愛の狂戦士部隊、見参!!

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第7章 後始末 (その4)

 翌日の昼。
 モーカリマッカ神殿の前に人だかりが出来ていた。
 宮廷大魔術師がひとまず帰るというので見送りに来た村の長老連中に、衛兵長官、それに幾人かの衛兵。
 後は生き残りの傭兵と、興味津々の野次馬と化した村人達が神殿の階段下で遠巻きに囲んでいる。
 階段の上にはそれを見下ろす人影。腕組みをしたアレフだった。
「……やれやれ、ギャリオート師はまだ来ないか。相変わらずマイペースなお方だ。ま、あいつらの姿も見えないし、ラリオスも――」
 その時、背後で足音がした。たちまちアレフは目尻を吊り上げて振り返った。
「てめえらっ!! あれだけ言ったのにどこへ――」
 しかし、そこにいたのはいつの間に現れたのか、ラリオスだった。別れた時の黒装束のまま、だがその顔つきはこれまで見たことのないほどやつれている。
「ラリオ……ス? お前、今までどこに――うおっ、酒くさっ!!」
 一旦は近寄りかけたアレフは、慌てて飛び退った。
 直立不動で腕を組んだ暗殺者はアレフを睨んだ。いや、ただ目を向けただけなのかもしれなかったが、その血走った目は睨んでいると思われても仕方がない。
 アレフは鼻を手で押さえながら顔をしかめた。
「なんだその臭いはっ! 酒樽の中で寝てたのか!?」
「……そっちの方がまだ……気楽だったろうな……う――」
 ぐぷ、とこみ上げるものをこらえて口元を押さえ、目を白黒させるラリオス。
「……うう、くそ。奴がドワーフの血を引いてると知っていれば……不覚……うぅぐ」
「お前がそこまで潰されるとは……大丈夫か? お前もグラドスに帰るんだろうに?」
「ああ……アレフとギャリオート師が留守がちになるとなれば、俺の……うっぷ……お、俺、のぉぉ……うぐぅぅ」
 がっくり膝をつき、今にも戻しそうな勢いでしきりに喉を鳴らす。
「やれやれ、重傷だな。毒消しの呪文でもかけてやろうか?」
 ため息をついたアレフの申し出に、しかしなぜかラリオスは黙り込んだ。
 たちまちアレフの顔から表情が消える。
「おい……よもや、一緒に飲んだ奴に負けるとか何とか、バカ考えてるんじゃないだろうな」
「………………う゛〜……」
 獣の唸りのようなものが、きつく引き結んだ唇から漏れ出してくる。
 アレフは呆れ返った。
「図星か。ええい、弟子が弟子なら、師匠も師匠だな。ったく、生きたビヤ樽・ドワーフに飲み勝負でかなうわけなかろうが。まして仕事一筋、酒の飲み方もろくに知らん奴が」
 土気色の顔をしたラリオスの背中に手を当て、毒消しの呪文を唱える。
 たちまち、ラリオスの顔に血の気が戻ってきた。
 しかし、体内の毒が消えても、その影響まではすぐに回復しない。ラリオスは珍しく疲労困憊の様子を隠す努力もせず、神殿の壁に背を預けて座り込んでしまった。
「あ゛〜……すまん。助かった」
「ったく……。――で、その弟子はいつの間にやら戻ってきてるし」
 気づけば、朝から姿の見えなかった三人が、神殿の玄関前でへたり込んでいた。よほど慌てて駆け戻ってきたのか、思い思いの格好でだらしなく足を放り出し、呼吸を整えている。
「――おう、お前たち。……と、なんだ? お前らは妙に埃っぽいな。三人してどこに行っていた?」
 ストラウスとシュラは顔を見合わせた。
 代表して、ストラウスが愛想笑いを浮かべて答える。
「あー……その、お世話になった挨拶回りに」
「挨拶回りだぁ? その割にえらく汚れてるな」
「あ、いや、その……お礼に農作業を手伝ってきたので。あははははは」
 自前の鍬を指差して、渇いた笑いを放つ。
「お前もか、シュラ?」
 妙に目の焦点が定まっていないシュラは、その声で正気に戻った。
「え、俺? いや、俺はその……そうそう、天井裏のネズミ捕りを頼まれて」
「キーモは? ………………おい?」
 アレフは怪訝そうにぼさぼさの金髪を振り乱したエルフの顔を覗き込んだ。やや斜め上を向き、白目を剥いて寝息を立てている。唇の端から涎が長く糸を引いて伸びている。
