【一つ前に戻る】     【次へ進む】     【目次へ戻る】     【小説置き場へ戻る】     【ホーム】



ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第7話 侵略のオトメゴコロ その6

「その辺にしときな、エミちゃん」
 暗がりの向こうから聞こえた年かさの女の声。
 その落ち着いた声音に、縮こまっていたユミはびくりと震えた。
「……え…………?」
 聞き違いだろうか。
 いや、今のこの状況から考えれば、もうなにがあってもおかしくはない――
「そんなことチクチク言うために、ここにいるわけじゃないでしょ。きちんとやることやりなさいよ」
「はーい♪」
 暗がりに向かって振り返ったエミは、いつものように明るく答えた。
 そして、ユミは今の声で確信した。暗がりの向こうで座っているのは――
「やっぱり……オオクマのおばさん……?」
 ちょうど稲妻が閃いた。ひときわ明るく。
 暗がりの向こうに座っている人影の姿が明らかになるほどに。
 そこに座っているのは、やはり、オオクマ・シノブだった。柔道着に身を包み、きっちりと正座して、その両腿に拳を乗せている。
「でも、どうして? どうしておばさんまでが……」
「決まってるでしょお?」
 エミはようやくユミから離れて立ち上がった。見下ろすその目は暗く、冷たい喜びに揺れている。
「身の程知らずのおバカさんに、思い知らせてやるためよ。あんたの愛しのシロウさんにたどり着くには、あたしという中ボスと、おばさんというラスボスを倒さなきゃいけないってこと。まあ、あんた程度、あたし一人で十分だけどぉ?」
「……そんなの、おかしいよ」
「ふふん」
 ユミから数歩離れたエミは、不敵に笑う。
「そうね。あんたからすればおかしいかもしれないわね。なんであたしの立場があんたと同じじゃなくて、おばさんサイドなのかって。答えは簡単。あんた風に言わせてもらえば、『将を射んと欲すれば、まず馬を射よ』ってとこかしらね?」
 ユミとしては、おかしい、を違う意味で言っていたのだが、そんな思いは吹っ飛んだ。
「エ、エミちゃんが……そんな故事成語を!?」
 エミの頬に屈辱の引き攣りが走る。
「とことん失礼ね。……まあいいわ。ともかく、あたしはおばさんに認められたってこと。だから、あたしはこっちサイド。まあ、正妻ポジション? あんたは浮気相手、泥棒猫ポジションなわけ。わかった?」
「まったく、ラスボスを馬扱いかい」
 嫌味の込もったシノブの言葉に、エミはぺろっと舌を出した。
「あら、おばさまごめんなさぁい。でも、意味は間違ってないと思うんだけど」
「そりゃそうだけどね。……ともかく、アキヤマさん。シロウの恋人はもうエミちゃんに決まったのよ。諦めて頂戴」
「おばさま、ダメですよぉ」
 人差し指を立てたエミは、それを左右に振った。
「諦めるとか、譲るとか。それじゃあ、まるで本当はユミの方に権利があるのを、あたしが奪ってるみたいじゃないですか」
「やれやれ。じゃあ、どうするんだい」
「フフフ……ユミには思い知ってもらわなきゃ……自分がシロウさんに相応しくない人間だってことを。好きになってもらうどころか、好きになる資格さえない最低の人間だって」
 じりっ、じりっと後ろへ退がって行くエミ。その姿は暗がりへと沈んで行く。
「そして、心の底から絶望してもらわなきゃ。ユミなんかじゃあ、一生、絶対、何があってもあたしには勝てないんだってね。……あはははは、あーっははははははははは!!」
 不意に哄笑が止まった。
 暗がりの向こうから、刺すような視線が飛んでくる。
「さあ、ユミ! 道場に立ちな! 思い知らせてあげるよ! あんたのクズっぷりをさぁっ!!」
「……や、やだ。そんなの、やだよぅ……」
 壁に背を預け、座り込んだままユミは両頬を手で包むように当てて首を振った。
 あふれる涙も、震える身体も、もはや止めようがない。
「来ないってんなら、あたしが立たせてあげるよ!」
 ずかずかと畳を踏み鳴らして再び近寄ってきたエミは、右手でワンピースの胸元をつかみ上げた。左手でユミの右腕をつかむ。
