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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第3話 狙われた星 その2

 東京P地区。
 時は夏。
 都心と違い田園風景の広がるここでは、山といわず庭の立ち木といわず、蝉が大合唱を奏でていた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 うだるような陽射しの昼下がり、オオクマ家に訪問者があった。
 応対に出たオオクマ・シノブは珍しい来訪者に驚いた。
「あらー、いらっしゃいエミちゃん」
 近所に住む女子高生で、シロウをウルトラ族のレイガと知る数少ない人間の一人チカヨシ・エミ。
 もう一人、同じ高校の制服を着た少女が一緒だった。
 エミは珍しく神妙な面持ちで、頭を下げた。ポニーテールがぴょこんと跳ねる。
「こんにちは、おばさん。あの……この子、私の同級生でクラブも一緒の友達です」
「アキヤマ・ユミです。はじめまして」
 初対面だからか、ちょっと緊張気味のぎこちない笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げる。
 背中まで伸びる長いストレートの髪が、さらりと揺れた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――
 
 居間(シロウの部屋)に通されたエミは、いつものお転婆な様子ではなく、なぜか礼儀正しくしていた。
 麦茶を出してくれたシノブに、きちんと頭を下げてお礼を言う。
 その様子にシノブはいぶかしんだ。
「どーしたの、エミちゃん。今日はなんだか、様子が変よ? なんか――……あ、そっか。シロウがなんかしたんだね!?」
 たちまちエミは首を横に振った。
「違います違います! っていうか、シロウさんとはここんとこ会ってないし。お元気ですか?」
「それがねえ……」
 ちゃぶ台の向かい側に腰を落としたシノブは、珍しく大きくため息をついた。
「なんだか抜け殻みたいになっちゃって」
「……ええ?」
 聞き違えたかと顔をしかめたエミは、目をぱちくりさせているユミと思わず顔を見合わせていた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「……強くなりたい?」
 公園でブランコに座っている小学生シブタ・テツジは、隣のブランコに腰掛けている青年に聞いた。
 青年――シロウは頷く。その姿はすっかり元気を失い、小学五年生のテツジにさえ疲れているように感じられた。
 シロウは重い重いため息をついた。
「ああ。……けどまあ、お前じゃ聞いても――」
「特訓すれば?」
 言いながら、ブランコの上に立ち上がったテツジはそのまま立ちこぎを始めた。
「トックン?」
「うん。お父さんもおじいちゃんも言ってた。昔のヒーローは、強くなるために特訓してたんだって。丸太担いで登山とか、ジープの速度で砂浜を走るとか、坂の上からで〜っかい岩を落として受け止めるとか」
「……アホくせえ。それで何の力が上がるんだか。この姿でそんなことしたって、怪獣倒す力にゃならねえだろが」
「ボクも特訓したよ!」
 つまらなさそうに顎に頬杖をついてため息を漏らしていたシロウは、その姿勢のまま隣を見やった。勢いよく前後するテツジは、ともすればそのまま空中に飛び出してしまいそうだ。
「お前が? なにを?」
「んーとね、逆上がりと自転車と、あと一輪車も。あ、そうそう運動会の前に徒競走の特訓も。お父さんと!」
「それで」
「全部出来るようになった!」
「……へえ。そりゃすごいな」
 逆上がりも自転車も一輪車も知らないシロウは、それらが何であるかも知らず、素直に驚いた。生まれて十年ほどしか経っていないこの子供が、すでにいくつもの特訓を潜り抜けて成長してきた猛者であったとは。
 軽い疼きが胸に走る。それが嫉妬や尊敬、悔悟の念の交じり合った複雑な感情によるものだとは、今のシロウはまだ気づけない。
「それからね、この夏休みの間にも特訓するんだ!」
「なに!? まだやんのか!?」
「うん! プールでね、50m泳げるようになるんだ! あとね、お父さんにはナイショでもう一つ目標があってね、25m息つぎなしで潜水するの!」
