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宇宙戦争 〜大阪戦記〜 中編 『 覚悟 』

「井上えぇっっ!!」
 療養を名目に、看護担当の二十代ぐらいの女の子の手を握っていた井上は、いきなり飛び込んできた小野の大音声に飛び上がった。
「なななななななんやなんや!!」
 慌てふためいて、呼び捨てを咎めることすら出来ずにいると、小野はずかずかと入ってきて女を押し退けた。簡易ベッドの上に飛び乗り、井上を押し倒したような格好で満面の笑顔を突き出す。
「井上、これ撮ったんお前やな!?」
 突き出されたハンディカム。思わず頷きかけた井上だったが、はっとして激しく首を振った。
「ちょお待て、おんどれまさか中を……」
「見たわい! 見たから訊いとんのや!! お前が撮ったんやな!?」
「お前、それは防衛上の機密情報で、勝手に民間人が見てええもんやあらへ――」
「ガタガタ抜かすなっ!!」
 顔を赤くしたり青くしたりしている井上の胸倉を、小野はつかみ上げた。
「そんな大事なもんやったら、あんなとこにほっとかんで、命に懸けて持っとかんかい!!」
 年上の、しかも自衛隊員でも一切遠慮のない小野の勢いに、傍にいる女の子は立ち尽くしたまま動けない。
 小野の唇が悪魔の笑みに歪んだ。
「……ええか、井上三等陸曹。これを手放した段階で、おのれは重大な機密情報漏洩をやらかしとんのや。罪問われとうなかったら、協力せんかい」
「きょ、協力てなんや」
「トライポッドを倒す。その糸口がこの中にあるかもしらんのや」
「なんやて!? ――ぐおっ!」
 勢いよく上体を起こした弾みに、額同士がぶつかった。
 ベッドから転がり落ちた小野と、額を押さえてうめく井上。
 井上には女の子が駆け寄ったが、小野には天幕へ入ってきた瀬崎が駆け寄ってきた。
「大丈夫でっか、小野はん。ちょっと勢いだけで突っ走りすぎですよ。落ち着いてください」
「やかましいっ、高校生(ガキ)は黙ってぇ!」
 後ろから抱きかかえて立ち上がらせようとする瀬崎を振り払い、小野はハンディカムを引っつかんで再び井上に迫った。
「もっぺん訊くぞ、これは――」
「ああ、そうや! わしが撮ったんや!」
 開き直ったように井上は叫び返した。ボランティアの女の子を少し脇へ押しやり、小野の目を真正面から見返す。
「第三者のおんどれにはわからんやろうけどな、それは……わしの汚点の記録でもあるんや。そんなもん、目の前でちらつかせんな!! ……それが欲しいんやったら、くれたる。どうせ前線の本部は壊滅して誰も受け取る奴はおらんし、わしも名誉の戦死扱いになっとるやろうしな」
「ほな、井上一等陸曹やないですか。昇進おめでとうございます」
 瀬崎の天然かわざとかわからぬボケに、井上と小野が凶悪な視線を向けた。二人で声をそろえて叫ぶ。
「やかましわっ、高校生(ガキ)は黙ってぇ!」
 しゅんとする瀬崎の肩に、同じく身の置き所のなかったボランティアの女の子が、限りない同情を込めて手を置いた。
 小野と井上は再び口論を始めた。
「汚点てなんや! これ撮ってて戦闘に参加でけへんかったことか! それとも、一人生き残ってしもたことか!!」
「どっちもじゃ! ああ、そうや、オレは戦場でケツまくった負け犬の臆病もんや! せやけど、おんどれみたいな何も知らん一般人にごちゃごちゃ言われたないんじゃ!」
「世界が終わりそうなこの期に及んで、一般人もクソもあるかい! トライポッドを倒せるヒントがあるんやったら、今吐いとかんとおのれは本物の負け犬に成り下がってまうぞ!」
「負け犬結構、どうせ世の中お終い――なに?」
 井上の表情が一変した。朱色に染まっていた顔色が、たちまち落ち着きを取り戻す。
