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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第7話 侵略のオトメゴコロ その8

 白一色の空間に、ユミは浮いていた。
 確か、崩落する洞窟の中で岩石に押し潰されそうになっていたはずだが……。
「しょせん、夢だもんね」
 そう呟く周囲に、クモイ・タイチ(アロハ)とエミの姿もない。破かれたワンピースも元に戻っている。
 ユミはまだ青い輝きを宿している両手をぎゅっと胸に抱き締めた。
「……ありがとう。エミちゃん。クモイさん……シロウさん」
「やってくれたな」
 声に振り向くと、人影が揃っていた。
 柔道場で見た、GUYSの隊員とオオクマ家のご近所さん一同だ。ネガティブなエミとシノブも並んでいる。
 ユミは少し笑みを頬に宿しながら、真っ直ぐな瞳で一同を見据えた。
「もう……あなたになんか惑わされない」
「ふん。強がるのも今のうちだけだ」
 代表して前に出てきたのは、クモイ・タイチ(GUYS)。
「組み上げた背景世界が壊されたとしても、貴様の中にある恐れが消えたわけではない。人間の恐怖心や惑い、迷いを引きずり出す方法など、数多あるのだからな。……こと夢の世界において、貴様ら人間風情が我々『夢民』に抗えるはずなどないのだ」
 本人ならば決して浮かべないであろう、邪悪そのものの笑み。
 その背後で、人影が増殖してゆく。
 シロウを取り巻く人物だけではない。
 両親、祖父、祖母、学校の同級生、先輩、後輩、担任、顧問、行きつけのお店の店員、中学校時代の友人……さながらアキヤマ・ユミという人間に関わる人物勢揃い、といった光景だった。
「そうですか」
 曖昧に頷いて、しばらくじっと一同を見つめていたユミは、ある人物に目を留めた。
「でも、そう言っている割りには、本体さんが出て来られてるんですね。あ、ひょっとして世界が消えちゃったから、隠れていられなくなったんですか?」
「なに?」
 怪訝そうに顔をしかめるクモイ・タイチ。
 ユミは蒼く光る右手の人差し指を、その人物に向けた。
「あなたですよね?」
「わたくし? ……どうしてかしら?」
 CREW・GUYSのシノハラ隊員は、余裕ありげに、ふっと薄笑う。三角メガネがきらりと光った。
「今、たくさんの人たちがここにいるけれど、あなたとだけは、わたし、直接お話したことがありません」
「……………………」
「だから、あなたが普段どんな話し方をする人か、一人称が何かさえ知らないんです。確かにテレビでは見たことはあるけど、一人称は使ってなかったし……。この世界の構成物がわたしの記憶と感情から作られているっていうのなら、喫茶店でお話したときのあなたの一人称や口調、仕種の情報はどこから来たのだろうって思って」
「……………………」
「もし、一目見ただけの人でも適当にでっち上げられるなら……GUYSジャパンの総監さんとか、いつもテレビに出てくる頭の薄いおじさんとか、それこそ芸能人とかもいてもいいはずなのに……いないですよね。知り合いや友達だって、みんな普段からわたしが親しくして、お話をしている人ばかり。GUYSの隊員さんたちは、親しいっていうのとは違うけど……それでも、あなただけは直接お会いしたことがありません。だから、どうしてかな、って思って」
「……疑問だけ? それじゃあ、わたくしと決め付けるには――」
 ユミは首を振った。
「いいえ。いるはずのない人がいる、それだけで十分な理由じゃないですか。だって、不自然すぎます。わたしを絶望に陥れるためにあんな世界を作った人にしては。だから、そこに何かわけがあるはずだって考えたんです。……ふふ、それも両親や友達が全員集合したからはっきりわかったんですけどね。理屈付けはそうですねー……正直、今話しながらいろいろ考えてみましたけど」
 頬に指を当てて、小首を傾げて考えるポーズ。
 しかし、すぐににっこり笑ってみせた。
「まあ、どうでもいいですよね。正解かどうかは、あなたが知ってるんだし、これは期末テストでもなんでもないんだし」
「……………………」
