【目次へ戻る】   【ホーム】



宇宙戦争 〜大阪戦記〜 前編 『 侵略 』

 それは、まだ地球防衛軍が結成される前のお話……なのか?


 暑い夏の盛り。
 男は大学の生協で、仲間とだべっていた。
 話題は前半戦を首位で折り返した阪神タイガースのことである。
「落合竜も今年は波ありすぎで大したことあらへん。自滅巨人ははなから相手やない。広島はいつも通り。後半戦はヤクルト、横浜さえ気いつけとったら、こら秋の道頓堀ダイブは決定やで!」
 きらりん、とどこから入ったかわからぬ光が男の眼鏡で弾かれる。
「おいおい、小野。ヤクルトはわかるけど、何で横浜やねん」
「あほう。あそこは結構相性悪いんや。気い抜いたら、ヤクルトとのマッチレースになって、最後には横浜との勝ち負けで優勝逃しそうな気がする……なんとなくやけどな」
 そのとき、外で騒ぎが起きた。
 その場の全員が、ガラス張りの向こうを見やる。騒いでいる集団は空を指差していた。
「なんや?」
 眼鏡の男――小野は友人たちと共に外が見える位置まで移動した。
 空が暗い。人を嫌な気分にさせる黒雲が、空を覆っていた。
「渦巻いとんな……竜巻が起こるんちゃうか」
 顔を曇らせる小野に、友人が不安げに呟く。
「結構近いで? それやったら避難した方がええんとちゃうか?」
 風も出てきていた。今どき珍しいフレアスカートの女子大生が、吹き荒れる風に閉口し、必死で裾を押さえている。
 また、辺りに見える樹木も相当揺らいでいた。
「風も強いか……天気予報が見たいな」
 振り返った小野は、食堂のおばちゃんに声をかけた。
「おばちゃ〜ん、天気予報が見たいんや。テレビつけてんか」
「ああ、なんや表が暗いな。一雨来そうなん?」
 家の洗濯物でも心配なのか、少し不安げに聞きながらテレビのスイッチをつける。
 折りしも、天気予報の最中だった。
『……現在、東京、大阪、名古屋、福岡、札幌などに大規模な雷雲の発生が観測されています。これから夕方までに局地的に雨が――』
 ぶつん、と画面が途切れ、生協の中の電気が全て落ちると同時に雷が落ちた。
 いや、逆か。雷が落ちると同時に、電気が落ちたのか。
 生協の内外のそこここで、雷を怖がる女達の悲鳴が響き渡り、外にいた何人かが慌てて中に入って来た。
 おばちゃんは不安げに外を見やった。
「雨、降るんやろうなぁ」
 小野はいつもの調子でからからと笑った。
「何や、おばちゃん。洗濯もん干してきてもうたんか。そらあかんわ、この時期はいつ夕立が――」
 再びけたたましい悲鳴が上がる。
「……やっかましいのぉ。何をたかが放電現象くらいで。これやから女は――」
 眉をひそめて振り返った小野のメガネに、それは映った。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 2005年、夏。世界は未曾有の侵略に見舞われた。
 地面を突き破り、現われた巨大な三脚式歩行戦車<トライポッド>。
 身の丈30m、古いSF映画に出てきそうな円盤状の本体から、三本の長い脚を生やし、生物じみた触手を伸ばして人類を蹂躙する悪魔。
 その恐怖の兵器は、国家、民族、宗教、肌の色、老若男女、あらゆる人類を一切差別も区別もすることなく、ただ殺戮し続けた。
 説得や交渉の余地などなく、先進国の誇る数々の兵器は一切効かず、核攻撃を試す暇も与えられず……そう、人類は抵抗すら許されなかったのだ。
 わずか数日で、全人類は自分達が今、滅亡の縁に立たされていることを認識せざるをえなかった。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 日本、大阪。
 関西のJR始めとする鉄道各社は、動いていた。
