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13 RAPTOR’S NEST

 翌朝――昼近く。
「……本気か」
 ずらりとモニターの並ぶ、【遺跡】の管制室。
 腕組みをした【はぐれ】が、厳しい表情でラルフを睨んでいた。
 その隣にはげんなりした顔のアレックスが、椅子に腰を落としている。
 窓の外では、ハンガーに収まった『九剣絶刀』の中で、ラシュタルも通信を聴いていた。
 室内にはシェリスもいる。もう一人のオペレーターは医療室で怪我人の世話をしている。
 ラシュタルを含む四人をここへ呼び集めたのはラルフだった。
 戦闘の証拠隠滅を図るため、出撃しようとする【はぐれ】達を呼び止めて切り出したその提案に、一同は呆気に取られた。
「難しい話じゃないんですよ。要は再生医療の応用に過ぎませんから。普通なら揃わないディープなデータがここにはあるし、企業しか持っていないような施設も揃っている。あとは物資と人だけ、何とかしてもらえれば」
「ふむ……『強化人間』を人間に戻す技術の研究か」
 唸る【はぐれ】。
「それだけじゃありません。ここには、かつてのレイヴン達のデータシミュレータもあります。これを解析し、トレーニングプログラムを構成できれば、ある程度のレイヴン養成も出来ます。捕まえているMT乗りをレイヴンに育ててみるのも一興。どうです? 隠れ蓑として、最適でしょう?」
「レイヴン養成が隠れ蓑? 何だそりゃ? 何をする気だ、ラルフ」
 訝しげなアレックスに、ラルフは我が意を得たりとばかりににんまり頬笑んだ。
「この【遺跡】をグローバル・コーテックスやレイヴンズ・アークに並ぶレイヴン養成・斡旋機関にするんですよ。大きくなれば、企業もそう容易く手は出せなくなります。そうすれば、より安全に研究を続けられますし、スピンアウトの産物などを積極的に売り出してゆけば、さらに勢力を広げられます。そうですね、レイヴンの向こうを張って、ラプターズ・ネストなんてのはどうです?」
 アレックスは溜め息交じりに大きく首を横に振った。肩をそびやかす。
「そりゃまた壮大な計画だな。……一体何年かかることやら」
「いや、年月は問題ではない。問題は、いかに初期の理想が完遂できるか、だ。商売の話が出たが、人間に戻れる技術があるとなると、今以上に気軽に『強化人間』化を望む連中が出てくるだろう。それに、組織が膨れ上がればそれだけ不心得者は出てくる。そうでなくとも、権力に惑う者も出る。第二のミラージュにならぬ可能性はどこにもない。これは、そういう知識だ。熟考を要する」
 沈黙が漂った。誰も【はぐれ】の心配に対する答えを持たなかった。
 やがて、ラルフが口を開いた。
「そういう倫理問題は、永遠の課題ですね。ここでいくら議論しても、おそらくベストな結論は出ないでしょう。ただ、今の時点で確実な結論が一つ、あります」
「なんだ?」
 【はぐれ】の片眉が上がる。
 ラルフの指が走り、端末の一つに何かのグラフが映った。
「生命維持装置の薬品残量から見て、このままではナインソードさんの命はあと一月ほど。まともに稼動できるのはいいところ10日」
 アレックスと【はぐれ】は、同時に窓の外をちらりとうかがった。
 再び沈黙が漂う。
 ラルフは続けた。
「彼だけじゃありません。ミラージュがこれからアザルタイプの無人機を量産すれば、『強化人間』は居場所を失う。クレストも同じ動きに出るかもしれない。その時の駆け込み先として、まずメンテナンス拠点は緊急に必要な施設です。いずれ人間に戻すとしても。幸い手が増えましたし、目処は立ちます」
 傍らのシェリスに目配せを送る。しかし、彼女は気づかなかったらしく、手持ち無沙汰そうに自分の爪を見ていた。
 【はぐれ】は眉間に皺を寄せ、難しげに考え込んだ。
「『強化人間』を救う、か……考えもしなかった展開だな」
「サトウさんの弁じゃないですけど、革命的だとか進化的な展開というのはそういうものです。これまで考えつきもしなかったことが、現実化する。新しいことをするんです。不安は常につきまとうでしょうけど、そろそろこういう展開も必要じゃないかと」
『私も、よろしいか』
 不意にラシュタルの声が割り込んできた。
『ラルフ=ファエラ、君の気持ちは嬉しい。だが、その技術を蘇らせることで、また私達と同じ悲劇が繰り返される可能性がある。ならば、それはやめて欲しい。我々が死んで済む話ならば、我々は静かに消えて行こう』
「却下します」
 ラルフは一言の下に切り捨てた。
「あなた方が消えたぐらいで、この技術が消えるものですか。大体、【はぐれ】さんたちが30年戦い続けても根絶どころか、抑制も出来なかったんです。ミラージュもクレストも、それに違う世界ですら蔓延したこの技術、そんなことで歴史の闇に葬れるぐらいなら苦労しません。ならば、ウィルスに対するワクチンのように、『強化人間』を元に戻す技術も確立しておくべきです」
「限られた人間のための技術か……どれだけ効果があるものやら」
 嫌味を呟くアレックスを、ラルフはきっと睨みつけた。
「アレックス。もし、あなたが百万人に一人の病気を持っていても、同じことが言えますか? そんな極少数の患者のための治療法の研究など、資金の無駄だ、と言われて。あるいは酷い怪我を負った【稲妻】さんやオペレーターの彼女達の治療を、物資の無駄だと切って捨て、見殺しにするんですか? 私には出来ません」
「……………………」
「見捨てることは誰にでも出来ますが、救うことは限られた人間にしか出来ません。幸い、私は今、それが出来る立場にあります。だからやりたいんです。やらせてください」
 ラルフは一堂を見渡した。
 話についてゆけないのか、困惑顔のシェリス。無愛想に目をそらすアレックス。厳しい顔の【はぐれ】。
「ラシュタル、お前はどうする?」
 【はぐれ】の問い掛けに、返事はなかった。
「我々の目的は昨日言った通り、『強化人間』と『強化人間』技術・無人機の排除だ。お前の今後の身の振り方によっては、再び我々は――」
