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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第7話 侵略のオトメゴコロ その4

 あてどなく歩いた二人がたどりついたのは、児童公園だった。
 不思議なことに、土曜日の昼下がりだというのに子供一人いない。無論、大人の姿もない。
 だが、異常事態の解決について気を取られていた二人は、その状況に気づかなかった。
「どうしよう……GUYSに連絡しても、こんな状況信じてもらえるかな」
「っていうか、そもそもGUYSの隊員さんがあの状態だし……GUYSって他にまだ隊員さん、いたっけか?」
「わたし、知らない」
「ヤマグチさん辺りなら知ってそうだね。どうせ帰らなきゃだし、相談してみますか」
 やれやれ、と言いながらエミは藤棚の下のベンチに腰を下ろした。日陰になっているため、かんかん照りの今日の天気でも、割と過ごしやすい。
 ユミもその隣に腰を下ろした。そして、物憂げな吐息を漏らす。
「でも……考えたらすごいね、シロウさんとか、クモイさんとか、GUYSの人たちって」
「なに? どうしたの、いきなり」
「だって、こんな……わたしたちじゃあ、どうしたらいいか全然わかんない不思議な状況に、あの人たちは自分から近づいてって、解決するわけでしょ? それって、すごい勇気だよね」
「んー……まあ、それが仕事だしね、GUYSの人は。シロウさんは……もともとそっちが日常の人だし。そういう意味では、そんなシロウさんに近づいて行こうってユミも、あたしから言わせれば十分同類だと思うけどな」
「そうかなぁ」
「そうよ。……まあ、かく言うあたしも、これで結構ドキドキわくわくしてるから、そっち側の人間なのかもしれないけど。えへへ」
「エミちゃん……」
 エミの気遣いなのか、それとも本心なのかははっきりとわからないが、ユミは単純にその言葉が嬉しい。
 その時、風が吹いた。
 藤の葉がざわざわ揺れ、白昼の公園にかすかな砂塵が舞う。
 そして、そいつが現れた。

 金属同士を擦り合わせるような耳障りな音と共に。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「え……?」
「あ……?」
 二人は声を失ったまま、凍りついていた。
 たった今までの、穏やかな土曜の昼下がりが絶対零度に包まれ、血の色に染められてゆく――そんな感覚。
 見ているものが信じられない。
 なぜここに。なぜ今。そして……なぜ再び。
 
 ツルク星人。
 両腕の先が剣の恐るべき宇宙人。
 ユミを切り裂き、シロウを串刺しにしたあの宇宙人が、今再び、二人の前に立ちはだかっていた。
 恐怖に支配され、指一本動かせず、声一つ立てられず、ただ身体を震わせている二人に、暗殺宇宙人は近寄ってきた。
 残暑の厳しい太陽の輝きが、その剣に弾かれている。
「……ヤツハ、ドコダ」
 それが目の前の宇宙人の声だと理解するまで、しばしかかった。
 それに、何の音なのか金属同士を擦り合わせるような耳障りな音がとてつもなくやかましい。
「ヤツハ、ドコダ」
 ツルク星人は繰り返した。
「や……やつって……?」
 真っ青な顔でかろうじて声を返したのはエミ。左手をそっとユミの前にかざす。守るように。
「あ、あなたを倒した、ウ、ウ、ウルトラマンジャックのこと? だ、だったら、あたしたちは――」
「チガウ!」
 荒げた声に、二人はびくんと大きく身を震わせて、背筋を伸ばしていた。
「じゃ、じゃあ……クモイ隊員? GUYSの――」
「チガウチガウ!」
 興奮したように、剣をこすり合わせ、振り回す。
 すぐ傍を走る刃に、二人は思わず金縛りを脱して抱き合っていた。
「うるとらまんじゃっくニ用ハナイ! がいずノ隊員ニモ用ハナイ! オレガ会イタイノハ、れいがダ!!」
「レイガ……シロウさん!?」
 驚くユミに、ツルク星人の刃が突きつけられる。
「ソレガ地球デノ名前カ。ソイツハドコニイル」
「シ、シロウさんに何の用なのよ!」
 ありったけの勇気を振り絞って、ユミは叫んだ。
「い、言っとくけど、今のシロウさんはあの時とは違って、強くなったんだから! もうあなたなんか怖くないんだから!」
 しかし、ツルク星人は身体を揺すって笑った。
「勘違スルナ。ヤツト一戦ヲ交エル気ハナイ」
「じゃあ、なんなのよ!」
「……………………」
 急にツルク星人は押し黙った。刃の先をユミに向けたまま、何かを言い出しづらそうに、うつむいて頭を左右に揺らしている。
「……………………ダ」
「え?」
「……………………ダ」
「聞こえません! はっきり言ってください!」

