ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第9話 次郎とジロウ その7
フェニックスネスト・ディレクションルーム。
「ヤマシロ隊員が所定の位置に着きました。ガンウィンガーも既に臨戦態勢! ガンローダー、改装完了まであと3分」
シノハラ・ミオの報告に、メインパネルを見据えるアイハラ・リュウ、ミサキ・ユキは黙って頷く。
続いてイクノ・ゴンゾウの報告が上がる。
「サータンの進行速度変わらず。接触まで7分と予想」
「7分か……本当にギリギリだな」
アイハラ・リュウの呻きを聞いていたかのように、クモイ・タイチのウィンドウが開いた。
『足止めをかけるなら、おそらく今がギリギリのタイミングだ。これより近いと……確実に住宅へ被害が出る』
「………………」
「アイハラ隊長……」
腕組みをして真正面を見据えたまま考え込むアイハラ・リュウを、ミサキ・ユキが見やる。
「……わかった。そのまま牽制をかけろ」
『このまま? 俺が足止めをかける時は、機体から降りて、キャプチャーキューブで閉じ込める手はずじゃなかったか?』
「アーカイブ・ドキュメントの記録じゃあ、最初の戦闘で防衛チームの機体が攻撃を受けている。透過してやり過ごせるにもかかわらずだ。奴の周囲を飛べば、奴は必ず足を止めて手を出してくる」
『見えない敵の攻撃を避けろと?』
「得意技だろ? 気配を読んで躱すのは」
お茶目に片目をつぶったものの、すぐにアイハラ・リュウは表情を引き締めた。
「まあ、それは冗談だが……こちらでモニターしている奴の映像を、そちらに送る。それで判断できないか?」
『そういうことなら。――G.I.G。これよりガンウィンガーはサータンの進攻を食い止めるため、牽制をかける』
「頼むぞ、タイチ」
待機位置から、勇躍サータンへと進み始めるガンウィンガー。
その映像を、アイハラ・リュウとミサキ・ユキは期待を込めた眼差しで見送った。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
霊園の雑木林の中など舗装された道路とさほど変わらなかったんだ、と思えるほどの悪路をジープは突き進む。
そのタイヤで下生えを踏みちぎり、その速度と頑健な車体で潅木の茂みを押し分け、道なき場所に獣道じみた跡を残しながらひたすら突き進む。
当然、車中は大騒ぎだった。
ギャップだらけの道行きのこと、跳ね回る車体の中で何度となく天井に頭をぶつけ、最初はその都度悪態をついていたシロウも今では悲鳴だけになっている。
オオクマ・ジロウは迂闊にも窓を開けていたため、低木の枝に屈辱の平手打ちを食らって悶絶し、思わず顔を押さえてうずくまるような態勢をとっていたため、シロウと同じようにギャップを踏むたびダッシュボードに脳天をぶつけてさらに悶絶していた。
運転手である郷秀樹だけが、何事にも動じることなく鋭い視線を絶えず周囲に走らせ、暴れ馬のように躍り狂うジープをコントロールしている。
やがて、ひときわ大きなバウンドを最後に、震動が治まった。
オオクマ兄弟が顔を上げると、視界が広がり、いっそ懐かしささえこみ上げる文明の象徴・舗装道路に出ていた。
前方の山間の間から、街が見える。
「――み、見えた!」
まだ涙目のオオクマ・ジロウは、前のめりに叫んだ。
「あそこです、郷さん! ……よかった。まだ、何も騒ぎは起きてないようだ」
「見えない怪獣相手だからな。言ってる間に火の手が上がるかもしれんぜ」
「なにぃ!? シロウ、お前――」
背後からの辛らつな意見に振り返ろうとすると、機先を制したように運転席と助手席の間からシロウが顔を覗かせた。
「郷秀樹! 怪獣は見えてんのか!?」
「いや」
まったく表情を変えず、小さく首を横に振る。
オオクマ・ジロウが代わって叫んだ。
「バカが、見えるわけないだろう! いま自分で言ったくせに、何をほざいている!! 相手は見えない怪獣なんだぞ!」
