愛の狂戦士部隊、見参!!

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第7章 後始末 (その3)


「……というわけで、お願いします」
 村長宅での会議を終え、モーカリマッカ神殿に戻ってきたアレフとスターレイクを出迎えた愛の狂戦士部隊は、クリスとともに師匠に頭を下げ、イークエーサまでの『テレポート』搬送を頼んだ。
 あごひげをもさもさ撫で回していたスターレイク=ギャリオートは、ふむ、と唸ったままずかずかと奥まで入り、応接室の上座のソファにどっかり腰を下ろした。
 その後に済まし顔のアレフが続き、ブラッドレイが気を利かせてティーポットとカップを人数分用意する。
 クリスたちは顔を見合わせ、返事がもらえないことを訝しみながらもそれぞれソファについた。
「……村長たちとの話し合いでな」
 先ほどの願いとは全く関係のない話に、顔をしかめるシュラ、ゴン、キーモ、クリス。
 ストラウスだけが、真剣な顔つきで耳をそばだてていた。
「ひとまず、早急に新しい統治官を置き、今回の件を調査することに決まった」
「お断りします」
 誰も予想だにしない返答は、ストラウスの口から発された。
「僕らはクリスの護衛として、イークエーサに行く約束を――」
「馬鹿者」
「おぎゃ」
 ギャリオートの杖が、ストラウスの脳天を直撃した。頭を抱えてうずくまる。
「初めからお主ごときに統治官なぞ期待しておらんわ。監査官代理もまともに務められんかった分際で、なにを血迷っておるのじゃ、たわけ」
「は、はい……」
「お主らは、いずれグラドスで事情聴取を行う。覚悟しておれ」
 クリスを除く一同は、溜め息交じりに頷いた。
「それから、ノスフェル城じゃが……あそこは完全に閉鎖する。アレフもおることじゃし、あの辺り一体を徹底的に浄化して伯爵復活の可能性を少しでも――」
「ちょ、ちょっと待ってくれじい……じゃなかった、スターレイク師匠」
 話を遮ったのはシュラだった。
「奴は……滅んでないっていうのか……ですか? 確かに、キーモが……」
「おお、わしがきっちり真っ二つにしたったがな」
 勢い込んでキーモも身を乗り出す。
 しかし、スターレイクは首を振った。
「【転生体】を甘く見るでないわ。お主らが清めた棺は一つであろうが。それ以外に隠していないという証拠は何もあるまい。……普通なら、隠しておるものじゃ」
 愛の狂戦士部隊は一斉に顔を見合わせた。
 一つ溜め息をついて、杖の先の瘤で自分の頭をゴリゴリと掻く。
「じゃが、そう心配することもない。たとえ棺を残しておったにしても、ひとたび灰になるまでやられたのであれば、復活に数十年から百年の時間はかかろう。あの城を浄化しておけば、その時間をさらに先延ばしも出来るやもしれぬ」
「生き延びていれば、の話ですよね」
「そのとおり」
 ゴンの念押しに、スターレイクは我が意を得たりとばかりに頷く。
「なお、その異変などの監視は、当分マジックギルドとミア地方に点在する各宗派の司祭・神官達にお願いするものとする。加えて、現在ミア地方で頻発しておるアンデッド系モンスターによる被害は、現状の衛兵隊だけでは対応に限界があるため、その駆除には冒険者や傭兵の力を使うものとする」
 クリスと愛の狂戦士部隊は再び顔を見合わせた。話の内容自体はわかるが、なぜそれを説明されているのかわからない。
 しかし、相手が相手だけに無茶な口を差し挟むわけにはいかず、困惑した面持ちで聞き続ける他はない。
 スターレイクの説明は続いていた。
「その際、来訪するそれら冒険者や傭兵による治安の不安定化を防ぐため、当地に斡旋所を開き、その斡旋を受けずに仕事を頼むことも、受けることも処罰の対象とする。また、そのシステムが適正に稼動していることを確認するために、これまで以上に監査官の派遣を頻繁に行い、住民の意見を収集するものとする……以上がミアの長老たちと取り交わした約定じゃ」
「はぁ……」
「なんじゃ、その気のない返事は」
