愛の狂戦士部隊、見参!!

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後日譚 イークエーサ騒乱

 ベイアード家の営む温泉宿は今、宴の準備の真っ盛りだった。
 二年前に行方をくらませた娘が無事に帰ってきたこと。
 その娘が、探していた婚約者を連れ戻したこと。
 その婚約者が宿の裏の祠で、ボコボコ様のお力によって奇跡の回復をしたこと。
 そして、二人はそのまま勢いをつけて結婚へと雪崩れ込んだこと。(多分に男の側の意思は無視されていたが)
 とにかく、イークエーサの町はその話で持ちきりだった。
 ベイアードの宿には、一言祝いの言葉を述べようとする町中の人間が押し寄せ、大騒ぎになっていた。
 そして……そうした浮かれ騒ぎがあると、必ず影が差す。それが世界の鉄則だった。

 ―――――――― * * * ――――――――

「……これが、ボコボコの結婚式?」
 半分呆れた声を出したのは、ゴン。全身すっぽんぽんのまっ裸で、風呂に胸まで浸かっている。
 ここはイークエーサ最大の公衆浴場の大露天風呂。
 岩で囲んだちょっとした池並みの湯船あり、檜であつらえた湯船あり、流れる湯船あり、熱した岩に水を掛け、その蒸気にあたる蒸気風呂あり。さまざまな種類の湯があった。
 だが、この日の大露天風呂は、いつもよりさらに広々としていた。
 なぜなら、男女の浴場を分ける垣根が全て取り払われていたからだ。そして、そこここに点在する様々な種類の露天風呂に老若男女の別なく大勢の人が入浴し、談笑している。
 足湯と洗い場に出ている者を除いて、誰もバスローブやタオルを巻いて入泉している者はいない。それは温泉を冒涜する行為なのだとゴン自身も説明され、絶対に身を隠すような物を持って湯船に入るな、と何度も念を押された。
 洗い場にはテーブルが置かれ、食事や飲み物が置かれていた。無くなれば、新しいものが追加されている。
「すごいなぁ。なんていうか……信じられない光景だねぇ」
 ブツブツと感想をひとりごちる。そうでもしていなければ、心が落ち着かなかった。
 いかに男女の区別なく素っ裸とはいえ、さすがに結婚式の場で不謹慎なことをする者はいない。
 いや、酔った勢いで、女性に対して眉をひそめるようなことをした者もいたが、すぐに屈強な男たちに連れ出されていった。傍にいた老人に聞いたところでは、あの屈強な男達はこの公衆浴場の従業員だそうだ。
 そもそもこの結婚式は、イークエーサの温泉街ギルドが主催しているそうで、中には両家にまったく関係のないお客も混じっているとか。
 温泉は人を選り分けない。楽しみ喜びは分け隔てなく、がボコボコ様の教えだから、と老人は愉快そうに笑っていた。
「いやしかし、ご褒美が温泉とはうちの師匠もいいとこあるねぇ」
 いつの間にか近づいてきたストラウスは、鼻歌交じりにのんびり漏らした。
 マルムークに斬られた左脇腹から右肩への傷は、痕こそうっすら残っているものの完全に治っている。いかつい傷だが、本人は気に入っているらしい。チンピラの入れる刺青のノリか。
「こんなゆっくりしたのはいつ以来かねぇ。まーさーにグレイとクリス様々だな。へっへっへ」
 湯船の縁の岩に背中を預け、足を伸ばし、さも心地好さげにぷはぁ、と息を吐く。
「……まてよ? つーことは、遡っていけばマイク=デービスをたぶらかして傭兵部隊を組織したノスフェル伯爵様々で……そうなるとやっぱり、そのノスフェル伯爵を十年前に取り逃がした師匠たち様々、ということか。う〜ん、まさに巡る因果は糸車」
「まーまーまーまー、難しいことはどーでもいいから、とにかく師匠にかんぱーいだっ!! ついでにクリスとグレイの結婚にもかんぱーい! なはははははは」
