愛の狂戦士部隊、見参!!

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第7章 後始末 (その2)

 同時刻、ミアの村長宅。
 村の長老と呼ばれる者たちが十人ほど椅子を円形に並べ、額を寄せ合っていた。
 その円座の中心に座るのは、頭の禿げ上がった司祭衣の男。
「本気かね、ブラッドレイ司祭」
 ブラッドレイより一回りほど年上の白髪の村長は、その顔に刻んだ苦渋と困惑を隠しもしていなかった。
 対するブラッドレイは、無言で頷く。その表情に申し訳なさはあるが、迷いはない。
 ざわめきが、さざ波のように広がった。
「伯爵がいなくなったとはいえ」
 村長の言葉に、ざわめきが収まる。
「今、この村だけでなくミア地方全体が未曾有の混乱の中にある。伯爵の遺した怪物ども、それによる被害、村人同士・村同士のいさかい、流れ込んでくるよそ者、それとの衝突、統治者の不在……以前にまして頭の痛いことばかりだ。今ほどお主の力が、お主の存在が必要とされておる時もないというに。なぜ?」
「……悪いとは思うておる。これからも、一個人として出来ることがあるのなら、いくらでも働かせてもらおう。じゃが、わしはこのまま司祭を続けてゆくことだけは出来んのだ」
 唇を噛むブラッドレイ。その硬い表情には、誰が見ても明らかな苦渋と決断の色が見て取れる。
「なぜだね? 伯爵におもねったことを恥じておるのか? だが、それでわしらは命をつないだと思うておるし、わしら自身がそれを受け入れたのだ。お主が独りで背負い込むことではあるまい?」
「それもある。じゃが、それだけではない。……ことは、わしの信仰心に関すること。わし一人の問題なのだ。本当に、すまん」
 頭を下げるブラッドレイに、長老達は顔を見合わせ、ため息をつく他は無い。
 誰かが聞こえよがしに呟く。
「そうは言っても、この状況でモーカリマッカの司祭様が居られなくなるのは、厳しいのう」
「モーカリマッカ様のお力のおかげで、この近在も結構潤ってきたところだったのに……」
「モーカリマッカの司祭といえば、あの若い司祭様はどうじゃ? なんでも伯爵を倒した一味らしいではないか。その腕も確かなら、こんな状況にした責任というものもあろう」
「そうじゃのう……ならば、ここはブラッドレイ司祭の最後のお勤めとして、あの若者の引止めを頼むというのはどうじゃ」
「おお、それがよい。そうしてもらえれば、わしらも助かるし、ブラッドレイ司祭も安心して隠居できるというもの」
「そうじゃそうじゃ」
 一通りの話を聞いていた村長は、ふむと頷いた。
「どうやら話の方向は決まったようだな。反対の声もないようだし、ブラッドレイ司祭。それでお願いでき――なんだ?」
 不意に外から飛び込んできた若者が、村長に何事か耳打ちした。
 怪訝そうだった表情が、たちまち光り輝く。
「なんと……!!」
 村長は立ち上がって、喜色満面で両手を広げた。
「皆の衆、大変なことになったぞ!! 今、この村にモーカリマッカの最高司祭様が来ておられる!! 今、神殿に居られるそうだ!!」
「おおおう」
 どよめきが大きなうねりとなり、いっせいに破顔する長老達。
「最高司祭様が、こんな辺境の地にわざわざっ!?」
「なんと都合のよい。新しい司祭の件もブラッドレイ司祭に加えて、我らが直接頼めば聞き届けてくれやすかろう」
「そうじゃそうじゃ」
「となれば、もてなしの用意をせねばいかんのぅ」
「それはよい。ミアの村をあげて大歓迎の宴じゃ」
「最高司祭とは、いったいどれほどの大人物であろうか。楽しみだわい」
「いやはや、長生きはするもんじゃのう」
 皆、何かから解放されたように喜び合っている。
