ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第8話 誰がために その5
夕刻。
東京P地区、オオクマ家――の縁側。
赤く燃える太陽は遥か西の山影にかかり、辺りには物悲しいヒグラシの鳴き声と秋の虫達の奏でる音色があふれている。
シロウは夕陽に赤く染まる自分の手を、じっと凝視していた。
そこへ――
「おい、レイガ!!」
どう考えても喧嘩腰でシロウを呼んだのは、庭の裏木戸から入ってくるCREW・GUYSの隊員だった。頭に包帯を巻いている。
「隊長!」
「うるせえ! 放せっ!」
たしなめる口調でその腕を捕まえるクモイ・タイチを乱暴に振りほどき、その隊員――アイハラ・リュウ隊長はずかずかとシロウに近寄ってきた。
怪訝そうに見上げるシロウ。
その胸倉をアイハラ・リュウはつかみ上げた。
「てめえ、一体どういうつもりだ!? 助けに来たのかと思えば、俺を叩き落しやがって! 挙句の果てにスチール星人どもを逃がすってのは何の真似だ!?」
「……ハエみたいにぶんぶんうっとおしいからだ」
「んだとぉ!?」
「隊長! よせ!」
振り上げた拳を、再びクモイ・タイチが後ろからつかみ、止める。
「止めるな、タイチ!」
「止めるさ。家宅不法侵入に無抵抗な相手への暴行、GUYSの隊長がやっていいことじゃないだろう」
「タイチ、てめえどっちの味方だ!!」
振り返って歯を剥くアイハラ・リュウに、クモイ・タイチはため息をついた。
「どっちの味方でもない。少なくとも、今のあんたは頭を冷やすべきだ」
「んだと!?」
「言わせてもらうが、あんたが撃墜されたのは、レイガを味方と認識したあんたのミスだ。こいつはウルトラマンではないと、夏のあの戦いの後に説明したはずだろう」
「……う……けどな!」
クモイ・タイチはアイハラ・リュウの腕を引いて、立ち位置を入れ替えた。二人の間に割り込む形で距離を保つ。
「――で、オオクマ。お前はなにか言っておくことはないのか?」
「いや、別に?」
アイハラ・リュウの手が離れ、伸びたシャツの胸倉を直しながらシロウは淡々と首を振った。
「俺の行動を逐一、地球人に説明しなきゃならんのか? 俺には俺の都合があった、それだけのこった。それに――」
シロウの醒めた目が、クモイ・タイチの向こうのアイハラ・リュウを捉える。
「クモイにも言ったけどよ、地球ぐらい地球人の手で守ってみせろよ。俺が出たからって、嬉しそうににやけやがって。そもそも俺が出なきゃ、あの地下通路はどうなってやがったんだ?」
「ぬ……」
痛いところを突かれ、アイハラ・リュウの表情が苦渋に満ちる。
「お前はあそこから逃げられたかもしれねえけどよ、そんときゃ、あの地下にいた地球人はどれくらい死んでた? 俺があいつに退いてくれるように頼まなきゃ、あの後どれだけの間、戦闘が続いて、どれだけあの地下通路は埋もれてたんだ? それでも、俺に叩き落とされたのが許せねえか?」
「……そこまで……計算してたってのか。お前が」
「だから、それはどうでもいいことだろうが。問題は、俺がいなきゃ地球人が大勢死んでたのに、なんでお前は俺に文句言いに来てるんだっつーことだよ。礼を言えとは言わんけどよ、それは身勝手ってもんじゃないのかよ、地球人」
シロウの指摘を肯定するように、クモイ・タイチはため息をつく。
俯いたアイハラ・リュウの握り締めた拳が震える。
「そう、だな……………………お前に……市民が大勢救われたことは確かだ。それについては礼を言う。俺が落とされたこと自体も、俺の油断があった……それも認めるとしても、だ。――なんであそこで、スチール星人への止めを邪魔して、奴を取り逃がした!」
顔を上げ、再び吠えかかったアイハラ・リュウ。すぐクモイ・タイチがものも言わずに身体を入れて、二人の距離を保つ。
「あそこで倒しておけば、この後の被害だって防げるはずだ!」
シロウはうんざりした表情で首を振った。