「……今、なんちゅうた? いや、さっきからか」
「今のお前はまだ、徳俵に指だけ残しとる。ここでの決断が、この先おのれを生かすか死なすか、決め――」
「そんなんどうでもええ! トライポッドを倒すやと? 正気か!?」
 今度は逆に井上が小野の襟首をつかみ上げた。
 小野は再びにたぁ〜と悪魔を思わせる笑みを浮かべた。入るはずのない角度から入った光が、メガネできらりと弾ける。
「この顔が、正気に見えんのか?」
 意味不明の一言に、後ろで聞いていた瀬崎と女の子が顔を見合わせる。
「…………正気やなさそうやな」
 なぜか、井上も愉快げに笑った。悪巧みを考えついた少年の笑み。ただ右目をまたぐ傷の分だけ、妙な迫力がある。
 いきなり、井上は隊服の肩章を引き剥がした。
「おもろそうやの。話、聞こかい」


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 路上は全て、テングサだか血管だかに似た、異様なものに覆われていた。
 いや、路上だけではない。ビルの壁面も、信号も、電柱も。電線から垂れ下がって、網のようになっているものさえある。そしてその全てが、血液に似た赤い液体を漏出し、滴らせていた。
 まるで街がひとつの生物と化し、その体内へ潜り込んでしまったかのような錯覚さえおぼえてしまう光景。人類の歴史上、誰も見たことのない悪夢の現出だった。
 そんなこの世のものとも思えない風景の中を、数人の自衛隊隊員がゆっくりと周囲を警戒しつつ進んでいた。携帯型ロケットランチャー・シュトゥルムファウスト3を担いでいる者もいる。
 カメラはそんな彼らの背後数mから追っている。
 不意に先行する上官が、壁面の血管上の物体を無造作に引きちぎった。振り返り、その手にした物をかざす。
『見ろ、色や滲み出ている液体から見て血管の類かと思ったが、そうじゃないな。どちらかと言えば、海綿状の生物組織のようだ。あるいは、奴らの星の植物なのかもしれん。井上三等陸曹、しっかり撮っておけよ。ここに連中を撃退するヒントがあるかもしれんのだからな』
『……結城隊長、奴らです』
 先行し、ビルの角から道の向こうをうかがっていた自衛隊員の一人が、緊張した口調で言った。
 手にしていた組織の断片を投げ捨て、駆けつける。部隊は二手に分かれ、それぞれにビルの陰に隠れた。
 結城隊長がカメラを手招きし、道の向こうを指す。
 カメラはその指示に従って、道の向こうを映した。
 トライポッドがいた。三機。かなり遠いが、触手を振り回しているのがよくわかる。
 カメラ画面はズームアップした。
 最初はトライポッドの本体を。生物的な形状の、しかし銀色に輝くマシン。側面に並んだミラーボールだかサーチライトだかよくわからない物がくるくる回り、本体後部からは赤い水飛沫のようなものが噴き出している。
 その下に伸びる、重力を無視しているとしか思えない三本の脚。その間から伸びて、しきりに地上を舐めている触手。
 その触手の先には――
『……結城隊長、市民が触手に絡め取られています! まただ、また一人! くそったれ……!』
 へたくそな標準語だったが、井上の声は歯軋りしそうな怨嗟に満ちていた。
 距離があるため、声は聞こえない。だが、小さい画像ながら市民の恐怖にわめき狂う姿ははっきりと見て取れた。
 カメラはさらにズームアップし、トライポッドの本体下部にぶら下がる金属製の檻を捉えた。
『……確認。トライポッド下部に【 檻 】、六つ。中にひぃふぅみぃ……十人づつぐらい乗せられています。あ、【檻】の上部のハッチが――』
 井上の説明は途切れた。
