ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第9話 次郎とジロウ その6
霊園駐車場。
「――感想を言わせてもらえば」
霊園駐車場で離陸してゆくガンローダーを見送るオオクマ・ジロウは、腕組みをしたまま呟いた。
「科学的常識を超越した宇宙怪獣相手に、原理不明の技術(メテオール)があるとはいえ、作戦自体は常識の範囲内……いささか心許なくはあるな」
「なに、作戦の要がいわゆるマッド・サイエンティストというやつらしいからな。怪しさではどっちもどっちだろう」
本人が聞いていたら、無言で足のつま先を踏み潰されそうなことを言ったのはクモイ・タイチ。オオクマ・ジロウの隣で、同じくガンローダーを見上げている。
「マッド……? 大丈夫なのか、それは?」
「さあな。世界に誇る異次元物理学者という話だが……奴の乗ってきた隕石をとことん調べ尽くして、実体化させるのに合致する原子核を見つけ出してやると息巻いているそうだ。噂じゃあ、日本支部の総監でさえ頭が上がらん女傑だとか」
「CREW・GUYS・ジャパンの総監? 確か、サコミズとかいう……あれにか?」
「ま、実体化さえしてくれれば、こちらは叩くだけだ。全力でな。――ともかく、ここまでの協力には感謝する」
そう言って、右手を差し出す。
オオクマ・ジロウはその手を見つめたまま、握ろうとはしなかった。
「感謝……か。気が早いだろう。協力も何も、私は少し科学談義をしただけだ。講釈にもならない。あの程度のこと、少し頭が回れば誰にでも思いつく。感謝されるほどのことではないし――」
「いいから」
クモイ・タイチは強引にオオクマ・ジロウの右手をつかんだ。
「誰にでも思いつくのだとしても、言ったのはあなただ。だから、あなたに感謝する。それだけのことだ」
「……まあ、これであの怪獣を倒せればいいんだが」
「やるさ。それが仕事だ」
ひときわ強く手に力を込め、にんまり笑ったクモイ・タイチ。
最後までオオクマ・ジロウはその手を握り返しはしなかった。
手をほどき、それでは、と踵を返したオオクマ・ジロウの足がふと止まった。首だけを捻じ曲げて、背後のクモイ・タイチを見やる。
「そうだ。あー……すまないが、聞きたいことがある」
「なんだ?」
「地図はあるか?」
「地図? ……一応、メモリーディスプレイにGPS機能がついているから、それで確認できるが」
言いながら、メモリーディスプレイを取り出す。
「ああ、それでいい。すまんが、隣駅までの道を教えてくれないか。方角だけでもいい。母親と弟を送って行きたいんだが、最寄り駅は怪獣に壊されたらしいし、その手前の駅は名前を覚えてなくてな。ついでに道路状況も知りたい」
オオクマ・ジロウはにっこり笑ってクモイ・タイチの傍まで寄ってきた。こうして見ると、至ってどこにでもいる一般市民だ。
「やれやれ。ん……この路線だな。オオクマさんの家は下り方面だから、手前の駅は……」
「どれどれ」
クモイ・タイチの操作しているメモリーディスプレイの画面を横から覗く。
その目がふと、地図上の怪しげな表示に止まる。
「……クモイ隊員、だったか? これは、なんだ?」
まるで台風の進路予想図に出てくる予報円。毒々しい赤のそれが真っ直ぐ伸びている。
「見ての通り、怪獣の進路予想図だが? テレビの怪獣災害警報なんかでもよく見てるだろう?」
「あ、いや……まあ、そうなんだが……」
そう言いながらも、その顔から表情があっという間に消えてゆく。
「このサータンとやら、真っ直ぐ都内を目指しているようだな。なぜだ?」
「理由はわからん。嫌いなコンクリートの気配か臭いでも嗅ぎつけたんじゃないか?」
「そうか……」
言葉を濁したものの、オオクマ・ジロウの目は吸いつけられたようにその画面を凝視し続けていた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
ガンローダーと入れ替わりに、青空の彼方から近づいてくるガンブースター。
