【中編に戻る】      【目次へ戻る】   【ホーム】



The Last Hope 〜滅び行く星の果てで〜 (後編)


『バリアウォール発生装置を破壊! ……ダメです! 発生装置はもう一つあります!』
 疾る蒼き蜂に、立ち塞がる近衛円盤。
 しかし蜂の一刺しがその装甲をいとも容易く突き破り、プラズマエッジという名の毒が内部を目茶目茶に斬り刻む。
 その間に背後へ回り込んでいた三機は、振り返るなり放たれた雷撃の連射によって消し飛んだ。
 苦戦していた陸戦兵の小隊が礼を言う前に、女王蜂は再び舞い上がっていた。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 バリアウォール発生装置周辺を固める砲台の林が放つレーザーの雨に、ペイルウィングの小隊が立ち往生していた。
 瓦礫を背に身を寄せ合い、回り込んでくる近衛UFOを粒子連射砲で凌ぐ。
 そのとき、レーザーの雨が止んだ。
 振り返った隊員は見た。それまで自分たちをそこに釘付けにしていたレーザーの雨が、一人のペイルウィングに集中砲火を浴びせている様を。そして、そのペイルウィングが奇跡のような機動で、その光の雨を華麗に躱している様を。
 七色の噴射炎が二重の螺旋を描き、至近で放たれる光条があさっての方角に疾って消える。
 やがて、射程距離にまで舞い上がった蒼迅の女王蜂は、雷撃を放った。
 たちまち、炎を噴き上げ抜け落ちる砲台。
 その時、女王蜂の動きが止まった。けたたましい警音とともに両翼の端についたプラズマユニットが開き、蒸気が噴き出す。
「……緊急冷却……!?」
「ぼやぼやしないっ!」
 呆然と見とれていた隊員に、ペイルウィング小隊長の檄が飛んだ。
「彼女を援護するのよっ!! 近衛円盤を接近させるんじゃないっ!!」
 命じられ、正気に戻った隊員達は、一斉に迫り来る円盤に銃口を向けた。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

「……ぐぅ……っ!」
 身を翻して着地した途端、その衝撃で包帯だらけの身体中に痛みが走った。だが、奥歯で噛み潰す。
 背後で円盤と死闘を繰り広げているペイルウィングの仲間を、一顧だにせず再び走り始めた。
(……どこ? どこにいるの!? 【彼】はどこ!?)
『……こちら、外周スナイパー部隊……ゴウ……』
 弱々しい声が、通信機から流れて来た。
『……生き残りの……近衛UFO部隊に襲撃され……壊滅……相討ちには持ち込んだが……スマン。後は……頼んだ…………【英雄】さんよ……』 ……ザーッ……
(考えろ! 【彼】はどこにいる!? バリアウォール発生装置を破壊するための絶好の位置は、どこだっ!?)
 プラズマユニットが冷却を終えるなり、駆ける足が再び宙に浮き上がり、女は青の風になる。
 瓦礫を踏み越え、残骸を飛び越え、まだ建ち残る家屋を眼下に見つつ、敵の執拗な攻撃を躱しながら、会うべき人影を探す。
(出て来いっ! どこにいるんだっ!?)
 荒れ狂うマスターレイピアのプラズマエッジとサンダーボウ30の稲妻は、徐々に中心部へと近づいていた。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

『今、凄い奴が来た! ものの数秒で近衛円盤を四機墜としてった! あれが例の【英雄】か!? しかし、女だったぞ! 包帯だらけの!』
『私達も見たわ! たった独りで浮遊都市に突撃をかけて、砲台をまとめて墜としてみせた! でも、肩から実弾式のスナイパーライフルを担いでいたみたいだけど……使えるの?』
『おいおい、なんだそりゃ。こっちにゃ女っ気なんかまるでねーぜ! HAHAHA−!! ちかちか光るレーザーを撃たれすぎて、幻覚でも見たかぁ!?』
『勝利の女神も、お前さんみたいなむさ苦しいのは御免だとよ! ぎゃはは……――っと、今、目の前をそれらしいのがすっ飛んでったぞ。あれじゃねーのか?』
『【英雄】でも【化け物】でも【勝利の女神】でも、何でもいいわ! 私達を、勝利に導いてくれるならっ!! お願い! 誰かはわからないけど、がんばって! 私も、最後の最後までがんばるからっ!!』

