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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第8話  誰がために その9

 ブラックピジョン最後の一体は、ウルトラマンのウルトラスラッシュで首を刎ねられて爆散した。
 ほぼ同時に、ディメンジョン・ディゾルバーによる異次元ゲート完全封鎖も完了。
 戦場に立つ敵性存在は、もはやスチール星人のみ。
 それも、尻をついたまま呆然とレイガを見上げているだけだった。
 そして、レイガは元のカラーパターンに姿が戻っていた。
 静まり返った戦場に、レイガと新マンのカラータイマーの点滅音だけが響く。
「【私の……負けだ】」
 スチール星人はがっくりとうなだれた。
「【殺すがいい、レイガ。せめて、弟の眠るこの地にて殺されるのが慰めだ】」
「【……殺すつもりはない。話を聞いてくれればいい】」
 感情を抑えたレイガの静かな声に、スチール星人は顔を上げた。
「【今さら何を言うのだ】」
 レイガはスチール星人に歩み寄り、その傍らに片膝をついた。
「【俺は最初に言ったとおり、お前の話に同情している。出来ることなら、エースと戦わせてやりたい】」
「【それをたった今邪魔したのはどこのどいつだ】」
「【そうだ。俺も、お前がエースと戦うだけならそれでいいと思ってた。だから邪魔はしない、と言った。……戦いの行く末、勝ち負けはお前次第。仇討ちが返り討ちになるのも本人が納得の上なら仕方がないってな。けど……違うだろ、それは】」
「【違う? 何が違うというのだ。仇討ちがバカらしいとか、意味がないとか、そういう話なら】」
 レイガは首を振った。
「【そうじゃない。やるからには勝たなきゃ意味がねえってことだ】」
「【バカにするな! 誰が最初から負けるつもりでなど――】」
「【だから、証明してみせたんだよ。お前の実力を、お前自身にわかるように。ジャックにも勝てない俺に勝てないんだぞ、お前は。ウルトラ兄弟の誰が相手でも、今のお前に勝ち目なんてない】」
「【……………………】」
 スチール星人は黙ったままうつむいた。
「【負ける気なんてあろうがなかろうが、負ける時は負ける。それが戦いだ。俺に負けたってことは……奴らと戦うには、今のお前は明らかに力不足】」
「【……だとしても。私の目的は、奴に殺された弟の無念、その家族の怒りと悲しみを奴にぶつけ、奴ら自身の偽善を暴くことだ。たとえ、戦いの末に負けたとしても――】」
「【ふざけんなっ!!】」
 レイガはスチール星人の両肩をつかんで、強く揺すった。
「【だったら、余計に勝たなきゃ意味がねえだろうが!!】」
「【………………!】」
「【お前の怒りや悲しみが本気だってわからせるためには、エースの奴を叩きのめして、這いつくばらせなきゃだろ! 今、俺がしたみたいに!! この戦いで俺が負けていたら、お前は俺の言葉の本気を信じたか!?】」
「【それは……】」
「【だったら! こんなとこで死ぬな。殺せとか言うな。勝たなきゃならない戦いがあるなら、勝つために必要な全てを手に入れてみろ! こんな下らない、小競り合いに負けたぐらいで、命を捨てんな! 死んじまったら、何も叶えることなんか――お前の思いを思い知らせてやることなんか、出来ないんだぞ!】」
「【……………………。レイガ、お前……いや、君はそれを伝えるために】」
「【俺はお前と約束を交わし、お前はそれを守ってくれた。感謝しているし、何より嬉しかったんだよ、俺は】」
 心を込めて、レイガはスチール星人の肩に手を置いた。
「【俺は……地球に来て、約束を守ることの大事さと難しさ、そして嬉しさや楽しさを教えてもらった。そのうえ、時にはその約束を破ってでも、守らなければならないものがあることも。今は、お前のその気持ちが俺にとって何より守るべきものだ】」
「【……………………】」
「【無論、俺自身は約束を破ったつもりはない。それは、これから果たす】」
 もう一度肩を叩いたレイガは、立ち上がってスチール星人に背を向けた。そうして、そのまま左拳を胸の前に握り締め、右手刀を前に突き出す構えを取った。向かう相手は、GUYSメカ、そしてウルトラマン。
「【行け。このまま地球を去れ。お前の背中は、俺が守る】」
「【なに!?】」
 慌てて、スチール星人は立ち上がった。
「【何を言っているのだ、君は! もうエネルギーも残り少ないくせに!】」
 レイガのカラータイマーの点滅は、既にかなりの速さになっていた。その上、左腕と右脚からは、黒い霧状のなにかが立ち昇りはじめている。
 肩をつかんで揺するスチール星人に、レイガは振り返らなかった。
「【今は勝てなくても、力をつけろスチール星人。……俺が地球で学んだことはもう一つある。学び、励めば、力はつくんだ。今は勝てない相手でも、かつて負けた相手でも、いつか勝てる時が来る。それを信じて、強くなれ】」
「【レイガ……】」
「【そして、力がついたと思ったら、まず俺のところへ来い。その力、試してやる――まずは俺に勝つこと、それがお前の目標だ。その目標へ辿り着くために、今はここを去れ!】」
「【……………………】」
 スチール星人はしばらく、自分の両手を見下ろしていたが、やがてその手を拳に握り締めた。
「【すまん、レイガ。この恩はいつか、必ず】」
「【いいさ。そういうのは、なしにしとこうぜ。それが友ってもんだぜ?】」
「【……わかった。ありがとう】」
 スチール星人は地面を蹴って飛んだ。
 そのまま、空の彼方へ飛び去る。
 追おうとしたGUYSメカの前に、素早くレイガも飛び上がって立ちはだかった。
 両手を広げ、首を振るレイガを前にガンブースターもガンウィンガーも追跡を諦めざるをえなかった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 遠く離れたGUYSジャパン臨時ディレクションルームでヤマシロ・リョウコがトライガーショットの銃口を下ろし、安堵の吐息を漏らした。
「ふぅ……やったね、レイガちゃん。頑張れば出来るじゃん。あっちも立てて、こっちも立ててさ」
 その目は優しい光をたたえて、正面メインパネルに映るレイガを見つめていた。
 あの路地で、シロウに掛けた言葉を反芻する。


