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9 Crafty Fox  (2)

「AIだと!? アザル=ゼールがか!?」
 思わずアレックスは叫んでいた。
 ナインソードとかいう『強化人間』とミラージュの偉い女が、こんな物騒なところでのんびり物騒な話をしている理由も、話している内容もわからなかったものの、そこだけはわかった。
 『強化人間』、『ブレインプラス』、そして『AI』。
 【稲妻】の怒りの眼差しを思い出しながら通信を聴いていたが、要するに、ミラージュはもう脳味噌だけですら必要としていない、ということなのか。
 現実が自分の予想を超えて遥かに進んでいたことに、アレックスは愕然とした。
(『強化人間』さえ用無し……だったら、あの【遺跡】はもう、奴らにとっては意味のない物、ということか……? つまり、『強化処置』も、その志願者ももはや必要ない……俺は――)
 アレックスはぶんぶん頭を振った。両手で頬を叩き、思考を鮮明化させる。
(違う! 一番の問題は、アザルが純正の機械だったってことだ! よく考えろ……俺は量産のきくプログラムに負けた……つまり、俺以下の実力のレイヴンは、確実に奴より存在意義がなくなるってことだ。だから、これは……どういう事態なのかと言うと……ええと……)
 目頭を抑え、じっと考え込む。
(……レイヴンに高額で仕事を回す必要はない……となると…………いや、しかし……どう考えてもこれは………………レイヴンが必要なくなるということか!?)
 凄まじい悪寒が背筋を駆け抜けた。絶望に近い極低温の悪寒が。
(おいおいおいおい、【はぐれ】と【稲妻】はこの通信を聴いているのか!? どうするんだ!?)