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 通信機から届く賞賛の声も、嘆願の声も、耳には入らない。
 目も耳も鼻も肌も……感覚の全てを総動員して探す。目印などない。声を聞いたこともない。匂いなど知らない。触れたことなど、もちろんない。
 それでも探す。
(く……どこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだどこだ)
「どこにいるっ!! どこに――」
 探すことに集中しすぎたか、それとも焦りが出たか。ビルの陰から飛び出した瞬間、今にも接地しようとする蒼白いプラズマボールと鉢合わせした。
 咄嗟に飛行軌道を強引に変えたものの、炸裂した爆風は軽々と彼女を吹き飛ばした。
「きゃ……っ!!」
 態勢を立て直す間もなく、瓦礫に叩きつけられる。
(――やばい!!)
 痛覚を認識するより速く、脳裏を警告が走った。このままでは狙い撃ちにされる。
 昨日ディロイにされたように、降りそそぐレーザーの雨の中で、無惨に炭化するのか。
 無念から奥歯を噛み締める――
 刹那。頭上で凄まじい爆発音が轟いた。
 これまで聞いたことのない、あまりに暴力的なその轟音に思わず、痛みも忘れて上空を見上げる。
 自分を狙うはずだった砲台の群れが爆発し、落下しつつあった。
 さらに間髪を入れず、砲台群の奥で内側に向けて電磁エネルギーを放出しているバリアウォール発生装置に、グレネードの弾頭が数発、炸裂した。
 全て、背後から頭越しに放たれている。まるで彼女を護るかのように。
 爆炎に沈む発生装置とともに、電磁ウォールが澄んだ音を立てて砕け、破片を空中に撒き散らす。
 ペイルウィングは立ち上がり、黒髪をなびかせて振り返った。
 キラキラ輝き消えるバリアの破片の雨の中――オペレーターが通信機の向こうで告げた。
『――最後の発生装置を破壊! バリアウォールが消滅しました!』

―――――――――――― * * * ――――――――――――

『総員、中心部のハッチを攻撃しろ!』
 司令の嬉々とした叫びはしかし、彼女の耳に届いていなかった。
 目の前にいるのは、グレネードランチャーUM−XAを手に下げた一人の陸戦兵。
 他の多くの陸戦兵同様、ヘルメットに隠れてその表情は窺えない。しかし、ただ一つ違っているのは、両袖をまくり上げていることだった。そう、【彼】は前の戦いの最初期、【腕まくりの凄腕】と呼ばれていた。
「……あなたは……」
 頬をほころばせ、言いかける彼女の耳元で仲間達が叫んでいる。
『見ろ! 全てのバリアが消えた! 戦っているんだ! 仲間がっ! EDFの仲間が戦っているんだ!!』
『もう少しよっ! もう少しで、あたし達は、ああっ――』 ……ザーッ……
「よかった、会えて……。私は、あなたに――」
 話しかけた途端、男はいきなり身体をぶつけるようにしてペイルウィングを押し倒した。そのまま二人一緒に転がって、ビルの陰に隠れる。
 驚いていると、今まで二人が立っていた場所にレーザーの雨が降りそそいだ。これまでの細いレーザーとは違う、殺意に満ちた荒々しい攻撃が路面を灼く。
 いつも通り、一呼吸遅れてオペレーターが報せてくる。
『――敵のレーザー兵器が動き出しました。注意してください』
『なんだ!? なんつったオペレーター!?』
『おい、見ろ! 中心部ハッチから脚みたいなのが……あれがレーザー兵器か……? ――うぎゃああっ!!』 ……ザーッ……
『な、なにいぃぃぃっっ!! レ、レーザーが曲がっただぁ!? なんだあれは! ありえないぞ!!』
『ありえなくっても、それが現実なのよっ!! 男のくせにぎゃあぎゃあ喚いてないで、対処なさい!』
『くそおおおお、この都市はどこまで俺たちを苦しめやがるんだっ!! いい加減墜ちやがれええええっっっ!!』
『――浮遊都市の中心部ハッチから、円盤が投下されています』
『まだこの上、円盤まで来るのかよっ!! 大概にしてくれっ!!』
 【彼】は立ち上がった。ビルの陰から様子を窺う。角の向こう側の壁面で屈曲ホーミングレーザーが収束し、火花を散らしている。
 続いて立ち上がったペイルウィングも、そっと中心部ハッチの方を覗いた。
 脚は六本。ここから見ている限り、レーザー射出のタイミングには、一定の規則性があるようだ。
 隙を待ち、じっと息をひそめている【彼】は何も言わない。
 今が話しかけるチャンスなのだろう。恐らくは。しかし、迂闊に話しかけられる雰囲気ではなかった。
 ふと思い出して、ペイルウィングは【彼】の肩を叩いた。振り返った【彼】に、肩から下ろしたライサンダーZを差し出す。
「……実験部隊から、あなたへの届け物だ」
 不思議そうにそれと彼女を見比べる【彼】に、本体とマガジンを押し付ける。
「ライサンダーZ――対戦車砲さえ凌駕する威力だと聞いている。その分、反動もでかいようだ。予備のマガジン分も入れて、全部で14発。使いどころは、あなたの方がよく知っているだろう」
 【彼】は何も問わず、答えず、ただ頷いてそれを受け取った。
 頷き返したペイルウィングは、塞がれた空を見上げた。その視界を数機の近衛円盤と、何条もの紅のレーザーがよぎる。
「……敵の円盤とレーザーは、私が引きつける」
 【彼】が頷くのと同時に、ペイルウィングは陰から飛び出した。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 ビルと家屋をレーザーの盾にしながら、中心部へと近づいてゆく。
 頭上を通り過ぎる近衛円盤を背後から雷撃し、叩き落してゆく間に、最後に残っていた敵の小砲台が次々と火を噴いて墜ちてゆく。それが【彼】の援護なのか、他の隊員の援護なのかはわからない。
 やがて、隙が出来た。
 浮遊都市が吐き出す近衛円盤の供給が、撃墜される早さに追いつかず、空白の時間が生まれた。
 そこに屈曲レーザーを放つ大砲台の、長めの休止期間が重なった。
 【英雄】と女王蜂は、何のコンタクトもなく同時に陰から飛び出した。
 中心部ハッチを右と、左へ。回り込みながら、屈曲レーザー砲台に攻撃をかけてゆく。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 雷轟が虚空を震わせ、絡みつく青白い蔦が巨大な砲台を引き抜く。
 零距離から放たれる収束したプラズマエッジが、砲台を引き裂く。
 連続で放たれたグレネード弾がそこかしこで炸裂し、その爆炎を引き裂いて突き刺さるスナイパーライフルの弾頭が、止めを刺す。
(……いけるっ!! やってみせる! 【あの人】のためにっ!!)
 その時、再び中心部のハッチから近衛円盤が産み落とされ、屈曲レーザーも射撃を再開した。
「く……っ!!」
 間に合わない。
 一つでも多く墜とそうと無理をしたために、物陰に隠れるタイミングを逸した。
 至近で放たれたホーミングレーザーの束が、空中のペイルウィングに突き刺さる。
「ぐ……あっ!!」
 先の丸い槍か何かで突かれたような衝撃に、女の身体は軽々と宙を舞った。そこへ残る屈曲レーザーが次々と命中し、空中で奇妙な舞を躍らせる。そのたびにアーマーを突き抜ける衝撃。
(しまっ……た……)
 瓦礫の中に墜落したとき、ペイルウィングは意識を失っていた。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