 その輪の真ん中で、ブラッドレイだけが顔色を失っていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「――くそ、無茶をしやがる。死ぬかと思ったぞ」
 顔面蒼白のアレフは、最高司祭にあるまじき乱暴な言葉を吐いた。
 グレイを救うための儀式の最中に、突然額から血を吹いたアレフは儀式を中断して椅子に座っていた。その目は虚空を見上げている。
 額に手を当て、回復魔法で傷を癒している最高司祭を、クリスは困惑しきった顔つきで見つめている。
 不安げにゴンが訊ねた。
「いったい、何があったんですか?」
「つか、何をしようとしたんだ? なんで祈り始めた途端に血ぃ噴いたんだ」
 シュラの問いは隣のストラウスへ向けられたもの。だが、ストラウスも首をひねるしかない。
「俺に訊くなよ。神様との交信やなんかは、専門外だ」
「あの……最高司祭様……?」
 最高司祭の不気味な沈黙、そして愛する男に変化が現れないことに耐え切れず、クリスはつい声をあげた。しかし、続く言葉はアレフが突き出した手の平によって遮られてしまった。
 虚空を睨んで考え続けるアレフ――やがて、その頬にしてやられた苦笑が浮かんだ。
「……なるほど、そういうことか。やってくれる」
「あの、師匠?」
 不思議そうに顔を覗き込む愛弟子ゴンを無視し、アレフの瞳はクリスに向いた。
「残念だが、クリスさん。彼はここでは目を覚まさない」
「え……?」
 驚くクリス。愛の狂戦士部隊の一行も眼が点になっていた。
「むぅ……アレフ師匠でも、ダメなのか」
「なんだ。いつもはえらそうなわりに、大事なとこでダメじゃねーか」
「……聞こえてるぞ」
 アレフにじと目で睨まれ、小声で囁いていたシュラとストラウスは目を逸らした。
「言っておくが、私の力不足ではないぞ。神の思し召しだ。……クリスさん、君の家はイークエーサの温泉宿だったな?」
「え、あ、はい」
「家の裏の小さな洞窟に宿で使ってる湯の源泉があり、そこに祠を建てて温泉の神ボコボコ様を祀っているね?」
「はい……ええと…………いつかおいでになりました?」
「いや、多分ないと思うがね」
 小首を傾げて必死に記憶を探っているクリスに、アレフは苦笑した。
「さっき、私はいずれかの生命を司る神にお力添えをいただくために、モーカリマッカ様と交信していたんだが……そこへボコボコ様が割り込んできたのだ。おかげであんな無様を曝してしまったわけだが――まあ、それは置いといて」
「はぁ」
「そこでボコボコ様の啓示をいただいた。彼を君の家の源泉まで連れて来させ、君の手で入れてやれば、助けてやる、ということだった。どうやら、我が神もそれに乗っかることに決めたらしい」
「はいはいはい、師匠」
 目を丸くしている一同を代表して、ゴンが手を上げた。
「なんでそんなことに? ボコボコ様の啓示の意味もわからなければ、なんでモーカリマッカ様までそれに乗っかったのか、まるでわからないんですけど……」
 愛弟子を一瞥した師匠は、気色の悪いほど爽快な笑み――要するに仮面じみた笑みを浮かべて一言。
「神の御心は深く、聡く、貴(たか)く、いつでも人の身には量りがたいものだ」
「いや、でも――」
「ゴン」
 これまで見せたことのない、その気色悪い笑みを向けられ、思わずゴンは口をつぐんだ。
(あの笑みは、大人が都合の悪いことを隠す時の笑みだな)
「――教えてください」
 思いつめ、唇を引き結んだクリスの一言に、アレフは露骨に嫌な顔をした。
「人には、知らなくていいことというものもある」
「教えてください。神様は何を考えておられるんですか? それがボコボコ様の意志だとしたら、あたしはなおのこと聞きたい」
 アレフはぽりぽりと頭を掻いて唸り、悩んだ。
 しばらくして、気乗りのしなさそうな顔でクリスを見つめる。
