7 Cerberus (2)
「【管理者】を倒し、サイレントラインを突破した伝説のレイヴン……本当にそれがあんたの正体なのか、【はぐれ】」
補給を終え、外に出るよう指示されたアレックスは、すれ違いざまにそう聞いた。
『……どうでもいいことだ。今の俺は【はぐれ】。それだけだ』
何を考えているのか、心ここにあらずといった声に聞こえた。
そうか、とだけ答えて破壊孔から外へ出る。
外は叩きつけるような雨が降っていた。風も出てきているようだ。
装甲を叩く雨粒の音が、かえってコクピットの静寂を引き立てる。
「……ラルフ」
アレックスはふとオペレーターを呼んだ。すぐに呑気な声が返ってくる。
『はいはーい。なんですか?』
「二人の映像を、こっちでも見られるように出来るか?」
『ええ。ちょっと待って下さい…………はい、OKです』
メインモニターに、ガレージで向き合う二機の姿が表示される。
アレックスはアリーナの観客気分で、救急ユニットから栄養補給用の携帯食の袋を取り出した。
「さて……。完全に部外者扱いされた俺としては、どうしたものかな?」
呟きながら吸い口をくわえる。袋を握り潰すと、口の中に搾り出されたゼリーが満ちた。
******
ガレージの端と端に対峙する青と白の機体。
やがて、動いたのは白い機体――『九剣絶刀』。
左肩のデュアルミサイル・SPARTOIを発射後、『強化人間』特有の莫大なコンデンサ容量に物を言わせ、ブーストダッシュで一気に迫る。
左腕のハンドガン・MIST2で牽制すると、空中へと舞い上がってデュアルミサイル・SPARTOIを躱していた青い機体は、『九剣絶刀』の頭上を越え、背後へと回り込む。
「……ターンブースターあるからといって――」
マルチブースター・REMORAで斜め前にダッシュし、強化された旋回性能を以って背後を振り返る。
人工頭脳は、最短時間で再びサイト内に敵機を納められる機動を提案――寸分たがわぬ提案通りの機動で振り返れば、予想通りの位置に青い機体があり、予想通りの時間でロックオンゲージが表示される。
「――易々と背後を取れると思うなっ!!」
Eショットガン・WYVERN2が散弾を放つ――青いACはまともに食らった。
「……え?」
違和感を感じながらもハンドガン・MIST2で追い討ちし、動きが鈍ったところへ再びEショットガン・WYVERN2。光の散弾は青いACの右胸から右腕にかけて、またしてもまともに当たった。
鉄骨柱の陰に隠れ、ハンドガンの被弾地獄から逃れた青いACは再び空中へと舞い上がる。
今度は後退しつつ、サイトに青いACを納め、狙い撃つ。しかし、今度は距離を置いたせいか、空中で華麗にかわされた。
******
KARASAWAが吼える。
マルチブースター・REMORAを発動して避けた『九剣絶刀』は、こちらの死角へ回り込む。
ターンブースターを発動させ、機体をそちらへ向けると、『九剣絶刀』は右肩のEキャノン・GERYON2を伸長していた。
青い光が溢れ――光弾が機体を直撃する。
激しい振動の中で、【はぐれ】の表情にはいささかの動揺もない。
ちらりとAPの表示を確認しただけだ。
【はぐれ】は機体をダッシュさせた。鉄骨柱をスラロームしながら、『九剣絶刀』との間合いを詰める。
死角へと回り込みながらKARASAWAを撃つ。撃つ。撃つ。
青い光弾をかわした相手も同じ方向へサテライト軌道を取り、こちらの背後を狙う姿勢を見せる。
「……いい動きだ。なるほど、『強化人間』という地獄を見て化けた口だな。今はさしずめ――その地獄の門を守る番犬といったところか」
少しだけ目を細めた【はぐれ】は、操縦桿を握り直した。
「そろそろ本気を出してゆくか」
******
「……なんか、一方的にやられてる気がするんですけど」
管制室のメインモニターで、観戦していたラルフが、ふと漏らした。
【はぐれ】はまだ一撃も当てていないにもかかわらず、ラシュタルの攻撃を受け続けている。
このままではAPが半分を切るのも時間の問題だ。
「大丈夫。彼の本気はこれからよ」
【稲妻】はラルフの後ろで、腕組みをして画面を見つめていた。その額に巻かれた包帯には、血がにじんでいる。
「そうなんですか?」
「ええ。見てなさい……本気の彼は、時間を操る」
