小説置き場へ戻る   ホームへ戻る   後編へ移動する


 東方二次創作 -太陽に立ち向かう花- 前編


 ※警告! 本作品は以下のものを含んでおります。
 1.東方project(原作・上海アリス幻樂団)の二次創作もしくは三次創作?です。
 2.作者は『東方紅魔郷』の体験版と『東方星蓮船』しか遊んだことがありません。(しかも未クリア)
 3.その他の知識は、ほぼネットから掻き集めています。(二次創作が知識の元なので三次創作かも)
 4.キャラの解釈とか強さとか口調とか考え方とか世界観については、マサボン独自の解釈です。
 5.あくまで私の好きなキャラ三名を絡めて話が作りたかっだけです。
 6.以前、どこかの掲示板で東方ものは二度と書かないと言ったな? ……………………あれは、ウソだ。
 7.(野太い悲鳴)
 ……以上のことを了解の上で、読み進めてください。



 風見幽香(かざみ・ゆうか)は――『大』をつけられるほどの妖怪である。
 彼女が幻想郷に来たのがいつのことか、誰も知らない。
 彼女がどこから幻想郷に来たのか、誰も知らない。
 そして、彼女が何を考えているのか、誰も知らない。

 ただ。

 一部の書籍や報道(信憑性は低いが)、人口への膾炙により――
 彼女が人の身では、例え束になろうとも抗いがたい危険な妖怪であることは知られている。
 彼女が妖怪でさえ恐れる存在であることは知られている。
 彼女が季節の花を愛でていることは知られている。
 彼女が白い傘を愛用していることは知られている。
 彼女が『太陽の畑』と呼ばれるひまわり咲き誇る丘に棲んでいることは知られている。
 彼女が時折、人里に出没しては花屋の主人とにこやかに談笑していることも、わずかにだか知られている。
 彼女が気まぐれで、わがままで、こちらの言いなりどころか思惑にさえ乗ってこないことも、よく知られている。

 その他、案外優しいとか、どこに怒りのツボがあるかわからないとか、ド親切だとか、究極的に他者を攻撃する生物だとか、可愛いものに弱いだとか、笑顔で腕をへし折るだとか、それで苦しむさまを極上の恍惚で見つめているとか、農業を営んでいるだとか、激高するとすぐ元祖マスパを撃つだとか、実はシャイで人見知りが激しいだけだとか、蛍の妖怪と仲が良いとか、鈴蘭畑の毒人形妖怪と仲が良いとか、湖の氷の妖精と仲が良いとか、人形使いの魔法使いと仲が良いとか、幻想郷で一番強いのは自分であると証明しないと気が済まない戦闘狂だとか、昔博麗の巫女に退治されたことがあるとか、魔界へ攻め込んだことがあるとか、実は翼が生えているとか……そういう話もまことしやかに囁かれているが、確かめた者はいない。

 それと知っていれば、目を合わさず――否、彼女の視界に入る前にとっとと姿を消すべき。
 彼女の棲まう場所には近づいてはならない。
 そもそも彼女とは関わってはならない。

 風見幽香は、幻想郷ではそういう存在だった。

 ―――――― *** ――――――

 チルノは氷の妖精――『氷精』である。
 吸血鬼が住まうという赤い洋館の建つ湖近辺を根城とし、妖精らしく日々を気ままに遊んで暮らしている。
 蛙を凍らせたり、仲の良い妖精・妖怪とまるで人里の子供のようにかくれんぼや鬼ごっこに興じ、時折、近辺に近づく迂闊な人間・妖怪・妖精(時には神様もという話もある)相手にいたずらを仕掛け、その慌てるさまを見ては腹を抱えて笑ったりしている。
 外見は他の妖精と変わらぬ十歳程度の元気少女の姿。
 しかし、氷の精に相応しい薄青い髪、後ろ髪を大きなリボンで結び、白いブラウスと薄青いワンピースを身にまとう彼女の背中には、六柱の氷そのものの羽が浮いている。

 その日、チルノは一人だった。
 彼女が一人でいる時の定位置とも言える湖畔の岩の上に腰を下ろし、足先に触れる程度の湖面を凍らせて靴を濡らさないようにしつつ、足をぶらぶらさせていた。
 仲の良い妖精や妖怪たちは、まだ顔を見せておらず、いずれ来る彼女たちと今日はどんな遊びをするのか考えつつ、湖面を見つめるその瞳は髪の色と同じ薄い青。そして、その表情にはなぜか自信が満ち溢れていた。
「さ〜て、今日も暑くなりそうだし……どこでなにを凍らせてやろうかしら」