 ******

『その通りですわ。第三企画局は元々、AI研究の中心ですもの』
 ラシュタルの網膜モニター上、サトウの顔に重ねてミラージュの組織図がざっと現われる。
 確かに第三企画局の系譜をたどると、ミラージュの旧世代技術研究とAI研究の部署が元になっている。キサラギも一枚噛んでいた時期があるようだ。
『サイレントライン事件の折、AI研の暴走プログラムのおかげで壊滅的な打撃を受けたわたくし達は、【管理者】やIBISの研究・解析を元に、新たなAIの可能性にたどり着きました。大容量の記憶装置と高性能な演算処理装置を用い、戦闘データという経験を己の血肉として進化し続けるAIに』
「……少なからず、AIというのは学習機能がついているはずだが」
『ええ。でも、それは基本となる行動プログラムを補うための機能にすぎません。投入するミッションに合わせて細部を調整する必要があります。命令さえ受ければ後は自分で判断し、作戦行動をとるなどということは不可能でした。なぜなら、それを支える技術的な背景が存在しなかったからです』
 ラシュタルも頷いていた。
 件の『ブレインプラス』考案者も同じことを言っていた。大容量の記憶装置と高性能な演算処理装置、そこに走らせる完璧なプログラムがあれば、実際には脳さえ載せる必要はない。いかなるマシンであれ、パイロットなど異物にしか過ぎない。真のマシンというものはメカだけで構成されるべきで、生体パーツなどというものは要らない――と。
『音声入力で得た命令内容を自分で判断し、蓄積された戦闘経験に照らし合わせて適切な行動を取り、最も無駄のない機動を行い、最短時間で敵を葬る――その上、コミュニケーションのためにある程度の人格を持ちながら、命令者には絶対服従のAI。それが、アザル=ゼールですわ』
 外部マイクが、背部で作業をしている連中の悪態を拾っていた。降り続く雨音交じりのその声は、かなり焦っている。そろそろ、何がしかの動きがありそうだ。
「……なるほど。実に都合のいいオモチャを作ったものだ」
 嫌味を込めた物言いに、サトウはにっこり微笑み返した。
『あら、わたくし達が作ったのはアザルの人格データのみですわ。ちょっと人当たりは冷たくて、戦闘になると非情、でも向学心旺盛で、かつ主人には絶対服従。うふふ』
 妙に浮かれた口調。子供を自慢する親のような、彼氏を自慢する女のような――ちょっと寒いものをラシュタルは感じた。
『でも、それ以外のこと、ACの操縦、各パーツパラメータの制御、戦闘行動、戦術……それらはあなた方が教えたのですよ? 最初に言ったでしょう? あなた方には感謝していると。わたくし達が生みの母であるならば、あなた方は育ての父といったところかしら?』
「そういう……ことか」
 ラシュタルは唇を噛んだ。
 つまり、遺失技術開発研究所に所属する『強化人間』の戦闘データを、第三企画局はどうにかして横から拝借していたらしい。アザル=ゼールはそのデータを元に作られた、というわけだ。
 連中がわざわざ人工頭脳とコンバットレコーダーを回収しに、こんな辺境まで来たわけがわかった。『九剣絶刀』がここで得たデータをアザル=ゼールにこの場で移植するつもりなのだ。研究所のデータを盗んで、アザルに入力したように。
 ただ、なぜ今、という疑問は残る。作戦終了後、帰還を待ってもよかったはずだ。【軍】の解散にあたり、他の部署に先駆けたいだけなのかもしれないが……――いや、全て計算ずくのサトウにしては、それはあまりに杜撰で性急な理由だ。何か別の思惑がある。
「いつからだ? いつから、研究所のバックアップデータを掠め取っていた!?」
『いつもなにも』
 サトウはからからと笑った。
『最初からそのために研究所が作られ、あなた方『強化人間』が作られたのですよ?』
「…………はぁ?」
『アザルを最強・完璧な存在とするためには、中途半端なランカーレイヴンなどではなく、機体を自らの身体のように操る者の経験が必要でしたから。その経緯からいくと、わたくし達はあなた方の生みの母、ともいえなくもないですわね。ふふ』
「なにをバカな……。研究所は【軍】の所管だ。第三企画局などという外部の介入を許すわけがない!」
『そう。だから、建て直さざるを得なくなったのですわ』
「第一、今の研究所は、俺を『強化人間』にするために再建――なに?」
 サトウの一言で、違和感が襲ってきた。表層の思考の裏で、意識が何かのつながりに気づいている。
 だが、それはまだ言葉にならない。
(何だ……今の違和感は? ……建て直さざるを得なくなった? その口ぶりではまるで……)
『唐突ですけれど、あなたは疑問を持ったことはなくて?』