 しばらくじっと腕組みをしたままユミを見据えていたシノハラ隊員は、やがてふっと息を吐いて目を伏せた。その頬に笑みが浮かぶ。
「……やれやれ。あなたって、とことん鋭いわね。ほんと、将来が楽しみですこと。――でもね?」
 話しながら、左右に居並んでいたGUYSの隊員やご近所さんたち、知り合いが、次々とシノハラ隊員の背中に隠れて消えてゆく。
 やがて、何かを引き破く嫌な音とともにシノハラ隊員の背中から、巨大なこうもりの翼が生えてきた。さらにもう一対。血まみれのそれを軽く振るうと、飛び散った血しぶきが、ユミの頬にも張りついた。
「言ったはずです。そんな嫌がらせや脅しなんて、もう通用しません」
 拭き取りもせず、ユミはにこやかに笑っていた。
「うるさいわよ、小娘」
 アップにまとめていた髪が自然にほどけ、背中に広がる。ついでに前髪もいくらか枝垂れ落ち、顔をすだれのように覆う。
 唇が、頬が裂けてゆく――都市伝説に登場するある存在のように。
「恐ろしいものを見て、恐ろしいと思わない者はいない。それが人間。それが弱さ。あなたが一瞬でも恐れを抱けば、わたくしは再び力を取り戻せる」
 耳まで裂けた唇の間から、細く先が二股に分かれた舌がちらちら踊った。
 それでも、ユミに動じる気配はない。
「そうですか。でも、今のあなたははったりしか言えない弱々しい存在だと、わたしにははっきりわかっています」
「本当に口の減らない小娘だわねぇ」
 構えた指の爪が、長く伸びた。緩やかな曲線を描くその刃は、ギラリと殺意にきらめく。
「姿かたちだけじゃあない。痛い目に遭えば、人間て奴はすぐに弱気が出る」
「無理ですよ、もう。あなたはわたしに指一本触れられません」
「ほざくな! ――そのお澄まし面を苦痛で歪めてくれる!!」
 二対四枚の黒い皮膜翼を羽ばたかせ、シノハラは突っ込んできた。耳障り極まりない、甲高い笑い声をあげながら。
 怯むことなく微笑みを絶やすことなく、佇んでいるユミ。その蒼き輝きを宿した右手が、真っ直ぐ上がる。
「だって――ほら」
 突如、ユミの背後の空間が大きく裂けた。
「な――」
 思わずシノハラは足を止めていた。目を剥いて、その裂け目を見据える。
 白い空間を引き裂いて、何かが侵入してくる。巨大な何かが。
 裂け目の奥に揺らぐ影。その中に灯る三つの輝き――いや、少し下にもう一つ青い光。
「ま……まさか……」
 わなわなと震えつつ、後退るシノハラ。
「あなたが、あなたの世界……つまり、わたしの夢の世界を維持できなくなった時点で、あなたは外の世界に対しても、邪魔が出来なくなったのではありませんか?」
「あ、ああ……あああああ――」
 もはやシノハラだったものは、ユミを見ていない。その背後の裂け目に目を奪われている。
 裂け目の中から、巨大な指が出てきた。銀色のそれは左右の縁に指先をかけると、そのまま裂け目を広げ始めた。
「や……やめろ……やめてくれ!!」
 世界が壊れてゆく、形容しがたい音と震動が響き渡る。
 ユミは右手を上げたまま、後ろを振り返った。
「ここですよ、シロウさん♪ わたし、ここにいま〜す」
 本当に嬉しそうに、幸せそうに。笑顔いっぱいで。
 反対に、シノハラは満面を恐怖一色に染め上げていた。
「バカな……どうして、こんなことが……ここはお前の心の奥底、決して他者の届かぬ絶対領域のはずだ……」
「え?」
 ユミは驚いて振り返った。
「わからないんですか? わたしの記憶や気持ちを散々見てきたはずなのに? だって――」
 確実に裂け目は広がり、その中から蒼と黒の戦士が姿を表わす。
「だって、わたしはシロウさんが大好きなんですよ? 他ならぬシロウさんが来てくれるのに、心に鍵なんてかけられるわけ、ないじゃないですか♪」
 心底嬉しそうに、そして少し頬を染めてはにかむユミの背後で、ウルトラマンレイガがゆっくりと空間の裂け目から身を乗り出していた。
「う、うわああああああっっ!! 来るな、来るなーっっ!!」
 怯える『夢民』はもはやシノハラの姿ですらない。その体型以外では人間だったという面影すらなくなっていた。土気色の肌のミイラと見まがう醜悪な悪魔の姿。
「冗談じゃない! こんなバカな話があってたまるか! 我々が――」
 『夢民』は身も蓋もなく四枚の翼をはためかせ、こけつまろびつ、何とか舞い上がった。