 困惑の解けない一同を代表して、ストラウスがおずおずと声をあげる。
「あのー、師匠。その約定を、僕たちに話して何を……」
「たわけ」
 スターレイクは杖の先で、ぽかぽかと愛の狂戦士部隊を次々に叩いていった。さすがにクリスには杖を上げかけて、思いとどまったが。
「まったく。お主らがしでかしたことの後始末には、これだけかかっておると言っておるのじゃ。伯爵を倒したぐらいで思い上がる出ないわ、ヒヨッコどもが」
「そんなこと言われても……なぁ」
 シュラが隣のキーモに同意を求めると、キーモも即座に頷いた。
「わしら、後のことなんか考えて戦ったこと、あらへんしなぁ」
「威ー張ーるーでー、ないっ!」
 シュラとキーモの頭に、交互に杖の先の瘤が命中する。
「お主らが先走ることなく、しっかりしておれば救えた命も多いという自覚が足りぬわ。監査官しかり、傭兵たちしかり。……まったく。前後の見境なく、向かってくる者全てに牙を剥くなど、まさに狂戦士じゃわい」
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めとらんっ!」
「ごあ」
 ストラウスへの一撃は、頭ではなく顔面への突き。
「お主ら、まだまだ修行が足りぬわ。その辺、しっかり反省しておるのか」
 一同は反省には程遠い不満げな表情でお互いに視線を交し合う。
 不穏な空気を感じ取ったアレフが鋭い眼で一同を威嚇し、拳をボキボキ鳴らすと愛の狂戦士部隊一同はたちまち下を向いてしまった。
「……ま、とはいえ、じゃ」
 こほんと咳を一つ払ったスターレイクは、そこで言葉を切ってティーカップに口をつけた。
「ふむ、なかなかよい風味じゃの」
「ありがとうございます。ミアで採れた葉で出しました」
 ブラッドレイが頭を下げる。
 スターレイクは少し頬をほころばせ、ティーカップを置いた。
「あのノスフェルとその部下どもをよくぞ倒した。そこは賞賛……いや、驚嘆に値する。奴自身も、よもやお主らに滅ぼされるとは露ほども思っておらなんだであろう。その驚愕を思うだけで愉快愉快。多少の溜飲も下がったというものよ。ほっほっほ」
 褒められた一同は再びお互いに視線を交し合い、頷き合う。その表情に安堵が広がっている。
「さっきも言った通り本件の詳細な状況報告は帰都後に話してもらうとして、ひとまずはお主らの願いどおり、イークエーサへの搬送を手伝うてやろう。伯爵を倒すのに尽力し、国を救ったのじゃ。そのグレイとやら、死なすには惜しいからのう」
 傍でアレフが微妙な顔つきをしたが、小さな溜め息一つだけで口を閉じた。
「あ……ありがとうございます、師匠!!」
 立ち上がって頭を下げるストラウスに倣い、慌ててシュラとゴン、そして涙を浮かべたクリスも頭を下げる。ただ一人、キーモだけは呑気に小指で鼻クソを掘っていた。
 すぐにゴンがたしなめる。
「キーモっ! なにやってんだよ、頭下げないと」
「アホ言え、なんでやねん」
 キーモはふて腐れて指先についた鼻クソをぺぃん、と弾き飛ばした。
「十年前に倒しそこねた伯爵、わしらが倒したったんやんけ。お礼を言われこそすれ、こっちが頭を下げる筋合いないやろが」
「あのな、キーモ。てめーの軽い頭でもしっかり下げときゃ、師匠だって気持ちよく助けてくれるだろうが。いいから頭下げとけっつーの」
「いやシュラ、そういうのを口に出すのもどうかと思うんだけど」
 ゴンの突っ込みは無視された。
「ふざけんなシュラ。わしの頭にはプライドっちゅー大事な大事なモンが詰まっとるんや! 筋合いないのにそう簡単に下げれるかいっ!! ……だいたい、十年前にしっかりとどめさしといたら、今回の件はあらへんかったんとちゃうんかい」
 その一言に、アレフの表情がさっと変わる。ストラウスとシュラは顔色を蒼ざめさせた。
 アレフの放つ殺気に気づかないのか、調子に乗ってキーモは続けた。
「言うたら師匠の尻拭い、弟子にさせおったくせに、なーにが反省せいや。その前にわしらに危ない橋渡らせて、死人まで出させたことを謝るんが筋っちゅーもんとちゃうんかい」
