ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA
第3話 狙われた星 その3
夜。
本庄地区の林の中。
暗がりの中、響き渡る剣戟音。
闇に弾ける火花。
合間合間に流れる、金属をこすり合わせるような奇妙な音と荒い呼吸音。
何かがそこで命のやり取りをしていた。
やがて――肉を貫く鈍い刺突音が響き、断末魔の呻きが光一つない樹間に漂い流れる。
夜の風にざわつく梢。
どこかで怪鳥が甲高く叫ぶ。
何か重いものが落ち葉敷き積む地面に倒れ伏した。
その時。
光が闇を裂き、不協和音の塊が静寂を突き破った。
林の外を流れてゆくいくつもの光条。連続する甲高い金管楽器音。エンジンの唸り。破裂音。空気が震えるような轟音。そして、喚き声。
それは林の中に佇んでいた何者かが、思わずたじろぐほどの光と音の洪水。
だがそれは林の中に入ってくることなく、あっという間に林の外の道路に沿って走り抜け、遠ざかってゆく。
それらが戻って来ないことを確認した後、何者かはその場を離れた。
金属をこすり合わせるような奇妙な音を残して。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
シロウの生活に、新たなイベントが加わった。
週に二度ほど、ユミの母親が車での出迎えが出来ない日に限ったことだが、シロウは朝、迎えに来たエミ、ユミとともに家を出る。
バスの乗り方、電車の乗り方から始まり、学校というものの仕組みなどの一般教養なども教えてもらいつつ、二人の部活が終わった後には水泳の特訓を受け、その後二人と一緒に帰ってくる。
三人で真っ暗な林の中の一本道を歩いてユミの家まで行き、エミと二人で戻ってくる。(そうしないとシロウが迷子になるため)
心配していたような事件が起こることもなく、日々はただ順調に過ぎて行った。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
「おまたせー」
エミとユミが通う高校の校門前。
先に待っていたシロウとユミのところへ、プールと更衣室の鍵を職員室に届け終わったエミが校内から駆けて来た。
周囲はすっかり夜の帳が落ちている。
「すっかり遅くなっちゃったね、ごめん」
「エミのせいじゃないよ。シロウさんのせいだもん」
ユミの指摘に、シロウは渋い顔をする。
最初の頃は遠慮がちだったユミも、ここ数日でシロウと打ち解けていた。
特訓というだけあってプールサイドでは鬼教官と化すエミ、いつもはぶっきらぼうなくせにそれに素直に従うシロウ、そしてユミは二人の間の緩衝役、と三人三様の役回りがすっかり定着していた。
「いいじゃねえか、ちょっとぐらい。……今日は最後の方でちょっとコツがわかりかけてたんだ。ん〜、こう……力の抜き加減が」
首をひねりながら、両手を回して空中を掻く仕草をする。
「泳ぐってやつが出来そうな気がしたんだがなぁ」
鉄製の校門門扉を閉めたエミは、二人にさ、行くよと声をかけて駅へ向かって歩き出した。
ユミとシロウも並んで歩き出す。
三人が歩く歩道は車通りの割と多い車道の脇で、街灯同士の距離も短いため、すっかり日の暮れた今の時間帯でもさほど暗さは感じない。
「でも、シロウさん確実に上達してますよ。先は長いんだし、そんなに焦らなくても」
「だめよ、ユミ。下手に褒めるとつけあがるから。とりあえず今日は水に浮いた! それでよしっ!!」
歩きながら腕組みをして胸を張るエミ。
ユミは困ったような顔で微笑んだ。
「そうよねぇ……最初は水に顔をつけるところから始めて……体が浮かないって言われた時には、どうしようかと思っちゃったものね」
「ほんとよ。ウルトラ族は人間に変身してても水より比重が重いのかって、本気で焦ったわ」
「いや、しかし今日はきちんと体が浮きました。全て師匠のご指導の賜物です」
