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9 Crafty Fox  (1)

 降り続く雨に水煙が立っている。時折、雲間に白刃が閃く。
 指示されたベースキャンプへたどり着いたラシュタルを迎えたのは、ミラージュ本社の警備部隊だった。
 かなり大規模な部隊編成だ。夜目に雨降りで見えづらいが、網膜モニター上の3Dマップではちょっとした船並のサイズはある作戦指揮車を中心に、機体運搬用のヘリと、それによって運ばれてきたACやMTが合わせて三十機以上が映っている。
(何だ……何が起きている? どこと戦争をするつもりだ?)
 キャンプに着くなりMT部隊に包囲され、ラシュタルは戸惑っていた。
『ご苦労様です。ラシュタル=G=ナインソード元大尉。お待ちしていました』
 緊迫した戦場にそぐわぬ、あでやかな声が通信機から流れてきた。
 メインモニターに作戦指揮車の二階部分が拡大表示される。四つのオペレーター席に、それぞれミラージュ本社の制服に身を包んだ女性オペレーターが着いている。そして、中央の司令官席には、戦闘指揮官としては少々不相応な格好の女性が座っていた。
 ぱりっとした白いスーツ姿に、縁無し眼鏡。艶のある黒髪が肩に広がっている。理知的な容貌の美人だ。
「……あなたは?」
『わたくしはミラージュ本社第三企画局のシズカ=サトウと申します。サトウとお呼びください』
 軽く頭を下げたサトウは、眼鏡をついっと指先で持ち上げた。
『さて……早速ですけれども、あなたにとって非常に残念なお話をしなければなりません。本日の本社会議において、重大な案件が議題にあがりました。ナービス領における戦線の拡大に伴う戦費増大と、非生産部門のリストラについてです。詳しい経緯はさておきますが、この席上において、【軍】の廃止が決定いたしました』
 ラシュタルは唇を噛んだ。あの白い機体の『強化人間』が言ったのは本当だったのか。
「なぜです……なぜ、そんなことが」
『理由は単純ですわ。我々ミラージュは新しい時代に入ったということです。確かに【軍】は、ミラージュ創設期から存在する部門として特別に扱われてきました。全く商業的活動を行わないにもかかわらず、ただ伝統があるというだけで強大な発言力を持ってきたのです』
 再び、サトウは眼鏡を指先で持ち上げた。
『ですが今、我々は地上を手に入れ、新しい時代、新しい世界を築こうとしています。そんな時に、伝統の名の元に赤字を垂れ流す旧態依然たる組織など、あってはならないのです。……まして、能力の有る無しにかかわらず、家柄などという差別的属性が地位の決定に考慮されるなど、時代遅れも甚だしいとは思いません? ナインソードさん?』
 少し小首を傾げて、にっこり微笑む。だが、今のラシュタルはその笑みに心和める心境になかった。
「…………要するに、ナービス領での戦争に金が足りないから、【軍】を潰して金をひねり出したい、と」
『うふふ、直截的な物言いは下品ですわよ。ナインソード家の最後の当主ともあろうお方が』
「見解の相違があるようですが」
 怒りを噛み潰しながら、ラシュタルは言った。
「我々【軍】は、それこそミラージュ社草創期から影の部分を受け持ち、幾多の犠牲を払ってきました。商業活動を行わないからなんだというのです。それでも、我々は必要とされたから存在してきた。そうでしょう? それを今さら……」
『だから、もう必要なくなったということですわ』
 胸にざっくり突き刺さる一言に、ラシュタルは呻いた。
『それに、忘れないでいただきたいのですけれど、わたくし達は営利企業です。収支が赤字の部門は切り捨てる。これは普通のことです』
「……………………」