「や……やあっ!」
「ほらほらほらほら、しゃきっと立ちなっ! そんでもって、歯を食いしばるんだ! 打ち所が悪いとぉ――死ぬよ!!」
 叫ぶなり、胸元をつかんだ腕を回転させながら肘を折りたたみ、エミの右脇へと突き刺す。エミの前でくるりと背を向け、担ぐようにして――投げ飛ばした。
 叩きつけられた背中から衝撃が突き抜け、肺の中から空気が強制的に押し出される。
 これまで生きてきた中で、こんな衝撃は体験したことがない。ゆえに、表現する術をユミは知らない。
 痛い、というより、ただ衝撃が身体の中を突き抜けた、としか感じられなかった。
「あ……か……っ!! ……!!」
「これが背負い投げよ! 思い出したぁ? あんたもイリエのおじーちゃんに教わったでしょう? ――ほら、早く立ちなって。次だよ!」
 無理矢理立ち上がらされ、咳き込み始めたユミのワンピースの左襟と、再び右腕をつかむ。
「これが――大外刈りっ!!」
 鎌となったエミの右足が、ユミの右足を刈り、ユミは支えるものもない空中に投げ出される感覚を味わった。
 一瞬の、長い滞空時間の後、再び突き抜ける衝撃。目から飛び散る火花。鼻の奥に、つぅん、と焦げ臭い感覚が漂う。
「次は体落としに行こうか? それとも、払い腰がいい? 肩車でも巴投げでもいいわよ?」
 エミの声は、喜びに震えている。ユミを投げ飛ばすことが嬉しくて仕方がない――そんな気持ちが伝わってきて、ユミは吐き気を催した。
 嫌悪感の吐き気ではない。いまだ脳裏を離れないエミの姿、声、仕種、態度……これまで見てきたエミと今のエミの落差から生じる違和感。それに身体が拒否反応を起こしていた。
「うふふふふ。どうしたの、ユミ。顔色が真っ青よ? でも、あの合宿で学んだことがしっかり身についていれば、これくらい返すか崩すか出来たはずよね? そうそう、受身は取っていたのかしら? イリエさんもかわいそうよね、覚えてももらえない技を一生懸命教えていたなんてさ」
「……………………う…………うう…………」
 咳込みながら、かろうじて動く指をわななかせる。身体が痺れて動けない。目すら開けられない。
(エミちゃんがこんな人だったなんて……)
(違うよ、こんなのエミちゃんじゃない)
(わたしはエミちゃんの一面しか見ていなかった……)
(そんなことない。エミちゃんはエミちゃんだよ)
(エミちゃんはずっと恨んでいたんだ)
(ダメ、そんなこと認めちゃダメ)
(これは罰だ。エミちゃんを裏切った罰)
(違う、わたしはエミちゃんを裏切ってなんかない)
(エミちゃん自身が言ったんだもんね……わたしのこと、醜いって)
(わたしはエミちゃんが好き! 大好きなの!)
(わたし、何も知らないで……ううん、何も知らないふりした汚い女の子だったんだ)
(ほんとに知らなかったんだもん! それは……罪なの!? 違うよ! わかんないけど、悲しいことだけど、きっと違う!)
(もういいよ。どうせわたしは……こんなだから。一番の友達だと思ってた人の気持ちさえわかってない、バカだもん。きっとシロウさんも愛想尽かしてる)
(……………………)
(一番の友達を傷つけて、こんなに歪めてしまったわたしが、誰かを好きになんかなっちゃいけない)
(……………………の)
(きっとまた、誰かを傷つける)
(……………………るの?)
(だったら、もう……誰も…………だれも)
(……………………られるの?)
(だれもあいさずにいよう)
(……………………を、忘れられるの?)
(だれからもあいされずにいよう)
(……………………気持ちを、忘れられるの?)
(そうだこのままエミちゃんにころしてもらえればらくに――)

本当にシロウさんを好きな気持ちを、忘れられるの?

 その瞬間、全ての思考が停止した。
 一瞬か、永遠か。
 時は流れ、凍りついた思考が再び動き出す。

(――嫌だ)
(死にたくなんかない)
(シロウさんを好きな気持ちは嘘じゃない)
(エミちゃんを好きな気持ちも嘘じゃない)
(好かれる資格はなくても、好きになる資格がなくても)
(わたしはシロウさんが好き!)
