6 Uroboros (1)
階下のガレージに下りた【稲妻】は、手近なハンガーに上がり、カスタムACのコクピットハッチを開け始めた。
何を苛ついているのか、妙に一つ一つの動作が荒っぽい。
「おい、さっきのアレは何だ。現役バリバリのレイヴンに平和ボケはないだろう、平和ボケは」
「ああ、言い方が悪かったわ。……世の中を甘く見過ぎだってのよ、坊や」
ロックが外れたハッチを苛立たしげに蹴り開ける【稲妻】。
「何だと――と……何だこりゃ」
反論しようとしていたアレックスは、思わず続く言葉を忘れた。
ハッチの中にコクピットはなかった。シート、操縦桿、モニター、スイッチ、コンソール……見慣れた物が何もない。
あるのは剥き出しのコードやチューブの類と、真ん中に置かれた銀色の円筒だけ。直径30cm、高さ30cm程のその缶は、周辺から伸びる幾本ものコードやチューブにつながれている。
【稲妻】は円筒を固定している金具を外すと、コード類を乱暴に引きちぎって外へ引きずり出した。足元に置いてその蓋をめくり上げる。
「これがあなたの望みの形よ」
「……は?」
【稲妻】が円筒の中から探り出してきたのは、拳ほどの大きさの不恰好な塊だった。黒ずんだ表面に細かい皺がびっしり刻まれている。
受け取ったアレックスは、いかがわしげにそれを手の中で転がし、弄んだ。
「軽いな? それに硬い……で、これが何だってんだ?」
「それは脳」
【稲妻】は銀の円筒をハッチの中へ放り込んで、腰をハンガーの手すりに預けた。
「ノウ? ノウ……って」
「水分を失って萎縮しきったタンパク質の塊――人の脳」
手の動きが止まる。アレックスは口をパクパクさせた。言葉が出ない。
「それが、『強化人間』の行き着く先。ここに並んでいる機体全てに内蔵されている。このカスタムACは『墓標』……比喩じゃあない。事実よ」
「……何だって………………こんなことが……」
声がかすれる。嫌な汗が耐Gスーツの内側を流れてゆく。仕事で人の命を奪ったことは何度もある。だが、全てモニター越しのことだ。これほど直接的に人の死を感じたことはなかった。
「機体を制御するのに、人間の身体は要らない――その結論は、サイレントライン事件当時にAI制御の無人兵器があげた戦果とその後の研究で、ある程度実証されている。人間の操縦では、どうしても反応にロスが生まれるし、パイロットは自分の生命をかばうから」
「……人間では、機械に勝てないってのか」
「一対一の戦闘では、圧倒的に不利なのは間違いない。でも、AIにも苦手な分野がある。戦局戦局での複雑な判断が下せない。戦場での判断に『正しい答』はないからね。それに、AIは案外脆い。不正アクセスによって、認識上の敵と味方を書き換えられれば――これもサイレントライン事件の折りに頻発した、無人兵器暴走事件で証明済み。こうなると、企業としてはAIも危なっかしくて使えない」
そもそも、あの時の暴走用プログラムが未だにどこかに潜んでいるかもしれないしね、とつけ加える。
「そうか……腕のいいレイヴンなら先を予測した機動で、ある程度ロスを相殺できるし、戦況判断も出来る。それに、外部からの不正なアクセスも不可能……」
「そう。再洗脳や記憶操作は出来ないわけじゃないけど、AIプログラムの書き換えに比べて恐ろしく非効率で、確実性も薄い」
先ほど管制室で見た記録映像が脳裏によみがえり、アレックスは目を落とした。
この手の中にある脳の持ち主も、かつて『殺してくれ』と懇願していたのだろうか。それとも、後の研究映像で見たように薬品漬けにされ、そんなことも考えられずただ戦う時だけを待っていたのか。そして――その機会も与えられず、ただ時間は過ぎ、冷たい缶の中で干乾びて縮んでいったのか。
アレックスの無表情な横顔をじっと見つめていた【稲妻】は、やがてまた口を開いた。
「今はまだ、人の脳だけを取り出してACの制御パーツの一部にしてしまうような技術は、開発されていない。でも……奴らはいずれ開発する。この【遺跡】にある教科書を使えば、それこそ半年かからずにね」
アレックスはガレージの中を見回した。強化人間カスタムAC、それをメンテナンスするハンガー、そしてラルフが作業をしている管制室。どれ一つとっても、企業には宝の塊に違いあるまい。
「これが私達の妄想ならいいんだけど……お互い企業のやり方はわかってるでしょう? 今も、昔も、おそらくは世界が違ってさえも、連中の考えることは同じ」
その言葉にアレックスも同意した。博愛主義・人道厳守の企業など、白いワタリガラスと同じぐらいありえない話だ。