「時間を……操るぅ?」
頷く【稲妻】。
「そう。相手が正確に先を読み、精確に機動するほど、彼の操る『時の魔法』は効力を発揮する」
ラルフは何の事やらわからぬ風情で、再び画面に目を戻していた。
******
アレックスは手の中の携帯食の存在を忘れていた。
想像を絶する戦いに目を奪われていた。
お互い、目で追うのも難しいほどの高速戦闘を続けながら、まるで見えているかのように障害物を避けている。
次々と新しい戦闘パターン・機動パターンを編み出しては破り、破ってはまた編み出す。
ラジエーターが緊急冷却モードになったり、コンデンサが底をつかないのが不思議だ。
『凌ぎ合い』という言葉が、脳裏に浮かぶ。
先ほどの戦車型ACとの戦いでは、【はぐれ】は実力の半分も出していなかったのだ。
そしてその【はぐれ】を圧倒する四脚AC。『強化人間』であるからこそ、【はぐれ】と対等以上に渡り合っているのだろうが……やはり、『強化人間』の能力の前には、人間の能力などたかが知れているのか。
握り締めた携帯食の吸い口からゼリーが溢れ出し、拳を汚していることにも気づかないまま、アレックスは画像に見入り続けていた。
******
青いACの機動が変わった。
より速く、より精確に。
ラシュタルも先読みの能力をフルに使って、より速く、より精確に、そしてより慎重に攻め手を繰り出してゆく。
相手は中量二脚、こちらは四脚。機動性ではこちらに分があるはずだが、なかなか追いきれない。
少しでも気を抜けば――がつん、という衝撃とともにメインモニターが青白く輝き、KARASAWAの一撃が、確実にヒットする。
「やはり最初の手応えの無さは気のせいか……さすがは伝説のレイヴン、そうでなくてはな!」
すぐに体勢を立て直し、牽制にハンドガン・MIST2を撃ちながら距離を取る。
小型ミサイルが数本、飛んできた。
これは本命ではない。囮だ。
ギリギリまで引きつけてワンステップで躱しながら、KARASAWAの射線を外せる位置へ移動、同時にEショットガン・WYVERN2の射線を取る。
ロックオンゲージ表示の瞬間にトリガーを引く――敵機はブレードダッシュで光弾の雨を躱した。
だが、ブレード使用後は硬直時間がある。ハンドガン・MIST2の餌食に出来る。被弾硬直している間にもう一度Eショットガン・WYVERN2を――刹那、ラシュタルはマルチブースター・REMORAを発動させた。斜め前方へのスライドダッシュ。
読み通り、たった今自分がいた位置で青い爆光が閃く。ターンブースターで機体を急速旋回させた敵機が放ったものだ。
しかし、腑に落ちない。ロックオン警告がなかった。
「何だ今のは? ロックオン前に撃ったのか?」
それにしては狙いが正確すぎる。
背後から迫る相手を、鉄骨を盾にしながら旋回し、正面に捉えて迎え撃つ。
急速後退を図る青い機体に向け、ロックオンと同時にハンドガン・MIST2とEショットガン・WYVERN2のダブルトリガーを放つ。
しかし、それらは円を描くような動きで躱された。
「全弾躱すかっ!!」
ラシュタルは唸った。
FCSにもロックオンゲージに捉えた目標の機動予測を行い、射線・弾道を補正するプログラムが搭載されている。
【はぐれ】の機動は、そのFCSの予測を逆手に取ったものだった。すなわち、FCSの予測した機動と実際の射線が重なる手前で方向転換し続けることで、ロックオンされていながら弾道を外し続けるのだ。FCSの予測と実際の射撃、着弾までのタイムラグをついた、高等回避技術。ACの挙動を知り尽くし、イメージ通りに操縦できる者だけが出来る離れ業だ。
空中で踊るように見えるその回避機動を破るには、接近戦しかない。
だが、わかっていて懐を許すレイヴンではない。
突然放たれた十発のミサイルが、『九剣絶刀』を襲う。
こちらもデュアルミサイル・SPARTOIをぶっ放しておいて、後退した。
十発の小型ミサイルを充分引きつけ、マルチブースター・REMORAを発動して切り返し、こちらも全弾躱し――間隙をついて飛んできた青い光弾も円の機動で躱してみせる。
「……お互い、距離が開けば当たらないな。ならば――」
戦術補助人工頭脳がその高速演算能力をフル回転して、機動プランを組み立ててゆく。