 大阪にトライポッドが現われなかったのではない。もちろん、彼らは現われた。そして東京や名古屋、福岡のように街を蹂躙していった。
 難波、天王寺、阿倍野の地下から出現したトライポッドは、緊急防衛出動した陸上自衛隊第37普通連隊を中心とする部隊と交戦しつつ、南下していった。その結果、環状線の南側はずたずたにされ、日本橋から南は廃墟と化した。今はさらに南、堺方面が阿鼻叫喚の地獄絵図と化しているという。
 こんな状況下で鉄道が動いているのは、ひとえにトライポッドに追われ、逃げてくる人々をいまだ戦渦に巻き込まれていない京都や山陰方面に輸送するためである。幸いにも、トライポッドはまだ北に転進する気配がない。
 期限はトライポッドが電源施設を破壊するか、線路が破壊されるまで。
 刻一刻、状況が悪化して行く中、鉄道マン達はおのれの職務を全うするために戦い続けていた。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


「……納得いかんな」
 新大阪駅前で配っていた新聞を広げながら、小野は吐き捨てた。
 派手なアロハの前をはだけ、白いランニングシャツ、裾を折り返したジーンズ――ほとんどチンピラヤクザのような格好だった。
 いつものクセで、三面記事から読み始めていた小野は、アメリカのマスコミが報じたという、ジョークだか本気だかわからない一文を見ていた。
≪この戦争で最後に殺されるのは、太平洋中央部に点在する小島の住民だろう。≫
「もう白旗かいや、けっ。世界最強をうとうて、めちゃめちゃしてきた連中も皮剥がれたらこんなもんか、根性無しが。勝てる相手でないとケンカでけへん臆病もんの戯言なんぞ、笑えもせんわ。アホくさ」
 新聞を閉じて、一面から見直す。
 写真がいくつか載っていた。トライポッドの攻撃方法を解説している。
 触手から殺人光線を放つ。確実に生物だけを灰化させて消滅させる、恐るべき光線だ。原理は不明。
 触手で絡め取る。引き伸ばされた写真で見ると、トライポッド上部の円盤型の本体の下に、捕らえた人間を集めておく檻がいくつかぶら下がっているのがわかる。
 極太注射針を刺す。触手の先から、人の腕ほどの長さの針を生やし、それを人に突き刺す。しかも、どうやらその人間の体液を吸い上げているらしい。吸い上げた体液は――次の写真で空中にばら撒かれている様子が映っていた。捕らえられた人間も、同じ運命を辿るらしい。
 次のページには、攻撃を防ぐトライポッドの写真が映っていた。緑色の半円形のシールドらしきものの表面で爆発が起きている。
「エネルギーシールドか。空想の産物やと思てたけど、実際にやろうと思えばやれるんもんなんやなぁ」
 それ以上は読む気がせず、小野は新聞紙を畳んだ。八つ折にしてズボンの腰の後ろに挟む。
 辺りを見回した。  大阪市街地は今や廃墟と化していた。街としての外観は保っているが、人がいない。
 先ほどまで駅構内にあふれ返っていた人々は、JRの運行する列車に乗って行った。
 第二次世界大戦と阪神大震災時の教訓に倣った疎開だ。田舎にはまだトライポッドは出ていない。
 小野の大学の友人達も、それぞれに疎開していった。
 しかし、小野は残った。島根に疎開する友人から一緒に来るよう誘われても、断った。
「オレは行かんよ。今の事態は、頭低くして伏せとったら行き過ぎるようなもんやない。田舎に引っ込んでも、いずれ連中はやってくるで。ほなまた逃げんのか? そんな逃げ惑う蟻みたいなマネは、嫌や。……あいつは倒さなアカン敵や。敵の弱みは、敵を観察せんと見えてこん。せやから、オレは残る」
 死ぬ気か、と思いつめた表情の友人を、小野ははたいた。