「だーかーらー。俺はあそこの地下通路が壊れちゃ困るから、戦いを止めに行っただけで、どっちかを倒そうとか思ってねえんだよ。スチール星人はあの時戦えなくなってた。だが、お前は戦おうとした。だから俺はお前を止めた。それだけの話だ。この後の被害? 知ったことか。そんなもん、お前ら地球人の問題だろうが。自分らでなんとかしろ」
「では、オオクマ」
納得いかない表情で歯噛みしているアイハラ・リュウを背後に押しやり、クモイ・タイチがシロウに正対した。
「次にお前が出現した時、CREW・GUYSとしてはお前を味方とは認識しない。いいな」
「ご自由に」
「そうか。――だがな」
一息、嘆息してクモイ・タイチは目を伏せた。
「もし協力してほしいことがあるなら、先に判るように口で説明しろ。お前が地球人の味方でないのなら、余計にだ。……あの夏の戦いは確かに利害の一致から来た共同戦線だったかもしれないが、お互いの言葉に耳を傾け、時に手を組む程度の絆は出来たと、俺は思っている。お前と一緒に月面で戦った、リョウコたちもだ」
むっとシロウは唇を尖がらせた。
リョウコの名前が少し胸に刺さった。ともに肩を並べ、戦場を駆け抜けた戦友――その中でも、彼女には妙に親近感がある。エミ師匠に似ているからだろうか。自分を友と呼んでくれたからだろうか。
その彼女を今回の件で失望させたかもしれない、という想像から、心の中に波紋が広がるのを感じた。
「……………………考えとく」
そこへ、部屋の中からシノブが現われた。
「あらあらいらっしゃい。GUYSの隊員さんたち。どうぞ、今日はお暑かったでしょう? これで涼んで行ってくださいな」
お盆の上に、麦茶の入ったグラスが三つ並んでいた。
型どおりに頭を下げた二人はしかし、目線を交わして頷き合った。
「あ、いや、俺たちは……」
「そういうものをいただくわけには……」
「おー、サンキューかーちゃん。ちょうど喉が渇いてたんだ」
遠慮する二人を尻目に、シロウは嬉々としてグラスを両手に取った。それを、二人へ突き出す。
「いいから飲めって。せっかくかーちゃんが入れてくれたんだぞ?」
「いや、しかしな」
「では……いただきます」
シノブとは顔見知りのクモイ・タイチが先にグラスを受け取り、一息にあおる。ぐびぐびと喉を鳴らして飲み下す。
「ほれ、取れよ」
「……わかったよ。いただきます」
シロウが突き出すグラスを渋々受け取ったアイハラ・リュウは、律儀にシノブに頭を下げてから口をつける。
それを横目に、シロウが自分のグラスを取る――のと同時に、クモイ・タイチが飲み干したグラスをお盆の上に返した。
「はええな、おい。――んじゃ、俺もいただきまーす」
シロウとアイハラ・リュウが空のグラスを返すのは同時だった。
「じゃあ、シロウ。片付けはあんたがやっとくれ」
「えぇ?」
「なにか文句でも?」
「いえ……ゴチソウサマデシター」
不承不承、空のグラスが三本載ったお盆を受け取って、台所へ向かうシロウ。
それを見送って縁側に膝をついたシノブは、いきなり二人のGUYS隊員に深々と頭を下げた。
「ごめんなさいね、GUYSの隊員さん」
「!? ――オオクマさん!?」
「え? ちょっと、おばさん!? なんであんたが!?」
眉をひそめるクモイ・タイチと、慌てるアイハラ・リュウ。
頭を上げたシノブは、またちらりと台所を見やってから口を開いた。
「うちのご近所さんがね、電話であの子に直接助けを求めてきたの。あの怪獣の足の下の地下街に閉じ込められたって、ね。それで……」
GUYS隊員二人は顔を見合わせた。
「本当かよ――いえ、本当ですか、その話?」
「道理で、泡食って飛び込んできたわけか。……あのバカ孫弟子が。言えよ、そういうことは」
「私もテレビで見てましたけど、GUYSの皆さんにはご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。でも、あの子に悪気はないんです。あの子に代わって、私が謝りますから、どうか許してあげてください」
再び深々と頭を下げるシノブ。
今度はバツ悪そうに顔を見合わせた二人は、同時にため息をついていた。
「……いや、もういいです。おばさん――じゃねえ、オオクマさん。頭を上げてください。なんか……あんたに頭を下げてもらう話じゃねえし」