顔色の消えたオオクマ・ジロウは、シロウを促してなぜか妙に早足で去って行った。
坂田次郎も郷秀樹を伴って立ち去ってゆく。
上空を旋回していたガンブースターが着陸態勢に入った。垂直降下してくる。
吹きつける下降気流は衣服を激しくはためかせ、吹き荒れる風の音で周囲の音が掻き消される。
「郷秀樹」
メモリーディスプレイを胸ポケットに戻したクモイ・タイチは、ふと呟くように呼びかけた。
郷秀樹は立ち止まり、振り返った。この暴風の中でも聞こえる耳はさすがウルトラマンというべきなのか。もっとも、クモイ・タイチもそれを期待して、わざわざこの聞こえにくい時に、聞こえにくい声で呼んだのだが。
「話があります」
怪訝そうな坂田次郎を先に行かせ、郷秀樹はクモイ・タイチの傍まで戻ってきた。
「……なにかな?」
郷秀樹の声は、耳に、というより頭の中に響くように聞こえてくる。
その深い目つきに、クモイ・タイチは一つため息をついた。
「何か、隠していることがあるでしょう」
「いや、別に?」
「……俺が気づいていないとでも? レイガの身体から立ち昇る、あの黒い霧はなんです?」
「それは……」
はぐらかすように微笑む郷秀樹。
「言えないな。気になるならあいつに直接――」
きゅっとクモイ・タイチは目を細めた。
「あいつが正直に言うとは思えないから、あなたに聞いているんだ。あの黒い霧、まるで……伝説の東京決戦でエンペラ星人が放っていた気配みたいだ。禍々しい雰囲気しかない。だが、なぜそんなものがあいつの身体から?」
「いい観察眼だ。……そこまでわかっているなら、訊くことはないだろう? 後は、君たちで調査すれば――」
体を返そうとしたその腕を、クモイ・タイチはがっしりつかんだ。
「いい加減にしろ、郷秀樹。あいつの身に尋常でない事態が起きていることぐらい、わかっているんだ。俺の勘だが……おそらくもう時間もないはずだ。何が起きているのが、どうすればいいのか、さっさと言え」
その厳しく責めるような眼差しに、郷秀樹は浮かべていた微笑を消さざるをえなかった。
「……残念ながら、君たち地球人ではどうすることも出来ない。だから――」
「出来るか出来ないかは、聞いてから考える。第一、地球人として聞いているんじゃない。クモイ・タイチ一個人として聞いているんだ。あいつは、俺にとっては弟子の弟子。助けられるものなら助けたいし、異常を知っていて黙っているなど、弟子にも顔向けが出来ない。どうしても話さないと言うなら――」
郷秀樹の腕を放したクモイ・タイチは一歩足を下げ、半身になって構える。全身から放つ気配はただ事ではない。
「腕ずくでも聞き出す」
「………………。私が……腕ずくで口を割ると思うかい?」
「いいや。だが、俺の本気はわかるはずだ。それでもなお話さないというのなら、それはそれでいい。ただ、俺の気が済むまでぶん殴られてもらう」
物騒この上ない物言いだが、その目は真剣そのもの。
郷秀樹は、ため息をついて頭を掻いた。
「やれやれ。……難儀な後輩だな。わかった、負けだ。話そう」
ちらりと周囲に目を走らせ、シロウたちが気づいていないことを確認して、話し始めた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「よー、かーちゃん。帰ってきたぜー」
呑気に手を挙げるシロウ。
売店前のベンチに腰を下ろしていたシノブは、ほっとした表情で迎えた。
「お帰り。それで、どうだって?」
「えーと」
「――ここでの戦闘はもうないようだ。怪獣は都心へ向かって移動したと言っていた」
答えたのはオオクマ・ジロウ。
霊園の入り口を見やる。警備員が幾人か交通誘導を試みているようだが、車列が動く気配はまったくない。
苛立ち紛れの舌打ちが漏れる。
「ちっ……道路状況が悪いことに変わりはない、か。しょうがない。一応、車で移動できるルートを聞いておいたから、あそこの状況が落ち着くまで、しばらく母さんとシロウはここに――」
「じゃ、歩こうか」
「は?」
「まったく。何を焦っているのか知らないけど」