「あほう、オレがそんなタマやないことぐらい、よぉしっとるやろ。まあ、見とれ。大阪廃墟に変えても、あいつらだけはぶちのめす。侵略者を操縦室から引きずり出して、しばき倒したる」
 どこからともなく差し込む光にメガネのレンズをきらめかせるいつもの小野に、友人は安堵して旅立っていった。
「……まあせやけど、実際あれに近づくのは自殺行為やしなぁ」
 一人ごちながらも小野はとりあえず、歩き出した。当てはない。気の向くまま、風の向くまま。
 夏の陽射しに、すぐ汗が噴き出し始めた。
「暑いのぉ。どこぞで涼まんと、倒れるな」


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 行く宛てもなくとぼとぼと歩いていると、不思議なもので大阪駅に足が向いていた。
 それは小野だけではないらしい。大阪駅周辺には人が集まっていた。
 難を逃れた人、避難してきた人、元から住んでいた人……。
 灼熱の日差し、陽炎揺れるアスファルト、悲嘆にくれる人々の陰鬱な表情、沈みきった空気。そこは地獄の入り口。絶望がうずくまっていた。
 そんな中、ボランティアの腕章をつけた人たちが気ぜわしく働いていた。
 ボランティアは天幕を張り、炊き出しや列車乗り込みの列の整理、人探しなどを行っているらしかった。
 小野は天幕の一つに近づいた。
「どうぞ。……今日は暑いですねぇ」
 高校生らしき白い半袖ワイシャツと黒い制服ズボン、左腕にボランティアの腕章を巻いた少年が、にっこり笑ってミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。
 小野は受け取ったその場で封を切り、栓を開けてぐびぐびと三分の一ほどを飲んだ。
 人心地ついた小野は、許しもなく天幕の中に入り込み、傍にあったパイプ椅子に腰を降ろした。
 ペットボトルを渡してくれた少年が、他の人にも渡しながら訝しげに見ている。
 小野は少年の名札を見た。【瀬崎】と書かれていた。
「お前、高校生か?」
「ええ、そうですよ。神戸高校の2年生です」
 瀬崎少年は女好きのする柔和な笑顔で答えた。そこへ二十代ぐらいの女性がやって来た。
「水もらえるー?」
「は〜い、はいはい。どうぞ〜」
 世間の状況に照らし合わせてどうかと思えるぐらい陽気な微笑みを浮かべた瀬崎は、わざわざ女の手を取りペットボトルを渡した。
 そのまま、ひしと相手の瞳を見据える。
「お姉さん、こんな状況だと女性は余計に大変だとは思うけど、負けんといてね。僕はいつでも応援してるし」
「あ、ありがとう」
 女性は少し困惑げに笑った。
「ボクも頑張ってね、ボランティア」
「そりゃもうもちのろんです!! じゃあ、お元気で〜」
 去って行く女性に目一杯手を振る瀬崎の姿は、遊んでほしくて飼い主に尻尾を振りたくる子犬に見える。
「元気なやっちゃなぁ。……それにしても、なんで神戸の高校生がこんなとこに」
「尼崎に母方のおばあちゃんがいるんです。そこへ遊びに行ってたら、こんなことになってしもうて。家族に連絡したら、僕を置いてとっとと笹山の方へ疎開しちゃったらしくて。まあ、せっかくなんで、なにかのお役に立てればと」
「尼崎からここまで、足はどないしたんや」
「自転車ですよ。この裏に置いてます。夜になったら帰らないと。――あ、暑いですね〜。はい、どうぞ〜」
 瀬崎は小野と話しながらも、次々にやってくる人にペットボトルを配り続けていた。
「帰るて、尼崎にか」
「おばあちゃん、あんまり歩けないんですよ。だから、疎開とか出来なくて。ここでおばあちゃんの分の食料とかもらって帰るんです」
「アレが淀川渡ったら、どないすんねん」
 手元の箱からペットボトルを抜き出していた瀬崎の手が一瞬、止まった。しかし、すぐに作業を再開する。
「……そういえば、お互い自己紹介もまだですね。僕、瀬崎言います」
