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7 Cerberus  (1)

 怒り狂うラシュタルに返されたのは、KARASAWAの青い閃光だった。
 頭部パーツYH85SRをかすめた光弾は、壁面で爆発し燐光を放って消えた。
『……人のことが言えた義理か』
 スピーカーで叫んだラシュタルに応えて、【はぐれ】もまた外部出力で答えた。
「な、に……?」
『貴様とてそのエンブレム、どういうものかわかって掲げているのだろうな』
 ラシュタルのこめかみに、ぴぴぴっと青筋が走った。
 何を言っているのだろうか、この下衆なモノマネ野郎は。
「ふざけるなっ!! 貴様などに、このエンブレムの何がわかるっ!! これは――」
『それは『九剣絶刀』。……それを掲げていいのは、ただ一人だ』
 厳然たる口調。明らかな怒りが感じられる。
『私の知っているその男は、人間を捨てて戦闘マシーンになることを選びはしない。……いや、事情があってそうせざるをえなかったとしても、それなら戦闘マシーンになりきる。エンブレムだの、塗装だのと些細なことでいちいち逆上したりはしない』
「……ちょっと待て」
 ラシュタルは、唾を飲み込んだ。
 何故このエンブレムが『九剣絶刀』だと知っているのだ。それに奴の言っている人物像は、まるで――
 いや、そんなはずはない。そこいらのレイヴンが知っているはずがない。かつてこのエンブレムを掲げていた人物のことを。その人物は20年程前に亡くなっている。
「……まさか……貴様が知っているというのか。このエンブレムが何であるか……」
『知らいでか』
 いささかの揺るぎもない声。
 ラシュタルは確信した。この男は知っている――父を。
 【軍】の要職にあった父を知るレイヴンは多くない。ましてや――
『それは、かつて私が世話になった男の家に伝わる由緒正しき家紋。私にとっては、変わらぬ友情と気高き誇りの証。貴様ごとき『強化人間』風情が――』
 ましてや、父を友と呼べるほどに親しかったレイヴンは、憶えている限り一人しかいない。
 唇が震える。全身が震えている。
 知らず、息があがってゆく。
「ま……まさか、あなたは…………『レイヴン兄ちゃん』なのか!?」
『掲げて…………は?』
 沈着冷静を絵に描いたような男が、初めて出した調子っ外れな声。
 ラシュタルは構わず叫んだ。
「俺だ! ラシュタル=G=ナインソードだ!!」
『……………………ラシュタル……ラス坊かっ!?』
 懐かしいその呼び方に、ラシュタルは魂が打ち震えるほどの感動を覚えた。
 久しく晴れた試しのなかった心の黒雲が晴れてゆく感覚。
 20年以上前の記憶が甦り、知らず、操縦桿を力いっぱい握り締める。
 網膜モニターもメインパネルモニターも、全てが歪み、揺れる――枯れ果てたはずの潤いが一筋、頬を濡らして流れ落ちた。