よっこいしょ、と掛け声をかけて、シノブは立ち上がった。
「そんな態度を人様に見せるもんじゃないよ。本当にあんたは変わんないねぇ」
「いや、母さん。別にそんな無理をしなくても……」
慌てるオオクマ・ジロウを、シノブはじろりと見やった。
「無理ってなんだい? 妊婦さんや赤ちゃん連れってわけでもないんだから。そもそもはなから車に載って移動しようなんて根性だから、この程度のことにあたふたするんだよ。あたしも、あんたも、シロウも元気なんだから歩いていけばいいじゃないの」
「はは、違いねぇや」
速攻で頷いたシロウとは対照的に、オオクマ・ジロウはげんなり肩を落とした。
「いや、簡単に言うけどさ……今、使える一番近い駅まで、相当離れてるんだよ? 俺、地図で確認したから」
「それがどうしたっての。東京から大阪まで歩くわけでもあるまいし。江戸時代の人はその距離でも歩いてたんだよ? このくらいの距離、あたしらでも歩けないでどうするのさ」
「いや、それは……話が違うというか、暴論と言うか」
勢いに気圧されてしどろもどろになっている間に、シノブはベンチに座っていた他の老人に別れの挨拶を終えてしまう。そして、まだ渋い顔をしている息子の尻を叩いた。
「さ、行くよ!」
そこへ、坂田次郎が遅れてやってきた。
「ああ、オオクマさん。自動車を出すのはもう少し待って――」
「社長さん。お気遣いは本当に感謝しますけど、あたしたちはこれで失礼いたします」
頭を下げる。
「え?」
状況が飲み込めない坂田次郎は、思わずオオクマ・ジロウを見やった。
オオクマ・ジロウが答える前に、シノブは続ける。
「あたしもシロウも元気ですから、歩いて隣駅まで向かってみます。社長さんの車は、どうぞ他の困っている方のために使ってあげてください」
「はあ」
「それから……」
ちらっと視線だけを次男に寄せて、すぐに坂田次郎に戻す。
「うちの息子のこと、よろしくお願いします」
再び、今度は深々と頭を下げた。
「ご存知の通り、昔から頭の良さを鼻にかけて口は悪いし、協調性はないし、頑固だし、不器用ですけど……なんだかんだで家族思いで、一番面倒なこと、一番大事なことを見抜いて、自分から背負う子なんです。ほんと、そういうところは死んだ父親にそっくりで。だから、社長さんにはこれからも色々ご迷惑をおかけするとは思いますけど……」
唖然としているオオクマ・ジロウに微笑みかけて、すぐに坂田次郎へ視線を戻す。
「できれば、気にかけてやってくださいな。やればできる子なんです」
「ちょ……いや、母さん母さん。やればできる子って。それじゃあまるで、俺が問題児みたいじゃないか」
「もめごとの多い問題児だろう、君は。だからうちに来たんじゃないか」
坂田次郎はからからと笑いながらオオクマ・ジロウの肩を叩き、そのままシノブに歩み寄った。
「よく存じ上げてまいす。彼が本当に大事なところで気遣いの出来る男だってことは」
そっとシノブの両手を取る。
「だが、むしろ技術者はこれぐらい頑固一徹な方がいい。僕の兄もそうだった。オオクマさん、あなたの息子さんは僕たちと同じ夢を持つ、大事な後輩――いや、僕らとともに夢をかなえる、なくてはならない仲間です」
「そうですか……そう言っていただけると、ほっとします。ありがとうございます。よろしくお願いします」
坂田次郎の手を包むように握り、振りながら何度も何度も頭を下げるシノブ。
オオクマ・ジロウは、居心地悪そうにそっぽを向いていた。耳まで赤く染めて。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「……………………」
郷秀樹から状況を聞き終えたクモイ・タイチは、押し黙っていた。
ガンブースターは既に着陸を終え、待機している。ディレクションルームと通信しているのだろう。
「結論としては、レイガの身体からレゾリューム粒子を取り除くには、光の国で治療を受ける他にないんだ」
「……地球の科学力では無理、か」