「小野や。大学2年。どこのかは訊かんといてくれ」
 へらへらっと笑ってペットボトルを煽る。
「小野はん、この箱そっちの隅に置いて、そっちの箱こっちに持ってきてくれます?」
「あいよ」
 瀬崎が回してきた空のダンボール箱を奥に置き、脇に詰まれたダンボール箱を左右に一つづつぶら下げて持ってゆく。
 受け取った瀬崎は律儀に頭を下げた。
「ありがとうございます。せやけど、小野さんて残酷ですねぇ。そのこと、考えへんようにしてるのに」
「そら悪かったな。……何とかして、アレを倒さなアカンねんけどな」
 小野は再び椅子に腰を落とした。
「無理でしょ。自衛隊でも米軍でも無理なのに――」
「それは違うぞ、瀬崎。……世の中に完璧はあらへん。無理や思てるうちは無理や。せやけどな、過去の偉人は皆その無理を通して、道理を引っ込めたんや。オレらはただ、まだ知らんだけや。あいつらの弱点を」
「ほな、わかったら僕に教えたってください。僕にも出来ることがあるんやったら、その時は手伝いますわ」
 笑いながらのセリフは、彼が小野の言葉を信じてないことを何より雄弁に語っていた。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 しばらく経った頃、ボランティアの責任者らしき三十代半ばぐらいの男が二人のいる天幕にやって来た。
「瀬崎君。……誰?」
 彼の眼差しは、パイプ椅子にどっかり腰を下ろしているアロハシャツのチンピラ風青年に向けられていた。
「ああ、あの……小野さんって言って、市内の大学の人です。手伝ってもらってます。あの、ボランティアの登録なら、後で――」
「ああ、いいよ。この話が終わった後で僕が聞いて、登録しておくから。ボランティアの腕章はこれ使って」
 男は自分の腕章を小野に渡した。
「それより、瀬崎君。悪いんだけど……いつもの、これから頼めるかな?」
 責任者は済まなそうに両手を顔の前で合わせた。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 三十分後。
 二人は炎天下の国道一号線を自転車で東へ走っていた。
 大阪城公園で活動しているボランティアへの連絡と差し入れが、二人に与えられた仕事だった。
 市内中心部の携帯電話網はトライポッド出現時の影響でほぼ全滅、車やバイクもほぼ同様、そのうえ給油装置もいかれてしまっているので、市内で給油は出来ない。そのため、自転車を自前で持つ瀬崎が連絡員になっているとのことだった。
 ボランティア新人の小野は、瀬崎の指導を受けるという名目でついてゆくことになった。ママチャリは他のボランティアから借り、瀬崎ともどもペットボトルやら食料やらを荷カゴ、荷台に積んで汗だくになりながらひたすらペダルを踏み続けていた。
 東天満の交差点を南に曲がり、天満橋を渡ると大阪城は目の前だった。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 大阪城公園のボランティア現場は、大阪駅前とはかなり様相が違っていた。
 大阪駅前に集まっている人はおおむね避難民だったが、ここは違うのだと、瀬崎は小野に説明した。
「ここにいてはる人は、元々からホームレスやってはった人とかが多いんですわ。逃げようにもどこにも行くあてあらへんし、中にはそんな気もあらへん人もいてはるし。……小野はんみたいでしょ」
 にかっと笑って、瀬崎は大阪城ホール前に建てられたボランティア本部の天幕の前に自転車を止めた。
 彼が中に入って何やら話している間に、小野は周囲を見回した。
 確かにここは大阪駅前とは雰囲気が違っていた。絶望と悲嘆に満ちたあの空気が、ここでは薄い。ところどころで、笑い声さえ聞こえる。