「はー……テツジ、お前って……実はスゴイ奴だったんだな」
「そんなことないよ! ウルトラマンに変身できるシロウ兄ちゃんの方がスゴイよ! だって、お父さんも先生も言ってたもん。人間、他の人が出来ることはやれば出来るって。特訓すれば、なんだって出来るようになるって。でも、さすがにウルトラマンにはなれないもん」
 前後に行ったり来たりするテツジを、目をぱちくりさせて見ていたシロウは、軽い反発を覚えて片眉を下げた。
「やればできる、ねえ……それを信じてるのか。真っ正直に」
「だって本当に出来るようになったもん。――シロウ兄ちゃん、見ててよ!」
「見る? なにを――」
 怪訝そうに顔をしかめた途端、テツジはひときわ深く膝を沈め、力を込めてひとこぎすると――前方の頂点付近で、そのまま空中に飛び出した。
「バ……っ!!」
 突然の危険極まりない行動に、シロウの背筋を寒いものが駆け上がった。あの勢いで地面に激突すれば、ひ弱な人間など――
 しかし、シロウの心配をよそにテツジは空中でしっかり体勢を保ち、そのまま足からきちんと着地した。
 振り向いて胸を張り、Vサイン。その顔は得意げな喜びに輝いていた。
「いえ〜い! 新記録達成!」
「あ……あぶねえだろうが!」
 全身にあふれ出した汗は、暑さでかいたものとは違い、妙にべとついているように感じた。
「大丈夫だよ。いつもやってるし」
 テツジはシロウの叱責もどこ吹く風で笑っている。
「お父さんもおじいちゃんもやってたって。これも特訓して――」
「――お〜い、テッちゃん! 遊ぼうぜ!」
 公園の入り口から、数人の子供達が走ってくる。
 テツジも大きく手を振って応えると、シロウに言った。
「ごめんね、シロウ兄ちゃん。ボク、みんなと遊んで来るから!」
「あ、ああ……」
 テツジに手を振られ、なんとなくシロウも手を振り返す。
 その後姿が公園から出てゆくと、シロウはガックリ首をおった。
「……なんだ、この敗北感は……。オレはあのガキにすら劣るってのか……?」

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 トオヤマ家の応接間。
 ロングソファにシロウと向き合ってトオヤマ、マキヤが座っていた。
「強くなりたい、ですって?」
 二人は困惑気味に顔を見合わせた。
 シロウは出されたアイスティーを口に含んでいる。
「女のあたしたちにそんなこと聞かれても……ねぇ。第一、シロウ君ってあたしたちから見れば十分強いと思うんだけど……」
「強さ……強さ、ねぇ」
 マキヤは困惑顔で腕組みをして考え込み、トオヤマも頭をぽりぽり掻きながら空中に視線をさまよわせる。
「……そういや、なんか昔そんな歌がなかった? マキヤさん? ……強さって何だ、とか」
 トオヤマは覚えてる? と言いたげな視線をマキヤに送る。
「ん〜……と、ねぇ………………あ、『強さは愛だ』じゃないかしら、それ」
 シロウの片眉がぴくんとはね上がる。
「アイ? ……アイって何だ」
 間髪入れず、メガネの奥の瞳がベータカプセルのフラッシュのごとくに輝いた。
「ためらわないことさっ!」
 妙な音程をつけて言い放つマキヤ。満面の笑みを浮かべて親指を立てている。トオヤマも妙に感心した声をあげて手を叩く。
 だが、地球人相手になら通じたかもしれないそのボケも、レイガであるシロウには全く通じなかった。
 勢いよく立ち上がって、拳を握る。
「つまり、強さってのはためらわないことなんだな!?」
「いや、そうじゃなくてね」
 乗りすぎたと悟ったマキヤは、やや赤面してメガネを直す。
「なんだ、違うのか?」
 不機嫌そうに再びどっかり腰を落とすシロウ。
「違わないっ! 違わないわよ、シロウちゃん!」
 収まりかけた火種に勢いよく油を注いだのは、トオヤマだった。たった今のシロウと同じように拳を握り、立ち上がっていた。
 マキヤもシロウもそのあまりの勢いに、思わず気を飲まれていた。
「……トオヤマさん?」
 不安げなマキヤの声など耳に入らぬ風に、トオヤマは身を乗り出した。
「いい? シロウちゃん、ためらっちゃダメ! ためらいなんて、ただ迷ってるだけ! 迷いのあるのとないのと、どっちの方が強いと思う!?」
「そりゃ……まあ……もちろん迷いのない方が……」