「愛ノ告白ヲシニ来タト言ッテイルノダ!!」

 今度は二人が押し黙る番だった。
 そして、たっぷり十秒ほども経った後、二人の口から同時に同じ言葉が漏れた。
「「は?」」
「弱イクセニオレノ刃ヲ恐レズ、刺シ貫カレテモナオ屈スルコトナク戦イ続ケタアノ精神力。ソレニアノ血マミレノ姿、苦悶ニ歪ム顔ノ美シイコトトイッタラ……思イ出シテモドキドキスル。興奮スル。冷静デハイラレナイ。アレヲオレノ嫁ニスル」
「嫁って……シロウさんは男ですよ!?
 至極真っ当、かつ魂のこもったユミの指摘を、ツルク星人は笑っていなした。
「些細ナ問題ダ。ソモソモヤツガうるとら族デ、オレガつるく星人ダトイウ時点で相当オカシイノダ。コレ以上オカシクテモ、ソレハモハヤドウデモイイコトダ」
「ああ。おかしいという自覚はあるわけね……」
 ここまで来るともう突っ込み疲れたのか、エミの指摘には力がない。
 代わりに、ユミが発奮した。
 突きつけられた刃をものともせず立ち上がり、ツルク星人を睨みつける。
「冗談じゃありません! あの時のことで、シロウさんがどれだけ傷ついたと思っているんですか!?」
 合宿の記憶が甦る。
 シロウさんが、泣いていた。わたしを助けられなかったこと、クモイさんが駆けつけなければ、エミちゃんを守りきれなかったことを――自分が弱いということを思い知らされ、泣いていた。悔やんでいた。
 それもこれも、みんなこの宇宙人が襲って来さえしなければ。
「わたしだって、あなたのこと許してない! 今度は、わたしがシロウさんを守ります! 絶対に、あなたのお嫁さんになんか、させません!」
「ナラバ、モウ一度死ネ」
 ツルク星人が刃を振り上げる。
 咄嗟に顔の前で腕を交差させ、身を守ろうとする二人。

 その刹那。
 光が溢れた。

 そして――

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「ジェアッ!!」
 涼しくも甲高い音を立てて弾け飛んだツルク星人の刃が、少し離れた地面に刺さる。
 エミとユミ、二人を背に守るのは――
「うるとらまんじゃっく!」
 切り飛ばされた左手をかばうように右手で押さえているツルク星人の苦々しい声。
 左手のブレスレットを見せつけるようにして構える新マン。
 その背後で、二人は目を丸くしていた。
「うっそ……等身大のウルトラマンだ……」
「でも、どうしてウルトラマンが……」
「早く逃げなさい」
 優しくも力強いウルトラマンの声に、再び二人は面食らった。
「あ、あの」
「でも」
「いいから行くんだ。この戦いに、君たちは関わってはいけない」
 じりじりと隙を窺うように距離を取り、ゆっくり動いているツルク星人に対し、新マンもいつものファイティングポーズで構える。
「関わるなって……そうだ!」
 エミは立ち上がった。ユミの手を取って。
「近くにGUYSの隊員さんがたくさん来てる! あたしたち、呼んできます!」
 だが。
「いや、助力はいらない」
 新マンは首を振っていた。
「そんな、どうして……? クモイ師匠なら、こんなやつ! あの時だって!」
「……レイガはわたしが守る。わたしのものだ!」
 途端に、エミは不味いものでも喰ったような顔つきになって叫んでいた。
「――あんたもかぁっ!!」
 渾身の突込みを残し、エミはユミの手をつかんだまま脱兎のように駆け出していた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 公園の反対側を抜け、大通りの道路に出る。
 久々の全速力に息を荒げている二人は、先ほどまでいた藤棚の方を見やった。公園の周りぐるりを取り囲む生垣で見通しが利かないが、何か光ったり爆発したりしている。
「……どうしよう、エミちゃん。ウルトラマンまであんなこと」
「てか、宇宙からはるばるシロウさん奪いに来るって、この状況一体どうなってんの!? これじゃまるで――」
 はっと気づいて、エミが続く言葉を飲み込む。
 ユミも気づいた。