「君が彼のライバル役を引き受ける。それが彼のためでも君のためでもある。君のことだから面倒くさがるかもしれないけどさ、そうやってお互い切磋琢磨する相手がいればこそ、腕って上がってゆくもんなんだよ。そうして磨いていけば、今ではなくても遠い未来、お互いエースに勝てるほどの実力が身につくかもしれない。その可能性を、彼に気づかせるんだよ」

「話の中身? それは……それぐらいは自分で考えなよ。大丈夫。君は地球に来てさ、色んなことを経験したっしょ? その中に、全部答えはあるよ。あたしが保障する。そもそも大事な友達を救うためなんだ。君の中の全部、搾り出せ! その代わり、あたしはその話し合いを絶対邪魔させないから。ん、約束する」


「――ーコちゃん? リョーコちゃん、どうかした? もういいわよ、コネクタ外しても」
「あ? ……ああ、うん」
 ミッション終了を告げるシノハラ・ミオの呼びかけに正気づいたヤマシロ・リョウコは、適当に相槌を返しながらトライガーショットの銃床からコネクタを抜いた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 その後、レイガが姿を消し、GUYSメカもセザキ・マサトを回収して撤収。(ガンローダーは別働班が回収に出動)
 フェニックスネストがCREW・GUYS日本支部基地内の定位置に戻った。
 新マンはいつの間にか姿を消していた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 戦場にほど近い峠。
 放置されていたジープの元に戻ってきた郷秀樹は、顔をしかめた。
 ジープの前に誰か倒れている。
 駆け寄ってみれば、オオクマ・シロウだった。
「どうした、レイガ」
 腕を首に回させ、担ぎ上げる。そうして、ジープの助手席に座らせた。
 改めて見ると、顔色が悪い。額も脂汗でびっしょり濡れている。頬がぴくぴく震えているのは、痛みによるものか。
「左腕と右脚だな。痛むのか?」
「……身体が…………真っ二つにされたみてえだ……」
 苦しげな呻きの中から絞り出すような声。
 郷秀樹は、少し身体を離してシロウを見据えた。その瞳がきらりと光る。
 すぐ、その表情が痛ましげに歪んだ。
「いかんな。レゾリューム粒子の侵食がさらに進んでいる。左肩どころか、もう胸の中ほど辺りまで進んでいる。右脚も……もう腰を越えて左脚にまで広がりかかっているぞ。――だから言ったんだ。力を使うな、変身するなと」
「けど……それじゃあ、助けられなかった……誰も」
「以前にも言ったが、誰かを助ける代わりに命を落としてはいけない。それは、待っている人の悲しみになる。レイガ、もう光の国へ帰れ」
「……い、やだ……俺は…………この星に……」
 声が急速に小さくなり、途切れた。意識を失ったらしい。
「……………………」
 郷秀樹は少し考え込んだものの、やるせなく首を振ってシロウの身体をシートベルトで固定した。
 そして、運転席に回って座る。
 キーを回し、エンジンをかけ、サイドブレーキを外し――ふと、隣のシロウを見やった。
「今日は家まで連れて行くが……いずれ、無理矢理にでも光の国へ連れ帰らなければならないな」
 その呟きを風に吹き散らし、ジープは走り始めた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 その日の夜。