『浮遊都市が……浮遊都市が、炎を吹き上げている。攻撃隊はもう壊滅状態のはず。……誰だ? 誰が戦っているんだ!?』
 一瞬か、数秒か。それとも、もっと長くか。
 意識を呼び戻したのは、司令官の声だった。
(……う……私…………まだ……生きている……?)
 これだけ中心部に近い位置で、意識を失いながらまだ生きている自分が信じられない。何が起きたのか。
 横たわったまま見上げる空は、いまだ塞がれている。戦いは終わっていない。
 寝返りをうって、身体を起こす。体の上に乗っていた瓦礫が落ちる。
 レーザーの衝撃の後遺症か、体が重い。
 ふらつきながら立つその耳元で、誰かが叫んでいる。
『まだ戦っている奴がいる。見ろ、浮遊都市の被害は甚大だ!』
 その言葉の意味を、まだ覚醒しきらぬ頭は理解できなかった。
 だが、それを目の前にして、何が起きているのかを理解した。
 【彼】が立っていた。
 大小問わず、すっかり砲台を失った中心部ハッチの真下で。
 あいつから受け取り、彼女が渡したスナイパーライフルを頭上に向け、引き金を引く。
 ずん、という衝撃が【彼】を突き抜け、大地を揺らしたように感じた。
 実際、彼の足元から反動によるものと思われる粉塵が、輪を描いて広がっていた。
 頭上を塞ぐ浮遊都市の大きく開いたハッチから、毒々しい緑色の爆炎が噴き出した。同時に、化け物の悲鳴じみた音が辺りに鳴り響く。
 それはまるで、身をよじらせ苦しみ悶える巨大な生物の断末魔。
(【彼】が……まだ戦っている!)
 その姿を網膜に焼きつけるべく、【彼】に目を注いだまま武器を拾い上げ、瓦礫を押しのけて走り出す。
 彼女の意志に応じてプラズマエネルギー発生ユニットは、飛行ユニットにエネルギーを送り込んだ。
 足が浮き、舞い上がる。【彼】の元へ。
 マガジンを交換している【彼】の頭上に、ハッチから翼をたたんだ近衛円盤が落ちてくる。そこへ、突っ込んだ。
 ボウガンを思わせる武器の先端から閃き踊る無数の刃が、落ちてくるはしから円盤を切り刻み、ジャンクに変えてゆく。
 そしてその間に、交換は終わった。
 レバーが引かれ、チャンバーにライフル弾が送り込まれる。
 引き金が引かれた。
 空気が震える轟音。広がる衝撃。揺らぐ陸戦兵。その足先が地面にめり込む。
 噴き出す濃緑色の爆炎。
 やがて……