「だから、私たちはこの施設を消去する。ここにあるものは、レイヴンのためにならない――いえ、この世にあってはならないものだから」
【稲妻】は手すりから腰を浮かした。軽く腰の辺りをはたきつつ、にっこり微笑む。
「……これでも、まだ『強化人間』の力が欲しい?」
「……………………」
「あなたの望む力は手に入るかもしれないけど、女も抱けない、うまい酒は飲めない、そんな人生でいいの? それが、あなたのなりたかったレイヴンの姿?」
アレックスは答えられなかった。彼女の言っている理屈はわかる。間違っているとも思わない。以前の自分なら、同調しただろう。
だが、今は違う。アザル=ゼールに敗れ、あの力に魅せられた今、あの力を否定することはできなかった。
「……確かに、脳みそだけにされるのは願い下げだが……ここまでしなくても、能力を上げる方法だってあるだろう? 身体を失わない程度の……。そこまでなら――」
瞬間、視界がぶれた。何が起きたかわからぬうちに、アレックスは右を向いていた。
じんわり左頬が熱さと痛みを主張しだす――顔を戻すと、【稲妻】はまだ張ったままの姿勢でいた。最前の微笑が嘘のような凄まじい形相で。
アレックスは胸倉をつかみ上げられた。
「ガキっぽい妄想もいい加減にしなさい!! そんな都合のいい技術を、企業がレイヴンに提供するわけがないでしょう!! そんなこと、少し考えればわかるはずだわ!」
頬を張られたショックで呆然としているアレックスの手から脳の干物が落ち、ハンガー上で妙に軽い音を立てて転がった。
「身体に埋め込んだ機械のメンテナンス、異物への拒否反応、薬物中毒……全部、自分で処理できるつもり? そんな状態でいよいよ身体を奪われることになった時、抵抗できるとでも? ……甘えるんじゃないわよ。おのが命を他者に委ねた時点で、レイヴンは翼を失う。いいえ、そんな奴は、そもそもレイヴンになること自体が間違ってる」
「あ……う…………しかし、オ、【OP−INTENSIFY】とかいうパーツだったら――」
「ああ、あれね」
【稲妻】は、ははん、と鼻先で嗤った。
「機体の各種リミッターを外し、『強化人間』にそっくりな機動を実現するオプションパーツ――けれど、あれを与えられたのはトップランカーのみ。元々彼らにはそんなものなど必要のない実力があるのにね?」
こめかみに青筋を浮かべたまま、小首を傾げて微笑む。
怖い。ただ怒るよりも、凄みがある。アレックスは自分の頬が引き攣っているのを感じた。
「な、何でそんなことを……?」
「あれは餌よ」
「餌……」
「そうよ、あんたみたいなバカを釣るための餌。レイヤード解放以前……【管理者】時代の終末期、企業は無人兵器を制御するAIを作ろうとしていた。非合法活動のコストを下げ、不確定要素を排除するために。そこで、トップランカーによる極限状態の戦闘データを得るために、あのパーツを支給した。その結果……何人もの優秀なレイヴンが犠牲になった」
「ただのオプションパーツをつけただけで、何でそんな……」
「リミッターを外したACなんて、人間に扱えるものだと思って? そもそもオプションパーツのプログラムは巧妙に、人間の操縦よりパーツ内蔵AIの制御を優先するようにしてあった――極限状態を引き出すために。結果、ある者は制御しきれずACを暴走させ、またある者は制御するために無理な肉体強化を行ったり薬品の力を借りて、命を縮めた」
「全部が全部、そんな悲惨な最期を迎えたわけじゃ……」
【稲妻】の唇の端が、皮肉げな笑みにめくれ上がった。
「いいえ。ほぼ全部、よ。レイヤード解放以前にアリーナ上位を占めていた【OP−INTENSIFY】ユーザーは、サイレントライン事件当時にはほとんど生き残っていなかった。……たった十年で、そのざまよ。それでも、使いたい?」
【稲妻】はますます力を込めて胸倉を引き寄せた。額がくっつく――間近で見るその眼差しはその名の通り、怒りの稲妻を放っている。その瞳が何を見てきたのか、アレックスには想像もつかない。
「いい? その飾りじみた脳みそによく刻んでおきなさい。今も昔も、企業にとって一番目障りなのは、『強化人間』でもないのに【管理者】を倒し、衛星砲さえも止めてしまう制御の利かない力、レイヴンなの。そして、そのレイヴンの強さを支えているもの、それこそが自由であり、自由を勝ち取ろうとする意志。あなたはそれを自分から――」
『あー、おふたりさーん、通信機のスイッチ入れてくださいなー。敵が来てますよ〜』