「いや、本当に知らなくていいことだと思うぞ? 神様の思惑なんて。別にそれを知ったからといって、何かが変わるわけでも……」
「教えてください」
 じっと見据えるその眼差し。何を言っても引きそうにない。
 その強情さに、思わず天上を仰いで嘆息する。
「わかったわかった。いずれにせよ、あくまで私見に過ぎないということを、肝に銘じて聞きたまえ?」
 クリスは真剣な眼差しで頷く。アレフはもう一度溜め息をつく。
「……ボコボコ様の狙いは、ズバリ…………宣伝のためだ
 一同は呆気にとられた。
「死にかけた男が奇跡の復活を果たして、その祠を祀る家の娘と結婚したと聞けば、その温泉にはそういう御利益があるのだと思う輩が出てくるだろう? そういう輩が、ボコボコ様にとっての信者なのだよ。そして、ちょっとでも商売上手なら、それを宣伝して客集めに使うだろう? 商売繁盛、それがモーカリマッカ様の狙いだ」
 たちまち愛の狂戦士部隊はげんなりした表情になった。白けた空気が漂う。
 シュラが呆れたように鼻で笑う。
「死にかけの男をダシに信者獲得・商売繁盛かよ。神様もあこぎだな」
「……いい」
 うつむいていたクリスから声が漏れた。
「それでもいいです。グレイが助かるなら……でも、この状態のグレイをあたし一人で連れて帰るなんて、どうやったら……」
「一人? おいおい、なんで一人だよ」
 シュラのあげた抗議の声に、クリスは今にも涙の溢れそうな顔を上げた。不思議そうに小首を傾げる。
「グレイの命がかかってんだ。どうせ帰り道だし、俺達もついて行くぜ?」
「ああ、そうだね。ここまで来たら、二人にきちんと大団円を迎えてもらわないと」
 ゴンも腕組みをして、深々と頷く。
「そうでなくとも、グレイは一緒に死線をくぐった仲間。このまま放り出すなんて、できないよ。ねぇ、ストラウス?」
 笑顔で話題をふられた魔術師はしかし、人差し指を左右に振って鼻で笑った。
「ちっちっち、お前らバカだな」
 それは褒め言葉のバカではない。実際に相手をけなす響きのバカだった。
 たちまちシュラが表情を険しくする。
「んだと、コラ。せっかくいい雰囲気になってんのに、なんでお前はまた、そうやって――」
「頭を使えって言ってるんだよ。今、うちの師匠がこの村に来てる。師匠なら『テレポート』の魔法でひとっ飛びだ。グレイはこの国、この地方を救った功労者なんだからな。それぐらいの特別扱いは許されるべきだろう?」
「ああ、確かにそうだね。それはいいや、それで行こう」
 ゴンも手槌を打って、同意する。
 アレフは何も言わず、少し片眉をあげて――ちらりとベッドの脇に視線を走らせた。
 そこに立てかけられている、少し反りのある鞘に納められた剣を。
(……あとはあれをどうにかする必要があるな)
 席を立ったアレフは、はしゃぐ愛の狂戦士部隊と、安堵からか大粒の涙をこぼし始めたクリスに背を向け、部屋を出て行った――頬に笑みを貼り付けて。

 ―――――――― * * * ――――――――

 重い足取りを引きずって、ブラッドレイは神殿まで帰ってきた。
 うなだれたまま、階段を一段一段登る度にため息をつき、いつもの倍以上の時間をかけて玄関扉にたどり着く。
 これから最も気まずい男と顔を合わせ、村長の屋敷に連れて行かねばならない。
 そのことを思うと胸が塞ぐ。
 司祭の職を辞するのは、三日間悩みに悩みぬいて出した結論だった。
 自分は本当に正しかったのか。自分の選択のために多くの人が死んだのではないのか。自分の信仰は本当に正しかったのか……。
 ゴン司祭達は奴に勝った。つまり、彼らの対応は正しかったのだろう。
 では、私は何を間違えた? どこで選択を踏み間違えたのだ?
 それがミアのためだと思っていた。村の人々もそれを納得してくれた。なのに、それは間違いだったのか。なぜ?