 湯船の外から、すでに酔っ払ったシュラが何十度目かも知れぬ祝杯の声をあげる。
「いや、シュラ。そっちがメインでしょ」
「いやー、イークエーサはいいとこだ。酒は飲み放題、メシは食い放題、女の裸は見放題、まーさーにーこの世のパァラダイス♪ 俺、ここに住もうかな? かんぱーい♪」
 ゴンの突っ込みも届いていない。
 シュラの周囲には、いつの間にか小さな車座が出来ていた。シュラの浮かれぶりに、周りの男たちもやや下品な笑い声をあげて、なんだかよくわからないままに祝杯の声をあげている。
 ゴンはため息をついて、残る一人を探した。
 キーモは……踊っていた。
 女湯との境目辺りで、女も加わったより大きな車座の中、いかつい男たちと肩を組んでフルチンでラインダンスを踊っている。
 見ている女性も笑っているということは、出し物か何かのように思われているのだろうか。実に楽しそうだ。
 幾人かは激しく踊りすぎてひっくり返っている……と、見ている間に、キーモも足を滑らせてひっくり返り、したたかに後頭部を強打していた。その様を見てまた笑い声が弾ける。
「なんていうか……平和だねぇ」
 身体を包む温泉の温かさと、心をほぐすのどかな空気。
 ゴンは背中を湯船の縁の岩に預け、空を見上げた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「……何かお礼をしたいんだけど、何がいいかな?」
 昨晩。
 すっかり回復したグレイとクリスが、揃って四人の宿泊している部屋を訪れてそう言った。
「金ー!! 金、金、金ー!!」
「若いねーちゃん!! 酒、うまいもんっ!!」
 お約束通りに欲望丸出しで叫ぶキーモとシュラに困惑げな笑顔を返し、クリスはゴンを見た。
「そんなのでいいの?」
 今度はゴンが困惑する番だった。
「いや……いいというか、何と言うか。とりあえず、下世話な話で悪いんだけど、僕ら一文無しだし、僕もモーカリマッカの司祭なんで、否定は出来ないし」
「あ、そーか。そうだよね。やっぱり、こういうのはこっちで考えて……」
「ちょおっとまったぁぁぁ!!」
 いきなり割り込んできたのは、シュラ。
「おいおいおいおい、僕ら一文無しとはどういうことだ、ゴン。お前、まさか……」
「あーっっっ!!!!!!」
 シュラの叫びとともに自分の荷物を覗いていたキーモが、世も末になったかのような叫び声を上げた。
「わしの、わしのなけなしの金が……ヘソクリまでなくなっとるっ!!」
 二人の視線が、すまし顔のストラウスに向く。ストラウスは、おもむろに懐から必要経費としてあずかってきた金子袋を取り出し、口を空けて下に向けて振った。
 ぱらぱらと何かの粉めいたものだけが落ち、ストラウスはにっかり笑った。
「ないぞ」
「ゴン、てめえええええええっっっ!! 勝手に使いやがったなぁっっ!!」
「やりくさりやがったなっ、われぇっ!! ストラウスも承知の上かいっ!!」
「まーねー」
 軽い調子で袋を懐に戻すストラウス。顔を背けているゴン。
 状況を飲み込めないクリスとグレイは顔を見合わせた。
「ごめん。どういうことなの?」
「わかるように説明してくれるか?」
 二人の質問に、顔を鬼の形相にしたキーモとシュラはひとまず飛び掛る素振りをこらえた。
 ゴンがとぼけた調子で説明する。
「ん〜とね。最後の戦いの時にさ、僕とストラウスが外からやって来て、超特大のリパルスアンデッドを放ったでしょ。憶えてない?」
 再びクリストグレイは顔を見合わせ、同時に首を横に振った。
「その時、あたし、まだ伯爵の支配下にあったんだと思う」
「多分、俺はぶっ倒れて意識を失ってた時だろうな」
 ゴンはがっくり肩を落とした。
「ううう〜。一世一代の晴れ姿だったのになぁ〜……ま、いいや」
 すぐに気を取り直して、顔を上げる。
