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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第4話 史上最大の逆襲 反逆のロボット怪獣軍団 その3

 翌朝。

 柔道の試合場というのは、青畳32畳、赤畳(外枠)18畳、計50畳から作られている。その場外にも2〜3畳の青畳が敷き詰められるため、一つの試合場につき、百枚ほどにもなる。二つの試合場があれば、単純計算でその二倍にもなると考えてよい。
 津川浦のノムラ柔道道場は、典型的な二つの試合場を持つ柔道場だった。つまり、約200畳敷きの大広間である。
 6人はここに布団を持ち込んで寝泊りしていた。
 台所兼用の食堂で牛乳にコーンフレーク、フルーツという軽い朝食を摂り、その片づけを終えて道場に戻ってきた弟子四人は、そこで待つ柔道着姿のイリエと黒いジャージ姿のクモイ・タイチを見た。
 イリエが着ているその柔道着は、相当着込んだのが判る年代モノ。一言でいえばぼろぼろなのだが、それだけでは済まない風格を備えているように感じられる。
 一方、その隣で腕組みをしているクモイ・タイチのジャージはシャープなデザインの、多くのプロスポーツ選手も愛用している有名メーカーものだ。シロウ以外はすぐにそのメーカー名が頭に浮かび、それぞれにそれを着た水泳選手やらサッカー選手を思い出していた。
 二人の向かいに、四着の柔道着が並べられていた。
「来たな。全員、柔道着の前に並べ。正座でな」
 四人が指示通りに並び、正座すると、師範二人もきびきびした動作でその場に正座した。
「これからのスケジュールを伝えておく。合宿期間は一週間。その間、基本的に午前中をイリエ師範が、午後からオレが担当する」
「え……大師匠が先なんですか?」
 エミの戸惑いに、クモイ・タイチより先にイリエが笑い声を上げた。
「ほっほっほ……年取ると、朝が早うてのぅ」
「あ、な〜るほど」
「師範、おたわむれを。チカヨシも納得するな。失礼だぞ。――この体制にもきちんと意味がある。が、そこは大事ではない。大事なのは、お前達がこの短期間できちんと技術を身につけられるかどうかだ」
「でも、一週間ですよね?」
 手を挙げながら口を挟んだのはカズヤだった。
「一週間で武術なんて身につくもんなんですか?」
「ついてたまるか」
 クモイ・タイチの返事は一刀両断だった。横でイリエがさもおかしげに忍び笑う。
「お前らにこの合宿で武術を教えるつもりは毛頭無い。それ以前の、武術を身につける上で必要な基礎の部分を身につける合宿だ。武術という作物を植える前に畑を耕す、そういう修行だと思え」
 しかし、四人の反応はいまいち薄い。
「畑……ですか?」
「と、言われても、ねえ」
「うん」
「どーでもいい」
「ともかく、本日午前はイリエ師範より、まず防御の基本中の基本、『受身』をお教えいただく。これを徹底的に身につけろ。さもなければ、午後からは命に関わると思え」
 最後に飛び出した物騒な一言に、四人の表情がさっと変わる。
「返事はっ!?」
 クモイ・タイチの一喝で背筋を伸ばした四人は、一斉にハイ、と答えた。
 その返事を頷いて受けたクモイ・タイチは、正座のままぐるりと膝を回してイリエに向き直った。両手を畳について、深々と頭を下げる。
「では、イリエ師範。よろしくお願いします」
「ほいきた。あー……さて」
 師範とは思えぬ弱々しい声のイリエに、シロウ以外の表情が不安そうに困惑する。
「では……まずは柔道着の着方から始めようかのぅ」
 柔道着の取り扱いの説明を始めるイリエ。
 その声を背に聞きながら、クモイ・タイチは道場から出て行った。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 正午。
 弟子四人は道場に突っ伏していた。
「うううう……腕と肩と背中と腰が……」
 うつぶせのまま呻くエミ。