 答えは出ない。
 ただゴンに言われた言葉が、ずっと胸に刺さっていた。
『司祭は……『人』であることを理由に人を許すことはあっても、自らがそれを口実にするべきではありません。それが身を正すということでしょう?』
 そんなことはわかっている。高潔であるということは、だからこそ容易いことではないのだ。誰しも人であることを理由に、自分自身を許したくなる。おのが失敗を、おのが限界のせいにしたくなるのだ。
 だから、ブラッドレイは司祭の職を辞することにした。
 ミアの人々を裏切り、神を裏切り、後輩を裏切った自分を許すには、司祭の職を辞し、ただの人となって世を捨てること以外の選択肢を考えつかなかったからだ。
 思考の泥沼に一区切りつけるため、大きく溜め息をついたブラッドレイは、玄関を開けるべくリングノブに手を伸ばした。
 しかし、その手は空を切った。
 扉が自ら開き始めている。驚いて顔を上げると、開いてゆく扉の間から、人影が――
 豪奢な金髪、悪人を震え上がらせる鋭い目、自信に満ち溢れたその笑み。
 モーカリマッカ教最高司祭アレフルード=シュバイツェン。
「おお、いいところで。探していたんだぞ、ブラッドレイ司祭」
 唐突過ぎる出会いに声もなく驚いているブラッドレイの前で、アレフはにこやかに笑いながら大きく腕を振りかぶった。
「とりあえず、天罰覿面(てんばつてきめん)だ」
 ガツン、という衝撃とともに視界が暗転し、火花が散った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ブラッドレイが正気を取り戻したのは、玄関の階段の下だった。
 すぐ傍でアレフが腕組みをして見下ろしている。
 身体のあちこちで炸裂する痛みと鼻の奥に漂う血の匂いに、ブラッドレイは自分が何をされたかを思い出した。
「……な……いきなり何をするッ!!」
 跳ね起きて喚く。
 アレフはなぜかニヤニヤしながら、階段に腰を落とした。
「話はゴンに聞いた。十年前から全く進歩してないようだな、お前は。そこが愚かしくもあり、好ましくもあるが」
「な、なに……?」
 頭ごなしに怒鳴りつけられたなら、ブラッドレイも叫び返す気でいたが、アレフの雰囲気はそうではなかった。むしろ、なにやら十年ぶりの再会を楽しんでいる風ですらある。
 ブラッドレイは何か得体の知れない感覚を味わっていた。なにか、自分の知らぬところでとんでもないことが画策されているような不安感――
 はっとした。
「……ゴン司祭に話を聞いたということは……つまり、そういうことかね?」
 脂汗がにじんでくる。最高司祭が自分を殴りつけ、今もなにやらほくそえんでいる。つまり、それは……
「制裁、かね」
「制裁? なんの?」
 アレフは目をぱちくりさせている。その表情は演技には見えない。
「なにとは……だから、ゴン司祭の邪魔をして……」
「そんなことはお前たちの問題だ。現場にいなかった私が口を出すことではないだろう。それとも何か、気まずいから私に制裁されたことを口実に、二人の仲を取り持ってもらいたいのか?」
「あ、いや……そんなことは」
 しどろもどろに、うつむく。
 この三日間、良心の呵責にはさいなまれたものの、彼らの治療に心を砕いてきた。それで自分の行いが許されるとは思っていないが、ゴン司祭たちも表向き自分に敵意を向けたりはしてこなかった。気まずさがないとは言わないが、むしろお互いの関係は表面上、良好とさえ言える。今さら最高司祭に取り持ってもらうのも変な話だ。
「しかし……十年前は――」
「十年前?」
 アレフは一瞬顔をしかめた。虚空を見上げて記憶を探り、唐突に吹き出した。
「ぷははっ、なんだお前。十年前のあれを、いまだに真に受けてたのか」
「は……はぁ?」
「あれだろ、死罪を覚悟云々とかいうやつだな? くくく……馬鹿を言うな。いくら国王の要請を受けてきたとはいえ、そんな権限が私にあるものか。はったりだよ、はったり。あれで連中が散ってくれれば、余計な手間が省けるし、小心者のお前も当座は逆らえはしないだろう? もっとも、こちらの予想外に頑固な誰かさんのせいで、ああいう結果にはなったが。あれから誰か、国王の命に基づいて死罪になったか?」