「そりゃそうかもねぇ」
 そう言いながら、ゴンはキーモのうなじの辺りを左手でがっしりわしづかみにした。温厚な糸の目は笑っているが、こめかみに血管が浮いている。
「でもねえ、キーモ。今はそんなことどうでもいいんだよ。グレイの命がかかってるの。誰であれ、人に助けてもらうときはきちんとお礼を言う。それともなに? 死にそうなグレイをつれて、すぐにでもイークエーサにいけるの? 行けないでしょ?」
「お、おおおおぐぬぐ、ぎごげがぐぬぬ……」
 ゴンの怪力になすすべなく押さえつけられてゆく。
「もうよいわい、ゴン。キーモの言い分にも理はある」
 ゴンとキーモの不毛な力比べ(ゴン圧勝)を終わらせたのは、スターレイクの一声だった。
 今まで宮廷大魔術師の口から発されたことのない寛大なその一言に、一同の間に困惑の空気が流れる。
 ただ一人キーモだけが、それ見たことかと言いたげな表情でソファーにふんぞり返っていた。
 スターレイクは頷きながら続けた。
「確かに、お主の言う通りじゃ。そもそも冒険者などという連中に、正義の味方や国家の守護者を期待するのは虫が良すぎるというもの。信念としても、結果としてもな。その意味では、あの頃のわしらはまだ甘かったと言わざるをえんし、犠牲はともかく奴を倒したお主らはようやったとも言える」
「ギャリオート師……」
 アレフのいまいち賛同しかねている表情を横目に、スターレイクはキーモに杖の頭の瘤を向けた。
「現場におらなんだわしが、まさしく命懸けで事を為したお主らに反省を促すのは筋違い、と言うのも気持ちとしてはわからんではない。じゃが、お主は二つ理(ことわり)を違(たが)えておるぞ」
「は? わしが? なにをや?」
「一つ、わしらはお主らの師匠じゃ。ゆえに、いつでもお主らの行動の結果について評価を下さねばならぬ立場におる。しかも、わし個人は政(まつりごと)に携わっておるゆえ、頭を使えば避けられた犠牲については厳しく糾弾せねばならぬ。お主の主張も感情として理解はできるが、それはそれ、これはこれじゃ」
「納得いかんわっ!!」
「そして、二つ。やっぱり、わしらはお主らの師匠じゃ」
 怒気など微塵も感じられない、好々爺の笑顔がその瞬間くわっと豹変した。
「弟子は師匠に絶対服従じゃっ!! たわけっ!!」
「ごあっ!!」
 稲妻のごとき瘤の突きを喰らって、キーモは仰け反った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 一通りの話を終えたスターレイクは、アレフとともに神殿を出た。
 日は既に傾きかけている。
「次は……衛兵長官だの。やれやれ、要らぬところで時間を食ったわい」
「あれでよろしかったのですか、ギャリオート師」
 半歩退がってついてくるアレフの問いに、スターレイクは振り向きもせずにすたすた歩いて行く。
「よろしいも何もないわい。犠牲者の大半は傭兵に冒険者。村人の犠牲もありはしたが、全体から言えばごく僅か。あやつを放置しておれば、ミア地方は二日で無人になっておるところじゃ。あやつらの前では言えなんだが、政(まつりごと)に関わる身としては、よくもまあこんな程度で治めたな、という感嘆の方が強いわ」
「しかし……」
「命は平等だのなんだのと言うでないぞ、シュバイツェン最高司祭」
 機先を制されたアレフは、少しむっとした表情になった。
「犠牲の大半を占める冒険者や傭兵どもは、好き好んで命のやり取りをしておるのだ。それぞれそこへ至る理由はあるにせよ、命をやり取りする現場におる以上は、逆に殺されても文句は言えん。それについては、わしの糾弾すべき範囲ではない。あやつらおのおのが、どう受け止めるかの問題であってな」
「そんなことはわかっています。しかし……」
「じゃから、最低限の釘は刺しておいたじゃろうが。しつこいのぅ」
 煩わしげにむっすり不機嫌な宮廷大魔術師。
「いえ、そうではなく。なにも連中を全員イークエーサに運ばずとも。あの二人だけでいいではありませんか。連中はここに残らせ、我々の手足として事後処理を――」