 今の状況――むしろ、自分たちがこの世界にとって異質な存在であることに。

「……どういうこと?」
 エミは、その場にしゃがみこんだ。その両腿に肘をつき、顔の前で両手を合わせて考え込む。
「ん〜……世界が変わったのに、あたしたちだけが置いてけぼり? それとも、あたしたちが別の世界に……?」
 ユミもエミの隣で膝を屈めた。
「エミちゃん。わたし、かじったばかりの知識で申し訳ないんだけど……」
「なに?」
「過去に来たことのあるウルトラマンの超能力って、どれもスゴいんだけど……さすがにこんな風に世界の方が歪んじゃうようなのはなかったと思うの。もっとも、世界の方が変わっちゃったら、その中にいる人はそもそも変わったことすら気づかないってことになるから――」
「ごめん!」
 エミは手を突き出してユミの言葉を遮った。
「ごめん、ユミ。詳しく言ってもらって悪いんだけど、あたしの頭じゃあちんぷんかんぷんなの。それでもとりあえず、シロウさんの仕業じゃないらしいって気はしてきた」
「うん。わたしもそこが言いたかったの」
「ということは…………ええと………………どういうこと?」
「ごめんなさい。わたしもそこまでは……でも、さっきエミちゃんが言いかけてたことから言えば――」
 ユミは素早く辺りに視線を飛ばした。
「――わたしたち、別の世界に迷い込んでしまったのかも」
「それって……マンガとかアニメでよくある、並行世界とかパラレルワールドってやつ?」
「うん。そうだ、とははっきり言い切れないんだけどね。ただ、昨日の夜にあったっていうマイナスエネルギーの反応、それが引き金になってなぜかわたしたちだけがこんな世界に迷い込んだ、というのもありえない話じゃないと思う。それに……ちょっと思い当たる節があるから」
「思い当たるって……異世界に迷い込むことに?」
 エミの疑惑いっぱいの眼差しに、ユミは首を振った。
「ううん。そっちじゃなくて……マイナスエネルギーの方」
「なんで? ユミが? どういうこと?」
 途端に、ユミは俯いた。エミの顔が真っ直ぐ見られない。
「その……わたし……昨日、エミちゃんに嫉妬してたから。お店で話したみたいに。でも、そんな自分が嫌で、悲しかった。そんな醜い気持ちでぐしゃぐしゃになってる自分が嫌いで、シロウさんに合わせる顔がないって思って、また悲しくなって。自分に腹が立って。頭ぐるぐるしてたの。それだけじゃないよ。わたし、嘘ついた。嘘ついて、エミちゃんちに押しかけて、エミちゃんの気持ちを聞きだそうとして――だから、だから……マイナスエネルギーは、きっとわたしが……」
 言えば言うほど情けない。
 今日は確かに、エミちゃんにたくさん嬉しい言葉をもらった。でも、よく考えてみれば、自分にはそんな資格、ないのかもしれない。