『私は……一旦ナービス領へ戻りたい。こんな状況になって、路頭に迷っている部下がいるはず。もし、彼の言う計画が実現できるのなら、ここへ皆を集め、彼に協力したい。……実験動物扱いには慣れている連中ですし』
 苦笑の気配が漂う。
『私自身としても、生身でレイヴンの極みを目指せるのなら……今のこの身体も誇りではあるが、やはり……』
「アレックスはどうだ」
 【はぐれ】に振られたアレックスは、鼻を鳴らした。チェアの背もたれに寄りかかって、横柄に答える。
「決まりきったことを。俺はナービスに帰る。元々の契約がそうだからな。ミッション放棄するのは性に合わねえ。ここで戦ったのも、アーク派遣の調査員を守るためで、あんたらのためじゃない。アークを捨てる奴についてゆく義理はねーな」
「そうか」
「『強化人間』の未来にも、その技術にももう興味はねえ。勝手にしろよ。そんなことより、早く約束を守ってもらおう。俺と、あの輸送機パイロットを近郊の町まで届けてくれ。それであんたらとはおさらばだ」
「それはもう手配済みだ。輸送用のヘリが今、補充要員とともにこっちに向かっている。その帰りの便で送る。ただ、我々の活動領域の関係上、ナービス領からは離れる方向になる。アークへの帰還には多少時間がかかるぞ」
 アレックスは顔をしかめて【はぐれ】を凝視した。【はぐれ】も見つめ返す。
 数瞬、二人の間に火花が散った。
「……いいさ、その程度の時間稼ぎには乗ってやるよ。授業料代わりだ」
 アレックスは立ち上がり、ラルフに目を移した。
「ラルフ、お前が帰還出来ない場合、俺が調査員の仕事を引き継ぐはずだな。アークには俺が報告しておく。最後の仕事として、報告書だけ作っておいてくれ。中身は任せるぜ――俺はデスクワークは苦手なんだ」
「アレックス……」
 ラルフは何かを言いかけて、口をつぐんだ。止めようとしたのか、出しかけていた手を握り込む。
「わかりました。作っておきます。あなたが説明する必要もないほど、詳細なものをね」
「おう。頼むぜ。……さて、これ以上、ここに俺がいる必要はないな。医療室に行ってるぜ」
 背を向けたアレックスは、軽く手を振って部屋を出て行った。
『彼は、残るかと思ったが……』
 スピーカーから流れるラシュタルの呟きに、ラルフはきゅっと唇を結ぶ。
「アレックスはレイヴンです。どんな汚い仕事をしても、レイヴンとしての節だけは守る。それが彼の筋の通し方です。……不器用な人です」
『……もし、私がナービスに帰り着けたら、接触を図ってみよう。彼には返すべき借りがあるしな』
「それを言うなら、私にもあるな」
 ぼそりと呟いた【はぐれ】に、ラルフは眉をひそめた。
「【稲妻】さんのことですか?」
「ああ」
 【はぐれ】は軽く頷いたきり、口を開かない。
 その沈黙を破ったのは、シェリスだった。
「あの……それで、私はどうすれば……」
 捕虜扱いのシェリスは方針会議に口を挟む立場にはない。自分がなぜこの場にいるかわからぬままのオペレーターは、困惑しきっていた。
「それに、重態の二人もそのヘリに同乗して帰還できるのでしょうか?」
「それなんですが……」
 ラルフはチェアをくるっと回して、シェリスと向かい合った。
「無理です」
 短刀でぐっさり胸を突くような返事に、シェリスの顔が強張る。
「あなた方の指揮車での自動診察のカルテデータ、読みました。私は医療の専門家じゃありませんけど、あそこまで重傷だと……。結論から言うと、ヘリでの長時間飛行に身体がもちません。治すならここで手術して、ある程度の期間、ここで静養するしかありませんね」
「一応、今こっちへ向かっているヘリには医療関係者も乗っているが……」
 【はぐれ】が渋い表情で口を挟む。
「正直、お前達はアレックスとは立場が違う。俺としては、MT乗りども同様、ここから出したくはない。出来れば始末してしまいたいのが本音だ」
 続けて、ラシュタルも口を挟んできた。
『ラルフ=ファエラ、怪我をした彼女達は内臓にダメージを受けているようだ。ここにそんな症状に対応できる機器があるのか?』
「ええ、ありますよ。全自動生体解剖装置が。しかもかなり高性能・多機能なやつです。外科手術なら、こいつで充分でしょう」
 ラルフはしれっと答えた。シェリスだけでなく、【はぐれ】も顔色が変わる。
『解剖装置って……それはいくらなんでも』
「解剖と手術の間には、そんなに差はありません。むしろ、精確な解剖の技術は精確な手術治療に通じます。要は使い方です。足りない部分はそれこそ、医療関係者に補ってもらえばいい。シェリスさん、これからその装置を再起動します。その手伝いをお願いします」
「私が、ですか……?」
「そう。あの二人が助かるかどうかは、あなた次第ということです。装置の機能の全てを把握し、使いこなせるようになってください」
 シェリスは自信なさげに、小さく頷いた。顔から血の気が引いている。
 ラルフは天使の微笑をシェリスに向けた。
「大丈夫、心配いりませんよ。必ず皆助けます。さ、時間がありません。はじめましょう。【はぐれ】さん、昨日の現場から戦闘指揮車を運んできてください。あれに積んであるコンピューターは使えます。それから、ナインソードさんは悪いんですが、辞書として助けてください」
『辞書?』
「こちらの会話から、意味の疎通が出来てないと思われる単語を検索し、わかりやすく説明してください」
 スピーカーから噴き出す声が聞こえた。続けて笑い声が。
『確かに、確かにそれは辞書だ。……しかし、『強化人間』の能力をそんな風に使ったのは、君が初めてだろう。昨晩といい今日といい、君は『強化人間』をなんだと思ってるんだ。いや、怒ってるわけじゃないぞ。実に楽しい。――了解した。全能力を以って君たちをサポートしよう。はじめてくれ』
 ピアノでも弾くかのように物凄い勢いでキーボードを叩き始めたラルフ。
 その横で必死に画面を見つめているシェリス。
 ラルフの放つ難解な専門用語にいちいち注釈をつけるラシュタル。
 それぞれの戦いをはじめた三人を背に、【はぐれ】は部屋を後にした。

