ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第12話 とらわれし者たちの楽園 その3
朝。
『……昨晩から降り続く雪で、都内はもとより関東全域が白く染まり――』
ニュースを読み上げる女子アナウンサーの声が各家庭のテレビから届く。
寝かせておいてやろうというシノブの親心も空しく、朝食の匂いにつられて起きてしまったサブロウは、食事が終わったあと、そのままシロウと家の前の雪掻きを始めた。
シノブがとっといた昔のセーターやらガウンを着込んで、長靴を履いて、玄関前の雪をスコップで脇へとどかす。
「積もったなぁ」
感慨深く漏らす口元から漂う白い吐息。積もった雪の厚みは10cmにもなっている。辺りの風景は当たり前ながら一面白。
降る雪は止まっていたが、空は低い曇天。いつ再び降り出すかわかったものではない。
「こりゃ、今日は交通機関ほぼ麻痺だな」
「このぐらいで動けなくなっちまうのか?」
シロウも手を止めて、スコップをよけた雪の山に突き刺す。
「まず電車が遅れるだろー? それを嫌ってみんな車やらタクシーやらバスを使う。すると普段以上の車が路上に溢れる。おまけにこの雪でスリップしやすいから、みんなノロノロ運転を心掛ける。それでも実際に事故が起こる。そんなこんなで、道路はあっという間に渋滞を起こしてストップだ」
「……めんどうくせぇな。飛んでいけりゃ早いのによ」
サブロウは苦笑した。
「無茶言うな。……けどまあ、こういう事態になりゃ、みんなそう思うよ」
「しっかし、なぁ」
辺りを見回すシロウ。
一応、二人の奮闘の甲斐あって、路面は見えている。玄関前2m四方ほどだけは。
あちこちで家の人が総出で家の前の雪掻きをしている。とはいえ、一生懸命がんばってるのは大人ばかりで、子どもたちは天井知らずのテンションではしゃぎ回っている。
「――これ全部どっかへ掻き出すのか? これぐらいになったらもう横着とか言ってられないんじゃねえの?」
超能力を使って消してしまおうか、とでも言いたげな据わった目で、指を曲げた手の平を上向ける。
「なにをする気かしらんが、やめとけシロウ。人間にゃあな、こういう突発的なアクシデントが大事な時もあるんだ」
「はあ? ……そうなのか?」
「お前にゃわからんか。……せっかくのホワイト・クリスマス。ロマンチックな気分にひたってる恋人たちや、夫婦もいるかも知れねえ――っと」
二人の前を、近所の子どもが投げた雪玉の流れ弾がよぎっていった。
いつの間にか、子どもたちは道を挟んだ並び同士でチームを作って戦いを始めている。
それをたしなめる大人の怒声も入り混じり、その区画はもう大騒ぎだった。
「あー……こう賑やかだと、そうでもねえか」
苦笑するサブロウ。
「ま、でもガキどもが楽しそうだしな。邪魔するのも悪いか」
シロウも子供のテンションにあてられたかのように頬を緩めている。
「そーそー。そういうことさ。アクシデントも、たまにゃあ悪くない。……つうか、本気で楽しそうだな。混ざったら……ダメだよな」
「いやいや、別にいいんじゃね? 俺もさっきから参戦したくって――」
この寒いのに腕をまくって、舌なめずりをするシロウ。その目はもはや子どもと同じ輝き。
そのとき、オオクマ家の玄関が開いた。
「バカ言ってんじゃないよ、シロウ」
「あ、かーちゃん。いや、その」
「雪合戦したいなら、子どもら連れてって公園でやんな。――じゃなくて、電話だよ。ユミちゃんからあんたに」
「ユミ? なんだ?」
「いいから早く出てやんな」
「はーい」
いそいそと家の中に戻るシロウ。
入れ替わるように、シノブはサブロウに近寄ってきた。辺りを見回して、一つ頷く。
「ん。まあ、これくらいでいよ。今、天気予報で言ってたんだけど、また降るみたいだし」
そう言っているシノブの目の前を、はらりと一片の雪。見ているうちに、さらにいくつもの白い欠片がゆらゆらふわふわ舞い降りてくる。