 そう。時は夏。

 いたずら心のみが行動原理たる妖精は、おのれの能力を使って遊ぶことしか頭に無い。
 一部書籍では普通の妖精より強い力を持つと言われる彼女でさえ、それは変わらない。
 そして。
 人間や弱い妖怪にとってそのいたずらは時に命を奪われる危険があるものだが、彼女たちにその自覚は無い。いたずらで命を落とすなら、それは弱い側が悪いのだ。むしろ、楽しませてくれないなんてひどい、と考える。だから、妖精は好かれてはいない。
 また一部の強い妖怪にとっては、妖精のいたずらごときは目ざわり程度のもので、例えその被害を受けてもほとんどは特に目くじらを立てもせずに無視を決め込むものだが……中にはそうでない者もいる。
 人間であろうと妖精であろうと妖怪であろうと、そして――おそらくは神であろうとも、自分の前では平等な価値(無価値を含めて)しかないと考える者。
 自分の存在、自分の感情、自分のものと考えるありとあらゆるものを害する者に対して、一切の容赦をしない者。

 チルノは、そういう者を敵に回してしまった。

 ―――――― *** ――――――

 ふとチルノは振り返る。
 どこから現れたのか、背の高い少女が少し離れた木陰にたたずんでいた。
 年の頃は『少女』と『女性』の重なり合う程度の時期に見える。チルノからするとかなりお姉さん。
 白い傘、緑のショートカットの髪、赤地に黒ラインが走るチェック地の上衣と丈の長いスカートに白いブラウス。
 胸元を飾る黄色いリボンネクタイが、木立の間を吹き抜けた一抹の涼風に揺れる。
 木陰に傘の影が重なり、その表情は伺えない。
 いや、口元だけはかろうじて見える。微笑んでいる――ここからも見える、赤い洋館の前にいつも立たされている、紅く長い髪で緑の服を着た少女のように。
 だが、チルノはその笑みと窺いえぬ傘の影の中に、何かを感じた。
 背中に走るおかしな感触に戸惑い、つい声を出しそびれていると、白い傘の少女から口を開いた。
「……チルノね? 花の異変の時以来ね、お久しぶり……と言っても、憶えているのかしら?」
 言われて、チルノは思い出す。いつかどこかでこの少女に会ったことがある気がするのを。……あくまで『気がするだけ』であって、彼女のことを思い出したわけではないのだが。
「だれ?」
「風見幽香よ」
 日常的に会っているわけではない者の名を、妖精が憶えているはずもない。
 チルノは小首を傾げて、知らない、と答えた。
 傘の少女――風見幽香は口元の笑みを絶やさない。
 チルノは――妙な感覚は続いていたが――その笑顔に気を許して、つい呼びかけてしまった。
「で? ゆーか? あたいになにか用? いっしょに遊ぶ? まだだれも来てなくてつまんなかったんだ」
「いいわよ」
 そう答えた風見幽香の笑みは、一層深くなったように見えた。チルノの背筋を走る奇妙な感覚が、また強くなる。
「でも、その前に聞きたいことがあるんだけど。いいかしら?」
「なに?」
「いくら妖精でも、昨日のことぐらいは憶えているわよね?」
 途端に、チルノは眉根を寄せて岩から降りた。腕組みをして胸を張る。
「あたいをバカにするな! それぐらいおぼえてる!」
「それはよかったわ。……チルノ、あなた昨日『太陽の畑』に来たわよね」
「知らない」
「………………」
 間髪入れぬ返答に、風見幽香は小首を傾げてしばし黙り込む。
 そして、小さくああ、と呟いた。
「丘一面にひまわりがいっぱい咲いているところよ」 「それならあたい、知ってる!」
 初めて通じた話に、チルノは顔を輝かせた。
「きのう見つけたの! ほかのみんなはなんだかこわがってたみたいだけど、あたいはさいきょうだからね! ぜんぜんこわくなんてなかったよ! そこはひまわりがむこうまでい〜っぱい咲いててね、すっごく高くて、くきがこんなに太くて、そう、さわったらトゲトゲしてた! それで、それでね、花とか葉っぱとかあたいの顔よりでっかくてさ――」
「そのひまわりを、凍らせたのはあなたね?」
 身振り手振りを交えたチルノの自慢を遮ってぴしゃりと告げた風見幽香の一言。
 尋常な神経を持つ者なら、その一瞬空気が凍りついたように感じたかもしれない。
 しかし、氷の妖精にその感覚を求めるのは無理がある。彼女は、チルノは、これまで常に凍らせる側であって、凍らされる側に回ったことは無いからだ。
 だから、チルノにその空気は一瞬の違和感としか感じられなかった。
 そして、妖精はそんな一瞬の違和感などに気を回したりはしない。
「そうよ!」
 さらに得意げに、残酷なまでに無邪気に、チルノは答えた。
「背が高いし、そのうえ日ざしも強かったからね。冷やしてあげようと――」
「もういいわ」
 再びチルノの自慢話を遮って、今度は一歩進み出る。
 同時に、チルノは我知らず一歩下がっていた。
 一瞬遅れてそのことに気づき、自分の足元を見やる。
「………………? あれ? あたい、いまなんで……?」
 背筋の奇妙な感覚が消えない。いやむしろ強くなっている。もはや無視しがたいほどの強さ。体が震えそうだ。
 ことここに至って、ようやくチルノは思いを巡らす。
 この感覚、ずっと知らない感覚だと思っていたこれは……ひょっとして、『こわい』という感覚なのか?