「まったくだ。隊長はいつもこんな感じで突っ走りがちなんで、気にしないで下さい」
「おい!」
思わずクモイ・タイチの胸を手の甲で叩いたアイハラ・リュウ。
シノブはおかしそうに笑った。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「おい、クモイ。ちょっと」
二人がシノブに別れを告げてオオクマ家の裏木戸を出たところで、戻ってきたシロウが呼び止めた。
二人の足が止まり、怪訝そうに振り返る。
「なんだ、まだ用があんのかよ」
うるさげなアイハラ・リュウに、シロウもうるさげに顔をしかめた。
「うっせーな。お前なんか呼んでねーだろ。俺はクモイを呼んだんだ」
「んだと、こいつ――」
「ああ、隊長もういい」
すぐにクモイ・タイチが間に割り込んで、アイハラ・リュウを止める。
「先に行ってくれ。すぐ追いかける」
「しかしな、タイチ」
「頼む。大事な話なら、後で必ず報告する」
クモイ・タイチの真剣な顔つきに、アイハラ・リュウは束の間逡巡を見せたが、最後にはため息とともに頷いた。
「わかった」
軽く肩口をぽんぽん、と叩いてアイハラ・リュウは先に歩いて行った。
クモイ・タイチは裏木戸に立つシロウに歩み寄った。
「それで、なんだ?」
「いや……」
この期に及んで、目を逸らし、言い澱むシロウ。最前の態度が態度なだけに、切り出しづらい。話の中身も、弱気に取られかねないのが……。
「ないのなら、もう行くぞ」
「あ、あ、ちょっと、ちょい待ち。待って……くれ」
苛立たしげに踵を返しかけたクモイ・タイチの腕に、シロウは慌てて取りすがった。
クモイ・タイチは邪険にその手を振り払って、シロウを睨み据える。
「だから、なんだ。お前らしくもない。言いたいことがあるなら、はっきり言え。なんだ」
「その……」
そう言われても、逡巡がつきまとう。こいつだけには弱気を見せたくない。だが、こいつ以上にこの話を相談できる適役はいない。
散々迷った末に、シロウは上目遣いにその言葉を搾り出した。
「…………お前……殺したこと、あるか?」
「…………………………………………」
投げかけられた言葉の意味を理解するのに、クモイ・タイチは数秒の時間を必要とした。
ぽかんとしていた表情が、徐々に怪訝を通り越し、不審な眼差しに変わる。
「……何を言っているんだ、お前は?」
「だから、お前、その……相手を殺しちまったことってあるか?」
「俺の仕事をなんだと思ってる。言ってみれば怪獣退治の専門職だぞ。散々殺してきてるに決まってるだろうが」
「いや、そういうんじゃなくて。……お前のその武術で、人を殺したことはあるか?」
クモイ・タイチはすぐには答えず、シロウの目をじっと見据えた。その瞳に、真剣な光が宿る。
「……そんなことを聞いてどうする」
「それは……その……」
怒っているような口調と表情に、シロウは思わず顔を伏せた。確かに、面と向かって訊く問いではなかったかもしれない。しかし、これ以外に訊き方を思いつかなかった。
また顔を伏せて言い澱んでいると、クモイ・タイチは疲れの見えるため息をまた吐いた。
「オオクマ。戦いの中に身を置けば、その気がなくとも命を奪ってしまうことはある。相手が誰であろうとも、だ。その覚悟はあったんじゃないのか」
「それは、そう……なんだが…………でも……」
「何を迷っているのか、お前が話さん限り俺には判らん。……別に知りたくもないしな」
「……このままじゃあ、やばいんだよ」
突き放されようとしている実感に、ようやくシロウは本題を切り出す覚悟を決めた。
「だから、何が」
「手加減できねえ」
「あん?」
うんざりしていたクモイ・タイチの表情に、その時初めて興味の色が浮かび上がった。
「なんていうか……俺が俺として戦ってる時はいい。だが……あの、合宿の時に使い始めたやつ、見たことのある誰かの動きをそのまんま再現するって、あの戦い方にすると手加減できなくなっちまう。それでもう何人か殺しかけてるし……あのスチール星人も……」