 ブラッドレイは膝から崩れ落ちた。がっくり肩を落とし、うつむく。
 確かに、あの件はうやむやになっていた。だが、それがかえって気味悪く、ずっと胸の隅に引っかかっていたのだ。恐らく『今回は見逃すが、次はないぞ』という心理的な楔なのだろうと理解していたが……。
「本当に小心者というか、臆病者というか、素朴というか……やはり、お前に生き馬の目を抜く都会のグラドスは合わぬよ。呑気な雰囲気のここが似合いだ」
 けなす響きではない。どこか嬉しげな口調にブラッドレイが顔を上げると、まさしくアレフは笑っていた。
「わ、笑うなっ! 私とてお前と最高司祭を争ったのだぞ! グラドスでなど」
「稚拙な権謀を振り回し、三十年かけてようやくな。だが、その三十年を、私はあの時点で追い抜いた。そもそも柄ではないのだよ、御人好しのお前に権謀術数など。この十年、それは身に沁みたのではないのか?」
 その途端、ブラッドレイは胸を撃ち抜かれたように、固まった。
 確かに、新進気鋭のシュバイツェンごときに、三十年かけた根回しをひっくり返されるなどありえない。それだけシュバイツェンの権謀術数が優れていたのだ、と思っていたが……まさか、自分の側に問題があったのだとしたら……そしてもし、そんな自分が権力の頂点に座っていたとしたら……今頃は……。
「シュバイツェン……まさか君は、それを見抜いて……?」
 応えず、アレフは村の方に目をやった。つられてブラッドレイもその方向へ目を転じる。
 広がる田園風景、ぽつぽつとだが行き交う人々、真新しい家々……。
 ノスフェル伯爵の遺した爪痕はあれど、たくましく人々は生きている。見えぬ脅威や悲しみに揺れてはいるが、四ヶ月前までは確かにあった平穏が、そこに広がっている。
「神殿に来る前に、少し辺りをそぞろ歩いてみた。……十年前に比べれば、雰囲気といい、風景といい、明るくなったな、ミアは。グラドスにはここで採れたり、作られたりした名産が届いているしな。伯爵の件はともかく、私にはこの風景が、お前の十年間の信仰心の顕われそのものに見える。無論、お前一人の功績ではないだろうが」
 再び胸を撃ち抜く衝撃。不覚にも涙腺が緩みそうになり、ブラッドレイは思わず唇を噛んだ。
「シュバイツェン、君は……いえ、最高司祭殿……あなたは……」
「やはりお前をここに派遣したのは、間違いではなかったようだ。……お前自身は左遷だと思っていたようだがな?」
 皮肉げな笑みを向けられ、ブラッドレイは恐縮しきってうつむいた。
(この男は……見抜いていたのだ……わしの底も全て。わしという人間を……勝てるわけがない)
 十年以上に渡る疑念と憎悪、嫉妬……負の感情の全てが溶けて、消えてゆく。春先の雪のように。
(十年以上経たねばそれにさえ気づけぬとは……わしはどこまで愚かで、小さいのか……)
「……申し開きようもない……よもや…………いや、もう何も言うまい」
 ブラッドレイは全てを覚悟した面持ちで、どっかりその場に腰を落とした。そして、そのまま深々と頭を下げる。
「アレフルード・シュバイツェン最高司祭殿。今日を以って、司祭の役を辞させていただきたい」
「ほう?」
 アレフは片眉を上げて、少し意外そうな顔をした。
「わしは司祭という役にありながら、神の御意思を聞き違(たが)え、神の敵であるヴァンパイアにおもねり、結果、多くの者を犠牲にしてしまった。このような血と死にまみれたわしが、この先人々に祝福を与えられようはずもない」
 そう。どう申し開きをしても逃れようのない真実。自らの弱さの中に逃げ込み、守るべき教えを捻じ曲げていた事実。
 ゴン司祭との論争は、後になるほど鮮明に理解できるようになった。まるで、ノスフェル伯爵が消えたことで頭の中の霧までもが消えたように。
 少なくとも、あの事実だけは自分でも言い訳のしようがない。
 いや、理由は考えつく。だが……考えつく理由など、理由ではない。それをすれば、さらに捻じ曲げることになる。
 だからこそ、司祭の職を辞するのだ。自分はもはや、その職責を果たすに相応しい人間ではない。
「どうか、わしを破門し、新たな司祭をこの地に派遣していただきたい。そう、できればゴン司祭のような――」
「ゴン? あれはダメだ
