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12 OWL HUNT

 夜。
 森。
 雨。
 無灯火。
 全身ずぶ濡れになりながら、サトウは走り続けていた。
 ひびの入った眼鏡は雨滴に濡れていたが、もともと前など見えないのだからまったく気にはならない。
 それよりも、ただ後方から迫るナインソードの影が、サトウの足を突き動かしていた。
「……あっ」
 もう何度目かもわからぬ転倒。
 水溜りに突っ伏したサトウだったが、すぐに身を起こし、立ち上がってまた走り始めた。今の転倒で眼鏡を失ったことすら気づかぬまま。
 踵の高い靴など、最初の転倒時に投げ捨てていた。今、足を守っているのはストッキングだけだ。そのストッキングも、夜目にはわからないがもうボロボロになっている。
 水を吸ったスーツが重い。
 上着を投げ捨て、スカートのサイドを破った。
 そしてまた走り出す。
 ただただ、ナインソードの影に怯えて。

 ******

 やがて、力尽きる時がきた。
 倒れたサトウは、そのまま立ち上がれず、這いずる様にして手探りで近場の樹を探し、その根元に身を埋めた。
 全身を使い、大口を開けて早い呼吸をしていると、雨が口の中に飛び込んできた。そして、気づいた。
 雨は止みかけている。
 その事実に気づいたサトウは、ようやく我に返った。
(……これだけ離れれば、大丈夫かしら)
 荒い息を整えながら耳をすます――雨滴が梢の葉を叩く音がやかましい。
 べっとり顔に貼りついた髪を掻き分け、おそるおそる辺りを見回す――何も見えない。そういえば、眼鏡もない。
 詳しい風景は見えなかったが、『九剣絶刀』の接近を示す兆候は今のところ何も感じ取れない。
 ふう、と一息ついて、急に震えを覚えた。
(何で……何で…………こんなことに……あんな、実験材料風情に……)
 叫びたかった。思うさま罵りたかった。しかし、発見されてはならない。ぐっと声を飲み込む。
 震えがおさまらない。両肩を抱きしめる。止まらない。
 寒いのか、それとも――。
(帰る、生きて帰るわ……私はエリート、第三企画部の主任なのよ? こんなところで野垂れ死になんて、薄汚い下層市民どもの死に様じゃない。冗談じゃないわ。私は、何があっても生きて帰って、そして、ナインソードを必ず――……あ、あれ?)
 奇妙な落下感に襲われた。
 意識を保つのが難しい――と、襲い来る睡魔と戦っている夢を見つつ、サトウは眠りに落ちた。

 ******

「――はっ!?」
 がばっと身を起したサトウは、左右を見回した。
 いつの間に寝込んでいたのだろう。起きていたつもりだったが……。
 周囲は闇の帳に包まれている。相変わらず、何も見えない。
 ほっとした。暗闇で一人というのは心細いが、今はこの闇が復讐鬼の眼を塞いでくれている――
 そのとき突然、光が当てられた。
「きゃあっ!?」
 唐突な輝きに瞳がついてゆけず、視界が真っ白になる。
 にわか失明状態のサトウの耳に、聞き慣れたACのアクチュエーター音が……地獄の死神の足音のように聞こえた。
『おはよう。よく眠れたか』
 死の宣告――ナインソードの声。
「ひ、ひひぃ、ひ、ひ、ひ、ひ、ひ、ひ」
 サトウは一刻も早くその場を離れようと、目の明かないままわたわたと這いずった。
 腰が抜けたのか、足が立たない。
 そのうち、硬い物が指に触れた。樹ではない。もっと人工的な……。
 サトウは見えない目を見開いたまま、頭上を振り仰いだ。その表情を絶望が彩る。
 ぺたんと座り込んだまま、頭の中まで真っ白になり、動けなくなった。