「ほら。だから、もういいわよ。今日は休日だし、あんたも出ていかないでしょ?」
「まあ、予定なんかないしね。コタツに入ってみかんでも食いながら、持ってきたゲームでもやるか――って、いやいや」
サブロウは激しく首を振った。頭に乗っかっていた雪片が撒き散らされる。
「そーゆーのから離れるために帰ってきたのに。こういうのも仕事中毒って言うのかな、かーちゃん」
「知らないよ。……おや、戻ってきたね? ユミちゃん、なんだって?」
玄関から出てきたシロウは、首を傾げていた。
「ん〜、なんか、渡したいものがあるから公園まで来てって。師匠んちの前の公園」
「おや、クリスマス・プレゼントかい。よかったじゃないか」
「うん、ああ」
相好を崩すシノブ。しかし、シロウの顔色はいまいち晴れない。
サブロウが不満げに鼻を鳴らした。
「おいおいおいおい、シロウ、お前なんだその不満げな面は。女の子からクリスマス・プレゼントもらえるとか、どこのギャルゲーだっつの。甘酸っぺえ青春送ってんじゃねえか!? ええ、おい! 男なら喜び勇んで行って来い!」
「なんか気になることでもあるのかい?」
「いや、昨日一緒だったんだから、その時に渡してくれりゃよかったのにと思って」
「ばっか、お前……っ!!」
顔を抑えて呻いたサブロウは、のけぞるような姿勢で天を仰ぐ。そして、反動をつけて戻って来た。
「バカかお前! バカじゃねえのか! ブラックホール・バカか!? いっそ裏返してしかうま(鹿馬)かっ!! 今日だからいいんじゃねえかっ!! お前、クリスマスだぞ!? しかも、神が祝福してるとしか思えないような、ホワイトクリスマス! こんなロマンチックな舞台、使わずにいる方がむしろ神への冒涜――」
ぽかりとシノブがサブロウの後頭部を小突いた。
「うるさい。あんたはちょっと黙ってな。ご近所さんの目もあるんだからね」
「へーい」
しょげるサブロウを尻目に、シノブはシロウへ顔を戻した。
「ともかく、すぐに行ってあげな。雪もまた降って来たし、待たせたら冷えちまうよ。それから、時間あるようならうちに寄ってもらいな。何か温かいもの作っておくから」
「ん。わかった。じゃあ、ちょっと行ってくる」
「気をつけな。道路が滑りやすいからね」
「あーい」
背を向けたまま手を振って、さくさく歩いてゆくシロウの背中を見送る二人。それぞれに意味の違うため息をつく。
「はぁ……まさか俺の身近でこんな二次元ちっくなストロベリーが進行してるとはなぁ。恋人はサンタクロ〜ス♪ ならぬ、恋人は宇宙人〜♪ てか? まさに事実はゲームより奇なり」
「ったく、女心がわかんないとこはお前そっくりだねぇ」
「はい? なんでそこで俺?」
「あんたもそろそろ相手見つけなって話だよ。それはそうと、冷えてきたし家に入るよ。そうだね、お餅でも焼こうか」
踵を返したシノブの一言に、サブロウはにんまり頬を緩めてシロウが残したスコップをつかみ上げた。
「おー、いいね。ちょうど小腹が空いてたんだ。あー、そうそう。正月は帰れそうにないし、晩飯は雑煮がいいな」
「雑煮かい? ……材料あったかねぇ」
「てきとーでいいよ、それらしいので。仕事に片がついたら、改めて食べに来るからさ」
二本のスコップを玄関内の靴箱脇に立てかけ、体中の雪を払う。
シノブはとっとと台所へと行ってしまった。
そして、サブロウが居間に戻った時、電話が鳴った。
「かーちゃん、電話〜。どうする?」
「あー、あんた聞いといて」
「あいよー」
受話器を取り上げたサブロウは、コタツに足を突っ込みながら答えた。
「もしもし、オオクマです」
『あ、その声はシロウ兄ちゃん? ボクボク、ボクなんだけど! おさむっちーが――」
サブロウは顔をしかめた。若い子供の声。小学生くらいだろうか。
(シローを指名するってぇこたぁ、あいつの知り合いか? けど、いくらなんでも小学生って……高校生の彼女に小学生の友達って、あいつ、どこまで交友範囲広げてんだ?)