「……痺れてるよぉ……」
 同じ態勢で続くユミの声は、心なしか震えている。
「…………痛いの、通り越してる……よね……やばくない、これ? あうあう……」
 カズヤの状態は二人より酷かった。両腕両足、身体全身あちこちがぴくぴく不規則に震えている。
「う〜……くそ。こんなんで、ホントに強くなれんのかよ」
 うつ伏せたまま、棒のように体を真っ直ぐ伸ばした妙な姿勢のシロウ。他の三人と違い、一人だけ不自然な格好だった。
 柔道着の着方から始まった講義は、マットを使った後ろ受身、前受身から、横に倒れる左右の横受身、最後に前回り受身までを、たった三時間ほどで駆け抜けるものだった。
 ペースで言えば、10秒に一回のペースで倒れ続けたんではないだろうか。
 1時間は3600秒だから単純計算して、3600×3÷10=1080で、概ね1000回。
 四人のいずれも、その人生においてここまで自ら転倒・回転を繰り返したことは無い。
 三時間以上、ほぼぶっ続けで衝撃を受け続けた背中、腰、肩、腕、そして畳を叩き続けた手足は、もはや痛みを超えて痛痒い痺れが疼いている。
「エミちゃん、わたし……柔道着を脱ぐのが怖いよ〜……」
「痣だらけになってそうだねぇ」
 へへへっと諦めを感じさせる卑屈な笑い声が漏れ、ポニーテールが震える。
「厳しい修行は覚悟してたけど、これはちょっと……ねぇ。乙女としては、ひしひしとお肌と身体の危険を感じちゃうぞ〜」
「……やっぱり、午後もこれが続くのかなぁ……エミちゃん。……わたし、修行しますって言った覚えないんだケドなぁ……」
「むー。そうだねぇ……午後もこれだけってのはさすがに勘弁してほしいかなぁ」
「……うううー……こんだけの短期間に、これだけ転倒……絶対、内臓とかへの負担も半端無いと、ボクは思うんだけどねへぇえぇぇぇ。あと、回り過ぎで視界がぐるぐるぅうぅぅぅぅう〜」
 なんだか大事なものが抜けてゆくかのような声をあげているのはカズヤ。
「うう……内臓破裂とかショック性の多臓器不全とか、脳みそとか三半規管とか……大丈夫だろうか、ボク」
「――ったく。どいつもこいつも、根性ねーこと言ってんじゃねー」
 そう言って、シロウがむっくり身を起こした。
「イヤならやめとけ。アイツの狙いはオレだ。特にカズヤとユミに関しては、弟子入りしたわけでもねえし、ここで降りても文句は言わねえだろ」
「シロウさん……」
「シロウ君……」
「なぁにかっこつけてんだか。――ぃいよいしょっと!」
 威勢良く掛け声を上げて、エミも起き上がった。その場で正座から足を崩して、女座りになる。
「弟子のあんたより先に、師匠のあたしがやめるわけないでしょ。でも……ほんと、二人は無理しなくてもいいよ?」
「ううん。わたしも、エミちゃんとシロウさんについていけるとこまで行く」
 さすがに立ち上がる力は無いのか、顔だけエミに向けて痛々しさの残る笑顔を見せる。
「その……だって、わたしも水泳部員だし。来年の大会、団体戦でエミちゃんだけに負担かけないようにしたいし」
「ユミ……」
「それに、みんなで合宿してるんだもの。一人だけ抜けるのは寂しいよ――って、ひゃあ」
 笑顔が、急に跳ね上がった。
 いつの間にか立ち上がっていたシロウが、襟首をつかんでユミを持ち上げていた。そのまま、その場にちょこんと座らせる。
「無理はすんなよ。ユミ」
「シロウさん」
「お前、この間エライ目にあったばかりなんだからな。オレはまだいいけど、お前、ひ弱な地球人なんだからよ」
「ありがとう……でも、大丈夫。頑張ってみたいから」
 可愛いガッツボーズで元気をアピールする。
「……ひ弱な地球人代表として、ボクは棄権を申請したいところだはぁはぁぁあぁあぁぁ……」
 そこまでの流れを無視して弱気な発言をしたのは、もちろんカズヤ。
 シロウは呆れたように鼻を鳴らした。
「カズヤぁ。お前、男だろうが。年下の女に負けて悔しくねえのか」
「一緒にしないでくれへぇぇえぇぇ。二人はまだ水泳部員としての基礎体力があるけど、ボクは文系一直線なんだからさぁあぁぁぁあぁぁ」