(その気持ちは、我慢できない本当の気持ちだもん!)
(忘れられるわけがないじゃない!)
(今だって、こうしてシロウさんを想うだけで、わたしの胸は――)

 すうっと白色の靄が晴れてゆくように、視界が開けてくる。
 かすかな彼方に見えるのは――好きな人の顔。
(ああ、シロウさんが……わたしの手を握ってくれている。わたしの名前を呼んでくれている。そう、それだけで幸せな気持ちになれる。……あれ?)
 靄は完全には晴れない。声も届かない。
 けれど、見えた。かすかに。

 エミが。

 シロウさんと頭をつけ合うようにして、左手を握って、わたしを覗き込んでいる。泣いている。叫んでいる。
(エミちゃん……どうして泣いてるの? 嬉しくないの……? そんな……そんな、心配そうな…………悲しい顔をされちゃったら…………わたし……まだエミちゃんのこと、好きでしかいられないよ……)
 再び靄が濃くなってゆく。視界が白色に閉ざされる。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「――あ?」
 ぎょろっとエミの眼差しが、大の字に横たわるユミを見やった。
「なんか言った、ユミ?」
「……違、う……」
「………………ふぅん。あんた、ここに至っても――」
 エミは再びユミの胸倉をつかんで、荒々しく立ち上がらせる。
 その時、派手な音がしてワンピースの布地が肩の辺りから裂けた。
「ちっ、これだからやわな服って」
「……くれたのに……」
「あん?」
 表情を歪めて顔を近づけたエミに、ユミは顔を上げた。
 涙に濡れながらも、決意を秘めたその瞳に、エミはぎょっとする。
「シロウさんが……可愛いねって褒めてくれたのにっ!!
 叫ぶなり、ユミはエミの柔道着の左襟をつかんだ。同時に右袖もつかむ。
 無抵抗なはずの獲物の突然の逆襲。エミは我に返った。
「ユ、ユミ!? ――くっ……くっくくく、あたしとやりあおうっての!? いいわ、ようやくその気になったみたいだから、こっからは本気で――」
「違うっ!!」
「!?」
 いつものユミが発さない大声――否、本人だけはわかっていた。こんな声を出したのは合宿以来だ――に、エミは気圧されたように声を失う。
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う! 全部違う! 何もかも、おかしいよ! こんなの!!」
 ユミは目いっぱい首を左右に振りたくった。
 屈辱にまみれた顔つきで、ぎりり、とエミは歯を噛み締める。
「……ユミ、あんた――とりあえず黙っとけぇ!」
 破れたワンピースの胸倉をつかんだまま、大外刈りをかけようと踏み込む。
 その瞬間――
「違うっ!!!」
「うぁっ!?」
 ユミの叫びと共に、エミの上体が前のめりに崩れた。
 ユミは、腰を引いていた。その状態でさらに襟と袖をつかんでいる手も、力いっぱい引き下げている。柔道用語で自護体と呼ばれる守りの形。
 腰を引いたままユミの顔が上がり、エミを真っ直ぐ見据える。
「――エミちゃんがアグレッシブなのは認めるよ。体を動かすことに関して、わたしよりセンスがあることも。それに、あの合宿を潜り抜けたんだもん、多分格闘技も根性もわたしより強い。それも認める。でも、わたしとエミちゃんで、そう大差ないものもあるんだよ!」
「ば――」
 屈辱にエミの表情が揺れる。上体を下に引き下げられて崩れた姿勢を、力任せに正そうと背筋を伸ばそうとする。

「「バカを言うな、あんたがあたしに勝てるものなど何一つありえるはずがない!」」

 エミとユミの声が、完全にシンクロしていた。
 気づいたエミが息を呑む。
「な……なんで、そんな!?」
「エミちゃん、それは思い上がりだよ。そして、本物のエミちゃんはそんなこと言わない! わたしが一字一句予想できるようなことっ! エミちゃんはいつもわたしが考えてることの先へ行っちゃうんだもん! そんなエミちゃんだから、わたしはいつも一緒にいて飽きないんだよ! 楽しいんだよ!」