「そうよ! そう! 迷っちゃダメ! 迷いなんて結局優柔不断なだけで、女を幸せにはしてくれないのよ! 優柔不断なんて優しさでもなんでもないわっ! 第一、迷ってる時点でそこに本当に愛があるかどうか、怪しいもんだわっ! いーっい!? オンナはね、オンナは、ちょっとぐらい強引な方が嬉しくて燃えるのよっっ!!」
「なるほど、迷いがなければ……燃えるのかっ!」
 どこの琴線に触れたのか、シロウも応えるように再び拳を握り締めて立ち上がる。
 テーブルを挟んで不敵に頬笑む二人の視線が絡み合う。その背景に(なぜか)炎が揺れる。
「そう、燃えるのっ! もうどこまででも突っ走っていけそうな気がするくらいにっ! そんな感じになったら、迷わず押し倒しちゃいなさいっ! 向こうもオンナである以上、絶対それを待って――」
「待ってないっ!」
 二人の間でうろたえていたマキヤが、履いていたスリッパでトオヤマの頭をはたいた。
「トオヤマさん、あなたシロウちゃんを性犯罪者にするつもりっ!? っていうか、昼メロの見すぎっ!」
「だ、だってぇ……」
 ソファーに縮こまり、涙目でマキヤを見上げるトオヤマ。
「だって、じゃないっ! シロウちゃんの聞きたい強さって、そういうことじゃないでしょ」
「……違うのか」
「それもわからず聞いてたんかいっ!」
 思わずマキヤはシロウの頭をスリッパで引っぱたいていた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「……強くなりたい?」
 オオクマ家の近所・ヤマグチ家の二階。
 シロウの正体を知るものの一人である大学生、ヤマグチ・カズヤは顔をしかめた。
 シロウはカズヤの部屋の真ん中であぐらをかき、口をへの字に曲げて答を待っている。
 机に向かって大学へ提出するレポートを書いていたカズヤは、束の間虚空を見上げてなにがしかの記憶を探る。
「ええと……あのさぁ」
 カズヤは椅子ごと振り返った。
 尊大に頷くシロウ。
「うむ。なんだ」
「聞く相手を間違ってるよ? 自慢じゃないけど、この世に生まれて二十一年、口ゲンカ以外のケンカなんかしたことない僕に、なにを聞きたいのさ」
「けど、トオヤマとマキヤがお前に聞けって言ったんだよ」
「あの二人が?」
 ああ、と頷いたシロウは、その時の二人の様子を話した。


「――そもそもね、最初にも言ったけど、シロウちゃんが聞きたい強さの話なんて、あたしたちただの主婦にはついていけないわよ。あたしたちが言えるのって、まあせいぜいが『母は強し』ぐらいだもの」
 なぜか人差し指を立てて力説するマキヤ。
 トオヤマも小首を傾げる。
「そぉねぇ。そういう小難しい話なら…………そうだ。カズヤちゃんに聞けばいいんじゃないかな。あの子、大学生だから頭いいしぃ」
「そうよ、そうそう。――というわけで、カズヤちゃんに聞いて頂戴」
「「いってらっしゃ〜い」」



「……というやり取りがあってな」
 聞き終わったカズヤは、なぜか手で目の辺りを押さえてがっくりうなだれていた。
「あー……ていよく追い返されたわけね。ったく、こっちもヒマじゃないってのに」
「で、どうなんだ」
 無駄に胸を張るシロウ。
「どうなんだ、って言われてもなぁ」
 困惑しきりに、デスク上のPCを立ち上げながらカズヤは続けた。
「そもそもなんで強くなりたいわけ? 君、オレはウルトラマンじゃないから地球を守るために戦わないって言ってたじゃん」
 デスクトップ画面からブラウザを立ち上げ、ネットに繋いで検索をかける。
「第一、今地球には新マンがいてくれてるから、君がわざわざ強くならなくても――ほら、これ」
 カズヤはシロウを手招きして、あるサイトを見せた。
「……ジャック!」
 一番目立つ場所に怪獣と戦うウルトラマンの画像があった。怪獣相手にキックを決めている。
 わかりやすい対抗オーラを体中から燃やし、鼻息も荒く画像を睨みつけるシロウに、カズヤは腕組みをして解説する。
「この間、悪島に現われてから今日まで、世界中で現われてる新マンの情報をひとまとめにしているサイトだよ。ま、それだけじゃなくて、新マンの正体考察なんかもやってるみたいだケド。ともかく、彼が今地球を守ってくれてるんだから、君が頑張らなくてもいいじゃん」
「……オレのはないのか」