「おい、キーモ」
 ストラウスが肘で小突くと、キーモはびくびくっと身体を震わせて目覚めた。
「お、おうっ!? ……な、なんや。わし知らんで、なんも食うてへんで?」
「……何の夢を見てたんだ」
「まったく、お前達は……本当に少しも自覚がないようだな」
 舌打ちをして、アレフは階段の下に目を転じた。宮廷大魔術師の到着を示すざわめきが広がったからだ。
 見れば、街道の彼方にひょこひょこ歩いてくる黒いローブに三角帽の人影が見えている。その足取りは、人を待たせているとは思えぬほどにゆっくりで、もどかしい。
「昨日、ギャリオート師にあれだけ説教くらっておきながら、何でそんな勝手ができるのだ。ギャリオート師の方が遅れたからよかったようなものの、もしお前たちの方が遅れていれば拳骨十発では……」
 近づいてくるギャリオートを見つめながらの説教は続く。
 しかし、弟子達はてんで聞いてはいなかった。額を突き合わせてひそひそ話をしている。
(ごらぁっ!! 結局、城行っても何もなかったやんけ! 眠いわ疲れるわ臭いわしんどいわえらいわ……正味の話、やっとられんちゅーねん。この落とし前、どないつけてくれんねん)
(んなこと言っても、元々少ないぞとは言っておいただろ。……まさかまったく収穫無しとは思わなかったけど)
(いや、それにしたっておかしいぜ。まったくなんにも無しってのは……俺の倒した緑のデュランは、魔剣を二本と魔槍を二本、ポールアックスを一本使ってた。宝はないにしても、アレを持って帰ればそれなりに……)
(なにぃぃぃぃぃっっっ!!!! そんな話、聞いてへんどーっ!!)
(ええい、うるさいな。今はその話をしてるんじゃないだろ。……くそう、俺達が倒れていた三日の間に横からさらっていった奴がいるんだ)
(ぬぎぃぃぃぃ、わしらの上前はねようなんざ、百億万年早いっちゅーんじゃ。こないなったら、草の根分けても探し出して痛めつけ、わしらの取り分を取り返すんや)
(しかし……俺達はもうすぐここからいなくなるわけだしな。どうする? なんかいい案ないか、ストラウス)
(……ないわけじゃないが)
(よっしゃ、それ乗った。それで行こや)
(聞いてから言え、バカ。……どんな案だ?)
(とにかく、なにか騒ぎ起こしてイークエーサに行くどころじゃないって話にして、ストップをかけて下手人探し。もしくはグレイとクリスとゴンだけ先にイークエーサに行ってもらって、俺達で下手人探し)
(むー……しかし、師匠達がいるわけだしな。生半可な騒ぎじゃあ、速攻で鎮圧されるぞ)
(そうなんだよな〜。ノスフェル伯爵ぐらいの騒ぎでないと……)
(ぬぅ、師匠どもさえ亡き者にしてまえば……。いっそのこと、ここで殺ってまおか。ケケケ)
(……あのな、本気でできると思ってんのか)
(むー…………無理やなぁ)
(ちったあ考えて物言え、このバカエルフがっ)
「――お前もバカだっ!!」
「ぐえっ」
 アレフの鉄拳がシュラの脳天に垂直に落ちた。すかさずストラウス、キーモの脳天にも拳骨爆撃が落ちる。
 頭を抱えて悶絶し、転げ回る三人を傲然と見下しながら、アレフは首を振った。
「とにかく、もうすぐギャリオート師がいらっしゃる。帰る準備を整えておけ」
「は、はいい〜……」
「まったく、最後の最後まで落ち着きがないとは。修行が足らん、修ぎょ……ああ、そうか」
 不意に、アレフは何を思ったか深く頷いて、手槌を打った。
「お前達、あれか。ノスフェル城の財宝のことが気になっているんだろう? どこかに取り残しはないか、とか」
 たちまち涙目の三人は顔色を変えた。ストラウスがその場を言いつくろうより早く、アレフは表情を崩した。
「なに、心配しなくても大丈夫だぞ。昨日、ラリオスとギャリオート師が城内をくまなく探索して全部回収したそうだ。あの二人がやったんだ、今さら行っても何も残ってない。その点は心配無用だ。はっはっは」
 なぜか快活に笑うアレフ。
 三人は顎が外れるほど大口を空けて、ポカンとしていた。
「ス〜ト〜ラ〜ウ〜ス〜〜〜〜〜っ!!!!!」
 キーモが血走った目をストラウスに向ける。