一歩下がって、直立不動の姿勢から直角に頭を下げるシロウ。
エミが鬼教官ぶりを発揮する時は、なぜかシロウは素直な弟子を演じる。
「うむうむ。その調子で精進せえよ、うはははははは」
女子高生とは思えない高笑いをあげるエミ。シロウも屈託なく笑い、ユミもくすりとはにかむ。
その時――聞くに堪えない、暴力的な音の塊が道の後方から響いてきた。
思わず三人の足が止まり、振り返る。
けたたましく鳴り響く金管楽器の音色。不規則に上下するエンジンの唸り。連発する破裂音。そして、意味不明の喚き声。
さらにその背後からは、聞いているだけで神経を逆撫でされるような警報音――赤い回転灯の輝き。
「なんだありゃ? 何の騒ぎだ?」
「暴走族だわ。……警察が追っかけてる」
眉をひそめてヘッドライトの群れが揺れる道の彼方を見やるエミ。ユミはシロウの背後にそっと隠れる。
右へ左へと不規則に揺れるヘッドライトの群れは、見ている間に近づき、そのまま三人の前を騒々しく鳴り立てながら通り過ぎてゆく。その数およそ十台。
すぐ後を四台のパトカーが追っかけてゆく。拡声器から流れる、停車を促す声が騒音に更なる拍車をかけている。
「あれがボーソーゾクか。ふーん」
少し青ざめているエミとユミに対し、全く恐れた様子もなく遠ざかる尾灯の群れを見送るシロウ。
「しかし、やっかましいな。なんか……イライラするぜ」
「ダメよ」
にじむような怒気を言葉の端に感じたエミが、いつになく真剣な顔つきでシロウの腕をつかんだ。じっと目と目で見つめあい、首を振る。ポニーテールがゆらゆらと揺れた。
「シロウさん、おばさんの言葉思い出して。絶対に――」
「わかってるって」
シロウは頬を緩めてみせた。
「こっちから先に手を出さない、だろ? 忘れてねーし、約束は守る。心配すんなって」
「……うん。ありがとう」
すっかり意気消沈した様子で頷くエミ。ユミも隣で胸を撫で下ろした。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
数日後。
杉林の中を本庄へと続く道を歩く三人の姿があった。
すっかり日は暮れ落ちて、辺りは真っ暗。光といえば、かなり距離を置いて設置されている街灯と、シロウの持つランタン型のハンディ蛍光灯のみ。
林の中はじーっというオケラの鳴き声を背景に、粘着質なガマガエルの鳴き声が漂う。時折樹間に低く響くのは、鳩の鳴き声か、ふくろうか。
この道を歩いてゆくのも、もう何度目か。
最初の頃こそあまりの暗さと不気味さに落ち着かなかったエミとユミも、今ではシロウと並んでしっかりした足取りで道を進んでゆく。
そして、一行は再び出くわした。
暴走族に。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
もはやおなじみとなった不協和音の塊が行く手から聞こえてきたとき、シロウはふとハンディ蛍光灯をそちらに向けていた。
闇の彼方、自己主張の激しすぎるホタルじみたヘッドライトの群れは、あっという間に三人に近づいてくる。
エミとユミは慌ててシロウの後ろに隠れていた。
そのまま三人の横を通り過ぎて行くバイクの一団。
「てめえの足で走ってるわけでもなかろうに、なにが楽しいんだかな」
カーブの先に尾灯が消えるのを見送った後、そう吐き捨てて歩き出すシロウ。
続いて歩き出そうとしたエミとユミは、その歩みを止めた。
「……待って、シロウさん!」
「あん?」
振り返ったシロウの瞳に、ヘッドライトの眩しい輝きが映った。通り過ぎたはずの暴走族の一団が、引き返して来ている。
「シロウさん! なんで!?」
「どうしよう、シロウさん!」
二人の少女の恐怖に駆られた声に、シロウの目が細まった。
「慌てんな。二人ともオレの後ろにいろ」
やがて一団は、三人を囲むようにバイクを止めた。
「……おい、にいちゃあん」