 あまつさえ、自分のせいでこんな変な世界にエミちゃんを連れてきてしまった。もうどうやって侘びればいいのかさえ、わからな――
「そんなわけないでしょ!」
 強い怒りの声と共に、エミの平手が背中を叩いた。
「きゃあっ!!」
 絶対にもみじ型の後が残っているとしか思えないその一発に、ユミは飛び上がるようにして立ち上がっていた。
「エ、エミちゃん、痛ぁいぃ」
 叩かれた場所を押さえてぴょこぴょこ飛び回るユミ。その目尻にこぼれる涙が、悲しみのものだったのか痛みのせいかはもう自分でもわからない。
 立ち上がったエミは、呆れたように鼻で笑った。
「ふんだ。あたしにだって、好きな人ぐらいいたわよ。中学の時に。片想いで終わっちゃったけど。クラスの友達でも、たくさんあの子が好き、この子が好きって、毎日聞いてる。みんな悶々としてるんじゃないの? そんな風に友達と好きな人の中を勘繰っちゃうのも、この世の中にあんた一人だと思う? ……そんなわけないじゃない。じゃあ、人はみんな恋したらそのたびに異世界に飛ばされるわけ? いや、抽象的な意味ではそうかもしんないけど……今はそういう意味じゃないって、わかるよね?」
「……エミちゃんが抽象的なんて言葉を使うなんて」
「驚くのはそこなのっ!?」
「あ、うん。でも……」
「だいたい、それ言ったら、昨日の夜、あたしだって嫌な気分になってた」
「え?」
「ユミから電話があった時」
 言いながら、エミはついっと目をそらした。
「朝、言ったでしょ。今日は親もいないし、クラブも久々に休みだったから、遊びに行こうかとか思ってたって。だから……」
「あ……そっか。ごめん……」
 しゅんとしたユミに、エミは慌てて言い足す。
「か、勘違いしないでよ!? 別にユミが来るのが嫌だったわけじゃなくて、その……目をそらしたかった終わってない夏休みの宿題に、無理矢理向き合わされたのがムカついたというか、その、自業自得なんだけど、それはわかってるんだけど……憎たらしいって思った。それで……ユミと一緒で、そんな風にユミのことを思った自分が情けなくって、ちょっとヘコんだの」
「そうなんだ……エミちゃんでも、そんな風にヘコんだりするんだ」
 不謹慎なのかもしれないが、嬉しい。
「だから、さ。その、マイナスエネルギーも、ユミのじゃなくて、あたしなのかもしれないし……」
「……………………待って、エミちゃん」
 ふと頭の隅に閃いた考えに、ユミは探りを入れる。思考を言葉に直してみる。
「……わたしたち、二人とも同じ時間に後ろ向きなこと考えてた…………そんな二人だけが、この世界に……いる?」
「あ?」
 言葉は言葉を励起し、聞いた者に思考を強いる。
 エミも気づいた。
「ひょっとして……」
 二人は同時にお互いを見つめた。
 暑さのせいだけではない汗が、二人のこめかみを伝い落ちる。
「あたしたち二人のせいかぁー!?」
「わたしたち二人のせいぃー!?」

