ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第12話 とらわれし者たちの楽園 その2
マグチがお茶を運んでくると、オオクマはボストンバッグに荷物を詰め込んでいた。
「オオクマさん? なにしてんですか?」
「おう、完全に煮詰まったからな。やめたやめた。今日はもう終わりだ」
一日の授業が終わった小学生のような、晴れやかな顔で言うプロジェクト・マネージャー。
マグチはたちまち顔をしかめた。
「はあ? ……いや、何を言ってるんです。まだ4時ですよ? 終業時間だってまだだし、そもそも今日は終電まで働けって上から――」
「クリスマス・イブに終電まで仕事? お前、鬼か」
「いや、鬼かじゃなくてサラリーマンです。被害者の原因究明は一刻を争うわけですし……」
「終電まで仕事したら原因が見つかるのかよ?」
子供のような反論に、マグチはむっとする。
「それは……やってみないとわからないでしょう?」
「そう言われて先週も先々週も休み返上で働かせたのにか? もういいだろ。みんな疲れてる」
「……それで、うちのゲームのせいで昏睡状態になったと思ってる被害者家族を納得させられるとでも?」
「ばーか」
機材やらなんやらボストンバッグに詰め込んだオオクマは、それを肩に担いだ。
「納得させるのは結果だ。過程じゃねえよ。結果が出そうにないんだから、ここで一旦リフレッシュすんだよ。第一、家族がいるのはこっちの社員も同じだ。彼氏彼女と約束してたやつだっているだろうよ。なにせ、特別な日だからな、今日は。お前の言う被害者家族ってのは、そういうのを全部踏みにじって働けって言えるほどエライのかよ? そう言ってんのかよ?」
「それは問題発言ですよ」
「どこかだよ。俺はお前に注意してんだぞ? 勝手に被害者家族の代弁をするなつってんだよ。役人かお前は」
オオクマはマグチを指差した。
「いいか、万が一【ゲーム病】とうちのゲームの因果関係が判明してるなら、休日返上、終電上等でやってやるし、やらせるよ。実際、状況は因果関係なんて疑わしいばっかりだけどな。大体、お前が言ったんじゃねえか。厚生労働省のアホ役人が、運用改めろって言ってるとか。その通りにしてやったんだ、文句ねえだろ。もし苦情が来たら、そっちに回しちまえ」
「そんな都合のいい。……さっきまで思いっきり文句言ってたくせに」
「うるせえ。ともかく、今ここを任されてんのは対策班長の俺で、俺が今日はもう終わりって決めたんだ。その件で後々問題になっても、お前に身代わりなんか頼みやしねえよ。いいか、これは俺の命令だ。今日は終わり。終了。退勤。帰宅。休息。解散。さあ、お前もとっとと帰れ。俺も帰る」
追い払うようにしっしと手を振ったオオクマは、そのまま退室する――と思いきや、すぐに上半身だけを戻してきた。
「ああそうだ。俺、今日はホテルじゃなくて実家の方へ帰るからな。もしホテルの方、使いたかったら使っていいぞ。休み明けまで戻らねえし」
「はあ」
手をひらひらさせて出てゆくオオクマの背中を、黙って見送るマグチ。
オオクマはそのまま隣の大部屋の扉を開けて、今日はもう業務終了だ、帰れ帰れとデバッグチームに告げている。
「――おらおら、奥さんと子どもと彼氏彼女が待ってんぞー、今日だけは遅刻すんなよ! ははははは」
一応ここの現場指揮者であるオオクマの口から業務終了がみんなに伝えられたのでは、あとその命令を覆せるのは東京ではもう営業所所長ぐらいしかいない。
報告して判断を仰ぐか、と携帯を取り出す。
(……………………)
アドレス帳から電話番号を選択している間に、デバッグチームの連中がぞろぞろと廊下に出てきた。