 ******

 まるで急に石をどけられて、日光に当てられた虫のように慌てふためき無様に這いずるサトウの姿は、ラシュタルに憐憫の情さえ催させた。
 実にみすぼらしい姿だった。全身濡れネズミ、衣服はドロドロのボロボロ、髪が擦り傷だらけの顔に貼りつき、ストッキングが破れた素足にも擦り傷が酷い。これほど見事に、誰が見ても敗残者だという姿は、お目にかかったことがない。
「……部下を見捨てて、自分ひとりだけ逃げるとはいい指揮官ぶりだ。実に参考になる」
 嫌味にも反応せず、ただ口をパクパクさせている。
 その姿が、脳をいじられて自我を失った強化処置失敗者を思い起こさせて、ラシュタルは再び胸に怒りの火を取り戻した。
 ACの腕を伸ばして、つかみあげる。途端に、サトウは暴れ始めた。
『ひいいいいいいっ!! や、やめて、殺さないでっ!!』
「……ふざけるな。今さらどの面下げてそんなセリフを」
『わ、私を殺すのは筋違いというものよっ! だって、私はミラージュ本社の命令で……こんな仕事、好き好んでやったわけではなくて……』
「貴様が命じたのには間違いないだろう」
 一息に握り潰そうとして、トリガーにかけた指を止めた。
 いいのか、それで。
 脳裏をフラッシュバックがよぎる。見ていないのに、見ていたかのように、奴が――人を握り潰す光景が。
 妹を、カレンを殺した奴と同じに堕ちて、それでいいのか。
 ……そうだ。あの時も、同じ問いを繰り返していた。
 そしてあの時は、手を下すまでもなく、奴は死んだ……今度はどうする?
 ラシュタルは激しく首を振った。混乱する思考から、ノイズを振り払うように。
 違う。これは多くの仲間を失った、強化人間部隊隊長としての責務だ。死んでいった者たちへの供養として、やるべきことだ。彼らはカレンとは違う。喜ぶはずだ。優しかったカレンは悲しむかもしれないが、どうせこの血に汚れた身では地獄行きだ。死んでも会えるわけがない。
 だが……。
 ラシュタルの逡巡を知らず、サトウはわめいていた。
『――だから、命じたのは第三企画局の局長で、私は……そう、彼の道具に過ぎないのよ! さ、殺人犯は裁かれても、その凶器が裁かれるなんて、ありえないでしょ!? だからね、私を殺すのはお門違いなの! それにほら、私を生かしておくといろいろ便宜を図ってあげてよ? あなたの復讐にも手を貸してあげるし、あなただけ、あなただけ特別にミラージュで雇ってあげる。もちろんメンテナンスも全部こっち持ちで。あなたの言うことなら何でも聞くから……お願い、殺さないでぇ……』
 ふっつりと、ラシュタルの中で何かが切れた。
「道具、か」
『そうよ、私は道具っ! 私の代わりなんていくらでもいるし、私がこの計画を拒否したって、誰かが代わりにやったはずだわ! 私のせいじゃない、決めたのはミラージュの上層部なのよっ! 私を殺したって、何も変わらないわ、ね? ね? ね?』
 必死に訴えるサトウ。手を組み、目を潤ませ、引き攣った顔に卑屈な笑みを浮かべて。
 ラシュタルは暗い眼差しにわずかな憐憫の情を乗せて、モニターに映る彼女を見つめた。
「サトウ……家族を殺された者の前に、家族の命を奪った凶器がある……。そんな時、人はどうすると思う?」
『はぃ……? え、あの……』
「こうするんだ」
 答える暇を与えず、ラシュタルは大きく腕を振りかぶって――投げた。
 森の梢をかすめ、悲鳴も残さずサトウは暗い夜空へ吸い込まれていった。

 ******

 シートに身を沈め、大きく吐息をつく。
(とりあえず、終わりか)
 あくまでとりあえず、だ。サトウは葬ったが、罪をあがなわせるべき相手はまだいる。
 だが、帰る場所を失った以上、『強化人間』のこの身体は長くは保たないだろう。その短い時間に何が出来るのか。
 また、どこまで戦えば、本当の意味でカレンを、いや、この茶番劇で無駄に命を墜とした者達の仇を討てるのだろうか。
 第三企画局を潰せばいいのか。それとも、ミラージュそのものを? あるいは――争い絶えぬこの世界そのものを……。
 衛星回線を開き、遺失技術研究所や【軍】の状況を確認する。しかし、データは送られてこなかった。
 研究所も【軍】の施設も既に閉鎖されたのか、それともアクセス権を剥奪されたのか。
 それ以上の追求を諦め、回線を落とした。
 ミラージュはまだサトウの部隊が壊滅したことを知らないはずだ。これ以上つついて薮蛇になっても困る。
(戦えるところまで戦う。そうとも、ナインソードの誇りにかけて、この命尽きるまで戦い抜いてやる)
 目を閉じたラシュタルはしかし、すぐにそのまぶたを開け、操縦桿を握り直した。

