東方二次創作 -太陽に立ち向かう花- 後編
林の中を駆け抜ける緑の風。
その胸に青を抱いて。
「めーりん! めーりん! なんでにげるのよ! あんなやつ、めーりんなら勝てるでしょ!」
納得がいかない、とばかりにお姫様抱っこの腕の中で身悶えるチルノ。
しかし、走る(人の目ならばむしろ飛んでいるようにさえ見えるだろうが)紅美鈴はいささかも体勢を崩さない。
「三十六計、逃げるに如かずです!」
「わかんないよ!」
「敵の倒し方をたくさん考えても、今ここでは逃げること以上に素晴らしい方法はないってことです!」
「でも、逃げてるんじゃん! かっこ悪いよ!」
「今ここでは、逃げるのが最強なんですよ!」
「え? 『さいきょー』なの!? ……じゃあ、仕方ないね」
「わかってくれてありがとうございます」
『気』を足に回して、脚力を強化。元々強力な妖怪の脚力にその強化を加えれば、人では及びもつかない速度で駆けることが出来る。(流石に烏天狗の最高速や霧雨魔理沙の突撃、本気になったお嬢様の速度には届かないが)
湖畔から目的の場所まで、さほど時間はかからない。
湖畔を離れ、林を通り、川を越え、森を抜け……やがて、二人の視界にもそれは見えてきた。
紅美鈴が目指す場所とは……丘一面を黄色で埋め尽くされた景色。
強い日差しにも怯むことなく懸命に咲く大輪の花たちが、二人を出迎える。
「め−りん、ここって……!」
『太陽の畑』。
小さな太陽たちがひしめき合い、大地を覆う世界。
そこへ辿り着いた途端、紅美鈴は速度を落とした。
最高速から妖怪本来の駆け足の速度へ、人の駆ける速度へ、人の歩く速度へ、そして……ついに立ち止まり、崩れ落ちるように両膝を突いた。荒い息に肩を激しく上下させながらも、チルノを安全に地面に下ろし、咳き込む。
「めーりん! だいじょうぶ……え?」
背中をさすってやろうと一撫でしたその小さな手に、赤い粘液がべっとりついた。
「……これ、血? なんで?」
チルノが四つん這いで咳き込んでいる紅美鈴の背中を見やると、背中から服がなくなっていた。破られたように大きな穴が空き、地肌が露出している。そしてその肌が焼け爛れ、チルノの手を汚した粘液をじくじくと滲み出させている。
「血ではないですよ……」
荒い息の下から、安心させるように無理のある笑みを浮かべながら紅美鈴は答える。
「私は妖怪ですから、これしきの傷はじきに治ります。それは、そのための体液。それが出ているということは治っている最中だということですから、大丈夫です。気にしないで」
その言葉が嘘かまことか、チルノには理解する術はない。
「そうじゃなくて」
そして、そもそも気にしないのが妖精だ。
手についた粘液を紅美鈴の服の肩でぬぐいながら、チルノは顔をしかめていた。
「いつケガなんかしたの?」
「ふふ……あそこから逃げる時にね。流石は名だたる大妖怪……躱し切れませんでした。チルノちゃんは怪我、ないですか?」
「あたいは大丈夫だけど……」
「それならよかった」
安堵する紅美鈴の呼吸が変わってきていた。
激しい呼吸から、長く深いストロークの呼吸に。
半分目を閉じて呼吸に集中する彼女を、チルノは黙って見ているしかない。
―――――― *** ――――――
ややあって、紅美鈴は呼吸だけは平静を取り戻した。
激しい運動のせいなのか、背中の痛みからか、その顔は汗みずくだが。
それでも、紅美鈴は震える膝を支えにして、なんとか立ち上がった。
そうして、チルノに笑いかける。
「さあ、案内してくれませんかチルノちゃん」
「……どこへ?」
「貴方が凍らせてしまったひまわりのところへ」
「いってどうするの?」
不思議そうに首をかしげながらも、チルノは歩き始めた。
紅美鈴もその後から、足を引きずりながらついてゆく。