ふとその雰囲気に吸い寄せられるように見やると、皆嬉しそうにオオクマに礼を言っている。オオクマは何かバカなことを言って、馬鹿笑いをし、なぜかジングルベルを歌いだした。デバッグチームも唱和を始める。
(脳天気というか、なんと言うか……)
「ま、いいや」
今から連絡を入れて取り消させても、その間に帰途についた全員を戻すのはまず無理だ。
ぱくん、と携帯を閉じたマグチは、せっかくお茶を淹れてきた湯飲みを取った。
「会議から帰ってきたら、もうみんな帰ってたことにしとこう」
湯飲みを一煽りして茶を飲み干すと、そのまま部屋の電灯を落として退出する。
扉が閉じられ、ややあって鍵が掛けられた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
東京P地区・オオクマ家。午後6時過ぎ。
辺りはとっぷり暮れなずみ、白い街灯の光があちこちで仄かに輝いている。
エミとユミをそれぞれの家に送り届けて帰ってきたシロウは、いつものとおり玄関を開けると元気よく叫んだ。
「かーちゃん、ただいまー! ……って、なんだこの靴?」
今日出がけには見なかった革靴が一足、並んでいる。
台所から届くおかえりーというシノブの声を聞きながら、居間へ向かう。台所に入ると、シノブは夕食の用意をしていた。おなじみの味噌汁と炊飯ジャーから出る甘い蒸気の香り、それに何か焼いたらしい香ばしい臭いが充満している。
「かーちゃん、玄関に見慣れない靴があったけど――」
「ああ、あれは――」
シノブの言葉を聞きながら居間に踏み入れると、誰かいた。
男が一人、ちゃぶ台についてテレビを見ている。見知らぬ顔ではなかった。毎朝鏡の中で見ている。
「よぉ、おかえり」
気安く片手を上げてはにかむ男の顔は――
「……俺?」
「サブロウだよ」
立ち尽くしていたシロウの後ろから、シノブが答えた。
振り返ると、湯気の立つ味噌汁の入ったお椀をお盆に載せて運んでいる。ごく自然に、シロウはそれを受け取っていた。
「サブローって、三番目の?」
「他には知らないねぇ」
笑いながら戻って、今度は炊飯ジャーを開ける。
シロウは少しだけ小首を傾げて、味噌汁をちゃぶ台に運んだ。
サブロウはシロウからお椀を受けて、それぞれの場所に置く。
「お前がシロウか。ジロー兄ちゃんから色々聞いてるぜ。正体とか、やらかした話とか。はっはぁ、しかしまあ、なるほど。こりゃまたそっくりに化けたもんだなぁ」
不快そうな響きはまったくない。心底楽しんでいる風情だ。
シロウはお盆を手に持ったまま、訝しげにサブロウを見やる。
「……変な奴だな。自分の姿を生き写しにされて、なんでそんな」
「かっかっか。ちーせえこと言うなよ。考えてもみろ、外見だけ化けたってンなら問題はねえ。人間、大事なのは中身だからな。中身まで化けたってンなら、それはそれでいいことじゃねえか。そいつは絶対悪の道に転んだりはしねえ。何しろ、俺なんだからな」
「は〜ん……。いや、正直、他の二人と違って、その姿を止めろと言われるかと思ってた」
「ばーか」
サブロウはシロウの額を軽くはたいた。
「宇宙から来た奴が、わざわざ俺に化けてくれてんだぜ? 地球人は60億もいるのに、よりによって俺。っかー! 光栄な話じゃねえか。ええ? しかも、俺のリアル弟。この年でまさかお兄ちゃんになれるとは思ってなかったぜ。まー、世間様の流行り的には妹の方がいいのかも知らんが。なんにせよ、世の中なにが起こるかわからん、面白い!」
シロウはその笑顔に、ジロウの面影を見た。彼も初めて会った時、同じことを言っていた。まったく世の中、何がどう転んで上手くいくかわからん、と。なるほど、確かに兄弟らしい。