「は? ……いや、その……
 がっと振り向いたシロウに対し、あからさまにそっぽを向くカズヤ。
「あるんだな!?」
「……いや、世の中には知らなくていい世界ってのもあるから……」
「いいから出せ! オレに見せろ!」
「やめといた方がいいと思うな〜……僕の身の安全的に
 じりじりと顔を寄せて攻めて来るシロウに、汗だらけになって顔をそむけ続ける。
 舌打ちをしたシロウは、再び画面に顔を戻した。
 苦い物でも食べているかのような表情で、画面上の新マンと机の上を舐めるように見回す。
「……ちくしょう、これの使い方がわかれば……確か、さっきはここをつかんで」
 マウスをつかんだ。画面上でカーソルが動く。
「お?」
「あ」
 シロウの振り向きと同時にそっぽを向くカズヤ。
「なるほど、これをつかんで動かせば……お? 『れいが』? オレの名前か」
 ウルトラマンの活躍をまとめたサイトだけあって、そこには青いウルトラマンらしき存在、レジストコード・レイガの情報ページへのリンクも貼ってあった。
 動物的直感でマウスの基本的な使い方を見切ったシロウは、迷うことなくそのリンクにカーソルを合わせ、クリックした。
 たちまち現われるレイガの画像。ペスターを踏みつけているその雄姿に、たちまちシロウの目がきらきらと輝く。
「うおおおおお、オレだオレだっ! 見ろ見ろ見てみろ、オレが写ってる! ええと……なになに? ウザトラマンレイガ……レジストコード・レイガのめいそうげきじょう? おい、カズヤ。どういう意味だ?」
「どういう意味って……そのまんまだけど」
「ウルトラマンじゃないのはいいとして、ウザトラマンって何だ? ウルトラマンよりスゴイってことか? ことか?」
 これまで見せたことのないテンションではしゃぐシロウに対し、げんなりした表情で首を横に振るカズヤ。
「ウザトラマンってのは、つまり、ウザい奴――うっとうしい奴、邪魔な奴ってこと。そのサイトは、ウルトラマンでもないのに怪獣災害の現場に割り込んできて、返り討ちにあった君を嘲笑ってるんだよ」
「な……」
 満面の笑顔が、そのまんまフリーズドライになった。
「巨大化した君に対する地球人の認識なんて、その程度だよ。ペスターこそ倒したものの、工場に光線を直撃させたし。悪島の一件では、遭難した人たちがいたのに、島を爆撃した。しかも返り討ち。……まあ、世の中にはそういうのを面白がって嘲笑って喜ぶ人間もいるんだよ」
 フリーズドライが解凍され、見る見るうちにしおれてくる。
「でもまあ、いいじゃないの。君の望み通り、誰もウルトラマンとは見てないんだから。これ以上怪獣と戦う必要もないんだし、誰もそんなこと期待してないし、気楽なもんじゃないか」
「…………お前もかよ」
「え?」
 うつむいたまま、肩を震わせているシロウの声は、怨嗟の声とも取れるような低いものだった。
「お前も、そう思ってるのかよ。ウザトラマン、邪魔な奴って」
「僕は……どうでもいいよ、そんなこと」
「あ?」
 顔をあげたシロウに、カズヤは椅子の上であぐらをかいて、少し首を傾けた。
「僕にとってのシロウ君は、怪獣と戦うウルトラマンじゃないから。地球人の僕では絶対にわからない宇宙のことを教えてくれる友達――そのつもりだけどね。だから言ってるんだよ、いいじゃないのって」
「本当に……? 心の底では、嘲笑ってるんじゃないのか……」
「あー……なるほど。そういうことか」
 カズヤは一息ついて頭を掻く。
「そういうのを黙らせるために強くなりたいってことか。まあ、気持ちはわからないでもないけど……でもさ、地球人の僕に怪獣の倒し方訊かれてもなぁ……。あと、そのサイトの掲示板とかでも言われてるけど、君の場合、何よりもまず格闘の基本的スキルを身につけないとどうにもならないんじゃない?」
「格闘の基本的スキル? なんだそりゃ」
「いや、僕にもはっきりとはわからないんだけどね。経験者じゃないんで。ともかく、素人の僕でも素人のケンカかと思うような戦い方じゃあ、色々とマズいでしょ。そこをなんとかすれば、勝てるかどうかはともかく、少しは戦いらしくなるんじゃないかな」
「……どうすればいい?」
「まあ……手っ取り早いのは、格闘技強い人に教えてもらうとか……あ! そうだ」
 ぽん、と手づちを打つ。
「いいのがいるじゃん。同じ星の出なんだし、新マンに弟子入りして教えてもらえば――」