 ******

 一月後。  レイヴンズ・アークはルスカ地方におけるレイヴン連続失踪事件について、以下の報告を公表した。

【ルスカ地方におけるミラージュ調査隊・レイヴン連続失踪事件に関する報告の要約】
報告者:ラルフ=ファエラ(当報告書を残し、行方不明)

 現地は非常に雷雲が発生しやすく、また地磁気も激しく乱れている。
 この地は鬱蒼たる森林に覆われており、雷雲によって空を、地磁気の乱れによって方角を
塞がれた者が迷ったことは疑いない。
(事実、報告者自身も上空通過時に雷撃を受け、墜落。行方不明となっている。このことは、
後日生還した付き添いのレイヴン及び輸送機パイロットが証言している)
 依頼時に注意を喚起された未確認ACの姿は、少なくとも報告者本人は出会っておらず、
確認できなかった。同様に、現地を支配する勢力の確認も出来ず、結論としてルスカ地方に
敵対勢力がいるとの推測を裏付けることは出来なかった。

【補足】
 レイヴンズ・アーク派遣の調査員が行方不明という状況のため、緊急に開かれた報告査問
会において、生還したレイヴンが以下のように発言した。

「あそこはまだ、俺たちが足を踏み入れるべき領域じゃない。少なくとも俺は、もう行きたくない
ね。まだ調べたりないなら、次は別の誰かにしてくれ。俺はもう行きたくない」

【総括】
 この調査に基づくレイヴンズ・アークの結論は、以下の通り。
 本件は厳しい気象条件の下で偶発的に起きた連続事故であり、領域への侵入に対する何ら
かの威嚇、もしくは防衛行動、または排除活動の結果ではないと考え……(中略)……当報告
書が提出されるより早く、ミラージュ側からの依頼取り消しもあったことから、当報告を以ってル
スカ地方の調査活動は終わりとする。
 なお、この調査中に失われた人命に、深く哀悼の意を示すものである。


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