「ふふ、この子は末っ子だからね。お兄ちゃんてもんに憧れてたのさ。それにしたって、その喜びよう、まだまだ子供だねぇ」
楽しそうに笑うシノブが、別のお盆にご飯をよそったお椀を載せてやってきた。それもシロウが受けてサブロウに渡し、サブロウが配膳する。その間にシノブは再び台所へと戻っていた。
「シロウ、急須とポットとそっちへ持ってって。おかずはあたしが運ぶよ」
「はーい」
「湯飲み出しとくぜー。あと、お茶っぱもここでいいんだよなー?」
シロウが言われたとおりにしている間に、居間の水引きからサブロウが三人分の湯飲みとお茶っぱの入った缶を取り出して、ちゃぶ台に並べる。
「かーちゃん、お箸は〜?」
「ああ、持ってくよ」
「シロー、お前が持って来いよ」
「無茶言うな。両手が塞がってる」
居間に戻って来たシロウは、言葉どおり片手にポット、片手に急須を提げていた。三人分の箸を持てる余裕はない。
「ばっか、お前、そこはサイコキネシスとかでふよふよと。できんだろ?」
「普段使うとかーちゃんが怒るんだよ。横着すんなって」
「そうだよ。若いうちから横着覚えたらろくなことにはならないからね」
シロウの後から、おかずの皿を載せたお盆を持ってシノブが戻って来た。お盆の上に三人分の箸が載っている。
「だーかーらー、俺は地球人の誰より年上なんだって」
ちゃぶ台の上にポットを置き、お茶っぱを急須に入れる。
「そのわりに精神年齢は低そうだけどな」
シノブからお皿を受け取り、配膳しながらにしし、と笑うサブロウ。
シロウはむっとした表情ですぐ言い返した。
「中身一緒なら、サブローだって低いってことだろうが」
「外見だけだろ? 化けたのは」
「そうだと断言した覚えはないぜ?」
「だとしても、俺はいいのさ」
「なんでだよ」
「自覚してるもんよ。兄弟三人の中じゃ、俺が一番出来が悪いしな」
シノブは少し眉をひそめたが、結局何も口を挟まずに配膳を続ける。
「それに、低くて悪いってこともねえだろ。頭がガキでも、ハートが漢ならそれで十分。見ろ、かーちゃんの作ったご飯」
「毎日見てるよ」
ちゃぶ台の上に夕食が揃ったのを確認して、シロウは席につく。
シノブは再び台所へと戻ってゆく。
サブロウはどや顔で笑みを浮かべながら、急須にお茶っぱを入れ、ポットのお湯を注ぐ。
「いやー、大阪で色々美味い飯も食ったけど、やっぱりかーちゃんの味が一番安心する。ハートが違うんだ、ハートが」
「まるで飯だけ食いに帰ってきたような物言いだね」
苦笑しながら台所からやってきたシノブは、お盆に仏壇へのお供えを載せていた。
「そうだよ? 仕事が完全に行き詰っちゃってさぁ。そしたら、な〜んか無性にかーちゃんの味噌汁が飲みたくなっちゃって」
「やれやれ、それならそれで帰ってくる前に電話ぐらい入れな。お米を炊く前だったから良かったようなものの」
仏壇にご飯を供え、水の入った湯飲みを置いて手を合わせる。
「かーちゃんの飯作る時間ぐらい覚えてるよ。ばっちりな上に、驚いたろ?」
「まったくこの子はいつまで経っても……父ちゃんも笑ってるよ、ほんとに」
呆れた溜息をついて仏壇の遺影に微笑みかけ、ちゃぶ台につく。
「とーちゃんなら頷いてるさ。しんどい時は、かーちゃんの味噌汁が一番だって。――な、とーちゃん」
サブロウも仏壇の遺影ににっこり微笑みかけ、箸を手に持つ。それを両手の親指に渡したまま、両手を合わせた。
「それじゃ、一家全員用意が揃ったところで……いただきます!!」
シノブとシロウがいただきます、と言って手を合わせている間に、サブロウの口には味噌汁のお椀があてがわれていた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
