ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第3話 狙われた星 その7
翌日。
エミとユミの出場する水泳大会。
都大会出場をかけた地区予選。
東京P地区中心部の水泳競技会場にて、若さとともに水飛沫弾ける少年少女の暑い夏は燃え上がった。
そして、その会場に来ていたシロウは、出場者の見せる力強い姿に目を輝かせ、心奪われっぱなしだった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
夕刻。
三人は競技場から駅へ向かう、公園内の並木道を歩いていた。
もう日は山の向こうに落ち、黒い山のシルエットの背景に赤い残照として残るのみ。空の大半も紺色に染まりつつあり、宵の明星がひときわ明るく輝いている。
街灯が次々と点灯してゆく。胸に迫るヒグラシの声が樹間に響き、どこかでカラスが鳴いている。
「はぁぁぁ……悔しいなぁ……」
疲労のせいだけではなく、あからさまに元気のないエミ。
「エミちゃん、ガンバったよ。予選突破して、3位だよ3位。予選落ちの私なんかより、絶対凄いって。――ね、シロウさん」
出場して力の限りに泳いだことも感じさせないくらい笑顔を振りまくユミ。
そして、見たものの感動・興奮がいまだ収まらぬシロウ。
「おお、凄かった。びっくりした。地球人て、あんな風にすいすい水中移動するのな。しかもすっげーはええし。よくわかんねー泳ぎ方もあったけど。それに師匠なんか、特訓の時に見たより断然早かったって」
「……練習の時よりはやかろーと、予選突破しよーと、3位は3位なのよ。……都大会にもいけない3位」
へへ、と目の下にクマが出来てるような暗い顔つきで卑屈に笑ったエミ。
「ちくしょー、エノモトどころか、まさか一年坊に1位かっさらわれるとは……くやしいくやしいくやしぃぃぃぃっっ! あああああん、もうっ、くーやーしーいーっ!!」
悔しがるあまり、ハンカチを咬んで地団太を踏むエミ。
シロウはユミに顔を寄せた。
「――どういうことだ?」
「2位のエノモトさんて、去年の大会では予選で勝って、本選で負けちゃった相手だったの。だから、今年はそのリベンジだーって、ガンバってたんだけど……今年も予選タイムで勝って、本選で負ける同じパターンかなーと思ったら、二人して新人にまくられるなんて……マンガみたいな展開」
まだ悔しい悔しいと喚いているエミを見る横顔に、どこかすまなさそうな表情が浮かぶ。
ユミはあえて触れなかったが、エミが悔しがっているのは自分の成績のことだけではない。大会後半の団体リレーにおいても、参加校中3位という成績で終わってしまっていた。
高校生の夏を賭けて挑んだ戦いの、残酷な終焉。
悔しさのあまりか、エミは閉会式セレモニーが始まる前からトイレに籠り、悔し泣きに泣き倒した。競技場から人の姿が絶え、一緒に来た仲間の部員が呆れて先に帰り、掃除のおばちゃんにどやしつけられて追い出されるまで。
そして、シロウとユミもそんなエミを待っていたため、こんな遅くに人通りもない公園の並木道を歩くことになったのだった。
「ふぅん……」
生返事で頷いたシロウ……ふと、その表情が硬張った。
物凄い勢いで、後ろでまだぶつぶつと落ち込んでいるエミを振り返る。
「し、師匠!? ひょっとして……!!」
「あによ」
「まさか、オレに……オレに特訓つけたせいで練習時間削られて!?」
「はぁ?」
エミの表情がたちまち不機嫌そうにひん曲がる。
「なに思い上がったこと言ってんのよ、こぉのバカ弟子がっ!」
思わず振るった水着・着替え入りのボストンバッグは、狙いたがわずシロウの顔面を直撃した。
「はぐおっ……は、はいっ!?」
まなじりを吊り上げたエミは、全ての怒りをぶつけるがごとくに、尻もちをついたシロウをびしりと指差した。
「そういうことはちゃんと泳げるようになってから言えっ! ……大体、あんたをようやく水に浮かせて、犬掻きできるまでに費やした時間ごとき、追加で泳いだって記録なんてそうそう伸びるもんですかっ! あたしが負けたのは、相手が強かったのと、あたしに油断があったのと、運が悪かったのよ! いらん気を回すなっ! そっちの方が切なくなるっ!」
「は、はい」
シノブに怒られたときのように、思わず正座になって頷くシロウ。