 いや。
 チルノは首を振る。
 一歩一歩進み出てくる目の前の少女は笑っている。
 いたずらを見破った霊夢や魔理沙みたいに怒っているわけではない。こわさを感じる理由がない。
 だって、笑うのは楽しいからで、楽しいってことはこわいこととは反対だもの。
 それに。
 あたいはさいきょーだもの。こわいなんて思わない。
 思ったって、こんなゾワゾワしたことなんてない。こわいってのはもっとがーっときて、どわーっとなって、ひょーっとなるもののはずだもの。

「……さっき遊んであげるって言ったわよね。弾幕ごっこ、してあげる」
 チルノが困惑している間に数歩先まで近づいてきた風見幽香は、チェックの上衣の内ポケットから数枚のカードを取り出した。
 それを見て、チルノはまなじりを決した。
 戸惑いも吹っ切れる。
 売られたケンカは買う。そして勝つ。それが『さいきょー』のあたいにかせられたしめい。
 だんまくごっこでゆーかに勝てば、このへんなゾワゾワもきえる。はず。
 それに、それに!
「うけてたーつ!」
 まるで人里の少年がメンコ勝負を挑まれた時のように、チルノは不敵で楽しそうな笑みを浮かべ、薄青いスカートのポケットから風見幽香と同じように数枚のカードを取り出した。

 そうよ、だんまくごっこはどんないたずらよりも楽しいもの!

 ―――――― *** ――――――

 無知は罪。
 だが、チルノがそれを理解することは無いだろう。
 その命が一度自然に返る瞬間でさえ。それが妖精というものだ。

 そして。
 相手が最期まで理解しないであろうと知っていてさえ、攻撃の手を緩めない者――風見幽香はそういう妖怪だった。

 ―――――― *** ――――――

 紅美鈴(ほん・めいりん)は紅魔館の門番である。
 長い赤髪、唐人風の緑の衣服、緑の帽子を頭に載せて、今日も門前に一人立っている。
 年の頃は十代後半の少女にしか見えないが、実のところ妖怪であり、年齢はその外見どおりではない。
 ただし、彼女は幻想郷に多く棲む正体の知れた妖怪ではなく、空が飛べたり、弾幕を放つ程度のことが出来る並みの妖怪にすぎない。
 噂では龍の化身だとか、妖怪化した鈴だとか、大熊猫が変化したものだとか、ナマケモノの化身だとか、妖力を手に入れた武芸者の成れの果てだとか、色々囁かれているが誰もその正体を知らない。
 ある意味、最近人里にできたお寺に棲むという正体不明を売りにしている妖怪『鵺(ぬえ)』より(種族としての名前が分らないと言う意味で)正体不明である。
 そしてまた、誰もその正体不明を暴こうとしないと言う意味で、実は『鵺(ぬえ)』より正体不明へのステルス度が高いのかもしれない。