「チルノちゃんの手で、その氷を溶かしてください。そしたら、私がいっしょに謝ってあげますから」
「どうしてめーりんが?」
「私がちゃんと伝えてなかったからですね」
「意味わかんない」
「チルノちゃん……私、お花が好きなんです」
「知ってる。赤いお屋敷で、赤いお花をいっぱいそだててるもんね」
「ええ。でも、お屋敷の庭だけじゃなくて、こうして普通に咲いている花も大好きなんですよ」
「そうなの? ふ〜ん」
「だから、チルノちゃんたちのいたずらでお花が枯れてしまったり、氷漬けになるのを見ると悲しいです」
「え」
チルノの足が止まる。
振り返ったチルノは、目をしばたかせていた。
紅美鈴も足を止めて、しっかりと向き合う。
二人の間を夏風が吹き抜けてゆく。
「……めーりんは、氷漬けのひまわりとか、嫌い?」
「出来れば、見たいものではないですね」
紅美鈴は苦笑していた。チルノにその意味がわかるかどうかはともかく。
「やっぱり、ひまわりは元気よく太陽に向かって咲いているのが最強にかっこいいじゃないですか。それが氷漬けになっていると、悲しいです」
「…………そっか……」
考え込むような顔つきで踵を返し、再び歩き始めるチルノ。
紅美鈴も足を進める。その背後に、点々と赤い粘液が落ちて連なっている。
しばらくの無言行。
やがて。
チルノが爆弾発言を放った。
「でも、あたい氷溶かせないよ?」
言いながら太陽の畑の一角を指差す。
「は?」
チルノの言葉に目をぱちくりさせながら、紅美鈴はその指先の彼方を見やった。
太陽の畑に咲き誇る無数のひまわりの中でも、頭一つ飛び出すほどの丈のひまわりが、そこにあった。
岩山から切り出してきた透明な一枚岩の中に、ひときわ大きな花をつけたひまわりが咲いている――そんな光景だった。
昨日から丸一日は夏の日差しを浴び続けているであろうというのに、そのひまわりを閉じ込めた分厚い氷は残っている。
「……これはまた立派なひまわりに、立派な氷塊……っていうかチルノちゃん? 今あなた、さらっととんでもないこと言いませんでした? 氷が溶かせないとか」
「うん。むり」
まったく悪意なく、満面に笑みを浮かべて肯定するチルノ。
「あたい、凍らせることはとくいだけど、とかすのはやりかた知らないもん」
「ええええええええええ………………ああ……そうか。そりゃそうだ」
紅美鈴はがっくり両膝を突いて崩れ落ちた。かろうじて上体は崩さなかったので、その場で正座をしているような格好になっている。
チルノは氷の妖精だ。凍るとか氷そのものの自然現象が人に似た姿を取っているに過ぎない。
だから氷を作ることは出来ても、溶かすのは彼女の力の及ぶところではない。炎とか、温度を高くするような属性を持つ妖精でなければ。
植物は基本強いものだ。だから、氷を溶かしてもらって、弱った分を『気』で補えば何とか回復できるのではないか、そうなれば風見幽香も少しは怒りの矛を収めてくれるのではないかと期待していたのだが……。
作戦は根本から覆された。というか、最初から意味がなかった。
「え〜と……じゃあ、どうしましょうかね。この始末」
あはははは、と力なく笑う紅美鈴。
その表情の意味を捉えきれず、小首を傾げ――チルノはにっこり笑う。拳を突き出して。
「だいじょーぶ。めーりんがけっこー強いのはあたい、しってる! たぶんあたいの次くらいにさいきょーだもの。だから、あたいと二人でやれば、ゆーかなんかギッタギタにできるよ!」
「あ、あはははははは」
根拠のないチルノの圧倒的自信がうらやましいような、空恐ろしいような。
この場所では、誰か知り合いに助力を請うこともできそうにない。