ややあって、ご飯を掻き込んでいたサブロウの食事ペースが落ちてきた頃。
ふと、シノブは聞いた。
「――サブロウ。仕事、うまく行ってないのかい?」
「ん〜」
口をもぐもぐ動かしながら、ちらっと天井を見上げる。飲み込むのを待っているのか、言葉を選んでいるのか。
やがて、口の中の物を飲み込んだサブロウは、お茶を一口飲んでから答えた。
「……うまく行ってないといえば行ってないなぁ」
「あんたの職場のことは全然わからないからね。大阪は遠いし。もし、辛いんなら――」
「あー、そういうのじゃないから大丈夫」
即座に答えて、にまっと笑う。
「って言うか、そういうので参ったりしないから、俺。今困ってるのは、【ゲーム病】の件でさ」
「【ゲーム病】って……ああ、そうそう。近所の奥さんたちにも聞かれてるのよ、大丈夫なのかって。あんたがゲーム会社行ってるの知ってるし、聞いといてくれって言われててさ」
「ごめん、それはわかんない」
味噌汁をひとすすり。
蚊帳の外のシロウは、黙々と夕食を平らげている。
「わかんないって……あんた、専門家でしょ?」
「うん。まあ、うちの売ってるゲームでも被害者が出たんで、原因調べるための特別チームが出来てさ。俺、その指揮のために東京へ出張させられたんだけど、もう一月ぐらい経つのに、ま〜だ全然原因がわからんのよ。他のゲーム会社やお医者さん、学者の先生に役人、大学なんかでもそれぞれに調べてるけど、まだ謎」
「じゃあ、なんて答えたらいいんだい?」
「『一生懸命調べてますけど、まだわかってないみたいです』でいいよ。ちなみに、ゲームのせいで脳みそが縮んだり、何か変化が起きてるって話は、でまかせだから」
「え? そうなのかい? テレビとか、週刊誌とかでもエラい学者さんが……」
「やっぱり耳に入ってたか。……あー、あれ全然えらくないから。本当にえらい学者は原因究明のためにずーっと研究続けてる。あいつらが言ってるようなことは、起きてないよ。あいつら、患者の脳の映像すら見てないんだぜ? 思いつきで言ってるだけ」
「なんでそんなこと」
「注目浴びたいんでしょ。……かーちゃん、俺が中学校から高校の頃にさ、拾ってきたエロ本隠してたの、勝手に捨てたの覚えてる? それも何度か」
湯飲みに口を当てかけていたシノブは、思わず噴き出した。まだ口の中に何も入れてなかったので、正面にいたシロウは被害をこうむらなかったが、シノブはサブロウを奇異なものでも見る目で見た。
「なに言い出すんだい、いきなり。食事時に」
「俺、中学・高校と色々やんちゃして、そのたびかーちゃんに怒られてたけどさ。女の子に手を上げるのはもちろん、いたずらしたりはしなかったよな。ほら、年離れてたけど、チカヨシさんちのエミちゃんよく遊びに来てたじゃん」
「そんなことしてたら、今頃あんたはこの家にいません」
「それって、かーちゃんがエロ本捨ててたからだと思う?」
「そんなわけないでしょ」
「あのエロ本捨てられてなかったら、俺、エミちゃんにいたずらしたと思う?」
ドン、とシノブの拳がちゃぶ台を叩いた。
シロウが驚きのあまり目を点にする。
シノブは明らかに怒っていた。
「思いません! そんなの関係なしに、オオクマ家の男はそういうことをしないように、お父さんと二人でちゃ〜んと育ててきました! あれは、まだお前には早いと思ったからで、今そんなのを持ってても捨てたりしません!」
「だけど、世の中にはそう思う連中もいるわけ。性犯罪者はエロ本好きってね。エロ本見て、我慢できなくなって犯罪に走ったって。でも、知ってる? 性犯罪者の両親で、性交渉をしたことのない人はいないんだぜ?」
「……は? え?」