「……ええと、どちら様?」
『ボクだよ! シブタ・テツジ! テッちゃん! それより大変なんだよ! もうシロウ兄ちゃんしか頼る相手がいなくて! 助けてよ! お願い!』
かなり切羽詰った事態らしく、完全に舞い上がっている。
「あー、シブタさんちのテッちゃんか。……悪いけど、俺は」
状況を説明しようとするが、シブタ・テツジは耳を貸さず、続ける。
『おさむっちーが、【ゲーム病】にかかっちゃったみたいなんだ!』
「――なに?」
思わぬ単語に、サブロウの表情が硬張る。
『みんなでおさむっちーの家に集まってゲームしてたんだけどさ、急に倒れちゃって! 呼んでも揺らしても動かないんだ! 目も覚まさないし! で、おさむっちーのお母さんが救急車呼んだんだけど、この雪で動けないし、他にもたくさん【ゲーム病】が出てるらしくて、いつ来れるかわからないって! このままじゃおさむっちーが……お願い、シロウ兄ちゃん、助けて!!』
シブタ・テツジの言葉を黙って聞いていたサブロウは、彼が言い終えたのを見計らって口を開いた。
「わかった。テッちゃん。今から言うことをよく聞いて、その通りに出来るか?」
『う、うん』
「じゃあ、俺の話をきちんと最後まで聞いてくれ。……まず、俺はシローじゃない。サブロウだ」
『え? サブローにーちゃん? え? なんで?』
「いいから聞け。シローは今しがた用事があって出て行った。ついさっきだから、これから追いかけて事情を話して、そっちへ向かわせてやる。ここまでは理解できたか?」
『……うん』
「じゃあ、テッちゃんには二つのことをしてほしい。一つは、そのおさむっちーくんが使っていたゲームだ。彼が操作を終えたところで放置しているな?」
『うん。それどころじゃないし……』
「それでいい。じゃあ、誰にも触らせるな。電源も切らせるな。次に、その家から児童公園は近いか?」
内心、あまり相手に見せたくないような悪どい表情をしているな、と思いつつ聞く。
『うん。歩いて五分ぐらい』
「シローは今、そっちへ向かってる。だから、テッちゃんもそこへ向かえ。入り口で落ち合おう」
『うん、わかった』
「じゃあ、後でな」
通話を切って受話器を戻したサブロウは立ち上がって、弛んだ口元を引き締めてから台所に顔を出した。
「かーちゃん、聞こえた?」
「ああ、聞こえてたよ。遅くなりそうかい?」
餅を焼く網を暖めていたシノブは、ガスコンロを止めて振り返った。
サブロウは首を振る。
「わからない。けど、【ゲーム病】に関わる件なんで、とりあえず行って来るわ。遅くなりそうなら、昼飯作る時間前に連絡する」
「わかった。足元が悪いから、気をつけていくんだよ?」
「あいよー」
元気よく返事を返したサブロウは、玄関で長靴に足を突っ込み、飛び出すようにして出て行った。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「わー……すごーい。まっしろだー」
まだ半分寝ぼけ声で呟いたのは、チカヨシ・エミ。
レモンイエローのパジャマ姿で、掛け布団を外套のように身体に巻きつけたまま部屋の窓から外を見ている。
時間的にはもうすぐ昼に近い時刻。とはいえ、分厚い雪雲に覆われた灰色の空からは、日中であることぐらいしかわからない。
昨日、友人たちとメールのやり取りをしていて夜更かしをしてしまった身としてはまだ寝ていたかったのだが、外ではしゃぎ回る子供たちの甲高い声に邪魔されて、もそもそと起き上がってきたのだった。
二階にあるエミの自室の窓から見える景色は一面の白。家も庭も道路も歩道もマンションもポストも自動車も植え込みも生垣も公園も全て、白いふわふわに覆われてしまっている。
聞こえてくる子供たちの声は、公園で雪合戦や雪のオブジェを作って遊んでいる連中のものらしかった。雪合戦と言っても、てんでばらばらに雪玉をぶつけ合っているだけで、厳密なルールの決まったいわゆるスポーツ雪合戦ではない。
「子供は元気だねー……」
ぼーっと見ていると、藤棚の脇で立ったまま動かない人影があるのに気づいた。子供たちの親だろうか。
いや、改めてよく見てみると、ピンクのハーフコートに、白い毛織セーター、その下に襟付きのブラウス、膝下丈のスカートに白いストッキング。完全によそ行き(デート)仕様――の見知った服装に長い髪。距離はあるが、顔立ちも……。