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 二人とも沈んだ気持ちのままとぼとぼと歩いてゆく。
 風景はだんだん緑が増えてゆく。道沿いには民家が並んでいるが、路地一本入ると田園風景が広がっている、そんな風景。
 しかし、そんな風景は目に入らない。
「……自分たちのせいじゃあねー……」
「……うん……」
「人のせいにしちゃダメだよねー……」
「……うん……」
「しょうがないよね……。もう、ここで生きて行くしか――」
 ふぬけた空笑いを漏らすエミ。
 その手をユミが捕まえて、握り締めた。
 思いがけぬ力強さに驚いて顔を上げたエミに、真剣な眼差しのユミは激しく首を振った。
「やだ。絶対にいやだよ。わたし、絶対に元の世界に戻る。エミちゃんと一緒に戻るよ」
「あ、うん。……そうだね。でも……」
 再びうつむくエミ。
「どうしたらいいのか、あたしにはもう……こんなことなら、勉強もう少しやっておけばよかったかなぁ」
「ううん。義務教育と高校の勉強だけじゃあ、この状況は乗り切れないと思う。……わたしだって、本当のところはどうすればいいのか……」
 その時、ふと呼ぶ声が聞こえた。
 足を止めて、きょろきょろと辺りを見回す二人。
 道の向こうから、誰か走ってきていた。
「んん〜? 呼んでるみたいだね。ええと……エミちゃん? ユミちゃん? ――ユミ、どっちに聞こえる?」
「わたし、だと思う。けど……あれって……」
 だんだん近づいてくる人影がはっきりするにつれ、二人は気が抜けたように小さく吐息を漏らした。
「なんだ。ヤマグチさんじゃない」
「迎えに来てくれたんだよ。きっと。……あ!」
 急に顔をほころばせたユミは、エミの両手を握った。
「そうだよ、エミちゃん! ヤマグチさんだよ!」
「いや、それはわかったけど、なんで嬉しそうなの?」
「エミちゃんがさっき言ったんじゃない! ヤマグチさんに相談してみようって。そうよ、あの人なら、話をきちんと聞いてくれるかも。こういう学校では教えてくれないようなこといっぱい知ってるし、お昼までだって別に変なところはなかったし」
「そっか。そういえばそうよね。あの合宿で一緒だったヤマグチさんなら、ユミのシロウさんへの気持ちだってわかってないはずないし……それでもあたしたちを敵視しなかったということは……少なくともまともな話は出来るかも」
「うん!」
 希望を満面にたたえて、大きく頷いたユミは、カズヤに向かって大きく手を振った。
「は〜い、ヤっマグチさ〜ん!」
「お〜い、ユミちゃ〜ん」
 カズヤも大喜びで手を振り返す。
 やがて、二人の傍までやってきたカズヤは汗だくだった。
「……いや、よかった。どこに行ったのかと思って、探し回ったよ」
「なにか……あったの?」
 エミが警戒を滲ませる。
 しかし、カズヤは半袖シャツの肩口で汗を拭いながら、首を振った。
「いや、別に何も。ただ、ちょっと心配になって」
「心配? なにもないのに? どういうこと?」
「チカヨシさん」
 質問を繰り返すエミに、カズヤは少しうっとおしげな表情を見せた。
「少し黙っていてくれないか。ボクはユミちゃんに話があって、探していたんだ」
「ユミに?」
 エミとユミは顔を見合わせた。
 途端に、二人の顔に影が差す。
「ちょっと待って、ヤマグチさん」
 エミは、ユミとカズヤの間に割って入った。じろりと頭半分高い相手を睨み上げる。
「な、なんだよ」
 元々小心者のカズヤは、相手が女子高生でも怯んでいる。
「……まさかとは思うけど、シロウさんは自分のものだ、とか言い出さないわよね?」
「はあ? シロウ君が? ボクのもの? なんで? っていうか、シロウ君は一応、男だろ? ……ボクはそっちの趣味はないよ」
「ほんと!?」
 ようやく聞けたまともな返答に、思わずエミは振り返ってユミと手を組み、躍り上がっていた。
「やった♪ やったー♪」
「ヤマグチさんはまともだね♪」
「よかった、よかった」
 くるくる回るようにして踊る二人をひとしきり見ていたカズヤは、すぐに顔を左右に振りたくって正気に戻った。
「――と、そうじゃないんだ。ユミちゃん、聞いてほしいことがあるんだ!」
「は、はい!」
 驚いて向き直ったユミは、しゃんと背筋を伸ばした。
「なんでしょう」
「好きです。ボクと付き合ってください」
「…………え?」
 ユミだけではない。エミまでもが息を止めて、ぽかんとしていた。
 やがて、ユミは言葉の意味を理解して、耳まで真っ赤に染まる。
「あ、あの、あのあの……」
「ああ、ごめん。少し、遠回しだったね。じゃあ――お嫁さんに来てください!」
「え、えええええええっっ!?」
「ええい、なんならボクがお婿さんに行ってもいい! ともかく、君が好きなんだ! 大好きなんだ! もう二度と離したくない! その気持ちに今さっき、ようやく気がついたんだ! こんな……こんな、お昼ご飯を食べるわずかな時間ですら、離れていることが辛いなんて。ああ、愛している、ユミちゃん! 結婚しよう!」
「あ、いや、でも、わたしまだ高校生で……16歳だし」
「そんなことは問題じゃないっ!」
 きっぱりと言い捨てて、ユミの肩をがっしりつかむ。
「ひ……」
 男の人に迫られる怖さに、一瞬身体が震えたが――唇を噛んだユミは、きっと目尻を吊り上げてカズヤを睨みつけた。
「わ、わたし、好きな人がいるんですっ!!」
「ボクだねっ!?」
「違いますっっ!!」
「いいんだ、照れなくても! 君の気持ちはよくわかってる!」
「嘘ですっ!!」
「本当だともっ!!」

