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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第3話 狙われた星 その4

 次の特訓の日――は、二人の大会直前最後の練習日だった。
 特訓を終えた帰り道、それはいた。
 歩道ギリギリに止められたごつい高級車。
 その脇を通り抜けようとした時、そこから三人の男が降りてきた。
 三人の行く手を塞ぐように二人、逃げ道を塞ぐように一人。
 この暗いのにサングラスをかけ、只者ではない雰囲気を放っている。
 すぐにその三人が『まるヤ印の自由業』の人間だと感づいたエミが、シロウの袖を引く。
 だが、エミが注意を耳打ちする前に、前方の男がサングラスをずらしながら訊いてきた。
「あ〜……オオクマ・シロウさん? だよね?」
 シロウたちより一回り以上年上の中年男の声は、野太く威圧感に満ちている。その上着の襟につけた小さなバッヂが、横を通る車のヘッドライトにきらめいた。
 シロウは怪訝そうに顔をしかめた。
「そうだが。なんだ、おまえ? なんか用か?」
「そうか。やっぱりあんたがオオクマさんね。人違いでなくて、よかったよかった」
 なにが面白いのか、からからと笑う。
 その間にユミとエミは助けを呼ぶべく、周囲を見回していた。
 だが、車通りは多いのに、歩いている人も駆け込めそうな店もない。走っている車自体もかなりの速度が出ており、手を振って止まってくれそうな状況ではないし、何より車道に飛び出そうにも男たちの乗ってきた車が邪魔をしている。
 こうなると頼みの綱はシロウだけ。
 ユミはもう、今にも崩れそうな表情になっていた。それを察したエミが、そっとその肩を抱きしめる。
「……大丈夫。大丈夫よ、ユミ」
「オレを知ってんのか。お前らの顔に覚えはないんだが」
 シロウが首を傾げていると、男はへらへら笑いながら自己紹介した。
「オレは、松竹組のアヅチってもんなんだけどねぇ。いやぁ、この間はさあ、うちの弟分たちが世話になったみたいで。ちょーっと、兄貴分としちゃあ、放ってはおけんのよ。わかるかなぁ?」
「わからん。わかるように言え」
 ぶっきらぼうなその物言いに、アヅチではなくその隣の男が怒気を発した。それを、何も言わない前から手で制するアヅチ。
 ぽりぽり頭を掻いたアヅチは、じろりとシロウを睨んだ。
「じゃー、わかるように言うわな。オオクマさん、うちの舎弟たちにひどい怪我を負わせてくれたそうじゃないの」
「シャテイ? 怪我って……ああ、あのボーソーゾクのことか?」
「で、でもあれって向こうから――……ゴメンナサイ
 言い返そうとしたエミは、アヅチの一睨みで黙り込むしかなかった。
「まあ、お嬢ちゃんの言う通り? あいつらもゴンタ坊主だから、少々のケンカならオレが出張ることもないんだけどねぇ。たった一人のカタギにさぁ、十二人全員腕やら足やら折られてオマケに脅しまでかけられたとあっちゃあ、この業界に住むモンとしてはちょーっと、黙ってるわけにもいかないんだわ」
「あー……もう」
 痺れを切らしたように、シロウは首を振った。
「わからんっ! ガタガタガタガタうるせえんだよ。なんだ? 要するにあの連中の仇討ちに来たってことか? だったらそう言え。もって回った言い方しやがって。やんのか? やるんだな? じゃあまあ、相手になって――」
「ちょーっと待った」
 腕まくりするように上腕に手をかけたシロウを、アヅチは手を突き出して制した。
「ここでやんのかい? そのお嬢ちゃんたちの前で? ……あんまり見せない方がいいんじゃないかなぁ。そういうショッキングな場面はさぁ」
 言いつつ、もう片手で上着をそっと開いてみせる。一瞬、細長い円筒状の物が通り過ぎるヘッドライトに白く浮かんだ。
 シロウは怪訝そうに顔をしかめただけだったが、エミとユミは息を呑んだ。
「し、シロウさん……刃物……この人……刃物持ってる」
「あ、危ないよ。シロウさん、ここは謝っちゃお? ね?」
 後ろからそれぞれシロウの肘をつかんで説得にかかるユミとエミ。
 だが、シロウはそんな心配などどこ吹く風で呑気に聞き返す。
「あ? 何で謝るんだよ」
「だから刃物が……」
「お嬢ちゃーん?」
 アヅチは気味悪いほどの猫なで声で、二人に笑いかけた。