「――我々『夢民』が……かくあるべしと人間の心から生み出された我々が、人間が恐れを知り、それに姿かたちや名前を与えたときから常に共にあった我々が――」
 一刻も早くこの場から立ち去るべく、飛びながら喚き続ける。自らの抱く恐怖を否定するかのように。
「――数百年を存在し、幾多の人間どもの心を食らってきたこの私が――」
 黙ってしまえば、かつて自分が食らってきた人間どもと同じように恐怖に飲み込まれてしまう――それは、それだけは拒否するように。
「あら? どこへ行かれるんですか? ……乙女の心を覗き見して、弄んでおいて、まさか……そのまま逃げちゃうんですか?」
 飛び去る背中を見据えながら、ユミは人差し指を立てた右手を真っ直ぐ頭上に掲げた。
「シロウさん――」
 背後のウルトラマンレイガがその声に応えて頷き、輝く右手を同じように頭上へ振り上げる。
「――こんな、こんな、ただの小娘ごときの精神世界で敗北するなど、ありえ――」
 『夢民』はちらりと背後を振り返った。
 その瞬間。
「やっちゃえ♪」
 ユミの指が振り下ろされた。
「ひぃ」
 一拍遅れて蒼い残光を引いたレイガの巨大な手が、ハエたたきよろしく『夢民』を叩き潰した。

  ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 水底から水面へ浮かんでくる感覚に、ユミはたゆたっていた。
 水の幕を通して、何かが聞こえてくる。
(わたしの……名前……?)
 懐かしいという感慨さえ浮かんでくるほどに、エミとシロウの声は胸に響く。
(ああ……わたし、帰って来たんだ……) 

 そうして、ユミは目覚めた。

  ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「ユミ!!」
 目を開いた時、一番最初に見えたのはエミの顔だった。
「……エミ……ちゃん……」
 エミの背後に広がる白い天井を見ながら、ユミはぼんやり呟く。
 おそらくここは、病院なのだろう。自宅の自室は、木目の天井板だから。
 左手に感じるエミの手を握り返す――うまく力が入らず、指を落ち曲げただけになったが、エミはすぐに力強く握り返してきた。
「ユミ! よかった、目を覚ました! シロウ! ユミが目を覚ました!」
「わかってます、師匠……つーか、今見てたでしょ? 俺が救い出したんですが」
「そんなことはどうでもいいの! ユミが帰ってきたんだから!」
「どーでもって……そんな。師匠、ひでー」
 ユミの視界の外からシロウの苦笑が聞こえる。疲れた声だった。
 そちらへ首を回そうとしたが、どれほど眠っていたのか、身体が思うように動かない。
 ただ、右手にシロウのぬくもりをしっかりと感じた。
 右手にシロウ、左手にエミ。
(あー……ほんものだぁ……)
 胸に満ちる甘い感慨。まるで、寒い冬の朝の二度寝のような……自然と顔が緩む。
「ユミ、ユミ、ユミ!! よかった、本当によかった……!」
 エミは泣いていた。嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして。ぽたぽたとめどなく落ちる雫が、ユミの頬も時折濡らす。
 その顔に、ユミは限りない安堵をもらった。それこそが、見たかったものだ。
「エミ……ちゃん」
「なに? 水? それともなにか……あ、そうだ、先生! 先生か看護師さん呼ぶね!? ナースコールはあたしが押すから、シロウはユミのお母さんを呼んで来て!」
 指示を出しながら、ユミの枕元にあるナースコールのスイッチボタンを押す。
「おう、わかった」
 シロウも即座に布団の中へユミの右手を戻し、病室から出て行く。
 視界の隅をよぎるシロウの横顔。その口元が嬉しそうに緩んでいるのをばっちり確認して、ユミは安堵した。
(やっぱり、わたしの居場所はここ。この世界がわたしのいるべき世界だよ……ありがとう、シロウさん。エミちゃん)

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 ナースコールに呼び出されてやってきたのは、医療スタッフだけではなかった。