「………………ユミ? ユミじゃん。なにしてんの、あんなとこで。このクソ寒いのに」
家に呼んでやろうかとデスクの上に手を伸ばして携帯を取り、アドレスを探す。
通話ボタンを押す直前、ふと公園の入り口に目をやった。向こうの通りから駆けて来るのは――シロウ。手が止まった。
「な〜んだ。シロウさんと待ち合わせかぁ。そっか、ホワイト・クリスマスだもんね。……お、ユミも気づいたかな?」
ニヤニヤしながら様子を見ていると、胸に紙袋らしきものを抱えているユミも、公園の外を走るシロウの姿を見つけたらしく、公園の入り口に身体を向けた。小さくぴょん、と飛び上がるようなその動きから、この距離でも、ユミのうきうき加減がわかる。
「うちの前で逢引とはいい度胸じゃ。ふっふっふ、あとでからかって進ぜ――って、あれ?」
異変が起きた。
シロウは一人ではなかった。少し遅れて、同じような背格好の男がついてきている。
二人が公園の入り口に着くと、道の反対側から三人の子供が駆け寄った。そして、何か話している。
「……………………? あれ、シブタさんちのテッちゃん?」
公園の中で待っているユミも、妙な空気を感じたのか首を傾げているようだ。
やがて、待ちかねたユミが歩き出すのに合わせたように、シロウたちは走り出した。公園には入らず、子供たちが来た方向へ。
「え? えええええ???? なになに? ちょっとシロウさん、ユミに会いに来たんじゃないの!?」
ユミはと見れば、急に走り去ったシロウに驚いた様子で、こちらも慌てて駆け出していた。
「ちょっと、これは一大事だわ!!」
叫んで掛け布団を跳ね除けたエミは、パジャマの上から黒いジャージ上下と赤いはんてんを着ながら玄関へ下りると、そのまま素足にブーツを履いて家を飛び出した。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
公園の入り口でシロウたちを出迎えたのは、テッちゃん(シブタ・テツジ)、ひろちゃん(ミヨシ・ヒロム)、てるぼん(ハラ・テルオ)。さらにユミが追いつき、ついでエミも合流した。
サブロウとシロウのそっくり具合やら数年ぶりの再会やらで一悶着ありそうだったものの、状況が状況だけにあっさり流し、七名は走りながら状況の確認と打ち合わせをした。
「……【ゲーム病】で子供が」
表情を曇らせるユミに対し、エミは叫ぶ。
「救急車は!? こういうときは救急車でしょ!?」
「無理だ」
答えるのは唯一の社会人、サブロウ。
「この雪だ。幹線道路は軒並み渋滞中だし、聞いた話じゃ【ゲーム病】発症者が大勢出てるらしいしな」
「うん。おさむっちーのお母さんが電話したけど、今すぐは難しいって」
補足するのはひろちゃん。
「でも、じゃあどうするの? あたしらが行って、何か出来るの? ……サブロー兄ちゃん、お医者さんじゃないでしょ?」
エミのその問いに答が返る前に、一向はおさむっちー(イトウ・オサム)の家に到着した。
玄関を開けると、出迎えたのはひがしっちー(イトウ・シンジ)だった。
「ひがしっちー、どう?」
テッちゃんの問い掛けに、予想外の大人数に目を丸くしていたひがしっちーは首を振る。
「だめだ。全然目を覚まさない。救急車もずっと話し中で――」
「――シンジくん? 救急車が来てくれたの?」
奥からいそいそと出てきたのは、顔色の青ざめきった女性――おさむっちーの母親。彼女は玄関にいる面々に怪訝そうな顔をした。
「……あの、どちら様? あいにく、今はちょっと立て込んでいまして――」
「知ってます。――お邪魔します」
サブロウはそれだけ言うと、許可も得ずにずかずかと家の中に上がり込んだ。
「え、ちょっと、あの……」
驚いて困惑しているおさむっちーの母親を尻目に、子供たちも次々と上がり込み、シロウも続く。ユミとエミも顔を見合わせたものの、その場のノリに便乗して、上がってしまう。
ひがしっちーの案内でリビングに入ったサブロウは、ソファに寝かせてあったおさむっちーの傍に片膝をついた。胸に耳を当て、心音を確認した後、頚動脈に指を当て、脈を診る。
遅れてリビングに入ってきた母親が、あなたなんですか、と問いかけようとするのを、子供たちは一斉に唇に指を当ててしーっとした。
その間に呼吸を確認、まぶたをひっくり返しなどして――サブロウは、立ち上がった。
「……ふむ。意識なし、か。シロウ、後は任せる」
(治しちまってもいいか?)