メイド長が偶然見回りに来ることも、パチュリー様がおかしな魔力に眉をひそめて様子を見に来ることも、ましてこの日中の日向にレミリア様やフランドール様が来ることもありえない。霊夢や魔理沙がここまで来る理由も考えつかない。
紅美鈴は心の中で、自分たちが完全に詰んだことを認識していた。
―――――― *** ――――――
時は羊の刻、八ツ半(15時)。
太陽の畑の主がふらりと姿を現した。
白い傘を日傘とし、路上に残る液滴の跡を辿って来た風見幽香は、その終着点の光景に小首を傾げた。
氷に閉じ込められたひまわりはそのまま。
しかし、その根元、氷塊に背を預けて紅の髪の妖怪が座り込んでいた。両足をだらしなく投げ出し、あお向けた顔に自らの着衣を破いて作ったらしい手拭いを乗せている。
そして、ひまわりを氷漬けにした当の張本人は少し離れた場所で、トンボを追いかけて嬌声をあげている。
「……なにこれ」
手負いの獲物を追ってきたつもりだった風見幽香は、そのあまりに平和な光景に思わず気の抜けた様子で呟いた。
やがて、トンボに撒かれたチルノが風見幽香に気づいて、そそくさとグロッキー状態の紅美鈴に駆け寄る。
「めーりん、めーりん。ゆーかが来たよ」
助けを求める風でもなく、ただ来客を告げる口調。
あれだけ痛めつけたのに、もうその恐怖を忘れたのかこの氷精は。
「あ゛ー……」
チルノの呼びかけに応じて、手拭いの端をちらりと上げる。よく見ると、手拭いは濡れていた。
「お待ちしてましたー……」
「犯人は犯行現場に戻るって言うけど……」
すっかり毒気を抜かれた様子で、ため息をつく。
「これだけ堂々としてるのは、褒めればいいのかしらね。それとも舐められてると思った方がいいのかしら」
「いやいや。貴方をお待ちしている間に、日に中っちゃいまして。あはは、面目ない。貴方の最後の一撃がなければ、もう少し逃げられてたかもしれませんが」
手拭いを取り去った紅美鈴の顔は酷いものだった。顔色が悪いだけではない。目の下に黒い隈ができて、落ち窪んでいる。
風見幽香はその首筋に、閉じた白い傘を押し当てた。
「……その弱りざまを見せれば、私がほだされるとでも思った? だとしたら――……?」
話の途中で、割り込んできた者がいた。
チルノだ。
紅美鈴の首筋に押し当てられた白い傘を両手で押しのけ、二人の間に割って入って両手を広げる。
きっと自分を睨みつける蒼い双瞳。
風見幽香は傘を肩に担いで、ため息をついた。
「……ほんと、舐められたものね。誰がこの騒動の原因だと思っているのかしら。もう我慢ならないわ」
無造作に傘を振り上げ、小さな背中に友人を守る妖精に振り下ろす。
「とりあえず、一回休みなさ――」
言葉と動きが止まったのは、チルノが顔をそむけてぎゅっと目を閉じてもなお逃げなかったからではない。
紅美鈴が立ち上がったからでもない。
立ち上がった紅美鈴が『こちらに背を向けていた』からだった。
今だ癒え切らぬはだけた背中を午後の日差しに曝し、守るべき小さな友人と、倒すべき敵に背を向けて何をしようというのか。
そして。
最前の弱りきった様子が嘘のような、腹に響く咆哮が空気を震わせる。
最高に気合のこもったその声に、風見幽香は大地が揺れたような錯覚さえ覚えた。
「……貴方は……!」
それは強者ゆえの迷い。
感情を優先させてチルノを消すべきか、自分を背中越しの気合で威圧しようとしているこの小娘妖怪を先に倒すべきか。
どちらが先でも自分の優位は変わらない。どちらが先でも結果は変わらない。どちらも風見幽香の前には同価値。
だからこそ、どちらを先にすべきかを決めかねた。
たとえここで反撃を受けたとしても、痛痒に感じないという自信があるからこそ、どちらを先にするかを迷った。
その隙が、紅美鈴に勝ちを決定付けた。
「破ぁっ!」
裂帛の気合とともに繰り出された右手刀が、『ひまわりを閉じ込めた氷の底部を』切り払った。