 眼鏡がきらりと光を弾く。妙な気配を感じてラシュタルは口をつぐんだ。
『例えば……幾重もの安全策が厳重に張り巡らされた研究所で、最も危険な被験体が暴走し、研究者だけでなく、たまたまそこへ来合わせていた民間人まで握り潰した事件について』
 ざわ、と全身の毛が逆立つ感覚に、ラシュタルは覆われた。
 何だ、何を……何のことを言っているのだ、この女は。
 被験体。暴走。人間を握り潰す。
 羅列される言葉に、思い出したくもない光景がフラッシュバックする。呼吸が……鼓動が……早まってゆく。
『その被験体は追っ手のレイヴンを倒し、逃げ続けましたわね。でも、これもおかしな話。いちいち人間を握り潰してみせるほどに狂った者が、どうして今更武器を? どこから? さらに言えば、追っ手のAC数体を撃破した被験体は、その後どうやって弾薬等を補給したのかしら?』
(……おい)
 冷却液より冷えた汗が、噴き出す。身体だけでなく、心にも。
『そうそう、こんな疑問もありましてよ? どうしてその日に限って、民間人が施設に来ていたのかしら? よりによって、同じ日に【軍】のACトーナメントで優勝した方の親族が』
(ちょっと待て)
 絶体絶命の危地にいるよりも濃厚な危険のざわめき。
『その優勝者が被験体と近い実力を持っていたのも、』
(やめろ)
 血が引いてゆく。
『あれだけの暴走事件にもかかわらず、強化人間開発研究に最低限必要なスタッフが生き残っていたのも、』
(もういいっ!!)
『【軍】のACトーナメント優勝者が被験者追撃に失敗し、研究再開後最初の『強化人間』処置に志願したのも』
 わからない。いや、わかっている。でも、わかりたくない。意識が、理解することを拒んでいる。
『――全部偶然なのかしら?』
 崩れてゆく――心の中に張っていた防壁が。
(まさか……まさか……)
 『強化人間』には本来必要のないもの、感情が――怒りがあふれてゆく。もう、自分では止められない。
『ねえ、ラシュタル・G・ナインソード元大尉? あなたは本当に一度も考えたことはなかったのかしら? 誰が、何のためにあの悪魔を世に解き放ったのか。本気で、彼一人がやったことだと信じていて?』
 蟻を踏み潰す寸前の子供のようなサトウの勝ち誇った笑み――もう、ラシュタルは声が出せなかった。
 最愛の妹カレンの死、という大きすぎる現実の前にそんなことは考えもしなかった。いや、そこへつながる記憶も、思考もなるべく封じ込んできた。事故だと思っていた。技術の暴走が招いた悲劇だったのだと。
 カレンを除いて、自分も含めたあの事件の関係者全てに責任があるのだと思い込んできた。この身体、この苦痛、この苦悩、そして屈辱も――全てはその罰なのだと。
 だが――
 サトウは見透かしたように頬を緩ませたまま、黙ってカップの縁に赤い唇をつけていた。
「貴様……」
 ぎりり、と奥歯が軋む。
「……まさか、まさかあの事件は全て……奴の暴走も、俺のこの身体も……そして、カレンも……全て貴様らが……!?」
 唐突に、網膜モニターに警告が表示された。
 工作員が業を煮やして実力行使に出たらしい。ハッチを銃撃している。
 そんなもので穴があくほどやわな装甲ではないが、その敵対行動そのものが苛立たしさをかき立て、ラシュタルの怒りに火を注ぐ。
 だが、動けない。両側から押さえつける『ミラージュシルエット』のせいで、工作員を振り払うことも出来ない。
 サトウは涼しげな顔で、先を続けた。
『……あの事件の後、新たな人材を得て、あなたという成功例を得た研究所は、次々に新しい実験結果を送り出しました。一機より二機、二機より三機の方がデータ集めには効率がいいからですわ。常人を越えた水準での戦闘経験とデータは、全て研究所のメインコンピュータを経由して、アザル=ゼールに注がれてゆきました』
「つまり、全ては……アザル=ゼールという機械人形を創るための、茶番劇だったと……」
 操縦桿を握る腕が震える。否、全身が抑え切れない怒りに震えていた。異常増加するアドレナリンに、警告が表示される。
 だがもはや、ラシュタルの怒りはそんなもので収められるはずもなかった。
「カレン、エリック、当時の研究員達、俺、他の『強化人間』達、さらには『強化人間』にさえなれずに死んで行った者達、そして……そして奴さえもが、貴様らの下らない妄想実現のための犠牲だったと……!!」
 どん、と機体が震えた。
 二機の『ミラージュシルエット』に押さえつけられて身動きならないにもかかわらず、指揮車に飛びかかろうとブースターを噴かした結果だった。
 高所作業車の台場から転げ落ちそうになった工作員の悲鳴が聞こえた。