「気持ちを言ってんだよ、気持ちをよぉ」
「なんでも気力でねじ伏せられたら人生バラ色だね。……でも、これが現実さはぁぁぁ……あー、死ぬ。も、ダメ」
「け、体力言う前に気力が足りねーンだよ、カズヤはよ。それより、昼飯の時間だ。そろそろ食堂に行こうぜ」
 しかし、シロウが予想していた一同の返事は返ってこなかった。
「……なんだよ」
 立ち上がったシロウは不満げに三人を見回す。
 泣き笑いを浮かべたのはユミ。
「ゴメンなさい。今、立てませんん……。そのぉ……膝が、笑っちゃって。それに、あたしもちょっとまだ視界が揺れてるかな〜って……あはは」
 受身では、一度倒れたら再び元の態勢に戻るため、起き上がらなければならない。倒れる、起き上がるを延々三時間、先ほどの単純計算に当てはめて1000回、続けたのだ。変則スクワットと言ってもいい。水泳部員であっても、その負荷は普段のトレーニング量の水準を遙かに超えている。
 シロウは頭をぼりぼりかいて、舌打ちを漏らした。
「仕方ねえなぁ。――カズヤは男なんだし、根性出して一人で来いよな。ほれ、ユミはオレが運んでやるよ」
「え? ええ? ちょ、シロウさん、え?」
 ユミが戸惑う間に、シロウはさっさと彼女を両腕で抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこ。
 真っ赤に頬を染めるユミ。それを見ているエミもつられたように頬を染め、表情を緩めていた。
「おお〜……ユミ〜、お似合いお似合い〜」
「ちょ、ちょっとエミちゃん! なにを――ひゃあ」
 シロウがのしのし歩き始め、安定を保つためにユミはその首につかまる。
 なんだか嬉し恥ずかしなユミの悲鳴とともに道場を出てゆく二人。
 その背中を見送ったエミは、カズヤを見やった。
「で、ヤマグチさんは、根性で食堂まで来る? それとも、シロウほど安定して無いけどあたしの肩、いる?」
「…………う〜……ゴメン。実は、今は食えそうにない……」
 その言葉に、エミは苦笑した。
「あー、わかるわかる。あたしも水泳部で初めて上級生のトレーニングについてった時はそうだったもん。迂闊に食べると戻すかも。じゃあ、後でなんか飲み物と軽いもの持って来たげるから、休んでて」
「うん、そうするー……。エミちゃん、気ぃ遣わせてごめんねー」
「いいっていいって。――よっし!」
 気合を入れて立ち上がったエミの顔が、ふと歪む。痛みではない。膝が揺れている。
「ん〜……んん!!」
 両手で膝のやや上の太腿を叩き、気合を入れて歩き出す。
「まーだまだ、始まったばかり! がんばるぞー!!」
 ちょっとぎこちない足取りで歩きつつ、エミは拳を突き上げた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 ノムラ道場の食堂。
「オオクマ・シロウが特殊? どういう意味です、イリエ師範?」
 昼食用のお味噌汁をおわんによそいながら、クモイ・タイチは同じくご飯を茶碗によそっているイリエに聞いた。
 だが、イリエは軽く笑って受け流した。
「ほっほっほ。ま、いずれわかるわい」
「はぁ」
 クモイ・タイチはちょっと不機嫌に答えつつ、次々におわんへ味噌汁をよそってゆく。
「まあ、元々地球人ではないわけですから、特殊といえば特殊ですが」
「そういう意味ではないわい。お主もまだまだじゃのぅ」
「……面目ありません」
 6つの茶碗にご飯をよそい終えたイリエは、エプロンを外した。
「以前、重心の使い方を教えたときに気づいたんじゃがな。午前の指導で確信したわい。この先、教え方次第であやつ、化けおるぞ」
「……………………? 一体なんなんです?」
「ほっほっほ」
 笑ってごまかす師範に、クモイ・タイチは不満げな表情になったが、そこへユミを抱きかかえたシロウがやってきた。
 たちまちイリエの目が細まる。
「ほっほぅ。青春じゃのー」
「……なにが?」
