り二機の位置も知らせてんか」
『二機目も侵入、音楽堂事務所の傍です。三機目は少し遅れて、今高速の崩壊現場を通過中』
 ズン、とひときわ大きな響きが地面を揺らした。
 地下からの上がり口を見やれば、先が三つに割れた巨大な円柱がそびえ立っていた。
「……確かに、こらごっつぃのぅ」
 つぅ、と小野のこめかみから顎へ、汗が一筋伝う。
 間近で見るトライポッドの巨大さ、恐ろしさは、新聞やビデオ画面で見るそれなど比較にならない。これで、本体まで見上げたら、普通の人間は容易に心が折れてしまうだろう。勝てない、と。
 振り返って固唾を飲んでいる部隊を見つめながら、小野は無線のスイッチを入れた。
「こちら小野、敵は目の前や。……動きが止まった。状況を」
『気をつけてください! 触手を伸ばしています! 今そちらに行ったジープを探している模様!』
 囮部隊の面々が、一斉にジープを見た。
 小野は鼻を鳴らして、無線に告げた。
「……攻撃部隊、まだやで。オレらが飛び出して、連中がオレらをさらい始めるまで、撃ったらアカン。ええか、焦んなや。餌はそれなりに用意してんねんさかいな」
『三機目も公園内へ侵入。二機目は一機目を追い越し、市民の森方向へゆっくり進んでいます。警戒しているようです』
 不意に背後の自衛隊隊員が、あっ、と声を漏らした。
 蛇の鎌首のような触手の先端が、こちらに伸びて来ていた。
「行くでっ!! 戦闘開始やっ!!」
 小野はマイクに叫んで、手を前に振った。


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 囮部隊は一斉に階段を駆け上がると、てんでに走り出した。
 阪神高速沿いに西へ向かう者、JR沿いに北へ向かう者、公園内へと散らばって行く者……それは、こういう状況でなければ鬼ごっこで逃げる子供達を思わせる散らばり方だった。統率というものがほとんど取れていない。
 最初驚いたように触手を一旦引き上げたトライポッド"1"も、すぐに気を取り直して逃げる人間を追い始めた。
 トライポッド"2"はその場で反転し、背後から駆けて来る人間の前に立ち塞がる。
 少し遅れたトライポッド"3"は、自分に向かって駆けて来る人間達の行く手を遮り、威嚇するように咆哮した。
 それぞれがサーチライトを飛ばし、触手を伸ばし、次々に人を捕らえて行く。
 それは、カツオの一本釣りを思わせる狂騒だった。


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「いぃち……にぃぃ……さん――今だっ!! 全攻撃班、射撃開始!!」
 支倉の通信が全部隊に響き渡る。
 大阪城天守閣と大阪市立博物館、大阪城公園駅、ホテルニューオータニから誘導ミサイルが発射された。
 大阪府立健康科学センター、大阪府立成人病センター、近鉄森之宮ビル、大阪城一番櫓脇、JR環状線高架などに潜んでいた部隊は、一斉に潜伏を解き、M2ブロウニング機関銃による掃射を始めた。
 12.7mmの弾丸を一分間に600発放てる機関銃は、瞬く間にトライポッド"1"と"3"の上面装甲を穴だらけにした。
 続け様に誘導ミサイル、パンツァーファウスト3、カール・グスタフ、携帯地対空誘導弾 スティンガー、01式 軽対戦車誘導弾、91式 携帯地対空誘導弾が次々と着弾。銀色の巨大マシンは、粘着質な液体と肉片、そして数々の機械部品をばら撒きながら四散し、前のめりに崩れ落ちた。小野が狙っていた通り、森の上へ。
 残ったトライポッド"2"はかろうじてシールドをはり、踏みとどまった。
 怒りも露わに、高架線上に陣取る部隊を殺人光線で灰に変え、高架自体を横倒しにして近鉄森之宮ビルに向かう。
 そこに陣取る部隊の必死の反撃も空しくシールドで弾かれ、シールド内からの殺人光線で一掃された。