『実現してしまえば、それはもう妄想ではありませんわ。厳然たる現実……もはや誰にも否定はできません』
 恍惚たる表情でカップを捧げ、歌うように話すサトウ。
『遺失技術などという、素性の知れないものなど当てにせず、戦闘技術の極みたるあなた方の戦闘データを蓄積することで、完璧最強のAI機体を作る。その悲願達成の過程で生じた犠牲など小さいものです。わたくし達が得たものは大きい……これこそ、ミラージュが大いなる未来へ羽ばたくための翼なのですから』
 うっとりと二機の白い機体を見つめる。
「お、おお……おおおおおおおっっっ!! 放せ……放せ……放せ放せ放せ放せ放せっ、貴様ら、放せぇぇぇぇぇっっっ!!!! 殺す! 殺してやる……絶対に許さん! 地獄の果てまで追いかけて、この手で握り潰してやる!!! 決して楽には死なせんっっっ!!!」
 操縦桿を、ペダルを無茶苦茶に操作し、人工頭脳に戦闘を指示する。だが、『ミラージュシルエット』二機の力はいかんともしがたい。
 その様子を見ながら、サトウは悠然とカップをすすっていた。
『実は先ほどから、【遺跡】の偵察に出した試験機と連絡が取れなくなっています。おそらく敵勢力に墜とされたのでしょう。あなたは、その敵と交戦しているはず。そのデータを元に完璧な戦闘プランを立て、敵を撃破する――御存知? アザル=ゼールという名前は、大破壊以前の世界において『完全なる除去』を意味したという名前、アゼザルをもじりましたの』
 嫣然と微笑んで、カップを脇に置く。
『あなたの機体にある戦闘データさえ手に入れば、あなたはもう用無し。アザルの手で葬って差し上げますわ。一号機と二号機、どちらがよろしくて? 選んでくださいな』
 ブースターペダルを踏み抜かんばかりに踏みつける。コンデンサ内のエネルギーがみるみる減り、上がり続ける発熱に人工知能が警告する。
――警告。オーバーヒートの危険あり。
『それにしても、あなたの人生を狂わせた存在によって葬られる。本当に、人生とは皮肉ですわね。ほほほ』
「サぁぁぁトおぉぉぉぉぉぉォォォォォォォッッッッ!!!!!!」
 動かない。機体は動かない。
 噴き出すブースターの炎に蒸気が立ち込め、四本の足先で地面がえぐれる。それでも、ぴくりとも動かない。
 絶望と憤怒がもたらす、足掻きという名のダンス。
「シズカ……サトウ! その胸に刻めっ! この世に最強などというものはない!! 少なくとも、貴様らでは絶対に到達できない! 人の……人の心を平気で踏みにじれるような奴に、人の心を理解できぬ貴様らに、あの人を超えることなど、絶対に出来ないっ!!」
『……まだ開けられないの?』
 いささかうんざりした態で、サトウは手近なオペレーターに聞いていた。
『ブースターの炎が危険で……』
『しょうがないわね。研究所からもらってるアレ、使っちゃって』
『はい』
 オペレーターがディスクを差し込み、キーボードを叩く。
 直ちに人工頭脳が異常なコードを受信した。研究所の人間しか知らない、人工頭脳とジェネレーターをダウンさせるコードだ。
 しかし、二つとも落ちなかった。
 期待外れの結果に、サトウの表情が歪む。
『……どういうこと?』
「レイヴンが、犬の首輪のごときコードをそのままにしておくと思うか。とっくの昔に書き換えておいた。強化人間部隊隊長ラシュタル・G・ナインソードをナメるなよ」
 勝ち誇るラシュタルに、初めてサトウの表情が明らかに強張った。
『く……自分の立場がわかってないようね。――まだハッチは開かないの!? 役立たずなんだからっ! ――ナインソード! あなたもあなたよ! ちょっと往生際が悪いんじゃなくてっ!? 帰るべき場所もない、ポンコツのくせに、手間ばっかり取らせないでよっ!!』
 甲高い喚き声を聞きながら、ラシュタルはペダルを緩めた。
「……そうだな。その通りだ。全部、終りにしよう」
 サトウのヒステリーが、むしろラシュタルの頭を冷やしてくれた。
 確かに現状では、両側二機のACの拘束を振りほどく手段はない。もし振りほどいても、継戦能力の無い状況では、逃げ切れまい。そもそも帰るべき場所が無ければ、逃げる必要もない。
 ならば、ここにいる奴らだけでも道連れに。少なくともサトウだけは、あの世でカレンに謝らせてやる。
「……コンピューター、ジェネレーター制御プログラムA119停止、ラジエータ停止」
――危険。ジェネレータ内で異常反応が進み、爆発します。
「かまわん。やれ」
 両プログラムが停止するのを確認して、ジェネレータの出力を上げる。すぐにインジケーターを振り切り、天上知らずに上がり続けてゆく。
 カウントダウンが網膜モニターで始まる。あと――120秒弱。