「そうはいかぬわい」
「なぜです?」
「お主はどう思っておるか知らぬが、今回の件は一種の戦争だったのじゃ。その証拠に、伯爵を滅ぼしたというのにあやつらを解放者として持ち上げる雰囲気ではない。犠牲者が出たということ以上に、伯爵側についた者もおるゆえ、村人同士でお互いに気まずいのであろうよ。そして、それが誰か、どれぐらいいたか、あやつらはそれなりに知っておるはずじゃ。……あるいは、多少の衝突があったのやもしれぬ」
「なるほど」
「そんな連中が走り回るのは、向こうにとっても目障り。わしとしても村人には、今は伯爵の脅威を逃れて生き残った喜びと、一刻も早い治安統制を取り戻すことだけを望んでもらいたい。その方がわしらも動きやすかろう? それゆえ、連中はここにおらぬが良いのじゃ」
「やれやれ。強敵を倒したのに、感謝の反応が微妙とは……哀れな奴らだ」
 ふと足を止めたアレフは振り返り、モーカリマッカ神殿を見やって小さくため息をついた。
「なれば、やつらにご褒美をやるのも師匠の務め。死にかけた者もおるようじゃから、イークエーサでゆっくり温泉につかり、その傷を癒すがよかろ」
「そうですね……。しかし、これであのバカどもがつけ上がらねばよいが」
「なに、あやつらがグラドスに戻って来た折に話を詳しく聞き、つけ上がっておるようならちょいと厳しめの修行でも課してやればよかろ」
 かっかっか、と笑い声を上げたスターレイクの足が、そのときふと止まった。
「……はて。修行といえば、ラリオスの姿を見ぬが……どこへ行きおった?」
「え? いや、ここへ来て別れてから見てませんが……あ、と」
 アレフは何かを思い出して、再び神殿の方を振り返った。
「どうした、アレフ?」
 怪訝そうなスターレイクに、アレフはばつ悪そうに頭を掻いた。
「いや、一つ大事な用事を忘れてまして。実は、少々あなたにもご協力いただきたいのですが……」
「急ぎかの?」
 スターレイクは困惑げに行く先をちらりと見やった。衛兵長官がマイク=デービスの館で待っている。
「いえ、あなたの力が必要なのは後でですが……。とりあえず立ち話でなんですが、かいつまんで。私はその後、少し神殿に戻ります」
 あごひげをもさもさ弄びつつ、少し考えたスターレイクは、よかろ、と頷いた。白く長い眉の下で、瞳がぎょろりんと光を放つ。
「ふむ。……お主がそこまで言うのなら、何か訳ありのようじゃな? 聞かせてもらおうかの」

 ―――――――― * * * ――――――――

 師匠たちが姿を消した直後、クリスもグレイの傍についている、と言って部屋を出、ブラッドレイも使わないティーカップを集めて出て行った。
「……さて、お前ら。いよいよお楽しみの時間が来ましたよ?」
 意味不明の言葉を吐いて、ストラウスが腰を上げる。麦わら帽子をかぶり、壁際に立てかけていた鍬を取る魔法使いに、残る三人は顔をしかめた。
「お楽しみって、なんの話だ?」
 気の乗らぬ様子のシュラに、ストラウスが顔をしかめた。
「なに言ってんだ。勝利者の当然の権利を行使するんだよ」
「だからそのもってまわった言い方はよせ。なにをしに、どこへ行くのか言えつってんだよ」
「……なけなしの宝を探しに、伯爵の城へ」
 何を聞いているんだとばかりにきょとんとしているストラウスの前で、シュラとキーモが跳ね上がらんばかりの勢いで立ち上がった。
「さーて、グズグズしてられんぞ」
「へっへっへ、やっぱもらうもんはもらわんとな。何のために死にかかったんやか、わからんさけな」
「てめーは死にかかってねえだろうが。死に真似してただけのくせしやがって。狸か、てめえは」
「頭脳派と呼びたまえ、ちみぃ。くっくっく」
 掛け合いながら、それぞれの装備を手早く身に付けてゆく。
 ふと、一同の目がゴンに集まった。ゴンは三人のカップを集め、それを持って部屋を出て行こうとしていた。
「お、おい、ゴン。いかねーのか?」