「うるさいっ!! あたしは本物だって言ってるだろう! あんたの見てきたのは、あたしが演じていた虚像だって!」
「嘘だ!」
「嘘じゃないっ!」
「嘘だもん! だって、エミちゃんの本当はエミちゃんだけの本当で、わたしの本当はわたしだけの本当だもん!」
「はあ!? なに言ってんの、あんた!? ――く、この!!」
 二人は完全に拮抗していた。エミが押した分だけ、ユミも退き、エミが退けば、ユミが出る。腰を引いて自護体を守るユミを、エミは攻略できない。
「無駄だよ、エミちゃん。いくらエミちゃんでも、一週間ほどかじっただけじゃあ、戦い方まで身についてなんかない。見ただけで再現できるなんて、それはシロウさんだけができること。それに、言ったはずだよ。エミちゃんとわたしで、さして変わらないものがあるって」
「それが、なんだっていうのよ!?」
「筋力だよ! ……確かに、泳げば校内一早いエミちゃんだけど、わたしだってエミちゃんと比べて10秒も20秒も差をつけられるほど遅いわけじゃないもん。それに、なにごとにつけどんくさいわたしだけど、筋力勝負ならコツとかそんなの関係ないんだから」
「く……なるほど、ずる賢く計算したってわけね」
「そうだよ。だって、エミちゃんになんて思われたって、わたしがエミちゃんに勝てるのは頭を使うことだから!」
「ようやく本音が出たわね……そうやって、あたしをバカにして!」
 怒りを糧にするように、エミの姿勢が持ち上がる。大差はないにしろ、筋トレへ取り組む姿勢や運動量の違いから、筋力でもエミがユミより勝っているのは間違いない。
「エミちゃんだって、わたしをバカにしたじゃない! ……それに、もうわかっちゃったんだから!」
「わかった? なにを!?」
「あなたはやっぱり、本物のエミちゃんじゃない!」
「本物よ! そして、本当の気持ちをさらけ出しただけよ!」
「じゃあ、言ってみてよ! エミちゃんが、中学生の時に好きだった男の子の名前!」
「な……」
 たちまちエミの表情が明らかに硬張り、狼狽が走る。気が緩んだか、ユミの引き下ろしにエミはまた姿勢を崩された。
「くぅっ……! なにを言い出すのよ!? そんなの聞いてどうするっていうの!?」
「言えないんだ。ニセモノだからかなぁ?」
 にんまり笑うユミに、エミは頬を引き攣らせた。
「そんなことないっ! ……だいたい聞いたって、それが本当かどうか、あんたに判るわけない! あんた知らないじゃない!」
「ああら、どうしてそんなことがわかるのかな? どっちにしろ、わかるかどうかはわたしが決めることだよ!」
「じゃ、じゃあ……オオ……ヤマ君……」
 名前を言う時、エミは頬を染めながら横を向いてしまった。
「嘘だ!」
「な、何を根拠にっ!?」
 間髪入れないユミの指摘に、エミが目を剥く。
「おしえてあげなーい」
「く……この……」
「じゃあ、こんなのはどう? シロウさんと初めて学校で特訓した日、プールの鍵を返しに行ったのはエミちゃんだったよね? 職員室で鍵を受け取ったのは誰?」
「……それはっ……」
 なぜか口ごもったエミは、しかしすぐに首を振った。
「それも、あんた自身が答えを知らない問題じゃないの! そんなの、問題にならない!」
「翌日、鍵を受け取った時に聞いたもーん」
「それこそ嘘だ!」
「へー。どうしてわかるのかな?」
「く……それは……その」
「じゃあさ、エミちゃんのお母さんの名前は?」
「え……?」
「あれ? どうしてそこで黙っちゃうの? 自分のお母さんの名前だよ? わたしが知っていようといまいと、即答できるはずだよね?」
「それは、その……急にそんなこと言うから」
「それも嘘ね」
「な……」
 自信満々のユミに、明らかにショックを受けているエミ。ユミの胸倉と右肘をつかんでいるエミの手から、力が抜ける。
 その時を待っていたユミは、柔道着をつかんでいた両手を離し、持てる力の精一杯でエミを突き飛ばした。
 エミは呆気なく離れ、尻餅をついてしまった。代償として、ユミのワンピースを胸から腰まで引き裂いて。
 引き裂かれたワンピースも露出した下着も気にすることなく、ユミはエミをじっと見下ろす。