【はぐれ】の癖、長所、短所、傾向、性格……あらゆるデータを取り込み、最適な接近戦闘プランが提案される。ラシュタルはそれを妥当と認め、承認した。
******
「やるな、ラシュタル」
メインモニター上、『九剣絶刀』はミサイル全弾と追い討ちのKARASAWA、全て躱してみせた。
『強化人間』ゆえの先読みの賜物か、それともAC乗りとしての才能か。
こちらも飛んできたデュアルミサイル・SPARTOIを鉄骨に誘導して無効化する。
「……そろそろ頃合か」
呟いて、【はぐれ】はコンソール上のスイッチを一つ、ひねった。
「コンピュータ、アドバンスドモード起動だ」
『了解。メインシステム、アドバンスドモード、起動します』
コンピュータの声を聞きながら、右トリガーの武器をミサイルからKARASAWAに変更する。
画面上からロックオンゲージが消えた。
「さあて、ラシュタル。『強化人間』最大の弱点を乗り越えられるか?」
肉食獣の笑みを浮かべたレイヴンは、ブースターを噴かした。
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「何のつもりだっ!?」
真正面から突っ込んでくるのは予測の範囲内だ。
この後の機動も予測済み。
だが、一つだけ腑に落ちないことがあった。
ロックオン警告が出ない――KARASAWAの銃口は正しくこちらを向いているというのに。
警告無しでも相手の銃口の角度から、射線は解析可能だ。とにかく射線を外し、こちらの攻撃を――
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「読み合いだけが戦いではないぞっ!!」
すれ違いざまに少しジャンプして、ブレード発動。ホーミング機能が働き、機体がぐっと『九剣絶刀』に引き寄せられる。
同時にターンブースターをワンテンポ遅らせて噴かし、90度転回――
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急接近してきた青い機体の不自然な動き――そこまでは読みの内だった。
しかし、【はぐれ】のターンブースターの発動が、なぜかこちらの予測より0.5秒遅れた。結果、急速旋回が間に合った。モニター正面右に、ロックオンゲージが標的を捉える。
「好機っ!!!」
ハンドガン・MIST2が火を噴く。
この距離、この位置、この状況、躱せはしない。
だが、躱された。
ACではありえない機動で。
壁や天井を蹴ったり、殴って強制的に機動の方向を変える技なら見たことはある。
ブレードダッシュで狙撃を躱すのも、常套手段の一つではある。
だが、【はぐれ】の機体が見せたのはそのどれでもない。
青い機体は上体を反らして躱したのだ。
「な――」
そんな機体制御プログラムは、『九剣絶刀』といえども積んでいない。
KARASAWAの銃口が『九剣絶刀』に向けられる――けれど、ロックオン警告が出ない。
(ヤバイッ!!!)
理屈ではなく、本能でラシュタルはマルチブースター・REMORAを噴かしていた。
それでも、すれ違いざまにダメージを受けるか、否か――
覚悟した衝撃はなく、急速移動で危地を脱したかに思えた瞬間、背後から衝撃が抜けた。
一か八かのすれ違いざまではなく、急速機動後のわずかな隙を狙った確実な一撃。『強化人間』のラシュタルをも唸らせる、冷静な判断。
素早く周囲の位置関係を確認し、鉄骨の裏に身を隠す。
左後方から追い越していった青い機体が、ターンブースターを噴かして向き直る。
こちらのロックオンなど気にしていないかのようなその振る舞いに、ラシュタルは苛ついた。
「何だ? 何を仕掛けている!?」
******
「……なんだ? 何が起きている?」
アレックスは怪訝な面持ちで目を凝らした。
『九剣絶刀』の機動に乱れが生じている。
正確無比だった攻撃が芯を外れている。最初、コアを中心に命中していた弾が、今では四肢にしか当たらない。まあ、中心だろうと端だろうとダメージはダメージなのだが。
それに、精確な機動も妙にずれている。動きとしては精確そのものなのに、読みがずれている感覚。
【はぐれ】の機動がラシュタルの予想より遅いのか、ラシュタルが機体に振り回されているのか。