 宮廷大魔術師の弟子は、地面の底に沈んでゆきそうなほど、がっくり落ち込んでいた。
「そりゃないっスよ、お師匠様……」
「く……」
 シュラは歯噛みをして、少し離れたところで休んでいる師匠を睨みつけた。
「し、師匠ぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜っっっ!!!!」
「なんだバカ弟子ぃ」
 低い声とともに走った閃き。シュラの眉間に針が突き刺さった。
「ぎゃあっ!!」
 仰け反り倒れる弟子を 弟子以上に血走り澱んだ眼差しが鈍い光を放って睨み返す。
「……今日の俺は少々虫の居所が悪いぞ。意見があるなら、命懸けで言え」
「にゃ、にゃんでもありまっしぇ〜ん!!」
 半泣きになりながら針を抜き、シュラは背を向けた。膝を抱えて座る肩が、ガタガタ震えている。
「本当に、何をやってるんだ、お前らは」
 アレフは盛大な溜め息をついた時、数人の男女と子供の集団が階段を駆け上がってきた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「マーリン君!」
「ストラウスさん!」
 今にも壊れそうな表情で落ち込んでいたストラウスを呼んだのは、ミリアとジョセフだった。
「……あう?」
 顔を上げたストラウスの前に、二人の手が差し伸べられる。
「ありがとう、ストラウスさん」
 立ち上がるのに二人の手を借りたストラウスに、ミリアははにかんで言った。
「ジョセフを助けてくれて。もちろん、私も助けてくれたことは忘れません。……本当にありがとう」
 感極まったかのように目を潤ませたミリアは、ストラウスをぎゅっと抱き締めた。
 それを見ながら、ジョセフが小荷物を掲げて見せる。
「君がエルシナの家に置いていた荷物に、お土産をつけて持ってきた。それにしても、急だね。ブラッドレイさんが気を利かせて連絡してくれなければ、お礼を言うことも出来なかったところだよ」
 苦笑していたジョセフは、ふと真面目な顔になると深々と頭を下げた。
「……ありがとう、マーリン君。君は――いや、君達は僕とミリアの命の恩人だ。どうやってその恩を返せばいいのかわからないけれど、ここへ来た時には必ずうちに寄ってくれ。歓迎するよ」
「ええ、そうですよ。必ず来てくださいね」
 ストラウスを抱擁から解放したミリアは、ジョセフの持っている小荷物をストラウスに渡した。
「あ、そうそう。お父さんもとうとうストラウスさんと話できなかったのを悔しがっていたの。ジョセフから今回の件を色々聞いて、余計に興味持ったみたいで。……出掛けにちょっとトラブルがあって来れなかったけれど、また来られたらゆっくり農業のことについて話をしてみたいって」
「本当は、僕らの結婚式までいて欲しかったんだけどね。さすがに半年先じゃあね」
「また遊びに来ますよ」
 ストラウスはにっこり愛想のいい笑顔を浮かべた。
「地質学的に言っても、ここは農地としては結構興味深い土地だしね。一度じっくり調べてみたいし」
「そうなんですか?」
 不思議そうな顔つきのミリアの肩に、ジョセフは手を置いてわらった。
「さすが農業技術師範……いや、伝道師だっけ? その時は、僕にも色々教えてくださいね」
「ええ。是非。それじゃ、お世話になりました。ミリアさんのお母さんにも、よろしく伝えてください」
 今度はストラウスの方から手を差し出す。最初にミリアが、次いでジョセフがその手を握り締めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 歓声とともに階段を駆け上ってきた子供達の集団は、まるで組織化されたモンスターの一族かなにかのように、一斉に半眠り状態のキーモに襲い掛かった。
「のわーっっ!! なんやなんやっ!!」
 たちまち目覚めて立ち上がり、慌てふためくキーモに子供達が口々に叫ぶ。
「エルフのにーちゃん、行ったらアカーン」
「そうそう、もっといっしょにあそんでー」
「あそんでー」
「あそんでー」
「あそんでー」
「だーらっしゃいっ!! 子供の時間はもう終わ――いたたたたっ」
 子供の一人がキーモの長い髪をつかんで、キーモに尻餅をつかせた。