シロウが上目遣いに見やると、腕組みのクモイ・タイチは深刻な表情で考え込んでいる。
「そりゃ、こんな危ない力、なるべく使わねえようにはしてるけど、なんかの拍子に考えるより先に身体が動いちまう。そうなったら……」
「……………………まあ、当然だな」
「え?」
腕組みをしたまま、クモイ・タイチはシロウを睨み据えるような目で見つめていた。
「あの合宿でお前に教えたのは、戦い方だけだ。もっと言えば、戦う意志の表現の仕方を引きずり出し、防御の大切さをその身に刻み込んでやっただけだ。武術の技能は伝授していない。そんなお前が、達人が何年もかけてようやく到達する域を、見ただけで完全に再現する? いくらお前が宇宙人でも、そこまでお手軽な話があってたまるか」
「け、けど俺は確かに達人の技を自分のものに――」
「うぬぼれるなっ!!」
クモイ・タイチの一喝に、シロウは思わずたじろいだ。
「同じ動きがトレースできた程度で、自分のもの? ふざけるな。武術の奥義とは、そんな浅はかなものではない。事実、貴様のコピー技など、俺に全部防がれていただろうが」
「う……」
「だいたい、今お前が直面している問題は、技がコピーだとかオリジナルだとか、そういうレベルの話じゃない。もっと根本的な問題だ」
「それは……どういう意味だ? 何が悪いんだ?」
「力だ」
クモイ・タイチが告げた一言に、シロウは小首を傾げる。
力が悪い? どういう意味だろうか。
「お前は力を使いこなせず、振り回されている。そういうことだ。そして、お前が今予想している通り、このままでは遠からず、お前はお前の意思に関わらず誰かを殺す。それは間違いない」
それは、処刑宣告に等しい衝撃だった。……もっとも、殺してしまうのは自分の方だが。
漠然と――いや、かなり明確に感じてはいたが否定したかった想像。それをクモイ・タイチの言葉で宣言されると、もはや逃げようもなく思い知らされる。自らが今置かれた状況を。逃げ場のない袋小路に迷い込んでしまっていることを。
「……………………俺は……どうすればいい?」
「その力を使うな」
「なるほど、使わなければ――は?」
「使うな。それだけだ」
「ちょ……ちょっと待てよ。せっかく見つけた俺の力なのに、使うな? 意味わからねえ」
「俺の力か……。使いこなせもしないくせに、よく言う」
鼻で笑われ、シロウは唇を噛んだ。
「う……」
「そんな力に頼ろうとするから、殺してしまうなどと怯えるのだ。初めから使わなければ、そんな心配はない」
「それはそうだが……いや、だから、俺はこれを使いこなしたいんだって」
「強い力だからか」
「……え? あ、うん」
あまりに直球で図星を指され、シロウは思わずごまかすことさえ忘れた。
クモイ・タイチの瞳が、静かにシロウを見据えている。感情の色もなく、ただ、じっと。
「今の自分の能力を大幅に超える強い力だから、使いたくてしょうがないんだろう? だが、相手を殺してしまっては後味が悪い。だから、何か裏技的なアドバイスをもらって、こつでも判れば儲けもの……そういう狙いだろう」
「……………………」
クモイ・タイチの眼差しがあまりに何もかも見透かしているようで――実際、見透かされていてシロウは答えられなかった。
次の刹那。
乾いた音が鳴り響き、視界がズレた。
右頬を叩かれ、横を向いたのだと気づいたのは視界に縁側が見えたからだった。
「な……」
顔を戻すと、クモイ・タイチはまたあの眼差しでシロウを見据えていた。
「甘えるな。力というものは強ければ強いほど、使いこなすには血の滲むような苦労が要る。そして、時に血の涙を流すような経験を味わう。それなしに、お手軽に力を手に入れようなどと……力をなめるな。今のお前に、その力に見合うだけの覚悟があるのか」
「あ、あるさ! ……こいつが俺の特殊な能力だってんなら、俺は必ず使いこなしてみせる! だから、それにはどうしたらいいかを教えて――」
再び乾いた音が鳴り響き、視界がズレた。今度は反対に。
「あ……え…………?」
「やっぱりわかっていないだろうが」
静かな表情が一転、怒りに燃えるクモイ・タイチに、シロウは思わず後退っていた。