それを見ていたユミは、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「エミちゃ〜ん……シロウさんがかわいそうだよ」
「いいの! 甘やかすのは、このバカ弟子がもっとデリカシーとか知ってから!」
「へい……」
正座のまま、しょぼくれるシロウ。
「……まぁ、でも……」
不意に、エミは気を抜いたように怒気を収めて微笑んだ。
「会場じゃすっごく応援してくれてたのは……見えてたし、聞こえてたゾ。ありがと、シロウ」
尻もちをついたままのシロウに手を差し出す。
シロウはしかし、その手を取らず、その場で握り拳を作ってみせた。
「弟子が師匠の応援をするのは当然っス!」
「もう。それはもういいから」
はにかんで、その拳を取る。
「……もう送り迎えも必要なくなっちゃったし、師匠と弟子ごっこもこれまでかなぁ」
「えええ? オレまだ師匠みたいに泳げないのにぃ」
引き上げられるように立ち上がったシロウが不平を漏らした途端、エミの目がきらりと光った。
「こぉのバカ弟子がぁっ! ちょっと水に浮くようになったからといって、あたしに追いつこうなんざ、10年早いっ! 当分犬掻きでよいわっ!」
「そんな、師匠!」
「――じゃあさ、今度海に遊びに行こっか」
唐突な提案の主はもちろんユミ。
二人は同時に首をひねってユミを見た。
「「ウミ?」」
「だって、大会はもう終わっちゃったし……夏休みももうちょっと残ってるし。せっかくだから、海。ね?」
ね? と首を傾げてみせる。長い黒髪が揺れて、公園の中につき始めた街灯の光を弾き――
「――ユミっ!」
鮮血が石畳を叩いた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「――出てきたか」
都内高層ビルの最上階執務室。
部下から報告を受けた馬道龍は窓から西を見やり、厳しい表情で呟いた。
沈み行く夕陽も、ここからではまだ遠景に伸びる稜線の縁をわずかに紅く彩っている。
稜線の空は朱。生々しくも鮮血の赤。
「地球に潜むもう一人のウルトラ族……エサに食いついたな、ツルク星人」
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
街灯の光を弾いた硬質の輝きに、シロウが気づいた時、すでにそれはユミの背後に迫っていた。
シロウが咄嗟に出来たのはユミを突き飛ばすこと――だが、彼女をおもんばかって力を加減したせいか、あるいはそもそも初動が遅かったのか。
ユミの身体を右肩から左腰へ走る、金属質の閃き。
次の瞬間、その閃きの跡に沿って、鮮血がほとばしった。
「な……に…………してくれてんだ、このクソがあああああぁっ!!!!!」
右手に集めた怒りのエネルギーを、襲撃者に放――とうとして、こらえた。
『そもそもウルトラ族の超能力自体、使わないでほしいのだ』
メトロン星人との約束。
だが。
石畳に倒れ伏したユミ。意識は既に失っているのか。
エミは状況が理解できず、呆然と突っ立っている。
そして、敵は。
金属をすり合わせるような、耳障りな音が響く。
シロウは鼻息荒く、拳を震わせながらも街灯に照らし出された襲撃者の姿を見据えた。
見るからに地球人ではなかった。
身長こそシロウとさほど変わらないが、その顔は銀色の仮面風。額と側頭部に突起物があり、昆虫の複眼じみた縦に大きな楕円状の眼が二つ、夜闇に赤く浮かび上がっている。仮面の後頭部からは長い白髪が肩に広がっていた。
身体は闇に沈む黒。肩から胸にかけて金属製のプロテクターに覆われている。二の腕と脛から下は、頭髪と同じ白い飾り毛に包まれている。
そして、その風体の中で最も目を引く特徴は、両腕の手首から先が炎を模したような形状の曲刀になっていることだった。
その曲刀の刃から、ぽたりぽたりとユミの血が滴り落ちて石畳を叩く。
相変わらず神経に障る金属同士の擦過音が響いている。
「エミ! ユミを! ……こいつはオレが!」
「……う、うん!」
震えている声を背に、シロウは襲撃者に襲い掛かった。
砕け散れ、とばかりに振るう拳――は放つ前に躱された。
叩き折れろ、とばかりに薙ぎ払う回し蹴り――も、誰もいない空間を通り過ぎる。
「…………!」
そのたった二手で、やばい、とシロウは感じた。
これまで感じたことのない戦慄。身体の芯まで冷えてゆく感覚。