混乱しているシノブに代わり、シロウが答える。
「なにを当たり前の話してるんだ。地球人も生物である以上、そうでなきゃ子供は作れないんじゃないのか?」
「そのとおり」
箸でシロウを指差したサブロウの手を、シノブがはたく。
「これ、箸で人を指さない」
「あ、はい。……もしくは、性犯罪者の中で、それまでたったの一度も食事を口にしたことのない人はいない、とか。性犯罪に走らなかった全ての人は、性犯罪を犯したことがない、とか」
「言ってる意味がわからん。というか、わざわざ言う意味がわからん」
「……あたしもわからないよ」
「要するに、まあ、理屈なんてそういう風にいくらでもこねられるもんってことでさ。件の『ゲーム脳』だとか言ってる学者もその口ってこと。根拠もないのに言ってるか、適当に都合のいいデータをでっち上げてるだけ。それが、テレビやマスコミを通すと、なぜかみんな信じるんだよ」
「つまり……その学者は道理を知らないキ○ガイってことでいいのかね?」
シノブが出したあまりに辛らつな結論に、サブロウも苦笑いを浮かべるしかない。
「そこまで言う気はなかったんだけど――まあ、間違ってないと思う」
「でも、そんなのがあんなに色々言ってたら、あんたのそのお仕事もやりにくいんじゃないのかい?」
「いやぁ大丈夫大丈夫。クレーム処理は営業所の方でやってるし、俺達のは原因究明のための技術的な検証の方だから――ってわからんか。ええと、俺自身の仕事はコンピューターのプログラムとかが相手だから、あいつらのでまかせでどうこうってことはないよ。ただ、それとは全く別に、解決するまでどれくらいかかるか、まだまだ見通しが立たないんだけどね」
「……そんなときに帰ってきちまってよかったのかい?」
「もう一ヶ月、ほとんど休みなしだったしね。ここらで俺が先頭立って休まないと、部下が帰れなくてさ。クリスマスぐらい、家に帰してやらないと家族の人らにも悪いし。……みんな仕事熱心で律儀なのがありがたいやら、可哀想やら。ま、明日は休日だし、ゆっくり休んで月曜からまたバリバリがんばる――」
「お前は優しいねぇ」
シノブの手が、サブロウの頭を撫でた。いとおしげにゆっくりと。
「それに、大人になった。立派になったよ」
サブロウは箸を置いて、なでられるに任せている。嬉しそうに微笑んで。
「うん、多分――」
視線が仏壇に走る。
「父ちゃんだってそうしたはずだと思ってさ。かーちゃんも、クリスマス・イブの日にはいつも早めに帰ってきてたしね」
「……お帰り、サブロウ。大人になったお前が一番のクリスマス・プレゼントだよ」
「へへ、改めて褒められると照れるなぁ。うん、やっぱり帰ってきてよかった」
にやけるサブロウと慈しみを込めた眼差しで頷くシノブ。
その様子を見ながら、シロウは何か胸の内がくすぐったいような感覚を味わっていた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
食後。
サブロウは居間の縁側に出てタバコを一服していた。
シノブは台所で洗い物をしている。シロウはテレビを見ていた。
辺りはもう真っ暗。
しばらくふかしていたサブロウは、ふと携帯を取り出した。じーっと画面を眺める。何度か電話が入っていた。
アドレスを呼び出して、通話ボタンを押す。何度かの呼び出し音の後、相手――マグチが出た。
『……はい、マグチです』
「おー、オレオレ。メリー・クリスマース。家帰ったかー?」
『オオクマさん? ……ええ、おかげさまで。今ちょうどお風呂から上がったところです』
「お、そりゃ彼女に悪いことしたなぁ」