「……見えてはいないが、声は聞こえている」
「え?」
郷秀樹の意味不明の言葉に、オオクマ・ジロウは顔をしかめた。
「何を言って……」
「声と言っても、実際の音波じゃない。テレパシーのようなものだ。集中してみろ、多分お前にも聞こえる」
「郷さん? ……シロウ?」
郷秀樹の言葉を受けたように黙り込んだシロウを見やる。後部座席に腰を戻した弟は、何か考え込んでいるように両目を閉じていた。
「おい! シロウ、お前なにやってんだ!? バカかお前、聞こえるわけないだ――」
「うるせえ、ちょっと黙ってろ。……これ、か? なんか、妙に甲高い……」
「それだ。声の大きさと方向からして、まだ街には入ってない。だが、かなり近いのも間違いない。GUYSが上手く足止めしてくれるといいが……」
「……ちょっと待ってくれ! 二人とも、なにを話してるんだ!? 私にもわかるように話してくれ!」
ヒステリックに喚くオオクマ・ジロウに、シロウも喚き返す。
「ああもう、うるせえっつってんだろ。今はウルトラ族同士の超能力の話をしてんだ! テレパシー能力もない地求人は黙ってろ、気が散る!!」
「ウルトラ族? ……なに? え? どういうことだ?」
困惑して目を何度も瞬かせる地球人オオクマ・ジロウ。
郷秀樹は苦笑いを浮かべた。
「そうボロボロとばらされては、困るんだがな」
「知るか」
「ちょ、ちょっと待て。……郷さん? シロウ? まさか、お前たちは……」
わなわなと震える指先で、二人を交互に指差す。
二人は目線を交わした後、同時に頷いた。
「ウルトラマンだ」
「レイガだ」
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
霊園駐車場。
ベンチに並んで座る坂田次郎とシノブ。
「弟さんは、確かサブロウ君でしたか」
言いながら一口ペットボトルをあおった坂田次郎は、ふと思い出したように続けた。
「そういえば、彼はあまり兄弟とお父さんのことは話題にしないですね。仲が悪かったんですか?」
「仲が悪いというか……」
困惑じみた苦笑を浮かべるシノブ。
「あの子は、兄には強烈な劣等感を持っているようで。弟の方には……どこか見下したところがあるようですし。父親にはなついていましたけど、特別な存在とは思ってなかったようです」
「はあ」
「弟さんについては、学生時代にふりょ……いや、ええと……やんちゃだったというような話を一度だけ聞いたことはあります」
「やんちゃ、ねえ。まあ、世間一般にはそう見えるのでしょうけど……長男の方が、よっぽどでしたけどね」
可笑しそうに笑う。
「長男さんは、どういう方なんです?」
「三人の中で、一番文武両道に秀でてました。人付き合いも達者で、いつも輪の中心にいるタイプ。ジロウはどちらかというと武の方が苦手で……せめて文だけでも勝とうとしてたんですけど」
「その言い方だと、及ばなかった?」
「ええ。学生中の目標が、兄の作った数々の記録を塗り替えることだったらしいんですけど……難しかったようです」
「なるほど……太刀打ちできない存在だった、と」
「そうでもないんですけどね。母親の目から見てると」
「そうなんですか? しかし、勉学でも運動でも勝てないとなると――」
「人間の尺度はそれだけではありませんでしょ? 確かに、その面ではイチロウに届かなかったようですけど……あの子、直感は凄いんですよ? 中学の担任に教えてもらったんですけど、試験問題を直感で解けるタイプなんですって」
「ああ〜……確かに。うちでも、時々そんな不思議な結論の出し方をしてますね。あれは昔からの才能ですか」
「ええ。兄のイチロウは人付き合いでも勉学でも運動でも、下から順番に積み上げてゆくタイプです。だから、多少時間はかかるけれど、一度積み上げてしまったら、それは強固で崩れない。それが、ジロウには自分の及ばない才能のように見えてるんでしょう」
「………………」