まるで、幻を相手にしているような手ごたえのなさ――実際当たらないのだから、手ごたえなどあろうはずもないが。
なぜ、何のために自分達を襲うのか、という疑問など、頭の中から消し飛んだ。
そして、その怯みが致命的な隙となった。
相手が踏み込んできたと見えた刹那――右肩から左腰へ、左肩から右腰へほぼ同時に走る、冷たい衝撃。
相手の両腕に備わった曲刀で左右同時に斬られたと認識したのは、胸に刻まれた大きな×印から噴出した血煙で、視界が赤く染まった時だった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
シロウに背を向け、ユミを抱き上げようとしたエミは、思わず息を呑んだ。
水泳部員としては華奢な体格のユミ。その身体を斜めに一筋走る、朱の裂け目。
裂けているのは制服で、その下の傷までははっきり見えてはいない。
だが、街灯の光の下、濡れて光って見えるほどにじっとり血を吸って、ぱっくり開いた制服。その生々しい光景は、エミの目に、心に、ユミが真っ二つにされた姿として刻み付けられた。
医療方面にはまったく素人のエミでさえ、それが致命傷だとわかる。その傷からあふれ出したぬめる体液は、今なお石畳をじわじわ侵蝕し、広がっている。
水泳部員として、おぼれた人への救急救命行為の手順は頭の中にある。付随知識として、骨折の応急処置や四肢の止血の方法も学んだ。
だが、胴体を袈裟懸けに切り裂かれた人体の止血法など、知らない。
その場にへたり込んだエミは、ただただうろたえてユミに触れることも出来ずにいた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
神経に障る金属同士の擦過音。
斬撃を受けながらも、シロウはかろうじて踏みとどまっていた。
噛み潰す勢いで歯を食いしばり、たたらを踏む両足を踏ん張って、何とか転倒だけはこらえる。
襲撃者は、斬った姿勢のままこちらをじっと窺っている。
どこから聞こえてくるのか、金属同士の擦過音がうるさい。イライラする。
シロウの思考はぐちゃぐちゃだった。
どうすればいいのかわからない。
逃げたい、逃げられない、逃げても多分無駄。
戦え、戦えない、戦うだけ無駄。
敵の斬撃がまったく見えなかった。右と左、二撃食らったにもかかわらず、一撃分の衝撃しか感じなかった。
敵との力の差は歴然。
速さ、技量、頭脳、経験……あらゆる点で、及ばない。
勝ち目など探れるようなアドバンテージは、こちらにはまったく存在していない。
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
いきなり、シロウは自分の頬を自分で殴りつけた。
「なんで後ろ向きな考え方しか出来ねーんだオレはっ! 違うだろっ!!」
萎えかけた心を、叫ぶことで無理矢理に奮い立たせる。
「勝てないなら、全部終わりか? だったら諦めろ! ……出来ねえだろ!? なんでだっ!? なんでオレは拳を握って、奴を睨みつけるっ!?」
黙ってしまえば心がへし折れる。後ろ向きの思考に支配される。
シロウは必死に喚いた。
「戦わなきゃならねえんだろ、オレ! 守れ……守るんだ、守らなきゃいけねえんだっ!! だったら……だったら戦ええっ!! おおおおおおおおおおっっっっ!!!!」
全身をぶるぶる振るわせ、雄叫びを上げる。
襲撃者は少し驚いた様子でたじろいだが、すぐに両腕を身体の前で交差させる独特の構えに戻った。
そのまま、流れるような脚さばきでシロウの間合いに踏み込んでくる。
(く……っ!)
シロウは咄嗟に、道端のロングベンチを引っつかんで、力任せに襲撃者へ叩きつけた。
案の定それが敵に当たることはなかったが――その時、初めて見えた。
火花を散らして切り裂かれる鉄製のロングベンチ。
それは、交差させた両腕を開くようにして左右同時に繰り出す斬撃。
威力は真っ二つになった鉄製のロングベンチの姿が雄弁に語っている。
そして、その攻撃を避けたとしても、広げた両腕を再び前で交差させる逆回しの動きの斬撃に襲われる。
見た目にはただ両腕を広げ、交差させるの繰り返しという単純な動きではある。だが、実際には両腕が刃であり、その一撃一撃が尋常でない威力を持つために取り得る、隙のない二段攻撃。
(――けど、刃が消えたわけじゃねえ! そこにあるんだろうがっ!)