『ち、違います! 実家ですよ! ホテルにも今日は帰らないって連絡しておきましたからね! ――あ、それから! 所長が切れてましたよ? なんで定時に誰もいないんだって。オオクマさんにも連絡つかないし』
「なんて言った?」
『……会議から帰ってきたらもう誰もいなかったって』
「了解了解。うん、お前に関してはそういうことにしとく。んで、所長はもう放っとけ。しっかし、あのハゲ親父に何でばれたんだ?」
『さあ……迂闊なこと聞くと僕にも火の粉が飛びそうだったんで聞いてませんけど……どうせ、あれじゃないですか? 進捗状況を聞いて、成果無しなら終電まで残ってやれって改めて命じようとしたんじゃないですか?』
「あー……ありうるな。大事なとこにはとんズラするくせに、こういう時だけ鼻が利きやがる。あいつ、パワハラだけが仕事だとか思ってるんじゃないか? ……まあいいや。この後もなんか言って来たら全部俺に回していいぜ」
『それはないと思いますよ? さっき電話したら、営業所の方はもう留守電になってましたし』
「ひっでー、自分は定時上がりかよ」
『……………………』
「なんだ、どした?」
『いえ……黙ってましたけど、オオクマさんが来られてからも、あの人……って言うか、営業所側はずっと定時上がりなんですよ』
「はあ!? マジで!?」
『うちの苦情相談窓口、18時まででしょ? 18時以降はいる意味ないからって』
「え? けど、お前こっちに来てたじゃん。20時22時は当たり前、何度か終電逃して会議室で寝てなかったか?」
『いやまあ、僕はそっちの人間扱いにされてますので。タイムレコーダーも定時で押されてるみたいです』
「……あんのじじい、一度本社に通報してとっちめてやらんといかんな」
『僕のことは気にしないで下さい。元々プログラマーあがりですし、営業所にいるより対策班にいる方が、いろいろと勉強にもなりますので。役所に顔を出して、他所の会社との繋がりが出来たのもオオクマさんのおかげですし』
「悪いな、本当なら俺がやる仕事なのに」
『だからいいですって。それより、そんな話のために電話を?』
「あ、いや。……ああ。まあ、そうだ。所長から電話が入ってたからよ。先にお前に話を聞いておいた方がいいかな、と思って」
『そうですか。……あ』
「? どした?」
『テレビ見てます?』
「いや、縁側に出てタバコ吸ってる」
話をしている間に、左手の指に挟んでいたタバコは半分ぐらいまで灰になっていた。
『天気予報で、今夜は冷え込むそうです。関東各地でも雪が降るって。ホワイト・クリスマスですね』
「そうか。……そういや、風呂上りだったな。湯冷めすんなよ?」
『そちらこそ。僕がダウンしても問題はありませんが、あなたが倒れたら対策班は稼動効率半分くらいに落ちますからね』
「了解了解。俺の方は風呂はこれからなんでな。あったかくして寝るよ。そんじゃ、おやすみ〜」
『はい。おやすみなさい』
通話が終わり、携帯をポケットへ戻す。
ちびたタバコをくわえて真っ暗な夜空を見上げた。なるほど、星一つ見えないのは厚い雪雲のせいか。
「……稼動効率100%でも、解けない謎は解けません、てか」
吐き出す口から漂うのはタバコの煙か、白いため息か。
「ま、今ここで悩んでも解決はせんわな。今は頭空っぽにして――」
「――もう電話はいいのか」
からからとサッシを開けて、シロウが縁側に出てきた。
「あ? ああ。なんか用か?」
「いや……困ってることがあるんなら、手伝おうか?」
サブロウはタバコを挟んだ手を止めた。探る眼差しで、シロウを見やる。
「それは……ウルトラマンの力を使って、ということか?」
「嫌か?」
「ん〜……」
タバコをくわえたまま、腕組みをして仰け反るようにして夜空を見上げるサブロウ。