 途端に、弱って地に落ちた蝶に群がる蟻のごとく、子供達が一斉にのしかかってゆく。
「じゃーボクこれもーらった!」
 子供の一人が、革鎧の止め具の一つを無理矢理もぎ取った。
 空気が変わった。
(あ、やば)
 生きたまま蟻に貪り食われる蝶の図が、キーモの頭をよぎった時には、子供達の目が妖しく輝いていた。
「や、やめ――」
「ボクこれー!」
 ぶち。
「じゃあ、ぼくこれー」
 びち。
「あー、それわたしがほしかったのにー」
「はやいものがちだよーん」
「いいもん、じゃあわたしこれにする」
 ばぎん。
「あ、それボクが……」
「はやいがちだもーん」
「しょうがないなぁ。じゃあ、ボクはこれにする」
 べぢ。
「しょうがなくあるかぁっっ!!!」
 ちゃぶ台をひっくり返す勢いで子供をはね飛ばし、立ち上がったキーモは落ち武者のような姿になっていた。髪はざんばら、目は虚ろ。鎧は埃まみれの上にあっちこっちの留め金留め具が引きちぎられ、無惨な形でようやく身体にまとわりついている有様。
 両肩で息をしながら、キーモは喚いた。
「おのれら、人様の鎧に手ぇかけるとはどう言う了見やっ!! この鎧はわしが残しといた最後の財産なんやどっ!! ええい、そもそも鎧っちゅーのは男の――」
「じゃ、よろいはいらなーい」
「わーい、おのれらおのれらー♪」
「おのれらおのれらー♪」
「なんやどなんやどー♪」
「なんやどなんやどー♪」
「そーれ、いっちゃえー」
「ひ、人の話を聞けぇぇぇぇっっ!!!」
 いつもは自分が言われていることを叫びながら、子供の津波に押し潰される。
「よろいいがいねー。じゃ、ボクこれー」
 奪われたのは、首元にぶら下げているメリケンサック。
「こ、こら、それは子供の持つもんやあらへ……」
「じゃ、わたしこれー」
 女の子は下半身に容赦ない攻撃を仕掛けた。
「きゃああああああ、ズ、ズボン脱がすなっ!! 何を取る気やっ!! やぁ、やぁめてぇぇぇぇっっ!!」
「ぼくこれ、もーらいっ」
 ボタンでも取ろうとしたのか、引っ張った拍子に袖口ごと引き破かれた。
「おわあああああ、なにしよんねんっ! わしの数少ない服をっ!!」
「だってよろいいがいだもーん」
「んー……しょうがないや。これにしとく」
 渋々その子が目当ての物を握った途端、キーモの怒声が悲鳴に変わった。
「い、いてっ、いたたたた、耳、耳引っ張んな、もげるっ!! んなもん取れるかいっ!! つーか、取らんといてぇぇっっ!!」
 子供の海でもがき続けるキーモ。それはまさしく、溺れているという表現がぴったりの光景だった。
「せやからガキは嫌いなんやああああああっっっ!!!」

 ―――――――― * * * ――――――――

 シュラの前には、一組の男女がやって来た。
 二十代半ばの短髪痩躯の女と、体格のがっしりした戦士風の三十代ぐらいの男。
 両膝を抱えたまま、目だけそっちに向けたシュラは、すぐに軽装で手袋をつけている女の方に同業者のにおいを感じ取った。
「なんだよ? なんか用か?」
 女は片膝をついてシュラと目の高さを合わせ、にっこり笑った。
「挨拶もなしなんて、水臭いじゃないよ。たった二晩とはいえ、同じ戦場に立ったってのにさ」
「はぁ? ……つか、誰?」
「あたいも第一部隊の生き残りだよ。さっさと仕事しに行っちまったあんたは憶えてないだろうけどさ。こっちのは、第三部隊」
 女に親指で指し示された無口な男は、深々と頭を下げた。
「キーモ指揮官や、マーリン監査官代理にも挨拶したかったんだけど……あれだし」
 言われて見やれば、ストラウスはミリアに抱き締められているし、キーモは子供にたかられ阿鼻叫喚の地獄絵図に陥っている。
「なんでぇ、俺はあいつらの代わりかよ」
 言いながらもまんざらではない様子で立ち上がり、尻をはたく。
 女も立ち上がりながら、シュラの肩を気安く叩いた。
「だからぁ、順番待たずにまずここへ来たんじゃないさ。色々あったけどさ、あの狼男の件。あれをあんたがばっちりやってくれたから、あたいは今ここにいるんだと思ってるしね。ありがと」
「ああ……そういや、そんなのもあったっけな」