 CREW・GUYS日本支部地上施設。
 食堂で物憂げに紙コップを弄んでいるヤマシロ・リョウコの姿があった。
 中身を飲み終え、空の紙コップを斜めにして回してみたり、縁を指先でなぞってみたり。その瞳は紙コップを見つめながらも、何も見てはいなかった。
 そこへ、クモイ・タイチがやってきた。食堂備え付けの紙コップを取って飲料を注ぎ、ヤマシロ・リョウコの向かいに腰を下ろす。
「――サコミズ総監とフェニックスネストの帰還祝いをやるそうだ」
 クモイ・タイチのその言葉に、ヤマシロ・リョウコの手が止まる。
「今すぐ?」
「いや、フェニックスネストの設備再点検やら、臨時ディレクションルームからのデータ移転やらの作業がある。GUYSメカもかなりダメージを負ったしな。時間が取れるようになってからだ」
「ふぅん」
 誰が聞いても生返事。
 クモイ・タイチはまたちびりと飲料を口に含んだ。
「……何か悩みか?」
「別に。……ちょっと物思い。ん〜……タイっちゃんには話してもいいかな」
 そう話すヤマシロ・リョウコの口許は緩んでいた。夢を語る子供のように。
「あたしたちがみんな死んじゃっていなくなった遠い未来でさー、お互い切磋琢磨したレイガちゃんかスチール星人がさ、エースに勝っちゃうと面白いなって。それが楽しみなような、見られないのが残念なような。そんな想像してたのさ」
「バカらしい」
 一刀両断して、クモイ・タイチは紙コップをあおった。
「ウルトラ兄弟の一員であるウルトラマンエースと戦うということは、どうあれ宇宙の犯罪者になるということだ。スチール星人はともかく、レイガはそこまで悪党にはなりきれまい。それに……わかっていてけしかけたのかと思ったが?」
「……なにをさ」
 そう問い返すヤマシロ・リョウコの唇が少しとがり気味なのは、一刀両断にされたからか、それとも問われた言葉の中身に警戒してか。
 クモイ・タイチは飲み終わった紙コップを手の中でぐしゃぐしゃに揉み潰した。
「強くなるということは喜びだ。心寄せた相手が、もしくは恨みもなくただお互い強くなるために競う相手が、自分と同じように強くなるということは、それもまた喜びだ。……喜びは悲しみを癒し、怒りを静める。時間はかかるだろうが……レイガという『相手』に恵まれたあのスチール星人は、いつの日か気づく時が来るかもしれん」
「なにに? 復讐のバカらしさ? とか?」
「復讐心が、自分の中で小さくなっていることに、だ」
「でも……恨みの心は、そんな簡単に消えるものじゃないんじゃない?」
「なくなりはしないさ。しかし、世界を知ることで心という宇宙空間が広がり、広がった分だけ喜びが満ち、恨みや怒りにくべる薪が少なくなれば、自然、燃え盛る復讐の炎は勢いを失う。消えないにしても、いずれ天秤に掛けることになるかもしれない。レイガとの友情と、おのれの復讐心を。それこそ、俺たちみんなの寿命が尽きて、地球じゃあいつらのことを憶えている人間なんて誰一人いなくなった未来にな」
 ヤマシロ・リョウコは、ふと食堂の窓から見える夜空を見やった。
「……その時、二人はどんな結論を出すのかな……」
「どうであれ、愚かしい結果にだけはなるまいさ」
 そう言って、右手を振るうクモイ・タイチ。ほぼ直線の軌跡を残して走った紙の塊が、ダストボックスに入った。
 そして、立ち上がる。ヤマシロ・リョウコが見ている夜空に、瞳を向ける。
「俺やヤマシロ隊員、イリエ師匠にチカヨシ・エミ、アキヤマ・ユミ、それに……なんといってもあの母親に育てられたレイガが出す結論と、それに付き合う奴の結論だ。どう転んでも最後は笑って終われる結果になるだろう。俺は――少なくともそうなるように、鍛えたつもりだ」
「そうだね」
 頷くヤマシロ・リョウコは最前の笑みを取り戻していた。
「それが友達ってことだもんね。一緒に笑うために。一人では辿り着けない場所へ、ともに手をつないで行く。……あたしたちがいなくなっても、あいつの心にあたしたちの愛情や友情が残る限り……あいつは友達のために、照れながら、恥ずかしがりながら、そんでもってツンツンしながら、結局バカするんだろうね」
「ああ。そうだな……バカなところだけは、どうしようもないな。あいつは」
「そりゃそうだよ。死ななきゃ治らないっていうもんねぇ」
 なにやらツボにはまったらしく、けらけらけら、と机を叩いて爆笑するヤマシロ・リョウコ。
 その様子を目の隅で見やるクモイ・タイチも、その頬を緩ませていた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「ひぇっきしゅ!」
 盛大なくしゃみと共に目覚めたシロウは、しょぼつく眼を何度もまばたかせながら、辺りを見回した。
 見覚えのある風景は、オオクマ家のシロウの部屋だ。
 だが、そこに見たことのない連中の一団の背中が――いや、あの服は見たことはある。確か――
「あー! お兄ちゃん起きたー!!」
 一団の一人、幼い男の子があげた声に、テレビを見ていた子供たちが一斉に振り向いた。
「お兄ちゃんお兄ちゃん、ありがとー!」
 一番小さい女の子が布団の上に這い乗ってきて、耳鳴りがしそうな甲高い声で叫んだ。
 続いて、男の子がシロウの傍に立ってその左手を握る。
「ありがと、シロウ兄ちゃん」
 あとの少し年上の二人の女の子は、男の子の横に並んで正座して、きちんと頭を下げた。
「ありがとうございました」
「ありがとう、シロウお兄ちゃん」
 並んだ子供たちの笑顔を見回した寝ぼけ眼のシロウは、頷いた。
「ああ……うん……」
 そしてそのまま、まぶたを閉じながらのけぞり倒れるように再び枕へとドリームダイブを――
「寝ちゃダメー!!」
 子供ならではの敏捷性で、男の子が枕を奪い去った。
 あるべきものと予想しての背面ダイブは、予想外の衝撃を後頭部に与えた。
「ぐぉがっ!」
 頭の後ろから鼻へと突き抜ける衝撃波。
 頭を抱えて悶える前に、今度は布団の上に這い乗っていた女の子がダメーと叫びながら、腹の上に乗っかってきた。
「ぐふぁ!」