「でも、兄のそんな姿を見、その土俵で戦おうとしたから、あの子は直感で出した答えで満足せず、きちんとその理由を考えることを身につけた。才能だけに溺れることなく、努力するのも当たり前という考え方を自然に身につけられた。だから、あの子の言葉には兄とはまた違った説得力があります。決して兄に劣っているとは、あたしは思いません」
「なるほど」
「イチロウは――あの子は人の和を大事にしすぎるきらいがあるから、結局それで一歩出遅れる時があるんです。ジロウはその点、人の和を乱してでも必要なことをまずやろうとする。決断の正確さでは及ばなくとも、決断の速さは兄弟随一です」
「さすがですね。彼を良く見ていらっしゃる。……それが、母親というものなんでしょうか」
うらやましげな、寂しげな笑みを浮かべて空を見上げる坂田次郎。
「私は、両親を早くに亡くしましてね。兄と姉が親代わりでしたが、それも小学生の時に……」
「まあ……」
「だから、母親というのはよくわからないんですよ。……オオクマ君の家族への愛情の深さは、きちんとお子さんを見ているお母さん譲りなんですね」
「いいえ」
シノブは首を振った。その口元に微笑をたたえて。
「あたしだけじゃありません。夫も愛情をきちんと子供たちに伝えていました。……ジロウはわかってないみたいだけど、イチロウだって気にかけてるし、サブロウもなんだかんだ言ってあの子を慕ってます。あの子の愛情が深いのは、あたしが育てたからではなく、オオクマ家の家族だからですわ。まあ……その愛情の深さをもう少しだけ外へ向けてくれれば、人付き合いもよくなるんですけどねぇ。本当に、その辺の不器用さが昔っから一番の問題なんです。あの子の場合」
困り顔で眉根を寄せてため息をつく。それはまさしく、どこにでもいる母親の表情だった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
待機位置から離れ、前進をかけたガンウィンガー。
モニターの赤っぽい画面に映るサータンの姿が見る見る大きくなってゆく。
しかし、少し視線を上げてキャノピー越しに前方を見やれば、何もない。
秋晴れの日差しを受けて輝く初秋の野山がただ広がっているだけだ。
「……違和感なんてレベルじゃないな」
クモイ・タイチは思わず悪態めいた呟きを漏らしていた。
気配は――感じる。何かがいる。
だが、その気配もいつもより曖昧模糊としている。まるで、すりガラス越しのような感覚。
「むしろ、視覚が邪魔か」
他の人間が聞いていたら呆気に取られるようなセリフを吐いて、手を伸ばす。コンソールをいじる。
「高度――基本25mを維持。20mで警報、10mで自動的に上昇。優先度――最優先」
プログラム変更を確認したクモイ・タイチは、モニター画面に目をやった。
サータンの姿は真正面。
そのまま……目を閉じた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
フェニックスネスト・ディレクションルーム。
飛行時の安全確保プログラムの変更は、すぐに伝えられた。
「――クモイ隊員が、セーフティ・プログラムを? いつもは戦闘中切ってるのに?」
怪訝そうなシノハラ・ミオに、アイハラ・リュウも顔をしかめる。
「なんだと? なんでそんなもんが必要なんだ?」
「ええっと……高度の維持を最優先にしているみたいですけど……これでは、自由な機動は難しいかと」
「つうか、なんで高度の維持だ?」
「んー……自分では高度が維持できない? ということですよね? でも、どうして?」
目に『?』マークを浮かべて首を傾げる二人。
そこへ、イクノ・ゴンゾウが口を挟んだ。
「ひょっとしたら……さっき隊長が言ったことを真に受けたんじゃ」
「あ? 真に受けたって、何をだ」
「気配を読んで攻撃を躱すつもりなんじゃないですか? 気配最優先のためには、元々見えてない視覚は無駄だから目を閉じて操縦とか……」