「な……」
数十年物の杉の木ほどの太さのその氷塊が、手刀の跡を追って割れてゆく。
てっきり自分に対して攻撃してくるものだと思っていた風見幽香は、その意味不明の行動に呆気に取られた。
「なにをしているの、貴方!!??」
「あ、あたいの氷が!?」
チルノも呆気に取られている。二日に渡る真夏の太陽の熱と光に耐え続けた氷塊が、一閃で砕かれたのだ。
手前に倒れてくる氷塊を、振り返った紅美鈴は右手一本で支えた。
「――風見幽香さん。このひまわり、紅魔館でいただきます」
「は?」
「花はあるがままに咲くのが一番の幸せです。でも、私たちの勝手でそれが叶わぬならば、やはり愛でてもらえるのがいいと思うんですよ」
紅美鈴は酷い顔のまま自らの頭上、氷柱が傾いたおかげでうつむき加減になった大輪の太陽の花を愛おしげに見つめた。
「この子はチルノちゃんのおかげでこういう有様になってしまったわけですけど、この姿にはこの姿の愛で方があると思うんです」
「氷漬けのひまわりに、愛で方がある? ……確かに物珍しいかもしれないわね。でも、それで氷精の罪が軽くなるわけではないわ」
「幽香さん」
紅美鈴は、今だ怒気を隠さない風見幽香の目を真っ直ぐ見据えた。
「貴方の望みは、チルノちゃんをいじめることではなく、躾をすること……ですよね」
「そうよ」
「躾というのは、花を凍らせたりしないことですよね」
「ええ」
「チルノちゃん」
呼びかけられたチルノは束の間紅美鈴を見上げ、頷いた。
「……うん」
二、三歩、前に進み出たチルノはぴょこんと頭を下げた。
「ごめんなさい」
再び、風見幽香は呆気に取られる。
「え? ……あ? ええ?」
「めーりんが教えてくれたの。ひまわりって、太陽に向かって負けないぞって咲くのがさいきょーにかっこいい花なんだって。あたい、そのじゃまをしちゃったんだね。わるいことしちゃった。もうこんなことしない」
「………………」
理解不能の体でチルノと紅美鈴を交互に見やる風見幽香。
「とりあえず、ひまわり限定ですし、いつ忘れるかわからない約束ですけどね」
空いている左の肩をそびやかして、苦笑する紅美鈴。
「でも、わかってもらえましたよ。これで勘弁願えませんか」
「………………」
風見幽香の視線が、紅美鈴に固定された。探るような目つきで、じっと見つめ続ける。
「……勘弁しない、と言ったら?」
「お手上げです。好きにして下さい」
あはは、と困り顔で笑いながら、空いている左腕を挙げて万歳をする。
「なにしろ、今の私にはもうこの氷柱を紅魔館に持って帰るだけの体力しかありません。今ならちょこまかとも動けませんし、好きなだけ虐めていただいて結構ですよ。ただ……できたらチルノちゃんは勘弁してあげてほしいですね。なんとか」
「いいわ。望み通りにしてあげる」
傘を下ろし、踏み出す。
「ま、待って! めーりんはあたいが――わうっ」
紅美鈴を守ろうと道を塞ぐチルノの頭をわしづかみにして傍らへぽいっと放り出し、目を閉じてその時を待つ紅魔館の門番の前に立つ。
風見幽香の左手が上がり――氷柱を支えた。
「え?」
右手から重みが消えたことに戸惑い、目を開ける紅美鈴の前で風見幽香はその氷柱を軽々と肩に担いでいた。
「風見幽香さん……? あれ?」
「幽香でいいわよ、紅魔館の門番さん。言ったでしょ、貴方の望み通りにしてあげるって。これを赤い洋館まで運べばいいのかしら」
「え、あ、はい……でも、どうして……」
駆け戻って来たチルノが紅美鈴の右足にしがみつく。
踵を返しながら風見幽香は、涼しげに笑った。
「私が好きなのは弱いもの虐めなの。それだけ」
大人の男よりも重たい氷の柱を担ぎながら、まるでその重さを感じさせない足取りで歩き出す。