 年かさの二人は慌てたものの、止めるより先にシロウは布団を引き剥がされていた。
「起きなきゃメーなの! ママにプンプンされるのよー!」
「プ、プンプン? なんだそりゃ? ……つーか、なんでお前らここに!?」
 ようやく起きてきた頭で、状況をつかもうとする。が、理解できない。
 なんで、今日病院で怪我を治してやったマキヤとトオヤマの子供らがここに勢揃いしているのだ?
「あー、シロウちゃんやっと起きたのね。よかった」
「これ、あんたたち。シロウちゃんは一応怪我人なんだから、ダメよ。寝かせてやんなさい。ほら、布団から下りて」
 台所から騒ぎを聞きつけて入ってきたマキヤとトオヤマに、子供たちは慌てて布団から下り、枕を返した。
 子供たちの前に並んで座る二人。台所からはシノブが少し呆れたような表情で入ってきて、ちゃぶ台についていた。
「色々大変だったけど、一応退院できたからさ、みんなで揃ってお礼を言いに来たの」
 トオヤマは両手で上下に挟むようにシロウの左手を取った。その目が珍しく、潤んでいる。
「特に、うちのお姉ちゃんの脚……歩けなくなるところだったのに、本当にありがとうね。このお礼は……あ、そうだ。うちの娘、嫁にどうかしら?」
「ちょ、ちょっと、ママ!?」
 娘の異議とほぼ同時に、すぱん、とマキヤの手がトオヤマの頭をはたいた。
「トオヤマさん、意識戻らないぐらお頭打ったくせに、そういうところは元のままなのね。いっそ、人格変わっちゃえばよかったのに」
「ひ、ひっど〜い。……そもそもその打った頭を容赦なく叩くなんて――マキヤ、怖ろしい子。っていうかさ、マキヤさんはそういうところ、さらにキツくなったんじゃない? ほんと、うどんの角で頭でも打ったんじゃないの?」
「どこよ、うどんの角って。――ともかく、シロウちゃん。うちの子たちの脚のことも、わたしの顔のことも、なにから何までありがとうね」
 きちんと指をついて深々と頭を下げたマキヤは、頭を上げると息子と娘を振り返った。
 黒ぶちメガネのレンズがきらりと白光を弾く。その真剣な表情に、子供たちも思わず神妙な顔で背筋を伸ばす。
「いい、二人とも。このお兄ちゃんによく懐いておきなさいね。お父さんになにかあった時は、このお兄ちゃんが新しいお父さんに――」
「あなたこそ子供たちになに言ってんのー!?」
 傍にあった新聞紙を使った即席のハリセンチョップでトオヤマがマキヤの頭をはたく。メガネが落ちた。
「あ、ああっ、メガネメガネ……」
 メガネを求めて自分の周りを手で撫で回すマキヤ。
 その時、シロウが口を開いた。
「いや、お前病院でメガネかけずに歩き回って鏡覗いてたじゃん」
 凍りつく空気。
 十秒ほどの沈黙の後――
「はいっ!!」
「ほっ!」
 二人の母親は、盆踊りを途中で停止したような意味不明のポージングをキメた。
「……………………なんなんだ、そりゃ」
「いやぁ、目覚まし代わりのコントを少々」
 照れくさそうに新聞で自分の頭を撫でるトオヤマ。
「だってー、ペコペコ頭下げるだけじゃ面白くないもの。せっかくお礼を言いに来たんだし、楽しくしようと思ってぇ」
「はあ」
 呆れたというより、二人の勢いに圧倒された態でシロウは頷く。
「ともかく、シロウちゃんはマキヤ家と――」
 マキヤの後を間髪入れずトオヤマが受ける。
「――トオヤマ家の大恩人なんだから、なにか困ったことがあったらいつでも相談してね」
「そうそう。両家が総力を結集して、シロウちゃんを助けちゃうから」
 二人の笑顔に、四人の子供たちの笑顔。そして合計六つの顔の頷きを見ていたシロウは、ふと表情を曇らせた。
 取り繕うように頷き返す。
「……ああ。ま、みんな無事でよかったな」
 そして、そのまま布団から立ち上がった。
「どうしたの、シロウちゃん?」
「あ、おトイレ?」
「いや、用事を思い出した。――かーちゃん、ちょっと行って来る」
「お客さんを放って行くのは感心しないね」
 お茶を飲みながらのシノブの一言に、シロウは口ごもって一同を見回した。
「……わりいけど、大事なことでさ。急ぐんだ。あとで拳骨でも何でも受ける」
 それだけ言うと、シロウは足早に玄関へ向かった。
「すまないわねぇ、お二人さん」
「わたしたちは別に……ねえ?」
 マキヤとトオヤマは顔を見合わせて頷いた。
「ええ。でも、気になるわね。シノブさんの拳骨覚悟で行く用事って……なにかしら?」
「あの子、バカだから。気がつくとそれしか見えなくなっちゃうのよ」
 少し嬉しそうに頬を緩めながら、シノブはまた湯飲みをすすった。
「それ? って……オオクマさん、知ってるの? なにか?」
「いーえ、なにも。でも……男の子があんな顔して出て行く時は、なにかのけじめをつける覚悟を決めた時なのよ」
 シノブが諦めの混じったような、しかし慈愛に満ちた笑みとため息を向けた玄関から、シロウが扉を閉じた音が聞こえた。
 シロウの前に三人の息子を育て上げた母親の含蓄ある言葉に、二人の若い母親は感に堪えぬような唸り声を上げて頷いた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 チカヨシ家玄関前。
 夜分にチャイムを押したシロウの前に、エミが出てきた。
 その眼差しは、いつもより険がある。
「なに? こんな遅くに話って。言っとくけど、昨日の件だったら、あたし絶対に――」
「ごめんなさい」
 シロウは、何の躊躇もなく頭を下げた。
 エミは思わず目を瞬かせた。
 一瞬呆気に取られたものの、すぐに表情を引き締める。
「いや、シロウ。いくら謝っても、ダメなものはダメ。……今日の戦いも見てたけどさ。その……そりゃまあ、無事に勝ててよかったと思うけどさ。でも、勝ったからシロウがやったことや言ったことが全部チャラになんて」
「そうじゃない。……です」
 シロウは頭を下げ続けたまま、答えた。
「許してくれとか、なかったことにしてくれなんか言わない。……あいつと交わした約束が間違ってたとも思ってない。……です」
「はあ?」
 再びエミの眉間に険が寄った。