先頭を走っていた男が、バイクから下りてきた。
そのドスの利いた声に、エミもユミも思わずシロウの服の背中をつかんでいた。
「ケンカ売ってんのか!? ああ?」
「……………………」
シロウは答えず、その若者をじっと見据えていた。
がに股で荒々しく近づいてくる若者。
鼻息がかかりそうな距離まで近づき、顔を寄せたその若者は、シロウよりさらに吊り上がった眼でシロウの目を覗き込んだ。
「おうこら、なにメンチ切ってくれてんだ、ああ!? 走ってるバイクに向けてライト向けたら危ねえってことぐらい、わかってんだろ? わかってて向けたんだよなぁ? それ」
唾のかかる距離でわめく若者の指が、シロウの手に握られたライトを指す。
「おい、エミ」
「はい?」
唐突に呼ばれ、エミは裏返った声で答えていた。
「メンチって何だ? あと、こいつらこんなもん向けられたぐらいでこけるのか?」
「ああああたしに聞かれても……メンチって、確か睨んでるってことだったと思うけど……」
目の前の自分を無視して、背後の女子高生とやり取りするシロウに、たちまち若者の頬が引き攣った。
「おうおうおう、聞いてンのはこっちだ。なにこそこそ女とくっちゃべってんだ? お前、オレをなめてんだろ? ああ? なめてんだろ? ざけんじゃねえぞこら。すました面しやがって、ぼてくりこかすぞクソボケが」
しきりに首を右左に倒し、コキコキ音を鳴らす。その度に、ポケットの多くついた特徴ある白い服の中で、何かがチャラチャラ鳴っている。
落ち着きなく上下する若者の顔に対し、シロウは微動だにしない。
「おら、謝れや。ここに土下座して、ライト向けてすんませんしたって、女の前で謝れや。おお?」
そうこうしているうちに、他の連中もバイクから下りて集まってきた。
妙な薄笑いを浮かべて包囲を狭めてくる。
「お? ヘッド、こいつらこの制服、都立高スよ?」
「へぇ、ちょっとかわいいじゃん。オレ好み」
「おっ嬢さぁん、オレらと遊ぼうぜぇ。こんな奴ほっといてよぉ」
「いー場所知ってんだぁ。なあ、行こうぜぇ?」
ニヤニヤ笑いながら近づいてくる連中に、エミとユミはじりじりと後退る。ユミなどは完全に震え上がって、今にも泣きそうな顔になっている。
「なあ、行こうってよぉ」
一人が、エミの腕をつかもうと手を伸ばす。
「やっ……」
その腕を、横から伸びたシロウの手ががっちりつかんだ。
「……ああ?」
たちまちその若者は目を向いてシロウを睨んだ。
「おう、痛いぜ。離してくんねえかな、にーちゃんよぉ」
「かーちゃんとの約束でな。お前らみたいなのに、触らせるわけにはいかねえん――」
その瞬間、その横っ面に拳がめり込んだ。
無視されたヘッドの怒りを込めたその一撃に、シロウは二、三歩たたらを踏んだ。ライトが落ちて、エミとユミの足下に転がる。
「シロウさん!!」
エミの悲痛な叫び。ユミは悲鳴を出すことも忘れて目を見張っていた。
周囲がわっと沸く。その歓声を背に、ヘッドはにんまり笑った。
「こぉらぁ? 今オレが話してんだぞ。なに無視くれてんだ、ああ? 土下座しろっつってんだよ。出来ねえんなら、オレがそこに這いつくばらせて――」
「おい、エミ」
ヘッドに向き直ったシロウは、なぜか背後のエミに声をかけた。
この状況で話しかけられても、エミには返事できない。
「眩しかったよなー」
「「は?」」
エミとヘッドの声がハモった。
ユミと周囲の連中もその意味不明の発言に、呆気にとられる。
「ライト向けてんのはそっちも同じだろうがっつってんだよ。眉無し野郎」
「あ……ああ?!」
若者が目を向いて、顎を突き出す。確かにその眉はほとんど無く、目頭側にわずかに小さな三角が残っているばかりだ。
「暗い道でいきなりあんな光を当てられりゃ、手元も狂うだろ。おまけにギャンギャンワンワン、うるせえっつーんだよ。まあ、しかしあれだ。そこは一つ、オイタガザマってやつだ」