 画面上では、檻の上に開いたハッチの穴から出てきた触手が人を引きずりこむ光景が映っていた。
 そこで、一旦映像は途切れた。
 一瞬のブランクの後、画面はどこかの通りを駆けてゆく自衛隊隊員たちを背中から追っていた。
 撮影の井上も走っているためか、少し画面が揺れる。
 時折画面の端にトライポッドの姿が映っていた。かなり近づいている。
『……敵のこれ以上の市民蹂躙を食い止めるため、我々は至近距離、いや、真下まで接近し、そこからカールグスタフを撃ち込む。バリアを張る暇を与えなければ、勝てるはずだ』
 井上の硬張った声の解説は、走りながらのためかやや聞き取りにくい。
『結城隊長は、少なくともこの攻撃でこちらに注意をひきつければ、逃げている市民のいくらかは助かる可能性がある、ともおっしゃられている』
 結城小隊は通りに面した地下道の入り口へと入って行った。
『地下鉄の駅構内を通り抜け、敵の傍へ出る。連中が市民をさらうことに血道を上げているがゆえに我々は、連中に接近できる。皮肉としか言いようがない。彼らの犠牲は絶対に無駄にはしない』
 やがて再び画面はブラックアウトし、すぐに復活した。
 巨大なトライポッドの脚が画面いっぱいに映る。
 カメラがズームアウトして引いてくると、そこは地下道の出入り口だった。周囲の壁は、例の血の色の生物組織でびっしり埋め尽くされている。
『……でかいな』
 怯えの混じる声は、画面内に映る隊員の誰かの声だった。
『こんなものが歩いている……自分の目が信じられません』
『しっ!』
 結城隊長が唇に指を当て、全員の発声を封じる。
 どこからともなく悲鳴が聞こえてきた。触手にさらわれる人の声だ。
 その声が消えた頃、赤い液体が降り注いできた。
 トライポッドが動いた拍子に風が巻き起こったのか、不意に地下道の出入り口に突風が吹き込んだ。一番先頭にいた結城隊長が、降り注ぐ赤い液体を頭から浴びる。
 結城隊長は風をやり過ごした後、自分の姿を見下ろして顔をしかめた。
『……何だこれは……奴らの体液か? いや……生物組織の素か何か……違う、この匂いは……血……血だ!! なぜこんなものが…………そうか、人だっ! 奴ら、人間を潰してこの生物組織の養分にしてやがるんだ!! 肥やしを畑に撒くようにっ!!』
 目に見えて隊員たちの表情に怯えが走った。誰もが自分の最期を脳裏に思い描いたのだろう。
 しかし、結城隊長は身体にこびりついた液体を振り払い、怒りに燃える瞳を隊員たちに向けた。
『これ以上、市民を奴らの肥料などにさせてたまるか。今こそ自衛隊の魂を見せてやるときだ! 奴らを、撃退――』
 それはあまりに唐突で、あまりに速かった。するっと侵入してきた触手が、結城隊長をさらっていったのだ。
『うわああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ』
 結城隊長の悲鳴が遠ざかる。二秒ほど遅れて、隊員たちは地下道から走り出た。
 眼前に立ちはだかる巨大な塔を、カメラが舐め上げてゆく。
 円盤状の本体が、やけに高く見え――その中に引きずり込まれる結城隊長がちらっと映った。
 直後、結城隊長が浴びたあの赤い雨が降り注いだ。
『ち、ちくしょおおおおおおおおおっっっ』
 誰の叫びかはわからない。ただシュトゥルムファウスト3を担いでいた隊員が、それをぶっ放したらしい。同時に89式自動小銃の甲高い射撃音もあがる。
 しかし、一瞬、画面が緑色のフィルターをかけたかのように染まり、シュトゥルムファウスト3の弾頭は空中で爆発した。89式自動小銃の弾らしき小さな火花も、緑色のフィルターの表面で弾けている。
『ぐわあああああっっっ!!!』
 誰かの悲鳴――画面がパンした。