「なによそれ!? じゃあ、今のは何の意味のごめんなさいで、何のために頭を下げてんのよ!! ――ふざけんじゃないわよ!」
 玄関ポーチを下りてきたエミは、シロウの襟元をつかんだ。それでも、シロウは頭を上げない。
「く……顔上げろ! あたしの顔を見ろ、バカ弟子!」
 力いっぱい揺すられて、シロウはゆっくり顔を上げた。瞳はエミをしっかり見据える。
「あいつは、俺との約束を守ってくれた。あいつは……悪い奴じゃない」
「地球人が何人も死んでるんだよ!? あいつのせいで!! なにが悪い奴じゃないよ!!」
「けど、あいつの弟はエースに殺されたんだぞ!! 地球人はそんなエースを神様みたいに崇め奉ってる!! あいつにとって、だから地球人は――」
「そんなの、そいつの自業自得じゃない!!」
 シロウの頬に引き攣りが走った。こちらも険が浮かび、語気が強まる。
「じゃあ、エミはユミが殺されてもそんな風に言えるのかよ!!」
「はあ!? なんでそこにユミが出てくんのよ!!」
「もしも、ユミがなんかの理由で悪事を働いちまって、それを俺が殺しちまったとして――エミは、そんな俺を英雄だなんだと崇め奉る連中に、何も感じないのかよ!? ムカつくだろ、普通!? エミがユミの仇を取ろうと思った時に、そんな連中のことまで考えてやるのかよ!? 考えられんのかよ!!」
「ちょ……そんなの、話の飛躍じゃない!! ユミはそんな悪事を働く子じゃないし、あんただって――」
「だから、もしもの話だろうが!」
「もしもでも無いっ!! 無い無い無い無い無い無い、そんなの、絶対絶対絶対絶〜〜〜〜〜〜っ対、無いっ!!!」
「だああああっっ!! 人の話を、きちんと聞けよっ!!」
「あんたこそ、勢いで頭下げんなっ!! そんな軽いノリで許されると思うなっ!!」
「だから許してくれなんて言ってないだろ!」
「頭は許してほしいときに下げるもんでしょうがっ!! それとも光の国では喧嘩売るときに頭下げんのかっ!!」
「光の国でもそんな作法あるかっ!! 全宇宙的にごめんなさいは頭下げるもんだっつーの!!」
「だったらあんたのあれはなんだっつーの!!」
「だーかーらー! 無神経でごめんなさいって言ってんだろーが!!」
「…………はア?」
 あらん限りの声でわめき合った二人は、両肩で息をしながらじっと睨み合った。
 辺りの家々で窓を開く気配があり、近所で犬が吠えている。エミの家でも、玄関脇のリビングに、カーテンを開いて覗いている家族の影が映っていた。
「俺は――」
 やがて先に口を開いたのは、シロウだった。
「今日、俺にとってあいつは……エミ師匠と同じくらい大事な奴になった。リョーコが言ってた友達ってのが本当に正しい呼び方なのか、正直ピンと来ない。けど……だから、あいつとの約束を間違っていたなんて口走る裏切りを、この場にあいつがいなくても、いや、いないからって絶対にしたくない。だけど……俺が黙っていればいいことまで得意げに口走ったから、師匠やユミに哀しい思いをさせた。それを謝る。……ごめんなさい」
 再び、深く頭を下げるシロウ。
 エミは唇をきゅっと噛んだ。その瞳は揺れていた。
「……そんなの……受け入れられない」
「ああ」
 頭を上げたシロウは、エミと同じくなにかをこらえるように唇を引き結んでいた。
「わかって……ます。これで破門になるのも覚悟の上、です。それでも、これを言わずに破門されたり、破門されなくてもこのままなんとなく続けてゆくのは、違うって思った、です。俺に、色んなことを教えてくれた師匠だから、きちんと俺の正直な気持ちを伝えておきたかった。です。……だって……この、ごめんなさいを言わないと………………最後に、ありがとうって……言えないから」
「シロウ……」
 唇を噛み破りそうなほど強く噛み締めたエミは、全身を震わせていた。
 その瞳にはもうあふれそうなほどの潤みが溜まっている。やがてその堤防は、エミの必死の努力空しく、決壊した。
 頬を流れ伝う二筋の雫。
「この……バカぁぁぁぁぁ!!
 吠えていた犬が驚いて黙るほどの大声で叫んだかと思うと、エミの拳がシロウの横っ面を的確に捉えた。
 大きくのけぞり、そのままこらえきれずにもんどりうって道路に倒れ伏すシロウ。
 女子高生とは思えぬ、凄まじいパンチだった。
 星の飛び交う視界にくらつきながら起き上がると、泣きながら物凄い形相で睨んでいるエミが拳を握り締めて立っていた。
「……し、師匠……」
「あんたが!」
 先ほどほどではないが、強烈な一撃が、反対側の頬を襲った。
「謝る言葉はっ!!」
 鼻っ面に一撃。鼻血が噴いた。
「それだけかぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!」
 みぞおちに一撃。体が『く』の字に曲がる。――正直、スチール星人の攻撃より効く。無論、心にも。
 足から力が抜ける感覚に、膝が砕ける。シロウはエミにもたれるようにして、ずるずると崩れ落ちた。
 膝立ちで呆けているシロウの血まみれの顔を、エミは両手で挟んで上向けた。そこへ涙の雫がぽたぽたとふりそそぐ。
「まだ言わなきゃいけない言葉があるでしょお!? 言えよ! 言いなさいよっ!」
「……な……にを……?」
「あたしはあんたの師匠なんだぞ!? その師匠に言う言葉が、無神経でごめんなさい、だけ!? ふざけんな! まだあるでしょ!! 一番大事な言葉が!! 弟子として、師匠に言わなきゃいけない言葉が!! それも言わずにさよならなんて、絶対言わせない! 言えっ! 言え! 言いなさいよシロオぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 殴られて、頭を揺さぶられて、少し焦点を失っている意識の片隅で、シロウは、ああ、と嘆息した。
 彼女は――エミ師匠は、まだ自分を弟子と呼んでくれる。弟子でいさせてくれようとしている。
 考え方が、立場が異なるからと、去ろうとしている自分を引き止めるために、あらん限りの魂を注いでくれている。
 なぜだろう……そう思うと、不思議でしょうがなく、けれど、とても嬉しかった。