「オイタガ……? ……って、そりゃ『お互い様』だろうがっ!」
「ああ、そうか。まあ、気にするな。そういうことだ」
「ざけんなてめえあれかなにかばかにしてんのかてめえがそのつもりならいくらでもけんかかうぞええこらおらええおうおうおうおう」
「それと、あともう一つ。――顔が近い」
言うなり、シロウはヘッドの顔面をわしづかみにした。
そのまま子供がぬいぐるみで遊ぶかのように軽々と持ち上げ、一振りして――ぶん投げた。
その場にいる誰もが、見たことの無い光景。
人間が野球のボールみたいな投げられ方をして、野球のボールみたいな勢いですっ飛んでゆく。
輪の一番遠くにいた少年は、悲鳴もあげずに飛んできたヘッドを避けることも出来ず、そのまま後ろにあったバイクと一緒にぶっ倒れた。
静寂がその場を支配する。
破ったのはシロウ。
「……エミ、見たな。先に手ぇ出したのは、こいつらだ。オレはかーちゃんとの約束、破ってないよな?」
「や、やぶって、ないよ。うん」
そう頷いてはみたものの、エミは暴走族の連中に囲まれたのとはまったく質の違う恐怖を感じ、頬を引き攣らせていた。
先ほどまで無表情に近かったシロウの満面に、恐るべき笑みが広がっている――エミは思わず、肉塊を前にした飢えたライオンとかトラを連想していた。
「じゃあ、あとはオレの好きにしていいってことだな」
そううそぶいて、歩き出す。
ようやく、暴走族は正気づいた。
「ヘ、ヘッドぉぉぉぉぉ!?」
「てめえ、兄貴にいきなりなにしやがるっ!」
「ぶぶぶぶっ殺すぞ、ごらぁっ!」
いきり立ち、鉄パイプや木刀、チェーンを手に次々とバイクを降りて、口々に叫ぶ暴走族。総勢10名。
「ぶっ殺す……?」
叫んだ少年をじろりと睨みつけ、シロウはくはあ、と息を吐いた。よだれでも垂らしそうな喜色。
「地球人ごときが、このオレ様を……? くはは、やってみろ」
「ざけんなコラクソカスゥ!!」
「よくもヘッドを!」
「てめえ、オレらが誰だかわかってンのか!?」
手にした得物を振りかぶり、シロウに殺到する。
それを、ひょいっと上げた左腕一本で受け止めた。相当な力がそこにかかったはずだが、シロウは微動だにしない。無論、腕が折れた感触もない。
少年達の気配が一斉に凍りつく。
「知るか」
腕の一振りで、いくつかの得物が少年達の手から抜け飛び、離しそこねた少年が得物に引っ張られて吹っ飛ぶ。
「な……なんて力だ」
「化け物か……」
「何で今ので腕が折れねえんだ!?」
「ば、ばか! 弱気になるなっ!」
「そうだ! 数はこっちが多いんだ!」
「だいたい、ヘッドをあんな風に投げられたままで終われるかよっ!」
気丈に叫ぶものの、少年達はようやく気づいていた。自分達が相手にしているのが、只者ではないことを。
「こういうもんの、本当の使い道教えてやるよ」
シロウはヘッドが乗っていたバイクに近づいた。カウルがやたら前方にせり出し、きらびやかな電飾でデコレートされた完全に違法改造なバイクだ。
その後輪を引っつかみ、引き倒す。
100kgを超える金属とプラスチックの塊を、それほど筋肉隆々というわけでもない若者が片手で引きずる。まるで、長い得物でも引きずって歩いているかのように。
あまりにも非現実的なその光景に、たちまち暴走族の喚き声が消えた。
燃え上がっていた炎が、あっという間に消され、冷えてゆく感覚。
「いくぞ」
死神めいた呟きに、少年達は生まれて初めて絶望というものを理解した。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
累々と路上に転がる少年達。
炎を上げて燃え盛るバイクの山。
その炎の中に浮かぶ悪鬼のシルエット。
胸倉をつかみ上げられた少年――ヘッドが、力なくもがいている。
「やめろ……やめてくれぇ……。右腕が……折れちまってるんだよぉ……足だって……」