 足を止めて振り返ったゴンは、にっこり笑った。
「ああ、僕は司祭としての役目があるし。誰かここにいた方がいいと思うから。……あ、別に師匠には言わないから、その点は大丈夫。気をつけてね」
 そのままゴンは出て行った。
 キーモとシュラは顔を見合わせた。
「なんだ? 金の神様に仕えてるくせに、淡白だな。まあいい、これで取り分が増えた。いいな、三等分だぞ」
「隠しポケットに隠すような、すこい真似すんなや」
「それはこっちのセリフだ」
「――ともかく」
 ストラウスは激しく睨み合う二人の間に割って入った。
「明日の昼にはうちの師匠がイークエーサに送り込んでくれる。タイムリミットは師匠がここへ迎えに来るまで。それまでに行って、戻るぞ」
「任せろ」
「おう」
 三人は頷き合って、我先に部屋を飛び出していった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 部屋に戻って来たクリスは、ベッドサイドの椅子に座り、眠るグレイの手を取っていた。その手を撫で、時に頬擦りしながら、グレイの寝顔をじっと見つめていた。
「グレイ……大丈夫、大丈夫だよ。必ず、目を覚まさせてあげるから」
 グレイは寝息も聞こえないほど静かに眠っている。ともすれば、死んでしまったのではないかと不安になる気持ちをぐっとこらえる。
「みんな、グレイのこと助けるために一生懸命だよ。あたしだって……二年待ったんだよ。もう、これ以上待たないんだから」
 語りかけながら、少しずつ少しずつ顔がグレイに近づく。クリスの眼差しはグレイの唇を捉えて放さず、その距離は徐々に失われてゆく。
「目を覚ましたら、そのまま結婚式に雪崩れ込んで――は、はいっ?」
 不意にドアをノックする音に、クリスはグレイの手を握ったまま身体を跳ね上げた。
「どうぞ?」
 その声に応え、入室してきたのは――
「シュバイツェン最高司祭様……? ど、どうなさったんですか?」
 意外な人物の来訪に目を丸くしていると、金髪鷹目の最高司祭は後ろ手に手を組んだまま、クリスの元へやって来た。グレイを見下ろしながら、口を開く。
「彼の様子はどうだね?」
「特に変わりは……あ、でも――」
 クリスはやや緊張気味の笑顔を振りまいた。
「気のせいかもしれませんけど、イークエーサに帰れることが決まって、ちょっと顔色がよくなったような……そんなはずないですけどね。ふふっ」
「それは確かに、君の気のせいかもしれないな」
 アレフも愛想の良い笑みを浮かべながら別の椅子を引き寄せ、座った。
「よくあることだ。特に人の顔というものは、見ている者の精神状態によって変化して見える。君自身が安心したために、グレイ君の顔色も変わって見えているのかもしれない」
「やっぱり、そうですよね」
 へへ、と舌を出して、はにかむクリス。その表情に寂しげな陰がよぎる。
 アレフはグレイの顔を見やった。その向こう、反対側のベッドサイドの脇に立てかけられているカタナもちらりと。
「だが、こんな話も聞いたことがある。動物植物を問わず、"つがい"というものは片方が悪くなればもう片方も悪くなり、片方が良くなればもう片方も良くなる、と。案外、君の心持ちの変化を彼は感じているのかもしれない」
「ほんとですか? ……だったら……嬉しいな……」
 幸せそうに微笑んで、グレイの頬をそっと撫でる。
「まだ結婚もしてないのに、あたしたち"つがい"だって、グレイ。うふふ……あ、そうだ」
 不意にクリスは、目を輝かせてアレフを振り返った。
「あの、シュバイツェン最高司祭様。グレイとの結婚に祝福をいただけませんか?」
 クリスの急な申し出に、アレフは困惑顔になった。
「今、ここでかね? ……それは難しいな」
「どうしてですか? ……あ、お金……」
「いやいや、違う違う。私はそこまであこぎではないよ」
「あ、ご、ごめんなさい」
 苦笑するアレフに、クリスは恐縮しきって頬を赤らめる。