 CREW・GUYSの女性隊員が一名。
「CREW・GUYSのシノハラ・ミオです」
 そう言って艶然と微笑むその女性隊員は、アップにまとめた黒髪に三角メガネ、胸に抱えたブリーフボードというドラマのお堅い女教師そのものの姿をしていた。以前テレビで見た通り――そして、夢の中で見たままの外見なので、初対面という気がしなかった。
 彼女は、最初にメモリーディスプレイを取り出し、何かの探知か分析のようなことをした。
 そして、医師達が到着すると同時にエミを廊下に追い出し、おっつけやってきた母親にもしばしの入室禁止を言い渡した。
 自分は最初に二、三話をしただけで、あとは医師による体調診断が終わるまで、部屋の扉の前に立ってじっと待つ。
 やがて、医師たちが体調的には衰弱しているものの、問題なしと結論付けて出て行くと、入れ替わるようにしてベッドサイドの椅子に座った。
 ブリーフボードを開き、右手にボールペンを持ってユミを見やる。
「アキヤマ・ユミさん、返事は出来る?」
「……はい」
 診察中に水を摂らせてもらったこともあって、だいぶ口の動きは滑らかになっている。
「じゃあ、意識ははっきりしてる? 少し難しい話をしても大丈夫そう? 疲れや気分が悪くて集中できないなら、日を改めるけど」
 ユミは首を振った。これも、起き抜けよりだいぶスムーズに動かせる。
 それより、シノハラ・ミオの柔らかい物腰と親切な物言い、優しい心配りに少し驚いていた。夢の中のシノハラ・ミオと比較すれば、なんと常識的で普通のお姉さんなんだろう。むしろ普通すぎて、CREW・GUYSの隊員であることが信じられないくらいだ。
 そんなユミの内心を知るよしもなく、シノハラ・ミオはにっこり笑って続けた。
「じゃあ、外にお母さんやお友達を待たせているから、手早く状況を説明するわね? ――あなたは三日前の正午近くに、ヤマグチさんのお宅でパソコン操作中に倒れ、意識を失ったの」
 頷きながら、ユミは三日も眠っていたのかと驚いていた。
 そして――
(ヤマグチさんの家でパソコン操作中にってことは……喫茶店の件も夢、勇気を出して聞いたエミちゃんの気持ちも、スペシャルパフェも……うう)
「――大丈夫? ちょっと元気なさそうだけど」
 気落ちしたのを見て取ったのか、シノハラ・ミオはすぐに心配そうな顔をした。
 ユミは気を取り直し、首を振った。
「いえ。大丈夫です、続けてください」
「そう? ……さっき言ったとおり、三日三晩あなたは昏睡状態だったんだけれど……実は、その時にちょっと普通じゃない事態が発生していたの」
 シノハラ・ミオの表情が曇る。ボールペンの尻を口元に当て、言葉を選んでいる風情。
 ユミはすぐ、彼女の困惑に思い当たった。最初の分析行為もひょっとしたら……。
「ひょっとして……マイナスエネルギーですか?」
 その途端、シノハラ・ミオは目を見開いた。
「アキヤマさん、あなたどうしてそれを……」
「夢を、見てました」
「夢?」
「はい。人が夢を見るときに発するエネルギーを力にする魔物みたいなのが、わたしにとり憑いて……。その魔物はわたしに嫌な思いをさせて、発生させたマイナスエネルギーを自分の力として取り込んでいたんです」
 思い出しながら答えていたユミは、ちらっとシノハラ・ミオを見やった。半信半疑の微妙な表情だろうな、と思っていたら、真剣な眼差しでブリーフボードに何かを書きつけている。
 ふと上がった視線が合うと、シノハラ・ミオは頷いて先を促した。
「どうぞ、続けて」
「あ、はい。……あの、シノハラ隊員は……シロウさんのこと」
「シロウ? ……ああ。オオクマ・シロウ? 知ってるわよ? レイガでしょ? 月面決戦では一緒に戦ったもの。そういえばあなた、ツルク星人の一件でも彼と一緒だったそうね? 彼、三日間ずっとお見舞いに来てたし、お友達なのね?」
「はい。……実はわたし、夢の中でその魔物と戦っていたんですけど、最後はシロウさんが、助け上げてくれたんです」
「へえ……」
 そう相槌を打ったシノハラ・ミオの目が鋭い。心の底まで見透かされそうな目だと思った。
「わかりました」
 シノハラ・ミオはブリーフボードにペンを置き、姿勢を正した。そして、またにっこりと微笑む。