 ******

「……えーと。今はチャンスだと思うんだが……斬りつけちゃダメか?」
 アレックスはメインモニターを8割方占拠している『九剣絶刀』の背中を見ながら、ラルフに聞いた。オペレーター専用回線だから、目の前の『強化人間』はおろか、【はぐれ】にも聞こえていないはずだ。
 ラルフも成り行きに目を奪われてたのか、やや間があってから返信が届いた。
『やめといた方がいいでしょう。どうも、【はぐれ】さんの知り合いみたいですし……』
「ミラージュの『強化人間』と知り合いって、どういうこった? 奴は『強化人間』を排除したいんじゃなかったのか?」
『……『強化人間』と、ではなくて、『強化人間』になる前の人と、というべきなんでしょうね。話を聞いていると』
「えーと……要するにこういうことか? カマボコ見たら、カマボコの原料になったサメが知り合いだった、という……」
『どーゆー例えですか。言いたいことはわかりますけど。それより、私は【はぐれ】さんの正体が判明したことの方にこそ、驚くべきだと思いますけどね』
「【はぐれ】の正体? 何だそりゃ」
 アレックスは顔をしかめた。あの『強化人間』の古い知り合いだということ以外に、何かわかったことがあっただろうか。
『……彼は伝説のレイヴンですよ。偽者じゃなく、本物の。機体構成とエンブレムの照合からもほぼ確実だと出ていますし――』
「伝説の……誰だ、それは?」
 通信の向こうで派手にずっこける音が聞こえた。コンソールパネルに突っ伏したか、椅子ごと倒れたのか。
『く……かっ、ふっ……あ、あなたほんとにレイヴンですか!! 【管理者】を倒してレイヤードに空をもたらし、サイレントラインを単独で突破した、おそらくは史上最強のレイヴンですよ!? レイヴンなら憧れるにしろ、否定するにしろ無視は出来ない存在じゃないんですか!?』
「ああ、アレか……つか、実在する人物だったのか!? いやぁ、俺はまた架空の存在だとばっかり……」
 ラルフの重く長い溜息が流れた。
『…………もういいです。その話はここまでにしておきましょう。それより、【稲妻】さんを回収してください。成り行き次第では、そこはまた戦場になるかもしれませんし』
「ああ、そうだな」
 アレックスは『ペイル・ホース』を移動させると、擱坐して黒煙を噴いている『ラファール』に近寄った。
 待っていたかのようにハッチが開き、中から【稲妻】が姿を現わした。その表情をメインモニターに拡大する。
 額から一筋、血が流れてはいるが、眼光の鋭さにはいささかの緩みもない。
「大丈夫……そうだな」
 通信が入った。
『……私は大丈夫。それより――』
 ふいっと顔を背けた。その眼差しが『九剣絶刀』の背中を見つめる。
『どういうことなのかしら……? あの二人、どういう関係なの?』
「俺に聞くなよ」
 アレックスは『ペイル・ホース』の左手を差し出した。【稲妻】はそこへ乗り移り、身を屈める。
「あんたが知らないことを、俺が知ってるわけないだろう」
『……そうね。……なんか…………悔しいわね……』
 嫉妬心剥き出しの声に驚いてメインモニターを見直せば、【稲妻】の眼には妙な炎が燃えていた。

 ******

 二機のACはガレージの対角線上で向かい合ったまま、しばらく動こうとしなかった。
 【はぐれ】の機体はKARASAWAを突きつけたまま、『九剣絶刀』も両腕の銃を構えたままだ。
 左手に【稲妻】を乗せた『ペイル・ホース』が、管制室下のエレベーター前に横付けするのを確認しつつ、ラルフは通信管制を続けていた。もちろん、手元のモニターではこの施設の解析を続けている。
 やがて、通信回線から涙声が流れてきた時、【稲妻】が少しよろけながら管制室に入ってきた。
「……状況は?」
「変化なし。アレックスも持て余してますよ」
 二人はなすすべなくメインモニターに顔を向けた。