 こらえきれなくなったように、浮遊都市のあちこちから爆炎が噴き上がり始めた。
 ハッチからだけではなく、いかなる攻撃も寄せつけなかった装甲のあちこちから、炎が噴き出していた。
 ハッチからは異次元的な緑色の炎が、治まりもつかずにとめどなくあふれ出している。
 さらに二度、三度とライサンダーZが吠える。


 空は、墜ちた。



―――――――――――― * * * ――――――――――――

『退避、退避ーっ! 退避しろーっ!! 少しでも遠くへ離れるんだー!!!』
 傾きながらも真下に墜ちる浮遊都市。
 己を葬った者を道連れにしようとするかのように、圧倒的なその質量で押し潰しにかかっている。 
 ペイルウィングは、その様を呆然と見上げていた。
 勝ったという事が、信じられない。
 必死に叫ぶ隊員たちの声など、耳に入ってはいなかった。
 ただ、結果に立ちすくんでいた。
 ふと、視界に【彼】の姿が飛び込んできた。
 【彼】はまだそこにいた。
 中心部ハッチの真下、最後の一撃を与えた場所に。
 ライサンダーZを杖代わりに身体を預け、自らを押し潰そうとしている敵をまだ睨み上げていた。
(【彼】を……助けないと!!)
 途端に、ペイルウィングの身体に力が甦った。
 プラズマエネルギーユニットを噴射させ、地上すれすれを【彼】に向かって疾る。
「逃げろっ!! 私につかまれ! 飛んで逃げれば――」
 嘘だ。逃げられっこないのはわかっている。それでも、助けたかった。話を聞きたかった。そうでなければ、先には、未来には――
「あきらめるなっ!! あなたには、あなたには聞きたい事が――」
 悲鳴と怒号の飛び交う通信、炸裂する爆音、掻き分けられ荒れ狂う風の唸りの中――掻き消される運命のその声が届いたのか。【彼】は振り返った。
 その刹那。
「――アホか、てめーはぁっ!!!!」
 飛んでいる自分の腰を、何者かにがっしりと抱えられた。
 同時に、視界を流れる光景が速度を増す。
 あいつだった。ライサンダーZを自分に預けた無精ひげの陸戦兵。
 エアバイクSDL−2を駆ったそいつは、ペイルウィングを脇に抱えたまま片腕でアクセルをふかし、速度を上げて【彼】に突進した。
「な、なにを――」
 言っている間に、【彼】の姿がぐんぐん近づき――SDL−2はその前を通り過ぎた。
 その距離、わずか数十cm。
 一瞬、ヘルメットのバイザー越しに交錯する視線。
「ちょ――ちょっと!! 待て! 止まれっ! 【彼】がまだっ!!」
 叫びながら、顔だけを後ろに捻じ曲げる。
 離れてゆく。【彼】の姿が、どんどん小さくなってゆく。
「今止まったら、俺達も間に合わねえっ! すれ違ったのが最後のチャンスだったんだ!」
「じゃあ、降ろせっ!! 私は、私は、まだ【彼】にっ!」
 まだ届くとでも言うかのように、手を差し伸ばす。【彼】に向かって。
 【彼】は――