「とりあえず、今はそこまででいいわ。詳しい話はまた後日聞かせてもらうということで、いいかしら?」
「はい」
「じゃあ、現状の説明を続けるわね。……昏睡状態だったあなたは、マイナスエネルギーを発散していた。ここまでだったわね。そのマイナスエネルギーの発生量自体は微量なものだったのだけれど、GUYSの科学力を以ってしても、その発生源も発生理由も解析できずにいたの。その間、あなたは通常ありえないペースで衰弱していったわ。具体的に言えば、今のあなたはおよそ一ヶ月昏睡状態にあった入院患者と同じ程度の衰弱状態にある。たった三日寝込んだだけなのに」
 だからこんなに身体が動かしにくくて、妙に重たいのか、とユミはようやく得心した。
 そして、その理由に思い当たった。
「それは多分、夢の魔物……『夢民』って言ってましたけど、それのせいじゃないかと思います」
「ムーミ……? ――おほん。その魔物、そうね。あなたの生命力や体力も吸収していたのかもしれないわ。過去のドキュメントにも、その手の話はよくあるし……ともかく、今の話からすると危険は去った、ということになるのかしらね。現状、あなたは衰弱しているだけで、身体機能としては今のところ特に問題はない、とさっきお医者さんも仰っておられたし」
「そうですか……」
 シノハラ・ミオは微笑んで軽く布団を叩いた。
「ま、若いんだしすぐ回復するわよ。安心して」
「はい」
「あとは……そうね。とりあえず今、何か聞いておきたいことはあるかしら?」
「ええと……特には。――あ、そうだ。今の話、お母さんには」
「夢の話? そうね、話さない方がいいと思うわ」
「そうですよね、理解……出来ないですよね」
 心配させておいて、それでも真実を話せないということに一抹の良心の呵責を感じた。しかし、仕方がない、とも思う。何しろ、お母さんはシロウさんがウルトラマンレイガであることすら知らないのだから。
 しかし、シノハラ・ミオは意外そうに首を振った。
「あら、違うわよ? 話しているだけの時間がもうないって言ってるのよ」
「え?」
 ブリーフボードを胸に抱えたシノハラ・ミオは、おかしそうに笑っている。
「だって、アキヤマさん――これも夢なんだから

 突然真夜中の停電になったみたいに、視界が消えた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「――マさん! ――キヤマさん! 起きて、アキヤマさん!」
「ふえ?」
 映画で場面が変わったかのように、視界が開けた。
 視界いっぱいに広がるのは、ヘルメットをかぶった三角メガネのGUYS隊員――シノハラ隊員。
 心配そうに眉をたわめているその顔を見た途端、ユミは跳ね起きていた。
「ひゃあっ!?」
「きゃあ!」
 あまりに勢いよく起きたため、覆いかぶさるようにしていたシノハラ隊員は尻餅をついてしまった。
「ユミ!」
 聞き違えようのない親友の声に、すぐそちらを向く。
 エミの心配そうな顔があった。
「エ、エミちゃん……? え? ここは……」
 首を巡らす。視界に映る風景は、ヤマグチ・カズヤの部屋。
 エミちゃんだけでなく、カズヤさんとヤマグチのおばさん、GUYSのシノハラ隊員の他にもう一人――あまり頼りにならなさそうな雰囲気のその人は、確かセザキ隊員――がいる。みな、一様に不安げな表情をしていた。
 そして、ユミは自分がカズヤの勉強机に着いたままであることに気づいた。
「あ、あれ? わたし、どうして……? GUYSの病院に入院して、え?」
 状況が飲み込めず惑乱していると、エミが肩をがっちりつかんだ。
「ユミ! 寝ぼけてないで! 大丈夫!?」
「え、ええと……」
 右の頬に奇妙な痛みを感じた。叩かれたり、刺されたり、斬られたりした痛みではない。何か硬い物を押し付けられたような、じんわりと鈍い――。
「あ」
 ようやくユミは理解した。自分はキーボードを枕にうたた寝していたのだと。
「ひ……ひゃあああああ」
 頬を押さえて、いやいやと首を振りたくるエミの顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「で、でもでもどうしてGUYSの人が!?」
 ひとしきり騒いで落ち着いたユミは、畳の上で正座をして車座の一同を見渡した。