「問題が二つあってね。一つは君の家がボコボコ様を祀っていることだ。結婚には家と家のつながりを結ぶという側面もある。勝手によその神様が割り込んでいい話ではない。君達がうちの信者になるというならともかく、順序というものがあるからね。まず、ボコボコ様の祝福を受けるのが筋というものだよ」
「はい」
「それともう一つ。……実は、この話をするために、ここへ来たのだが……」
 言葉尻を濁し、言いにくそうにしながらグレイの向こう側にあるライフサッカーを見やる。
「今のまま結婚しても、君達は幸せにはなれない」
「え……」
 衝撃的な言葉に、クリスは凍りついた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「それは……どういう意味……ですか……」
 数瞬の気絶に等しい意識の混乱から戻って来たクリスは、唇を震わせながら訊いた。
「原因は、あれだ」
 アレフが顎で示す方向を見やれば、そこにはスレイグス家の家宝があった。
「ライフサッカーが……?」
「そういう名前なのか? ……ふむ。言い得て妙だな。あの剣は、ただの剣ではない」
「知ってます。命を吸って、普通じゃ切れないものを斬る剣。彼のお父さんも、お祖父さんも、その先のご先祖様も、みんなあれを使って命を落としたと聞いています」
「そんなに前から? ……よくもまあ、今まで家系を絶やさなかったものだ」
 アレフは苦笑を浮かべた。
「命を吸うから危ないという話でしたら、グレイもその辺は良くわかっていますから――」
「そんな生易しいものではないよ、残念ながら」
 クリスは小首を傾げた。
「君は、グラディウスという神様を知っているかね?」
「ええと……どこかで聞いた気はしますけど……なんでしたっけ?」
「剣の神様だよ。モーカリマッカ様のような神殿や司祭といった代行者を持たず、主に戦士や騎士に信仰されている。聖も邪もなく、ただ戦場で生き残るために最後にすがる存在――手の中の一振りの剣。それを神格化したものが、グラディウスだ」
「はぁ」
「あのライフサッカーは、そのグラディウスが造り、地上にばら撒いたもののうちの一つだ」
 クリスは目を何度か瞬かせた。そのあと、さらに何度か首を捻る。
「まあ、神が造った剣には違いないが、聖剣とか神剣と呼ばれるものとはまるで毛色が違う。あれが持つ目的はただ一つ、斬ること。聖も邪もなく、ただ全ての物を斬ること。そして、その使い手を悲劇へと導き、死したる後はその魂を自らの力として取り込むこと」
「ひょっとして……邪神……なんですか?」
「いや、邪神でも聖なる神でもない。どちらにも属さず、どちらにも力を貸す。そういう意味では、徹底的に神としても一振りの剣なのだ。そして、その神が打った剣を所持するということは、その神の加護を受けるということ……見ようによっては、その加護は呪いにすら形を変えるがな」
「どういうことですか? あたしには難しくって、よくわかりません」
 わからないなりに、アレフの話に含まれた危険な香りを感じ取っているのか、不安そうに眉をひそめている。
 アレフは一呼吸置いた。
「グラディウスの狙いはこうだ。……何でも切れる剣があるとする。そうすれば、人はそれを欲しがる。そして、それがあるということは、同時にグラディウスという神が存在することを証明する――ここまではわかるね?」
 クリスは頷いた。
「つまり、その剣を求めるということがグラディウスへの信仰となり、その思いがグラディウスの力となる。だが、それだけではせっかくばら撒いた剣は、力のある人物に占有されることになってしまう。グラディウスにとっては、一人の者に占有され続けるよりは、より短い期間で次々に人手を渡って行く方が良い」
「……ええと……その方が宣伝になるから、ですよね? ボコボコ様の件みたいに」
 アレフは満足げに頷いた。