「簡単に言ってしまえば、な。……我々をあの姿に進化させた、ディファレーター因子を含む光が必要だ。だが、それを地球上で再現するわけにはいかない」
「地球人はまだ、ウルトラマンになるには早すぎるからな。……理解した。確かに治療は無理のようだ」
小さく頷いたクモイ・タイチの表情は、引き締まっていた。
「だが、話してもらってよかった。これで心置きなく戦える」
「……………………?」
怪訝そうに眉をひそめる郷秀樹の胸に、クモイ・タイチは軽く拳を押し当てた。
「これ以上あいつを変身させる訳にはいかない。奴自身が言ったとおり、役立たずのウルトラマン、ただの地球人にしてやる。それが俺のこれからの戦いだ。――まずは、目の前の敵、サータンだ」
引き戻した拳を目の前で握り締めた。手袋が鳴る。
「必ず俺たちGUYSでケリをつけてやる」
「……その意気だ」
頬を崩した郷秀樹は、クモイ・タイチの肩を叩いて去って行った。
『ねえねえ、タイっちゃん。今の人だぁれ〜? なに話してたのさ−?』
ガンブースターのコクピットから、ヤマシロ・リョウコがヘルメットの音声通信で話してきた。
拳を下ろしたクモイ・タイチは、ガンウィンガーに向かって歩き始めた。
「――昔の地球防衛チームの隊員、つまり大先輩だ。色々と重大な話を聞いた。防衛ラインの配置につく道すがらに話す。……ヤマシロ隊員には聞く資格があるからな」
『えー? なになにー?』
興味津々の声が途切れる。
通信を落としたクモイ・タイチは、きゅっと唇を引き締めて小さく呟いた。
「……もっとも、俺と同じ結論には至らないだろうが、な」
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
離陸した二機のGUYSメカが並んで飛んで行く。
車列が全く動かず、まだ混雑の続いている霊園駐車場入り口まで来たオオクマ家三人だったが、ふとオオクマ・ジロウは足を止めた。
怪訝そうに振り返る母と弟。
オオクマ・ジロウの目は、空の彼方へ小さくなってゆくGUYSメカをじっと見つめている。
「ジロウ?」
母の呼びかけに答えず、携帯を取り出したオオクマ・ジロウはいくつかボタンを押して耳に押し当てた。
しばらく待つ。やがて、舌打ちとともに携帯を閉じた。
またしばし考え込んで――
「……シロウ。隣の駅までの道順は教えたとおりだ。忘れるな。母さんを頼む」
「は?」
二人の返事も聞かず、霊園へ戻ろうとするオオクマ・ジロウ。その腕を、シロウはとっさにつかんでいた。
「ちょっと待てよ。なんだ、いきなり」
「うるさい」
振り返り、シロウの手を振り解く。その顔色は真っ青だった。
「怪獣の予想進路上に……うちのマンションがある。今、妻に電話してみたが、出ない」
「え……?」
シノブとシロウは顔を見合わせた。
「でも、進路予想が出てるってことは、避難勧告もされてるはずじゃないのかい?」
「そうかもしれないが……万が一ということもあるだろ。母さん」
「だいたい、そっちに戻ってどうするつもりだい? 社長に車を借りたって、この状況じゃあどっちみち――」
「いや、借りるのは郷さんのジープだ」
「え?」
再び、シノブとシロウは顔を見合わせた。
「あれは走破性がいい。多少の悪路でも難なく進める。だから、そこの雑木林を突っ切って、道路へ出る」
オオクマ・ジロウの指差す方向には、確かにジープで乗り入れられそうな雑木林が広がっている。だが、そのためには歩道を乗り越え、青々と茂った芝生を痛めつけ、低いロープ張りの柵を踏みつけていかねばならない。
「いいのか? かーちゃん」
「いいわけないだろ。――ちょっと、ジロウ」
「とにかく俺は、ヒサヨとノブヨの元へ行く。止めないでくれ」
言い放つや、止める間も与えず駆け出した。
「……ヒサヨとノブヨ? 誰だ?」
「あの子の奥さんと一歳になる娘だよ。……やれやれ、バカ旦那でバカ親なところは相変わらずだねぇ」
大きくため息をついたシノブは、シロウの背中をぽんと叩いた。
「シロウ、あんたも行ってあげな」
「え? ……なんで?」