部外者が多い状況を考えて、シロウはテレパシーで問い返した。
サブロウは驚いた様子もなく思考で答えた。
(ああ。その場合は【ゲーム病】じゃなかったことにする。構わん、やれ)
いささかの躊躇もないその返事に、シロウは笑みを浮かべる。
(オッケー、任せろ。じゃあ、おさむっちーのかーちゃんだけ、この部屋から出してくれ。他の連中は知ってるからいい)
(心得た。……手早く済ませろよ)
二人で頷き合い、サブロウは母親を見た。
「お母さん、息子さんのことでお話があります。ちょっと部屋から出ていただけます?」
「はあ……それじゃ、廊下で」
いまだ困惑と疑念の払拭できない表情でリビングから出てゆく母親。
サブロウは手早くおさむっちーの携帯ゲーム機をつかみ、画面を見る。
「……うちのソフト……『大怪獣ファイト』か」
少し哀しげな面持ちで呟き、そのまま母親の後を追った。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
廊下に出たサブロウは、母親がリビング側を背にするように位置どった。
そして、まず頭を下げる。
「申し訳ありません、急にお邪魔して説明もなくこのようなことをしまして。わたくし――」
胸ポケットから名刺を取り出し、両手で差し出す。
「オオクマ・サブロウと申します。大阪のゲーム会社に勤務しておりまして。今、確認したのですが」
手にしていた携帯ゲーム機を示す。
「このゲームは当社の商品なんです」
受け取った名刺を眺めていた母親は、思い出したように頷いた。
「あの、オオクマさんって……ひょっとしてシロウ君の?」
「はい、兄です」
「あら〜……それはそれは。そうね、確かにそっくりですものね。シロウ君にはうちの子がいつも遊んでいただいているそうで。お世話になっています」
「いえ、こちらこそ。――いや、今はそれは置いといて、ですね」
「ええ、そうですわね。今はオサムのことですわね。さっきまでは全然元気だったんですのよ? それが、みんなで遊んでいる時に突然。どうなったのかと思って救急車呼んでも、道が混雑してて来れないって言うし、休日出勤したパパも駅で足止めされてて動けないらしくて。私、今日ぐらい家にいたらって言ったんですのよ? なのに、あの人ったら仕事がたまってるからって。本当に、こんな時にいないなんて……」
母親の愚痴は延々続きそうだったが、今はともかく時間を稼ぐべきだと考えて、サブロウはそのままうんうん頷いていた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
リビング。
おさむっちーに左手をかざし、白く輝かせるシロウ。
「これでおさむっちー、目が覚めるよね?」
テッちゃんの問い掛けに、シロウは答えない。その表情は曇っている。そして、ふと呟いた。
「……何だこりゃ」
「シロウ兄ちゃん?」
「これは……無理だ」
「え?」
治療を中断して立ち上がったシロウに、子供たちは顔を見合わせた。
そんな彼らに一言の説明もなく、シロウはリビングから出てゆく。ユミとエミもすぐにその後を追う。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
リビングの外では、まだ母親の愚痴が続いていた。
そこへ出てきたシロウに、サブロウは顔を輝かせる。
「お、シロウ。どうだった?」
サブロウとは対照的に不安そうな母親の顔を見たシロウは、一呼吸置いて答えた。
「……容態は安定してる。後で医者に診せる必要はあるだろうが、今すぐ慌てて手当てする必要はない。しばらくは自分の寝床に寝かせておけばいい」
「本当ですか?」
顔を輝かせる母親に、シロウは浮かぬ顔のまま一応頷く。
「ああ。身体的にはまったく問題ない。ただ、意識を失っているだけだ」
「ああ、よかった! ――おさむちゃん! おさむちゃん!」
リビングへ戻ってゆく母親。その背中を見送りながら、シロウはボソリと呟いた。
「――サブロー、おそらく【ゲーム病】だ」
シロウの発した言葉に、サブロウは顔をしかめた。
なぜそんなわかりきった答を今さら告げる必要があるのか。
数秒考えたサブロウの表情も曇った。
「無理だったのか?」
頷いたシロウは短く、すまん、とだけ答えた。
再びしばらく黙って考える。
「……となると、やはりこいつが切り札になるかもしれんな」