 一人内心で感心していると、肩を叩かれた。
 振り返ると、無精ひげが伸び放題、服も着っぱなしなのか、しわだらけでかなり汚れた初老の男だった。
 男はにんまり笑っていた。
「あんちゃん、ボランティアの人やな?」
「ああ、いやオレは……――あ、せやった」
 途中で自分がボランティアになったことを思い出し、小野は苦笑した。
「なんや、おっちゃん。なんぞ手伝いが必要か?」
「人が倒れとるんや、仲間がこっち運んで来とるさかい、手当てしたってほしいんや」
「ああ、そうか。ほな、オレが話通しとくさかい、ここに連れてったってや」
「助かるわ。ほな、すぐ連れて来させるさかい」
 走り去る男を背に、小野はボランティア本部に入って行った。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 急病人は本部の天幕の中、緊急医療行為を行う部屋に通された。
 急造りの担架に載せて連れてこられた人物は、毛布でぐるぐるまきにされていた。
「おいおい、この炎天下にこんな毛布でぐるぐる巻きにしてたら――」
 大阪城公園ボランティア本部の責任者は、めくり上げたその瞬間凍りついた。
 現われたのは迷彩服。手榴弾に拳銃まで装備したままの、陸上自衛隊隊員だった。
 年は二十代半ばといったところか。右目をまたぐように、大きな古傷が走っている。
 入り口で運んできた男たちが、してやったりの笑みを浮かべている。
「……自衛隊員か。どうしたものかな。やっぱり司令部とかに報告したほうがいいのかな」
 責任者が腕を組んで考え込んでいる間に、他の者達が熱を看たり脈を取ったりして体調を調べてゆく。
 小野は彼を運んできた連中に近づいて、小声で訊いた。
「おっちゃんら、あいつの装備、アレだけか? 突撃銃みたいなんとか、持ってなかったか?」
「おお、あったあった。あったけど、あんな危ないもん持って歩けんし、置いて来たわ」
「運んどる最中に暴発でもしよったら、それこそ大変やからのぉ」
 小野は頷いた。
「そら、ええ判断や」
「せやけど、あいつ音楽堂の裏で倒れとったんや。他の隊員はどないしたんやろな」
「ああ、音楽堂いうたら」
 不意に男の一人が手づちを打った。
「阪神高速13号東大阪線の向こう側がエライことになっとるんや」
「おー、せやせや。物凄いことになっとったわ」
「あーそうそう、あれはもう、なんちゅうか……この世の終わりみたいな光景やったな」
 小野は顔をしかめた。
「エライこと? 物凄いこと? なんや?」
「なんや建物といい、木ぃといい、エライ真っ赤っ赤になっとってな。こう、気色悪い血管みたいなんがよぉけ走っとるんや。無茶苦茶気持ち悪いで。わし、さぶいぼ立ってもた」
「わしはもうジンマシンがかゆうてかゆうて」
「…………そらぁ、奴らの放った生物や……」
 疲れきった深い声に振り返ると、自衛隊員が目を覚まし上体を起こしていた。
 話し掛けようとするボランティア責任者を制し、小野は鋭い眼差しを隊員に向けた。
「……その様子やと、何か知っとるみたいやな。まずいことなんちゃうか」
 隊員は首を振った。
「さし当たって危険とは言えん。だが、あれは連中の植えた植物や。人の体液を滋養にして育ち、勢力を拡大してゆきよる」
「なんで知ってるねん」
「自分は見ての通り、陸上自衛隊中部方面隊第三師団――いや、まあええか。もう上官おらへんしな」
 男は頭を掻きながら、いきなりぞんざいな口調になった。
「わしは井上三等陸曹。助けてもうたのは恩に着る。おおきに」
 井上は頭を下げた。
「あの……井上はんは、トライポッドと戦うたんですか?」
 瀬崎がミネラルウォーターのペットボトルを差し出しながら訊いた。
 すると井上隊員はうつむいてしまった。その場に重い空気が垂れ込める。