 シュトゥルムファウスト3の残骸を担いだまま、隊員が巨大な針で串刺しにされていた。
 しかもその針は半透明で、その隊員の体から吸い上げられる体液の流れが見えていた。
『……ふ、船木はんっ!!』
 井上の悲鳴じみた声が入った。
 そしてそれに重なるように、新たな悲鳴が。
『う、うわ、いやだあああああああぁぁぁぁぁ、助けてくれえええええ』
『伊吹、伊吹ぃぃぃぃ!!!!』
 再びパンする画面。伊吹隊員の足が画面上部に消えるところだった。残る一人の隊員が、89式5.56mm自動小銃を空に向かって乱射している。
 しかし三秒後、彼もまた姿を消した。カメレオンやカエルが餌を獲るかのように、奴らの触手がその隊員を地上から奪い去ったのだ。


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 小野はそこでビデオを止めた。
 その部屋には小野、井上、瀬崎のほか、いつの間に入ってきたのか、数人のホームレスもいた。ボランティアの女の子は、最初のシーン、敵の生物状組織がアップで映った段階で、部屋から出て行っていた。
 誰も声を出さない。
 井上もひどく思いつめた表情で唇を噛んでいる。
 最初に声を出したのは瀬崎だった。
「……井上はん、よぉこんなとこから……」
 だが、その続きは小野の一睨みで封じられてしまった。
「井上、ここや。ここなんや」
 得意げな小野の言い方に、井上は顔をしかめた。
「ここて……戸田さんがさらわれたとこか? これがどないしたんや」
「わからんか。もっぺん見てみい」
 小野は少し巻き戻して、再生した。
 シュトゥルムファウスト3の弾頭が爆発し、画面が緑色に染まり、その表面で小さな火花が弾け、船木の悲鳴が上がり、船木が串刺しにされて、また悲鳴が上がり、画面がパンして、伊吹隊員の足が消え、戸田隊員が89式を撃ちまくり、最後には戸田隊員も消える――
「どや、わかったか?」
 井上は首をひねる。
「わからん。……もおええ、勿体つけんな。何が言いたいんや、はっきり言え」
「おもろないやっちゃのぉ。ええか、ここや――」
 巻き戻した画像を、ゆっくりコマ送りで再生する。
 緑色のフィルターが画面にかかり、爆発が起きる。
「――ここの音を聞いてくれ」
 89式自動小銃の弾が弾けている。妙な反響を伴った、電子的にさえ思える音。
「ほんで、ここや」
 戸田隊員が89式を頭上に向けて撃っている。
 そこから聞こえてくるのは伊吹隊員の悲鳴――と、小銃の弾が何か金属板の表面ではじけているような音。
「……これがどないしたんや?」
 まだわからぬげな井上に対し、瀬崎が首をひねった。
「何で音が違うんです? おんなじ小銃で撃ってるのに」
「――ビンゴや、さすが神戸高校」
 小野は我が意を得たり、とばかりに得意満面で瀬崎を指差した。
 周りのホームレスが小さく拍手し、瀬崎は照れくさそうに頭を掻いた。
「そこなんや。わかるか、井上。俺が聞きたいのは、このときお前が何を見てたかや」
「はぁ? 何をて……この画面やがな」
 途端に、小野は思いっきり前のめりにぶっ倒れた。
 めげずに立ち上がるなり、額をくっつけて井上を睨みつける。
「はあああああ? 画面を見てたやとぉぉぉぉ!? アホかお前はああああぁぁぁっ!!」
「なんでやねん。ハンディカメラでぶれずに画像取るには、きちんと画面を見とくか、レンズを覗いとかんと――」
「おのれはこの非常事態に、呑気に画面見とったんかい! 仲間を助けようとか、そんなことは考えへんかったんかい! ちょっとぐらい顔を上げて、自分の目で見ようとは思わんかったんかい!!」
「……小野、お前ビデオ撮ったことないやろ」
 逆に呆れたように言われ、小野の勢いは殺がれた。