「その時に、モーカリマッカ様に頼んだのさ。僕らの持ってる財貨の全てを捧げますから、伯爵を倒せる威力をお貸し下さいって。……ちょっと足りなかったけど」
「やかましいっ!!」
「まるでわしらが貧乏人みたいに言うなっ!!」
「……いや、キーモ。お前は間違いなく貧乏人だし」
「やかましっ!! くそ……城住まいのブルジョア暗殺者め」
 キーモとシュラの即席漫才をよそに、ようやく状況を理解したクリスとグレイの二人は、またも顔を見合わせていた。
 後をストラウスが引き取る。
「ま、そういうわけで俺たちは今一文無し。実は、ミアからこっちへ帰ってくる旅費もなかったって訳でね。その意味では、こっちこそ君らに感謝してる。ここまでロハで帰ってこれたわけだし」
「そっか……じゃあ、お金でも充分お礼になるんだ」
「もちろん。この上なく助かるね、今の俺たちには」
「わかった、用意するね。明日の結婚式の後で渡すわ。あ、でも。なくなった分には足りないかもしれないけど……」
「そんなケチなことは言わないよ。どうせ、俺たち冒険者。貯めてたっつっても、あぶく銭だ。なけりゃないで何とかするし、また稼ぐさ。冒険でもして。な、みんな」
 頷くゴン。シュラも渋々。
 そして、キーモだけがいつも通りに欲望剥き出しでそれを否定し、三人から集中砲火を浴びて黙らされた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 不意に、涼やかな鐘の音が鳴り響いた。
 式の開始を告げるその清らかな響きに、たちまちざわめきが薄れてゆく。
 雰囲気の変化を察知したシュラたちもゴンの傍に戻って来た。
「いよいよ始まるな」
 背中に刺青を背負った屈強な男が目を伏せて離れていったほど、傷だらけの身体のシュラ。先ほどまでの浮かれ騒ぎの名残り、片手に酒の入った磁器カップを持ったままだ。
「そういえば、ボコボコの結婚式にウェディングドレスってあるのかね。確か、モーカリマッカは――」
 ストラウスがとぼけたことを言いながら、両手で湯をすくっては顔を洗う。
 ゴンは頷いた。
「うん。コインを縫いこんだドレスを使うね。そりゃ上から下までコインまみれだから、重いのなんの。そんじょそこらの鎧より防御力あるかもしんない。でも、ボコボコの結婚式には、ないんじゃないかな。なにせ式場がここだし。あっても、式の後の宿屋での披露宴で披露するぐらい――」
「お、来おったで?」
 キーモの声に、愛の狂戦士部隊だけでなく、その場にいた者全てが口をつぐんだ。
 まず、女の脱衣所から濃厚な蒸気が噴き出した。クリスらしき影がしずしずと入って来る。
(あー、もし裸だったら……いかんいかん、ここは見ちゃだめだ。いやでも、晴れ姿なんだから見てあげないと、でも……あああああ、僕はどうすればいいんだ)
 そんなゴンの悩乱をよそに、シュラとストラウス、キーモはすすすっとお湯を掻き分けて近づいて行く。
「おおっ!?」
 声を上げたのは、ストラウスだった。
 そっぽを向いていたゴンは顔をしかめた。声の調子がおかしい。若い娘の裸を見た喜色混じり、というよりは純粋に驚いている。
「なんやぁ!?」
 ストラウスより判りやすい、キーモの声。
 ゴンは思わず顔をクリスの方に向けた。
 ちょうど、クリスが父親に手を引かれ、蒸気の中から現れるところだった。素足が洗い場の石畳をひたひたと叩いている。
 クリスは、バスローブを身にまとっていた。金銀の刺繍と宝石細工の施された、一見するとバスローブには見えないものではあったが、裾から除く素足と腰帯の形状から何とかそれとわかる。
 頭にはバスタオルを巻いていた。その中央、ちょうど額の上に金の刺繍でティアラ(宝冠)が描かれている。
 その手にはブーケの代わりに、妙な形状の鉱物を抱えている。
(……ひょっとして、湯の花?)