 お互いに顔を見合わせて、説明を切り出すタイミングを計り合う。
 まずエミが手を上げた。
「はーい!」
「……じゃあ、エミちゃんからどうぞ」
「ヤマグチさんと勉強してたら、がちゃーって急に物凄い音がしてさー。見たらユミがキーボードに突っ伏してんの。起こそうとしたけど全然起きないし、ひっぱたいてやろうかと思ったんだけど――」
 説明を聞きながら、ユミは想像していた。
 多分エミちゃんのことだから、『ねむるなーねむったらしぬぞー』みたいなこと言いながら、平手打ちしたかったんだろうな、と。
「――倒れ方が異常だから、頭の問題かもしれないし、頭を揺するなってヤマグチさんに言われて――」
 そこまで言い終えると、エミはカズヤにボールをパスするような動きをした。
 それを受けて、カズヤが頷く。
「ボクがお母さんに言って救急車を呼ぼうとしたんだけど、そこへたまたまGUYSの人たちが来て――」
 エミと同じように、今度はカズヤがヘルメットを脱いだGUYSの二人にパスをつなぐ。
 受け取ったのは、三角メガネのシノハラ隊員。
 ユミは少し緊張するのを感じた。
 シノハラ隊員は、くっとメガネの位置を戻してから口を開いた。
「わたし達は、この周辺である調査をしていたところだったの。たまたまここを通りがかった時に、探知機に強い反応があったので、それをたどってきたらこのヤマグチさんの御宅で――」
「マイナスエネルギー……ですか」
 シノハラ隊員は何か飲み込んだものが喉に詰まったような顔をした。
「あなた、なぜそれを……」
「いえ、その……」
 ユミは面倒くさくなって、目をそらした。
 もうこれで何度目だろう。そういえば、そもそもこの状況も本当に現実なんだろうか。
 ユミが切り出さないので、シノハラ隊員は話を進めた。
「ともかく、あなたから発生していた強いマイナスエネルギーは、医療機関でどうにかなるものではないので……」
「と言っても、僕らでもどうにかすることが出来るわけではないんだk――ぐぼ――」
 得意げに話を割ったもう一人のGUYS隊員・セザキは、即座にシノハラ隊員の肘鉄を食らって崩れ落ちた。
「とりあえず、意識が戻ってよかったわ。それに――」
 何もなかったように話を戻したシノハラ隊員は、ずっと手に持っていたメモリーディスプレイをユミにかざした。二、三操作する。
「……うん。今はもうマイナスエネルギーの発生は収まっているようね」
 よかったわね、と微笑んでメモリーディスプレイを胸ポケットに戻す。
 横では、エミ、カズヤ、カズヤの母親も安堵した顔で頷き合っている。
 シノハラ隊員は帰るつもりなのか、ヘルメットを抱えたが、すぐに何事か思い直して正座の膝に乗せた。
「そういえば……マイナスエネルギーのことについて、何か心当たりがあるみたいだけど……何かあるなら、今度聞かせてもらっていいかしら? マイナスエネルギーに関する研究はそれほど進んでいるわけではないので、些細なことでも情報として集めておきたいの」
「あの、それは……」
「ああ、今すぐ無理にとは言いません。とりあえず――」
 シノハラ隊員は、内ポケットから薄めのメタリックなカードケースを取り出した。
 手早く中から名刺を抜き、ユミに渡す。
「――私の携帯番号も書いてます。その気になったり、また同じようなことが起きたときは連絡して下さい」
「あ、はい……」
 まさかCREW・GUYSの隊員さんから名刺をもらえるとは。
 もらった名刺に目を落とし、緊張した面持ちで頷くユミ。その肩をシノハラ隊員は軽く叩いた。
「そうかしこまらないで。基地まで呼んで事情聴取なんて堅苦しいことする気はないから。そうね……いいスイーツのお店があるのよ。お話を聞かせてもらえるなら、連れてってあげる。楽しみにしていて」
 ふふっと、いかにも大人の女といった余裕めいた笑みを残して、シノハラ隊員は立ち上がった。
 セザキ隊員を呼びながら、部屋から出てゆく。
 カズヤと母親も、二人を見送るためにその後に続く。
 階段を降りながら何ごとか話している声はしかし、ユミの耳にはもう届いていなかった。
 ユミは――名刺を見つめながら、惚けていた。
(……これもまだ夢? それとももう現実?)