「怪獣の先回りしようっていうんだから、何があるかわかんないだろ。あたしは坂田さんと一緒にいることにするから、大丈夫。行ってやっておくれ」
しばらくシノブと、先に行ってしまったジロウの背中を見比べていたシロウは、一つ大きく息を吐いた。
「……わかった。かーちゃんの頼みだしな。行ってくらぁ」
「頼んだよ」
「ああ」
力強く頷いて、シロウは駆け出した。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「郷さん!」
ジープにもたれていた郷秀樹は、坂田次郎との会話を止めて声のする方を見やった。
駆けてきたのはオオクマ・ジロウ。
坂田次郎は目を丸くして驚いた。
「オオクマくん? どうしたんだ? お母さんは? 一緒に駅まで歩くんじゃなかったのか?」
「すみません、坂田社長」
乱れた息を整えつつ頭を下げ、郷秀樹を見やる。
「郷さん。申し訳ないんだけど、乗せてってほしいところがあるんです。いやなら、ジープを貸してくれるだけでも――」
郷秀樹と坂田次郎は顔を見合わせた。
「しかし、霊園の入り口はあの状態――」
「あっちから行けませんか」
指差す方向に二人して目をやり、また顔を見合わせる。
「……雑木林じゃないか、オオクマ君」
「行けないことはないが……」
渋い表情の郷秀樹に、坂田次郎も困惑しきりで訊ねる。
「どうしてそこまでして……何かあったのかい?」
「――嫁さんと娘さんが、怪獣の進行方向にいるんだそうだ」
その言葉に、三人は声の主を見やった。
さほど息を乱していないシロウが立っていた。
「シロウ! お前、母さんは!? まさか、一人で行かせたんじゃ――」
あっという間に怒りの形相になるオオクマ・ジロウに、シロウは手で制する仕草をした。
「待て待て。あわてんな。後からこっちへ来るよ。お前が心配だから、ついてってやれってさ。かーちゃんはここに残るとよ。そこのおっちゃんと一緒に」
「おっちゃんって」
おっちゃん呼ばわりされ、坂田次郎は苦笑した。
「しかし……」
再びシロウに視線を戻したオオクマ・ジロウは、何かを飲み込みかねるように唇を噛む。
その時、ジープのエンジンに火が入った。
三人が驚いて見やれば、いつのまに座ったのか郷秀樹は運転席でシートベルトを締めている。
「二人とも、乗れ」
「郷さん、いいの?」
苦笑混じりに助手席側の窓から覗き込んだ坂田次郎に、郷秀樹はにんまり笑い返した。
「俺も昔、崩れるマンションの中から小さな命を助けようと無茶をした。彼を諌めるわけにはいかないさ」
「しょうがないな。でも、それでこそ郷さんだ」
助手席に乗り込むオオクマ・ジロウに道を譲りながら、坂田次郎は本当に嬉しそうに笑う。いつかの小学生の少年のように屈託なく。
オオクマ・ジロウはシートベルトを締めながら、坂田次郎に頭を下げた。
「それじゃ、坂田社長。母のことをお願いします。……ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」
「いいさ。君の家族への溺愛ぶりはよく知ってる。嫁さんと娘さんによろしくな」
「無事会えたら、すぐに電話します」
「オオクマくん、出すぞ。しっかりつかまってろ。――シロウは余計な口を叩くな? 舌噛むぞ」
言葉が終わらないうちに郷秀樹はクラッチをつなぎ、ハンドルを切って歩道に乗り上げ――霊園職員が止める間も与えず、雑木林へと突っ込んだ。青い芝に痛々しいタイヤの痕を刻み込んで。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
フェニックスネスト・ディレクションルーム。
メインパネルにヤマシロ・リョウコとクモイ・タイチの通信ウィンドウ。ディレクションルームには、アイハラ・リュウとイクノ・ゴンゾウの他、帰ってきたシノハラ・ミオとセザキ・マサトだけでなくミサキ・ユキも揃い、ブリーフィングが行われていた。
「――作戦は以上の通りです」
シノハラ・ミオのサポートを受けつつ、作戦概要を伝え終えたミサキ・ユキに一堂は頷く。
「わかってるだろうが、この作戦の肝は、リョウコ、お前だ」