 とはいえ、彼女自身の名前はある程度知られている。
 一部書籍による紹介にもあるように、門前で眠っていたり、奇妙な踊りを踊っていたり、拳法の達人らしいので腕自慢の挑戦を受けていたり、人里へ買出しに来たり、氷精や妖精、小妖怪たちと遊んでいたりする姿を度々見られているからである。
 また、道に迷って紅魔館門前にたどり着いてしまった人を、親切に人里近くまで送っていったなどという逸話も多数ある。
 人間より人間くさい妖怪。およそ胡散臭さの感じられない妖怪。
 幻想郷でもとりわけ異質な異国情緒に溢れた紅の洋館に住む、人ならぬ者達への畏怖を和らげている要素の一つが、彼女の存在であることは明白であろう。

 そして今日も、彼女は門柱に背を預け、目を閉じる。

 ―――――― *** ――――――

<紅美鈴独白>

 シエスタである。邪魔をしてはいけない、とものの本には書かれてしまったものの、実際のところ本当に眠ってしまったことはそんなにないんですよ。
 ええ、まあ、確かにね。
 確かに、春とか秋の小春日和とかの陽気には抗いがたいものがあるし、でもそれは人妖関わらず誰でもそうだろうし、ほんの、ほんの時たま負ける時もあるにはあるけど……今は盛夏です。
 午前中とはいえ、気温は絶賛赤丸急上昇中。すぐに日差しは肌を焼く鋭さを増し、道端は白く輝いて眩しく目を射ることでしょう。
 こんな条件の中で眠れる自信は……いえまあ、体が資本の妖怪の端くれですから正直これぐらいなら別に眠れないことはないですが、今日のところは眠りたいとは思っていません。今の時点ではね。はい。
 それでも目を閉じるのには、ちゃんとした理由があるんですよ。
 無論、眠るためではありません。違います。違うんですったら!
 視覚情報を遮断し、『気』を感じることに集中するためなんです。
 口はぼったい話ですが、私、紅美鈴は、『気』を操ることに長けていると自負しています。多分、幻想郷でもトップクラス。だと思います。……だといいな。他に得意って方の話は聞かないし。
 話を戻して。
 『気』を操るためには、まず『気』を感知できなければ話になりません。これ、基礎の基礎。
 そして、紅魔館の門番が私一人に任されているのは、この広大な敷地と周囲から近づく人妖の『気』配を同時に感知し、把握できるのが私以外にいないからに他なりません。
 ……いや、ほんとはパチュリー様なら魔法で何とかできますけどね。
 でも、基本そういうことには力を割きたがらない方だし、紅魔館の主であるレミリアお嬢様のご親友で、客分の方がする仕事でもないし。
 それに、以前ご本人から聞いたことがあります。
 魔法で一定範囲内にいる人妖を、その意思レベルで選別するのはとても難しいのだと。
 術者に敵意を持つ者を排除することぐらいなら簡単だけど、心はどこで変わるかわからない。魔が差すということだってある。
 そして、パチュリー様に敵意を持つ者だけを排除しても意味がない。紅魔館に住まう方々皆を守る必要がある。けれど、実はこの館には主に敵意を持ちかねない方もおられる(しかもそれが実の妹だというのだから……)のだから、その条件は複雑怪奇。状況は刻一刻変わってゆく可能性も高いし、その度に魔方陣とやらも作り直さなければいけない。
 そんな労力を続けるくらいなら、広域を感知して、その場その場で状況を判断できる私の能力の方が適任なのだそうです。
 ……面倒避けに上手く言いくるめられた気もしないでもないけど。
 でも、これはつまり、あのパチュリー様がご自分の魔法より、私の方が役に立つと言ってくれたようなものですから、私はがんばらなければなりません。

 ………………。

 今日は霧雨魔理沙を止められるかなぁ。



 いけませんね、また話がずれてしまいました。
 ともかく、こうして目を閉じて紅魔館の敷地周囲の気配を探っていると……ほら、色々わかるんですよ。
 正面から妖精たちが数人、近づいていますね。
 これはまあ、放っておいてもいいでしょう。万が一敷地内に入っても、それほど害にはならないでしょうし。庭にいる紅魔館雇いのメイド妖精が排除してくれる……かな?
 館の中では……パチュリー様はいつもどおり図書館におられますね。移動しているけれど、あんまり活発な気を感じないということは、今起きられたのかな? それともこれから寝るところかしら?
 おっと、東の敷地の境界近くに獣の気配がありますね。この大きさは鹿かな?
 む、屋敷の裏手に妖怪の気配? これは……宵闇の妖怪ルーミアですね。ふらふら移動しているということは、何か獲物を探しているんでしょうか。東の鹿に気づかれたらとられちゃうな。後で捕まえて、咲夜さんに引き渡そうと思ってたのに。
 ま、仕方ないか。