ベンチを切り裂くために空いた間合いを埋めようとしたのか。それとも、それで十分と判断したのか。
襲撃者は何気ないほどの動作で、右の剣を真っ直ぐ突き出した。
必殺攻撃でないがゆえに、あるいは牽制程度であったがゆえに、その剣筋はかろうじてシロウに見えていた。
それは、野性の本能だったのか。
それとも、生まれて初めて彼の中に芽生えた思いに身体が応えたのか。
シロウは躱さなかった。
先ほどの二段斬撃など比較にならない、鈍く重い衝撃が身体を貫く――
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
その瞬間。
ボストンバッグから取り出したバスタオルでユミの傷口を覆っていたエミの口から、ひぃ、という悲鳴が漏れた。
エミの知らないエミが、遠くから声を出しているかのような感覚だった。
ユミと自分を守るため、不気味な宇宙人らしき相手に立ちはだかっているシロウ。その背中から、血にまみれた金属製の輝きが突き出していた。
信じたくはない。理解したくはない。
だが、目に焼きつくその光景は、頬にうちかかる温かな飛沫の感覚は、エミに理解と認識を強いる。
シロウが――串刺しにされていた。
「……シ、シロウさんっ!?」
「うるせえっ!!」
悲鳴じみた自分の呼びかけに応えた声は、まったく余裕のない、しかし腹の据わったものだった。あんな大きな刃を背中に抜けるほど刺された男の声とは思えない。
「こいつはオレが止めるっ! 早くユミを連れて逃げろっ!」
見ている間に、シロウは自分を刺し貫く襲撃者の右腕を、左腕でがっちり極めた。
襲撃者の様子が変わる。空いている左腕を振り上げ、シロウの右肩口へ――それを、下からすくい上げるようにシロウの右腕が受け止めた。
よほど驚いたのか、襲撃者は動きを止めた。
「……へ、へへ……っ、よく見えるぜ。なるほどな、間合いの中に潜り込みゃあ、ある程度相手の動きは制限できるってわけだ」
空元気か、それとも相手への牽制か。
だが、エミにはそれを見ている余裕はなかった。
シロウにユミを連れて逃げろとは言われたが、ユミの傷は肩に担いで動かせるようなものではない。
「ダメ、シロウさん! ユミの怪我、酷くて動かせない。動かしたら……もっと血が出て……」
掌で触れているユミの頬から、急速に温かさが奪われてゆく。
黒く胸を塗り潰してゆく絶望感に、エミの視界が歪む。
とめどなくあふれ出る涙のまま、周囲を見回した。今自分が出来ること。それは――
「誰か……誰かぁぁぁぁ! お願いっ! お願いですっ!! 救急車を! 警察をっ! 誰かぁぁぁっ!! 誰か来てぇぇっっ!」
人気のない公園の静寂を劈く、エミの悲鳴。
「――バッッッッカ野郎っ!!」
シロウの怒声に、エミは悲鳴を封じられた。
「てめえの悲鳴聞いて地球人がここに来たって、犠牲者が増えるだけだっ! 逃げろ、エミ! いいから、お前だけでも逃げろっ!」
シロウと襲撃者の戦いは、力比べに移っていた。
刺さった刃を抜こうとするのを左腕で引きとどめ、右腕で自由な方の刃の根元をつかみ続ける。動きこそ少ないが、お互いの腕力をかけた一進一退の攻防。そして、この状況においてだけは、シロウの方が有利だった。だからこそ、口もきける。
「……や、やだ……やだよう……」
エミは、泣きながら首を振った。シロウの言っていることは正しい。シロウの気持ちもわかっている。でも、ユミを置いてはいけない。
それに――実は、恐怖のあまり、足がもう立たなくなっていた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
襲撃者の左腕をつかんでいるシロウの右手から、握力がじわじわと抜けてゆく。
抱え込んで極めた左腕も、既に感覚が遠い。
『自分一人だけの力には必ず限界がある。その時、お前は……』
以前、郷秀樹が吐いた台詞が、今になって脳裏をよぎる。
シロウの表情が、ひときわ苦悶に歪んだ。そして、その顔を濃紺一色に染まった夜空へ向け――
「――ウルトラマァァァァァンっっっ!!!!!!」
その言葉は、気の遠くなるほどの屈辱の果てに搾り出された言葉。