「……………………!!」
アイハラ・リュウはミサキ・ユキと顔を見合わせた。すぐにシノハラ・ミオとも見合わせる。
誰も、ありえない話だと一笑に付することは出来なかった。
むしろ、やりかねないと――いや、間違いなくやらかすつもりだと直感した。
「バ、バカかあいつはっ!! ミオ、つなげ!」
「ダメよ、リュウ君!」
鋭い声で止めたのはミサキ・ユキ。
通信画面を開こうとしていたシノハラ・ミオの手が思わず止まるほどの気迫。
「もう接敵距離よ! 今、いきなり通信をつないだりなんかしたら……むしろ」
アイハラ・リュウが目で追うミサキ・ユキの視線の先――メインパネルでは、今やガンウィンガーがサータンと接触できる距離まで踏み込みつつあった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
九十九折の峠道を下ってゆくジープ。
追走車も先行車も対向車さえなく、ただひたすら走り続ける。
車内は静まり返っていた。
前を見て運転している郷秀樹。
後部座席で目を閉じ、集中しているシロウ。
そして助手席。二人の正体と、いつからそうなのかを聞かされてしまったオオクマ・ジロウは、両手で顔を覆うようにして、天井を仰いだ姿勢のまま固まり続けていた。
「――だから、か」
不意に、手の隙間からオオクマ・ジロウの呻き声が漏れた。それに反応したのは郷秀樹だけ。ちらりと隣りへ視線を飛ばした。
「だから、あなたはレーサーを諦め、MATに入ったのか。ウルトラマンの力でレーサーになるのは、フェアじゃないから……」
「それは違う」
力強く、郷秀樹は否定した。
「MATに入ってからも、レーサーであるためのトレーニングは欠かさなかったし、坂田さん――次郎君の兄さんも流星号の製作・改良を続けてくれていた。俺も坂田さんも、レースを諦めたことはない。無論、レースにウルトラマンの力を使うつもりは全くなかったし、ウルトラマンもそれは許さなかっただろう」
「ウルトラマンも?」
頷く郷秀樹。
「レースとは、人間の限界に挑むことだ。人間が人間としてその限界に挑もうとする時に、ウルトラマンは力を貸したりはしない。理不尽な状況を乗り越えなければならない時に、人間が力の限界を超えて挑み、それでもなお足りない時に初めてウルトラマンは力を貸してくれる。だから、人間同士のレースでウルトラマンが力を貸してくれることはありえない」
「そうなのか……っていうか、それじゃあ、郷さんとウルトラマンは別人格だと?」
「最初はな。今ではほぼ同じさ。ウルトラマンの記憶も郷秀樹の記憶も持ちながら、考え方は一緒になっている」
「……レースに復帰はしないんですか?」
その素朴な問いに、郷秀樹はオオクマ・ジロウを見やって微笑んだ。
「見ての通り、もう年だからね」
「でも……」
「今の郷秀樹がパイロットシートに座るには、ウルトラマンの力が必要になる。それは、郷秀樹としても望まない。パイロットシートは特別な人間だけが座ることを許される場所だ。自分の限界に挑もうとする気力と、限界を越えられる体力――その両方が揃っていない者の座っていい場所ではない」
レーサーとしての矜持に満ちたその言葉には、欠片の未練もない。
オオクマ・ジロウは答える言葉を持たなかった。
いや、郷秀樹という不世出のレーサーのプライドを、人生を、胸に刻むために、今、言葉は不用だった。
「君にとっては残念かもしれないが――いや、俺にとっても残念なのは確かなんだが……俺のレーサーとしてのチェッカーフラッグは、もう振られてしまったのさ。ここから先は、君たち若い者が挑むべきラップだ」
「でも、悔しさはないんですか? 郷秀樹としては。ウルトラマンと一体化さえしなければ、本来は流星号で……」
「いや。ウルトラマンが命を分けてくれなければ、俺は崩れるマンションの下で子犬を助けたあの時に死んでいた。ここでこうして君と話をしていることもなかっただろう」
「…………!!」