 その瞬間、プラスチックが力任せにへし折れる音が響き渡り、カズヤのPCの液晶モニターはその短い生を閉じた。
「あ……あーーーーーーーーっっ!! あーっ! あーっ! あっー!!!!!」
 カズヤはもう叫ぶしかない。
 Uの字にへし曲がった液晶モニターから手刀を引き抜いたシロウは、鼻を鳴らして足音も荒く部屋から出て行った。
 カズヤは半泣きになりながら、叫んだ。
あーっ、あーっ……シロウ君のばかー! レポートの清書もまだ残ってるのにー! ……シノブさんに言いつけてやるー!!」

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 その晩、シロウは飯抜きになった。
 代わりというわけではないが、死ぬほど拳骨を食った。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「おい、シロウちゃんシロウちゃん。どうした、元気ねえなぁ」
 畑のあぜ道。
 炎天下の木陰に麦藁帽をかぶった男たちが座り込み、弁当を広げていた。
 体格のいいタキザワ、恰幅のいいワクイ、腰の曲がったイリエ、そしてシロウである。
 握り飯を次々平らげる老人を尻目に、シロウは体育座りのまま夏の空を見上げて呆けている。
 それぞれの家の畑仕事を手伝い合う三人は、一仕事終えて昼食を摂っていた。
 四人とも休憩中なので、上半身はランニングシャツ姿である。汗まみれになったシャツは柵にかけられ、はためいている。この天気なら、半時間もしないうちにぱりぱりに乾いてしまうだろう。
「なぁ、タキザワのとっつぁん、シロウちゃんどうしたんだい?」
 返事もしないシロウに、ワクイはタキザワへ水を向けた。
「ふん。さあな」
 タキザワは水筒の麦茶を飲みながら鼻を鳴らした。
「シロウの奴が何も話さねえんだ、知ったことじゃないさ」
「何でえ、聞いてないのか? 案外冷てえな。よし、じゃあオレが――」
 立ち上がろうとしたワクイをタキザワが押しとどめた。
「やめておけ、ワクイの。てめえで話さない悩みは、他人が無理に聞くもんじゃねえだろう」
「なに言ってやがる」
 ワクイはタキザワの腕を払った。
「若いもんの悩みを聞きだしてやるのが大人の務めってもんだろう。放っておいたって、自分で解決できねえから、悩んでるんじゃねえか」
 ワクイはそのままシロウの横まで行って、座り込んだ。
「おい、ニセトラマン」
「ああ!?」
 たちまち睨みつけてきたシロウに、水筒を差し出す。
「何でえ、元気じゃねえか。どした、いつになく静かでよ」
 シロウは水筒をひったくると、その蓋に麦茶を注いでひとあおりで飲み干した。
「……なんでもねえよ、地球人のてめえらにゃわかんねーよ」
「ばかたれ」
 ワクイは水筒の底でシロウの脳天を小突いた。
「わかるわからんは、こっちが決めるこった。おめーさんは話しゃあいいんだよ」
 シロウはしばらく黙って考え込んでいたが、やがてボソリと漏らした。
「――強くなりてえんだよ」
「強く? ……ああ、なるほどな。こないだは……アレだったしな。まあ、そう気を落とすな」
「したり顔で頷くなっ! 慰めにもならねえ慰めを言うなっ! ……だから言いたくなかったんだよ、くそっ」
 舌打ちをしてそっぽを向くシロウに、ワクイは口元を押さえてほくそえむ。
「……シロウちゃん、それはあんまりじゃないのかい」
 不意に割り込んできたタキザワの声に、ワクイとシロウは振り返った。
 麦茶をゆっくり飲みながら、タキザワはちらりとシロウを見やった。その眼の鋭さ。
「人の心配を踏みにじるような男が、強さなんて言っちゃいけない」
「……心配だ? こいつのこのいかにも愉快げな面を見て言ってるか!?」
「この間は残念だった。それは事実だ。だが、自分から飛び出してって、返り討ちにあったんだぞ。戦いの中に身を置くのなら、敗北とともに与えられる屈辱は、受け入れにゃならん。……たとえ相手にどれだけの悪意があろうともな」
「おいおい、とっつぁん。そこまで言われるか、ワシ」
「たとえ話だ」
 なぜか笑いあう二人。
 けっ、と吐き捨ててそっぽを向くシロウ。
 その時、不意にワクイが顔をしかめた。イリエを見やる。
「……………………」
「なんだい、イリエのじーさん。なんだって?」