 ******

「……あなたに…………あなたに会って、一言、礼を言いたかった……」
 ラシュタルは湧き上がる万感の思いを込めて言った。
 『九剣絶刀』の両腕が下りる。ロックオンゲージも消える。
 ラシュタルの戦闘意欲が失われたことを察知した人工頭脳が、通常モードに戻したらしい。
 【はぐれ】の機体もまた、KARASAWAの銃口を下げた。
『礼だと? ……何の話だ?』
「あなたと、フォグシャドウに……両親の仇を、あなたたちが討ってくれたようなものだから」
『仇……ナインソードの仇を? 私とフォグシャドウが討った?』
 【はぐれ】は明らかに戸惑っている。
「父と母は……アナザーレイヤード爆撃作戦中、衛星砲によって撃墜された……。つい最近までは俺も知らなかった。単に飛行機事故とだけ聞かされていた。あなたとフォグシャドウが衛星砲の機能を止めたということさえ、つい最近知った」
 二人の死の真実と、歴史の裏側を垣間見られたのは、『強化人間』となった余禄だ。
 【失敗作】を速やかに抹消した実績と、その後の良好な戦績・実験結果から、現存する【軍】所属『強化人間』のまとめ役として抜擢されたラシュタルは、過去の極秘任務記録を閲覧する権限も与えられた。
 そして知った。
 隠密裏の爆撃作戦。
 作戦指揮官の父と指揮官補佐の母を乗せ、後にアナザーレイヤードと呼ばれる区域へ侵入した爆撃機は、衛星砲の一撃を受けて四散した。
 その後、ミラージュは一度その衛星砲を占拠したものの、AI研究所の謀略により再び奪い返される。幾度かの奪還作戦が壊滅の憂き目に終わり、上層部はレイヴンへの依頼を決意する。
 それを受けたのが、今の【はぐれ】――かつて【管理者】を倒したレイヴン――とフォグシャドウだった。
 彼らは見事に任務を果たし、衛星砲は再び沈黙した。
「あなたにこうして再会できるとは……運命というものがあるのなら、感謝すべきなのかもしれない」
『……馬鹿馬鹿しい。何が運命だ』
「え……?」
 吐き捨てるその口調に、ラシュタルは戸惑った。自分は何か、怒りを買うようなことを言っただろうか。
『こんな形での再会に、何が感謝だ。『強化人間』になったお前の姿など、見たくはなかった』
「あ……」
 思わず自分の身体を見下ろす。皮下に埋め込まれたパーツにつながるコード、背中を縛り付けるシート直結の生命維持装置……網膜モニターが各種装置の状態・機能レベルをインジケーターで表示してくる。
『ラシュタル』
 ロックオン警告が鳴り響き、人工頭脳が戦闘モードを立ち上げる。
 戸惑うラシュタルに、再びKARASAWAの銃口が向けられていた。
『お前達ミラージュの強化人間製造計画の本拠はどこだ? そして、そこで研究されているデータはどこで手に入れたものだ? 計画はどこまで進んでいる?』
 懐旧の情を根こそぎ抉り出す、冷厳たる声。
「何を……言ってるんだ……?」
 脳の隅でちりちりと灼けつくような危機感が、ラシュタルに操縦桿を握り直させる。
『『強化人間』、そしてそれを作り出す技術、知識、施設……全て排除する。答えろ』
 その言葉、そしてメインモニターを通して迫り来る圧倒的な威圧感。【はぐれ】は本気だ。
 ぞっとした。思わず叫んでいた。
「や……やめてくれっ!! 父の友としても、同じレイヴンとしても、尊敬するあなたとは戦いたくない!!」
『同じレイヴン……?』
『一応、ラシュタル・G・ナインソードはアーク登録のレイヴンです。ランク外ですけど』
 絶妙の間合いで入るラルフの説明。
 【はぐれ】は鼻先で笑った。
『一人では餌も獲れない籠の鳥の分際で、何が。『強化人間』がレイヴンだと? ほざくなよ。レイヴンは誇り高き自由の象徴。生きるも死ぬも自らの手で選び取る者だけが、使っていい肩書きだ。貴様ごときがレイヴンを名乗るなど、片腹痛い。一度死んで出直して来い』
「な……」
 心を拳で殴られた気がした。
 必死につくろってきたものを、一裂きに破かれた。
 わかっている。自分が真っ当な存在でないことぐらい。この肩書、この機体、この身体までもが自分で勝ち得たものではないことぐらい。
 だからこそ、必死で戦ってきたのに。もはや自分のものだと胸を張れるものは、戦果だけなのだから、それだけを求めてきたのに。
 それを、否定された。全て。ラシュタル・G・ナインソードという『強化人間』の全てを、彼は否定したのだ。
「あ、うあ、ああぁ…………うあああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!」