言葉を次いだのはアイハラ・リュウ。
「射つタイミングはお前に任せる。タイチと上手く連携しろ」
『『G.I.G』』
「それから、初手のマサトだが……ゴンさん、改造メテオールの方はどうなってる?」
「たった今、異次元科学研究所からデータ受信完了。これより整備班が作業に入ります。前もってフジサワ博士よりある程度の作業指示が先行してあったため、機材の改修は既に完了。後はプログラムのインストールと微調整です。作業時間は15分の予定とのこと」
「よし、その作業が済み次第出撃だ。マサト、今のうちにガンスピーダーのコクピットで待機しとけ」
「G.I.G」
ヘルメットを抱え、立ち上がる。
「ミオ、サータンの今の動きは?」
「災害監視システムのカメラ、ガンウィンガーのガンカメラなどを総動員して、捕捉しています。現在、防衛ライン手前約15km。接触まで――現行速度なら20分ほどです」
「ギリギリか。……万が一マサトの到着が遅れる時は、タイチ、お前がフォローして足止めだ」
『G.I.G』
「いいか、相手は常識の通じねえ宇宙怪獣だ。何があるかわからねえ。気ぃ引き締めて行けよ!! ――GUYS、サリー、ゴー!!」
全員による『G.I.G』の唱和がディレクションルームに響き渡った。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
対サータン防衛ライン・GUYSメカ待機場所。
『ほんと、ギリギリだねぇ』
ヤマシロ・リョウコからの通信。彼女は今、ガンブースターから降りて、地上を徒歩で移動している。
クモイ・タイチは思わず機体後方を振り返っていた。
ホバリング状態でサータンの接近を待つガンウィンガー、その後方にはかなり大きな街が広がっている。
この辺りから風景の緑は激減し、都市化してゆく。ここから先はまさしくコンクリートジャングル。
まだギリギリ郊外ということで、眺めも良いせいか、街の端であるここには高額の高層マンションが幾棟か建っている。
住民の避難は済んでいるとのことだが、まさしく最終防衛ライン。
クモイ・タイチは顔を正面に戻した。
「……なんとしても、ここで撃滅する」
『レイガちゃんが出て来れないようにね』
「そうだ」
『うん。……がんばろうね、タイっちゃん』
言葉はともかく、その口調にはいつもの元気がないように感じられた。
レイガはもう戦えない。
先ほど、ここへ来る道中で伝えたその事実について、彼女なりに思うところはあるのだろう。だが、今のところそれを感情的に表に出すことはしていない。もう少し荒れるかと思っていたが……むしろ、こちらがそう思い違いをするほどに、今や二人の絆は強いのかもしれない。
赤外線認識フィルターをかけたガンカメラの映像を確認する。
まだ、サータンは視界に見えない。
時間的にまだ猶予がある、と思うと、ふと、聞きたくなった。
「――ヤマシロ隊員。さっきの話だが……どう思っている?」
『しょうがないよ』
予想外のさばさばした返事。
『実力が伴わなくなれば、一線から身を退くのがアスリートってものだもの。それは、衰えだけじゃないよ。事故、不祥事、それに病気。個人的な問題とか、もっと可哀想なので言えば資金面の問題なんてのもある。いずれにしたって、【その場】に立つ資格が無くなる可能性はどこにでも転がってる。だから、アスリートはその時に出来る精一杯を努力するんだ』
「以前、あいつを友達と言っていたな。それでも、しょうがないと受け入れられるのか」
『られる、じゃなくてさ。受け入れるしかないんだよ。本人も、回りも。無理だから身を退かなきゃいけないんだし。あたしは――友達だから、もしこれで彼が挫けたとしても、見守るよ。そんでもってどういう形にしろ、どういう方向にしろ、彼が再起するというなら、その時、全力でそれを支える』
「故郷へ帰れば、命は永らえられるとしても、それを勧めないのか」