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 大阪城ホール前、戦闘指揮所。
 監視画像の前で支倉は唇を噛んだ。
 シールドを張られては、こちらは一切手が出せない。
「……攻撃隊、撤退せよ。武装は放棄してよい。トライポッドから距離を置け! 捕まった者に期待する……いや、仕切り直しだ」
 支倉の悲痛な声に、殺人光線で焼き殺される隊員の断末魔の悲鳴が重なった。
「二機だけでも……ひとまず、良しとせねばならんか……。収穫はあったのだ。シールドさえ解けば地球の武器が通用する相手だと……」
 だが、その瞳に燃える炎は全くそれを良しとはしていなかった。


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「いてててて……ごっつ乗り心地の悪いもんやの」
 やたらと動き回るトライポッドのおかげで、檻の中でゴロゴロ転がり回る羽目になった小野は悪態をついていた。
 檻の中には誰もいない。今日はまだ誰も捕まえていないのか、それともここへ誘導される途中で使い果たされたのか。
 周囲で爆発が続いている。緑色の光のフィールドがそれを阻んでいた。
 小野は檻につかまって身体を起こしながら、周囲を見渡した。
 トライポッドが二機、森の中に倒れ伏している。上部本体部分はめちゃくちゃに破壊され、原形をとどめていない。
「なんや、こうして見るとスルメみたいやな」
 自分の発想に苦笑する。
「さて……やれやれ、オレはまだ悪運に見放されてないと喜ぶべきなんかいな」
 ぼやきながら、装備を確かめた。手榴弾二つ、89式小銃一丁。
「……まあ、さすがに小銃の弾では効かんやろうし……」
 頭上を見上げる。銀色の装甲が広がり、なにやらぐるぐる回るサーチライトのような装置も並んでいる。装置は壊せても、装甲を撃ち抜けるかどうかは怪しそうだ。
「小野はん、小野はん!」
「ここはやっぱり手榴弾でカミカゼしかないか」
「おーのーはーんってば! おーい!!」
「あ〜あ。二十歳で死ぬことになるとは思わなんだが……まあ、トライポッド三機やったら、地獄のエンマにちょうどええ手土産になるやろ」
「キチガイ指揮官ー!! アホー! オニー! アクマー! なんちゃって大学生ー!!!」
「――誰がなんちゃって大学生やねん!!」
 怒鳴り返した小野の視線の先に、瀬崎がいた。隣――本体の前方側――の檻だ。一人ではなく、あのホームレスのじいさんもいる。
 ぱっと小野の表情が明るくなった。
「おお、瀬崎! 生きとったか! じーさんも!」
「このおじいちゃんと一緒にさらわれまして。で、どないします? 外からの攻撃、防がれてますけど」
 呑気な瀬崎の問いに、小野は檻をつかんでガタガタ揺らした。
「あーのーなー!! ゆーたやろ、オレらが自爆覚悟でやるんや!!」
「ああ、やっぱりそうでっか」
 瀬崎は目に見えてガックリ肩を落とした。
「小野はんのことやから、九回裏二死フルカウントからの満塁逆転サヨナラホームランぐらいのアイデアがあるかと思うてたんですけど……」
 なぜか隣で老人が愉快そうに笑っている。
「あほんだら、そないに都合よく……いや待てよ」
 小野はもう一度振り返った。大阪城公園に倒れているトライポッドを。
 夕暮れ時ということもあってよく見えないので、メガネをアロハシャツの裾でごしごし拭い、掛け直して見る。
「――おい、瀬崎!!」
「はあ、なんです?」
 気力のない返事。
「お前、目はええか!?」
「はあ、一応両方とも1.5ありますけど」
「ほな、あのトライポッドの残骸見てみい! 機械と肉、どっちが多い!?」
「はぁ? ……どっちて……」
 瀬崎は不承不承、スルメの残骸を見た。頭の部分だけを見れば、スルメというよりカニだ。
「どっちちゅうより、カニみたいに甲羅の中に肉、っちゅう感じに見えますけど」
「……やっぱりか! よっしゃ、そっちの武器は何がある!?」
「ええと、手榴弾が僕2個、おじいさん2個で計4個、あと僕が拳銃もらってます」
「あと、わしはこんなもんを持ってきたぞい」
 二人が訝しげな顔をしている前で、老人は貫頭衣の胸の部分から人のすねほどの長さの筒を取り出した。
 瀬崎がそれを受け取り、ためつすがめつ調べる。
「……何ですのん、これ。どっかで見たことあるみたいな……」
 驚きの声を上げたのは小野だった。
「じ、じーさん! あんたそれ、M72A2とちゃうんか!」
 我が意を得たり、とばかりににんまり頬笑む老人。
「ホームレスを長くやっておるとなー、時々こういうものが手に入ったりするんじゃ。おもろいじゃろう」
「お、おもろいて……おもろすぎるやんけ」
 瀬崎が手の中で弄んでいる筒を、小野はおもちゃ屋の前の少年みたいに目をきらきらさせて見ている。
「小野はん、話が見えまへん。なんですのん、これ?」
「M72A2……携行型対戦車ロケットランチャーや」
「対戦車って……!!」
「ちなみに、今お前が覗いとる方が発射口や」
「あ、あぶ、危ないですがなっ! 先言うてくださいよ!」
 慌てて瀬崎は筒をひっくり返した。
「じーさん、それ、ホンマに使えんのか?」
「さあのう……。わしはただ、使えんかな、と思うて持ってきただけでの」
 かっかっか、と何が楽しいのか笑う。小野も頬を緩めた。
「せやな。何事も実験してみんとわからんわな。――ほな、そういうわけで瀬崎! レッツ・エクスペリエンス!」
 瀬崎は怪訝な顔をした。
「エクス……て、経験? 小野はん、実験はエクスペリメントでっせ?」
「あ」
「………………小野はん、ホンマに大学生?」
「やかましいっ! そないな余計な突っ込み入れとる間に、自衛隊のにーちゃん達が死んでいくんやど! とっととやれ!」
「へいへい。……って、僕使い方知らんのですけど」
「ああ、もう! 後ろんとこについとるピンを抜け! それから、ピンが止めとった蓋を剥がすんや! できたか? ほな次は筒が二重になっとるから、それを引き伸ばせ! んで、黒い出っ張りが発射ボタンや! そこ握る前に、そのちょい後ろにある安全装置を外すんや!」
 言われた通りにピンを抜き、蓋を外し、筒を引き伸ばし、ボタンの位置を確認する。
「ああ、なるほど。ホンマに簡単ですねえ。……で、これでどこを撃ったらええんですか?」
 沈黙が漂った。
「……小野はん?」
「そうなんや。どこに命中させたらええもんか……そっちからこいつの鼻面、狙えへんか?」
「ん〜と、無理じゃないですけど……当たるかなぁ」
「瀬崎君、ゆうたか。あそこなんぞ、どうじゃ?」
 M72A2を肩に載せたまま、あっちこっちに向けていた瀬崎に、老人が指差したのは檻の下の方だった。その指先を辿って行くと――
「触手の根元……」
 その時、小野が騒ぎ始めた。
 瀬崎が顔を上げると、小野のいる檻の上部を覆う装甲の一部がハッチのように開き、小さな触手が伸びて来ていた。
 小野に巻きつこうと、檻の中を蠢く触手。小野は檻の中をうまく使って何とかその攻撃から逃れ続けている。
「お、小野はん!」
「こっちを気にすなっ!! ええから撃てっ!!」
「ひょー!! こっちも来おった!」
 力が抜けそうな老人の叫びに振り向くと、こちらの檻も上部のハッチのような部分が開き、触手が伸びて来ていた。ハッチ内部は、ぬめぬめと光る無気味な肉質のひだがうねっている。
「く、くそっ!!」
 寝転がった瀬崎は、檻の間から下へ向かって砲口を突き出し、方向だけを合わせた。安全装置を外す。
 その背中に触手が迫り――
 瀬崎は躊躇なく発射ボタンを押した。