「――黙れ、この変質者ぁっっ!!」
 叫んだエミの目が、残光の尾を引いて走る。
 カズヤのがら空きの脇腹に、クモイ直伝のレバーブローがめり込んだ。
「ごっ……ぉっ………………ぐはっ……」
 女子高生と思えぬ拳の威力なのか、女子高生程度のパンチでも悶絶するほどカズヤが打たれ弱かったのか――あるいはその両方か――カズヤは、両膝をついて、四つんばいになってしまった。見ようによってはユミに土下座しているような格好だ。
 突然のことに呆然としているユミの前に、エミが身体を滑り込ませる。
「ユミ! 早く逃げてっ!」
「え、ええっ!?」
「いいからっ! これはあたしがなんとかする! ユミはとりあえずここから逃げて!」
「でも、エミちゃんは!? 別れ別れになるのは嫌だよ!」
「バカ言ってんじゃない!」
 ちらりとカズヤの様子を見やり、まだ立ち上がらないと判断したエミは、振り返ってさっきのカズヤのようにユミの両肩をわしづかみにした。
「いい、ユミ? 今回はあんたが狙われてる。ユミがここにいると危ないの。そして、それとは逆に、ユミがここにいるとヤマグチさんも落ちつけないの。だから、しばらくこの場を離れて? その間に、あたしがヤマグチさんを痛めつ――おふん。説得して、元の世界に戻れるような方法を知らないか、聞いてみるから」
「でも……」
「ユミ! お願い。考えて。今一番大事なことはなに? 元の世界に戻ることでしょ? だったら!」
 真剣すぎて泣きそうな顔になっているエミの気迫に、ユミは頷くしかない。
「う、うん……わかった。でも……無理、ううん、無茶はしないでね?」
「わかってる」
 頷いたエミは、カズヤに聞こえないように顔を寄せ、ユミに耳打ちをする。
「(しばらく時間を潰したら、あたしの家に。かたがついたら、あたしもすぐ戻るから)」
「うん……うん」
 頷いたユミは、踵を返すと駆け出した。後ろは振り返らない。
 振り返っていられるほど、心に余裕はなかった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 どこをどう走ったのか、まるで覚えていない。
 足が走ることを拒否してつんのめったところで、ユミはようやく止まった。
 危うく倒れこむところを、両手両膝をついてこらえる。
 息が苦しい。力が入らない。立てない。うつむいた顔を起こす気にもならない。
 心は乱れきっていた。
 何をどう考えればいいのか、わからない。
 なにしろ、告白をされたのも初めてなら、断ったのも初めてだ。そして、思い返せば自分の気持ちを素直に吐露したのも初めて。
 今日一日があまりに濃密な経験過ぎて、もう頭が回らない。
 シロウさんを好きだということ自体が人生最大のイベントで、おそらく自分の全力はしばらくそこだけにつぎ込まねばならない、と思っていたのに、別の世界へ来てしまうわ、シロウさんを宇宙規模で奪い合いされるわ、自分にも衝撃の愛の告白タイムが来るわ、それをふるわ……。
 そのどれ一つとして、自力で解決できない自分が情けない。
 自然と涙がこぼれてくる。
「……もう、やだよぅ……こんなの……。元の世界に帰りたいよ……シロウさん…………助けて……」
 地面に落ちた滴が、染みを作る。
 結局、シロウさんに頼ってしまう自分がさらに情けなくて、みじめな気分になる。
 しばらくして、呼吸が落ち着いてきたユミは、ゆっくりと立ち上がった。
 辺りを見回す。
 どこかの住宅地、というのはわかったが、どこなのかがわからない。相変わらず辺りに人気はなく、じーわじーわと蝉時雨だけが響いている。
 それでも、足を進め始める。
 歩きながら、ぼんやりと考えた。
(帰らなきゃ……エミちゃんちに……)
 涙を拭いながら歩いていると、そんな気分に空まで触発されたのか、雨が降り出した。
 最初はぽたぽたと。
 ついでその間隔はたちまち小さくなり――ついにはざあっと。
 しかし、ユミはそのままとぼとぼ歩き続ける。
 この雨は、自分の涙。
 今は雨に打たれていたい気分だった。
 いやむしろ、そのまま雨に溶けて流れてしまった方が、いっそ楽かもしれない。
(……そういえば、雑誌にそんな怪獣も載ってたっけ……)
「……あは……あはははは、あはははははははは」
 ユミは笑った。
 泣きながら笑った。
 笑うしかなかった。幸い、涙は雨と一緒になって流れ落ちる。
 どうして笑っているのかわからないけれど、笑うしかなかった。

 その時――

「おい、ユミ。なにやってんだ」

 聞き覚えのある――違う。
 聞き違いようもなく、耳の、心の奥にずっと残っているその声は――
 振り返るまでもなく、まぶたの裏に姿を描くことの出来るその声の主は――

 胸が高鳴る。
 雨に濡れた頬が火照る。
 すぐに振り向くのがもったいなくて、わざとゆっくり振り返る。
 聞き違えるはずもない声だから、そこにいることはわかっているから――

 果たして、そこにいた。

 今、ユミが会いたくて会いたくてしょうがなかった相手が。

 オオクマ・シロウが。


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