『いずれにせよ、今ミラージュは変革、いいえ、革命の時期を迎えたということなのです。新たな進化と言ってもいいかもしれません。それに、【軍】幹部は既に本社の命令に従って特権の放棄を表明しています。まあ、中には抵抗する者もいますが……本社に逆らうなど、無駄で愚かな話です。そうは思いませんか?』
 価値観が違うと思えばいいのだろうか。この女の、慇懃無礼な態度は。天然なのかわざとなのか知らないが、苛々する。
 ラシュタルは一つ息を吐いて、気持ちを落ち着けた。
 ともかく、【軍】の解体はもはやミラージュの決定事項らしい。それは軍人として受け入れがたい結論ではあるが……致し方ないことか。
 【軍】はミラージュを支えるために存在し、軍人は【軍】に忠誠を誓う。主人たるミラージュが【軍】を必要としなくなり、【軍】がそれを受け入れたのなら、軍人たるラシュタルに主人の心変わりを咎めることは出来ない。怒りは自らの胸に納めるしかないのだろう。
 ならば、今聞くべきことは一つしかない。
「私達は……どうなるんです?」
『私達とは、【軍】のことですか?』
「いえ、強化人間部隊です。その維持管理は、本社の方で面倒を見てもらえるのですか?」
『そのことでしたら、ご心配なく』
 サトウの眼鏡が、きらりと光を弾いた。にっこり――いや、にたりと唇の端を持ち上げる。そして、指を鳴らした。
『あなた方欠陥商品は、第三企画局が責任をもって回収・処分いたしますから』
「なに? ――う!」
 左右の木陰から姿を現わした中量二脚ACは、素早く『九剣絶刀』の両腕を取り、両肩を押さえた。
「何だ、貴様らっ!」
 指揮車を囲むMTや戦闘車両のハロゲンライトに照らされた、夜目にもまばゆい白の機体。
「こいつは……『ミラージュシルエット』!?」
 武装はそれぞれに違うが、それは確かに先ほど出会ったあの機体だった。
『アザル1、アザル2、わたくしがよいと言うまでその欠陥商品の動きを止めておきなさい』
『了解』
『了解』
 寸分狂わぬ同じ声だった。人工頭脳の声紋判別にかけても――
(……人工音声だと? それに、アザル? さっきの奴と同じ名前なのか……? いや、声紋も同じだと!? どういうことだ!?)
『ゴミは、それを生み出したものが処分する。それが企業責任というものです。取りあえず、ことが済むまで動かないように』
「――ゴミ?」
 こめかみに青筋が浮く。
 その時、動きの取れない『九剣絶刀』の背後に高所作業車が止まった。機体背部に雨合羽を着た人影が取り付いてゆく。
「何をする気です」
『あなたの機体に搭載されている人工頭脳とコンバットレコーダーを回収します』
 サトウの言葉どおり、背部メンテナンスハッチへのアクセス要請が網膜モニター上に報告される。
 人工頭脳を徹底的な合理主義に基づくもう一人の人格だとすれば、コンバットレコーダーは自分の戦闘経験とそれに合わせたチューニングデータが記録されている、いわば第二の脳だ。
 その両方を失うことはつまり、『強化人間』としてのこれまでを全て奪われるということだ。
「何のためにっ!」
 叫びながら、ラシュタルはすぐ人工頭脳に命じて、各種ハッチを開く暗号コードを瞬時に書き換えた。その後も0.01秒ごとに暗号を変え続けるよう指示する。
 これで、少しは時間が稼げる。だが……その後は、どうする? APも、弾薬も尽きかけている。
『彼らをより最強に、より完璧に近づけるため、ですわ』
「……最強? ……完璧?」
 ついさっき投げつけられた言葉が頭で渦巻き、ラシュタルは皮肉げに自嘲の笑みを浮かべた。
(あの人ならどう言うかな)
『本来なら遺失技術開発研究所閉鎖に伴って回収する予定でしたが、本日の【軍】廃止動議の決議の前に、あなたとライノ元少尉への出撃命令が出てしまっていたため、わたくしがわざわざこんなところへ――何?』
 オペレーターに呼ばれたサトウは、報告を聞いて顔色を曇らせた。