前者であればすぐに修正するだろうし、後者は『強化人間』にあるまじき理由だ。可能性は皆無に等しい。
なら、なんなのか。
「……おかしいのは、【はぐれ】の方か?」
『九剣絶刀』の放った右肩のEキャノン・GERYON2の青い光弾を、【はぐれ】の機体が右脚を引き、半身になって躱す――いや、躱しきれずに右肩に食らった。
「何だ、今のは!?」
先ほどの上体反らしも驚いたが、今度の機動もただ事ではない。『強化人間』でもそんな芸当はできない。いったい、【はぐれ】は何をしているのか。
気をつけて見てみれば、機動ごとに微妙な変化がある。正確無比ではない。遊びがあるとでも言えばいいのだろうか。わずかなブレのようなものがある。だがそれは、機体制御的にありえないブレだ。
例えば、ターンブースター発動時。旋回動作の終了直前に、肩を入れる動作がある。その動作だけで、90度のはずの旋回が、120度近くになっている時がある。当然、予想外の機動のため、『九剣絶刀』が慌てる。
しかし、毎回肩を入れているわけではないようだ。必要な時にその『肩入れ』の動作が行われず、かえって一撃を受けていることもある。
『肩入れ』はほんの一例だ。他にも細かい余剰動作が入り込み、複雑な機動をしている。それはまるで、ACが生物であるかのような生々しい動き。しかも、それで優位に立っているわけではない。撃つべき時に撃たず、好機をみすみす逃していることが何度となくある。
「……ACがこんな機動を、できるものなのか……?」
アレックスはコクピットの中を見渡した。確かに、これまで触ったことのないスイッチやボタン、コンソールパネルもあるが、何をどうすればどうなるのか、まったくわからない。
少し首を振って、アレックスは再び画面に集中した。
画面内の白い機体は、まるで絡まる蜘蛛の糸を振りほどこうともがいているようにも見えた。
******
「――遅いっ!!」
マルチブースター・REMORA発動による急速移動が、人工頭脳の立てた機動プランを自らぶち壊しにする。
人工頭脳の予測より0.27秒早く、青い光弾が虚空を薙ぐ。自らの直感を信じなければ命中していた。第一、今の攻撃はロックオン警告がなかった。
「くそっ、またかっ!!」
ラシュタルは苛立たしげに吐き捨てた。
戦闘プランも何もかもぶち壊しの仕切り直し。これでは操縦者の先読みを補助する人工頭脳の意味がない。
再演算は一瞬で終わるが、その一瞬のブランクが集中力を削ぐのだ。
今に限ったことではない。そして、予測が遅れるだけではない。
人工頭脳の予測点に【はぐれ】の機体が達するまでにコンマ数秒、遅れることもある。
つまり、予測が速すぎる。
人工頭脳は好機として射撃を促す。だが、トリガーを引いても当たらないことはわかっている。撃つに撃てない、微妙なブランク。
つまり、指示が不正確。
こんなことがもう何度も繰り返されている。
【はぐれ】の見せる戦闘のリズムはまるでデタラメだった。
撃つべき時に撃たない。動きに遅滞があるかと思えば、次の瞬間には予測以上の機動性を見せる。躱すべきときに躱しきれず、躱せないはずの攻撃を、躱してみせる。まるで新人とベテランが一緒に操縦しているかのようだ。
何よりラシュタルを混乱させているのは、惑わされているのが自分であるにもかかわらず、トータルのダメージは遥かに【はぐれ】の方が多いことだ。おそらく残りAPは20%ほどだろう。対するこちらは、まだ半分以上残っている。
「あの男、何がしたいっ!? 俺をおちょくるだけが目的じゃないはずだっ!! ――それとも」
思わず吐き捨てようとした言葉に愕然とする。
――それとも、俺は既にあの男を超えていたのか。
ヘビのように忍び寄る、憧れの存在を追い越したという甘美な優越感を頭を振って振り払う。
「惑わされるなっ、それこそが奴の目的のはずだっ!! 落ち着け、俺は勝っている! 勝っているんだっ! このままやればいいんだっ!!」
******
「これが、『時の魔法』の効果ですか?」
ラルフたちの目には、明らかに『九剣絶刀』の機動はおかしかった。『強化人間』特有の正確さが失われ、ちぐはぐさが目立っている。
「……『強化人間』最大の特長は何?」
【稲妻】の問いに、ラルフは顔をしかめた。