 ******

 アレックスは手を顔に当て、考え込んでいた。
 ただ、考え込んでいた。
 指の間から覗く眼が、サイドパネルに映る公用通信の発信元を示す光点をじっと凝視していた。

 ******

 すぐにオペレーターが異常に気づいた。
「……サトウ主任、変です。『九剣絶刀』の機体温度が上昇中、ラジエータによる冷却が行われていません!!」
「それがどうしたの?」
 不思議そうに聞き返したサトウに、オペレーターは一瞬呆気に取られた。
「え、えと……戦術コンピューターは94%の確率で自爆だと判断しています」
「あらあら、自爆ねぇ。本気かしら? 本当なら、人工頭脳もレコーダーも回収できなくなるわね……」
 小首を傾げたサトウはにっこり微笑んだ。
「でも、面白いじゃない。滅多に見られない見世物だわ。ここはじっくり拝見するとしましょう。……ちょっと離れた方がいい?」
 余裕しゃくしゃくでおかわりのカップをあおる上司に、オペレーターは真っ青になって叫んだ。
「正気ですか!? 周囲1Kmは焦土と化す爆発ですよ!? 爆心地のここは……この指揮車の装甲なんか、紙と同じです!」
 サトウはカップの中のものを吹き出した。
「ご、ごほっ――な、何よそれ! 早く止めなさい!」
「こちらからではどうにもなりません! ……全軍に撤退命令を!」
「……無理です」
 もう一人のオペレーターが、唇をわななかせて呟くように漏らした。
「周囲は森……この戦闘車両の足では……推定爆発時間90秒以内で安全圏に出るのは不可能です」
「方法は無いの!?」
 ヒステリックに叫んで立ち上がった拍子に、カップが落ちて割れた。
「戦術コンピュータは二つのプランを提案! 一つは二機のACで指揮車撤退と反対方向へ引き離す、もう一つは暴走しているジェネレーターの電気の供給を断てば、20%の確率で止められると――」
「く……指揮車急速回頭! アザル1、2! その愚か者を指揮車と反対方向へオーバードブーストで――」
「――所属不明機急速接近! うそ!? 攻撃してきます!」
「何ですってぇ!?」
 予期せぬ事態に予期せぬ襲撃。
 早々と我先に逃げているMT部隊、次々と離陸してゆくヘリ部隊、そして取り残される作戦指揮車。
 ミラージュ本社部隊は完全にパニックのどん底に突き落とされた。

 ******

 森の梢を飛び越えてきた四本のミサイルが、『ミラージュシルエット』(アザル1)を襲った。傾ぐ巨体に立て直す暇を与えず、第二波、第三波が次々と命中する。
 その刹那、『九剣絶刀』が動いた。マルチブースターを噴かして『ミラージュシルエット』のくびきから逃れ、急速旋回で正面に捉える。『ミラージュシルエット』(アザル1)に向けて、右肩のEキャノン・GERYON2の全弾を叩き込む。
『――おめーはいいから頭と機体を冷やせっつーの!!』
 威勢のいい叫びとともに、森の中から飛び出してきた機体は『ペイル・ホース』。
 右手の軽量マシンガン・SYLPHを乱射しながらほぼ棒立ちの『ミラージュシルエット』(アザル1)へ接近、ブレードを振るう。
 装甲を削り取る嫌な音とともに、白い機体の各部から火花が飛び始める。
 ターンブースターANOKUを発動し、急速旋回して今度は背後から。さらにもう一つ、光波のおまけもつけて。
 わずか1分保たず、『ミラージュシルエット』(アザル1)は擱坐した。
『ああっ、わたくしのアザル1がっ! ……なんで応戦しないのっ!?』
 ヒステリックな叫びが、公用通信回線を占拠した。
『……サトウ様の命により、『九剣絶刀』の捕獲、抑制作戦を実行中』
『はぁ?』
 無感動なアザル2の声と、いささか間の抜けたサトウの声にアレックスが笑った。
『ぷははははは、そりゃいい。どれだけ状況判断できても、命令が自分の意志で覆せないようじゃあ、戦えねえよなぁ――ま、しょせん機械ごときにゃレイヴンは無理ってこったな』
『くきぃぃぃぃっ!! あなた、誰!? 何の関係があって邪魔をするのっ!』
 そうだ、と追いすがってくる『ミラージュシルエット』(アゼル2)を躱しつつ、ラシュタルも思った。
(アレックス……シェイディ。なぜ奴は、ここへ? 俺を助けに? ふっ……まさか)
 力なく笑って首を振ったものの、心の引っかかりは消えない。
(…………だが、放っておけば皆灰燼に帰したものを……奴は来た。なぜだ?)
――自爆まで、あと四十秒。
「……コンピューター、ジェネレーター制御プログラムA119再開、ラジエータ緊急冷却開始。奴の……奴の真意を聞く」