 静寂を破ったのは小野だった。拍手を打つように両手を打ち鳴らし、全員の注目を集める。
「とりあえず、大事なことは責任者と話してもらおうや。聞かれたら困る話もあるやろうさかいにな。ほらほら、関係ないもんは外へ出え、外へ」
 ボランティア幹部と看護担当のボランティアを残して、全員を天幕の外へ追い立てる。
 自分も天幕から出ようとして、振り返った。責任者を指差す。
「後でみんなにきちんと説明してや、頼むで」
 責任者が頷くのを確認して、小野は天幕の外へ出た。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 表に出た小野は、積んできた自転車の荷物を降ろし始めた。周囲にいた連中に荷物運びを命じ、自分は自転車からどんどん荷物を降ろしてゆく。それは妙に慌てているように見えた。
「それにしても、驚きましたね。小野はんやったら、話を聞きたがるかと思ったのに」
 瀬崎もつられて、荷解きをしていた。
「……百聞は一見にしかずや。あの自衛隊のにーちゃんからあれこれ聞くよりも、自分で見に行った方が早い」
「は?」
 瀬崎は手を止めて振り返った。
「な、何いうてますのん?」
「あのおっちゃんらが言うてた、終末の光景とやらを見てくる。……それが連中の放った生物兵器とか、環境・生態系制御用の植物やっちゅーんなら、そこに何か連中をいてこますヒントがあるかもしらん」
「ちょ……ちょっと、あきまへんて。ボランティアの仕事はどないするんです!? 小野はんは僕の下で――」
「止めても無駄や。来るか、見送るか、どっちかにせい。言うとくけどな……そうそうチャンスはあらへんで?」
 きらりんと、メガネが光を弾く。
 瀬崎は少し考えた。
「……危険はないでしょうね?」
「そんなもん知るかい。俺に聞くな、侵略者に聞け。怖いんやったら来んでええ。俺一人で行く」
 荷物を下ろしきった小野は、自転車にまたがるとペダルを漕ぎ始めた。
 瀬崎も慌てて荷物を降ろし、自転車にまたがる。
「ちょっとちょっと! ……んもう、なんであの人はこう自分勝手なんかなぁ。僕も行きますて、ちょっと待ってくださいよ!!」
 瀬崎もペダルを漕ぎ、小野の背中を追いかけ始めた。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 大阪城公園野外音楽堂。
 芝生席の内側に扇型の観客席が並び、要(かなめ)の位置に青い屋根のステージが立っている。その周辺は森になっている。ステージの裏、音楽堂管理事務所脇の茂みの中が井上三等陸曹の倒れていた場所だった。
 小野が突撃銃と表現した89式5.56mm小銃や、背嚢などが無造作に転がっている。辺りにはホームレスらしき人だかりがあった。
「ははぁん、こら確かに凄いな」
 小野の目は公園の南側に広がる風景に惹きつけられていた。
 小野だけではない。瀬崎もその光景のおぞましさに声を出すことも忘れている。
 東西に走る阪神高速の高架、そしてその向こう側に広がるビル街は赤く染まっていた。どす黒い赤に塗りこめられた奇妙なでこぼこが立ち並ぶその風景は、まさに魔界と呼ぶのが相応しく思われた。
 小野は井上三等陸曹の物と思しき双眼鏡を拾い上げた。それでビルを包む赤い物体を見やる。
 倍率をきりきり合わせると、赤い物の詳細がはっきりとした。確かに血管のようなものが縦横に走って、血の色の浸出液のようなものに濡れている。それはまるで――
「……テングサか?」
「テングサ? 何です、それ?」
「寒天の材料や。色はあんな気味の悪い真っ赤やのうて、もっと茶色やけどな」
 訝しげな瀬崎に、小野は双眼鏡を渡した。レンズを覗いた瀬崎は、たちまち驚嘆の声を上げた。