「イリエ先生、茶化さないでくださいっ!」
 よくわかって無いシロウと、顔を真っ赤にするユミ。
 シロウがユミを椅子に座らせると、エミも遅れてやってきた。歩き方が変なことに、シロウの表情がやや曇る。
「あ、クモイ師匠。ヤマグチさん、ご飯食べられないって。後で何か軽めのもの持ってってあげたいんですけど、バナナとかあります?」
「ああ。冷蔵庫に牛乳も入ってる。まあ、午後からのオレの指導では、ヤマグチとアキヤマは待機だから構わんが」
「え? そうなんですか」
 驚いた声をあげたのはユミ。
 クモイ・タイチは味噌汁のおわんとご飯の茶碗をそれぞれの席に配りながら続けた。
「チカヨシ、オオクマも座れ。食べる前に話しておく。ヤマグチにはチカヨシから説明してやってくれ」
 二人が席に着く。イリエも上座にちゃっかり座っていた。
 配膳を終え、クモイ・タイチも席に着く。一同を見回して、話を続けた。
「午後は、四時半まで自由時間だ。夏休みの宿題をするもよし、昼寝でもしてひたすら体力の回復に努めるもよし、イリエ師範に再度教わるもよし、海へ遊びに行くもよし」
「そんな元気ないよぉ……」
「アキヤマ」
 じろりと睨まれ、たちまちユミは背中を伸ばした。
「ハイ、ごめんなさいっ!」
「おのおの時間を潰したら、四時半に津川浦海水浴場へ来い。下に水着を着てな。そこでオレを探せ。オレの指導はそれからだ」
「クモイ師匠、いったいなにをするんですか? 水着ってことは、遠泳とか?」
 エミの問いに、クモイ・タイチは表情を崩すことなく答えた。
「それは、その時の楽しみにしておけ。ともかく、そういうわけだから昼ご飯は各自、自分のペースで食べていい。だが、必ず食べておけ。この先、食わないでは辛いぞ。――では、手を合わせて」
 クモイ・タイチは顔の前で両手をぱちんと叩くように合わせた。
「いただきます!」
 その声を、残る四人の声が追っかけた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 午後二時半。
 少女二人は午睡を貪っていた。二人の前には座卓が置かれ、その上にはノートやプリント、教科書が広がっている。
 ノートにうつぶせているのはノースリーブの白と赤の縞シャツに、キュロットを穿いたエミ。幸せそうな笑みに緩む口許から垂れたよだれが、せっかく書いた数学の公式を滲ませている。
 薄い青地のTシャツに、膝丈のスカートを穿いたユミは、その隣で横向きになって寝ている。右手を腕枕に、左手の親指が読みかけの参考書に挟まれている。
 誰がどう見ても、夏休みの宿題中に睡魔に襲われ、そのまま落ちたという風景。
 静まり返った道場に山からの緩やかな風が、蝉の声とともに吹き込んでくる。
 どこかで風鈴が鳴っている。
 開けっぱなしにされた縁側向きの入り口から、夏の陽射しの明るさだけが入ってきている。建物が東向きに建っているため、この時間になれば直接陽射しは入ってこない。
 その明るさが、ふと翳った。
 放恣に手足を投げ出して眠りに沈む二人の少女に落ちかかる人影。
 その影は、二人に向けて手を伸ばし――

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 午後四時半。
 津川浦海水浴場。

 日が傾いているものの、まだまだ人影のたむろする浜辺。
 海の家でつけっ放しにされているテレビで、ニュースが流れている。
『……昨夜、ニューヨークに現れたネズミのような怪獣は、過去に現れたネズミ怪獣「ロボネズ」であるとのことで……』
『……この怪獣ロボネズは、現地のGUYS総本部チームにより倒され………………総本部のCREW・GUYSは、選りすぐりのエリートで……』
『本日未明、モスクワに現れた怪獣は、昨夜ニューヨークに現れた……』
『現在、南アフリカのプレトリアではCREW・GUYS・アフリカが――』
 シロウ、エミ、ユミの三人組は、そんなニュースなど耳に入らぬ風に浜辺を歩いていた。