 ******

 【遺跡】。
 ただ独り残るラルフは、いくつものモニターを監視しつつ、端末のコンソール上で十本の指を忙しく走り回らせていた。
「……アレックス、聞こえますか? 返事をして下さい! 本当に世話のかかる人なんですから。生きてるか死んでるかぐらい連絡下さいよ、あなただけに関わってる場合じゃないんですよ! ほら、早く返事を!」
 いつもの皮肉にも、聞き慣れたアレックスの罵声は返らない。
 しばらく待って、ラルフは周波数をパイロットとの直通から公用通信域に変えた。その表情は少し強張っている。
「誰か、聞こえてませんか? こちら、ラルフ=ファエラ。生存者は挙手してください。アレックス、【はぐれ】さん、【稲妻】さん、えーと、ナインソードさんでもいいや。誰かいませんか〜?」
 固定カメラと化したACからの画像に動きはない。雨が止み、切れた雲間から降り注ぐ月の光に、串刺しになった『ペイル・ホース』の無残な姿が浮かび上がっているだけだ。
「……誰もいませんね。本当に誰もいないんですか? 今なら先生、怒りませんから――」
『……こちら、ミラージュ第三企画局所属戦闘指揮車。降伏します』
 極限まで疲れきり、生気を失った女の声に、ラルフは目を丸くした。
『お願いです、仲間が死にそうなんです。助けてください……この指揮車では応急処置は出来ても、それ以上のことは……お願い、します』
 崩壊寸前の涙声。レイヴンではないラルフにもわかる。彼女は戦場に慣れていない。死の恐怖に押し潰されかけている。
 ラルフは少し考えて、返答した。
「えーと。こちら、ラルフ=ファエラ。そちらはどなたさん? 状況を知らせてください」
『私は、戦闘補佐オペレーターのシェリス=ロードブリット。現在、当方は戦闘能力を全て奪われ、指揮官も逃亡。戦闘指揮車は前輪のシャフトが破損し、移動が出来ません。外の機動部隊の生存者の状況はわかりませんが、戦闘指揮車内のオペレーターが二人、重傷で重態です。指揮車内の医療施設で応急処置は行いましたが、継続的な医療処置は出来ません。お願い、助けて……』
「了解。……そんな状況なのに、実にわかりやすい説明ですね。感心しましたよ。ただ、こちらもそちらに展開している部隊との連絡が取れてない状態にあります。連絡が取れ次第――っと、言ってる先から来ました。ちょっと待っててくださいね」
 モニター上、【はぐれ】専用回線の呼び出しを受け、ラルフは周波数を変えた。
「【はぐれ】さん、ご無事でしたか」
『アレックスと連絡は取れないのか』
 少しラルフは表情を曇らせた。【はぐれ】の声に緊張が感じられる。
「今のところ返答無しです。それより、今――」
『聞いていた。これより、連中を始末する』
「……………………はぁ!?」
 実に事務的な口調に、思わずラルフは立ち上がっていた。
「ちょちょちょっと、何を言っているんです【はぐれ】さん! 戦闘はもう終わったんでしょ!? ……あ! まさか、【稲妻】さんが……」
『【稲妻】は無事だ。重傷を負ってはいるが。だが、戦闘はまだ終わっていない。ここにいる敵勢力は全て殲滅する』
「今さら、何のためにですか!!」
『我々の存在を隠すためにだ。これまでそうしてきた』
「馬鹿馬鹿しい! 状況は変わったんですよ!? もう、この【遺跡】を向こうは必要としてないんです!」
『それはわからん。その【遺跡】が消滅するまで、情報は隠匿する』
 ラルフは再び椅子に腰を落とし、考え込んだ。
 このままでは【はぐれ】達は本気でこの【遺跡】を消滅させようとするだろう。それは困る。
 彼らには理解不能だったかもしれないが、この施設には大いなる可能性がある。ミラージュとは全く違う方向の可能性が。
 その可能性を実現するためにも、彼女達を殺させるわけには行かない。
 だが、この男を説得するには通り一遍の理屈では通用しない。
 ……説得が無理なら、交渉しかない。
