愛の狂戦士部隊、見参!!
第六章 暁光の決戦(その4・後)
稜線のシルエットを切り裂いて、光の刃が放たれた。
夜明け。
その黄金色の輝きはノスフェル城を照らし出し、もちろん玉座前の大広間にまで差し込んで来た。
―――――――― * * * ――――――――
『……む!?』
窓と壁に空いた孔から差し込んできた朝日の輝きに、大狼が意識を取られたほんの刹那――それまで閉じられていたシュラの眼が開いた。
両手両足を縮こまらせ、その場で身体を捻る。
「――天壌……無窮ーーーっっ!!!」
手足によって引き絞られた糸が、あらかじめ張り巡らせておいた糸を呼び集め、瞬時の内に大広間は無秩序に張り巡らされた銀の糸で埋め尽くされた。
空中にあった大狼は、完全に不意を突かれた形となった。たちまち蜘蛛の巣に絡め取られた獲物のように、空中で無数の糸に縛り上げられる。全身から白い煙が噴出した。
『ぬう、ぐうううぅぅっっっ!!』
空中で身悶えする大狼。そのたびに糸が軋む。
「さすがに頑丈だな。斬れねえか」
久々に床へ降り立ったシュラは、片膝片手を床に突いて、虚空に右手を突き出した姿勢で大きく息をしていた。
全身血まみれ、覆面は剥げ、口元から血を流し、左目は腫れて塞がっている。黒装束もあちこちが破け、そこから見える肌には血が滲んでいる。
『これだけの仕掛けを……いつの間に』
「てめえがグレイと遊んでいた間にだよ」
大きく肩を揺らして呼吸を繰り返すシュラの頬に、勝利を確信した笑みが刻まれる。
「くく……言ったろ、てめえの敗因は暗殺者を侮ったことだってな。さあ、伯爵……日光浴の時間だぜっ!!」
『むうっ!?』
シュラの右手が、何かを手放した。
大狼は銀の糸でがんじがらめにされたまま床に落下した。自らが空けた孔から射し込む、強烈な朝陽が形作る光円の中へ。
一際高く白煙が噴き出した。大狼の姿を覆い隠すほどに。
「はははははははは、消えろ! 灰になって消えちまえっ!!」
「……むぅぅ……」
白煙の向こうから聞こえる唸りに、シュラの笑いが凍りつく。
それはややくぐもった狼の声ではなく、重厚な伯爵本人の唸り声。
果たして、一陣の朝風に吹き散らされた白煙の中に、人間の姿に戻ったカイゼル=フォン=ノスフェルの姿があった。
その姿が現われただけで、周囲の輝きが少し鈍ったようにさえ感じられる圧倒的な闇の気配。
「日の光の中では、やはり変身も解けるか。忌々しい」
伯爵は長く伸びた鉄のような爪で、自らを戒める糸を簡単に断ち切った。
「……バ、カな」
呆然として、ようやく呻きを搾り出すシュラ。
「何を勘違いしたのか知らんが、わしは日光浴は嫌いではないぞ?」
ノスフェル伯爵は自らの礼装をはたいて埃を落とした。
「てめえ、吸血鬼のくせになんで――」
「【転生体】の力を見誤ったな? 愚か者め」
くく、とさも愉快げに伯爵は唇をめくり返して笑う。長い犬歯が、光を弾いた。
伯爵は一歩一歩床を踏みしめ、シュラへと迫る。その分、シュラは退がる。
伯爵が光円から外れると、噴き出していた白煙も収まった。
「力の足りぬ有象無象の吸血鬼ならいざ知らず、魔道を極め、闇を統べし【転生体】が日の光ごときで灰になるものか。いささか発揮できる力の制限を受けはするが……さりとてうぬらを葬れぬほどではないぞ」
「じゃあ、なんで黒雲なんぞ……」
じりじりと追い込まれてゆくシュラ。しかし、その足取りは再び伯爵を光円の中に導くよう慎重に運ぶ。
「ふふん、あれを我が身を護るための傘と思うておったか? 迂闊な者どもの考えそうなことよ。あれは我が部下どもが活動しやすいように呼んでおいただけのこと。そして、我が帰還を下々の者どもに知らせんがため」
シュラの目論見通り、伯爵は再び朝の光の中に立った。しかし、少々の白煙があがるばかりで、本人は全く痛痒に感じている素振りはない。
「お天道様の下を堂々のし歩くヴァンパイアだ? くそったれ、反則じゃねーか」
「うぬらが勝手に勘違いしただけであろう? くっくっく……わしを滅ぼしたくば、最も力弱まる日光の下で、心臓に神の力で清められし白木の杭を打ち込むしかない。だが、そんなことは不可能だ」
「やってみなけりゃ、判るかっ!! くらえ、斬の奥義その十九、水月!」
二つに折り畳まれ、三日月をなす形状の銀糸が襲い掛かる。
伯爵は避けもしなかった。
右肩――と正反対の左肩がさっくり切れた。服だけが。
「んん? ……ほほう、面白い曲芸だな。左側は見えなんだわ」
笑う伯爵の姿が薄れ、消えてゆく。いつの間にか陰に入ったために、霧への変化が出来るようになったらしい。
シュラはその場を動かず、じっと息を殺した。
……1秒……5秒……10秒……
「――そこだっ!!」
顔を向けることもなく、右腕だけを頭上に跳ね上げる。その指先からかすかな銀の輝きが伸びる。