「エミちゃんが今の質問に答えられない理由は、わたしが知らないから、だよ」
「はあ?」
 立ち上がろうとしていたエミは、怪訝そうに表情を歪め、片膝立ちで動きを止めた。
「なに……言ってんの?」
「まだ信じられないけど……信じ切るには、まだいろいろ突き詰めなきゃいけないことはあるけど……とりあえず、ここはわたしの夢の世界、だから。わたしの知らないことは、誰も知らない。もちろん、わたしはまだエミちゃんのお母さんの下の名前を知らない」
「……………………」
「ちなみに、オオヤマ君はわたしが小学生の時、好きだった男の子だよ」
「……………………」
 エミは動かない。隙を窺う猛獣のように、片膝立ちの姿勢のまま、じっとユミを見据えている。
 そのエミに対し、ユミは指を突きつけた。
「そもそも、わたしたち二人して並行世界へ迷い込んだんだって話は、エミちゃんまでまともだった場合の話。エミちゃんまでみんなのようにおかしいなら、その話は間違いってことだもの。つまり、この世界で正気なのはわたしだけ」
「……狂人は自分を正気だって、言うものよね」
 ユミはしかし、余裕を以って突きつけた人差し指を立て、左右に振った。
「そういう矛盾を孕んだ発言、エミちゃんはしないよ。わたしならともかく。……ここはわたしの夢の世界。だから、色んな不思議をわたしは普通のように受け入れてしまっていた。並行世界だというなら、おかしすぎるいろいろなことを。思い出せる、エミちゃん? わたしたち、どこをどう歩いてあの喫茶店に行った?」
「う……」
 悔しげに顔を背けるエミ。
「公園で会った宇宙人、わたしは死にかけてたから実際には見てないけど、現実ではウルトラマンに倒されたんだよね? なのにどうして、わたしたちは当たり前のようにあの宇宙人が、わたしたちをあの時襲った宇宙人と同一人物だって、認識したのかな?」
「……………………」
「エミちゃんはヤマグチさんを倒して、その後ここへ来たって言ってたけど、シロウさんとわたしが会っていたのをどこで見てたの? シロウさんの家に入ったはずのわたしが、こんな道場にいるのはどうして?」
「……………………」
「あと、エミちゃんはいつからイリエ大師匠をイリエのおじいさんって呼ぶようになったの? まるで、わたしがそう呼ぶみたいに」
「……それだけ?」
 不敵に笑いながら、エミはゆっくりと立ち上がった。拳を握り締め、自然体で立つ。
「それだけじゃあ、あんたの夢だって証明にはならないんじゃない? あたしをニセモノ扱いした挙句、今度は世界そのものをニセモノ扱い? あんた、どんだけ心が病んでんのよ。自己中もそこまで来ると、精神病なんじゃない?」
「……あなた、誰?」
「え?」
「そうやって、わたしを不安にさせるようなことを言って、わたしを絶望させようとしてる。あなたがわたしをこの世界へ引きずりこんだ黒幕ね? ニセモノのエミちゃんの向こうに隠れていないで、出てきなさいよ」
「な、なにを……」
 エミは明らかに動揺した。顔色が青ざめている――その向こうで、エミにそう言わせている何者かの表情のように。
 対するユミは、全く動じていない。
「ここはわたしの夢だけど、わたしが望んだ夢じゃない。きっと、現実のわたしは昏睡状態かなにかなのね。確か……過去にも夢を蝕むような怪獣や宇宙人がいたって話があったと思うし」
「だから、それは何の証明もされていない、あんたの思い込――」
「じゃあ聞くけど、どうして急にエミちゃんの柔道の腕前が落ちたの?」
「え……?」
「ワンピースで、しかも嫌がってるわたしを、あれだけしっかり投げられたエミちゃんが、わたしが腰を引いただけで投げられなくなるなんておかしいよ。どうしてかな?」
「そ、それは……その」
「わたしが気づいちゃったからだよ。エミちゃんは、本当は柔道なんて強くない。いくら活動的なエミちゃんでも、たかだか一週間弱で柔道があんなにうまくなるはずがないって。わたしがそう思って、それを信じたから、エミちゃんはわたしを投げられなくなった。わたしが、エミちゃんの腕力はわたしより少し上だって認めて、それが真実だって信じたから、エミちゃんは力比べでも圧倒的な勝ち方が出来なくなった」