『んー……わかってないならともかくさー、自分でも理解してるわけっしょ? だったら、本人が決めることだもん、それは。そりゃ、元気になってほしいけどさ……彼が何にしがみついているのかを知ってるつもりだから、余計にそれは言えないよ。彼が宇宙警備隊隊員として地球に赴任してきているだけだったら、勧めたろうけどさ』
「……なるほど」
クモイ・タイチは重いため息をついた。
「そこが俺とヤマシロ隊員との違いか」
『タイっちゃんはどうなのさ』
「俺は……地球防衛に引きずり込んだ負い目を感じている」
『でも』
「ああ。最後に決めたのはあいつで、あいつもそれを後悔はしてないだろう。それでも、その気のなかったあいつを言葉巧みに誘導し、戦わせ、地球の危機を守ってもらった。力を借りた。なのに、今のあいつにしてやれることがない。それが、口惜しい」
『タイっちゃん……』
「俺は、あいつが師匠と慕う人間の師匠だ。どちらにも諦めることなど教えてない。それに、いざとなればあいつはその場の勢いで命を顧みずに変身してしまう。これ以上……負い目を背負わされてたまるか。出来ることなら――」
奥歯を噛み締め、焦りの表情で目をすがめる。
その時、ガンウィンガーの警音が鳴り響いた。
ガンカメラにうっすら影が映っている。
『タイっちゃん!!』
「ああ。……やるぞ」
クモイ・タイチは一瞬で表情を引き締め、瞳に強い光を宿した。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
雑木林を抜け、舗装された道路に出たジープは、そのまま道なりに走っていた。
事故のあった霊園前の交差点を離れると、道はもう混んではいなかった。
ナビゲーションはオオクマ・ジロウが行い、車影の見当たらない車道をひた走る。
「――オオクマ君。後ろのシロウ君とややこしいので、ジロウ君と呼んでいいかな?」
郷秀樹の申し出に、オオクマ・ジロウは目をぱちくりさせた。
「え……いや、あの。……光栄です」
照れ臭そうにはにかむオオクマ・ジロウ。
微笑を浮かべた郷秀樹は、そのまま続けた。
「ジロウ君、君の住む地区の住民に指定された避難先を確認してくれないか。電話、もしくはネットで確認できるはずだ。街へ着いたら、まずそこへ――」
途端に、オオクマ・ジロウの表情からはにかみが消えた。
「申し訳ありません、郷さん。先に、自宅へ行って下さい」
「自宅へ? ……しかし、怪獣の通り道のど真ん中なんだろう?」
「ええ。でも、可能性を消しておきたいんです」
「………………」
「万が一、嫁と娘に何かあって避難出来ていなかった場合、居もしない避難所を探している間に手遅れになる可能性を。携帯にも家の電話にも出ず、連絡もないということは、何かあったのかもしれない。とにかく、自宅の中に二人がいないことだけでも確認しておきたいんです。危険は承知ですし……シロウと郷さんをそんな危険に巻き込んで申し訳ないとは、思っていますが……」
「奥さんと娘さん……愛しているんだな」
嬉しそうな口調の郷秀樹に、後部座席からも声が上がる。
「まあまあ、俺も郷秀樹も、この程度の危険は慣れてるからそんなの気にすんな」
「……慣れてる? さっきのGUYS隊員との会話でも気になってたが……シロウ、お前一体――」
怪訝そうに振り返ろうとした時、郷秀樹が口を開いた。
「だが、そうするとこの道はまずいな」
「え?」
「恐らくこの先で検問が敷かれている。戦闘区域に一般人を立ち入らせないために」
当たり前といえば当たり前。だが、その当たり前のことが頭に入っていなかったらしく、オオクマ・ジロウは唇を噛む。
「そうか。くそ、じゃあ、途中で降ろしてもらって……」
「いや、検問前には恐らく車列が出来ているはずだ。それが見えたら脇道に入って、検問を躱す――かなり荒れるぞ。さっきの雑木林どころじゃない」
「構いません」
「いい返事だ」
目に力を込めて頷くオオクマ・ジロウに、郷秀樹は頷き返した。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
霊園駐車場。
職員・警備員総出で、並んでいる車を一旦場内へ戻す作業が行われ、入り口付近の混雑は少しずつ緩和されつつある。