 蒸気と宝石の放つ輝きに包まれたクリスは幸せそうに微笑み、御伽噺のお姫様にも引けを取らない美しさを放っていた。
 あちらこちらで若い女のため息が漏れ、どこからともなく拍手が鳴り始めた。
 ゴンもまた、知らず知らずに手を打ち鳴らしていた。
 皆がクリスに惹きつけられている間に、グレイも入場してきていた。親はいないため、一人での入場。
 鎧を意匠したバスローブ。ショルダーガードが張り出した形状なため、クリスのものよりさらにバスローブには見えないが、そうなのだとゴンの傍にいる老人が説明してくれる。
 ついでに、あの二人のローブはあの二人のものではなく、町から貸し出されたものだという話もしてくれた。所有者はイークエーサの温泉街ギルドなのだそうだ。
 グレイの表情は引き締まり……と言うより、これまでになく緊張しているように見える。
 男女浴場を分けていた垣根のあった場所で、父親からクリスを受け取ったグレイは、二人手を繋ぎ、歩調を合わせて奥へと進んでゆく。
 この大浴場最大の、滝のような放泉口のある大きな岩の前では、これまたバスローブを着た老人が二人を待っていた。
「……これより、温泉の神ボコボコ様の御前で、若き二人の縁(えにし)を結ぶ」
 浴場が、静まり返った。
「グレイ=スレイグス、クリス=ベイアード。汝ら、ボコボコ神の御前でお互いのとこしえなる愛を誓え。お互いがお互いを癒す温泉であることをここに誓え。病める時には癒し、健やかなる時はますます健やかにし、貧しき時も心身が冷ゆることなきようにし、富める時にこそ湯の華のごとくにその本質たる愛を集め固め、その暖かき家庭は立ち込める蒸気のごとくに、お互いへの思いやりは尽きることなき源泉のごとくに湧きいずらせよ。さあ、汝らこの誓い結べるなら、お互いの口づけを以って応えよ。ここにおわすボコボコの神と、汝らを見守る者達の目がその誓いと志を見届けるであろう」
 お互いを見つめあい、頷き合うグレイとクリス。
 その顔が近づき――
「おーっと、待ったお二人さん」
 取り仕切り役の老人が、いきなり二人を止めて、片目をつぶった。
「式の段取り、忘れとりゃせんかね? ここは風呂場じゃ。隠すことなき二人の愛の誓いを証すにあたり、その格好はまずかろ? 隠してはいかんよ、隠しては。風呂場は裸が原則じゃ」
 二人は慌てて腰帯を解いて、バスローブを脱いだ。当然、その下は裸。
 交錯する男どもの歓声と、女たちの楽しげな黄色い声。
 足元にバスローブを脱ぎ捨てたまま、グレイがクリスを抱き締めるようにして唇に唇を重ねた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「くそー、(クリスの裸が)見えねー」
 悔しそうに縁の石を叩くシュラの後頭部を、ゴンは蹴っ飛ばして湯の中に沈めた。
 見事なグレイの早業だった。クリスの背中はともかく、身体の前面が見えないようグレイはローブが足元に落ちるより早く、自らの全身で覆い隠すように抱き締めていた。
 あの状況でクリスの裸の全てが見えたのは、二人の傍にいる取り仕切り役の老人だけだろう。
 ちょっと残念なような、安堵したような。
 複雑な心境を、ゴンは一つの吐息に乗せて吐き出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 熱烈な口づけを続けている……のか、クリスの裸を隠すために離れられなくなっているのか。
 ひたすら抱き合う二人を前に、取り仕切り役の老人が声を張り上げる。
「この二人の誓いを見届けし者たちよ。ボコボコ様の御意志は、汝らの中にあり。この誓いを偽りとみなす者は、今ここで声をあげよ。真正なるものと認める者は、祝福の拍手を――」
「異議あり!」
 唐突に響く野太い声に、たちまち式場の空気が変わった。
「この婚姻は、邪欲に満ち溢れておるぞ」
 それは一陣の風が、蒸気を吹き払ったときの感じに似ている。
 ひた、ひた、ひた……と裸足が石畳を踏みしめる音。男の脱衣場から響いてくる。
 やがて、立ち込める蒸気を掻き分けて、むさくるしい男の一団が姿を現わした。律儀にきちんと全身素っ裸、小脇に手桶と手拭いを抱えている。