『……………………そう。使えないわね。まあいいわ。続けさせなさい』
 サトウは、挑戦的な眼差しをラシュタルに戻し、ふっと鼻先で笑った。
『回収作業が終わるまで、少々時間がかかりそうですわね。では、お話でもしましょうか――そうね、あなた方に代わるミラージュの新たな守護者・アザル=ゼールについて、なんてどうかしら』
 背もたれにどっかり背を預け、余裕しゃくしゃくで脚を組み替えた。

 ******

 アレックスは闇の中をひた走っていた。
 レーダーの範囲内に反応はない。果たして進行方向が『九剣絶刀』が逃げた方向なのか、あるいは真っ直ぐ進んでいるのかさえ、よくわからない。……一応レーダー画面上部のコンパスとは睨めっこしているが。
 果たして、逃げ去った『九剣絶刀』はそのまま消え去るのか。それとも、AP・弾薬満タンで再び挑んでくるのか。
 もし再戦ということになれば、こちらに分が悪い。
 『ミラージュシルエット』の自滅を見届けた後、武器の回収を試みたが、レーザーライフル・SHADE2はACでは入り込めないほど木々の繁茂した場所に落ちたらしく、ブレード・ELF2しか回収できなかったからだ。垂直ミサイルの残弾も半分ほど。APも半分近くまで減っている。【稲妻】を倒す相手にこの装備・APでは相当心許ない。
「……つーか、よく考えたら【はぐれ】と互角にやり合うってんだから、フル装備・AP満タンでも心許ないわけだよな」
 ひとりごちて、自嘲の笑みを漏らす。
「何で俺、こんなことしてんのかねー。金にもならないってのに……」
 通信は先ほどから途切れているから、アレックスの独り言は誰も聞いてはいない。
 ベースがあるらしい、という報告をしたところ、【はぐれ】から回線の封鎖を指示されたのだ。
 だから、【はぐれ】達が【遺跡】を出たかどうかもわからない。
「やれやれ……コンピューター? 何の反応もないか?」
『レーダー範囲内に敵影なし。――公用通信を傍受しました』
 アレックスは慌ててACを止めた。
 【はぐれ】ではない。あの百戦錬磨のレイヴンが、そんな間抜けな通信を使うはずがない。使うのならば、何か理由がある。
「……受信しろ。発信地点を探れ」
 ACを通常モードに戻し、アレックスは通信機から流れてくる声に耳を傾けた。

 ******

 オペレーターの一人がカップを運んできた。
 礼を言って受け取ったサトウは、一口つけて顔を画面に戻した。
『さて……まずはお礼を言っておかなくてはね。あなたには感謝していますのよ? ミラージュ初の『強化人間』成功例というだけでなく、その後も強化人間部隊を率い、様々な場面で様々な経験を積んでくださった。あなたがいなければ、アザル=ゼールは生まれなかったかもしれませんわ』
「……どういう意味です?」
 怪訝そうに問い返しながら、ラシュタルはハッチを空けようとしている連中の動きを探っていた。まだ暗号を探り出そうと躍起になっている。
 人工頭脳には状況打開策の提案を指示しているが、まだ結果が出ない。
 今の状況が動かないなら、向こうが状況を動かすまで待つしかない。動けば、ほころびが生まれる。それが好機だ。そのためには、この場の指揮官であるらしいサトウとの会話を続けなければならない。
「我々と、こいつらにどんな関わりが? 少なくとも、遺失技術開発研究所の出ではないようだが」
『ええ、もちろん。彼らが生まれたのは第三企画局です。でも、彼らが並のランカーレイヴンを相手に回しても圧倒的な戦果を上げられるまでに成長したのは、あなた方『強化人間』のデータがあればこそ』
「……………………」
 ラシュタルは記憶を探って首をひねった。少なくとも、自分の憶えている限り第三企画局と接触したことはないし、アザル=ゼールとの接点もない。……研究所に保管されているバックアップデータを、盗み出していたという意味だろうか。