 疑わしい何かに気づいたわけではない。ただ、現実であると断定するに足る何かを得たわけでもなかった。
 さっきの夢だって、実に現実めいていて、最後にシノハラ隊員がああ言わなかったら、夢だなんて思えなかった。
(まだ夢だとしたら……わたし、どうしたら)
「……ユミ、ユミってば」
 エミの呼ぶ声に、ユミは我に返った。
「あ、なに? エミちゃん」
「大丈夫? まだぼーっとして」
 心配そうに顔を覗き込んでくるエミ。
 このエミちゃんも、その表情も、誰かが作った幻なのだろうか。
「ねえ……やっぱり、病院に行って診てもらった方がよくない?」
「あ、うん……。……ねえ、エミちゃん」
 不安に揺れているエミの瞳をじーっと見つめ返しながら、ユミは小首を傾げた。
「ん? なに?」
「これって、まだ夢だと思う?」
「?」
 怪訝そうに顔をしかめたエミは、いきなり右手を伸ばしてユミのほっぺをつまんで捻った。
「ひ、ひひゃい、ひひゃいひょ、えひひゃん」(い、いたい、いたいよ、エミちゃん)
「痛いってことは夢じゃないんじゃない?」
 エミが手を離すと、ユミは捻られた頬を撫でながら恨みがましい目で睨んだ。
「……あんなの嘘だよ。夢でも痛かったもん」
「は?」
「そういえばさ、エミちゃんのお母さんの名前ってなんだっけ?」
「うちのお母さん? アキエだけど? なんで? それがどうかした? ……てか、本当に大丈夫なの、ユミ?」
 意味不明の問いかけに、エミはさすがに気味悪そうにしてユミの額に手を当てる。
「あ、ううん。大丈夫、だと思う」
 曖昧に笑う。
 夢の中でエミが言ったとおり、その答えが正しいかどうかはわからない。もし、あの時のやり取りを踏まえての反応だったりしたら……。
(あー、もう。わけわかんないよ。……でも、とりあえず――)
 ユミは素早く辺りを見回し、耳をそばだてて周囲の人の気配を探った。
 この部屋にはエミちゃんだけ。ヤマグチ家の人達とGUYSの隊員さんは玄関で話をしている声が聞こえる。
(今のうちに、謝っちゃおう。嘘ついて呼び出したこと。それから――……)
 話すべきことは、夢の中で既に実践済みだ。……実践済みだが、もう一度口にするのはやはり勇気がいる。
 ユミは名刺を手の中に包んだまま、背筋を伸ばして姿勢を正した。
「……それより、エミちゃん。大事なお話があります。そこに座って」
「あ、うん。……なに?」
 ユミの正面で合わせて膝を揃え、正座に座り直して姿勢を正すエミ。
 ユミは少し膝でいざり寄って、エミの手を握った。
「エミちゃん、ごめんね」
「え? え? なに?」
 面食らって目を何度も瞬かせるエミに、ユミは話し始めた。
 昨日の夜についた嘘と、聞いておきたかったこと、そして……夢の中の夢で体験した話を。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 ヤマグチ家の裏。
 生垣の外に、大型バイクに跨った女の姿があった。
 真っ黒なレザーのつなぎを着て、年齢不詳。その雰囲気からしても決して若くはないが、かといって熟女と呼ぶには抵抗のある、若々しさと落ち着きを同居させた女。つなぎに浮かぶボディラインから、相当スタイルもいいことがわかる。
「……これで終わりよ」
 女は軽くウェーブした背に届く黒髪を手ですき上げ、タンデムに座る若者に告げた。
 若者の右手は女の背中から、内部に入っていた。服を突き破って、ではなく水面に手を突っ込んでいるように。
「大丈夫なのか?」
 女の背中から手を抜き、後部座席から降りた若者――シロウは、ちらっと生垣越しにヤマグチ家の二階を見やった。
「ええ。彼女に悪夢を見せていた『夢民』はあなたが夢の中で倒したのでしょ? 『夢民』の中でも俗に『夢魔』と呼ばれるタイプの彼らの実体は、普通、夢の世界にあるから、夢の中でやられちゃうとダメージでかいのよ」
 淡々と説明しながら、女はフルフェイスヘルメットをかぶる。
 シロウは疑惑を消しきれない、警戒した眼差しで女を見つめていた。