「何って……正確な操縦技術じゃないんですか? あ、ひょっとしてコンデンサ容量?」
「未来予測――先読みの能力よ。相手の機動の先を読み、あらかじめ機体をその方向へ旋回させたり、攻撃を仕掛けたりする」
「ああ、なるほど。……だから、【はぐれ】さんはあの妙な動きでラシュタル・G・ナインソードの時間感覚を狂わせている、と?」
【稲妻】は曖昧な笑みで応えた。
「人はそれぞれ、自分のリズムを持っている。だけど、実力者ほどそのリズムを自在に操ってみせる――多分、あの『強化人間』もかなりの実力があるから、それぐらいすぐに対応できるでしょう。でも……操縦を補佐する人工頭脳の方はそうはいかない」
「は? 人工頭脳、ですか?」
「そう。人工頭脳に使われているのは、極限まで正確さを求めた客観時計。リズムが変わるたび経験と直感でアバウトに修正してみせる操縦者と違って、人工頭脳はすぐには対応できない。さらに、早くなるだけならともかく、緩急自在に攻められれば……どうしても操縦者の未来予測との間に齟齬が生じてくるわ。そうなれば、戦闘自体に集中できないから、実力は発揮できない。……もっとも、攻める側のリズム変化がパターン化しないことが条件になるけど」
ラルフはあんぐり口を空けていた。
普通、惑わせることを考えるなら、不確定要素の塊みたいな操縦者の方のはずだ。それを、正確の代名詞みたいな人工頭脳のほうにペテンをかけるというのは……話そのものがペテンみたいだ。
「要するに、二頭立ての馬車の片方を狂わせてやれば」
「馬車は転倒する……」
「これを破るには、人工頭脳を止めるしかない。でも――」
【稲妻】は皮肉げな笑みを口元に浮かべて、ガレージの方を振り返った。
「圧倒的に勝っているこの状況で、果たして彼は人工頭脳を止められるかしら? いいえ、そもそもそれを思いつくかしらね?」
******
つきまとう不安感。
まるでヘビか真綿に絡みつかれているようだ。
振り払っても振り払っても、逃れられない。
人工頭脳と自分との予想の乖離、勝利している現実と惑わされ続けている現実との齟齬が、ラシュタルの心を内側から責める。
絶対的優位にありながら、ラシュタルは追い込まれていた。
息があがる。汗が滴る。集中力が保てない。
(……何だこれはっ! 勝っているのに、勝っている気がしない!)
かつては集中の極みで時間が遅くなる感覚を得たものだが、【はぐれ】相手ではそれが許されない。
それに気づいた時、ラシュタルはぞっとした。
そうなのだ。【はぐれ】の戦法は実力を発揮させないことに主眼を置いている。そして恐るべきは、わかっていながらそれを防ぐ術がないことだ。
――AP50%。機体ダメージが増大しています。
警告されて気づく。こちらのAPが半分を切っていることを。向こうはもう【ARMOR POINT LOW】の警告が表示されているはずだ。
最後の手を出す時かもしれない――思うや否や、実行に移した。
Eキャノン・GERYON2、ハンドガン・MIST2、それにイクシードオービット発動――トリプルトリガー。向こうは当たれば落ちる。
「こんな……こんな戦いは望んでないっ! 今すぐ終わらせてやる!!」
******
「26、31、11、ストップ」
【はぐれ】の指示に従い、機体各所の姿勢制御ジャイロが一瞬、停止する。
機体はスライディングをするように横倒しになりつつ、Eキャノン・GERYON2の青い光弾も、ハンドガン・MIST2の弾も、イクシードオービットの弾でさえ、躱してみせた。
「――14、42、23、ストップ。35、22、オーバー」
指示と同時にターンブースターを噴かし、肩入れの動作も入れる。
機体上体が大きく振れ、スライディングから反転しつつ、器用に立ち上がった。
真正面に旋回中の『九剣絶刀』の背中があった。
ロックオンゲージは出ない――アドバンスドモードでは、はなから切ってある。
KARASAWAが青い光弾を吐き出した。
******
「ば……かなっ!?」
射線の下をスライディングでくぐり抜けるなどという常識外れの機動に、FCSが反応できるはずもなく、必殺の全弾射撃は虚しく空を裂いた。
反転――いや、回避を。
一瞬の躊躇が、一瞬の停滞を生んだ。
背に突き刺さるKARASAWAの衝撃。