 こんな感じで、私は寝ているように見えて実は敷地とその周辺の動向を常に探っているんですよ。
 この能力があれば、この周辺で道に迷っている人だってあらかじめ――あれ?
 何でしょう、この……これ。
 この気配……湖の方……向こう岸……?
 そんなところからここまで伝わる気配ですって? そんなの、只者じゃない。
 これは……お嬢様にも匹敵する、いや、ひょっとしたらそれ以上の魔力の気配……?
 やばい、冷や汗が出てきた。
 でも、その切っ先が向けられているのは……――この感じ、チルノちゃん!?

 いけない!

 ―――――― *** ――――――

 焦りに表情を引き締めた紅美鈴が紅い髪をなびかせて地を蹴り、空へと飛び出す。
 向かう先は湖の向こう岸。

 その姿を館の中から見ていた者がいた。
「……美鈴が門を放り出して飛び出して行きましたわ、お嬢様。後でお仕置きしなきゃですわね」
 紅魔館のメイド長十六夜咲夜が、少し眉をひそめて報告をする。
 しかし、その主『永遠に紅い幼き月』吸血鬼レミリア・スカーレットは、着替えの手を止めずに首を横に振った。
「その必要はないわ、咲夜」
 寝巻きに着替え終わったレミリアは、脱いだ衣服を預かったメイド長に背を向けたまま布団に潜り込む。
「しかし、お嬢様。それでは示しが……」
「それより、用意しておいた方がいいものがあるわ。メイリンが帰ってくるまでに準備、しておきなさいな」
 一瞬だけ怪訝そうな顔をした銀髪のメイド長は、しかし、何を理解したのか、すぐに元の怜悧な表情を取り戻して頷いた。
「承知いたしました。それで、何をご用意しておけばよろしいのでしょう」
「ふふ、それはね――」
 布団の中で妖しく光る赤い瞳。
 幼き少女の姿をした吸血鬼は、何を期待してか楽しそうに微笑んでいた。

 ―――――― *** ――――――

 湖畔。
 チルノvs風見幽香。
 それはヘビ対カマキリよりもひどい戦いだった。
 そもそも、本気でかかれば妖精の弾幕など真正面から受け止めても一切意に介さない大妖怪である。
 チルノが強いと言ってもそれはあくまで妖精レベルの話であって、風見幽香レベルにはまさしく天と地の差がある。
 格の違う通常弾幕と必殺のスペルカードに叩きのめされ地に伏すチルノを傲然と見下ろしながら、風見幽香は薄笑いを浮かべていた。
「以前に戦ったときはこちらも手加減していたけれど……今日は手加減無しよ。楽しいかしら、おバカな氷精さん?」
「……う……」
 体を震わせながら、チルノは身を起こす。
「あたい……あたいは、バカじゃない……」
「精一杯咲き誇る花に美しさを感じられない者は、すべからくバカよ。あなたがいくら否定しようともね」
「……いってること……わかんないよ」
「ほらみなさい。バカだからよ」
 チルノが膝立ちになったところを見計らって、通常弾を飛ばす。
「……くっ、凍れ!」
 両手を突き出して、力を放つ。通常弾が連鎖的に凍りついた――次の瞬間、その氷の壁を打ち砕いて、ひまわりのような大型弾がチルノを襲う。
「うわぅっ!」
 今のチルノのにそれを避ける力はなく、大きく跳ね飛ばされて地面に再び倒れ伏した。
「……あうぅ……」
 震える手が地面を掻き、つかむ。
 それを見ながら、風見幽香は閉じた傘の先端を向ける。
「早く立ちなさいな。まだ私のスペルカードは残ってるし、あなたも一枚残しているわよね。どちらかがスペルカード全て使い終わるまでは、弾幕ごっこに終わりはないのよ?」
 そこまで言って、通常弾を一発だけ放ち、チルノの頭の横の地面に炸裂させる。
「もっとも? その最後の一枚、使う暇なんて与えないけどね」
「……う、く……」
「さあ、立ちなさい!」
 続けざまに通常弾を放つ。