手の中の携帯ゲーム機に目を落とす。いまだにゲームのBGMが鳴り続けている。
「どういうことなの?」
いつの間にか集まってきたユミとエミ。
「シロウさんの力でも治せないって、どうしたんですか? そんなに大変な状況なんですか?」
シロウは一同の顔を見回して、頷いた。
「身体的には何の損傷もない。治す必要もない。妙な病原菌にやられてるわけでもない。ただ……意識体がない」
「イシキタイ?」
聞いたことのない言葉に、三人は交互に顔を見合わせる。
「知らないのか? 光の国ではウルトラ小学校で教えられる基本中の基本なんだが……ええと、地球人の概念で言うと……。思念体とか、精神体とか……霊魂ってのが近いのか? 身体感覚抜きで、自分を自分と認識する源のことだ。知的生命体には、概ね存在する。それが、今あいつの中に見当たらない。空っぽだ。だから、目覚めない」
「あ、なるほど」
シロウの説明を聞いていたサブロウは、ようやく腑に落ちた表情で手槌を打った。
「それで被害者はみんな、身体には何の問題もないのに、意識だけが戻らない植物状態になってるのか。はっはぁ、魂が抜けてるとは、流石に現代科学では気づかない――って、そんなわけあるかー!!」
強烈な突っ込みの手を、シロウは腕の背で受け止めた。
「うちのゲームしてて魂が抜けましたなんて、比喩ならともかく現実にあってたまるかー!! 何だその超絶プログラム!? ありえねーだろ!? うちのプログラマ陣は魔法使いか邪神の神官かなにかか!? しかもお前、【ゲーム病】は他社の商品でも起きてんだぞ!? ゲームのプログラマはみんな怪しい能力者だっつーのか!? そりゃまあ確かに魔法使いと呼ばれてもおかしくないプログラムを組む奴もいるが、それはあくまでもののたとえであって――」
「まあまあ、サブロウ兄ちゃん。落ち着いて落ち着いて」
興奮のあまり我を忘れかかっているサブロウを、エミがなだめる。
その間にユミがシロウに聞いた。
「でも、わたしも疑問です。ゲームのプログラムで魂が抜けるなんて……」
「いや、待て待て。俺にわかるのは、おさむっちーの中に意識体がないってことだけだ。それがゲームとやらのせいかどうかまではわからねえ」
三人の動きが止まった。
「おいおい。なんだよ、ゲームのせいだと言い出したのはサブローだぞ。俺じゃない」
「あ、そういやそうだね」
エミとユミの視線を感じて、サブロウは目をそらす。
「ともかく、おさむっちーの意識体はここにはない。一応周囲を視てみたが、この辺りに漂っているということもないようだ。……まあ、それなら俺の治癒の力に反応して引き戻されるはずだしな」
「どういうことですか?」
「意識体は身体に宿るものだ。おのれをおのれと意識した後、おのれの境界を定めるために身体感覚が必要になるからな。だから、身体から意識体が離れている状態は異常なんだ。光の国の常識では、治療の対象となる状態だ」
「けど、その異常は解消されなかった」
ユミの言葉に、シロウは頷く。
そこで、サブロウが口を挟んだ。
「じゃあ、どういうことだ? おさむっちーくんの魂は、もう消えてなくなっちまったということか?」
「その可能性もないわけじゃないが……身体が無事にもかかわらず、意識体が引き離された状況が続く場合、その理由は二つだけだ」
「それは?」
「戻って来たくないか、戻って来られないか」
「どうしたらわかる?」
「本人に聞くしかない」
「……う〜ん………………」
再び考え込んでしまうサブロウ。
「シロウの見立てではどうなの?」
エミの問いに、シロウは首を振る。
「わかりません。ただ……昨日、サブローがかーちゃんと話してたこととか、ユミが話していたことから考えて、ゲームってのが一つの鍵になっていることは確かだと思うんですが……なにが起きたかまでは」
「ねえ。もしかして、抜けた魂は――」
エミの視線が、サブロウの手の中にある携帯ゲームに落ちる。つられて、全員の目がそれを見た。
「ゲーム機の中……? エミちゃん、それはさすがに」
「そんなバカな……」
即座にシロウは首を振った。
「いや、そこにはいない。今見たが、なにかの意識体は宿ってない」
ほっとしたような、残念なような表情を浮かべる三人。
「ともかく、後はもうこいつの中身を覗いてみるしかないな」
「え、でも……」
「今、シロウさんがいないって……」