「使いこなす? 教えろ? もう少し考えてものを言え。俺にない能力の使い方を、なぜ俺が教えられる? 力の使い方は本来、力を持つ者自身が考えることでしか会得できん。お前はその一番大事なことを忘れて、何をどう教わり、どう使うつもりだ?」
「……………………」
叩かれた左頬を押さえたまま、シロウは俯いた。
「それに、俺の見る限り、お前の能力を制御不能にしているのは、お前自身の思い上がりだ。能力そのものが暴走しているわけじゃあない」
「……? どういう、意味だ? 俺が思い上がっている? けど……俺は……自分が弱いって認めたし」
「笑わせるな。確かに一時は弱いと認めたのかもしれんが、思わぬ力を見つけて、これで強くなれると舞い上がってしまった。しかし、使い方が判らずに途方に暮れている――それが今のお前だ。何も反省してないだろう。それを思い上がりと言うんだ」
「う……」
「そもそも、武術のぶの字も修めてないくせに、達人の技だけ使おうとするから心と頭が置き去りにされるんじゃないのか。……思い出せ。例えばお前が最初にイリエ師匠から叩き込まれた重心移動はどうだ? 力加減などしてないのに、使えているのか? 重心移動なんていう基本的な技術は、力の加減が出来ていなければ、使えないはずだぞ」
「…………………………」
シロウは考え込んだ。
確かに、ニセウルトラセブンとの戦い以降、イリエ師匠に教えてもらった重心移動に関しては、使いこなしていた。自分でも忘れてしまうほど、自然に。だがそれは、見たものを再現する能力を使っていたからなのか、イリエ師匠に教えてもらって日々鍛錬したから使いこなせているのか……わからない。
「……多分、出来ていると思うんだが…………それがこの再現能力によるものかどうかは……」
「そこはどうでもいいんだよ」
苛立たしげにクモイ・タイチは舌打ちを漏らした。
「だから言っているんだ。力に振り回されている、とな。大事なのはそこじゃないだろうが。お前が得た力を、きちんと自分の意思の下に使えているかどうかだ。重心移動だろうが、達人の奥義だろうが、きちんと思い通りに使えるのならば、それがお前の特殊能力であろうが、地力だろうがどっちでもいいんだよ――こんな風に」
言葉を切るなり、いきなりクモイ・タイチは拳をシロウの目の前に突き出した。
あまりに唐突、あまりに素早いその動きに、避けることさえ忘れるジャブは、鼻先1mmほどの距離でぴたりと止まっていた。
「――殴る拳はどうせ一つだ。与えるダメージが腕力によるものなのか、物理的な速度×質量なのかなんて分け方に、意味はない」
ゆっくり戻ってゆく拳を、じっと見つめるシロウ。
「……けど…………それでも、この力は俺のものだ。俺の力だ。この力を恐れて逃げるような真似は、したくない。俺は、なんとかしてこいつを使いこなせるようになりたい。……頼む、教えてくれ」
シロウは唇を真一文字に結んで、頭を下げた。下げたくはなかったが、それ以外に考えつかなかった。
腕組みをしたクモイ・タイチは、呆れたように大きくため息をついた。
「何でもかんでも口に出して聞けばいいというものではない。自分で考えろと言っているだろうが。だいたい、今も言ったがそんな能力は俺にはない。つまり、今のアドバイスが的確である保証もないんだ。むしろ逆に邪魔になる可能性さえある」
「むー……」
「まあ……もっとも、その能力を使いこなせる余地があるとしても、そのための方法など俺の知る限り古来より一つしかないだろうがな」
その途端、シロウは表情を輝かせて身を乗り出した。
「おお! あるのかよ!? なんだ、それは!?」
「修行――つまり、使いこなせるまで使い続けることだ」
「え?」
「修行、稽古、反復練習だ。身に余る力を知り、それを身の内に宿した者は皆、そうした苦しい修行の果てに、ようやくその力をおのれの意思の下に置くことに成功する。力の暴走による悲劇を避けたいなら――」
ふと、クモイはそこで言葉を切った。わずかに目が泳ぐ。