「何を見たのか知らないけど、世の中には口にしない方がいいことって、あるよねぇ? お嬢ちゃんもうすぐ大人な年なんだし、おじさんの言うこと、わかるよねぇ」
 シロウにはわからないが、エミとユミにはわかる脅し。二人はたちまち震え上がり、お互いに強く抱きしめ合う。。
「それに、オオクマさんの言うとおりだよぉ? 別に君たちが悪いわけじゃないんだから、謝られてもおじさん困っちゃうよ。いや、むしろ謝るのはおじさんたちの方でさぁ。いやはやごめんねぇ。君たちのお友達か、お兄さんか知らないけど、これから酷い目に合わせちゃって。でも、わかってくれるよねぇ……もう謝ってどうにかなる話じゃねえんだよ
 最後の最後にドスの聞いた重低音の声色で止めを刺す。
 抱き合って震える女子高生は、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「ここで決着つけても、それで終わるとか思うなよ? この業界の人間に一度目ぇつけられたら、親類縁者家族だろうが――」
「だからいちいち話が長ぇんだよ、おっさん」
 続く脅しを、シロウは割って入るようにして遮った。
「ここじゃないんなら、どこでやるんだ? 二人も連れて行く気か?」
 アヅチは車の屋根を軽く叩いた。
「あんたはこいつに乗ってくれや。連れてくからよ。そっちのお嬢ちゃんたちには用はねえよ。とっとと帰んな」
「わかった」
 頷いたシロウは、二人の前にしゃがみこんだ。
「オレんちかエミんちまでなら二人で帰れんだろ。わりいけど、そっから誰かに送ってもらってくれ。ワクイのじーさんとか、タキザワのおっさんとか」
「シロウさんダメよ……危ないよ、行っちゃダメだよ。殺されちゃうよ……」
 必死でしがみつこうとするユミを軽くいなして、シロウはエミに向かって頷く。
「オレは大丈夫だ。くく……いざとなったら巨大化してやるさ。心配すんな。かーちゃんにもそう伝えておいてくれ」
「……わかったわ」
 状況から見て止めようがないと判断したエミは、なおもシロウにしがみつこうとするユミを抱き止めながら頷いた。
「でも、絶対無事に帰って来てよ? 大会前にこれでお別れなんて後味の悪いの、イヤだからね? 特訓だって、まだ終わってないんだから」
「必ず戻るさ……師匠」
 その肩をぽんぽんと軽く叩き、立ち上がる。
「んじゃ、行くか」
 三人の男とシロウを乗せ、走り去る高級車。
 エミとユミは呆然とその尾灯を目で追い続けるしかなかった。


 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 その二時間後。
 隣町の駅前にある松竹組の事務所は、文字通り壊滅した。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「ただいまぁ」
 その日の夜遅く、オオクマ家の玄関にシロウの声が響いた。
 どたどたと多くの足音が交錯し、玄関に人の波が殺到した。
 その数に、シロウは驚いた。
「うおっ……なんだなんだ。なんでみんな集まってんだ?」
 心配しながらただひたすら待っていたシノブ、エミ、ユミだけでなく、どこからともなく話を聞きつけたマキヤ、トオヤマ、タキザワ、ワクイ、カズヤまでが顔を揃えていた。
 代表してシノブが前に出る。
「なに言ってんだい! あんたがヤクザにさらわれたって聞いて、みんな心配して集まってくれたんだよ!」
「ヤクザ? なんだそれ? ……まあ、いいや。無事帰って来れたし。ほれ、約束守ったぜ?」
 テツジ譲りのVサインでにかっと笑う。
 その服は裂け目切れ目でほとんどぼろきれと化し、あちらこちらから地肌が見えている。いずれもにじんだ血で赤く染まっていたが、果たしてそれが本人の物か返り血なのかは判別がつかない。少なくとも本人の顔は擦過傷のような傷はあれど、目立つほどには腫れていなかった。
 ともかく無事であったことに、シノブは安堵して相好を崩した。
「まったくもう……おや? シロウ、そちらの方は……?」
 シロウの後ろに、なんだか恐縮した雰囲気の男が佇んでいた。
 シロウがこともなげに頷く。
「ああ、オレをここまで連れて帰ってくれた人」
「へえ、親切な人だねえ」