「魂を身体から引き剥がしたシステムやプログラムはまだ動いてるかもしれない。もしくは、その痕跡とかな。そういうのは、見てわかるのか? シロー」
首を振るシロウ。
「全然わからん。……何か、異常な空間震動とか力場が形成されていれば、感じられはするが……そもそも、何が異常かがわからん。地球のゲームとやらのことはまったくわからんしな」
「ふむ。なら、ここから先は俺の仕事だな。うちの機材を使って、この状態のまま中を覗く」
言いながら、サブロウは携帯電話を取り出した。話をしながらアドレスを探して、通話ボタンを押す。呼び出しの間も話を続ける。
「それでおさむっちーくんの魂の行き先がわかればいいし、そうでなくとも魂が身体から離れてしまう現象の原因がわかれば、それも大きな進歩――おう、マグチか。休みのところ悪いんだけどな、昨日言ってたできたてほやほやのが手に入ったんだよ。んで、今すぐ機材を使いたいんだわ。対策班室の鍵、お前持ってんだろ? 開けられるか? ……無理? ああ、雪のせいか? え? 休日がダメ? なんで? セキュリティ? 切っちまえそんなもん! ……ああ、管理会社の方でか。そら無理だな。そっか……」
やがて、深いため息とともに通話を終了したサブロウは、シロウを見た。
「なあシロー、うちにパソコンなんて……」
「ない」
「だよなー」
「あ、はいはーい。パソコンなら」
エミが手を上げた。
「うちならあるよ? お父さんのだけど」
「……スペックは?」
「なにそれ?」
「ええと……ノートパソコン?」
「うん」
「……いつ買った?」
「えっとね……確か、私が中学入学する前だから……5〜6年前?」
「ちょ〜っと難しいかな、それは。もっと新しめのやつでないと」
「ねえ……エミちゃん、だったらヤマグチさんのところは?」
「ああ。そういえば、新しいの買ったって言ってたよね。この間」
サブロウは怪訝な表情をした。
「ヤマグチって……ひょっとしてカズヤんちか?」
「そうよ、サブロウ兄ちゃん。知ってんの?」
「まあ、ご近所さんだし、むしろエミちゃんより年が近いし、男同士だしな。あいつとは、まぁ……色々マニアックな話で盛り上がってたんだよ。ウルトラマンとか、格闘技の話とか。俺と違って物知りだからな、あいつ。俺が専門学校へ入った時に、あいつ中学生くらいだったっけな。……そうか、あいつパソコンやってんのか。――おい、シロー」
「なんだ?」
「お前、カズヤん家は知ってるか?」
「ああ。知ってる」
「なら、お前は一旦家に帰って、俺のバッグを持って来てくれ。かーちゃんに聞けば、どれかわかるはずだ。いいか、そいつは俺の飯のネタだ。マジで命より大事なものだ。くれぐれも手荒に扱うなよ?」
「わかった」
頷くなり、シロウは玄関に向かう。
「にーちゃんたち、どっか行くの?」
シロウと入れ替わるようにリビングから小学生が四人、ぞろぞろと出てきた。
「おさむっちーのママがもう帰りなさいって」
「でも、このまま帰るのもあれだし……」
「何かお手伝い、させてください。雑用でも何でもやります」
次々に訴える幼い瞳に、女子高校生二人は顔を見合わせ、苦笑しあった。
「気持ちは嬉しいけど――」
「ここは、大人の人たちに任せて――」
「……お前ら、マジで命を懸ける気概はあるか!」
「は?」
いきなり腕を組んだサブロウの一声に、小学生たちは顔を見合わせた後、背筋をしゃんと伸ばした。
「あ……あります!」
「おさむっちーを助けるためなら!」
「シロウ兄ちゃんもいるし!」
「がんばります!」
次々に口走る少年たち。
女子高生は目が点になっている。
「……………………ええーと」
「エミちゃん、これ、まずいノリじゃ……」
二人の杞憂など眼中にもいれず、サブロウは力強く頷いた。
「いいな。お前たちの覚悟、友を思う気持ち、確かに受け取った! なら、ついて来い」
「エミちゃん、こんなの止めた方が――」
「――サブロウ兄ちゃん! あたしも行く!」
諸手を挙げて参加表明をしたエミに、ユミはがっくり肩を落とした。
「そうだよねー。エミちゃん、こういうノリ大好きだもんねー。あははははは……はぁ〜」
「義を見てせざるは何とやらだよ、ユミ!」
「エミちゃんもか? ……そうだな、カズヤんちは久しぶりだしな。急に行ってパソコン貸せというのも礼儀的になんだし、顔馴染みなら口添えしてくれると助かる」