「……そうだな、もっとわかりやすく言おうか。アキヤマやチカヨシを守るためとはいえ、彼女たちの前で誰かを殺してしまうような無様を曝したくないなら、もしくはそれに彼女たちを巻き込んでしまいたくないなら――腕を磨け」
拳を握り締めた腕を、目の前に示す。
「戦う技を、術を磨け。武術の技が暴走するというのなら、お前自身がその技を使うに相応しい技量を持て。自らの内から生まれ出る理によって、自身の力を統べる――それが武術の真髄なのだからな」
「武術の真髄……」
「武術は人を殺す技に非ず。力を統べる技なり」
半分眠ったような眼差しで、謳うようにクモイ・タイチは告げた。
「いいか、武術は武道と違い、人を制するための技術でしかないが……それでも、命を奪うという行為は人の意志か、未熟さによってしか現れない。決して武術それ自体が命を奪うのではない。だから、その用いようで、殺すことも殺さぬことも出来る。それが武術における、強さということだ」
「……………………」
「戦いの中で相手の命を奪うことが怖いなら、なおさらお前は腕を磨くしかない。それが、お前がお前自身の力を統べるということだ。だが、それが可能になるまでにお前は誰かを殺してしまうかもしれない。いや、可能になってさえ、その危険性は常に付きまとう……力を求め、使う覚悟とは、そういうことだ」
「……お前には……その覚悟があるっていうのか」
「……………………。GUYSに入ってからは、間違ってでも殺してしまわぬよう、以前よりさらに細心の注意を払っている」
クモイ・タイチが置いた、少しの間が何を意味するのか、シロウにはわからない。しかし、その言葉の裏になにか別の思いがあるような気はした。
「それでも……何か些細な間違いで相手の命を奪ってしまうかもしれない、という覚悟は常にこの隅に置いている」
自分の頭を指差すクモイ・タイチ。
「それが、武術を修めた者の業だ」
「ゴウ……」
ごう、と言われ、シロウの頭に浮かんだのは、郷秀樹だった。発音が違うが、なぜか思い浮かんだ。
「業とは何かということまで、今のおまえが知る必要はない。そこまでたどり着けば、おのずから理解する。ともかく――」
クモイ・タイチの手がシロウの肩に置かれ、その表情が再び真剣なものとなる。
殺気とは違うその雰囲気に、思わずシロウは身体が硬直するような気分を味わった。
クモイ・タイチは続けた。
「お前が守るための力として、より強い力を求めるなら……最低限、その力は『使わないという選択』が出来る程度には支配しておけ。勝手に発動するなどと言う状態は、未熟の中でも最悪だ。そんなことでは……誰かを守れても、別の誰かを殺すことになる」
「使わないという選択……」
呟いて両手に目を落とすシロウ。
「ま、せいぜい精進するんだな」
その肩を軽く叩いて、クモイ・タイチは背を向けた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
月が昇っている。
つい昨日、暴走族の内輪もめがあったと三面記事の片隅に報道された川原を見下ろす土手の上に、一台のジープが止まっていた。
運転手は外に出て、ボンネットに腰を預けるようにして、川原とその上にぽっかり浮かぶ月を見ている。
草むらで鳴く虫の音、地の底で呻くオケラの声。夜風が少し早く色づき始めたススキを揺らす。
「――待たせたか?」
川原とは反対の土手の下から上がってきたのは、シロウ。
「いや」
答えたのは、郷秀樹。ボンネットから腰を離して、シロウに相対する。
「だが、お前から呼び出すとは珍しいな。一体、どういう風の吹き回――」
郷秀樹の言葉も半ばに、シロウが前のめりに姿勢を崩した。
両手を拳に握り締めて顎の下に揃え、極度に背を屈めて一直線に踏み込む。
そうしながら、上体を回し始めた。「8」の字を横に倒したような軌道を描かせつつ、間合いを詰め――
「しゅ!!」
拳を繰り出した。上体が軌道を走る勢いに乗せて、必殺のタイミングで。
「むん」
さほど慌てた風も見せず、郷秀樹はシロウの腕の内側から腕を払うようにして受け止めた。
止められた刹那に放った反対側のパンチも、同じように止められる。
「ちっ」
「……何のつもりだ」
怒りの色はない。いつもどおりの淡々とした風情の郷秀樹。