 井上は肩を落として、ため息をついた。
「画面見ながらずっと撮ってるとな、カメラのレンズがイコール自分の目のように思えてきて、そっから目を離そうとは思えへんようになるんや。……後から考えれば確かにそれは人としてどうか、とは思うんやが、この時のわしは武器を使うとか、みんなを助けようとか、全く思わへんかった。ただ……そう、ただ見とれとったんや。仲間が消えていきよるのを」
 うつむき、唇を噛み締める井上。
 小野も珍しく目をそらし、それ以上の追求は避けた。
「……呑気に、とか言うて悪かったわ。そもそも俺らを守るために戦ってくれてたんやしな」
 目をそらしたまま、ぼそりと謝る。
 ビデオの巻き戻しボタンを押し、液晶画面を戻した小野は、瀬崎が座っていたパイプ椅子を奪い取った。
「ほな、本題に入ろか。この映像から俺が考えた推論は、こうや」
 井上、瀬崎、ホームレスがそれぞれに少し前のめりになる。
 小野は指を立てて、にっと笑った。
「奴ら、人をさらっとる最中は、シールド張られへん」


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 天幕内がざわついた。
「画面に映ってないんで、絶対とは言えん。せやけど多分、あれはシールドに穴開けて触手を出し入れしとんのとちゃう。その都度、シールド解除してるんや。その辺は自動やろうけどな」
 井上が口を開こうとしたとき、大阪城公園のボランティア責任者が駆け込んできた。
「皆さん、早く非難してください! トライポッドが堺市方面の自衛隊を壊滅させて、こちらへ転進してきたとの情報が!」
 天幕内に緊張が走った。
 ホームレスの連中が目顔で頷きあう。
 小野は井上を見やった。
 渋々ながら井上は頷き、ため息をつきながらベッドから下りた。
「しゃーない。……短い休息やったのぉ」
「瀬崎、悪いがお前の自転車もらうぞ。井上に使わす」
 小野の一言に、瀬崎は顔色を変えた。
「ちょ、ちょっとちょっと! 小野はん、あきまへん! どないする気ですか!?」
「どないする気て、わかってるやろ。ここまで来たら」
 いつもの、悪巧み笑顔を浮かべて、瀬崎の肩を叩く。
「わかってますけど……わかりまへんっ!!」
 瀬崎は出入り口で両手を広げ、立ち塞がった。
「だいたい、今の推論が正しいにしたかて、誰かがさらわれなあきまへんねんで!? その前に殺人光線浴びせられたらどないしますねん!? 針ぶっ刺されたらどないしますねん!? 首尾ようさらわれたかて、生きて帰れるとは限りまへんねんで!? いやあ、十中八九生きては帰れまへん!! それやのに行くなんちゅうのは、自殺行為です!」
「ほな、誰が行くんや」
 小野は軽く言った。笑みさえ浮かべて。
「自衛隊も、米軍も役に立たん。警察は言わずもがな、住民はほとんど疎開。そんな中で、トライポッドをいてこますヒントらしきものを見たオレら以外に、誰が行くんや?」
「いや、その、あの……それは、その」
「やっぱまだガキやのぅ」
 小野はため息をついて、肩をそびやかした。
「瀬崎。ほっといても今は生きるか死ぬかの瀬戸際やないか。逃げてたかて、最期は殺人光線にやられるか、肥やしにされるかやないのか。せやったら、少しでもチャンスがあるんやったら、それに賭けるのが正しい命の使い方とちゃうのか」
「命の……使い方て……!」
「命はなくなったらそこまでや。要するに一回こっきりの消耗品。それをどない使い切るかは、その命の持ち主が決める。いや、決めなアカン。ええか、瀬崎。命を賭けてやるべきことがあるんやったら、やったらええねん。それだけや」
 小野は瀬崎の肩に手を置いて、軽くぽんぽんと叩いた。