『相変わらず鈍いなぁ』
 心の隅でリョーコが笑う。まったくその通りだ。
 リョーコはすごい。
 俺がこんな風に悩んでいても、何でもお見通しで全部わかってる。
 多分、師匠が何を言えと言っているのか、リョーコならわかるんだろう。
 でも、俺はダメだ。
 わからない。
 なんて言ってほしいのか。
 わかるなら、今すぐにでも口に出したい。
 あんな風に泣きながら必死な師匠を見るのは――ああ、そうだ。師匠を泣かせるなんて、俺は本当にダメな弟子だ。またかーちゃんに殴られる……。

『かーちゃんは自分で考えなって言ってんの』
『いい加減、かーちゃんの愛情ぐらい読んでやんなよ、悩める青少年』
『そんなんじゃ、いつまでたっても恩返しできないぜ?』
 そうだ。俺は師匠に恩返しをしなくちゃいけない。
 なのに、俺はかーちゃんの愛情どころか師匠の気持ちさえ読めないでいる。だからあんな無神経なことを口走って……。
 色んなことを教えてくれた師匠を――

『大丈夫』
『君は地球に来てさ、色んなことを経験したっしょ?』
『その中に、全部答えはあるよ』
『あたしが保障する』
 ――そう。色んなことを。
 師匠だけじゃない。色んな人に教わった。
 けれど……わからない。
 今、師匠が求めている言葉が。心が。
 こんな俺をどうして引き止めるのか。
 考えても出てこない。いや、考える以前に、もう頭が空っぽで――
 とにかく、師匠の涙だけでも止めたくて――