「……弱者の弱者たるを識るは、兵法のはじまりなり……」
「兵法って……えらく大時代的なこと言うねぇじーさん」
「ふぉっふぉっふぉ、青いのう。若いのう」
 イリエはひょろっと立ち上がると、ふくれっ面のシロウを手招きした。
「こっちゃこい、こっちゃ」
「……? なんだよ」
 渋々立ち上がって近寄ると、イリエはいつも使っているステッキでシロウの下腹部を突いた。
 位置は地球人で言うところのへその下。いわゆる『丹田』。
「……う……?」
 腰の曲がった老人が突き出した――というより押し当てただけのステッキ一本で動けなくなったシロウは、目を白黒させた。
 イリエはすぐにステッキを外すと、シロウの横に回りこんで背中、腰、膝を素早く・軽く叩いてゆく。
 知らず、姿勢が正されてゆくシロウ。
 そして、イリエは再びシロウの前に戻ってくると、またステッキの先端を下腹部に押し当てた。
「そのまま、ここに体重を預けてみぃ」
 意味不明ながらも、ぐっと前のめりに体重を乗せてみる。
 シロウの体重を、ひょろひょろのイリエが右手一本で支えていた。微動だにしない。後退りどころか、その右腕一本押し返せない。
 そして、当の本人はなにを納得しているのか、ただうんうん頷いている。
「そうぢゃ。体が一本の棒みたいになって、ここに全部の体重が乗っとるのが感じられるじゃろう」
「あ、ああ」
「これからは、なにをするにもここに体重が集まるようにしてみぃ」
 言い終わると、イリエは手首のスナップだけでシロウの体重を押し返し、ステッキを外してみせた。
 シロウにも今の一連の行為が、ただ事でないことは判った。目をぱちくりさせる。
「じーさん、今のは……」
「体を動かす上での、基本じゃよ。今感じた重心を自在に操れれば、小さな力でも大きな力を制することが出来よう。それと、重心は低いほど安定するぞい。今言ったことが出来たら、今度はその重心をずーっと、下に降ろしてゆくんじゃ。股間の下にな」
 ほっほっほ、と笑いながら元の木陰に戻ったイリエは、タキザワが差し出した麦茶をうまそうに飲んだ。
 その姿、気配は普通のお爺さんにしか見えない。
 シロウは思わず、ワクイに聞いていた。
「……何者なんだ、イリエのじーさんって」
「そういや、昔は柔道の師範だったそうだ。五段だっけか、六段だっけか」
「ジュウドウ? シハン?」
「ああ、おめえにはわからねーか。投げたり絞めたりする格闘技の先生だったんだ。ええと……つまりな、こと投げ技絞め技に関しちゃ、あのじーさんウルトラ兄弟より強いかもしれん」
「……嘘つけ。そんなわけあるか。ウルトラ兄弟より強いって」
「あくまで技だけの話だからな。体格とか光線とかは別の話だぞ」
「それにしたって」
「嘘だと思うんなら、今襲い掛かってみりゃあいい。簡単に――あ」
 ワクイが言い終わる前に、シロウは飛び掛っていた。
「上等だ! どんだけ強いか、見せてもらおうじゃねえか、地球人!」
「ほ? 今言うたことが、全然出来とらんのう。――ほぉれ」
 座ったままのイリエは、少し上体を反らしてシロウの突進をいなしつつ、そのまま軽く頭、肩、太ももをするりと触れた。
「え? あ? あーっ!」
 空中で一回転したシロウは、そのまま頭から畑の中に飛び込んでいた。
 自分が食らった技が『空気投げ』とも言われる最高位の投げ技である、と知るには、とりあえず気絶から回復して、何が起きたかをワクイから聞くまでの時間が必要だった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「――とまあ、そういうことがあってねぇ」
 ここ最近のシロウの様子を話し終えたシノブは、麦茶を飲んで一息ついた。
「はぁ」
 ユミと顔を見合わせたエミは、困惑しきった表情で訊ねた。
「あのー、おばさん……わたしはともかく、ユミの前でその話……いいんですか?」
「あら。あたしったら」
 今さら気づいたように、口元を手で押さえるシノブ。しかし、すぐににんまり微笑んだ。
「まあ、エミちゃんがうちに連れてくるようなお友達だし、いいでしょ。エミちゃんだって、友達に隠し事してるのはイヤでしょ」
「それはそうだけど……」
 すまなそうに友人を見やるエミ。
 ユミはその視線に真っ直ぐ頷いた。
「エミちゃん、大丈夫。あたし、今の話、誰にも言わないから。絶対。約束する」