夕刻を知らせる一陣の涼風が、その緑の髪を揺らした。
―――――― *** ――――――
時刻は酉の刻(20時)。
三人はようやく紅魔館に戻って来た。
門番不在の門を抜け、紅美鈴が館の正面扉を開く。
「すみません、紅美鈴ただいま帰りまし――」
正面扉を入ってすぐの玄関ホールに、人影があった。
銀髪のメイド長十六夜咲夜。
「あ、咲夜さ――……いえ、メイド長。すみません、勝手に持ち場を……」
「遅かったわね」
咄嗟に頭を下げて謝る紅美鈴の頭上に降ってきたのは、メイド長の声ではなかった。
「……お嬢様!?」
勢いよく頭を上げて、声の出所を見やる。
正面階段の最上段に、紅魔館の主レミリア・スカーレットの姿があった。
薄いピンクのワンピースドレス、赤いリボンをあしらった帽子。背中では蝙蝠のような漆黒の羽がパタパタ動いている。
チルノと変わらぬ年頃の容姿を持つ吸血鬼の少女は、愉快げに微笑んでいた。
「敷地内でお客様に荷物を持たせるなんて、なってない門番ね。早くお預かりしなさい。――咲夜、命じておいた物は用意できてる?」
「はい、ここに」
そう言ってメイド長が階段の陰から引き出してきたのは、金だらいだった。
かなり口径の広いもので、人が一人悠々と中に立てる。
「え?」
「なに?」
「?」
怪訝そうな三人と一緒に、一階まで空中を飛んで降りてきたレミリア自身も顔をしかめていた。
「ちょっとちょっと、咲夜。いくらなんでも、それはないんじゃないの?」
完璧に瀟洒なメイド長は、不満げな主に完璧な角度で頭を下げた。
「申し訳ありません、お嬢様。魔法の森の道具屋まであたりましたが、ご要望の大きさの器はこれしかありませんでした」
「え〜……せっかく素敵な花を飾るのに、器がそれって……なんとかしなさいよ」
「はい。人里の陶器屋に発注しておきましたので、近日中には必ず」
「……しょうがないわね。ほら、メイリン。持ってきてもらったお花はこれに生けて」
命じられた紅美鈴はしかし、戸惑う。
「はぁ……でもお嬢様、どうしてこのひまわりのことを」
「私を誰だと思っているのかしらね。ほらほら、さっさと命じられたことをなさい」
「は、はいっ。幽香さん、ありがとうございました。……チルノちゃん、手伝って?」
「おー」
紅美鈴が風見幽香からひまわり入りの氷柱を受け取り、チルノとともに咲夜のところへ移動するのと入れ替わりに、レミリアは風見幽香の前に立った。
見上げる吸血鬼と、見下ろす花の大妖怪。
「うふふ、お初にお目にかかるわね、風見幽香。私はレミリア・スカーレット。ようこそ紅魔館へ」
ドレスの裾を摘み持ち上げて挨拶をする。
風見幽香も返礼に頭を下げた。
「名前だけは聞いたことがあるわ。スペルカード戦で退治された最初の異変首謀者ね」
「光栄だわ、貴方のような幻想郷の古株にも知ってもらえているなんて」
「新ざ……――」
風見幽香はふっと皮肉げな笑みを浮かべ、何かを口走ろうとしたが――ふとチルノと二人して金だらいに氷柱を固定している紅美鈴の姿を見て、口を閉じた。
「そうね。どうやら今日は招かれたようだから、無粋なことはやめておくわ」
「賢明ね。……でも、メイリンに何かあったら、今頃紅魔館が総力を挙げて貴方と戦っていたところよ」
「あらあら。それはそれで楽しそうだけれど……」
あながち口だけでもないそぶりの笑みは、先ほど紅美鈴とチルノに向けたものとは明らかに違う。
しかし、すぐにその攻撃的な笑みもなりを潜めた。元の微笑に戻る。
「でも……主思いのいい部下を持ったわね。レミリア・スカーレット」
「あら、お褒めに与り光栄だわ。なにかあったのかしら?」
「知っているんじゃないの?」
まさか、とレミリアは肩をすくめる。
「私が視たのは、貴方たち三人がここに立つ運命よ。過程は知らないわ。介入もしていないし」