 露出面積の多い水着や、派手なカラーリングの着衣が行きかう中、ジャージ姿三人組はかなり目立つ。当然、集まる視線は奇異の眼差しだ。
「昼寝が効いたかな? 結構、疲れが取れてる気がする」
 エミは歩きながら、ストレッチの要領で肩を伸ばしていた。その目は師匠の姿を求めてあちらこちらを泳いでいるが、周囲から遠慮なく浴びせかけられる失笑を含んだ眼差しにはまったく気にした風もない。
 ユミも同じように体を動かしつつ、その言葉に同意した。
「わたしも〜。宿題は全然進まなかったけどね。……でも、筋肉痛って後から来るとか言うよね」
「それって年取るほどってやつじゃないの? あたしらピチピチの女子高生は、普通そりゃもーすぐに来るっしょ。てか、ユミって筋トレとかで筋肉痛になったことないの?」
「そんなことないもん。筋トレやったらいつもなってるもの。でも、今日はなんか違う感じ。あ、そうだ。ヤマグチさんは回復してなかったみたいだけど……」
「あれであたしらより三つほど年上だしねー。もうおじさんなのかな? 肉体年齢的に」
「――あいつ、昼間はイリエのじーさんとどっかに出かけてて、道場にいなかったからなぁ」
「は? なに、シロウ? なんか言った?」
「あ、いや。……お? 師匠、あれじゃないですか?」
 波打ち際まで出て、辺りを見回していたシロウが指を差した方向には、浜辺に一箇所だけ突き出した、人の背丈ほどの岩があった。その上で、腕を組み、仁王立ちで水平線を見つめているアロハシャツの人影がある。
 三人以上に刺すような視線を一身に集め、ひっきりなく失笑を浴びているその人影こそ、クモイ・タイチだった。
「クモイ師匠、お待たせしました!」
 クモイ・タイチの姿を見つけるなり走り出したエミが、岩の下にたどり着くなり大声で叫んだ。
 その後にユミが来て、最後にシロウがさくさく歩きながらやってくる。
「ふむ」
 三人が集まったのを確認し、クモイ・タイチは岩から飛び降りた。
「言っておくが、オレの修行はイリエ師範のお優しい稽古とは一味違うぞ」
 言い終わるなり、上に着ていたアロハシャツを脱ぎ捨て、海パン一丁になった。太腿丈のバミューダパンツ型で、色は黒。白く『武』の一文字がプリントされている。鍛え上げた筋肉はつきすぎず、少なすぎず。筋肉マッチョではなく、がっしり型というべきだろう。
「オレを、倒してもらおうか」
「し、師匠を!? 倒すぅ!?!」
 エミは極限まで目を見開いて、シロウと顔を見合わせた。
「オレを這いつくばらせるか尻餅をつかせてみろ。何人がかりでも構わん。そっちは超能力、こちらは拳と蹴りを制限する。それ以外はルール無用だ」
 たちまち、シロウは喜色剥き出しの顔つきになった。
「なるほど? よーするに、あの日の続きをやろうってわけだな? くくく、おあつらえ向きだ。ぶちのめしてやる」
 拳をボキボキ鳴らし、既に臨戦態勢に入っている。
 一方、その隣でエミも躍り上がっていた。
「うっひゃぁぁぁぁ、修行だよ、特訓だよ、地獄稽古だよ! ユミユミユミユミ、これが、これが本物だよぉぉぉぉぉ!」
「……エミちゃん、お、落ち着いて……」
 そのうち鼻血でも垂れてきそうな勢いで瞳を輝かせているエミに、後ろにいるユミが引いている。
「――それと、アキヤマ」
「え? は、はい」
 呼ばれると思っていなかったユミは、あわてて返事をした。
「君はこの稽古には参加しなくてもいい。無論、その気になったらいつでも参加していいが……場所が場所だ。水泳部員の君は、もしものことがあったときの救助要員として期待している。その心づもりで待機しておけ」
「は、はいっ!!」
 両拳を作って、力強く頷くユミ。
 さて、と呟いて視線をシロウとエミに戻そうとした刹那――既にシロウは襲い掛かっていた。
「――くらえっ!! ……ぇぇぇぇぇええええっ!?」
 殴りかかった腕を取られ、一本背負いで投げ飛ばされる。それはほとんど一本釣りといってもいいほど豪快なもので、シロウは数m先の海へ頭から落っこちた。