「……【はぐれ】さん、【稲妻】さんの状態は?」
『左腿に裂傷。骨までいっているかもしれん。頭を打ったらしく、意識も朦朧としている。あと、胸も何本かやられているようだ。今すぐ死ぬことはないだろうが、ここでは血止めと鎮痛剤の投与しか出来ない。このままでは危ないな。早急にそちらへ引き上げる必要がある』
「了解。今、補給機をそちらへ差し向けています。あと二十分もすれば着くでしょう。でも、着かないかもしれません」
『…………何?』
「彼女達を殺したら、着かないか、着いても自爆すると考えてください。私には出来ます」
『ラルフ君、どういうつもりだ』
 静かな声。それだけに異様な威圧感がある。
「あなたが私達にしたことを、そっくりそのままお返ししているだけですよ。【稲妻】さんを助けたければ、彼女達もセットです」
『そんなことをして、君に何の得がある』
「良心の呵責に苛まれずにすみます。私は非情なレイヴンじゃないので、必死で助けを求める人の声を無視すると人並みに胸が痛むんですよ。それに、私の作業の効率化をはかれるかも。この際だから言わせてもらいますけど、これだけのアーカイブを一人で切り回せなんて無理もいいとこなんですよ。あなたにもわかりやすく言うと、コンピュータの補助一切無しでACを動かせといってるようなもんです」
『だが、君は現に……』
「オペレートの素人はだまらっしゃい。それは私が天才だからですよ。まったく、凡人はすぐ天才の一生懸命を勘違いするんだから」
『……………………』
 沈黙が返る。ラルフは激しく後悔した。
「ごめんなさい、今のは冗談です。アレックスのつもりで……。とにかく、向こうと交渉しますから、ちょっと待っててください」
『交渉? 何を――』
 通信途中で周波数を変え、元の公用通信域に戻す。
「こちらラルフ、シェリス=ロードブリットさん、聞こえますか?」
『シェリスで結構です。助けて、いただけますか?』
 希望と怯えが半々の声が即座に応えた。
 ラルフは聞き耳を立てている【はぐれ】を意識しつつ、口を開いた。
「条件があります。それを飲んでいただければ。あと、護身用に銃を携帯しておいてください」
『え? いいんですか?』
 それは驚くだろう。普通、こういう場合には武装解除が基本だ。
「構いません。それが必要な状況だということを認識し、必要なら使用してください。ただし、相手はレイヴンです。下手な真似はなさらぬよう」
『了解です』
 まだ少し声に怯えが混じっている。しかし、安堵している雰囲気も伝わってくる。
 【はぐれ】もこの通信を聴いているはずだから、下手な真似はしないだろうが……。
 ラルフは、続けて条件の提示を行った。
 一つ、当分ミラージュには戻さない。
 一つ、当分ナービス領にも戻さない。
 一つ、以後はラルフの指揮下に入り、その指示に従って動くこと。
 一つ、戦闘指揮車のデータは全て差し出すこと。
 一つ、こちらの怪我人を治療すること。
 一つ、以上の条件に従わぬ、もしくは破ろうとした場合、殺害する。
「……これが条件です。それと、そちらの怪我人も必ず助けられるとは限りません」
『選択の余地はありません。受け入れます。……私達は、捕虜になるということですか?』
「捕虜扱いになるかどうかは、あなた方次第です。この条件も、将来にわたって継続するとは限りませんし。とにかく、詳しい話は後で。今はお互いの大事な仲間の命を助けるために、動きましょう」
『わかりました。……あの、ラルフ=ファエラさん。ありがとうございます』
 ラルフは通信の向こうのシェリスににっこり微笑んで、周波数を変えた。
「【はぐれ】さん、聞こえましたね? こういう成り行きになりましたので、よろしく」
『……君は、ほとほと油断ならない男だな』
「ありがとうございます。伝説のレイヴンに褒められたとなると、アレックスにも自慢でき――あれ?」
 ふと、ラルフの視線がモニターに吸いつけられた。