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 大阪城ホール前戦闘指揮所。
 支倉はイラついていた。状況が見えない。
「こちらの戦力の被害状況は?」
「わかりません」
 女性自衛官の硬い声。
「じゃあ、撤退状況は?」
「それも……不明です」
「なら、敵の状況は?」
 偵察機やヘリからの映像を注視していた別の自衛官が即答した。
「日が傾き、かなり見えにくくはなっていますが敵は健在です。――あ!」
「何だ!」
「トライポッド本体下部で発光! 何かの爆発のようです……――触手が!」
 支倉は慌てて画像を覗き込んだ。
 トライポッドの下部から生えている触手が何本か、まとめて下に落ち、ビクビクうねくり踊っている。
「……囮部隊! まだ生きていたのか!!」
 そこへ、通信手の女性自衛官が叫ぶ。
「支倉連隊長! 一番櫓班の井上三等陸曹より入電! トライポッド下部の檻に、小野指揮官、瀬崎少年、それと白髭のじーさん――もとい、ご老人が捕まっていると!」
「なんと……よりによって、その組み合わせか!! それで、井上三等陸曹はなんと?」
「小野指揮官の援護をすると……」
「援護?」
 支倉は再びトライポッドの映像を振り返った。
「シールドはまだ展開しているのに、何を援護する気だ!?」