 指を二本揃えて、こめかみの辺りにかざしていた。
 その指が、軽く虚空を切った。

(笑って……いるのか……?)
 彼女が目を凝らして離れゆく【彼】の表情を確認するより速く、距離は開いていった。


 やがて、その姿は瓦礫の彼方に消え、そこへ絶対的質量が覆いかぶさり――




 全ては終わった。




―――――――――――― * * * ――――――――――――

 ……

 …………


 ………………



「……いやまー、よく生き残れたもんだよな。実際」
 大きなため息とともに口から吐き出される紫煙。
 空はすっかり広々としていた。太陽は西へ傾き、地平の空を真っ赤に染めている。
「めくれ上がる地盤と追いかけっこしたのは生まれて初めてだ。危うく地の底に生き埋めだったぜ……エアバイクでよかったよな」
 生きていることの実感を確かめるように、タバコをくゆらす。
 瓦礫に腰を落とし、膝に肘を突いて頬杖をついている。ヘルメットは脱いで傍らに置き、制服の胸も開いていた。血のにじんだ包帯が痛々しい。
 浮遊都市の墜落現場では、いまだ噴煙が立ち昇っていた。
 黒煙に見えはするが、その正体は煤ではなくおそらくは土砂。墜落に伴って舞い上がった土砂が、火山の噴煙のように空高く風にたなびいている。
 ふと、その瞳が横を見やった。
「…………なー。そろそろ機嫌直せよ」
 困りきった顔つきで、ペイルウィングの背中に声をかける。
 彼女はバイクから降ろされて以後、落下した浮遊都市の中心部方面に向いたまま、振り返りもしない。緩やかな夕風に、黒髪の先が弄ばれて揺れている。
「生きてりゃ、またそのうちひょっこり会えるかもしらんだろ」
「……気休めを言うな」
 ペイルウィングは冷え切った声で吐き捨てた。
 その声を出させているのは、悲しみか、後悔か、それとも怒りか。
 陸戦兵は口を尖らせた。
「気休めじゃねーって。お前さんも、知ってんじゃないの? 【あいつ】、前の戦いの折はマザーシップの墜落に巻き込まれて死んだって話だったんだぜ? それが生きてたんだ。今度だってどうだか――」
「マザーシップと浮遊都市では、規模が違う。マザーシップのときは逃げられたかもしれないが、今回は無理だ」
「……そりゃ根拠のない、ただの推測だろうが」
「お前のだって、ただの願望だ」
「どーなってるかわかんねーんなら、望んだってバチはあたるめえに?」
 軽く鼻で笑って、タバコを瓦礫に押し付けてもみ消した。
「ま、いずれにせよ、だ。ここにいたって、なーんもはじまらんぞ。何か行動を起こさにゃあ。どーやら人類はまだ滅んではいないようだし、どっか行こうぜー。人のいるとこにさー」
「行きたいなら、どこへなりと勝手に行け。私は……もうお前とは行動を共にしない」
 とりつく島もない。
 陸戦兵は盛大にため息をついて、肩を落とした。
「嫌われたかねー……俺」
「――嫌う?」
 ペイルウィングは、初めて情動らしきものを見せた――鼻で笑った。
「違うな」
 茜色の風が吹いて、黒髪がなびいた。
 首だけを捻じ曲げて、背後の陸戦兵を見やる。目元を覆い隠すバイザー越しにでも、その眼差しの鋭さが見えそうだった。
「憎んでいるよ、お前を。……死ぬも生きるも……【彼】の傍でありたかった……。それを邪魔して、意味のない生を長らえさせたお前に、それ以外のどんな感情を抱けというのだ?」
「愛情とか」
「ここで死んどくか」
 禍々しい殺気を放ち、マスターレイピアの銃口を向ける。
「今は、誰のどんな冗談も笑う気分じゃない。次に軽口を叩いたら、撃つ――死にたくなかったら、失せろ」
 しかし、今度は陸戦兵が鼻で笑う番だった。銃口を怖れる様子もなく頬笑みを浮かべて、再び膝に肘を置いて頬杖をつく。
「やーれやれ……やっと振り向いてくれたな。ようやくまともに話ができそうだ。……お前さん、会った時からず〜っと俺のこと見てくれなかったからなぁ」
「……? 何を言っている。私は何度でも答えて――」
「視界に入ってるのと、見るってのとは全然違うだろ? お前さん、俺を見てたかい?」
 答えられず、言葉を呑むペイルウィングに、陸戦兵は片目をつぶった。
「お前さんにとっちゃ、今の今まで俺って存在は、その辺の石っころと同じだったんだろ? よくて便利な運転手付き戦車ってとこか。お互いの自己紹介すら拒否するってのは、要するにそういうことだろうに。違うかい?」
「…………だから……だったら、どうだと言うんだ」