「いやだってさあ、ここからエミ達の学校までの行き方は覚えたんだけど、どこかわからんとこに連れて行かれたもんでよ。どう帰ったらいいもんか途方にくれちゃって。どこかの駅前だってのはわかったんだが……んで、この人に道聞いたら、送ってくれたんだ。……いやぁ、ありがとな」
 振り返って陽気に肩を叩く。
 男はへえ、と頭を下げるとシノブを見た。
「すみません、ここまでの運賃6320円になりますんで、お支払いをいただきたく……」
 その言葉で、シノブ一同はようやく状況を把握した。
「ああ、タクシーの運転手さんだったのね。……はいはい、ちょっとお待ちになってね」
 いそいそと財布を取りに下がるシノブ。
「いやあ、ほんと助かった。まあ、あがってくれ。なんかお礼するしさ」
「いや、私は代金さえいただければ」
「まあまあ、そんなこと言わず」
 わけのわかってないシロウは、運転手の手を引いて家に上げようとする。
 困り果てている運転手の様子に、タキザワが割って入った。
「まあまあまあまあ。シロウくん、早く風呂に入ってきなさい」
「え、けど……」
「いーからいーから。さぁさぁさぁさぁ、疲れを落とすんだ。話はそれからそれから」
 ワクイも入って、シロウを家の中へ押し上げる。
 そのままシロウはその場にいる全員で風呂に押し込まれてしまった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 シロウが風呂から上がってくると、一同はまだ居間に勢ぞろいしていたが、消えた顔があった。
「あれ? ええと、ユミとタキザワのおっさんは?」
「ユミちゃんなら、タキザワさんが車で送って行くってさ」
「ああ、そう」
 興味なさげに頷いて、コップの牛乳をあおる。
 縁側に吊るした風鈴が涼しげに鳴り響き、蚊取り線香の香りが漂う。
「……それで、どうだったんですか?」
 切り出したのはエミだった。
「どうって? 別に? 変なとこに連れてかれて、そこで決着つけた」
 コップをちゃぶ台に置いたシロウは、シノブを見やってにかっと笑った。
「大丈夫、かーちゃんとの約束は守った。先に手も出してないし、死なせもしてない。ええと……エミ、泣いてないよな?」
 そこだけ自信なさげに訊く。
 エミは大きく頷いた。
「うん。ユミも泣いてない。心配はしてたけどね」
「よしっ! かーちゃん、これなら――」
 そういった瞬間、シノブの拳骨が脳天を直撃した。
 完全に油断していたシロウは、苦悶のうめき声を上げながら頭を抱えて転がり回る。
 涙目――というより、もうぼろぼろ涙こぼして、抗議の声をあげる。
「かかかかかーちゃん、なんで!? なんで殴んの!? 二人とも泣いてないって言ってんじゃん!」
 本当はユミもエミもシノブの前で泣きじゃくって状況の報告をしたのだが(その声をトオヤマが聞いていたらしい)、さっきのエミの気丈な言葉に免じて、あえて黙っていた。それだけに、無神経なシロウのはしゃぎぶりがシノブには許せなかった――ということなど、当のシロウには知る由もない。
 ふん、と鼻息も荒く腕を組んだシノブは、きっと目を吊り上げて言い放った。
「知らないとはいえ、ヤクザ相手じゃもうただのケンカとは言えん! 女の子を泣かす泣かさんの話じゃないの! 殺されてたかもしれないんだよ!? 今のは親と、みんなを心配させた分の拳骨です!」
「そんな条件知らねえって! 後からつけ足しなんてずりいぞ!」
「男ならガタガタ言いなさんなっ! ……どういう理由があれ、心配させたんだ。こうやって集まってくれてた皆さんに、言うことは何もないのかい?」
「心配すんのはそっちの勝手だろ!? オレ、ちゃんとエミに言ったぞ! 大丈夫だ、いざとなったらでっかくなってでも切り抜けるって! ――な、オレ言ったよな、エミ!?」
「あ……あははぁ……聞いた……よぅ、な、ね? えへへ」
 曖昧な笑みで頷くエミ。実際のところ、その件は伝えてなかったのだが。
「ほらぁ!」
「な・い・の・か・い?!」
 仁王立ちのシノブが、ぎょろりと見下ろす。その威圧感たるや、アヅチなど問題ではない。
 たちまちシロウは顔を引き攣らせて白旗を揚げた。
「あ、あう……な、なんて、言えば……?」
「ご心配おかけしました、ごめんなさい。ありがとう……だよ」
 しゅばっと正座に座り直したシロウは、頭を下げながらシノブの言葉を繰り返した。
 その言葉に笑顔で頷く一同。