「そこまでです!」
 
 緊迫した空気を引き裂く威勢とともに、空から舞い降りた紅の影一つ。
 まるで龍の尾のように長い紅の髪をなびかせ、緑の唐人風衣装の裾を翻して、両手両足の先に集めた気の塊で通常弾を防ぎ、弾く。
 風見幽香はわずかに眉を寄せ、突然の闖入者を見据えた。
 チルノを背に守り、中国拳法独特の構えをとるのは――
「……その姿、奇妙な構え方……ひょっとして、赤い館の門番さん?」
「はい! お初にお目にかかります! わたくし紅魔館の門番、紅美鈴と申します! 貴方は……そのお姿、気配から察するに、花の大妖怪・風見幽香さんとお見受けします!」
 構えを解くことなく、炯炯と目を輝かせながら問い質すと、風見幽香は傘の先を地面に突き立て、握りに両手を重ねた。
 その双眸が紅魔の門番を睨めつける。
「ええ、そうよ。私が風見幽香。……でも、どういうつもりかしら? 紅魔館では、弾幕ごっこ最中の割り込みを認めているの?」
「いいえ。これは、私の独断です。紅魔館とは関わりありません」
「そう。まあ、どっちでもいいわ」
 一つため息をつき、にんまり微笑む。獲物を前にした肉食獣の笑み。
「何がどうであれ、私の邪魔をするならまとめて叩き潰すまでだから!」
「……弱いものいじめは、もうおやめください!」
 その一言で、傘を振り上げようとしていた手が止まる。
 再び、風見幽香はため息を漏らした。先ほどの脱力するための吐気ではなく、失望の思いを吐く息を。
「確かに私は弱いもの虐めが日課だけど……これは違うわ。躾よ」
「躾?」
 今度は紅美鈴が怪訝な表情をする番だった。
「そこの――」
 傘の先が、紅美鈴の背後で顔だけ上げて成り行きを見ている氷精を指し示す。
「氷精が、『太陽の畑』でおいたをしたの。だから懲らしめて、思い知らせてやるのよ。世の中にはしてはいけないことがあると」
「……大妖怪である貴方をして、そこまで怒らせるなんて……チルノちゃんは一体貴方に何をしたんです?」
「私じゃないわ」
「貴方ではない? じゃあ、一体……」
「そこの氷精はね、『太陽の畑』に咲くひまわりを氷漬けにしたのよ。時を待ち、時ここに至って懸命に咲き誇る花を、ただのいたずらで氷漬けにして嘲笑う……いかに妖精でも許されることではないわ」
「………………。本当なの? チルノちゃん」
 紅美鈴は風見幽香への警戒を解かぬまま、背後のチルノに訊ねる。
 チルノは、上体を起こそうとしながら頷く。
「凍らせたのは本当だけど……だって、暑そうだったし……」
「チルノちゃん、お花は……いえ、生きている物は氷漬けにすると死んでしまうんですよ」
「死ぬって……一回休みってことでしょ? ……そんなの……大したことじゃ……ないじゃん……」
 いささかも悪いことをしたという思いのないその返答に、紅美鈴は唇を噛んだ。

 妖精は自然現象の擬人化である。
 ゆえに、妖精という形の終焉は死ではなく消滅といった方が近い。
 いわゆる生物的な死は、人の目にそう映るだけであって、実際はしばらくすると同じ姿かたちで復活する。
 妖精たちは、それを「一回休み」と表現するという。
 そんな身の上の妖精と、人間・妖怪の死生観は一致し得ない。
 従って――