 周囲に出来たギャラリーの輪からざわめきが漏れる。
「ふん。甘いぞ、レイガ」
 にんまり笑いながら、波打ち際へ歩いてゆくクモイ・タイチ。
 波の向こうでシロウが勢いよく立ち上がった。なぜか、ギャラリーから拍手が漏れる。
「ぶはっ!! んなろー、こんの……クソ地球人がっ!」
「気をつけろよ、宇宙人。絶え間なく波の打ち寄せる海の中では、貴様が覚えた程度の重心移動など、さほどの役に立たんぞ」
「うぅるせええええっっ、とりゃあああああああっ!!」
 叫びながら、波をはねのけて駆け寄ったシロウは、その勢いのままハイキックを放った。
「そぉら、重心が崩れているぞ」
 難なくキックを受け止めたクモイ・タイチの腕が、そのままくるりと輪を描く。さほどの力もかかっていないのに、シロウは脚を払われたようにひっくり返った。
 それを見ていたエミが、もう我慢できないとばかりにジャージを脱ぎ捨てた。
 下から現われたのは、昨日遊ぶ時に着ていた見せるビキニ型の水着ではなく、水泳部で日頃使っているワンピース型の競泳水着。そして、その男前な脱ぎっぷりに、再びなぜか周囲からまばらな拍手が湧く。
「クモイ師匠!! チカヨシ・エミ、行っきまあぁす!! うわああああああああああああっっっ!!!!」
 ユミが打ち捨てられた上下のジャージを拾い上げている間に、喜色を満面に浮かべたエミは、気合というよりは奇声に近い叫びをあげながら、波打ち際のクモイ・タイチに襲い掛かり――次の瞬間、そのまま沖合いへ投げ飛ばされていた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 午後五時。
 誰もいないノムラ道場。
 買出しに出ていたカズヤとイリエが帰ってきた。
 台所に食材を入れたダンボールを置くと、イリエは早速エプロンを身にまとう。
「カズヤ君、待ちなさい」
 同じようにエプロンを身につけようとしていたカズヤを、イリエは止めた。
「お主はさっきわしが頼んでおいたことを。そっちはわしには出来んでな」
「はあ。……でも、あんなの30分もあれば出来るんで、こっちが終わってからでも」
「それもあるがの、指が震えて危なっかしい今のお前さんに、包丁は持たせられんわい」
「……………………」
 カズヤは自分の手に目を落とした。午前中の後遺症である震えがいまだに治まっていない。それに、実は気を張っていないと足腰も砕けそうだった。
「それより今は、ワシが頼んだことに精力傾けなさい。それで手が空いたら、手伝ってもらうからの」
「……はい。わかりました」
 ちょっと不満げにつけかけていたエプロンを外し、とぼとぼと食堂を出てゆくカズヤ。
 三十分後。
 下ごしらえの合間に、大画面テレビのあるリビングルームをイリエが覗くと、持ってきたノートパソコンをテレビに繋いだまま、カズヤはソファで眠りこけていた。
 にっこり微笑んだイリエはそっと手を伸ばし――リビングの電灯を切って、音を立てずにドアを閉めた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 海の中での活動は、凄まじい抵抗が伴う。
 自分達が海を舐めていたことを、シロウとエミはすぐに思い知った。
 三人が派手に波を蹴立てて戦っているのは、お互いの膝上まで浸かるほどの深さのところ。
 制限は無い、とクモイ・タイチは言っていたが、膝より下が波の中にあると、蹴りを放つどころか移動もままならない。
 かといって安定しているわけでもなく、間断なく押し寄せる波のせいで、気を抜くとすぐに重心を奪われよろけてしまう。
 クモイ・タイチはそのタイミングを見切って、実に鮮やかに二人を投げ捨て、倒し続けていた。

 始まって二十分ほどして、まずシロウの集中力が切れてきた。
 殴るにしても蹴るにしても、最初の頃の思い切りがなくなり、躱されるのを前提に繰り出しているのが、エミにもわかるようになってきていた。