「ふぅん……。じゃあ教えてあげるわ。門番さんは、こんなことを言っていたの」
―――――― *** ――――――
太陽の畑から、紅魔館へ戻る道中。
発端は、チルノの一言だった。
「でもさ、なんで氷漬けのがいいの? ふつうに生えてたほかのひまわりでもよかったじゃない」
先を歩く風見幽香は、黙って聞き耳を立てていた。
確かに、チルノのしてしまったことの尻拭いという意味で持ち帰るだけではないような気はしていた。
紅美鈴がほしかったのは、ただのひまわりではなく、この氷漬けになったひまわりなのだろう。そこの意思ははっきりしている。
でも、なぜなのか。
紅美鈴は、しばし唸って迷うような素振りを見せた。
「……ええとね。太陽の畑ってすごくきれいだと思いませんか、チルノちゃん。お友達に見せてあげたいくらいに」
「うん。あそこでかくれんぼとかしたら、なかなか見つからなさそう!」
「あー……それはやめといた方がいいかな。ひまわりさんを傷つけてもいけないし」
紅美鈴の苦笑を背中に感じて、風見幽香も思わずつられて微苦笑を浮かべていた。
「あ、そっか。……ちぇー、残念」
「ともかく、私もお嬢様に――あ、紅魔館の一番偉い人にね、見せてあげたいと思ったんです。でも、あの方はお昼間には外へ出て来られないので」
「どうしてー?」
「吸血鬼という種族なんですよ。吸血鬼というのは、太陽の光を浴びると灰になっちゃうんです。だから、昼間は家から出られない。かといって、太陽の畑のひまわりをいくらか分けてもらっても、普通のだと数日でしわしわになっちゃうし、夜のひまわりは……それはそれできれいだろうけど、やっぱり日の下に咲くひまわりを見てほしいし」
「へー、なるほど。それで、氷漬けのひまわりをもってかえるのね」
「玄関ホールにね、天窓があるんですよ。その下に生けて、天窓から光を入れれば、お嬢様でも太陽の下に咲くひまわりを間近で見ることができると思うんです。それに、この状態なら長く見てられるし、珍しい物好きのお嬢様も満足していただけるかな、と思ってね」
「……あなた、紅魔館の庭を手入れしているんでしょう?」
風見幽香は振り向くことなく、歩きながら訊ねた。
「そこで育てるという考えはないの?」
「あはは、お嬢様が赤い色が好きなもので……庭には赤い花をつける草木しか植えさせてもらえないんですよ」
「難儀な主ねぇ」
「ふふ。でも、そのひまわりのように雄雄しく、強く、優しく、大きな方ですよ。我が儘はご愛嬌です」
ちらりと振り返った風見幽香は思った。
そう言う紅美鈴の表情こそひまわりのようだ、と。
―――――― *** ――――――
紅魔館、玄関ホール。
金だらいに生けたひまわり氷柱が安定するよう、紅美鈴とチルノと咲夜が奮闘している。
氷柱の高さに対して、金だらいではいまいち安定しないようだ。
少し離れた位置に立つ咲夜が角度について細かい指示を飛ばしているものの、細かい作業の苦手なチルノが氷を追加するたび、氷柱の角度が大きく傾ぎ、紅美鈴があわてて立ち位置を変えて支え直している。
そんな騒動を少し離れた場所で見つめる、紅魔館の主と太陽の畑の主。
「……そう。メイリンがそんなことを、ね」
組んでいた腕を解き、照れくさそうに頭を掻くレミリア。
「もう、そんな話を聞いたら余計にあの子を処罰しにくいじゃない」
「元々そんな気もないくせに」
ぴしゃりと突っ込んで、心地よさげに笑みを刻む風見幽香。
「ま、気まぐれな私の気まぐれなプレゼントよ。見飽きたら門番さんに言って、私を呼んで頂戴」
「貴方を? なぜ?」
「氷を砕いて、あの花の命を少しだけ進めてあげる。そうしたら種ができるわ。その種を庭に蒔けば、次の年の夏にはあの子の子供たちが大輪の花を咲かせてくれるでしょう」