その叫びは、気が違いそうなほどの憤怒とともに噴き出した叫び。
その願いは――あまりに純粋な願い。
「助けろぉっっっ、ウルトラマァァァァンッッッ!!」
あらん限りの力を振り絞ってシロウは叫んでいた。
襲撃者がぎょっとしたように動きを止める。
エミも、泣き腫らした顔を呆然とシロウの背中に向けていた。
「いいのか、ジャック! てめえの大好きな地球人が、今、死にかけてんだぞ! このままオレが力尽きたら、もう一人殺されるんだぞ!? てめえは地球を守るウルトラマンなんだろうがっ!! さっさと助けに来やがれっ! ジャアアアアアアッッッッッッックッッッ!!!!」
残った力を振り絞った、渾身の叫び。
そこで、シロウの力は尽きた。
右手から襲撃者の左腕が引き剥がされる。膝が砕け、がっくり身体が沈み込む。
自由を得た襲撃者の刃が振り上げられ、街灯の輝きに血のきらめきが弾ける。
(クソ……なんだこの……無様な終わり方……)
もう悪態をつく気力も、体力もシロウには残っていなかった。
(……ジャック……郷…………秀樹……エミと……ユミを……)
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
血に濡れた刃が、シロウの首を横薙ぎにすべく、振り下ろされる。
「シ……シロウさーーーーーーーーんっっ!!」
エミはもはや届かぬと知りながらも叫び、手を伸ばす。
その目の前で――火花が散った。
力尽きたシロウが崩れ落ち、その背中から刃の輝きが抜け消える。
襲撃者は、左を向いていた。
自分の左腕の刃を受け止めた存在を見やっていた。
崩れ落ちて地に四つん這うシロウの陰から、エミの視界に現れたのはウルトラマン――ではなかった。
黒光りする『ト』の字型の棒みたいな物を持ち、それで刃を受け止めている人物。
その服装は、ニュース映像などで何度も見たことがある。CREW・GUYSの隊員服。
その姿は、今のエミにとってウルトラマン以上に頼もしく見えた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「……貴様が連続惨殺事件の犯人だな」
クモイ・タイチが投げかける誰何に対し、耳障りな金属同士の擦過音が激しく鳴り響く。
不意に、侵略者は大きく跳び退った――が、二人の距離はまったく開かなかった。侵略者が跳んだ分だけ、クモイ・タイチも跳んでいた。
結果、クモイ・タイチの右手のトンファーと、襲撃者の左腕の刃は咬み合ったまま離れもせず、二人が場所だけを変えた形となった。
今度は体を入れ替えようと足さばきを見せる侵略者。
それも、合わせるクモイ・タイチの体さばきで徒労に終わる。
押し込めば退かれ、退かれれば押し込まれ、二人の間合いは密着状態から一切変わらない。
それはまるで社交ダンスのステップでも踏んでいるかのような奇妙な動きだった。
やがて、両者の動きは倒れ伏す犠牲者の傍でぴたりと静止した。
その間に、別の隊員――ヤマシロ・リョウコが駆けつけた。
トライガーショットを構えたまま走ってきたヤマシロ・リョウコは、滑り込むようにエミとユミの傍に膝をついた。
ユミの傷口にあてたバスタオルを剥ぐや、その表情が歪む。すぐに空いた左手でユミの脈を測り――エミを見た。
「あなたは大丈夫っ!?」
返事もできず、頷くだけのエミ。
その肩を軽く叩いて頷きかけ、次にうつぶせに倒れ伏しているシロウを見やる。
そして、メモリーディスプレイを取り出した。フェニックスネスト・ディレクションルームへ繋ぐ。
「ミオちゃん、こちらリョーコ! 現場に到着! 通報どおり、レジストコード・怪奇宇宙人ツルク星人発見、接触! 現在、タイっちゃんが格闘交戦中! 現場に民間人三名、うち二人は瀕死の重症! これ、かなりヤバイよ! 搬送と応急処置の手続き最優先でよろしく!」
伝えるだけ伝えると、返事も聞かずに胸ポケットに戻し、トライガーショットを構える。
その腕に、エミがしがみついた。
「……え?」
まなじりを吊り上げた女子高生は、叫んだ。
「お願い! 仇を……二人の仇をとって!!」