「ま、心配せんでもお前に来いとは言わんわい。まだ死に方考えられへんうちは、オレらと轡を並べるっちゅうわけにはいかんからな」
「そうやの」
 井上もなんだか優しげな笑みを浮かべ、頷いている。
「轡を並べる?」
「……ともに馬の鼻先を揃えて戦に出、生死を分かち合おうという意味じゃよ。その意味もわからんうちは、戦場に行かん方がええ」
 そう言って進み出てきたのは、仙人じみた老人だった。真っ白な頭髪と口ひげは伸ばし放題、衣服は古臭い貫頭衣を腰の辺りで紐で縛っているだけ。腰は『 く 』の字に折れ曲がり、顔中深い皺だらけで、細い目は開いているのか閉じているのかわからない。
「小野とやら。その囮役、わしらも混ぜい」
 老人はいわくありげな笑みを小野に向けた。
 小野も片頬を持ち上げて、笑い返す。
「勝手にしたらええがな。せやけど……助かるわ」
「ちょっとちょっと、なんですかそれ! 命を粗末にするにもほどがありますよ!! 小野はんも、見損ないましたよ! 自分だけならともかく、他人まで巻き込んで……まさか、ホームレスやから死んでもかまへんちゅーんです――」
 瀬崎の左頬に、小野の拳が叩き込まれた。
 もんどりうって倒れた瀬崎は、頭を振り振り身を起こすと、殴られた左頬を押さえながら小野を睨んだ。
「な、なにするんですかっ!!」
「今度おんなじことを言うたら、鼻を折る」
「はあ? 何ですねん、どういうことですねん!!」
「別にな、誤解を解く気もあらへんし、オレがおのれにどう思われようと気にせえへん。けどな、おのれの今の物言いは、このおっちゃんの覚悟を貶めるもんや。それが許せん」
「わけわからへん! なんですねん、覚悟を貶めるて!」
 起き上がって詰め寄る瀬崎を、井上が押しとどめた。
「……瀬崎君、言われんとわからんのはガキの証や。小野は何も、このおっちゃんがホームレスやからOK出したんやない。自衛隊員が皆殺しにおうたあの映像を見て、小野の分の悪い賭けを聞いて、なおも自らやったると言うてくれたから、何にも言わへんのや」
「せやけど……! せやけど……! 命は大切にせなあかんて、僕らは……」
 殴られたせいかどうかはわからないが、瀬崎の左眼から滴が伝い落ちた。
「瀬崎」
 小野の静かな声。瀬崎は声の主をじっと見つめた。
「……連中に侵略される前やったら、それでええ。お前が正しい」
「………………?」
「せやけど、今は違う。未来をつかまなあかん戦いに、命の尊さなんぞクソの役にも立たん。必要なんは覚悟や。よぉけの人の命を踏み台にしてでも未来を生き抜く覚悟と、そういう連中のために命を捨てる覚悟。どっちも、誰かが貶めたり否定してええもんやない。ただ、認めるしかないんや」
「……………………」
 瀬崎は拳を握り締めていた。小野のいうことなど、わからない。わかりたくもない。自分のアイデアを実行に移すための手ゴマを失わないための美辞麗句、保身の言葉にしか聞こえない。
「まあ、やっとることは第二次世界大戦のときの、神風特攻隊と同じことやとは、俺も重々わかっとる」
 へらっと笑うと、老人は黙って頷いた。井上も頬を緩めて、古傷を指でぽりぽり掻いている。
 その姿が、瀬崎には奇異に映った。なぜこの二人は、それを知りながらなお小野についていこうというのか。わからない。
「瀬崎、俺をキチガイやと思うてくれてええ。悪魔やと思てええ。別に将来、ええように評価してくれんでもええ。せやけど、これだけは言うとくぞ」
 小野の眼がぎらりと光を放った。考え込んでいた瀬崎も思わず、意識を引き戻されるほどの威圧感。
「命の決断に小賢しい口を挟むな。何もでけへんのやったら、それでええ。黙って見送れ。それが――それが、漢(おとこ)っちゅうもんや」