「いやなに、それが悔しくてねぇ。きしししし」
 いたずらっ子のように歯を剥いて笑う。
「何の因果で、この世の終わりで運命的に出会った美人のねーちゃんに、無視されなきゃならんのよ。美人ってのは、振り向いてこそだぜ?」
「………………」
「無視されるよりゃ、憎まれてる方がまだましってね。ま、そういうわけで、この勝負俺の勝ち〜。にしし」
 銃口などないかのごとくに振舞う陸戦兵に、ペイルウィングは呆れたようにため息を漏らした。銃口を下ろし、顔を背ける。
「……下衆め。殺す価値もない」
「そりゃどうも」
 陸戦兵は新たなタバコを取り出し、口にくわえた。
 再びペイルウィングは押し黙り、冷たい夕風が吹き抜けてゆく。
 火を点したタバコから立ち昇る紫煙が、風に乗ってたなびいた。
「……なぜ、私を助けた?」
「あん?」
 唐突な問いかけに、陸戦兵は困惑げに眉をひそめた。
「私より【彼】を助けた方が良かっただろうに。お前にとっても、今後の人類文明復興のためにも」
「んー……別に見捨てたつもりはないんだがな」
 顎の下に手杖をついて、不満げに紫煙を吐き出す。
「お前さんを助けたのは、かなり偶然の産物だったりするんだよな、実は」
「…………?」
 ペイルウィングは振り返った。
 同時に陸戦兵は、顎杖をついたまま横を向いた。少し憮然たる面持ちで、種明かしを始める。
「前回の戦いでも、やられたマザーシップは自爆上等で落下してきたからな。多分、今回もそうなるだろうと予想はしてた。だから、浮遊都市が墜ち始めたときにエアバイクで中心を通って、向こうへ突き抜けるルートを設定して突っ走ったわけだ。まー、中心攻撃されて墜ちたわけだしな。中心付近を通れば誰か拾えるだろうとは思ってたんだわ」
「私を……最初から助けるつもりではなかったということか」
「運が良ければお前さんも拾えるかな、とは思ってたがね。まさか、こんなに上手くいくとは俺も思ってなかったな。途中でも、動いてるEDF隊員の姿を見なくてさぁ。そしたら、目の前ふよふよ飛んでるペイルウィングがいるし。見覚えのある包帯だらけだし。いやー、やっぱり俺達、なんか運命的なものがあるんだって。な? な?」
「それはどうでもいい。で、【彼】はなぜ? ……ああ、運命を感じて、私を優先したのか」
 皮肉と侮蔑を込めた、冷然たる笑み。
 陸戦兵は横を向いたまま、鼻から紫煙を噴いて抗議を示した。
「最後、【あいつ】の前を通り過ぎたろ? あん時に飛び乗ってくれりゃあ、【あいつ】も……。その意図は【あいつ】にもわかってたはずだぜ? けど、【あいつ】は黙って俺達を見送った。なに考えたのかはわからんがね。乗らないことで俺達を助けようとしたのか、それとも……もっと確実な逃げ道を知っていたのか……いつか会えたら、訊いてくれ」
「助けるつもりだった、と?」
 疑心ありありの口ぶりに、陸戦兵は不満げに口を尖らせて彼女に向き直った。
「そうでなきゃ、あんなすぐ傍を通るかよ。向こうが迂闊に踏み出しゃ、はねちまうかもしれんのに。乗せなかったんじゃない。【奴】が乗らなかったんだ。これだけは本当だ。嘘もおちゃらけもない。神様でもお前さんでもなんにでも誓ってやる」
 必死の形相でまくし立てる陸戦兵から顔を背け、墜ちた都市の方角を見やるペイルウィング。
 陸戦兵の言葉を胸で咀嚼しているのか、消えた【彼】の意図を捉えようとしているのか。
「……そう、か……」
 やがて彼女は、何を納得したのか一つ頷いて空を見上げた。
 陸戦兵もつられて見上げた。夕陽に染まる赤と、照り映える雲の黄金、そして立ち昇る噴煙の黒に染め分けられた空を。
 その空をぼんやり見上げたまま、陸戦兵は何気なく口を開いた。
「なぁ、それは【あいつ】でなきゃ、本当にいかんのか?」
 ペイルウィングは応じない。問いかけの意味が理解できなかったのか、答えを持たないのか。
 陸戦兵は続けた。
「憎しみであれ何であれ、まぁとにかく俺を見てくれたし、憎まれついでだからこの際言わせてもらうけどよ。お前さんの抱えてる悩みは、別に【あいつ】でなくてもいいんじゃないか?」
「お前に何がわかる」
 ペイルウィングは、また元の冷厳たる口調に戻っていた。
 陸戦兵は肩をすくめてみせた。
「確かに、お前さんの悩みの深さはわからんがね。俺は基本的に脳天気なもんで。ただ、お前さんと同じ境遇の連中が、今のご時世ごまんといることは知ってるぜ」
「私の悩みなど、たいしたことがない、と……そう言いたいわけか」