 師匠として注意してやらねば、と思いつつも自分も集中力を保つのに苦労していて、なかなか言い出せない。
 そのうち、クモイ・タイチにまでその気分が伝染したのか、不意に投げやりな形でシロウを投げ捨てた。
「気合いが足りん! 何だそのへっぴり腰に気の抜けた攻め方は! 貴様らの覚悟は、その程度か!」
 波間から上体を起こしたシロウの眼前に傲然と立つクモイ・タイチ。
 西の山間に沈む太陽が、その鍛え上げたしなやかな肉体を輝かせる。
「わかってないようだから言っておくが、この稽古は貴様らが勝つまで日が暮れても終わらんぞ」
 シロウとエミ、二人の表情が硬張った。
 クモイ・タイチの唇に意地悪な笑みが浮かぶ。
「そうだ。このまま時間が経てば、いつか終わるなどと思うな。この戦いは、貴様らが終わらせなければ、終わらん。その覚悟を見せてみろ――特にオオクマ。家でも、始まる前でもあれだけほざいておきながら、何だそのザマは。それがお前の師匠から学んだものか?」
「……………………!」 
 屈辱に歯噛みするシロウに、にやりと笑いかける。
「オレは既に、貴様の致命的な弱点を見切っている。この合宿でそれを克服できなければ、いくら腕を磨こうとも無駄な足掻きに終わるぞ」
「オレに……弱点だと!?」
「ああ、そうだ。それは……心の弱さだ」
 びしりと指を差され、シロウは目を白黒させた。
「オレの……心が……弱いだと!?」
「貴様が日頃、自分は強いだの自由だの勝手にやるだの、威勢のいいことをほざき立てるのもすべて、それを包み隠すための虚勢。今、この場でオレの目の前に明らかになった貴様の本性は、臆病で卑怯な嘘つき、それだけだ。貴様は、チカヨシ・エミという稀代の男前を師に戴きながら、何も学んでは――」
「――誰が稀代の男前ですかーっ!!」
 両手を組み合わせ、渾身の力で振り下ろした突込みが、クモイ・タイチの後頭部に入った。
 つんのめるクモイ・タイチ――しかし、踏みとどまった。
「ええっ!? 今のを耐えるのっ!?」
「……いい一撃だ」
 後頭部を押さえながら、振り返るクモイ・タイチの目が光の尾を引いたようにエミには見えた。
 次の瞬間、クモイ・タイチはエミの懐に潜り込んでいた。足枷になる海など無いかのような鮮やかな足運び。想像以上のその速さに、素人のエミでは態勢を整える暇などなかった。
 左手掌底で彼女の右肩を突き、態勢を崩しつつ自らの右肩で胴を押すような形で力を載せる。端から見た目には肩からのタックルに見えるが、実際は接触している肩の部分だけで投げる、無手投げの一種。
「きゃうぅっ!」
 エミは1mほどすっ飛んで、波間に沈んだ。
「し、師匠っ!」
「仇でも討ってみるか?」
 思わず差し伸ばしたシロウの手を、むんずとつかむ。
 シロウが振りほどこうとするより早く引きずりあげ、そのまま反対側の肩でその顎をかち上げた。
 のけぞるようにして飛び上がったシロウの体は優美な孤を描いて舞い、その足先は海面を離れ――鯨のジャンプのように大きな水柱を立てて水中に没した。
「――っぷああっ! くそっ」
 身体を起こしたシロウの前に、再びクモイ・タイチが立ちはだかる。
 シロウは、水中で片膝をついた姿勢のまま、動きを止めた。
 クモイ・タイチの頬が蔑みの笑みに歪む。
「どうした。なぜそこで止まる」
「く……」
「体力を回復している? 隙を窺っている? こちらの手を読もうとしている? ……どれも違うだろう? 貴様はわかっているはずだ。自分が臆病風に吹かれて、動けずにいることを。そしてそれを認められず、自分にさえ嘘をついている卑怯者だということもな」
 歯軋りを立てるシロウ。だが、動かない。クモイ・タイチの言葉を肯定するかのように、片膝をついたまま動こうとはしない。
 クモイ・タイチは腕組みをした。
「悪島の時もそうだった。お前は相手に勝てないと思った瞬間から、その言い訳を考え始める。その後の言動は、他人から見れば前向きのようでも、結局のところ勝てなかったことへの自分への言い訳に終始する」