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 大阪城一番櫓。
 大阪城の南東隅に位置するその史跡からは、南外濠を挟んでトライポッドの動きが丸見えになっている。
「……井上三等陸曹、我々は逃げないんですか」
 部下の質問に、双眼鏡でトライポッドの様子を見ていた井上は頷いた。
「まだや。まだわしらまで逃げるのは、早い。幸い奴はこっちに注意を向けてへん。もうちょっと待て――通信手、天守閣班と市立博物館班にも、わしの名前で待機を要請しといてくれ」
「戦闘指揮所の命令を無視するんですか」
 別の部下が強張った面持ちで聞いてくる。
 井上はとぼけた調子で答えた。
「おいおい、人聞きの悪いこと言いなや。誰が無視なんかしてんねん」
「え? しかし……」
「ちゅーか、わしらはちゃんといっぺんこの武器放棄して職務を放棄したんや。命令通りにな。せやけど、迂闊に動くより、ここの方が安全やと思うてここに隠れとるだけや。ほんで、そんなこんなしとったら、そこにたまたま落ちとった武器を拾って戦わなあかん状況になった。それはそれでしゃーないと思わんか? ん? どや? 何ぞ、おかしいか?」
「いえ。了解であります」
 薄く笑って、部下は再び正面を向いた。その視線の先には、銀色の装甲で夕陽を弾きつつ、市民の森を北上するトライポッドの姿があった。


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 M72A2ロケットランチャーは、弾頭を前方へ発射すると同時に、背後の狭い空間に高温高圧の発射ガスを放ち、発射の反動を抑える。
 瀬崎を捕まえようとしていた触手は、もろにそのバックファイアを食らった。
 思いもよらない攻撃に怯み、表面を焼けただれさせた触手は、するするとハッチの中へ戻って行った。
「助かった……の?」
 手っきり触手に捕まって引きずり込まれると思っていた瀬崎は、思わず安堵のため息をついていた。

 一方、小野は足に絡みつかれていた。
 自分の太腿とどっこいどっこいの触手に巻きつかれては、さすがに一人で抵抗はできない。
 小野を持ち上げ、機体内へ引きずり込もうとする触手。
「――そうは、行くかいっ!!」
 小野は、触手の根元に89式小銃を突きつけ、フルオートでトリガーを絞った。
 軽快な射撃音と共にバラ撒かれた5.56mm弾が、触手の根元をぶっつり真っ二つに引き裂く。
 檻の中に落ちた小野は、すぐに身を翻して立ち上がった。
「おおっと、遠慮すんなや、宇宙人!!」
 閉まりかけたハッチに、89式小銃の銃身を無理矢理ねじ込み、奥の奥まで突っ込む。照星の後ろまで押し込まれた銃身をハッチが締め上げ、かえって固定された形になった。
 小野はにぃ、と頬笑んだ。悪魔の笑みを。
「……地球産の鉛弾ですねんけど、お口にあいますかどーかっ!!」
 可能な限り銃口をトライポッドの前方方向へ捻じ曲げてトリガーを引く。
 軽快な震動に小野の身体がブルブル震える。小銃側面から排出される薬莢が足下の檻に当たって澄んだ音を出し、虚空に消えて行く。
 トライポッドのあげる重低音の咆哮が、耳をつんざく。側面に並ぶサーチライトのような設備がこれまでにない不規則な明滅を繰り返す。
 やがて、弾は尽きた。機体内部から聞こえていたくぐもった跳弾音も途絶える。
 不意に、小野の周囲が暗くなった。
 振り向けば、側面のサーチライトのような設備が一つ、また一つ光を失ってゆく。重低音の咆哮もいつしか途絶えていた。
 ねじ切らんばかりに締め付けていたハッチもその力を失い、89式小銃の銃身がずるりと引きずり出される。銃身には血液を思わせるぬらめく粘液が絡みついていた。ぽっかり空いたままのハッチからは、ボタボタとその粘液が滴り落ちている。
「……やったん、か……」
 滴り落ちる粘液を避けて、檻にもたれかかった途端、がくん、とトライポッドが大きく傾いた。
 意識を失ったかのように、前のめりに倒れて行く。
 地面がぐんぐん近づいてくる。倒れる先は――少し開けた芝生。この高さから叩きつけられれば、直撃でなくとも無事ではすむまい。
 しかし、小野は笑っていた。にやりと、満足げに。