「まさか。話を聞くだけなら、別に【あいつ】でなくてもよかろ、と言ってるんだよ。それとも、【化け物】だの【救世主】だのと持ち上げられた人間でないと、参考にならないかね? 同じように死神、もしくは女王蜂と呼ばれた身としてはさ」
「うるさい」
 煩わしそうに吐き捨てる。
「説教などたくさんだ」
「……『Where There is life , There is hope.』」
 不意の英語に、ペイルウィングは怪訝そうに振り返った。
「生きている限り、望みはある――そういう意味だ。ず〜っと昔、誰かに聞いたんだが……誰に聞いたのかは、ちょっとド忘れしちまった」
 ぺろっと舌を出す。
「ただ、それと一緒に聞いた話はずっと覚えてる。人は一人では生きられないって言葉の本当の意味を、教えてくれた話だ」
「バカにするな。その程度のことは理解している。……人は、生きてゆくために色々支え合っているという話だろう」
「一般的にはそうなんだろうが、俺が聞いたのはちょっと違う。もっと精神的な……いや、むしろ信仰に近い話でね」
「信仰?」
 ペイルウィングは胡散臭げに、陸戦兵をじっと見つめていた。
「人が本当に死んじまうのは、その人のことを知っている人が誰もいなくなったときだって話、知ってるか?」
 少し考えて、首を振る蒼いヘルメット。
「記憶、書物、碑、口伝……その人が――あー、と。生物学的に、でいいのかな。まあ、死んだときにだ。その存在を証(あか)すものが何も残ってなければ、それは存在していなかったとみなされちまう。それこそが本当の死だ、という考え方でね」
 ふーっと一息、紫煙を吐いて続ける。
「お前さんは、自分の過去を失ったと嘆いていたが……逆に考えれば、お前さんの過去を知っていた人たちのことを憶えている、ということだ。今はもういなくなってしまった大勢のその人たちのことを、お前さんだけが覚えている。彼らが生きていたという確かな証しを、その記憶に刻んでいる。だとすれば……お前さんの生は、本当に無意味なものかねぇ?」
「私が死ねば……彼らも死ぬ、だから死ぬなと?」
 納得しないのがありありとわかるその口調に、陸戦兵は苦笑した。
「ネガティブに考えるなぁ。逆だ逆。お前さんが生きている限り、その人たちも生き続けるんだよ。お前さんが彼らを生かすんだ」
「だが……人はいつか死ぬ。結局は――皆、忘れ去られる」
「だから、言葉があるのさ。文字もある。そもそも墓ってのは、そのためにあるんだろ? 語る者が誰もいなくなっても、そこに刻まれた文字やなんかが、証しをたててくれる――もっとも、ジェノサイドキャノンには勝てないけどな。その意味じゃあ、今回思ってた以上に人類の死者は多いと思うぜ?」
 へらへらっと浮かべた空笑いにも、ペイルウィングはにこりともしない。
 陸戦兵はちょっと照れ隠しに肩をそびやかし、続けた。
「それに、語る必要もないって考え方もある。今のお前さんが過去に関わってきた人たちによって、そういう風になったのだとしたら……お前さんという存在自体の中に、その人たちが生きている。そしてお前さんが人と交われば、その人たちの影響はまた別の人たちに伝わってゆく。つまり――」
「生きているだけで、その証しが残ってゆく……」
「『Where There is life , There is hope.』――生きている限り、望みはある。チャンスがあるという意味じゃない。完全な死を絶望だと考えれば、その人が生きてくれている限り、自分が生きていたことを証せるという望み、希望がそこにあるってことだ。君が生き続けて再び家族を作り、その人たちのことを語り継げば、希望は、生命はつながってゆく」
「……恐ろしく細く、儚く、そして確実性に乏しい望みだな」
「そりゃしょうがない。そもそも希望ってのは、そういうもんだ」
「違いない」
 陸戦兵のおどけた笑みに応えて、口許が緩む。初めて、彼女が微笑んでいた。
「そうか……私が生きる意味は、私が生きるためではなく……私を知っている人たちを生かすため……そして、次の者にそれを渡すため……。そういう考え方も、あるということか……」
 ペイルウィングは、不意にヘルメットを脱いだ。頭を左右に振って黒髪を波打たせ、真上の空を見上げる。
「……ともかく……私は……生きてゆくべきなのだな」
 小さく吐息を漏らして、目を閉じる。いつの間にか、その表情に刻まれていた険は消えていた。