「ダメージがでかい? ってことは、まだ生きている可能性があるってことか」
「さあねぇ。どこまでやったら、あなた方の認識でいう死に該当する状態になるのか……そこまで教える義理はないわね。それに、私はハッピーな夢が担当だもの。あいつが作った不条理な夢には関われないし、関わりたくない。だからどんな最期を迎えたかは、見てないわ。私はあくまであなたの力を、あの娘の心の中へ送り届ける……そうね、チューナーみたいなものだから。悪夢の結末を見てたのは、あなたと――あの娘だけ」
 フルフェイスの覗き窓から、女の眼差しがちらりと二階を見やる。
「ちっ。落ちつかねえな。……けど、なんで俺に協力した? つーか、同じ種族なのに、どうして俺の手助けを? しかも、そっちの方から俺に報せに来るなんざ……何を企んでる?」
「あら。人間だって、同じ種族で争うじゃない。宇宙人だってそうでしょ? ……私達は人間に作り出された存在だからね。人間がやることは基本的にするようになってるのよ。騙すことも、裏切りも……もちろん愛も、恋も、義侠心だってある奴もいるし、困ってる人を見過ごせないのもいるわ」
「まず、そこからわからねえ。人間に作り出されたって、どういう――」
 シロウの言葉を最後まで聞かず、女はエンジンをかけた。
 大きな排気音に声を遮られ、シロウは頬をひくつかせた。
 ひとしきりアクセルを吹かした女は、振り返ってまた笑った。
「まあ、どうでもいいじゃない。彼女が傷つきもせず、死なずにも済んだ。そこだけでしょ? あなたにとって大事なことは」
「それは……そうだけどよ」
「じゃあ、心置きなく感謝だけしておきなさいな。……まあ、最後はちょっと私の夢を混ぜておいたから、ちょっと彼女、混乱しているかもしれないけど」
「あん? なんでそんなことを」
「あいつの夢の中で、かなり嫌な目に遭ってるはずだからね。でも、夢の中の夢って状況にしておけば、曖昧な印象だけ残して細部はすぐ忘れる。人間って、そういうものだから。――だから、あなた一人では無理と言ったのよ。無理矢理目覚めさせれば、ひどい傷を心に負った可能性がある」
「……………………」
「人間の心はそれだけ繊細で、扱うのに細心の注意が必要ということよ。夢でも、現実においてもね。覚えておきなさい、チェリーボーイさん」
 納得できないのか、唇を尖らせているシロウに、女は指を二本立てて軽く敬礼を切る。
 そして、フルフェイスのバイザーを下ろした。
「ま、心配事はなくなったんだから、今夜はハッピーな夢でも見て頂戴。私がお邪魔したくなるような、ね。――じゃ」
 それだけ残すと『夢民』の女はアクセルを吹かし、風のように走り去った。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 女の姿が完全に見えなくなるなり、シロウは傍らの電柱に寄りかかった。
 そのままずり落ちるように座り込む。
「く……」
 右手で左肩を押さえるシロウの額には、汗の玉が浮いていた。その表情は相当に険しい。
「……変身もせず、力を少しユミの精神に送り込んだだけで、この痛みか……」
 左肩から左手の指先にかけて、電気ショックを受け続けているかのような激痛が走っている。
 おそらくは、超能力を使用したことによる影響。
「くそ……」
 毒づきながら、シロウは電柱を支えに何とか立ち上がった。
「せっかく意識を取り戻したってのに、これじゃユミに心配かけちまう。……隠し通さなきゃな」
 家に帰るため、歩き出す。その足取りが乱れる。
 痛みがあるのは左腕だけではない。右足も同様だった。膝・腿を持ち上げることが出来ず、引きずってしまう。
 いつもはなんてことのない家路が、今日は長い旅路になりそうだった。
 人影のない住宅街の路上に、足を引きずり歩く不協和音が響いた。


【第8話予告】
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