「うわ、キモっ。っっかぁぁ……これは確かにさぶいぼ立ちますねぇ」
「自衛隊のにーちゃん、あれを植物やとか言うとったな。ちゅーことは、燃えるんやろか」
「せやけど濡れてまっせ? 地球の植物でも、枯れてへんかったらそう簡単に燃えへんのとちがいますの?」
「そらそうやな。……向こう側はずーっと、あんな具合なんかな」
 瀬崎は慌てて双眼鏡を外し、小野を見た。嫌な予感どおり、小野は疼く好奇心を隠しもせず、にんまり頬笑んでいる。
「あきませんで! これ以上先は、ほんまにあきません! 自衛隊の人かて命からがらやったのに――」
「せやけど、この先に行かなトライポッドとは戦えん。……まあ、今はええ。今はあのにーちゃんの装備品を集めて持って帰ったろ」
 小野はいの一番に、89式小銃を拾い上げた。ベルトを肩にかけ、小脇に抱える。
「え? ……その銃もでっか?」
「コレは俺が持って行ったる。お前はあの背嚢とか持って行け」
「大丈夫なんですか、小野はん」
 不安げな瀬崎に、小野はうんざりしたように振り返った。
「あのなぁ。これから先、トライポッドとガチンコしようっちゅうのに、小銃の一つも持って行けんでどないすんねん。心配すな、間違っても暴発させてお前撃ったりせんわ。ほなそこの背嚢、頼むで」
 言うだけ言うと、小野は人だかりの方へ歩いていった。


<...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒  ...荒 >


 人だかりのホームレスは、6人ほどだった。頭を寄せ集めて何事か相談している。
「おっちゃんら、何してんねん」
 振り返ったホームレスは、小野を見てぎょっとした。慌てて両手を挙げる者もいる。
 小野は苦笑した。
「何の真似やねん、それは。別におっちゃんら撃ったりせんわ。これ持っとった自衛隊のにーちゃんに届けてやろ思てな。……んで、なに見てんのん?」
「いや……コレが落ちとってな。なんか映ってないかと思たんやが……」
 ホームレスたちがいじり回しているのは、ビデオカメラだった。小型のハンディカムだ。
 小野はホームレスの輪に加わり、腰を下ろした。
「なんも映ってないんか?」
「いや、使い方がよぉわからへんねん」
「ちょっと見せてみ?」
 ハンディカムを受け取った小野は、あちらこちらをいじりまわし、あるLEDが点灯していることに気づいた。
「……ああ、こらあかんわ。電池切れや。充電せんと動かんで?」
「ほーか……残念やのう」
 なにが見たかったのか、がっくり肩を落とすホームレスたち。そのとき、小野はふと閃いた。
「あ、いや、待てよ。――瀬崎ぃ、その辺にウェストポーチとか落ちてへんかったか?」
 自転車の荷台に背嚢やら何やらを縛り付けていた瀬崎は、その荷物の中から小野の言ったものを取り出した。
「――コレですか?」
「ああ、それっぽいな。それちょっと持ってきてんか?」
 瀬崎はすぐにウェストポーチを手に駆けて来た。
「どないしたんです?」
 小野はウェストポーチと交換に瀬崎へハンディカムを渡した。
「ソレの中身が見たいんやが、充電池が切れとるんや。スペア入れるんやったら、背嚢よりこっちやろと思てな」
「へえ……ほんで、何が映ってるんでっか?」
「多分、あの赤いのの向こう側や。……それに、トライポッドの姿も映ってるかもしらん。お、あったあった」
 スペアの充電池を取り出した小野は、瀬崎からハンディカムを受け取り、手早く充電池を入れ替えた。
 液晶画面をひっくり返し、巻き戻しボタンを押す。
 ホームレスたちは小野の背後や横に場所を移動した。
 かちりと音がして、巻き戻しが終わる。誰ともなく唾を飲む。
 小野の指が再生ボタンを押した。


【次へ】
    【目次へ戻る】    【ホーム】