「それにしても、皮肉なもんだよねぇ。城に向かった経験のある連中は全滅で、村に残ったあたいたち若手は無事なんてさ……」
 女は少し遠い目で、城のある山の方を見つめた。緩やかな春の風が、その前髪を撫でて過ぎる。
 シュラは鼻を鳴らした。
「はん、なにをおセンチなことを。若手ったって、俺より年上のくせに」
「歳のことは言うんじゃないよっ!」
 振り返るなり、シュラの頬を両側からつまんで引っ張った。顔は笑っているが、目は本気で殺気を放っている。
「来た時から思ってたけど、あんたそういうマナーとかエチケットが全っっ然なってないねぇ。今ここで叩き込んでやろうか、女の恐ろしさ」
「ひへ、へっほうへふ(いえ、結構です)」
 おもねる笑みを必死に作って首を振ると、女はよろしい、と言って指を離した。
「ま、今日は生き残りの連中を代表して、見送りに来ただけだからね。手荒な真似はやめといてあげるわ。今度会うまでに、ちったあ女心を勉強しておきなよ?」
「今度ねぇ。敵味方にならねえように、祈っといた方がいいんじゃないのか? 盗賊稼業にゃよくあるこったぜ」
 頬をさすりながら意地の悪い笑みを浮かべると、女は意外そうに目を見開いていた。
「知ってたのかい?」
「ま、俺も元々そうだし。同業者は何となくな。それより、他の連中はどうしてんだ?」
「ゾンビ狩りしてるよ。伯爵の置き土産のせいで、あっちこっちで日中から死人がうろつきまわっててねぇ」
 虚空を見上げてため息をつく。この四日ほどの間に何があったのか。
「衛兵長官から直々に手伝ってくれって言われてさ。ま、それなりに報酬も出るし、当分は忙しそうだからここで色々経験を積むさね、なぁ?」
 来て以来、無口無愛想を貫いている戦士の胸板を軽く小突く。戦士は頷いた。
「……スレイグス組頭にも、よろしく、な。そして、元気、で」
「ああ」
 差し出された無骨な手に、シュラは自らの手の平を打ちつける。
「そっちもな。せっかく拾った命だ、せいぜい大事にしろよ?」
「みんなにもそう言っとくよ。じゃあね、シュラ」
 はにかむ女盗賊の差し上げている手の平にもハイタッチをした。

 ―――――――― * * * ――――――――

 やがて人垣を分けて宮廷魔術師が階段を上がって来た。
 少し乱れた息を深呼吸で整えながら、辺りを見回す。
「皆、揃っておるようじゃの」
 頷くスターレイクに、アレフは愛の狂戦士部隊を振り返った。
「おい。名残を惜しむのもその辺にして、そろそろ用意をしろ。グレイたちを連れて来るんだ」
 ストラウスとシュラがそれぞれに返事をして、神殿の中へ入る。
 キーモだけが言うことを聞かぬ子供に弄ばれていた。
「こら待ておっさん、これのどこが名残を惜しんどるように――うがあああっっっ!!」
 再び引きずり込まれるように、子供の津波に沈む。
 アレフはその様子を見ていたが、助けを求める声を無視してすいっと顔を背けた。
(……まあ、あいつはあそこにいてくれた方が話が早いしな)

 ―――――――― * * * ――――――――

 ゴンはグレイの額に手をかざしていた。その手は仄かに治癒の光を放っている。
 そんなことをしてもグレイが目覚めることなどありえなかったが、ゴンはかけ続けていた。たとえ気休めであっても、回復の手助けになるように。命に関わることは、何がきっかけであちらとこちらになるかわからない。やるだけのことをやっておかなければ、悔やまれる結果になってしまうかもしれない。
「……ありがとうね、ゴン君」
 グレイの手を両手包み持ったクリスは、呟くように言った。
「会ってからこっち、君には迷惑ばっかりかけてる気がする。ほんとに、ごめんね」
 出会った頃のクリスからは考えられない殊勝な一言に、ゴンは微笑で応えた。
「迷惑だなんて。当たり前のことをしているだけだよ。……草原船では君に怒られたし」
「あ、あれは……そんなつもりじゃ」
「まあ、それだけじゃないけどね。今回の件では色々考えることが多くて……こうしてると落ち着くんだ」
「考えることって?」
「うん。結果としてこういう形で終わりはしたけど、僕なんかもまだまだ修行が足りないって思い知らされたし」