「え……なぜ? 彼は確かに若いが、わしの目から見ても教義をしっかり理解し――」
 アレフは苦々しげに舌打ちを漏らし、背後のモーカリマッカ神殿をちらりと一瞥した。
「あれは、付き合っている連中に問題がありすぎる。皮肉屋の魔法使いに、直情家の暗殺者、それに貧乏ったれのエルフ。あいつ自身も最近、そういうものにだいぶ毒されてきている。教義に障るわけではないから、面と向かって注意はできんが……しかし、かといってあいつを抜けさせたらあのチームは色々と暴走しかねん」
「はぁ」
「ま、それはそれとして」
 アレフは目をブラッドレイに戻した。
「お前はまださっきの一発の意味がわかってないようだな?」
「は?」
 ブラッドレイは思わず、さっき殴られた鼻っ面を指先で撫でていた。まだ熱く鈍い痛みが残っている。
「ミアをここまでにした司祭を破門になど出来るか。その願いは却下だ。これからもここで、司祭として生きろ」
「し、しかし……」
 見上げたブラッドレイに、アレフは手早く印を切ってみせた。
「あのな、ブラッドレイ。破門というのは、究極のところ神の手によってなされるものだ。私がここで破門を言い渡したとしても、それは私が率いる一派から弾き出す、ということに過ぎん。人の手による破門とは、そういうものだ」
「それは……どういうことです?」
「司祭の様々な力は神より賜る。その源泉は、一般人とは明確に異なる高い信仰心にある。……ブラッドレイ、お前は魔法を使えなくなったか?」
 ブラッドレイは首を振った。司祭になってから一度も――ノスフェル伯爵に膝を屈した後ですら、そんなことはなかった。
「ならば、モーカリマッカ様は気にしてないということだ。ぶっちゃけた話、司祭になるのに最高司祭の認証なんぞいりはしないのさ。神にさえ認められればいい」
「しかし、そんな……なぜ…………私は、確かにモーカリマッカ様の教えを……」
「神の御心は深く、聡く、貴(たか)く、いつでも人の身には量りがたい」
 さっき、ゴンたちには冗談めかして言った言葉を、今度は大真面目にぶつ。
 そして、空を見上げた。鳶が舞い、雲が一片、風に流されてゆく――ただひたすらに青く、広い空。
「気にしていないのか、その程度は折り込み済みなのか、それとも、お前が改心することが折り込み済みだったのか……それこそ人の身には量りしれん。とはいえ――」
 再びブラッドレイに目を戻す。
「どうせ小心者のお前のことだから、今回の件やそこで出た犠牲者のことに胸を痛め、自責の念に駆られてそう言い出すだろうとは思っていた。下らんことにこだわって、より大事なものを見落とす。本当に十年前から変わってないな」
 同じことを言われながら、今回は恥じ入るばかりのブラッドレイ。
「要はお前さん、罰が欲しいんだろう? 自分を許せる罰を。だが、誰も与えてはくれんから、結局自分で自分に下せる罰として、世を捨てることを選んだ。あとは首を吊るぐらいしかないが……ま、小心者のお前が首を吊ることはあるまい。だから殴ったのさ」
 ブラッドレイは困惑げに首を傾げる。話の筋道が見えてこない。
「……わしに……死ぬな、と?」
「違う」
 情け容赦なくアレフは否定した。
「罰を欲しがってるから、罰を与えた。それだけだ。この道四十年、ミアをここまで育て上げたほどの御立派な司祭を殴れるのは、最高司祭の私か神そのものしかおらんだろうが。神がそれをなさぬ以上、私しかやる者はいないではないか」
「それは……そうですが、しかし……」
「いいんだよ、ごちゃごちゃ考えるな。そこもお前の悪いところだな。お前はお望みの天罰を食らったんだ。以後は心を入れ替えて……いや、入れ替える必要もないか。ええい、ややこしいな。ともかく、以前以上にこの地方のために尽くせ。今の一発以上の天罰がほしいというなら、その後悔と慙愧の念を抱えたまま人に尽くすのがその天罰と心得ろ。わかったな」
「は……ははぁっっ!!!」
 にんまり笑うアレフに、居住まいを正してひれ伏し、頭を下げる。額を地面にこすりつけるのも、もはや屈辱ではなかった。
「今後は、お前の手に余るような事件が起きたら、すぐに連絡して来い。うちの名物連中は、私の想像以上にたくましくなったようだし……」
 立ち上がったアレフは、チンピラが威嚇するかのように、手の指をボキボキと鳴らした。