10秒ほどもその状態を続けた挙句、身体を戻して首を振った。
「――〜〜〜ん、やっぱやめとくわ」
「えらく迷ったな。ジローなら即座に返答するんだが」
「ジロー兄ちゃんは頭がいいからな。俺はいいとこギリギリ普通ぐらいだから、悩むとこは悩むさ」
苦笑したサブロウは、あぐらに組んだ膝を一打ちした。
「ま、お前の申し出はすんげー嬉しいんだけど、これは地球人の問題だからな。地球人のやり方で乗り越えなきゃいかんだろ」
「大勢の命がかかってるんじゃないのか?」
「被害者はみんな植物状態だから、今日明日で死ぬわけじゃないが……まあ、長く見ればそうだな」
「言っとくが、地球人のためじゃない。兄貴が困ってるみたいだから助けるんだ。……家族だからな」
サブロウは相好を崩した。
「嬉しいねぇ。……うちは正直、そこまで仲良し家族じゃないからな。正面切って聞けるってのは……嬉しいねぇ」
「そうか? イチローともジローとも会ったが、十分家族思いだと思うが」
「ああ、もちろんな。お互いを思いやってるし、いざという時には集まってなんとかするし、できちまう。けど、イチロー兄ちゃんもジロー兄ちゃんも、どっちかってーと陰で人を支えるタイプだからな。真正面切って助けようかと聞かれたことはないな。気がついたら助けられてたってことばかりだ」
「へぇ。……イチローはよくわからんが、ジローの方は確かにそれっぽいな。言うより自分でやっちまえ、って感じ」
「そうそう。けどまあ……若いとそういうのが嫌っていうか、うっとおしい時ってのがあってな。だから結局、俺は二人とは全然違う道へ進んだんだよ」
「二人に助けてもらわないために?」
「いや。俺が二人を助けるために」
「なるほど」
楽しそうに頬を緩めているシロウ。
サブロウはタバコを一服。
「しかし、話を戻すが……あれだ。素人の目ってのは大事だ。俺たちが見逃してる何かを、お前が気づくかもしれない。だから手ぇ貸してくれるってんなら、借りよう。ただし、あくまでオオクマ・シロウとしてだ」
「それでいいんなら、俺に異存はない。寒くなって畑も休みだしな」
「畑? ……まあいいや。じゃあ、明後日の休み明けに俺と一緒に行くか」
「ああ」
頷くシロウ。
サブロウは、短くなりすぎたタバコを灰皿でもみ消した。
「さて……と」
ふとシロウを見やると、妙な雰囲気でこちらを見つめている。
「……なんだ? なんかまだ話があるのか?」
「ああ。今の話とは全っっっ然関係ないんだけどな」
シロウの目がちらっと居間を見やる。つられてサブロウも見やった。シノブの姿はまだない。
「――かーちゃんに、サブローに聞けって言われてたことがあるんだよ」
「俺に? なに?」
「ブカツの先輩と不良の先輩の話。コウコウ……ニネンって言ってた」
途端に、サブロウは何もくわえていないにもかかわらず、むせて咳き込んだ。
しばらく咳が止まらない。
やがて、睨みつけるような眼差しで、シロウを見やった。むせ苦しんだ末の表情なのか、怒っているのかはいまいちわかりかねる顔つき。
「……げほ。シロー、てめえ、その話をどこでって……ああそっか、かーちゃんからだったな。なに話してくれてんだ、もう。ええと、そんで、その話をどこまで知ってんだ?」
「ん〜、確か……ブカツの先輩の妹が、不良の先輩とその女友達……だったかな? にいじめられて家から出られなくなったもんで、ブカツの先輩が仇を討つためにここへ乗り込んできたってとこまで。サブローが居場所知ってるからって」
「それで」
「そこまで」
「は?」
「ええと、ああそうだ。そん時サブローは、不良の先輩からブカツの先輩ぶちのめせって命令されてたんだっけな。――この先、どうなったのか教えてくれ」