 ******

『機体照合確認。アークのランク22位、アレックス=シェイディです』
『『九剣絶刀』、機体温度低下中……た、助かったみたいです……』
 公用通信回線が開きっぱなしなのを気づいていないのか、オペレーターの気の抜けた声を、ヒステリックな喚き声が叱りつける。
『情けない声を出さないっ! ……アレックス=シェイディ? 五日前、アリーナで『ミラージュシルエット』試験機に秒殺された二流レイヴンですわね……一人前にリベンジマッチってわけ? お笑いぐさだわ――何をしてるのっ! アザル2、早くそいつらを排除しなさいっ!』
『了解』
 何の感傷も無い声。
 無様に『九剣絶刀』を追ってきていた『ミラージュシルエット』(アザル2)の挙動が、急に変わった。
 背に負ったカルテットレーザーキャノン・WB30Q−CHIMERAが前方に倒れ、発射体制をとる。四門のレーザーキャノンによる攻撃の標的は――『九剣絶刀』。
 ラシュタルは舌打ちを漏らした。距離が取れてない。高速射撃のレーザー光線4門は躱しきれない。食らえば、擱坐する――その刹那、射線上に『ペイル・ホース』が割って入った。
 四本の薄青い光条が『ペイル・ホース』の装甲で弾ける。熱を受けた装甲が雨に洗われ、蒸気がたなびく。
「――な」
 ラシュタルは回避起動を行いながら、呆気に取られていた。
「俺を……かばった!? なぜだ!?」
『……事情はよくわからんが、お前、連中に嵌められたんで復讐がしたいんだろ? 手伝ってやる』
 安易な軽口ではない。何か思うところのある、重い口調だった。
「さ、さっきの話、聞いていたのかっ!?」
『聞いた。……聞かれたくなかったら専用回線使え。てめえらの会話、全部辺り中に筒抜けなんだよ』
 さあっと血の気が引くと同時に、頭に血が集まってきた。研究所と本社の確執など聞いてもわかるまいから、それはともかく――『強化人間』にあるまじき感情剥き出しの叫びを聞かれたことが恥ずかしい。
「く……なぜだ。俺は敵だぞ。何が狙いだ。『強化人間』の情報か」
『……おめー、心まで機械かよ』
 その一言は、サトウの台詞とは違う意味で胸に刺さった。
『俺の理由なんざどうでもいい。仇討ちを手伝うっつってんだ、割り切れなくとも呑み込め。……それが人間ってもんだろーがよ!』
 『ペイルホース』が『ミラージュシルエット』(アザル2)に挑んでゆく。
 その背がぼやける。
 ラシュタルは泣いていた。懐かしさからでもなく、悲しさからでもなく。
「……恩に、着る」
 生まれて初めて、心からそう呟いて、敵味方識別装置を逆転させた。

 ******

「……見捨てたら夢見が悪そうだ、なんてレイヴンとして言えねーよなぁ」
 アレックスは送信を切った状態でぼやいた。
 実際、あの叫びを聞くまで助けるつもりはなかった。
 だが、あの声――仇の名を叫ぶあの声はまさしく人としての、魂からの叫びだった。
 それが、アレックスの胸の奥に響いた。火をつけた。人として、捨て置けなかった。
「つくづく、俺はバカだよな」
 呟く口許が、にんまり緩んでいる。バカだとは思うが、悪い気はしない。
「ひょっとしたら、レイヴンには向いてないのかもな」


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