「坂田さんはレース中の事故で足が不自由になり、レーサーの夢を俺に託してくれた。俺は、無鉄砲なことをして命を落とし、ウルトラマンとなった。すべて、誰のせいでもない。なるようになっただけなんだ。悔しがっても、時は戻らない」
「……それは……確かに、そうですね」
そうだ。だから自分は、父さんが死んだ時、感情を閉じ込めたのではなかったか。
過去を悔やんでも何も変わらない。自分のなしえなかったことを振り返ってみても、やり直しは出来ない。ならば。前を向いて行くしかない。
先人を大事にするというのは、過去を悔やむことではなく、その遺志を受け継ぐことで示すべきだと――それが父さんの生きた証をこの世に刻むことになるのだと判断したはずだ。
それは、レーサー坂田健、レーサー郷秀樹も同じなのだ。
「そういえば」
ふと、郷秀樹はちらりと窓の外を見やった。
「あの怪獣、サータンを見て思い出したよ。その昔、坂田さんに言われたことを。次郎君も知らない話だ」
「坂田社長が……? それは、是非お聞かせ願いたい」
「MAT隊員としてあれと戦った時のことだ。苦戦して自信を失いかけてね。つい、弱音を吐いた。勝つのは容易ではない相手だ、と。その時、坂田さんは俺を叱りつけてこう言った」
郷秀樹は姿勢を正し、少し目を細めた。
「『レーサーがレースの最中に考えているのは、勝利の一字だけだ。例え最後尾を走っていても、スピンをしても、ゴールまで勝利を信じて走り続けなければならない』」(※帰ってきたウルトラマン第19話・少しアレンジ)
「例え最後尾を走っていても……スピンをしても……ゴールまで勝利を信じて」
反芻するように、口の中で呟くオオクマ・ジロウ。
実に当たり前の、だからこそ難しい結論。
「ジロウ君もこれからレースに関わるなら、覚えておいてほしい。誰もが走り切れるわけじゃないんだ。実際のレースでも、人生という名のレースでも。だが、それでも走る。走らずにはいられない。ゴールだけを見て、ただひたすら勝利だけを信じて。それが……レーサーというものなんだ」
「……………………」
オオクマ・ジロウはしばらく黙っていた。顔を伏せ、膝に乗せた拳を握り込み、震わせる。
ジープの振動とエンジン音、車外を吹き抜けてゆく風の音と対照的に、車内は静まり返っていた。
「会えて、良かった」
ぼそりと、オオクマ・ジロウは漏らした。拳に、ぽつりと滴が落ちる。
「郷さん。あなたは、私が想像していた以上のプロフェッショナルだった。私の憧れ、尊敬を、その上をさらに行く人だった」
「……………………」
「わかりました。その夢、心、魂……全部、お預かりします。そして、次の者へ必ず、引き継ぎます」
郷秀樹は嬉しげに頬を緩めて頷いた。
「ありがとう。これで……俺も完全にヘルメットとステアリングを置けるよ」
もう、峠道は終わり、景色は街中へと入ってゆくところだった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
ガンウィンガー・コクピット。
――気配。左腕を逆袈裟に一振り。
目を閉じたまま、クモイ・タイチは操縦桿を左に切った。
――続けて、返しの右腕。水平に一振り。
さらに左へ――直前で、大きく後方へ操縦桿を引く。同時に逆噴射をかける。
何か別のものがサータンの振り回した右腕の後から遅れて振り回されていた。
(鼻か)
象のように自在器用に動かせるのか、それとも腕を振り回した反動で動いたのかはわからないが、人間相手とは思わない方が良さそうだった。人間は三本目の腕を持っていない。
相手の攻撃を受けぬように、しかし、相手の前進を許さぬようにその周囲をうるさく付きまとう――目を閉じたまま。
不意に警報が鳴った。いつの間にか高度が落ちていたらしい。
サータンの動きを探りながら後方へ回り込み、垂直上昇を――
(!!)
何かが、横から襲ってきた。相手の背後に回りこんでいるはずなのに――
(……尻尾か!!)