 男達は総勢十名ほどいたが、どれも屈強な体格と只者ではない顔つきだった。ここの公衆浴場の従業員より強面で体つきも大きい。
「貴様、ベラン! この婚姻のどこが邪欲に満ちているというのだ」
 進み出てきたのは花嫁の父、ベイアードだった。
「わしの娘の晴れの席で、そのような戯れ言……冗談では済まぬぞ!」
 ゴンはそっと隣の老人に聞いた。
「誰です?」
「川を挟んで向こう岸の温泉街、ハークサースの温泉街ギルドのギルドマスターじゃな」
「……それがなんで、クリスの結婚式の邪魔に?」
「ベイアードはイークエーサの温泉街ギルドの次期ギルドマスターの呼び声が高いからのう。ハークサースとイークエーサは源泉の位置を巡って昔から仲が悪いし……嫌がらせではないかの」
「――戯れ言であるものかっ!!」
 一団の先頭の男、ベランが喚いた。
「スレイグス家はイークエーサ、ハークサースの両町を護る傭兵のはず! それがこのような形で結婚すれば、必ずハークサースはないがしろにされる! したがって、この結婚認めるわけにはいかぬ!!」
「この結婚には、そんな政略的な意味はないっ!! わしの娘がグレイ君を見初め、長年に渡って口説き続けた結果として……」
「知ったことではないわっ!! もしこのまま式を強行するというのなら、わしらにも考えがあるっ!!」
「なんじゃ!?」
「第三次温泉街戦争を引き起こすまでっ!! そうなればスレイグスだけでなく、御神体も奪ってくれるっ!!」
 ベイアードの顔色が変わった。周囲にいる、いかにもお偉方な連中も色を失っている。
「ぬ、ぬぬぬぬぬうううっっ!! 愚かなことを申すなっ! そんなことをすれば、ボコボコ様の怒りを買い、今度こそ温泉が干上がってしまうぞ!!」
「だぁはっはっはー、どうせスレイグス家がそっちに肩入れすれば、ハークサースは衰退してゆくんだ! 死なばもろともだっ!!」
 ベイアードは歯軋りをして地団駄を踏んだ。
「く……それだけは……それだけはなんとしても………………あ、そうじゃ」
 なにに気づいたのか。ベイアードはふと顔を上げた。
「ベラン。確か、お主も娘がおったな」
「おう。上中下、三人娘だ。わしに似て美人揃いだぞう」
 娘の話が出た途端、ベランの表情がにわかに崩れた。
「どれでもよいわ。うちの義息(むすこ)に嫁としてあてがえ」
 といって指差した先は、グレイ。この騒ぎに乗じて、再びバスローブをまとっていた二人は、嫁の父の提案に全身を硬張らせていた。
「……は?」
「お父、さん?」
 グレイたちと同じく、固まっていたベランが首を傾げると、ベイアードは目に危ない輝きを宿して、その肩をがっしりつかんだ。
「ふっふっふ、よく考えればボコボコ様は重婚を否定なさってはおらん。お主の娘もグレイにあてがえば、そっちとこっち、立場は同じ。どうじゃ、この案は」
 妙な迫力を見せるベイアードに、ベランがたじろぐ。
「い、いやしかし……わしはいいが……その…………」
「お主の娘が頷かぬ、か? それぐらい、お主が説得せ――」
「お前の娘が頷かんわっ、バカーっ!!!!」
 すかぽーん、と派手な音を立てて、手桶がベイアードの後頭部を直撃した。殴ったのは、もちろんクリス。
 頭を抱えてよろめきながら振り返った父親に、クリスはバスローブの前を片手で掻き合わせながら吠えた。腰帯を結ぶ前に殴りかかってきたらしい。
「なに考えてんのっ!! 娘の結婚式の最中に、新郎によその女をあてがう相談なんてっ!!」
「し、しかしじゃな、イークエーサとハークサースの将来を考えれば――」
「知るかっ、バカーっっっっ!!」
 手桶の底で父親の顔面をどつく。
 鼻血を出してよろめき倒れるベイアードを、ベランが慌てて支えた。
「おお、ベラン。すまん」
「いや、風呂場でこけると、大怪我するでな」
「あんたものんきなこと言ってんじゃないわよーっ!!」
 爽快な音が響き、ベランはベイアードともどもひっくり返った。
「ぐおおお、何という活発なお嬢さん……いや、乱暴な女じゃ」
 手桶の底の跡が残る顔を押さえ、涙目で漏らす。
「うう、判るか。わしもほとほと手を焼いておってのー」
「いや実は、うちも似たようなものでなぁ」