「ごめんね、ユミ。変なことに巻き込んじゃったみたいで……」
「いいの。だって、これからその人にお願いするんでしょ?」
「そうなんだけど……」
 シノブに向き直ったエミは、表情を引き締めた。
「あの、おばさん。それで、シロウさんは?」
「? そこにいるじゃない」
 シノブが指差した部屋の隅に、二人は顔を向けた。そしてぎょっとする。
 膝を抱えたシロウの背中がそこにあった。
 こころなしか、周辺の空気が暗く澱んで歪んでいるようにさえ見える。
「……シロウ、さん?」
 膝を抱えたまま、頭部がくらりと動き、きらりんと眼光らしきものが光ったように見えた。
 盛大なため息が、そこから漏れ出している。
「やれやれ」
 シノブが鼻を鳴らし、助け舟を出す。
「これ、シロウ。あんたに用があるんだってさ。こっち来て、とりあえず挨拶ぐらいしなさいな」
「……どーせオレはウザトラマンさ……へ、へへ……同じ部屋にいても気づかれねえぐらい、オレなんかどーでもいい奴なのさ……」
「男らしくないねぇ。いつまでもうじうじと。いいからさっさとこっち来て、エミちゃんのお願いを聞いたげなさいよ」
「へーんだ。怪獣どころか、地球人ごときにおくれを取っちまったオレが、どんなお願いを聞けるってんだ。へへへ……まったくお笑いぐさだぜ……」
 シノブはやるせなげに首を振って、エミに向き直った。
「ここんとこ、まああんな感じでねぇ。――でも、エミちゃん。シロウになにを頼むつもりだったんだい?」
「はあ、それが……」
 エミはユミと視線を合わせて頷き合ってから、切り出した。
「あの、あたしたち今夏休みなんですけど、クラブ活動で登校してるんです」
「ああ。そういえば、エミちゃん水泳部だっけ」
 途端に、エミの顔が嬉しそうに輝いた。
「うん! 今年は大会のメンバーにも選ばれたの! だから、頑張ってるんだけど……その、帰りが遅くなっちゃって」
「遅いって、何時ぐらいなの?」
「そこのバス停に着くのが7時半ぐらい……」
「あらあらあら〜。それじゃあ、いくら今の時期でも、もう暗いわね。女の子だけで歩くのは危険じゃない?」
 エミとユミは同時に頷いた。
「あたしはまだこの辺だからいいんだけど。ユミが……」
「そういえば、アキヤマって名前はこの辺では聞かないわね。ユミちゃん、どこなの?」
「本庄です」
「この奥の? あらららら、あそこまで一人で歩いて帰るの、危なくない?」
 ユミは頷いた。
「あの、これまではお母さんの車でバス停まで送り迎えしてもらってたんです。でもお母さん、夜勤の日は7時半だと送り迎えは出来ないから……」
「そう。確かにそれは大変ねぇ」
 済まなさそうにうつむくユミ。
「それだけじゃないの」
 代わって、エミが口を開く。さっきから口調が素に戻っているが、気づいていないらしい。
「おばさん、本庄に続く一本道、知ってるよね?」
「ええ。舗装はされてるけど昼日中でも薄暗い、杉林の中のあの道でしょ?」
「最近、あそこって暴走族の通り道になってるの」
「ああ。そういえば、最近夜中に街道の方がうるさいわね。あれって、あそこから来てたの?」
「本庄越えで山向こうから来てるって。川向こうの道が整備されて、都心へ向かう近道になったから」
「じゃあ、あの道をユミちゃん一人で通うのは余計に危ないわねぇ」
 頬に手を当て、不安げに顔をしかめるシノブ。
「だから、お願いに来たの。シロウさんなら時間の自由が利くし、腕っ節だってそこらの地球人なんか目じゃないだろうし、ボディガードとして最適だと思って」
「まあ、送り狼になることもないだろうしね。でも……」
 三人の視線が、部屋の隅に向かう。
 膝を抱えたまま微動だにしないシロウの背中に。
「本人がアレじゃねえ」
 シノブのため息に、エミのため息が重なる。
「まさか、シロウさんがこんなことになってるなんて思わなかったから……」
 重苦しい空気が漂う。
 しばらく考え込んでいたシノブは、ふと何かを思いついてエミに耳打ちした。
「あのね、エミちゃん。――――――。……できる?」
 エミはしばらく難しい顔をして唸っていたが、やがて頷いた。
「まあ、全員の練習が終わった後とか、休みの日とかなら」
「わかった。じゃあ、ちょっと待ってて」
 言うなり立ち上がったシノブは、シロウの襟首を引っつかんでちゃぶ台まで引きずってきた。