「……都合のいい解釈だわ」
「そう? まだあるよ? あなたの正体とか」
 再び突きつけられた指の彼方で、エミは硬い表情のままユミを見つめ返している。
「あなたはわたしが認めたくない、でも、ひょっとしたら、エミちゃんはそう思ってるんじゃないかって、心の奥底で恐れていたものを集めたエミちゃんだね。あなたのわたしへの攻撃的な発言は、全部、わたしがエミちゃんにそう思われてるんじゃないかって、恐れていた気持ち。聞きたくはなかったけど……、向き合いたくはなかったけど……でも、いつものエミちゃんみたいに、わたしの想像を超えた発言じゃなかった。エミちゃんにしては、甘いよね」
「……………………」
「他の人たちもそう。多分、人が人と会えば必ず生まれる嬉しい気持ち、それと一緒に生み出される嫌な気持ちや、嫌な想像。その嫌な部分だけを集めて、少し黒幕の誰かさんの意思が上乗せされて作られたのが、あなたたち。つまり、この世界もあなたたちも、わたしの記憶や感情から作られたもの。だから、わたしの知らないことは起きないし、聞いても答えられない。ついでに言えば、わたしの考えたことを時々エミちゃんが口にしてたのも、それが理由」
「へぇ……だとしたら、ユミ。どうするっていうのかしら?」
 ゆらり、とエミが踏み出した。暗く、冷たい笑みを浮かべて。
「どれほど得意げに講釈を垂れてみても、どうにもならないわよ? これが夢であろうとなかろうと、あたしはあんたを叩きのめす。柔道が無理なら、殴り倒すだけだもの」
 大きく、力いっぱい拳を振りかぶるエミ。
「あたしがあんたを憎んで痛めつけたい気持ちを、その行動を、あんたは止められない」
「エミちゃんはそんな人じゃない」
 そうユミが言い放ったその瞬間、エミの拳はユミの顔を的確にとらえた――が、響いた音はぺしゃ、というなんとも締まらないものだった。
「あ、あれ?」
 目をぱちくりさせるエミに、ユミはにっこり微笑んだ。
「言ったでしょ? わたしが信じれば、そうなるの。ここはわたしの夢の世界だもん」
「バカな……」
 エミは引いた拳と、無傷のユミの微笑を何度も見比べる。
「あたしが、チカヨシ・エミが、あんたを殴れないって、信じたっていうのか!? そんなはずはない! どれだけ信じたって、飛んでくる拳に恐怖を覚えないはずがない!」
「ううん」
 ユミは首を振った。
「わたしは、本物のエミちゃんはそんなことでわたしを殴ったりしないってことを思い出したの。だから、わたしを殴るエミちゃんはニセモノだって。それだけ。だから、あなたが本物であろうとすればするほど、殴れなくなる。でも、わたしを殴るためにニセモノであることをよしとしたら、その瞬間、あなたは消えちゃう。そうでしょ?」
「…………っ!!!!」
 攻撃されてもいないのに、エミは一歩後退っていた。
「今までの説明が一度でわかっちゃう辺りも、エミちゃんらしくないよね」
 ふふ、と無邪気に微笑み、首を傾けるユミ。
 エミはもはや用をなさなくなった自分の手を真っ青な顔で見下ろしている。
「……決着がついたようだね」
「オオクマのおばさん……」
 振り返るエミは、ユミが見たことないほど弱気な顔をしていた。
 暗がりの向こうで、衣擦れの音と裸足が畳に触れる音がする。
「あんたじゃもうダメだよ、エミちゃん。もちろん、あたしもだけど。とりあえず退がんな」
 裸足で畳の上を歩く独特の湿っぽい音がして、オオクマ・シノブが近づいてくる。
 エミの傍らにまでやって来たシノブは、ユミをしばらくじっと見つめ、大きくため息を一つついた。
「……まさか、ここまで理解しちまうとはねぇ。一応、聞かせておくれでないかい? どうしてそんな風に思えたのさ?」
「さっき、エミちゃんに投げられた時、視界が利かなくなって、真っ白になって……その向こうに見えたんです。わたしを心配しているシロウさんと、本物のエミちゃんの姿が。わたしがそうだと信じている、エミちゃんが。だから」