 そのとき、ようやくオオクマ家を覆っていた重苦しい空気が開放されたように誰もが感じていた。無論、シロウを除いて。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 翌日午前。
 オオクマ家の前に、リムジンが止まった。

 中から降りてきたのは二人の黒服。
 昨日シロウたちを囲んだヤクザとは、まったく次元の違う雰囲気をまとっている。
 きっちり着こなした漆黒の高級スーツ。非の打ち所のないほどしっかり整えられた頭髪。理知的で、落ち着き払った風貌――言うなれば、プロフェッショナルの空気。
 男たちは応対に出たシノブに、礼儀正しく頭を下げた。
「おはようございます。オオクマ・シノブ様」
 シノブは警戒感も露わな目つきで、男たちを見つめた。
「あの、どちら様? うちに何の御用ですか?」
「申し訳ございません」
 男たちは再び頭を下げた。
「失礼は重々承知しておりますが、御当家の安全のためにも、わたくしどもは名乗るわけには参りません。ご了承下さい。それで、本日御当家へ伺わせていただきましたのは、ご子息・シロウ様のことについてでございます。……昨晩の件、と言えばお分かりになっていただけますでしょうか」
 さっとシノブの顔色が変わった。思わず台所を見やる。
 渦中のシロウは、まだ眠気の残っているゆるゆるの顔で、遅い朝ご飯を食べていた。
 シノブは黒服の男たちに顔を戻すと、表情を引き締めて言い放った。
「お帰りになって下さい。シロウにあなた方と話すことなんてありません」
 黒服は顔を見合わせて、再びシノブに頭を下げた。
「少々言葉足らずでございました。昨晩の件、と申しましても、決して意趣返しをしようとか、そのような目論みは毛頭ございません。むしろ、その件も含めて平和的に解決するために、わたくしどもの主人がシロウ様とお話をしたいとおっしゃっているのです」
「そんな話、信じられるもんですか」
 腕組みをして、仁王立ちになったシノブは二人を睨めつける。
「話があるのなら、話をしたい方が訪ねてくるのが礼儀というものでしょう。おまけに名乗りもしないで。そんな礼儀も守らずに、信じてほしいなどとよく言えたものです。とっととお帰りっ!」
「その点につきましても、平にご容赦いただきたく、お許しくださいませ。まったくご母堂様の仰る通りではございますが、わたくしどもの主人は表立って動けばかえって騒ぎになってしまいかねぬ人物ゆえ――」
「知りません。どういう理由があろうと、息子をそんな怪しい人の下へ――」
「いいぜー。行こうか」
 まだ口をむぐむぐ動かしているシロウが、台所からのそのそ出てきていた。
 黒服たちはシロウに向かって律儀に頭を下げ、朝の挨拶をした。
「シロウ、あんた!」
 心配のあまり険しい表情になってしまっているシノブの肩を、シロウは軽く叩いて笑った。
「大丈夫大丈夫。心配すんなって、かーちゃん」
 玄関のあがりがまちを降りて、靴を履く。
 その間に、黒服はシノブに頭を下げていた。
「それでは、ご子息様をお預かりいたします」
「シロウ……」
 不安を隠せないシノブ。
「かーちゃんには心配させるけど、大丈夫だって。ボーソーゾクぶっとばしたのも、ヤクザ? をぶっとばしたのもオレだ。てめえのケツはてめえで拭く。……要するにさ、これがあれなんだろ?」
 スニーカーの靴紐を締め終わったシロウは、立ち上がってシノブに振り返った。
「拳骨上等、ってやつだろ?」
 にんまり笑ったシロウは、黒服とともに出て行った。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 リムジンは似合わぬ田園風景の街道を走り抜け、高速道路に乗り、都心へと向かう。
 いまだに地理のわからぬシロウには、町の方へ向かっている程度にしかわからない。
 広大なリムジンの後席に、シロウは一人だった。備え付けの物は何でも使っていいとのことだったが、ぱそこんとかげーむとかびでおとかねっとがどうこうと言われても、使い方のわからぬ物ばかり。
 結局、冷蔵庫の中のジュースをちびちび飲みながら、時間を潰すしかなかった。
 やがて、シロウは運転席との仕切りのカーテンを開けた。
 助手席の黒服が気づいて振り返る。
「……シロウ様、何か?」
「暇だ」
「そちらにあるものをご使用いただいても――」
「使い方がわからん」