シロウは苦笑いを浮かべた。
「完全な不意討ちにトリッキーな動き、のはずだったんだがな。よく防いだもんだ」
「昔、キックボクシングのチャンピオンとスパーリングをした(※帰ってきたウルトラマン第27話)ことがある。それに比べれば、まだまだ甘い」
軽く押し返すように、両腕を解放する郷秀樹。
拳を開いたシロウは、背筋を伸ばしファイティングポーズをやめて、肩をそびやかした。
「――ちぇ、流石ってか。本物には通じねえんじゃ、やっぱ意味ねえか」
「何の話だ?」
「いや、こっちの話。ま、でも……弱い奴相手にしか使えねえって判ったし、これで思い切れる。一応、礼を言っとくぜ」
意味がわからずに怪訝そうにしている郷秀樹に、シロウはふふんと笑って背を向けた。そうして、両手を夜空に突き上げて、大きく伸びをする。
「あー……しょうがねえ。悔しいが、あいつの言うとおり地道にやるしかねえな」
「なんにせよ、納得できたのならいいが……話はこれだけか?」
「そう思うか?」
くるっと振り返ったシロウは、郷秀樹を指差して不敵に頬を緩める。
「今日の騒ぎ、お前も知ってるんだろ? その夜に呼び出されて、これだけなわけないだろが。……ちょっと訊きたいことがあってな」
「ふむ……なんだ?」
郷秀樹は再び車体に背中を預け、腕を組んだ。
「ツルク星人事件の時、お前が俺に撃ったスペシウム光線……あれは、俺を殺さねえために手加減してたのか? それとも、俺が生き残ったのは、ただ単に運が良かったのか?」
「もちろん、手加減した」
郷秀樹は即答した。
「あれは……お前がどういうつもりだったかは知らないが、私にとってはウルトラ族同士の私闘だからな」
「そうか……」
シロウは少し視線を伏せた。
手加減されていたという事実、必殺技をきちんと手加減できているという事実に複雑な思いが胸をよぎる。自分はまだ――
そうした思いを振り切って、再び視線を郷秀樹に戻す。
「それは、お前だから出来たことなのか? それとも、ウルトラ兄弟なら誰でも出来ることなのか?」
「直接本人たちに訊いたことはないが……おそらく出来るだろう。ゾフィー兄さんも、宇宙警備隊最強と言われるM87光線を惑星上で使う時は、10分の1ほどに抑えていると聞いたことがある。全力で放てば、星を深く傷つけかねないからな。私も、シネラマショットは――」
「じゃあ……お前らが戦いで相手を殺しちまったら、それは偶然じゃなく、お前らの意思ってことでいいんだな?」
郷秀樹はすぐには答えず、じっとシロウを見返していた。
「どうなんだ?」
「……つまり、お前が訊きたいのは、今日出現したスチール星人の弟を殺したのはエースの意思だったのか、ということか」
シロウはにんまり頬を歪めた。
「なんだ、もうそこまで話を知ってるのか。そういうところも流石だな。しかしまあ、そういうこった」
「さあな。エースにその話を訊いたことはないから、答えられんよ」
「それはずるいんじゃないのか?」
「では、当事者ではない者に訊いた意見で、ことの正誤を判断するのは問題ないのか?」
「む」
二人はしばし、見据えあった。
睨み合いではない。ただお互いをじっと見据えているだけ。
やがて、シロウの方から口を開いた。
「じゃあ、お前の意見はどうなんだよ、郷秀樹。ウルトラマンとして、今回のスチール星人は……悪か」
「お前は、スチール星人の味方をするのか?」
「バカ言うな。味方じゃねえが敵でもねえ。地球人に対しても、エースに対してもだ。だが……心情的にあいつの言い分はわかる。あいつの言ってた通りにエースが必要もないのに殺したのだとしたら、そのエースを崇め奉る地球人が巻き込まれても仕方ないわな」
「そうか」
「さあ、俺は俺の立場を明らかにしたぜ。お前はどうなんだ、ウルトラマンジャック!」
ふむ、と顎に手を当てて考え込む郷秀樹。
「今のままなら……倒さねばならないだろうな」
「やっぱり……しょせんはウルトラ兄弟か。仲間内でかばい合うってことだな」
「そうじゃない。地球人がエースに好意を寄せているからと言って、平和に生きている地球人を虐殺していい理由にはならない。それだけだ」