 苦笑するゴンに、クリスは不思議そうに首を傾げた。
「? みんな大活躍だったじゃない」
「それは結果の話だよ。僕らがここへ来るまでは、どういう形であれブラッドレイ司祭とミアの人たちが伯爵と協定を結んで、一応のバランスを作っていた。僕らはよそ者の分際で、そのうえ彼らにとっては自分勝手な理由でそのバランスを崩し、たくさんの人を巻き込んで無理矢理決着させたんだ」
「でも、それだったらあたしもグレイも助かってないし……」
「うん。そうなんだよね。だから……いっそのこと、俺たちゃ正義の味方だー、恐怖の支配者を倒してミアを救うんだーとかって叫んで戦ってたら、もっと気楽だったんだろうけど。正直、ここの人たちとは真っ直ぐ顔を合わせづらいよ」
 ほふーと小さくため息をつく。
 クリスは考え込んだ。何度か首を傾げ、唸った。
「う゛〜〜〜ん……ごめん。何が言いたいのか、よくわかんない。要するに、後悔してるの? いいことしたのに?」
「後悔はしてないよ。反省してるだけ」
「反省?」
「結局、僕らがやったのは敵を力任せにぶっ飛ばしたってだけのことで……それ自体は大したことじゃない。少し戦う術を知っていれば、怖いものには体が反応する。知恵もくそもない、ただどっちが強いかってだけ。ケダモノやモンスターでもできることさ。けど、ブラッドレイ司祭やミアの人たちは、恐怖と折り合いをつけて何とか確実に生き抜こうと知恵を働かせていた」
「でも……結局それは、誰かを犠牲にしての平穏じゃない。そんなの、嘘よ」
「それでも、暴力的な恐怖に対抗する力のない人が生きるための知恵だよ。犠牲なしに勝ち取れる平穏なんて、そんなにあるわけじゃない。大抵はいくらかの犠牲が伴ってしまう。それが現実。……グラドスを生け贄にミアを救おうとしたブラッドレイさんと同じように、僕らも君達を救うために伯爵に挑み、危うくミアの人たちを犠牲にするところだった。何の見返りもない犠牲にね」
 奇しくも二人は同時にグレイの寝顔に視線を落とし、お互い同時に気づいて同時にはにかんだ。
「結局……僕らもブラッドレイ司祭も、その現実の壁を越えることは出来なかった。僕らはブラッドレイ司祭の思いを受け止めることが出来なかったし、ブラッドレイ司祭も同じ。つまり、修行が足りなかったということ。それが一番大きな反省点かな」
「そういうものかなぁ。お互い逆の立場にいたら、どれだけがんばってもダメなんじゃないの?」
「確かに、僕らと伯爵ぐらい反対ならね。食う者と食われる者、支配したがる者と拒む者……でも、ブラッドレイ司祭たちとはそうじゃなかった。伯爵がいなければこのミアは平和になる、という思いは一緒だった。そこで思いと行動を一つに出来なかったのは、やっぱり僕の言葉や行為にあの人を頷かせるだけのものがなかったということ」
「……………………」
 しばらく無言でゴンを見つめていたクリスは、唐突に大きなため息をついた。地の底へずぶずぶと沈んでゆきそうなため息。
「……すごいね。かなわないや」
「え?」
「あたし、グレイしか見てなかった……。グレイと一緒に家に帰って、結婚して、楽しく暮らして……とかそんなことだけ。ゴン君みたいに、他の人がどうとか考えてなかったよ……。あたしなんて、全然ダメだね」
「……ダメなんてことは……」
 今度はゴンが黙り込んでしまった。何と言って声をかければいいのか、わからない。
 そのとき、別の声が響いて来た。
「ゴン司祭の言った通り、人の立場はそれぞれだよクリス=ベイアード。悩むことはない」
 扉を開けて入ってきたのはブラッドレイだった。後ろ手に組んでゆっくりと入室しながら、言葉をつむぐ。
「ゴン司祭の反省は、人の命や人生を左右する立場にある者ならば当然持つべき反省だ。無論、私もな。じゃが、君はそうではない。同じ反省を持つことはない。愛に満ちた家庭を築くために奮闘し、努力した。そのことに何の反省がいるものかね。大事なことだよ、それも」
「ブラッドレイ司祭……」
 頷いて、二人を交互に見やったブラッドレイは、まずゴンに近寄り、その肩に手を置いた。