 彼女の意図するところが読めず、考え込んでいると、サトウは急に話題を変えた。
『ときに、ナインソードさん? ご存知かしら。『強化人間』の致命的欠陥を』
「致命的……欠陥?」
 すぐに人工頭脳が網膜モニターに可能性を羅列する。
『あなた方は確かに、常人より身体的・精神的・生理的に様々な方法で強化されています。ですが、それでも機体を操縦するという点では変わりません。神経と機械を直接つないで機体を制御する実験も行われていたようですけど、それでも神経と筋肉で生ずるタイムラグは避けられない。それが、『強化人間』の限界』
 サトウは哀れむように目を細め、カップに口をつけた。
『……また、肉体の一部でも破損しようものなら大幅に能力が低下してしまう。そして、これが最も大事な点ですが――あなた方は量産できない。商業的には致命的な欠点です』
「それはアザル=ゼールも同じでしょう」
 ラシュタルはここぞとばかりに鼻で笑い返してやった。
 しかし、返ってきたのは勝ち誇った微笑だった。
『いいえ。彼はそれらの欠陥全てを克服していますわ。彼の身体は機体。人間の身体などという余計なものがない分、神経伝達上のロスも、化学反応による筋肉伸縮の際のロスもありません。ランカーレイヴンなど寄せつけない強さを、既に誇っています』
「身体が……機体? 身体がない?」
 ラシュタルは全身から血の気が引いてゆくのを感じた。
「ちょっと待て、まさか……こいつら、『ブレインプラス』か!?」
 『ブレインプラス』。それは悪魔の技術。
 『強化人間』となってもなお存在するタイムロスをなくすために考案された極論。
 脳波による機体制御の技術を突き詰めた結果、『脳だけを機体に載せる』ことを実現しようとした計画。
 考案者いわく――脳だけを完全に守るための装置は、今のコクピットの10分の1のスペースがあれば十分。大脳機能の維持だけを行えればいいので、生命維持装置もかなり簡略化できる。実に効率的。
 まさか、その技術が既に現実化していたのか。
 強化処置自体、人道を大きく逸脱した技術だと思うが、『ブレインプラス』はもはやそんなレベルの問題ではない。例えそれが実現可能であっても、妄想にとどめて置かねばならないことが、この世の中にはある。
 もしも研究が現実化するようなら、この手で研究所を破壊しなければ、と思っていたが……先手を打たれたのか。
 だが、サトウは予想外の言葉を吐いた。
『……『ブレインプラス』? ああ、脳だけを積んで脳波制御で機体を操るとかいう。馬鹿馬鹿しい』
 さも下らなさそうに溜息をつき、カップを一舐めして唇を湿らせる。
『脳だけにせよ、五体満足にせよ、生体を載せれば生命維持装置が必要になります。それが既に無駄な機能、無駄な出費の元だというのに。もちろん、アザル=ゼールにはそんなもの必要ありません。あなた方が最も気を使う、生体と機械の調整さえ必要ない。つまり、維持管理費を限りなく安く抑えられるのです』
 『ブレインプラス』でないとわかり、ラシュタルは少し安堵したものの、新たな疑惑に眉をひそめた。
(生命維持の必要がない……? なんだそれは。それではまるで……)
『そして、これが最大の長所なのですが、あなた方のように元になる被験体が要りません。何機でも随意に生産が可能で、何度でも甦り、しかも戦うたびに知識を蓄積し、強くなる。アザル=ゼールはまさしく不死身です』
「……それじゃあ、まるでAIじゃないか」
 ええ、とサトウはこともなげに、そして得意げに肯定した。
『その通りですわ。第三企画局は元々、AI研究の中心ですもの』


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