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「ごめん……なさい、師匠……」
 シロウのかすれた声に、エミは動きを止めた。じっとシロウの顔を見つめる。
「な……に……? 今、なんて言った?」
「ごめん……なさい…………師匠……」
「その……そのごめんなさいは、何のごめんなさいなの……?」
「俺は……バカで…………未熟で……師匠を、泣かす……ような…………弟子で……ごめ、ごめんなさい……」
 その瞬間、エミは笑った。涙をこぼしながら笑い、シロウを思いっきり抱き締めた。
 そして、その耳元で――
「よしっ……許す!!」
 と、叫んだ。
 半分落ちかかったシロウの表情が、ようやく緩んだ。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 10分後。近くの公園。
 仏頂面でベンチに座るエミの前に、シロウは立っていた。
 大声でぎゃいぎゃい騒いだせいで、近所には痴話喧嘩と勘違いされるわ、犬は対抗意識燃やしてかやたら吠えるわ、挙句、親には頭を冷やしてこい、と家を追い出されてしまった。
「……年頃の娘を夜中に家から追い出すとか、なに考えてんのよ。うちの親は」
 ぶつぶつと恨み言をぼやくエミ。
 10分前とはうって変わって晴れ晴れとした顔で、シロウは握った拳を突き出した。
「大丈夫、師匠は何があっても俺が守ります! 安心して下さい!」
「バカ言ってんじゃないわよ」
 エミにジト目で睨まれ、シロウはたじろいだ。
「あんた、まだやることあるでしょ?」
「え?」
「ったく……」
 大きくため息をついて、エミはベンチの背もたれに背中を預けた。
「ユミにも謝りに行くんでしょ?」
「あ……はい。でも、師匠を置いては……あ、そうだ。師匠も――」
「あたしは行かない」
「え? でも……」
「こっから先はシロウとユミの間のことでしょ。あたしがついていったら、ユミはどう思う? シロウはあたしに言われたから謝りに来たのかも、って思われたら、あんたの真心はもう届かなくなるわよ? ……だいたいガキじゃあるまいし、なんであんたの謝罪にあたしが」
「……………………」
 うつむいて悩むシロウ。
 エミは追い払うように手をしっしっと振った。
「いいから行きなさいって。あたしの家はすぐそこで、見えてる距離なんだし、夜中っつってもまだ起きてる人の多い時間なんだから」
 エミが親指で差した公園の時計は、10時半を指している。
「ありがとうございます、師匠」
 不意に頭を下げたシロウに、エミは皮肉っぽく唇の端を吊り上げた。
「今度はありがとう、か。でも、そのありがとうは、何のありがとうなのかしらね?」
「全部です。でも、一番は……俺の師匠で、ありがとうございます」
 もう一度頭を下げたシロウは、そのまま走り出した。


 公園を出てゆくその後ろ姿を見送りながら、エミは抑えきれない嬉しさに頬を緩ませていた。
「……うん。でも、ありがとうはあたしのセリフだよ、シロウ」
 そう呟くエミの耳の奥に、甦る言葉。

『同じものを見ているのに意見が異なった時は、なぜアキヤマがそう考えるのかを、自分なりに考えろ。彼女のものの考え方を理解することで、今のチカヨシに見えていない、別のものが見えてくることもある』

「そうよ……。な〜にが辛く当たっちゃうかも? 許せないかも? まったく。自分の器の狭さを弟子のせいにしてさ……」
 舌打ちをしたエミは、また険しい表情に戻って唇を噛んだ。
 冷静に考えれば、シロウは自分達を守るために、出来る範囲で約束をしてくれたのだ。あの暴れん坊が――なんだかんだ言いながら、拳を振るうことでしか決着をつけることを知らなかったやつが、戦わずに守ることを選んでくれたのだ。あたしたちのために。
 それがどれだけ凄いことなのか――今になって気づくなんて。
 シロウにはシロウの立場がある。あたしと違う星で生まれ、あたしと違う物を見て、その中で生きてきて培った考え方がある。
 その立場を、考え方をきちんと推し量ってやれなかった自分は、なんと短慮で浅はかなのか。
 クモイ師匠はあの時、地球は地球人の手で守るべきだ、ときちんとシロウに応えていた。
 ユミでさえ、許さないとは言わなかった。どうしたらいいか、わからなくなるとしか言わなかった。
 あたしだけが、シロウを批難したのだ。
「挙句、引っ込みつかなくなっちゃって……。最後はこのザマ。泣いて殴って、抱きしめて許す? ……なに、この茶番。バカじゃないの」
 重いため息をついて、夜空を見上げる。
「あたしの方こそごめんね、シロウ……こんな、未熟な師匠でさ。シロウが成長してるのに、それに応えられない師匠なんて、居る意味ないよね――やん」
 目の前をよぎった小さな羽虫に、反射的に両手を出して叩いた。
「ん、もう。……あ?」