 クモイ・タイチの遙か後方で起き上がったエミも、大きく肩で息をしながら聞き耳を立てている。その表情は険しい。
「悪島の件で、オレがなにを言い訳したってんだ。オレは――」
「見くびるなっ!」
 鋭い一喝に気圧されて、シロウはたちまち黙り込んだ。
「貴様の拳、貴様の蹴り、全て見ていればわかる! どれほど本気で敵を倒そうと気迫に満ちているか、ただそれだけのことだ! あの時も、今も、貴様のどこに気迫がある! 弱気に拳と足を振り回し、慌てふためいてぎゃあぎゃあ喚くばかり! そんな気迫のこもらぬ声など、誰の心にも届くものかっ! そんな拳が、魂に届くものかっ!!」
「……………………っ!!」
「ツルクの時もそうだ! アキヤマを守れなかった言い訳に、出来もしない超能力に取りすがって治そうとした。だが、それも結局のところは彼女を守れなかった言い訳に、自分は精一杯やったと思いたかっただけだろう! 新マンが助けてくれてなければ、彼女は今あそこにああして存在してはいない! そのことの意味を、新マンがいなかった場合の未来を、貴様は考えたことがあるのかっ!!」
「……う、うう……うわああああああああああああああああああっっっっっっ!!!!」
 指弾されたシロウは、耳を塞いで叫んだ。激しく首を振り、見開いた瞳に宿るのは恐怖の色。
 そんな姿を見たことはなかったエミとユミは、ただ驚いて怯えるしかない。
「そんな貴様が今さら自分の弱さに気づいたとて、そんなものは逃げ口上の一つを増やすに過ぎん。貴様に本当に必要なのは、チカモチ・エミが持つ真の――」
 シロウの耳に、クモイ・タイチの指弾はもはや届いていなかった。
 その意識に渦巻くは、闇。
 見たくないもの、考えたくないもの、意識の外に締め出していたものが、押し寄せてきていた。
 逃げ出したい、しかし、逃げられない。自分がそこに「在る」限り、心の中から迫り来る「それら」からは、どうやっても逃げられるわけはない。
 ならば、封じるしかない。目を背けさせないその元凶を、今押し寄せている「それら」を振り切って、今は目の前の敵を、敵の口を封じるのだ。
「……殺ス! 消ス! 砕ク!」
 殺意が揺らめく。それは、クモイ・タイチはもちろん、少し離れたエミやユミにさえわかるほど強烈なものだった。
 波を蹴立てて再び襲い掛かるシロウ。しかし、その行動は完全に冷静さを欠いていた。
 クモイ・タイチの唇が皮肉なエミに歪む。
「まだわからんのか……恐怖に背を向け、考えることをやめて動くのを本気とは言わん!!」
 顔面でもわしづかみにするつもりなのか、シロウが差し伸ばした右腕。その内側に、クモイ・タイチは右腕を引っ掛けた。
 その絡めた腕を器用に手繰って、シロウにその場で背を向けさせる。そして、両腕を脇から差し入れ、後頭部でがっちりホールドする完璧な羽交い絞めを極める。流れるようなその作業は、一瞬で行われた。
 そのまま、時を置かずに後方へ背中を反り返らせて、投げを打つ。
 シロウは受身も取れずに、後頭部から水面に叩きつけられた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「あ、あれは……ドラゴンスープレックス!?」
 少し離れた場所で、ユミからスポーツドリンクによる水分補給を受けていたエミが、思わず叫んでいた。
「エ、エミちゃん?」
「昭和の時代のプロレス技で、見ての通り両腕が肩から極められてるから、受身が取れないのよ。一時は使用禁止にもなったとても危険な技。……命に関わるから、よい子は絶対真似しないでね♪」
「あの、エミちゃん……? どっち向いて誰に……?」
「え? いや、一応原典は子供番組だし、これは言っとかないと。文字媒体じゃあ、テロップは出ないし」
「はあ」
 そんな二人のやり取りなど当然無視をして、シロウとクモイ・タイチの一騎打ちは続く。


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