炎の照り返しに浮かぶその顔は血にぬらめき、腫れ上がり、片目は塞がっている。
バイクに乗っていた時は真っ白だった、いわゆる特攻服は自らの血で所々赤く染まっていた。
同じような呻きは周囲に満ちていた。少年達の誰も彼もが、体のどこかを痛め、そのことを必死に訴えている。
「折れたがどうした? どうせ貴様のような奴らは、相手がそうなら喜んでいたぶるのだろう? よかったな、今日は貴様の番だ。その痛み、この屈辱、ゆっくり味わえ――次は左腕だ」
「ひ……ひぃぃぃっっっ!!! た、助け、助けてくれよぉっ!」
「ダメだ。二度と俺たちにちょっかいを出す気力など起きぬよう、念入りにその体、刻んでやる」
シロウの右手がヘッドの左腕をつかむ。
もはや言葉にならない叫びで泣き喚くヘッド。
「――やめてっ!!」
地獄に吹いた一陣の涼風。それは、ユミの叫びだった。
シロウの動きがぴたりと止まる。
ヘッドの胸倉をつかみ上げ、左腕をねじり上げたまま、ゆっくりと首だけを巡らせてユミを見やった。
ぼろぼろ涙をこぼしているユミが、険しい面持ちでシロウを睨んでいる。
その足下では、エミが呆けた表情で座り込んでいた。
「もう、やめてあげてシロウさん。そこまでやればもういいでしょ……?」
「いや、よくねえな。こういう奴らは中途半端で終わらせると、あとでやり返そうとか余計なことを考える。こちらの強さと怖さを骨の髄まで叩き込み、反抗の意欲を根こそぎ奪っておくのが――」
「もう聞きたくないのっ!!」
激しく頭を振って叫ぶユミ。涙の雫が、左右に散る。
「もう……誰の悲鳴も聞きたくないの……いやなの……」
「……………………」
シロウはそのまま、じっとユミを見つめ続ける。
遠くから、パトカーと消防車のサイレンが聞こえてきている。バイクの炎に気づいた住民が通報したのだろう。
その音に正気づいたのは、エミだった。
「……シロウさん、まずいよ」
ゆっくり立ち上がったエミは、サイレンの近づく方向に目をやりながら言った。
「早く離れないと、いろいろ面倒くさいことになっちゃう。シロウさん、捕まっちゃうよ? だからもう、やめよ? ね?」
「……………………」
手の中のヘッドと、ユミ・エミを何度か見比べたシロウは、やがて舌打ちを漏らしてヘッドを突き倒した。
「わかった。かーちゃんとの約束だしな。二人が止めたらやめるって……おい、てめえ」
足下で右腕を抱えるように倒れているヘッドの顔の前に、勢いよく足を落とした。
一歩間違えば、頭を踏み潰されかねないその一発に、ヘッドはまたも悲鳴を上げた。
「ひ、ひひゃひぃぃぃぃっ」
「聞いての通り、お仕置きはここまでだ。止めてくれたこの二人に感謝しろよ。んで、二度とこの道を通るな。次に会ったら、問答無用で叩き潰すぜ」
「はははははいぃぃぃぃっっ! わかりましたっ! 二度とこの道を通りません! あ、あなた達のことも話しませんっ! だから、どうか、お許し、お許しをっ!」
全身をぶるぶる震わせながら固く目を閉じ、さらに背中を丸めてしまったヘッドに蔑みの一瞥をくれて、シロウはエミとユミの元へ戻った。
その足下に落としていたランタン型ハンディ蛍光灯を拾い上げる。
「んじゃ、行こうか。お二人さん」
ユミとエミはそれぞれに青ざめた顔で頷いて、歩き出した。
振り返りもせずに先へ行くシロウの背中を追いながら、何度も何度も現場を振り返りつつ。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
翌日が休日ということもあり、その晩二人はアキヤマ・ユミの家に泊めてもらった。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
翌日。
昼前にシロウとともに戻ってきたエミから、昨晩の出来事を詳しく聞いたオオクマ・シノブは、早速その場でシロウの脳天に拳骨を落とした。