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
さんざん辺りを動き回った末に、二人は元の位置に戻ってきていた。
激しく鳴り響く金属を擦る音はしかし、両者の得物のせめぎ合う音ではない。
「……話せないのか、話さないのか……あるいはこのやかましい騒音が貴様の声なのか知らないが……」
ぎりぎりと咬み合ったトンファーと刃が軋む。
お互い、もう片腕は武器をだらりと下げた状態だった。とはいえ、無駄にぶら下げているわけではない。お互いにお互いの攻撃を牽制しあって、ぴくりぴくりと蠢いている。
不意に、その動かぬ攻防に割って入った者があった。
四つん這いのままのシロウが、腕を伸ばしてツルク星人の足をすくおうとしたのだ。
クモイ・タイチとツルク星人、二人の攻防のバランスが崩れる。
「――ちぃっ!!」
舌打ちを漏らしたのはクモイ・タイチ。
空いたトンファーで、シロウの横っ面を殴り飛ばした。その直後、シロウの首があった場所をツルク星人の刃が薙ぎ払う。
そのまま、両者は激しい攻防へと雪崩れ込む。
両腕の刃を振り回して襲い掛かるツルク星人に対し、最小限の動きでその刃にトンファーを合わせ、受け流し、打ち払い、さばくクモイ・タイチ。
唐突に放たれたハイキックを、こちらもハイキックで受ける。
再び手数勝負とばかりに襲い掛かる無数の刃。
その速度を上回る速度で腕を、トンファーを回転させて防御し続ける。クモイ・タイチの前方周辺で弾ける無数の火花。それはまるで、見えざる球形のバリアでも張っているかのようだった。
時折タイミングを外すかのように放たれる蹴りも、ローキックにはローキック、ミドルキックにはミドルキック、ハイキックにはハイキックを合わせて全てさばき切る。
やがて、ツルク星人が勝負に出た。体の前で両腕を交差させ――
必殺の一撃に打って出る際に生まれたわずかな隙。
「遅い」
クモイ・タイチは歩を進め、間合いの奥へ滑り込んだ。
刃の交叉点にクサビのごとく左のトンファーを突っ込んで動きを止め、右のトンファーをくるりと回して遠心力を乗せ、下から上へ跳ね上げた。
顎下から頭蓋を切り裂くかのごとき衝撃に仰向き、のけぞるツルク星人。
そのがら空きの喉元に、そのまま二の腕ごと肘打ちの要領でトンファーを叩き込む。
衝撃で後方へたたらを踏みながら、ツルク星人は両腕を上方に向かって開いた。角度を変えたことでクサビが外れた――が、それさえもクモイ・タイチには計算のうちだった。
「甘い」
苦し紛れの一撃など余裕でスカし、がら空きの腹部に細かく打撃を叩き込む。ボクシングの要領でトンファーの短い柄の先を、腹部の急所という急所に、寸分たがわず叩き込む。小さく、早く、的確に。
ツルク星人の態勢が反撃できないほど完全に崩れたのを見計らい、くるりと背を向ける。
そして、後方回転跳び蹴り――いわゆるローリングソバットを顔面に叩き込んだ。
しかも、飛び上がって足底を叩きつける蹴りではない。相手より高く飛んで、上方から叩き込む……いや、踏み潰すような蹴り。
こらえきれずに膝から崩れ落ちたツルク星人は、追撃のトンファーをかろうじて下から迎え撃つ形で受け止めた。
両者の間で刃とトンファーがギリギリとせめぎ合う。
再び、状況は静かな攻防に移った。
ツルク星人は後ろに引いた右腕の刃を放つ時をうかがい、クモイ・タイチも左腕のトンファーでそれを迎え撃つべく構える。
ゆっくり息を吐いて呼吸を整えるクモイ・タイチに対し、ツルク星人の肩は大きく激しく上下していた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
睨み合う両者。
「……貴様、レジストコード・レイガだな」
地球人の背後ではいつくばり、ようやく肘で支えるようにして上体を持ち上げていたシロウは、突然聞こえた自分の名前に驚いた。
度重なるダメージに、もはや否定の声を上げることも出来ず、ただ荒い息で目の前の地球人の背中を見上げる。
敵と睨み合うその男の顔は完全に向こうを向いている。
今の呼びかけは本当に自分に向けられたものだったのか。
訝しんでいると、男は続けた。