 ******

「ちっくしょー、何てぇハードな一日だよ」
 アレックスが苦労してコクピットハッチを蹴り開けた時、既に雨は上がっていた。
 閉鎖空間から開放され、空気が新鮮に感じられる。
 ハッチから飛び降り、振り返ると『ペイル・ホース』は凄まじいことになっていた。右脇腹から入った射突ブレードの切っ先が左肩から突き出し、雲間からのぞいた月の光を冷たく弾いている。
 思わずアレックスは口笛を吹いた。
「……よく生きてたな、俺。悪運だけはあるってことか」
 AC本体の通信機がやられたせいか、うんともすんとも言わないヘッドセットを軽く小突いてつまみを回す。
 出力の必要な遠距離通信は出来ないが、この戦場ぐらいの範囲の近距離通信ならカバーできるだろう。
 たちまち、通信が入った。
『アレックス、生きていたのか!?』
 失礼な言い草に顔をしかめて振り返ると、『九剣絶刀』が森の中から現われるところだった。
「よう、ナインソード」
 ちらりとACの『手』を見る。血に汚れている風には見えない。
 ふっと頬笑んだアレックスは、自分の頭を指差して見せた。
「あと10cmずれてたら、頭がなくなってたがな。ま、おかげさまでぴんぴんしてるぜ。――で、仇は取れたのか」
 短い沈黙を挟んで、ラシュタルは答えた。
『……ああ。ここでのけりは、な。君のおかげだ。礼を言う』
「気にすんな。俺が勝手にやったことだ」
 アレックスは『ペイル・ホース』の爪先に腰を下ろした。飲料パックを取り出し、ストローをくわえる。
『この借りを返したいが……すまない。今の俺には何も出来ない』
「だから気にすんなって。それより――」
『アレックス。生きてましたか。心配しましたよ。通信も通じないし』
 あまり心配してなさそうなラルフの声。振り返ると、脚部と泣き別れしたカスタムACの上半身がこちらを見ていた。
 不審そうに眉をひそめるアレックス。
「……ラルフか?」
『ええ。ま、実際に乗ってるわけではありませんけどね。【遺跡】からコントロールしてるんですよ』
『【遺跡】から? ここまでかなり離れていると思うが……衛星回線でもなければ、ろくに通信も通じないはずだ』
 ラシュタルが割り込んできた。
『ええ。だから通信圏ギリギリに一体ずつ増幅器代わりに置いてね。そういうわけで、この場に一機しか送り込めなかったんです』
「いや、それもどうだっていいんだよ」
 アレックスは空になった飲料パックを投げ捨てた。
「今、俺が知りたいのは、これからどうするか、なんだが。俺も【稲妻】も機体は大破しちまってるし、お前もそのざまだ。【はぐれ】の機体と『九剣絶刀』に分乗して引き上げるのか?」
『それについてなんですけどね。アレックス、手を貸して下さい』
「手?」
 アレックスは顔をしかめ、『九剣絶刀』の頭部を見上げた。『九剣絶刀』もアレックスを見下ろす。
『手短に言います。【稲妻】さんが死にそうです。携帯治療パックでは対応できません。こちらから補給機を回してますが、到着にも戻ってくるにも時間がかかります。今、必要適切な応急処置が出来ないと、【稲妻】さんは死ぬ可能性が高いんです』
「なるほど。それで?」
『幸い、ミラージュの戦闘指揮車に治療装置が備わっているそうなので、それを借りることになりました』
「はぁ」
『アレックスには、患者運搬用のストレッチャーを借りてきてほしいんです。ナインソードさんにも手伝っていただければ助かります』
『しかし、俺は……コクピットから降りられない』
『アレックスが受け取ったストレッチャーを、『ラファール』の傍まで持っていくだけで結構です。あちらに【はぐれ】さんがいらっしゃるので、細かい作業は彼が。で、それを今度はなるべく揺らさず、再び戦闘指揮車まで。そんな曲芸、『強化人間』のあなたにしか出来ないでしょ?』
 アレックスは思わず吹き出した。
「曲芸か。ははは、ラルフにかかっちゃ、『強化人間』も形無しだな。ナインソード、出来るんだろ?」
『あ? ああ……了解した。アレックス、つかまれ』
 差し出された『九剣絶刀』の右腕に、アレックスはしがみついた。
 滑らかな機動で反転し、ブースターの一噴きで戦闘指揮車にたどり着く。
 待っていたかのように側面ハッチが開き、中に人影が見えた。蒼ざめた顔の女が、ストレッチャーを用意して待っている。
『……初めてだ』
 ふと、ナインソードが外部スピーカーを使って呟いた。
 ACの右腕から降りたアレックスは、訝しげに見上げた。
『この身体になって以来、純粋に人を助けるために機体を操るのは、初めてだ』
 アレックスはにんまり笑った。
「気分いいだろ?」
『ああ。自分が人間だと、殺戮マシーンではないと、久々に実感している。彼にも、感謝しなくてはいけないな』
 顔は見えないが、確かにナインソードが微笑んでいると感じられ、アレックスは親指を立ててみせた。

 ******

 戦闘指揮車に積んであった治療装置によって、【稲妻】はその場では命を取りとめた。だが、危ない状況にあることは間違いない。
 また、その間に数人のMT乗りが捕虜となり、【遺跡】へ連行されることとなった。
 明け方近く、空きスペースにアレックスと治療の済んだ怪我人、それに捕虜を詰め込んだ補給機はふわりと浮き上がった。

 長い一日は終わった。
 そして日はまた昇る。
 新たなトラブルを引き連れて。


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