ガレージに響き渡る、脱力感を呼び起こす声。
【稲妻】はアレックスの襟を乱暴に突き放し、首にかけていたヘッドセットをかぶった。
アレックスも自分のヘッドセットをかぶり、スイッチを入れる。
「――なに? もうそんなに?」
『ええと、第二警戒ラインを突破されてます。あと十分もかからないうちに来ますよ?』
舌打ちを漏らし、【稲妻】はハンガーを駆け降りる。アレックスも後に続いた。
******
二人のACは既に起動していた。ラルフが管制室から操作したらしい――先ほどのスピーカー放送といい、いつのまにやらこの施設の諸機能を掌握しつつあるようだ。
『敵の詳しい情報、入手しました。エンブレムから検索した結果、敵はアーク登録のラシュタル・G・ナインソード。機体名は『九剣絶刀』。ランク外ですが、新人ではありません。……あまり仕事をしないタイプのようですね。アリーナにも二、三度しか出てません。何でレイヴンになったんでしょうか?』
「知るか。本人に聞け」
アレックスの腕と目は忙しくコクピット内を走り、各種機能をチェックする。
ジェネレーター、ラジエーター、バランサー、FCS、ブースター、レーダー、機体各部の装甲、駆動系、電装系……オールグリーン。コンピュータの女声がそれを伝える。
そこへ、【稲妻】から通信が入った。
『――アレックス。伝えるべきことは伝えた。あなたがどう選択するか、もう私の知ったことじゃない。好きになさい。でも、この戦いだけは――』
「わかっている」
アレックスは感情を抑えた、低い声で答えた。さっき叩かれた左頬に、まだ熱痛がじんじんとうずくまっている。
「今の俺はラルフの護衛だ。奴を無事アークに帰還させるまで、任務の達成が困難になるような真似はしない」
『……へぇ? じゃあ、さっきのあれは――……カマかけたわね?』
【稲妻】の声に苦笑が混じる。
『ラルフ君に劣らず、結構策士じゃないの。類は友を、ってやつかしら』
「半分ぐらい本気だったけどな」
にこりともせずに答え、操縦桿をゆっくり倒す。
『ペイル・ホース』はハンガーのくびきを離れ、歩き出した。
「……力が欲しいのは事実だ。ミッションならともかく、衆人環視のアリーナで受けたあれだけの屈辱……ガキと嘲けられても、奴に一泡吹かせてやらない限りは、俺は前に進めない」
『よっぽど酷いやられ方をしたのね。ま、それも経験のうち――ラルフ君、相手の位置を』
りょーかい、という返事とともに、データがモニターに表示される。
四脚ACは本当にすぐ傍まできていた。
「よし、一番手は俺が――」
『前衛は私。アレックス君は後衛で援護。場所が場所だから、無駄撃ち、同士討ちしないように。私の機体、装甲薄いから』
「お、おい」
アレックスが呼び止める間もなく、迷彩AC『ラファール』は破壊孔の脇へと走り出していた。
******
「……【遺跡】からの攻撃はなし。篭城を選んだか、それとも――」
ラシュタルは【遺跡】の姿を暗視装置を通して見つめていた。
鬱蒼たる森の中では、実際の日没より早く闇が来る。樹冠部にはまだ落ちきらぬ陽の光が残っているが、『九剣絶刀』の周囲は既に夜のしじまに落ちつつあった。
巨大な植物に絡みつかれている施設の一部に破壊孔が見える。そこから漏れ出している光が、唯一闇の完全なる征服を妨げている。
「ACは少なくともあと二機。うち一機はデュアルブレード機体。脱出の形跡はない……となると、待ち伏せか」
ラシュタルの予想を、即座に人工頭脳が演算・検証する。
――可能性72.29%。当該施設のスキャン不能、地下等に逃亡路が存在する可能性あり。
「なるほど。踏み込んだ途端に、施設ごとドカン、という手もあるか……いや」
ラシュタルは唇を歪めた。
「――それはなさそうだな」
気配を感じる。凄まじい殺気だ。仕掛けに込められた殺意ではない。おのが腕で止めを差す者の、氷刃のような殺気。AIや人工頭脳では、決してこの殺気を感じとれまい。
「……間に合わんとは思うが、ライノ少尉の件もある。ここは速攻で終わらせる」
突入の意志を固めたラシュタルに、補助人工頭脳が警告する。
――非論理的前提条件による結論。再考の要あり。
――ライノ少尉の生存確率0%。誤差、無視の範囲内。
――破壊孔周辺にトラップの危険性あり。別角度より新たな突入孔を空けることを推奨。
「うるさい、黙っていろ。……わかってても、一縷の望みを持ち続ける。それが人間だ――それが仲間だ」
――非論理的。再考の要あり。
ラシュタルは人工頭脳の警告を無視し、ブーストダッシュを開始した。