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「……あの男は乱世向きじゃの。あの若さで、あの達観ぶりは只者ではない。面白い逸材じゃて」
 井上の漕ぐ自転車の荷台に座った仙人風の老人が、ほっほっほと愉快げに笑う。
 話題の小野は、井上の後ろから別のホームレスを乗せてついて来ている。自衛隊隊員として鍛えている分、井上の方が自然、前に出ることになる。
 ちらっと背後の小野の様子を見やった井上は、まんざらでもない風に答えた。
「いやぁ……あらぁ、単なるキチガイかもしらんで、じーさん」
「そうかもしらん。そうでないかもしらん。どっちにせよ、面白うなってきたわ」
「この状況で面白いとぬかせるあんたも、だいぶ壊れとるな」
「違いない」
 またほっほっほ、とひとしきり笑う。
「じゃが、お主も軍人で上を目指すなら覚えておくとええ。人間、数が集まって皆で興奮したら、みんなぶっ壊れる。どんなことでも出来そうな気がして、命の価値なんぞ地平の彼方へ飛んで行くもんじゃ。……そう、あの時代がそうじゃった。勝っとるうちはみんな陽気に騒いでおったもんじゃ」
「……………………」
「そういう前後の見境をなくした人間をどう扱うかは、お主ら指揮官次第。わしらの命、あたら無駄に使わんでくれよ?」
 井上はしばらく無言で漕ぎ続けた。
 老人もそれ以上話を続けようとはせず、黙り込んだ。
 やがて、目的地に近づいた頃、井上はぽつりと言った。
「じーさん……一つだけ言わせてんか」
「なんじゃ」
「わしは自衛隊員や。軍人とちゃう」
 老人の、心底楽しそうな笑い声が辺りに広がる林の樹間に響き渡った。


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 大阪城公園野外音楽堂の辺りで自転車を止め、二人を下ろす。
 老人たちは二時間後にここへ志願者を集めることを約束して、姿を消した。大阪城ホール前で別れた連中も、志願者を募って音楽堂へ連れてきてくれるらしい。
 井上がふと振り返ると、小野が神妙な面持ちで考え込んでいた。
「なんや、今更怖気づいたわけやあらへんやろな」
 笑いながら近づくと、小野は鼻を鳴らして吐き捨てた。
「アホこけ。……囮は確保できるとしてや。あとはどないして連中を攻撃するかや」
 井上は自分の装備を見下ろして、ため息をついた。
「わしの89式と、パイナップル(手榴弾)、拳銃だけではなぁ。せめてパイナップルを中に放り込めればええんやが。つーか、それ以前にあの装甲は地球の武器でぶち抜けるんやろか」
「大丈夫やろ、そっちはあんまり心配してへん。……とはいえ、対戦車ライフルとか重機関銃とかそういう貫通力のあるのがほしいな。井上、どこぞに転がってへんか?」
 井上は苦笑した。
「タバコの吸殻やないんや、そうそう転がっててたまるかい。千僧の連隊本部とかに戻ったらあるかもしれんが……」
「この辺で部隊ごと壊滅して、装備だけ転がっとるとかないか?」
「あるかもしらんが、わしはまだ下っ端やさけそこまでの情報は持っとらんな。こうなってくると……やっぱり、パイナップル抱いて中でドカン、か?」
 しかし、小野は首を振った。
「イスラム過激派やあるまいし。いくら覚悟を決めてみても、映画とは違うんや。今の時代の日本人が死を目の前にして、手榴弾のピンの抜き方を冷静にこなせるとはとても思えへん。オレでも自信あらへん。もっと、確実な方法を考えなアカン」
「……そやないと、囮役に申し訳がたたんわな」
 小野は黙って頷き、虚空を睨みつけた。


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