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 サーチライトが一つ、また一つ消えたかと思うと、急にトライポッドが脚から力が抜けたかのように倒れ込み始めた。
 双眼鏡を覗いていた井上は、はしゃいだ。
「おぅら、来た来た来た来た来た、来たでえ!! 照準、敵上部装甲! 下には絶対当てんなやぁ!! 向こうへ押し倒すんや!! 各班各自、武装発射!!」
 天守閣と市立博物館の屋上から誘導ミサイル、それに一番櫓からカールグスタフの弾頭がトライポッド"2"に襲い掛かる。
 それらは緑色のシールドに阻まれることなく、トライポッドの上面装甲に命中し、その倒れ込む方向を変えた。
 真っ直ぐ真正面に倒れようとしていた機体は、着弾と爆発の衝撃で真横に吹っ飛ばされた。そして、小野達の捕まっている檻のある側を上にして、市民の森の上に横様に倒れた。
「……よっしゃ、ドンピシャや。上の二班に礼を言うとかないかんな」
 大阪城内の自衛隊隊員から、歓声が上がる。
 井上は手近な隊員と、ハイタッチをして喜びを爆発させていた。


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「……トライポッド、沈黙。画像で見る限り、動き出す気配なし。状況、終了です」
 映像を監視していた自衛官が、震える声で報告した。
 ワンテンポ遅れて、戦闘指揮所周辺で歓声があがった。自衛隊員だけではない。どうなることかと固唾を飲んでいたホームレスや、まだ避難していなかった住民なども、手を取り合い、抱き合って喜んだ。
 その場にいた者は、わかっていた。これが単なる勝利ではないことを。人類の行く末に光明をもたらす、一筋の希望であることを。
 人類は負けない。侵略者は倒せる。
 自衛官も住民もなく喜び合う中を、支倉連隊長率いる衛生医療班がジープやトラックに分乗して現場へと向かっていた。


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 空が赤い。
 西の彼方に沈む夕日の残照が、空を血の色に染め上げている。
 もしかしたらそれは、自分の眼が血に染まっているせいなのかもしれない。
 着地の衝撃によって大破した檻の傍で、瀬崎は倒れていた。
 身体が動かない。背中がズキズキ痛む。息をするのも辛いほどだ。
(僕……死ぬんかな…………おばあちゃん……泣くやろな……)
 その視界を、何かが塞いだ。白っぽい何かが、ゆっくりと動いている。
 視界の焦点を合わせる。白目のないくりくりした眼、イカに似た光沢のある皮膚組織、妙に長い手……その手が、瀬崎の喉に回る。
 予想通りのぬめっとした感覚が喉の辺りを包む。
(うっわー……僕、宇宙人に絞め殺されるんか……)
 宇宙人の鼻息が荒い。よくはわからないが、多分怒っているのだろう。
 抵抗したくても身体が動かない。
 瀬崎が覚悟した時、視界を拳がよぎって宇宙人の頬を捉えた。
「ぅウェルカムオオサカじゃ、ぼけぇぇぇっっっ!!!」
 軽々と吹っ飛ばされた宇宙人が、どこぞに叩きつけられる湿った音がした。
 苦労して見上げると、顔中血まみれの小野が立っていた。髪はぼさぼさ、メガネもない。両肩で息をしている。
「……小、野……はん……」
 小野はすぐ駆け寄ってきて、傍に膝をついた。
「おお、瀬崎。無事か。待っとれ、すぐ救急車呼んだるさかいな。瀬崎、ええか。せっかく助かったんや、気をしっかり持て!!」
 声を出すのも億劫で、瀬崎はただ頷いた。

 支倉連隊長率いる医療班が到着した時、瀬崎は意識を失っていた。


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