「余計なことをするな。今の手出しといい、怪獣退治といい……ろくに戦えもしない素人が、命がけの戦いに遊び半分で首を突っ込むな。自分を何様だと思っているのか知らないが、迷惑だ。邪魔だ。目障りだ。挙句の果てにそのざまか。惨め過ぎて笑えもしないな」
「………………」
屈辱。
シロウは唇を噛み締めた。
確実にこの男は自分の正体を知っている。知った上で、嘲笑っている。とはいえ、その口調は嘲笑ではなく憤怒に彩られているように感じられるが。
「いいか。中途半端な覚悟で中途半端な力を振り回せば、今の貴様のような結果しか生まない。それだけ学べればもう十分だろう。失せろ。さっさとこの地球から出て行け」
反論の言葉は出てこない。怒りをその背に叩きつけようにも、体も動かなかった。
その男が言うとおり、あまりに無様で、惨めだった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
ツルク星人が動いた。シロウを罵倒するクモイ・タイチに、意識が逸れていると感じたか。
溜めて置いた右腕の力を解放し、クモイ・タイチに斬りつける。
同時に間を置かずに次の斬撃を放つべく、トンファーを受け止めていた左腕を引き戻し――
「貴様もだ、ツルク」
ツルク星人の意図は、真正面から叩き潰された。その仮面じみた顔面に並べて叩きつけられる、二本のトンファー。
クモイ・タイチはツルク星人の引いた左腕に右のトンファーを追従させず、そのまま最短距離で顔面に叩き込んだのだった。左も最短距離・最高速で右のトンファーに合わせる。
力んだ分、初動も速度も落ちたツルク星人の右腕一閃など、クモイ・タイチにとっては脅威にならない。そもそも、二の腕以内の間合いに踏み込んでしまえば、手首から先が刃になっているツルク星人の攻撃手段は蹴りか、肘か、頭突きしかない。
膝立ちでは蹴りは使えず、腕を振るう限り肘は使えず、顔面に叩きつけたトンファーで頭突きもありえない。
完全なカウンターとなったその一撃で、ツルク星人は受身も取れずに路面へ叩きつけられた。後頭部で石畳を割り、身体が跳ね、空中で半回転してうつぶせに倒れた。
「地球人をなめるな」
地獄の底から立ち上るような黒い殺気と、地鳴りのように低く唸り響くクモイ・タイチの声。
トンファーが回り、空気を裂く音が不気味に響く。
ツルク星人はびくびくと身体を震わせつつ、起き上がろうともがく。
クモイ・タイチはその顎を容赦なく蹴り上げた。一瞬、限界近くまでのけぞって、ばったり倒れ伏したツルク星人の右腕を踏みつけ、完全に制圧する。
「確かに貴様の斬撃速度は大したものだ。さらに左右同時に放つことで、意識上の速度を倍以上に引き上げる――だが、オレに言わせれば貴様の技など、力任せのぶった斬りに過ぎん。そんな稚拙な力技がこの地球で通用すると思うなよ。こと他者をねじ伏せ、命を奪う技に関して地球人の積み重ねた闇の歴史の前では、貴様らの使う底の浅い殺人術などその足下にも及ばない」
言いながら、クモイ・タイチは左腕のトンファーを腰の後ろに挿し、トライガーショットを引き抜いた。
完全にグロッキー状態のツルク星人は、それでも身体を起こそうと少しずつ四肢を引き寄せてゆく。
「ふん。両手を剣に替えるなどというのは、地球じゃあガキの発想だ」
トライガーショットの銃口を、踏みつけた腕と剣のつなぎ目に向け――まったく躊躇なく連射した。
ツルク星人の剣がもげた。
ひときわ高く金属同士の擦過音が響き渡る。
手首から先をぶっ千切られたツルク星人は四肢を突っ張らせ、激痛に身悶える。
右腕を踏みつけたまま、その様を冷徹な眼差しで見下ろすクモイ・タイチ。
「痛いか? クズ野郎。貴様らが斬った無辜の地球人たちも、その痛みの中で死んでいったんだ。……そのふざけた仮面の奥の、浅はかな脳味噌に刻め。地球人の恐ろしさを。地球どころか、この日本でさえオレごときを遙かに凌駕した達人は山ほどいる。地球人を弱いと見て好き放題できると思ったら、大間違いだ。貴様らごとき、いつでも喉笛を掻っ切れる」
その時、上空を光り輝く飛翔体が通り過ぎ、激しい風が並木道を吹き抜けた。