その様子を、シノブは売店前のベンチで見ていた。
「オオクマ君は、愛妻家で知られてましてね」
そういって、お茶のペットボトルを差し出す坂田次郎。
礼を言って受け取ると、坂田次郎はそのまま自分の分の封を切って、飲み始めた。
「――ぷふー。昼ごはんはもちろん愛妻弁当、メモ帳とデスク上に家族の写真、仕事はおおむね定時で帰宅、飲み会も一次会まで、仕事より家族のイベントごとが最優先」
「まぁ……それでは職場の皆さん、快く思ってないんじゃ」
「はは、お母さんの前でなんですが、元々仏頂面ですからねぇ。おまけに口は悪い。口数自体も少ないし、仕事は出来るがとっつきにくそうな相手だと、うちの会社でも最初は煙たがられていたようです」
「やっぱり……。変わってないわねぇ、あの子は」
気恥ずかしそうにうつむいて、ペットボトルに少し口をつける。
「いやいや。ところがその彼がね、家族の話になると顔が緩みっぱなしになるんですよ」
「あれま」
「最近流行の……なんて言ったかな。若い人の間で流行ってる……つ、ツン――そう、ツンデレ。そういうタイプだと理解された途端に、若い者から受け入れられましてね。ツンツンしていても、家族の話を振ると途端に饒舌になるってんで、今じゃあ、いじられ役ですよ。本人はまったく気にしてないようですが、傍で見てると当初より職場の空気は格段に良くなってます」
「はあ」
「奥さんと娘さんの話だけじゃありません。お母さんの話もよく聞いていました。だから、お母さんとは一度お会いしたかった」
「こんな親で、お恥ずかしい限りです」
「何をおっしゃいます。……彼は確かにいい会社には入社したが、職場では理解されなかったようで……。今は生き生きしていますよ。ははは、できれば、このままうちに入社してほしいぐらいだ」
「あの子がそれでいいというのなら、あたしは構いませんよ?」
さらっと言ってのけたシノブに、坂田次郎は驚きの目を向ける。
「世間で一流だの何だのと言われていながら内実の伴わない会社なんて、山ほどあります。そもそも誰かが勝手に言った一流なんて評価、あたしは信用しちゃいません。あの子の会社だってそうです」
「彼があの会社に入ったのは、あなたの勧めではない?」
「当たり前です!」
強い光を宿す瞳が、きっと坂田次郎を見据える。
「自分の人生を託す先を、そんな看板ごときで決めていいわけがありません。あの子が自分で選んで決めたんです。あたしは一切口出ししていません。でも……今日は本当に久々に会いましたけど――」
シノブの視線は、ジープが姿を消した雑木林へ走った。
「今のあの子は、前の職場にいた時よりずっと瞳が生き生きしています。きっと、坂田さんの会社で働くのが楽しくてしょうがないんでしょう。だから、坂田さんにとってもあの子が必要だというのなら、遠慮なく引き抜いてやってください。親として、子供が働き甲斐のある場所で生き生き働ける。これ以上に望むことはありません」
にっこり微笑むシノブに、坂田次郎は真っ直ぐ頭を下げた。
「……ありがとうございます。彼は、是非ともうちに必要な人材です。ですが、うちは規模としては中小。大事な息子さんを一流企業に入れた親御さんからすれば……と思っていたのですが」
「大丈夫ですよ。坂田さんはあの子が憧れた人の弟さんなんでしょ? その夢を受け継ごうというのでしょ? 素敵な話だと思いますわ」
「ご存知だったんですか? てっきり女性にはこの手の話は縁遠いものと……」
「もちろん。あの子の親ですから。もっとも、車のレースが関係しているという程度にしかわかっていませんけどね」
ほほえみの絶えないその笑顔に、坂田次郎はつかの間呆けた。そして、すぐ我に返って苦笑した。
「これは本当に重ね重ね、失礼しました。なるほど、彼が自慢するわけだ」
「それに、職場のことを言うならうちの三男は……ちょっとあれなところなもので」
「あれなところ?」
シノブは微笑に少しだけ苦笑を混ぜた口許を、手で隠した。
「ゲーム会社ですの。大阪の」