「そのとおり。そこで、三つの罠が仕掛けられた。一つは、誰にでも扱え、その見返りが大きいということ。剣の本質『斬る』ということを究極まで突き詰めれば、実体無き物さえ斬ることができる。もう一つは、命を糧に斬るということ。これは、実は世界のバランスを崩さぬための安全装置の意味もある。より斬りにくい物を斬るためには、それだけの命の総量が必要とされる。人の命程度では、城は斬れても山は斬れまい。そして最後の一つは……それを使わざるをえない状況を引き寄せるという罠」
「……え?」
「その剣でなければ斬れぬ物、あるいは切り拓けぬ状況、そういうものが気をつけていても向こうから忍び寄ってきて、結局刃(やいば)を抜かざるをえなくなる運勢、状況の巡りに陥るのだ」
「ちょっと……ちょっと待ってください。待って、お願い!」
 うつむき加減で目を閉じ、こめかみに指先を当てて考え込むクリス。その蒼ざめた表情に、アレフはお願いされるまでもなく黙っていた。
「じゃあ……じゃあまさか、グレイも、グレイのお父さん、お祖父さんも……ううん、グレイのお母さんだって」
 ライフサッカーを見やる眼差しに、恐怖と憎悪の色が揺れる。
 アレフは興奮しかかっているクリスを刺激しないように、申し添えた。
「しかし、勘違いしてはいけない。神の力は万能ではないし、色んな神がいつでも力を振るっているために、この世は一柱の神の思惑では動かぬように出来ている。あくまで、そうなりやすくなる、という程度だ。全てがグラディウスの思惑通りに行っているわけではないし、グラディウスにもそんなつもりはないはずだ」
「だとしても!」
 顔を上げたクリスの表情は、怒りと悲しみに歪んでいた。
「だとしても、幾分かはそのせいなんでしょ!?」
「そうだね。世界の裏で、そういうきっかけを与えたという疑いは否定できまいな」
「そんな……そんな酷い話って……」
「実に巧妙な仕掛けだ。簡単に使えて、見返りもでかい。だから、ちょっとだけなら使いたくなる。だが、その『ちょっとだけ』を許さない状況が向こうからやってくる。そして……使い手は死に、悲劇だけが残る」
「悲劇……? そうよ……どうして? 悲劇なら、みんな使わなくなるんじゃ……」
「逆だよ。クリスさん」
 少し哀しげな陰のある笑みを浮かべながら、アレフは首を振った。
「人は悲劇に弱い。いや、悲劇を好むと言ってもいい。考えてもみたまえ。世の中の様々な劇、物語、お話、寓話、英雄譚……その中に占める悲劇の割合は? 悲劇は心を揺さぶる。命を賭けて何かを守る姿勢、夢を追いながら半ばで敗れた者の無念は、容易に人の共感を得られる。中には、そういう死に方をしたいとさえ思う者もいる」
「そんなの……そんなの、おかし――」
 ふとクリスは口をつぐんだ。そういえば、グレイのお祖父さんはそういうタイプではなかったか。
 死ぬときは病に倒れて苦しんで死ぬよりも、誰かを守って立ったまま死にたい、とか笑っていた記憶がある。そして、その通りに亡くなった。
「また、人は愚かだ。たとえ前の持ち主が目の前で命を使い果たして死のうとも、新しい持ち主は自分だけはうまくやれると信じる。そこに秘められたグラディウスの真の意志を知らぬがゆえに……灯火へ飛び込む蛾のように、その剣を求める者は後を断たない。実に巧妙。実によく人間を知っている」
「……だから、呪い……」
「そうだ」
 アレフは頷いた。
「だが、幸いこの呪いは魔法による呪いとは違う。意志さえ正しく持てば、その悲劇を防ぐことは決して不可能ではない」
「どうすればいいんですか……助けてください。お願いします」
 泣きそうな顔で見やるクリスに、アレフはばっさり言い放った。
「簡単なことだ。あれを手放せばいい」
「え?」
 目を瞬かせてライフサッカーを見やったクリスが、顔を戻すのを待ってアレフは続けた。
「あれはグラディウスの分身のようなもの。あれが神の波動を放ち、悲劇を演出する何事かを呼び寄せている。ならば、あれを遠ざければよい。もちろん空間的な意味ではなく、関係性の意味でな」
「でも、あれは……グレイの家の家宝で…………お父さん達の形見……」
 ぼそぼそと呟きながら、うつむいてしまう。
 アレフは頷いた。
「それもよし、だ。私は君に何かをしろと指示するつもりはないし、あれを無理矢理取り上げる気もない。伝えるべきことは伝えた。後は君たちの好きにするさ」