 ぶっきらぼうに言うと、黒服は顔を見合わせた。
「それは失礼しました。ですが、わたくしどもも――」
「それより、いい加減聞かせろよ。オレを呼んだヤツのことをよ?」
 再び黒服たちは顔を見合わせ、頷き合った。
「……わかりました。ですが、これからお話すること、それにこれから行く先のことは、たとえご母堂様といえども内密に願いたいのです。お約束いただけますか?」
「よーするに、今日のことは誰にも話すなってんだな?」
「はい」
「それでかーちゃんに殴られるとしても、黙っておけってんだな?」
「申し訳ございません。でしたら、お詫びとして後ほど何か届けさせますので、好きな物を……」
「本気にすんなよ」
 へへっと笑ったシロウは、運転席側のソファに腰を下ろし、背もたれに体を埋めた。
 運転席との間の窓を左後部に、腕と足を組む。 
「で、誰だって?」
「はい。わたくしどもの主人の名は馬・道龍と申します」
「まー・たおろん?」
「はい。お聞きの通り、日本人ではございません。ですが、いまやこの日本の裏の世界では絶大なる影響力を持つ人間の一人でございます」
「ヤクザ……っていったっけか。そいつらの元締めってことか?」
「まあ、そんなところでございます」
「じゃあ、昨日の連中の件ってのは? やっぱ仕返しなのか? そいつがオレとサシでやんのか? 強いのか?」
 探るように言いながら、ひそかに右手に力を集める。
「いいえ」
 黒服の否定は即答だった。
「その件はすでに片がついております。松竹組の上部組織には、主人の方から手打ちの旨、連絡がついておりますので、この先シロウ様とシロウ様の関係者に危害が及ぶことはございません」
「ほんとかよ」
「こればかりは信じていただく他は……とりあえず、松竹組は解散になりましたので」
「ふぅん。……それで? じゃあ、なんでその『まーたおろん』てヤツはオレを呼びつけるんだ? その件にケリがついたのなら、もう関係ないでいいじゃねーか」
「申し訳ございません。実は、シロウ様をお招きする理由については、主人より承っておりません。ただ、昨日の件で話をしなければならない、とだけ仰っておられました」
 シロウは眉を寄せて大きくため息をついた。
「なんだかわけがわからんなぁ。昨日の件はケリがついてるのに、その件で話がしたいって、どういうことだ? お礼でも言って欲しいのか?」
「……これはあくまでわたくしの無責任な予想でございますが」
 運転している黒服が、初めて会話に参加してきた。
「なんだ?」
「主人は、シロウ様をスカウトするつもりなのかもしれません」
「すかうと? なんだそれ」
「つまり、組織の用心棒として雇う……といえばご理解いただけるでしょうか。十二人の暴走族とやくざの組事務所をたった一人、しかも素手で壊滅させ、大した怪我一つ負っていないなど、わたくしどもからしても少々信じがたいことでございますれば、あるいは」
「ふぅん」
 気のない返事。
「興味、ございませんか?」
「裏の世界ってことはよぉ、結局かーちゃんに殴られたりするようなことをするんだろ?」
 その問いかけに、返事が一拍遅れた。
「ま、まあそうですね。確かにあまり褒められたものではない仕事も多々ございます」
「じゃあ、だめだ。……かーちゃんに怒られるようなことはしたくねえ」
「はぁ」
「かーちゃんの世話になってる以上、かーちゃんがダメと言ってることは出来ねえよ。やるんなら、かーちゃんと別れるしかねえ。けど、あそこを離れたらオレは……」
 この星にいる意味もなくなる――それはかろうじて飲み込んだ。
 独り言のように漏らすシロウの目は、ビロード張りの天井を見上げている。
 わずかな沈黙の後、運転席の黒服が言った。
「シロウ様は親孝行なのですね」
 その言葉の意味を思い出しながら、シロウは首をひねった。
「そうか? そうなのかなぁ……でも、今日帰ったら拳骨一つはもう決定済みだしなぁ」
「わたくしどもの世界の人間は、みな親不孝者ばかりですので、シロウ様は十分親孝行者ですよ。ご母堂様をお大切に」
「ん? ……ああ」
 曖昧に答えて、はにかむ。
 その後はなぜか、黒服二人の母親の思い出話とシノブについての話に花が咲き、結局シロウは退屈することもなく目的地に着いたのだった。


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