「ほら、正座!」
 太腿をぴしゃぴしゃ叩いて、渋るシロウを無理矢理座らせる。
「シロウ、よく聞きなさい」
「やだ」
 拳骨が飛んだ。シロウの目から火花が散った。
「シロウ、よく聞きなさい」
「…………あい……」
「今の話聞いてたわね」
「…………はい……」
「二人のお迎え、シロウがやったげなさい」
「えー」
 露骨に嫌そうな顔をするシロウ。
「地球人同士の問題だろー。宇宙人のオレに頼んなよ。オレはウルトラマンじゃねえって何度言えば」
「その代わり、エミちゃんがあんたに水泳を教えてくれるって」
「スイエイ?」
 シロウは怪訝そうにシノブとエミの顔を交互に見比べる。
「そうだよ。水泳。シロウ、あんたこの前、海でおぼれたそうじゃないの。とりあえず地球って星は陸より水の方が広いんだし、いつまたどこでこの前みたいなことにならないとも限らないんだから、当分地球にいるつもりなら、泳ぎ方ぐらいは身につけときなさい」
「スイエイねぇ…………スイエイ!?」
 やる気なさそうだったシロウの目が、不意に何かを思い出して輝き始めた。
「ちょっと待て、かーちゃん。スイエイって、アレか!? テツジがやるとか言ってた、トックンのやつか!? 50m泳ぐとか、25mセンスイとか!」
「そう、それだよ。あんたが二人のこと、無事に家まで送り届けてくれるならエミちゃんたちが特訓してくれるってさ」
 シノブの説明にうんうんと頷くエミとユミ。
 おー、と何かに感じ入った声を上げていたシロウは、すぐに表情を引き締めた。
「そうか。トックンか。……トックンてやつをすれば、強くなれるんだよな!?」
「えーと……それは」
「そうだよ、行っといでシロウ」
 苦笑するエミを遮って、シノブが大きく頷いた。
「少なくとも泳げるようになれれば、あんたは一つ強くなったって胸を張っていい。その代わり、特訓が終わるまでエミちゃんとユミちゃんはあんたの師匠なんだからね。しっかり守ってあげな」
 シロウはやにわに立ち上がった。拳を握り締め、瞳に噴き上がる炎を宿して。
「ああ。わかったぜ、かーちゃん。そういうことなら話は別だ。オレはそのスイエイってやつを特訓してもらい、そんでもって、その借りを二人と一緒に帰ってくることで返す。これで貸し借り無しだよな!?」
「そうそう。そういうことだよ」
 満面に笑みを浮かべて頷くシノブ。隣でエミは妙な展開にユミと顔を見合わせて苦笑していた。
「いいかい、シロウ。もう一度言うけど、途中で何が起きたとしても、二人が無事に家に帰れるのが一番大事なこと。それを忘れるんじゃないよ」
 その念押しに、シロウの表情がふと曇る。
「何が起きたとしてもって……なんかヤバイことがあるのか?」
 ボーソーゾクの意味を知らないシロウには、先ほどの会話の中身は理解できなかったらしい。
 探るような目つきのシロウに、シノブは渋面で頷いた。
「もしもってことだよ。夜に人気のないところを女の子が歩いてたら、よからぬことを考えるバカはどこにでもいるものだからね」
「じゃあもし、そんな奴らが出てきやがったら、ケンカになっても……いいのか?」
「ああ。この娘らに乱暴しようとするようなクズが相手なら、構わないよ。そりゃもうケンカじゃない。あたしが許す。やっちまいな」
「かーちゃん……オレ、初めてかーちゃんのこと大好きになっちまったかもしれねえ」
 目を潤ませるシロウ。しかし、シノブは険しい表情を崩さずに続けた。
「でも、絶対にお前から先に手を出すんじゃないよ? イチャモンをつけて手を出させるのもダメ。相手の命に関わるような怪我を負わすのもダメ。それから、二人がやめてと言ったら、やめること」
「……先に手を出さない、イチャモンはダメ、死なすのもダメ、二人が止めたらダメ……んで、一番大事なのが二人を無事に家に帰すこと……」
 指を折り折り確認したシロウは、シノブをしっかり見据えて頷いた。
「わかった。その五つの誓い守って、こいつらのことは絶対に守ってみせるぜ、かーちゃん!」
「がんばんな」
「わぁ! ありがとう、シロウさん! 良かったね、ユミ!」
 身を乗り出して、手を叩くエミ。その傍らで、ユミも微笑んでいた。
 そして、シノブも。


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