 虫が潰せたか確認しようと手を開いて――なぜか、ふと思い出した。

 かつての夏合宿で、イリエ大師匠に出された宿題。
 両手を叩いて、弟子と師匠の関係を諭した『独掌みだりに鳴らず』。
「……そっか」
 身体を起こしたエミは、開いたままの自分の両手を交互に見比べた。
 イリエ大師匠の言わんとしたこと。両手を打ち合わせるからこそ、音が響くということ。その意味は。
「師匠(あたし)は、弟子(シロウ)がいるから師匠になれるんだ。弟子(シロウ)は師匠(あたし)がいるから、弟子なんだ。……弟子と師匠は右手と左手」
 そのまま両手を打ち合わせた。再び乾いた音が夜の闇を震わせる。
「打ち合わせることで……何かが生まれる。弟子に応えて、師匠に応える。お互いを思い、お互いを知り、お互いに育つ。二つで一つ。これかぁ……こういう、ことなんですね」

『あいつとの約束を間違っていたなんて口走る裏切りを、この場にあいつがいなくても、いや、いないからって絶対にしたくない』

 さっき、シロウが叫んだ言葉。
 あれを聞いた時、いつの間にそんなに男らしいことを言えるようになったのかと驚き、思わず胸が熱くなった。言葉を継ぐのを忘れた。……シロウには内緒だけど。
 自分の知らないところでも、弟子(シロウ)は成長しているのだ。自分という師匠の姿を見て、自ら打ち、響いているのだ。
 エミは両手をぎゅっと握り締めた。
「イリエ大師匠……不肖のバカ孫弟子は、ようやく理解しました。……やっぱりデカいなぁ、師匠の師匠。クモイ師匠だけでも、全然手が届く気がしないのに……もっと大きくて、深いや」
 立ち上がったエミは、その場で深く頭を下げた。
「――ありがとうございましたっ!!」

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「……で、それはそれとして」
 立ち上がったついでに、ポケットの中から携帯を取り出す。
 鼻歌交じりにアドレスから番号を選んでかける――呼び出し音四回で相手が出た。
『はい、アキヤマです。――エミちゃん、どうしたのこんな時間に?』
 少し心配そうな親友の声に、エミは歯を剥いて笑みを浮かべた。
「うん、ユミに大ニュース。今、シロウさんがうちに来てさ。昨日のこと、謝ってった」
『え? そうなの? ……エミちゃん、許してあげたの?』
「ドつき倒してやった。きしししし」
 嘘は言ってない。
『じゃあ、許してあげなかったの……?』
 不安そうなその声に、エミは肩の力を抜いて一息ついた。
「そんなのどうでもいいじゃない。その件は、あたしとシロウさんのことなんだから」
『でも……』
「それより、シロウさんこれからユミんちへ行くって。走ってったけど……まあ、時間はあるから、どう出迎えるかたっぷり考えなさいよ」
『え? ええ〜っ!? うそ、シロウさんが来るの!? やだ、どうしよう、わたしこんなパジャマ姿……』
 電話の向こうでバタバタしている気配を聞き取り、意地悪げな笑みを浮かべたエミはそのまま携帯を閉じた。
「あとは二人次第ってね。……がんばんなよ〜、ユミ」
 再び見上げた空に浮かぶ月。
 少し冷える秋の夜風が、公園の木々を吹き揺らしていった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 遙か未来か、あるいはほんの少し先の未来か。


 銀河系の辺縁。
 岩だらけの小惑星に、スチール星人が佇んでいた。
 その足元には、地球で『ベムラー』と呼ばれている怪獣の息絶えた姿があった。
 全身砂埃で汚れ、あちらこちらに傷を負ったそのスチール星人は、左手でたった今ダメージを受けた右腕の上腕を押さえながら空を見上げていた。
 そこからでは決して見えない遙か彼方の星系、そこに輝く奇跡のように青い第三惑星。
 そこに今でもいるのだろうか、彼は。
 戦って倒すべき目の前の相手の心までも背負い、自らの命を懸け、戦い、勝ち、そして生きろ、と諭してくれたあの男は。
「……まだまだ、こんなものでは足りないのだろうな」
 手の平を見下ろす。
 戦えば戦うほど、強さを求めれば求めるほど、かえって離れてゆく気がする。
 自分の弱さを克服したと思うたび、自分の中に宿る重い足枷を感じずにはいられない。
 それを抱えている限り、彼には追いつけないのかもしれない。
 けれど、それを捨ててしまっては自分でなくなる気がする。
 そんなことで悩み、決断を出せない自分が情けない。
「……友、か」
 その心地よい響きが、悩みを嘲笑っている気がした。
 見つめる手を、暗い空へと掲げた。
「いずれ、な」
 掲げた手に応えるように、銀河の一角がきらりと輝いた。


【第9話予告】
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