「まーかせて! 嫌でもうんって言わせてみせる!」
「エミちゃん、そこは引こうよ」
「では、全員ヤマグチ家へ行くぞ!!」
「「「「「「おおーっっ!!」」」」」」
「……おー……」
勢いよく六つの拳が、そして控えめに一つの拳が突き上がった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「――というわけでやってきたぞ、カズヤ!」
「なにが?」
ヤマグチ家の玄関で一行を出迎えたヤマグチ・カズヤは不審の目を向けていた。
数年ぶりに顔を合わせたサブロウだけでなく、エミとユミ、さらには小学生が四人。どういう目的で集まった集団なのか、想像だに出来ない。それに、やたらニコニコしているのが気味悪い。
「久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
サブロウの挨拶に、ヤマグチ・カズヤはジト目で応える。
「ほんと、久しぶりですね。それはいいんですけど……なんです、このメンバー? 何しにきたんです? こんな雪の日に。……だいぶ前に社会人になったと聞いてたんですけど、相変わらずガキ大将やってんですか?」
「カズヤ、単刀直入に言うぜ。お前のパソコンを貸してk」
「えぇっ!? サブロウ兄ちゃん、あたしの口添えは!?」
「――お断りします」
イナズマのごとき即答に、サブロウはきょとんとした。
「今、年明け提出のレポートやってるんです。人に貸してる暇も、それに付き合わされる暇もありません。どうぞお帰り下さい」
「ヤマグチさん、お願いします。人の命が懸かってるかもしれないんです」
ユミが深々と頭を下げる。後方に待機していた小学生四人も前屈運動か、というぐらい頭を下げた。
「……なんでぼくのパソコンが人の命に関わるのさ」
「【ゲーム病】って知ってるか、カズヤ」
サブロウの言葉に、カズヤはむっと顔をしかめた。
「知ってますよ。それぐらい。バカにしないで下さい」
「俺がゲーム会社に勤務していることも知ってるか」
「ええ。一応、サブロウにー……おほん、サブロウさんが入った後に発売してるソフトは全部買ってますよ。幾つかスタッフロールで名前も見つけたし」
「弊社の商品お買い上げ、誠にありがとうございます」
「いやそんな」
ぺこりと頭を下げるサブロウに、カズヤも照れくさそうにはにかむ。
「それはともかく、実は俺は今、社の【ゲーム病】対策班長をしている。こいつらの――」
顎でしゃくって小学生四人組を示す。
「友だちがついさっき【ゲーム病】にかかって意識を失っちまった。そんで、そいつが直前まで遊んでいたのが、これだ」
いまだ音楽の鳴り止まぬ携帯ゲーム機を示す。
「こいつの中を見たいんだが――」
「中って……ひょっとして、メモリーの中ってことですか?」
「そうだ。だが、あいにく今日、うちの会社が借りてる部屋は出入りが出来ない。幸い、必要な機材だけは家に持って帰ってきてるから、シロウに取りに行かせたんだが……それを働かせるパソコンがない。そこで、この二人にお前が新しいパソコンを買ったと聞いて、スペックが合うようなら使わせてもらいたいと思って来た。頼む」
深々と頭を下げるサブロウの姿に、話の最中に上げていた頭を再び下げる小学生たち。一斉にお願いします、と声を合わせる。高校生たちも頭を下げる。
「やれやれ」
カズヤは深い溜息をついた。
「最初からそう説明してくださいよ。『――というわけでやってきたぞ!』とか『単刀直入に言うぜ。お前のパソコンを貸せ』なんて、昔のノリで言うから、遊びに来たのかと思ったじゃないですか。そういう事情ならわかりました。お手伝いします。ボクもちょっと興味が湧いてきましたし。メモリーの中を覗くとか。でも、その前に……ちょっと」
カズヤは手招きをしてサブロウを招き寄せた。
「なんだ?」
怪訝そうに顔を寄せて来たサブロウに、カズヤは並べるようにして顔を寄せる。
(ボクも健康的な成年男子ですんで、ハードディスクの中身には、まあそれなりのものがありまして。外付けのは外しておきますが、いくつかはCドライブに……そのへんの詮索は一切無しということで一つ)
(うむ。俺も男だ。そこはよ〜〜〜〜〜くわかる。女子高生に小学生もいるしな。キーボードを触るのは俺だけだ)
(わかりました、くれぐれもよろしく)
二人は男同士の視線を交わして、にまと笑い合った。