「いざとなったら、俺が来てやる」
 ブラッドレイはもう放つべき言葉もなく、ただ深々と頭を下げた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ブラッドレイの招きに応じて、アレフは歓迎の宴を準備している村長宅を訪れた。
 満面の笑みで迎えに出た長老達は、最高司祭の顔を見た途端、激しく動揺した。
「お、おおお主は十年前のっ!!」
「ブラッドレイ司祭やわしらを無視して、伯爵討伐に向かったあの若造っ……!!」
「まままままさかお主が最高司祭などと……っ!!」
 慌てふためく長老たちの目が、一斉に冗談だといってくれ、とばかりに救いを求め、ブラッドレイに向かう。
 しかし、ブラッドレイはにこやかに笑って言った。
「このお方が、モーカリマッカの現最高司祭であるアレフルード=シュバイツェン殿です」
 長老達が一斉にげっそりやつれるのを皮肉げな笑みをたたえて見やり、アレフは口を開いた。
「久しぶりだな、じじいども。いくつか見知った顔がいないようだが、さすがにくたばったか?」
「なにをこのわかぞういいきになりおって――」
 豪快に笑い飛ばすアレフに、血管が切れそうな勢いで喚く長老の一人。
「そうじゃそうじゃ、最高司祭などと言うからわしらとどっこいどっこいの年恰好、身なりかと思うておったに」
「こんな感じかの?」
「ああ? ……おお、そう、そうじゃこれこれ」
 その長老が指し示すのは、黒いローブに長い白髭のじいさんだった。長老連中の中でも一際年を取っているように見える。同じく白い髪の溢れる頭には、たくさんの星印のついた三角帽が――
 指し示した長老は、ふと顔をしかめた。
「はて……お主、誰じゃ? 見ぬ顔じゃのう…………いや、どこかで見たような」
「十年ほど前に、お世話になったかのう」
 三角帽の老人は白髭をしごきながら、目を細めて笑う。
「十年前とは……あ」
 気づいた途端、アレフがいたずらっぽく声をかける。
「ギャリオート師、そんなところで何をしておられる」
「ギャ……ギャリオート? ……ギャリオートって……宮廷大魔術師のっ!?!
「ひえええぃっっっ!!!」
 風に薙ぎ倒される麦のように、一斉にその場にひれ伏す長老たち。
 スターレイク=ギャリオートの脳天気な笑い声が、村長の宅内に響いた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 歓迎会改め対策会議となった村長宅から遠く、村外れの鍛冶屋を訪れる影があった。
 扉を開けたスミスの前に突き出される、独特の形状の瓶。ドラゴンを模したその瓶に、スミスは顔をしかめた。
「なんだこりゃ?」
「遥か西の果て、ドラゴンロード王国産の酒『ドラゴン・ヴァッシュ』だ。十年前に世話になったことと、今回弟子が世話になったことへのお礼代わりといってはなんだが」
 スミスが瓶を受け取り、その人影を見上げる。
 記憶の隅に残るその顔を掘り起こし、スミスは相好を崩した。
「おおっ!! おめえ……ラリオスか! ははは、よく来たな。まあ入っていけ」
「いや、今回はうちの弟子が世話になったと聞いて、そのお礼も兼ねて挨拶に来ただけだ。まだ仕事が――」
「堅ぇこと言うんじゃねぇよ。ったく、お前は相変わらずだな。そうだ、これ飲んでけ」
 豪快に笑いながら、強引にラリオスを中へ引きずり込む。
 テーブルにつかせ、コップを二杯用意すると、ためらいなく『ドラゴン・ヴァッシュ』の封を切って惜しげもなく注ぎ込む。
「こんなもん、一人だけで飲むのもアレだからな。お礼ってんなら、そこまで付き合え」
「むう……では、少しだけ付き合おう」
 渋々ながら、それでもまんざらではない様子でコップを取り上げる。
「なにが少しだ。がはははは、これが空になるまでつきあってもらうぞ。まずは久々の再会に、乾杯だ」
「それと、俺と弟子、二人の武器の世話をしてくれた一流の鍛冶に感謝を込めて」
「……ほんとに堅え奴だな。あのシュラの師匠とは思えねえ」
 二人は笑いながら、コップの縁を打ち合わせた。



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