 ラシュタルは吼えた。コンソールに拳を叩きつけた。コクピットの床を何度も蹴っ飛ばした。
 胸の奥の生傷が開き、どろどろとした膿が溢れ出す。
――俺が一体どんな気持ちでこの道を選んだか知りもしないくせに俺がどんな思いでいるかも知らないくせに俺がカレンの死をどんな思いで見届けたかも知らないくせに俺がどれだけレイヴンでありたいと願っているか知らないくせに俺がどれほどミラージュの中で【軍】の中で同じ境遇の連中を守ってきたか知らないくせに――そして、俺が、あなたに会えたことにどれほど喜んだか知りもしないで俺は、俺は、俺は……お……れは…………
 不意に、ぽっかり心が空っぽになった。
 知らないうちに、叫びも途切れていた。
「……俺は…………俺は、間違って、ない」
 瞳の焦点が、再びメインモニター上の青いACに結ばれる。
 一度バラバラになった心の1ピース1ピースが、自然と寄り集まってくる。
 そうだ。プライドも、思いも、過去も、未来も――全てはここにある。この、機械と生体の不恰好な混ぜ物の中に。
 それが俺の真実だ。誰にも否定できない俺だけの真実が、ここにあるのだ。
 ふぅっと一息ついたラシュタルは、今の取り乱しようが嘘のような落ち着いた声で答えた。
「……そうとも。俺は確かに『強化人間』だ。あなたにとってはレイヴンではないかもしれない。だが、【軍】の名門ナインソード家の誇りは常に俺とともにある。そして……この身体もまた、俺の誇り。それを貶めることは、たとえあなたでも許さないっ!!」
 そうだ。俺は何のためにこの身体を得たのか。
 その選択が過ちだったというのなら、その後の自分の人生もまた間違いだったことになる。
 違う。俺は間違ってなどいない。少なくとも、父や先祖に顔向けできない生き方はしていない。
 ならばそれは、誇りを持って生きているということではないか。
 そうとも、俺は間違っていない。
「あなたは……カレンを憶えているか」
『……妹だろう? 私がナインソードの家を出たときには、まだ3つほどだったか。元気か』
「カレンは………………妹は……死んだ……。発狂し、暴走した『強化人間』に殺された」
 最愛の妹を失った時の、あの筆舌に尽くしがたい心の痛みがぶり返し、ラシュタルは唇を噛んだ。
 そうだ、あの時生身のラシュタル・G・ナインソードは死んだのだ。
「俺は、カレンの仇を討つために……人間であることを捨てた。そうしなければ、奴には勝てなかった! だから、この身体を悔いてはいないっ!! このエンブレムに掲げられた『九つの剣』、そして父と先祖の名にかけて、俺は何ら恥じるところはないっ!! 俺はラシュタル・G・ナインソード大尉……【軍】の強化人間部隊隊長だ!!」
 言い放って、戦闘モードを立ち上げる。『九剣絶刀』の両腕が持ち上がり、青いACをロックオンする。
「だが……かつて、あなたに憧れたラス坊として、無駄を承知で一言だけ言わせてほしい」
『……………………』
「お願いだ。退いてくれ。俺は……あなたを殺したくはない」
 言いながら、いつでも動けるようにブースターの圧力を微調整する。【はぐれ】が拒絶するのはわかっていた。
『……俺を殺す? 笑わせるな』
 予想通り、ドスの利いた怒りの声がガレージに響き渡る。
『俺はお前が生まれる前からACに乗っている。ちょっと機械の力を借りたからといって、俺を侮るなど30年早い』
 だが、その言葉とは裏腹に【はぐれ】はKARASAWAの銃口を下ろした。
『……ラルフ君、無人補給車をそこから動かせるな?』
『え? ……はあ、出来るみたいですけど』
 不意に話題をふられたラルフは、慌てていた。
『俺と『九剣絶刀』に補給を。AP、弾薬、全部だ。完全な状態にしてやってくれ』
『ちょ、ちょっと……どういうことですか、【はぐれ】さん』
『いいから、やってくれ。お互いの状態を五分にする』
「な……馬鹿にするなっ!! この程度のハンデなど――」
『黙れ、ラシュタル・G・ナインソード。ただのミッションならいざ知らず、これは誇りを賭けた決闘。お互い万全で始める、それが礼儀というものだ』
「……わかった……。そこまで言うなら、その申し出、受けよう。……後悔させてやる」
 それぞれの元に補給車が走ってくる。
 エレベーター脇で完全な傍観者と化したアレックスの元にも。


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