「……庭は赤で統一しておきたいんだけど」
「だからよ」
うふふ、と含み笑いを残して風見幽香は踵を返す。
玄関へと歩きながら、上体だけをひねるようにしてレミリアを見やる。
「門番といい、主といい、私を誰だと思っているのかしらね? 氷柱のひまわりも、赤い庭に咲くひまわりも、嫌がらせに決まってるじゃない」
「庭の件はともかく……あれも?」
レミリアは再び腕を組んで、怪訝そうに氷柱のひまわりを見やった。
ひねっていた上体を戻し、そんな吸血鬼に背を向けて風見幽香は続ける。
「貴方がここで見るのは、ただのひまわり。一本のひまわり。でも、あの子が生きていたのは、燦燦と降り注ぐ太陽の下、彼方の稜線まで続くひまわりの絨毯、その一角。あの氷柱のひまわりを見るたび、それを想像するがいいわ夜の王。貴方が決して見られない、でも貴方の可愛い門番は見た、その圧倒的な光景をね」
左手をひらひらさせながら、玄関から出てゆく風見幽香。
レミリア・スカーレットはその背中が消える寸前、答えた。
「……いつか、お邪魔するわ。日中に」
返事は、なかった。
―――――― *** ――――――
おまけ。
結局、いつまで経っても角度の決まらない氷柱は、レミリアの鶴の一声で床ごと凍結させることになった。
その件について紅魔館+αの皆さん、一言。
紅美鈴:「……氷柱の土台に金だらいまで氷漬けなんですがそれは」
チルノ:「あたいの力じゃないとこていできなかったなんて、やっぱりあたいったらさいきょ−ね!」
咲夜:「氷が溶けるから玄関ホールがずっとびしょびしょになりそうですね……お掃除どうしようかしら。はぁ」
レミリア:「細かいこと言ってんじゃないわよ、咲夜」
フランドール:「なんか壊し甲斐ありそうなものが出来たけど、壊していいの? だめ? ちぇー、ケチー」
パチュリー:「図書館から出ないからどうでもいい」
小悪魔:「もう一ついただいてきて、図書館の中にも飾りましょうか。え? 湿気るからだめですか? とほー……」
霧雨魔理沙:「ひまわりの氷漬けとか、涼しいんだか暑苦しいんだかわからない」
フランドール:「あ、魔理沙だ」
咲夜:「――ちょっと貴方、招いた覚えはないんだけど!?」
紅美鈴:「あれ、いつの間に」
チルノ:「あたいといっしょに入ってきたよ?」
咲夜:「門番なにしてるの!」
紅美鈴:「私ですかぁ!?」
咲夜:「紅魔館の門番が、貴方以外に誰がいるのよ!」
紅美鈴:「はい、そうでした」
咲夜:「さっさと追い出しなさい!」
霧雨魔理沙:「出ろと言われて出る奴はいないぜ。ここは押し通る! 弾幕ごっこ、行くぜ!」
紅美鈴:「紅美鈴、迎撃します!」
咲夜:「埃が立つから外でやんなさいー!!」
レミリア:「ひまわり壊すなよー」
パチュリー:「小悪魔、図書館への侵入阻止防衛結界起動! 早く!」
小悪魔:「は、はーい!」
フランドール:「めーりんの次、わたしねー」
チルノ:「じゃあ、あたいもやろっかな」
霧雨魔理沙:「おいおい、なんかEXTRAモードよりもハードになりそうだな」
―――――― *** ――――――
おまけその2
この件の翌日以降、風見幽香はかなりの頻度で紅魔館を訪れ、紅美鈴の手入れした庭を見ながら館の住人と談笑するようになった。
そのため、紅美鈴の嘆願とレミリアの許可により、彼女の出入りに関して庭までは紅美鈴の判断で顔パスしてよいことになった。
しかし。
そのおかげというべきか、どうも訪問時に色々仕込んでいったらしく、次の春、庭が(色彩的に)かなりカオスな状況になり、レミリアが怒るやら紅美鈴が青ざめるやら風見幽香が含み笑うやら、えらいことになったのは――また別の話である。
結論(という名のオチ):紅魔館はいつも騒がしい。
END