「お互い苦労するのぅ」
「むさい男が素っ裸で傷舐めあってんじゃないわよっ!」
 振り上げられる手桶に、二人の父親が身を竦める。
 しかし、その手桶はグレイが軽く取り上げた。
「よせ、クリス」
「でもでも」
「俺はクリス以外と結婚する気はない」
 たちまちクリスの顔が光り輝いた。
「グレイ、好きーっ!!」
「むごっ!!」
 抱きついて、唇を奪う。不意打ちに目を白黒させるグレイ。
 それを下から見上げていたベイアードとベランは、アイコンタクトを交わして頷きあった。
 ベランが立ち上がり、背後で呆気に取られていた同行者数人を呼ぶ。
「おう、てめえらっ!! グレイ=スレイグスを確保しろっ! とりあえず、ハークサースに連れてゆくっ! うちで見合いだっ!」
 続けてベイアードも立ち上がり、ハークサースの男たちを囲んでいた屈強な従業員を呼ぶ。
「娘を捕まえろっ! ことはイークエーサとハークサースの存亡に関わるっ! 何かの拍子に大事なところに触ってしまっても、この際構わんっ! 父親のわしが許すっ!!」
 グレイから唇をもぎ離したクリスが、驚きの眼差しで父親を見やる。グレイも目を丸くしていた。
「ちょ、ちょっとお父さんっ!? なんてことっ」
「ベイアードさんっ!?」
「ぐふふふふ、クーリースー。観念せぇぇぇい……」
 わきわきと卑猥な手つきで指を蠢かす父親。
 グレイはクリスを守って、より強く抱き締める。
 鼻息の荒いイークエーサの従業員と、ハークサースの男たちが一斉に襲い掛かってきた。
 抵抗すべく、グレイを突き飛ばして手桶を奪い、振り上げるクリス――
「ふざけんな、アホおや――」
 突然、イークエーサの従業員が吹っ飛んだ。空中で何度か捻りを入れて、少し離れた大きめの温泉に頭からはまる。
 同時にハークサースの男たちも、次々飛来した手桶の直撃を受けてひっくり返った。
 この愉快な見世物に固唾を呑んでいた会場から、おお、と歓声が上がった。
 クリスとグレイの前に立ちはだかる、四つの影。
「おいおいおいおい、楽しそうなことするんなら、混ぜてもらおうじゃないか」
 ラリオス流の体術でイークエーサの従業員を投げ捨てたシュラが、酷薄な笑みを浮かべる。その目は、獲物を前にした猛獣のように細まり、妖しげな光を放つ。
「とりあえず、もうクリスが手を出したことだし、僕らが殴っちゃってもいいよね」
 体格では劣るものの、まったく無駄のない筋肉質の身体を見せつけながら指をボキボキ鳴らすゴン。
「へっへっへ、おもろいことになってきたやないけ。ちょうど退屈しとったとこや。一暴れといこかい」
 両手の指先で、手桶をくるくる回す金髪のエルフ、キーモ。
 そして、腕組みをして父親二人を睥睨するストラウスの周囲では、十数個の手桶が何の支えもなく宙に浮き、旋回していた。
「悪いけどさぁ、愛の狂戦士部隊に火がついたらエライことになるよ? それでもいいなら、かかってきな?」
「あ……愛の狂戦士部隊ぃぃっ!?」
 たちまち、二人の父親の表情が歪み、血の気が消えた。
「あ、あの、グラドスで評判の……」
「通った後にはペンペン草一本生えないという……まさか、こんな若造どもだったとは……」
 しかし、驚きも一時。ベランはぶんぶんと首を振った。
「ええい、こんな若造なら怖れるまでもないわっ!! 野郎ども、やっちめぇ!!」
 起き上がったハークサースの男たちが、再び襲い掛かってくる。今度は愛の狂戦士部隊めがけて。
 四人の瞳が喜びに光を放ち――そしてその後は、阿鼻叫喚の地獄絵図。

 何も知らぬ客たちの無責任な歓声が、怒号と悲鳴に変わるのにさほど時間はかからなかった。

 やがて、ここでの戦い、後世にいう【狂乱のウェディング・スパ】事件を機に勃発した、イークエーサとハークサースの第三次温泉街戦争は、紆余曲折を経て当事者の誰にも予想できない展開をみせてゆく。
 みせてはゆくが……それはまた、別のお話。

 ……その後、グレイがイークエーサの宿屋を継いだかどうかは定かではない。

おしまい♪


【あとがき】
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