「つか、生きていていいって程度でいいと思うがね。……世界がこの状況で、最悪の戦いが終わった直後だけに、余計にさ。ほんと、生きてるってのはすばらしいね。タバコは美味いし、目の前にねーちゃんのミニ――えふんげふん」
 陸戦兵は咳き込む振りをしてごまかし、短くなったタバコを足元の瓦礫に押し付けてもみ消した。
「ま、いずれにせよ――そう思えてくれたなら、話した甲斐もあるってもんで」
「…………ありがとう。いい話を聞かせてもらった。悪かったな。説教などたくさんだ、などと言って」
 目を閉じ、空に顔を向けたまま実に素直な口調で言う。
「正直言って、そうすぐに切り替えられはしないが……いつか、そういう風に考えられたらいいな」
 顔を戻し、目を開いたペイルウィングは陸戦兵に歩み寄った。手を差し出しながら、表情を引き締める。
「だが、一つだけ言っておくべきことがある」
「んあ? なんだよ」
 手を握り返しながら、彼女のいささか鋭い眼差しに顔をしかめる。
 彼女は眼差しはそのままに、口許だけで皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「それを話してくれた人のことを思い出しておけよ。次にどこかで話題にするまでにな。さもないと、まったく説得力がない」
「あい。了解デス……」
 陸戦兵は、はにかみ気味に苦笑した。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 握手の手を解いた後、しばらくペイルウィングは廃墟と残骸の広がるその風景を見つめていた。その光景を焼き付けようとするかのように。
 やがて、その顔が空を向いた。
「……よし!」
 一声、腹の底から搾り出すように叫ぶと、両手で頬を一打ちして振り返る。
「それじゃ、行こうか」
「お。来たね? んで、どこへ?」
 陸戦兵は新たなタバコを取り出し、口にくわえながら訊き返した。
 ペイルウィングは吹っ切れたような、満面の笑みを浮かべた。
「どこでもいい。お前の行きたいところへ行け。私はついて行こう。お前には借りがある。それを返すのが、当面の私の目的だ」
「じゃあ……俺のお嫁さんになって」
 たちまちペイルウィングは、面食らった顔になった。赤面ではなく、純粋に驚いた風だ。
「オヨメサンって……彼女すっ飛ばして、いきなり嫁か」
「このご時世、いちゃいちゃして楽しいわけじゃなし。相手が気に入ったら、とっとと嫁にしてしまうのが――」
「ああ、すまん。それは無理だ」
 陸戦兵の言葉を遮って、いっそすがすがしいほどにキッパリと断る。
「私はお前の嫁にはなれない。あ、無論彼女にもな」
「え〜。……って、まさか既婚者だったのか!?」
「まさか。もちろん独身だ。ただ、お前は好みじゃない。それだけだ」
 これ以上ないほどの明確な理由に、陸戦兵はタバコをくわえたまま横様に倒れかけた。
「あ、すまん。もう一つあった。タバコも嫌いなんだ」
 体勢を戻しかけたところへのカウンター一撃。力尽きてこてん、と倒れた。
「そもそも、私にも幸せになる権利というものがあると思うんだ。たとえ、お前に命の借りがあるにしてもな」
「ソコマデイイマスカ」
 泣きそうな顔の男に、女は腕組みをして一人頷いていた。
「だが、お前の目的がそれなら、対応は難しくない。嫁候補を探すために協力してやろう。もちろん、嫁に出来るかどうかは、お前次第だが」
「探してやろうって……いや、あのね」
「お前が結婚して、幸せな家庭を築けば、私もそれだけ早く自由の身の上になれるというもの。さ、張り切っていこうか」
 ペイルウィングは夕陽に背を向け、ヘルメットをかぶりながらさっさか歩き出した。
 陸戦兵も腰を上げた。武器を担ぎ、ヘルメットも頭に載せて歩き出す。彼女の後を追って、重い足取りで。
 もっとも、気が重いのか傷のせいで動きが鈍いのか、自分でもわからない。
「わたくしといたしましては、アナタでじゅうぶんこのうえないのでございますが……って、聞いてないね。つか、お前さんが俺の後ついてくるんじゃないのかよ〜」
 陸戦兵の気弱なクレームにも一切耳を貸さず、ざかざか歩いて行くペイルウィング。
 ため息をついて、恨めしげに空を仰ぐ陸戦兵。
 背中から射す夕陽に、瓦礫の上を長く伸びる二つの影。
 ふと、歩きながらペイルウィングが振り返った。
「そういえば、お互い自己紹介がまだだったな。私の名前は――……」

The Last Hope 終わり


【後書き】
    【目次へ戻る】    【ホーム】