目を輝かせて尋ねるシロウに、サブロウはきょとんとした。
「教えてくれって……え? 聞いてないのか?」
「ああ。かーちゃんが、サブローの誇りに関わることだから、本人から聞けって」
「ああ……」
サブロウはがっくり肩を落とした。思わず安堵のため息が唇から漏れて出てゆく。
「そうか……さすがかーちゃん。気遣いがハンパねえ……」
「な、な? どうなったんだ? どっちをぶちのめしたんだ? ブカツの先輩か? それとも不良の先輩か?」
「――その話は、今はしねえ」
「あ?」
シロウの表情が硬張る。欲しがっていたおもちゃを、寸前で取り上げられた子供のような顔。
サブロウの方も、シロウから目をそらし、暗がりの広がる庭に視線を落としていた。その表情は渋り切っている。
「え? あ? なんで?」
「悪ぃな。……お前はいい奴そうで、かーちゃんや兄ちゃんたちにも信用されてるし、正直姿かたちもほとんど一緒だから、他人の気がしねえのは確かだ。けど、まだその話ができるほど、俺はお前を知らない。だから、今はまだ勘弁してくれ」
「サブロー……」
サブロウは自分の拳を見下ろした。
「昔なら、ケンカの一つ二つ吹っかけて相手の漢を見たもんだが……今はそうもいかねぇ。この腕と背中に、色んな人の重みがかかっちまってるもんでよ。とりわけ、この拳は傷めるわけにはいかねえんだ。キーボードが打てなくなっちまったら、マジで迷惑かけちまう」
そんなわけでよ、と上げた顔は、にっこり微笑んでいた。
「明後日から同じ職場で働いて、お前って漢がわかってきたら、そのうちな」
シロウは少し気落ちした表情で頷いた。
「……ん、まあ俺もそこまでの話とは思ってなかったんで……つか、なんか妙に重たそうなんだが。聞いちゃいけない話だったのか、ひょっとして」
「まあ、確かにあまり聞かれたくない話ではあるかな。しかし……本当に俺が聞かれたくない話なら、かーちゃんはそもそも話題に出さないよ。これも……かーちゃんなりの気遣いなんだろうさ。過去を乗り越えろって、な」
「ん〜……よくわからんが」
そのとき、縁側に居間から陰が差して再びサッシが空いた。
シノブだった。開口一番、白いため息が漏れる。
「この寒いのになんでこんなとこにいんの、二人とも。ほれ、お風呂沸いたよ。どっちから入る?」
「俺、しばらく入ってないんで湯が汚れるし最後でいいよ」
「んじゃ、サブロウは最後ね。湯を抜いた後、風呂掃除とマット干し、お願いね」
「了解」
「じゃあ、シロウ。先に入んなさい」
「はーい」
立ち上がる――ふと、居間へ入りかけた足が止まった。
「あれ?」
自らの首筋を触る。
その背後で、シノブとサブロウが暗い夜空を見上げて、溜息をついた。
「あらあら」
「……降ってきたな」
サブロウの言葉どおり、漆黒の天から舞い降りる白い花弁。ひらひら、ゆらゆら。しんしんと。
「――サブロウも、もう寒いから中に入りな」
「そうだね。そうする」
灰皿を持って立ち上がる。
シロウはすでに浴室へ向かっていた。
「ああ、そうだ」
中に入ってサッシの鍵を閉め、カーテンを引きながらサブロウはシノブに尋ねた。
「かーちゃん、風呂待ってる間にコタツ出しとこうか? もういい加減いるだろ?」
「コタツは二階だよ? ふとんも。大丈夫かい?」
「俺がダメなら、かーちゃんはさらに危ないじゃん。任せてよ」
「じゃあ、頼むわ。その間にあんたの寝床、用意しておくね」
「はーい」
居間から出て、二階へと向かう。
そのとき、浴室の方からシロウの声が聞こえてきた。
「かーちゃん、石鹸切れてるー! どこー!」
「あーはいはい。持っていくからちょっと待ちな!」
オオクマ家のクリスマス・イブが更けてゆく。