「お口はきれいときたもんだ」
へっと皮肉めいた蔑笑を浮かべたシロウは、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「けど、そんなのは言い訳にしか聞こえねえな。エースをかばうためのよ。……エースを呼べよ。そんで月でも火星でも、地球人の居ないところで戦わせてやれよ。あいつはそれで満足なんだ。お前ならそれが出来るはずだろ」
「それは……できない」
「なんでだよ! ウルトラサインでぶわーっと――」
「手段がないという意味じゃない。エース個人に対する復讐を認めるわけにはいかないからだ。どういう事情があったとしても、エースが地球にいた時の事件は、エースの判断で解決されたものだ。その彼を全面的に信頼して、地球防衛の任へ送り出したのは宇宙警備隊だ。エースの判断は、つまり宇宙警備隊の判断。私が、弟のしたことは弟の責任だ、といって逃げるわけにはいかない。今、地球を守っているのは私なのだからな」
「……つまり、あいつの感情なんかどうでもいいってことだな。理不尽に弟を殺されたって怒ってるあいつに、多少の思いやりを見せることもお前らウルトラ兄弟は出来ねえって、そういうことなんだな?」
「………………」
「ふざけんな!」
シロウは郷秀樹の革ジャンの襟元をつかみ上げた。額がつきそうなほど顔を寄せ、その瞳を睨み据える。
「お高くとまりやがって!! それがお前らの正義か!? くだらねえ!! なにが宇宙の平和を守るだ!! 結局、あいつの心を踏みにじって、大好きな地球人を助けたいだけじゃねえか!!」
「そうだな」
「この……!! 否定ぐらいしやがれっ!!」
拳を振り上げる――しかし、そこでとどめた。ぎり、と歯が軋む。
「ここで……お前を殴っても、どうにもならねえ。くそ」
突き放すように革ジャンから手を放すシロウ。
「……少しはお前のこと、見直してたのによ」
「そうか」
悔しそうに顔を歪めているシロウに、郷秀樹は悪びれた風もなく、ただ革ジャンを直し一つ息をついた。
「だが、どんな不条理と感じられても、結論は出さなければならない。今度、再び奴が出現したら、私はウルトラマンとして戦い、倒すだろう。……レイガ、お前はどうする?」
「俺は……」
痛ましげに表情を変えるシロウ。
答えられない。自分は傍観者なのだ。そう決めたのだから。
スチール星人の気持ちがわかる。一方で、エミやユミたちとの関係もある。
ただ、状況を見守る――気持ちは別にして、スチール星人にも、地球人にも、ウルトラマンにも肩入れしない。それが、自分のとりうる最大限の譲歩であり、最低限の選択であり、唯一の立場だった。
シロウが悩んでいる間に、郷秀樹はジープの運転席に座っていた。
キーを捻ると、周囲の虫の音、ススキを騒がせる風の音を蹴散らすエンジン音が唸りを上げた。
その音に正気づいたシロウが郷秀樹を見据える。
郷秀樹はそんなシロウを見やることなく、ハンドルに肘を預ける姿勢になって告げる。
「お前がスチール星人の仇討ちに手を貸すなら、俺はウルトラマンとしてお前を倒すだけだ。だが……」
ふと途切れる言葉。
シロウには、月明かりに浮かぶその横顔がわずかに曇ったように見えた。それとも、それはただ単に月にかかった雲のイタズラだったのか。
「――お前には期待をしている」
「なに?」
なにか聞き損ねたかと、シロウは思わず聞き返していた。
サイドブレーキを戻し、ギアレバーに手をかける郷秀樹。
「奴はお前を信じている。お前も奴を思いやっている。今、お前たちの間には、確かに絆がある。だからこそ言える言葉、出来ることがあるはずだ。ウルトラマンとしてではなく、レイガ――オオクマ・シロウとしてな」
「判るか、そんな話」
シロウは吐き捨てた。
自分で出来ることを放棄して、こちらに下駄を預ける無責任な発言にしか聞こえない。そもそも理解する気自体、失せていた。
そんなシロウの心境を見透かしたかのような笑みを残し――ジープは発進した。
去りゆくその後ろ姿へ、シロウはもろもろの苛立ちを載せて地面を蹴り上げた。