慌てて操縦桿を前に倒す。高度が下がり、警報音は引き続き鳴り響くものの、構わず襲ってきたものをやり過ごし、すぐに後進をかける。一旦少しだけ距離を取る。
「くそ、面倒な」
人間相手でも攻撃方法は両腕両足が基本だから、両腕と鼻、尻尾でも決して対応しきれないほど多い手数というわけではない。
問題は数ではなく、出所だ。特に鼻と尻尾に関しては、人間が繰り出すのと同じ感覚で攻撃を先読みするのが通じない。
相手は武術の達人相手ではないのだ。視界を封じたからといって、そう易々と墜とされるわけはない。だが、出所の読みにくい攻撃を躱さねばならないというのは、尋常ではないほど神経をすり減らす作業だ。長くはもたない。
「かといって、こちらの攻撃は通じん。……セザキ隊員、なるべく早く頼むぞ」
祈るように呟いて、再びガンウィンガーは距離を詰めた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
フェニックスネスト・ディレクションルーム。
敵の攻撃を的確に、最小の動きで躱し、彼我の距離を保ち続ける。離れすぎもせず、近づきすぎもせず。
目を閉じているとは思えないその華麗な機動に、アイハラ・リュウもミサキ・ユキもハラハラしつつも目を離せずにいた。
「クモイ君……すごい……」
「あいつ、ほんとに目ぇ閉じてんのか!?」
「こちらからでは確認できませんので、わかりませんが……いずれにせよ、サータンの足止めには成功しています。最終防衛ライン到達への時間修正、+3分です!」
シノハラ・ミオはコンソールのキーボードを叩き続けていた。
クモイ・タイチの奮闘により次々と更新される状況の変化に対応して、作戦上のタイミングも刻々と変わってゆく。その修正にきめ細かく対応できるのはやはり彼女しか居ない。
イクノ・ゴンゾウが報告を上げる。
「整備班より連絡! ガンローダー改修完了! 隊長、出撃許可を!」
「行け!」
「G.I.G!!」
たった一言の命令を受け、イクノ・ゴンゾウはすぐに通信回線をつないだ。
「――セザキ隊員、出撃許可でました!」
クモイ・タイチの奮戦を映し続けているメインパネルの端に、セザキ・マサトの通信ウィンドウが開いた。
『G.I.G。超特急で行って来ます! 隊長、現場についたら、すぐにメテオール使用許可をお願いします!』
「わかってる! タイチを助けろ!」
『G.I.G!!』
通信ウィンドウが閉じ、イクノ・ゴンゾウがガンローダーの発進シークエンスを管制し始める。
アイハラ・リュウはシノハラ・ミオに告げた。
「ミオ! 現場空域にガンローダー進入時点で、タイチに元の待機位置へ戻るように連絡!」
「G.I.G!!」
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
一戸建ての住宅が建ち並ぶ街中を走るジープ。
避難は済んでいるらしく、人影はない。
生活音のしない、死んだように静かな街路を、ジープだけが音を立てて進んでいる。
「……GUYSとサータンが交戦しているな」
運転席側の窓越しに町外れの方を見ていた郷秀樹が漏らす。
オオクマ・ジロウは怪訝そうに郷秀樹が見ていた方角に目をやる。
間にある高層建築やら戸建住宅やらが邪魔で、それらしき光景は見えない。
「しかし……GUYSの攻撃は通じないのでは?」
「攻撃はしていない。周囲を付きまとうように飛んで、相手に攻撃をさせ、その場に釘付けにしている」
「見えない相手に、そんなことが出来るものなんでしょうか?」
「ああ。まったく見えないわけではないだろうしな。サータンは赤外線カメラでその姿を捉えることが出来る。だが……」
「見えるだけで、手出しは出来ない、と」
郷秀樹は頷いた。
「まあ、そうやって足止めをしているということは、何か策があるんだろう。――今のうちだな」
「あ、あの信号を右へ入ってください」
オオクマ・ジロウは少し身を乗り出して前方の交差点を指差した。
「曲がれば正面奥の左手側にレンガ色のマンションが見えてきます。私の家はそこです」
郷秀樹の視線が、ナビに走る。
「……街の端か。かなり戦場に近いな」
「ええ。だから、急がないと」
「けどよー、ほんとに嫁さんと娘さん、いんのか? 町ん中にゃ人っ子一人いねえみたいだが」
後部座席から顔を覗かせたシロウに、ジロウは頷いた。
「それを確かめるんだ。携帯を家に忘れていたというだけならいいんだが……嫌な予感がする」
「なんでだ?」