 席を立つアレフに、クリスの手が思わず伸びる。だが、その指先は途中で虚空を掻き、その唇は声にならない何かを発しかけて凍りついた。
 アレフはそんなクリスを見やりながら、あくまで愛想の良い笑みを浮かべていた。
「悪いが、私は君達の行く手に立ち塞がるであろう不幸を、無理やりに奪い取るほど善人ではないんだ。それもまた、人生の試練だからね」
「じゃ、じゃあ、どうしてそんな話を? それなら――」
「そんな話、聞かなければ良かった、かい?」
 言葉を継ぐ前に、アレフが割り込んだ。機先を制され、クリスは声を飲み込む。
「本気でそう思うかね?」
 微笑をたたえるアレフに、クリスは再びうつむいてしまった。
 そんなはずはない。知らずにいたら……。
 アレフはクリスの懊悩を快さげに見据えながら、もう一度席に座り直した。
「苦難は、自力でどうにかすべきもの。他人が気を利かせて取り除くものではない。その苦難を受け入れるもよし、誰かと手を携えて乗越えるもよし、諦めて膝を屈するもよし。人生とは苦難の連続。苦難を乗越え、受け止め、時に膝を屈して人は学び、成長する。いかに対処すべきか、を。君達がどうすべきかは、君達で決めることだ。……しかしね」
 すっと手を伸ばし、クリスの肩を叩いてやる。
「苦難が迫っている時に、気づいていない者に気づかせてあげることぐらいは、親切心として許される、と私は思っているよ」
「最高司祭様……」
「だが、本当に助けが必要だと思うのなら、いつでも遠慮なく言いたまえ? 司祭という職はそのためにこそある。迷える者に導きの手を、誤りたる者に救いの手を。まして、これより契りを結び、幸せを育もうとする若い二人の門出をよきものとするためなら、このアレフルード=シュバイツェン、及ばずながら全力で手を差し伸べよう」
「……お布施次第で?」
「いやいや、ここはさすがに無料奉仕でやらないと。人として」
 顔の前で手をひらひらそよがせたアレフに、クリスはいたずらっぽく笑っていた。
「やだ、冗談ですよぉ。……でも、ありがとうございます。シュバイツェン最高司祭様」
 深々と頭を下げたクリスは、その反動を利用したかのように勢いよく席を立った。
 そのままベッドの周りをぐるっと回り、ライフサッカーを両手で抱えて戻って来た。アレフに突き出す。
「どうぞ、持ってって下さい」
 その思い切りのよさに、アレフの方が面食らった。
「……決断早いね」
「はいっ!」
 頷くクリス。その眼差しに怯みや揺らぎ、迷いはない。ただ真っ直ぐにアレフを見つめている。
「悩んでも仕方ありません。こうするのが最高司祭様の御厚意に報いる一番いいことだと、思いますから。それに、今の話がなくてもやっぱりこんなものいらない。こんなのがあれば、またグレイが危ない目に遭っちゃう」
「しかし……これはグレイ君の物なんだろう? 勝手に君が処分しても?」
「いーんですっ!!」
 少々顔を険しくして、両手に抱えたライフサッカーをアレフの胸に押し付ける。
「どーせグレイだって、元々これを封印する方法を探して家を出たんだし、あたしたちの将来に暗雲を呼ぶとなったら余計にいらない物です」
「とはいえ、グレイ君に怒られないかね?」
 アレフは苦笑しながらぐいぐいと押し付けられるライフサッカーを受け取った。同じ男だからこそわかる、決着は自分の手で、という意地。それを他の誰かの手でやられてしまうことの喪失感は想像するだに大きく、深い。
 しかし、クリスは譲らなかった。
「だーいじょーぶっ! この程度で怒るような器の小さな人だったら、ばしーっとやっちゃいます!!」
 なぜか腕まくりをして、力こぶを誇示する娘。
 なにをどうばしーっとやるのか、アレフは気になったものの聞かぬことにした。
 ただ、思った。
(……かわいそうに。尻に敷かれるな、これは)


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