「ゴン司祭。今回の件で、もうこれ以上気に病むな。ノスフェル城の城門前で顔を合わせたときにああは言ったが、済んでしまえば今回の騒動も天災と同じ。人の思惑とは、いつも予想外の事態でかき乱されるもの。結果として、この形で決着したことにミア地方に住む全ての者を代表して礼を言う。ありがとう。そして、すまなかった」
 三倍以上歳の離れた相手に深々と頭を下げられ、ゴンは面映そうに照れる。
「あ、いえ……そんな」
 次いで、ブラッドレイはクリスに向き直って、再び深々と頭を下げた。
「クリス=ベイアード。わしはミアを守るという大義名分のために、君を伯爵に売った。司祭として、間違っておった。そのことで憎まれることは覚悟しておる。すまなんだ」
 ゴンは少し表情を硬くした。“司祭として”の一言を入れたということの意味は、おそらく口に出さない方がいいのだろう。
「これからイークエーサに帰る君達にわしが出来ることは何もないが、遠くこのミアの地から、グレイ=スレイグスの回復と君達が幸せな家庭を築くことを祈っておるよ」
 クリスは少し複雑そうな顔をして、自分に向けられた禿頭とゴンを交互に見やる。
 ゴンはにっこり笑って頷いた。
 ここで何も悶着を起こすことはない。これでお別れ。多分クリスたちがここへ来ることは二度とないだろうから――という気持ちを込めて頷いたのだが、頷いたクリスはなぜか顔を引き締めた。
「正直……あたしはまだ司祭のこと許せない」
 予想外の厳しい言葉に、ゴンは心で「ええええ!?」と声を上げていた。
 怒りを含んだその眼差しを、ブラッドレイは真正面から受け止めて頷いていた。
 クリスは自分の胸に拳を抱き締めた。
「あたし、今回のこと、多分一生忘れられない。何度も何度も思い出して、そのたびにあなたへの怒りが込み上げて来ると思う。なんであたしがこんな目に遭ったんだろうって、ずっと考えてた」
「……申し訳ない」
 再び頭を下げる。
「でも、今ゴン君と話して、少しだけわかったような気がした。自分のためではなく、ミアを救うために、あなたにとってはそれが必要だったんですよね。それがたまたま、あの日にここへ来てしまったあたしだったというだけで」
「そうだ。胸を張って言うことではないのは重々承知しているが……そうだ」
 その返事を聞いた途端、ふっとクリスの瞳が虚ろになった。
「……わかりました」
 クリスは大きく頷いた。その目が決意の光を放ち、きっとまなじりが吊り上がる。
「あたしは……憎しみからでも、怒りからでも、欲望からですらもなく、ただの道具として女としても人間としても穢されたんですね。だったら……絶対にあなたを許さない」
「クリス……」
 ゴンが肩に置こうとした手は、寸前で払われた。クリスはこちらを向いてもいない。
「この数日、グレイのことがあるからあたしは黙ってました。でも、もうここから出て行く以上、言わせてもらうわ。あたしをエサ扱いしたノスフェル伯爵と同じよ、あなたも。それを忘れないで」
 その一言がどれだけの威力を持ってブラッドレイの胸に突き刺さったのか。初老の司祭の表情は、たちまち蒼ざめ血の気を失ってゆく。
 逆にクリスは感情の高ぶりを必死に抑えていた。押し殺した口調とは裏腹に頬は紅潮し、吊り上げたまなじりに光るものが粒になって膨らんでゆく。胸に抱く拳も、白く血の気を失っている。
「本当は、あなたを殴り倒してやりたい。罵って、叩いて、蹴飛ばして、引き裂いてやりたい。イークエーサに戻る前に、刺してやろうかと思っていたぐらい。でも……ゴン君に免じて、何もしないでいてあげる」
 うなだれたまま声もないブラッドレイを見ていたゴンは、驚いてクリスの方を見やった。大粒の涙を頬に伝わせながら、クリスは唇を噛んでいた。
「あたしはゴン君のことが好き」
 あまりに唐突な告白に、ゴンは喜ぶことも忘れただ驚いた。目を剥いてクリスを見直すと、クリスはちらりと横目でゴンを見て、無理矢理に少し口元をほころばせた。
「ゴン君は、あなたがミアのためにこうしたと言った。それが判っていて、それでもゴン君はあたしを助けに来てくれた。すごく悩んだと思う。苦しんだと思う。なのにまだ、さっきみたいにあなたやミアの人たちのことを考えている……こんな好い人、他にいないよ。だから、あたしもそんなゴン君が嫌な気持ちになるようなことはしない」