「やはり貴方のやっていることは、弱いものいじめですよ。風見幽香さん」
 紅美鈴の変わらぬ返答に、風見幽香は気の抜けたような表情を見せた。
 すぐに表情を取り繕って言い返す。
「躾よ」
「妖精は躾けられません」
「やってみなければわからないわ」
「紅魔館でも妖精メイドを雇っていますが、躾なんて出来た試しがありません」
「あなたたちのやり方が悪いのよ」
「生と死の区別がつかない者に、どうやって死が取り返しのつかないものだと教えるっていうんですか!? あなただって、そこを理解しているから花を愛するんでしょう? たとえ同じ株から咲いた花でも、去年の花と今年の花は違う。そして来年も! それを知っているからこそ、この夏を必死に咲き誇るひまわりを凍らせてしまったチルノちゃんに怒っているんでしょう!? だけどチルノちゃんは――」
「怒っているのは確かだけれどね……躾は出来るときにしておかないと」
「だからぁ――う?」
 つい、と傘の先が動いた。チルノではなく、紅美鈴に照準を合わせる。
「何度でも休ませてあげるわよ。わかるまで」
「え……」
 傘の切っ先の向こうで、風見幽香の表情が影に隠れてゆく。その眼だけが、冷たい光を放って揺れる。
「何度休みになろうが、その度に今回の件を説明して、理解しようがしまいが、その度に休ませてあげる。謝って、二度としませんと誓うまで。復活しても忘れられないほど、その存在に深く深く刻み付けてあげる。花にいたずらをしてはいけないとね」
「………………!」
 傘の先から放たれる貫通光弾並みの怒気と殺気に、紅美鈴は思わず重心を後ろに逃がしかけた。
 周囲の気温が、盛夏の昼前だというのに下がってゆくような錯覚にとらわれる。
 心が、頭が、本能が、存在の危険を知らせている。この場から逃げろ、離れろと喚いている。
 これが、名にしおう大妖怪の威圧か。
 なるほど。お嬢様の威厳を知らなければ――紅魔館の門番でなければ、背を向けていたかもしれない。
 だが、ここは逃げるわけにはいかない。
 紅魔館の門番を任された者が、自らその背に守ると誓った対象を捨てて逃げ出すのは、あってはならない。たとえそれがお嬢様に守れとは言われていない、小さな妖精でもだ。
 一度守ると決めたものは、力を尽くして守り通す。それが門番の誇り。

 ……だから、いつだって手は抜いてないんですよ、パチュリー様。弾幕ごっこが苦手なだけで。

 危うく踏みとどまり、むしろ前のめりに重心をかける。全身から冷たい汗が噴き出していた。
「じゃあ、言い方を変えましょう。貴方のやっていることには矛盾があるんですよ」
 事態を切り開く方法を探るため、話題を続ける。
「私に? ないわ、そんなもの」
 風見幽香はかなり苛ついている。いつまで彼女を留めておけるか。なにか手を考えなければ。
「いいえ。妖精は自然の象徴。妖精のいたずらは、自然のいたずらと同義です。風に吹かれて着衣の裾が翻ったら、風を砕きますか? そんなことをする人はいない。だから、チルノちゃんのしたことは季節外れではありますけど、自然に起こりうること――」
「詭弁ね」
 聞き飽きた、とばかりに無動作で傘の先が突き込まれる。
 紅美鈴は、それを素早く躱した。
「最後まで聞いてください!」
「嫌よ。もう飽きたわ」
 次々繰り出される傘の攻撃を、俊敏な体捌きで躱し続ける。
「自然を何者かの意思の元に操るなんて出来ないんですよ! そうなったらもう自然じゃない! 躾って、そういうことでしょう!?」
「妖精には自我があり、人格がある。わずかでもものを憶え、学ぶ余地があるなら自然と同義ではないわ」
「花にだって気持ちはあるでしょうに!」
「!!」
 紅美鈴の両手が、傘をつかんで握り止めていた。その全身から、光めいたものがゆらゆらと立ち上っている。
 取るに足らない小娘妖怪と侮っていた相手に攻撃を止められたことに、風見幽香は一瞬だけ動揺を見せる。
 その隙を突くように、紅美鈴は畳み掛けた。
「私は紅魔館のお庭に咲くお花の手入れを任されています。だから、花にも心があることはよく知っています。お気に入りの花を荒らされて怒る貴方の気持ちもよくわかる。私だって、お庭を妖精メイドたちに荒らされたらとても悲しいです」
「へえ……あの洋館の住人は皆、武闘派だと思ってたけど」
 穏やかな口調ながらも、その手に力がこもり、じりじりと紅美鈴を傘ごと押し込んでゆく。
「自然か否かは自我や人格のあるなしで決めるものじゃありません。心を持つ花が自然なのに、心を持っていて自然の象徴たる妖精のチルノちゃんをそうではないと決めつけるのは、おかしいじゃありませんか。花の気持ちをわかってあげられるなら、どうしてまず彼女の気持ちをわかってあげようとしないんです!?」
「飽きたと言ってるのよ」
 ぼん、と空気が爆ぜるような音がして傘が開いた。
 思わず傘を放した紅美鈴は、三歩ほどの距離を飛び退った。
 だが、そこはもうチルノのすぐ前。これ以上は退れない。背水の陣だ。いや、背氷の陣か。
「むしろ、あなたがそこまでその氷精にこだわる理由がわからないわ。たかが妖精じゃない」
「たかが妖精じゃないです」
 最初とは違う、防御に重きを置いた構えをとり、腰を落とす。
「チルノちゃんは、確かに聞き分けがいい子とは言えないし、同じ失敗やいたずらを繰り返します。でも、言い続ければいつかはわかってくれる子です。そして、こんな暴力に屈する子じゃない」
 開いた傘の向こうから除く風見幽香の目が細まる。
「……言ってることが違うんじゃない?」
「チルノちゃんに自我も人格もあると言ったのは貴方ですよ」
「躾は出来ないんでしょ」
「友達にはなれます」
「……友達?」
 紅美鈴は頷いた。
「チルノちゃんは、友達を大事にする子です。友達のために怒れる子です。大事なことを知っています。友達として嫌だと言えば考えてくれます。……そして……チルノちゃんは私の大事な友達です!!」
「そう。美しい友情というわけね」
 傘の向こうでにっこりあでやかに笑う風見幽香。
 その笑顔のまま――
「じゃあ、あなたも同罪よ。二人仲良く消し飛ばしてあげる」
 傘を持たぬ左手でスペルカードを掲げ――それより早く、紅美鈴のカードが輝いた。
「スペルカード発動! 彩符『極彩颱風』!!」
「!?」
 凄まじい密度の、虹色の弾幕が辺りに展開した。
 その美しさに一瞬心奪われ、思わず風見幽香はスペルカードの発動を遅らせてしまった。
「この弾幕の密度……いきなり奥の手ということ!? ……くっ」
 初めて見る弾幕、そして氷の妖精とは桁違いの範囲と弾量に、流石の大妖怪・風見幽香も飛び退って距離を置く。
 そして、弾幕の隙間を踊るようにステップしつつ通常弾を放ち、いくつかグレイズしながら、弾幕の特性を見定める。
「この弾幕……美しいけれど、それだけね。弾幕密度はともかく、弾そのものの魔力も低いし、動きもさほど複雑ではない。こんなもので私を倒そうなんて、なめられたもの――」
 そこで風見幽香ははたと気づく。
 弾幕の中心に、紅美鈴の姿がない。
「どこ!?」