「何か、心配になるようなことがあるのか、ジロウ君?」
指定された交差点へ進入し、ハンドルを大きく右へ切りながら郷秀樹も聞いた。
オオクマ・ジロウの表情は、もはや険しいを通り越して青ざめていた。
「……ええ。ちょっとね」
唇を噛んだオオクマ・ジロウは正面に見えてきた、大きなレンガ色のマンションを睨むような目つきで見据えていた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
ガンウィンガー戦闘空域の近く。
住宅街裏の崖の上にヤマシロ・リョウコが待機していた。
メモリーディスプレイを立ち上げ、フェニックスネストへつなぐ。
「こちらリョーコちゃん。所定の位置についたけど……」
『何か問題があんのか?』
アイハラ・リュウの返答に、ヤマシロ・リョウコは少し唸った。
「ん〜……タイっちゃんが押されてる感じ」
『ああ。少しずつだが、前進されてる。だが、マサトも既にそっちへ向かった。間に合う』
「そうかなぁ。……ちょっと不安なんだけど」
ヤマシロ・リョウコは話しながら、何もない空間を前に右へ左へ、上へ下へ、不規則な機動を描き続けているガンウィンガーの機影を目で追いかけ続けていた。
『不安て、なにがだ』
「いやさぁ。タイっちゃんじゃないから詳しいことはわかんないんだけど、あいつって飛び道具持ってないんだよね?」
『ああ。まあ、鼻が伸びるそうだから、それが飛び道具とは言えないこともないらしいが』
「格闘ゲームとかでさぁ」
『はあ? 格闘ゲーム? なに言ってんだ、こんな時に!!??」
「ああ、うん。あくまでもあたしの危惧なんだけどさ、無手の奴がさ、距離空けるタイプの相手と戦う時って、こう……一瞬で距離を詰めるタックルとかして来るじゃない? あと、突進とか。こいつ……、そんなことしないかな。もしくは、一旦ガンウィンガーを振り切るために、とかさ」
通信画面の向こうで顔を見合わせているアイハラ・リュウとミサキ・ユキの表情は、困惑以外のなにものでもない。
『ゲームと現実を混同するのはやめなさい、ヤマシロ隊員』
変わって、シノハラ・ミオが画面に出た。作業を続けながらなのか、その視点はこちらを向かずに始終あちこちに跳んでいる。
『とはいえ、あなたの懸念通りサータンが走り出した場合――今まで稼いだ時間の猶予は、あっという間に消えるわね』
「そのとき、あたしはどうしたらいい? キャプチャーキューブ使っていい?」
言いながら、ヤマシロ・リョウコはトライガーショットを腰のホルスターから引き抜いた。ロングバレルを伸展させ、ロングショット形態による狙撃モードに入る。
画面の向こうではアイハラ・リュウが唸っていた。
『……使うな』
ようやく返ってきた答に、ヤマシロ・リョウコは頷く。
「わかった。じゃあ、そのケースでもし住宅の一つ二つ壊れても、作戦遂行を優先するね」
当たり前といえば当たり前の話ではある。自分たちは怪獣を撃滅するためにいるのだから。最優先で守るべき人命がそこに居ないとわかっている以上、優先されるべきは被害を最小限でとどめつつも、怪獣の危険を排除すること。
それでもヤマシロ・リョウコが聞いたのは、町の外縁を突破して侵入された場合でも作戦の変更がないかどうかを確かめるため。
アイハラ・リュウ隊長の返答は、変更しないというものだった。
もう、なんの迷いもない。
あとは、自分に与えられた役割を果たすのみ。
通信を切ったヤマシロ・リョウコは、トライガーショットのシリンダーレバーを二度引いて、メテオール発射シリンダーであるブルーチェンバーに変更した。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
ジープはマンション正面玄関前に横付けされた。
駐車禁止の看板が立っているが、そんなものを守っている場合ではない。
一言礼を言って助手席から降りるや、さっさと玄関に入ってゆくオオクマ・ジロウ。
後部座席から降りたシロウは、助手席の窓に手をかけて中を覗き込んだ。
「――お前は行かねえのか?」
「ああ」
郷秀樹は頷いた。その視線は町の外に向けられている。
「いつでも出られるように備えておく。それに、外の状況を確認しておく者が必要だろう」
「わかった。なんかあったら知らせてくれ」
「ああ」
シノブの家が一件丸ごと入ってしまいそうな豪勢な玄関口で、オオクマ・ジロウがシロウを呼んでいた。
「っと。じゃあ、行って来る」
軽くジープの天井を叩き、シロウは駆け出した。