 手放しで喜べず、ゴンは照れ臭そうに頭を掻きながら心の中で泣いていた。
(好きって、そういう意味ですかー……そらそうだよねー……とほほ〜い)
「それに……あたしのこの思いは、あなたに殺された人たちの思いだわ。あたし独りが自分で納得して、解決してしまっていいことじゃない。片時も忘れないで。あなたに穢され、殺された人たちの思いを抱いているあたしが、この世界のどこかに生きていることを。心の刃を常にあなたに向けている人がいることを」
「世界のどこかって、イークエーサじゃ――」
 ついうっかり、いつもの調子で突っ込もうとした鼻っ面に拳を喰らい、ゴンは鼻を押さえてうずくまった。
「二度と顔も見たくない。でも、これだけは言っておきます。――数日ノ宿ヲ、ドウモアリガトウ。サヨナラ」
 毛先ほども感情のこもらぬ声と、恐ろしいほど仮面じみた営業スマイルで締めくくったクリスは、そのまま背を向けてグレイの荷物をまとめ始めた。
 ゴンがブラッドレイの方を見やると、初老の司祭は膝に額がつくほど頭を下げて部屋から出て行くところだった。
 そして、入れ代わりにシュラとストラウスが二人を呼びに来た。

 ―――――――― * * * ――――――――

 数分後。
 グレイを載せた担架を担いだシュラとゴンが姿を現わした。
 ストラウスとクリスはそれぞれの荷物を持って、担架の両側に寄り添っている。
 そして、一行の登場を待ちかねたようにキーモの拳骨が閃き、子供達が泣いて散る。
 続け様にアレフの拳骨が、キーモが子供を殴った回数分キーモの頭に叩き込まれた。
 目を回したキーモを軽々と抱え上げたラリオスが、一行の最後尾に着く。
「ふむ。揃ったな。それでは行こうかいの」
 白髭をもそもそしごきながら、一行をひとしきり見回したスターレイク=ギャリオートは一つ頷いて杖を頭上に掲げた。
 階段下の野次馬から、期待のこもった歓声が漏れる。
「――『テレポート』! イークエーサへ!」
 野次馬達が期待していた、朗々たる呪文詠唱や、神々しい輝き、虚空に浮かぶ印紋などの派手な演出などひとかけらもなく、一瞬にして愛の狂戦士部隊とクリス、グレイ、ラリオス、スターレイクの姿は掻き消えた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 拍子抜けした野次馬達が、三々五々帰途についてゆく。
 アレフはそれを階段の上から、じっと見つめていた。春のゆるやかな風が金の髪をもてあそぶ。
「……ひとまず、終わりましたな」
 後ろからかかった声は、ブラッドレイ。
 アレフは振り返らないまま、片眉だけを持ち上げた。
「なんだ。声に張りがないな。何かあったか?」
「ええ……クリス=ベイアードにあなたを許さない、と言われました。覚悟しておっても……こたえます」
「それもお前の選択の結果だ。俺には助けることはできんし、その気もない。それに、その愚痴だけは金輪際聞かんぞ。聞かせたら……再び鉄拳制裁だ」
「心得ております」
 後ろで頭を下げる気配。
 アレフは、一息ついた。張り詰めていた胸の内の空気を抜くように。
 見上げれば、ミアの空。どこまでも蒼く透きとおるその空に、平穏を象徴するかの白雲一つ。どこかで鳶が鳴いている。ひばりらしきさえずりも聞こえてくる。
「やれやれ……。世界ってのは呑気に出来てやがる。こちとら、これから大忙しだってのにな」
 ふっと笑みを漏らして、足を踏み出す。
 階段を下りながら、誰にも聞こえないように呟く。
「……ノスフェル、貴様はこの呑気な世界に負けたのだ。とかく世の中というのは、人の思い通りにはならんものさ。まったくな。生き急がねば、貴様が望んだミアの隆盛を見られたものを」
 アレフの呟きを吹き散らすように、残寒の風が一度だけ吹いた。

THE END


【もうちょっとだけ、続くんじゃ】
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