彼我の位置関係はわかっている――人工頭脳が射線とFCSのロックオン時間から最適な機動を提案する。
だが、そのロックオン時間を満たさぬうちに新たな光弾が背を抉る。
シートの中でつんのめったラシュタルは目を剥いた。ありえない攻撃だ。それに、やはりロックオン警告はなかった。
遅れて、人工頭脳が報告する。
――敵機がオートロックオンシステムを切っている可能性78.34%。
鉄骨を盾にスラロームしながら機体を旋回させる。
「つまり、奴はKARASAWAをロケット砲みたいに扱ってるってことかっ!?」
確かに、ロックオン無しでも射撃は出来る。だが、FCSのオートロックオンシステムを切ることなど、普通は出来ない。そもそも切る意味がない。
「……いや、ある。奴ぐらいになれば……そして、俺のように弾道予測が出来る奴が相手なら、むしろ無い方がっ!! ――ぐあっ!!」
またも食らった。
動きが単調になっていたのか。
だが、向き直れた。退き撃ちでトリプルトリガーを――
ロックオン警告。
(なに!? ロックオンシステムは切っていたんじゃ――)
飛んでくるミサイル。
「うおおおおおおおおおっっっ!!!!」
躱した。躱した。躱した――全部躱した……3Dマップ上、真横に敵機。躱すことに集中しすぎた。
「ちぃぃっ!!」
削り取られる衝撃。続けて、突き抜ける衝撃。
ブレードはもとより、ロックオン警告が無いためKARASAWAの射撃タイミングも計れない。
「く……だが、近づいたなっ!!」
高速旋回しながら、Eショットガン・WYVERN2に切り替え、再びトリプルトリガー発動。
だが、その大半は間に入った鉄骨に叩き込まれた。
「くっ! ……まさか、こうなるように誘導したのかっ!?」
叫んでいる間にも、青い光弾が降り注ぐ。
大半は直感的に避けるが、それでも食らう。
気づけば、【ARMOR POINT LOW】の警告が鳴り響いていた。
「くそ、当たれ当たれ当たれ当たれ当たれ当たれ当たれ!!」
まるで初心者レイヴンのような叫びを、ラシュタルは我知らずあげていた。
イクシードオービットを出しっぱなしに、ハンドガン・MIST2もEショットガン・WYVERN2も撃ちまくる。まさに弾幕。
しかし、【はぐれ】は的確に距離を置き、それらをも避けてゆく。Eショットガン・WYVERN2の散弾一発すらも当たらない。
「なぜだっ!! なぜ、それだけの力がありながら……わざと攻撃を受けたというのかっ!!」
まず、イクシードオービットが、続いてハンドガン・MIST2が弾切れになった。そして最後にEショットガン・WYVERN2までもが。残るは右肩のEキャノン・GERYON2の数発と、左肩のデュアルミサイル・SPARTOIのみ。
このとき、人工頭脳は牽制にデュアルミサイル・SPARTOIを放っての撤退を提案した。一瞬、ラシュタルも思わず破壊孔の方へ視線を動かしていた。
気づいた時には、【はぐれ】のタックルを受けていた。
壁面に叩きつけられ、KARASAWAの銃口をコクピットに突きつけられる。
Eキャノン・GERYON2の砲口は、【はぐれ】の機体の左腕で上方へ突き上げられていた。
静寂。
戦闘時通信回線が開いた。
『……チェックメイトだ』
【はぐれ】の声に全く乱れはない。それが余計に、敗北感を煽る。
「負けた、のか。俺が……なぜ」
口に出してなお、まだ信じられない。
ついさっきまで、圧倒的に勝っていたはずなのに。
『その思い上がりが敗因と知れ。……『強化人間』相手には、『強化人間』相手の戦い方がある。この世に最強など、ない』
呆然と突きつけられたKARASAWAの銃口を見つめていたラシュタルは、ふっと失笑した。
【はぐれ】は自分が戦った中では、間違いなく最強だ。その本人が最強を否定するとは。
「……あなたの方が、よほど『強化人間』らしいな」
『死に様は選ばせてやる。レイヴンとして死ぬか、軍人として死ぬか』
「レイヴンとして……?」
『レイヴンとして死にたいのなら、『強化人間』の情報は洗いざらい――』
ふと心が揺らぐ。そうだ、ここでこの命潰えるのなら、せめて自分の思いを――
その時、アレックスの声が割って入った。
『――ラルフ! 正体不明機だ! 俺のレーダー・SIREN4にかかった、こっちへ真っ直ぐ向かっている!!』