 ――弾幕は、それを放った者には無害である。

 だから自分自身の弾幕の中を潜り抜けるのに、いちいち道を探すことはない。
 その特性を利用し、紅美鈴は――逃げ出していた。チルノを胸に抱いて。
「ちょ……あなた!? 弾幕戦の最中に逃げるとか……あいたたっ」
 心乱され、思わず叫んだ拍子に強めのグレイズが肌をかする。
 魔力が低くとも弾幕である。命中すれば撃墜扱いとなるのがルール。
 だから、風見幽香は魔力に物を言わせて弾幕を無理に突破するわけにはいかない。
 木立の隙間から見える紅魔館の門番の背中は、刻一刻離れてゆく。
「く……この……風見幽香も舐められたものね。消し飛びなさい」
 宣言もなく、スペルカードをただ提示。
 次の瞬間、直視困難なほどの圧倒的光量を放つ極大光線が木立の隙間を抜け、逃げ行く二人の背中に襲い掛かった。

 ―――――― *** ――――――

 へし折られた木立、黒ずんだ地面。
 ぽっかりと口を開けた空間が、風見幽香の前に広がっていた。
 その先を見据える鋭い眼差しが、ふと伏せられ、その唇からと息が漏れる。
「逃がした、か。……少し手応えはあったのだけれど」
 そう呟いて、周囲に魔力を展開する。
 すると、すぐにへし折れた木立、その下の茂み、道に生えていた雑草までもが再生していった。
「ごめんなさいね。少し我を忘れたみたい。……この分も熨斗をつけて、あの子達に返してあげなきゃ。ふふ」
 そうして、ふと湖の方を見やる。その視線の先にあるのは、向こう岸の赤い洋館。
「ふ〜ん。あっちじゃないと言うことは……慌てふためいて飼い主の下へ逃げ戻った……というわけではなさそうね。この方角、なにかあるのかしら?」
 白い傘を差し直した風見幽香は、しゃなりしゃなりと歩き始める。
 逃げ惑う獲物を追い詰める森の肉食獣のように、その足取りに揺るぎなく。
「まぁ、どこに行こうと関係ないわ。見つけ出して、お仕置きをするだけ。うふふ……久々にいい暇潰しになりそう」


後編へ続く


小説置き場へ戻る   ホームへ戻る