予想外のお仕置きに、頭を抱えて転がり回るシロウ。
「な、なんでだよかーちゃん!? オレ、約束なんも破ってねえぞ! なあ、エミ!?」
「あ、はい……。おばさん、シロウさんはあたしたちを――」
「そのことはいいのよ」
腕を組んで仁王立ちのシノブは、たちまち相好を崩した。
「よく私との約束を守って、二人を無事に家まで送り届けた。よくやった。本当にえらいよ、シロウ」
「じゃ、じゃあ何でオレは殴られたんだよっ!」
両手で頭を抱えたまま、涙目で叫ぶシロウ。昨晩暴走族のヘッドにあれだけの脅しをかけたのが嘘のような、立場の逆転ぶり。
きょとんとしていたエミは、一つの可能性に気づいてはっとした。
「まさか……! おばさん、ひょっとしてあの暴走族の人たち、誰か……」
「誰も死んじゃいないよ。腕が折れたり、肋骨が折れたりはしてたけど、命に別状はないってさ。トオヤマさんとマキヤさんから聞いた話だとね」
「じゃあ、どうして……?」
シノブはエミからシロウに視線を戻した。
「エミちゃん。シロウはユミちゃんを泣かせたんでしょ?」
「え……? あ、はい。でも、それは……」
説明しようとするエミを、シノブは押しとどめて首を横に振った。
「どういう理由があっても……たとえば、その子を守るためだったとしても、男たるもの女の子を泣かせちゃいけない。それがとーちゃんの決めたオオクマ家の掟だよ。古いと言われようと、時代錯誤と言われようと、イチロウも、ジロウも、サブロウも、それで育てたんだ。シロウだけ特別扱いはしない」
「かーちゃん……」
複雑な表情で困惑しているシロウの前にしゃがみこんだシノブは、すっと手を伸ばした。
また殴られると思ったのか、首をすくめるシロウ。だが、伸ばされた手は、そのままシロウの頭を優しく撫でた。
「あんたはよくやった。それはよくわかってる。私も……多分ユミちゃんも。エミちゃんもそうでしょ?」
「あ、はい。……ちょっと、怖かったけど……。シロウさん、ちゃんと言うこと聞いてやめてくれたし。あ、そうだ」
何かに気づいたエミは、急にテーブルに額をつけた。
「シロウさん、ごめんなさい。言うの忘れてました。……昨日は本当に、ありがとうございました。ユミの分も、お礼言っときます」
「エミちゃんはほんと、良い子ねぇ」
ものすごく嬉しそうに微笑むシノブ。再びシロウに顔を戻す。
「そういうわけだから、説教はしないよ。でも、泣かせたのは泣かせたんだから、拳骨だ」
「……なんか釈然としないんだが。オレ、結局ダメだったってことか?」
もう殴られないと理解したシロウは、拗ねた表情であぐらをかき直した。
シノブは首を振った。
「なに言ってんだい。よくやったって、褒めてるだろ。……ただね、男には拳骨上等でやらなきゃいけない時ってもんがあるのさ。よ〜く覚えといで、シロウ。それが男の生き様ってやつなんだよ」
「男の……生き様」
「そうさ、男にはルールを踏み越えなきゃいけないときがある。でもルールを踏み越えたなら、その罰は潔く受け入れるんだ」
「それが、拳骨上等……」
自分の拳をじっと見つめるシロウ。
頷いたシノブは、立ち上がった。
「さぁて。それじゃあ、お昼ご飯でも作ろうかね。エミちゃんも食べていきなさいな」
「いいんですか? ……じゃあ、お手伝いさせてください」
いそいそと立ち上がり、シノブの後を追って台所へ行くエミ。
「ほんと、エミちゃんはいい子だねぇ」
二人の笑い声が遠ざかる。
一人残ったシロウは、やがて何かを吹っ切るように大きく息を吐いて拳を掌に打ちつけた。
―――――― ※ ―――― ※ ――――――
しかし。
事態というものは、一旦動き始めると坂を転がり落ちる石のようにとめどなく走り続ける。
暴走族の一件は本人達の証言もあって、事件ではなく事故として片付けられた。
世間的には。
だが、それで話は終わらなかった。