「やれやれ、外部からの干渉は全部シャットアウトしてたはずなんだけどねぇ。やっぱり、星の海を越えてくるほどの相手ともなると、少々厄介ってことかしらね」
 頭をぽりぽり掻きながら、再び嘆息。
 ユミは目を細め、表情を引き締めた。
「その言い方……あなたが黒幕なんですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える、かしらね。あなたと話しているという意味ではそうでも、これはわたしの操る人形の一つにすぎない、という意味では違うということよ」
「わかってます。オオクマのおばさんの口を通して、自分の意思を伝えているあなたは、という意味です」
「そういう意味なら、まあ、そうだわね」
 また一段、ユミは目を細めた。いつもは呑気そうな目尻がつり上がり、精一杯の怒りを示している。
「あなたは何者なんですか。どうしてこんなことを」
「わたしが何者か、ねぇ」
 シノブの口元が笑みに歪む。本物のシノブなら絶対に浮かべないであろう、邪悪な笑みに。
「あなたたち人間には、色んな名前を与えられてるわね。サキュバス、インキュバス、ラーヴァ、夢魔、ナイトメア、悪魔、吸精鬼、魔物、小鬼……メジャーどころではそんなものかしらね? 仲間内、あるいは昔からわたしたちを知っている人間は『夢民』と呼んでいるわ」
「むー……?」
 ユミの脳裏を、カバ似の妖精が走り回る。
「まあ、呼び方なんてどうでもいいのよ」
 シノブが妙な動作をした。右手を水平に持ち上げ、胸の前から外へと広げたのだ。
 途端に、柔道場に人影があふれた。ぞろりと、五人の人影。
 それを見たユミは、驚きとともに一歩後退っていた。
「GUYSの隊員さん!?」
「こっちも」
 今度は左手で同じ動作をする。すると、シロウの知り合いで、ユミの知っている人たちの顔がぞろりと並ぶ。
 警戒するユミに、シノブは得意げに腕を組んだ。
「とりあえず、褒めておいてあげるわよ。アキヤマさん。ここしばらく、これほど完全にこの罠を見破った人間はいなかった。あなた自身は、別段特殊な人間でもなんでもないけれど……時々いるのよね。わたしたちの幻夢を見破っちゃう人が」
「ゲンム……」
「そう。もうあなたは二度と目覚めることがないだろうから、教えておいてあげる。わたしたち『夢民』の生きる糧は、あなたたちの夢。精神エネルギー。感情が発する力。人によっては気とも言うわね。中でも、私は『不条理な夢』でなければ、力を得られないの」
「不条理な……夢ですか。だから、こんなおかしな」
「あらら、この程度でおかしいなんて思ってもらっちゃ困るわね」
「!?」
 突然、畳が消えた。
 足の下から支えが消えて、つま先が空を掻く。しかし、落ちてゆく感覚はない。
 見下ろせば、真っ暗な宇宙の中で巨大な銀河が渦を巻いている。
「え……ええ!!?」
「そう、その困惑。それがわたしの大好物。そして――」
 ユミが顔を上げるより早く、シノブは右手を軽く振った。
 まるで足の下に支えがあるかのように、エミが走った。
「流星キーーーック!!!!」
 叫んだエミの光をまとった飛び蹴りが、ユミの胸を打つ。
 一声の悲鳴とともに、ユミはどこまでも飛んでゆく。背後にあったはずの壁もなくなっていた。
 無重力での姿勢制御など知らないユミが、どうしていいのか混乱している間にエミが追いついてきた。
 ユミの真正面、宇宙空間を飛ばされているユミと同じ速度で飛んでいる。
「――信じるだのなんだの言ったところで、瞬時瞬時に混乱していたら、そういう判断は出来ないよね?」
 ひひっ、と笑って拳を振り上げる。
「それでもエミちゃんはっ!」
 きっと睨み据える。
 その瞬間、チカヨシ・エミの姿はクモイ・タイチの姿に変わっていた。
 シロウはおろか、エミですら容赦なく蹴り飛ばし、投げ飛ばす鬼の武術家。
 その知識と恐怖が、ユミを怯ませた。
「ひっ……」
「……これが、力だ」
 容赦ない拳の一撃がユミの左頬を打ち、ねじれた首が右へ弾ける。
 鼻の奥に、つぅんときな臭い匂いが漂った。


【次へ】
    【目次へ戻る】    【ホーム】