同時に、頭上から衝撃波が落ちて来た。さっき味わった魔力塊よりは弱いが、それでも床に叩き伏せられそうなほど強力な衝撃。それが全身に満遍なく叩きつけられる。
「ぐううっ……蝙蝠の……超音波かっ!!」
一撃だけで終わったのは、シュラが放った真上への一撃が効いたからか――シュラは頭上を見上げた。
張り巡らされた銀の糸を黒く伸びたナイフのような爪で切り裂きながら、人型の姿で自由落下してくる伯爵。
「はぁああっ!!」
「ひゅぅ」
独特の足運びで、風にたなびく柳のように伯爵の振るった両腕の爪を躱す。
爪は虚空を薙いで床をざっくりえぐり、さらにその先から飛び散った液が床を叩いて白煙を上げた。
「ぬぉわっ!!」
慌ててシュラはもう一跳び、後退る。
「――ったった、と……酸か!?」
「毒よ」
マントを翻して着地した伯爵が、爪を誇示するように構え、舐めながらにんまり笑う。
「もっとも、人間相手なら酸と変わらぬがな。くくくっ」
右腕を無造作に振るう。
爪先から飛び散る毒液のシャワーに、シュラはすぐ石柱の背後に回り込んだ。そのまま気配と姿を消す。
「無駄なことを」
含み笑いながら、再び伯爵は大狼に姿を変えた。
『……この鼻を前に隠れおおせるものか――そこだっ!』
素早く身を翻し、後方の石柱、その影に身体ごとぶつかる。
牛ほどの体格での牛より早い突進を躱すだけの速さは、もはやシュラにはなかった。逃れきれずに空中へと跳ね飛ばされる。
呻いて宙を舞うシュラに、追い討ちの体当たりが襲い掛かる。
「がっ……ふ……っ!!」
床に叩きつけられ、苦鳴を漏らした口から鮮やかな紅の血飛沫が飛び散る。
すぐに体を返してうつ伏せになり、起き上がろうとしたシュラはしかし、そこで激しく咳き込んだ。うつむいた顔の下で、見る見る床が鮮血に染まってゆく。
「……げ、げはっ……ぐふ……げほ、げほっ!! ……ぐあ、う、ぅ……」
「おのが未熟と限界を理解し、絶望したか?」
うつぶせたシュラの背中にどっかり足を置き、踏み潰す。
完全にうつ伏せにさせられ、伯爵の足で踏み押さえられたシュラはさながら標本台に刺し止められた昆虫だった。
「げふ……っ」
再び口から押し出される血。
「眼玉と脳を噴き出して死ぬがいい。くく――ん?」
力を入れてシュラの背を踏み抜こうとした伯爵が、ふとためらったのはシュラの頬に笑みが浮かんでいるからだった。
「……なんだ? この期に及んで、何を笑って――」
その時、日が翳った。
壁に空いた孔から覗く朝日の前に、なにかが立ちはだかっている――谷の底まで数百m、なにもないはずの中空に。
「はーはっははははははははは!!! 天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 悪を倒せと俺を呼ぶ! 天才魔法使いストラウス=マーリンその他一名、ただ今参上っっ!!!」
朝日の中に立つその影は、ゴンを背負って浮いているストラウスだった。
「……おせえよ、バカ」
呻いて、シュラは自由になる左腕を――その手に握っていた糸を、力の限り引き絞った。
「くらえ……天壌、無窮」
刹那――シュラの背に足を置いた姿勢のまま、伯爵の身体に銀の糸が絡みついた。
―――――――― * * * ――――――――
ゴンを背負ったまま、ストラウスは手に持っていた一振りの剣を投げつけた。
「ぬうっ、なんだっ!?」
その剣が撒き散らす眩い輝きに、伯爵は怯んだ。
その輝きは、太陽と同じ種類の――というより太陽の光そのものだった。陰に潜んでいるのに、闇の魔力が抜けてゆくことを示す白煙が全身から立ち昇る。
「ええい、小癪なっ!!」
身体を縛る銀の糸を黒の爪で引き裂いた瞬間、その爪は変化を解かれ、元の爪へと戻った。
「く、おのれっ!!」
手の甲で弾き飛ばした剣は、飛んできた時以上の速度で玉座に突き刺さった。
その輝きに照らされ、傍に立つクリスがわずかに顔をしかめた。
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「ゴン! 今だ、やれっ!!」
「うん! マイドーマイドーモーカリマッカー!! オーキニオーキニボチボチデンナー!!」
ストラウスの背に跨ったゴンは朗々と叫んで、元来より柔和な顔をこれ以上ないほど厳しくしかめ、右手を顔の前で握り締めた。
「我が神モーカリマッカに申し上げるっ!! 我らが財貨の全てを賭けて、倒すべし倒すべし悪の権化、神の敵っ!!」
驚いている伯爵に右手を向ける。左手でその手首を固定するように握り締める。
「闇を払い、魔を退け、死を除けっ! 光を呼んで、聖きを導き、生命を護れっ! くぅああああああああああっっっっ、リィィィィィパルスアンデッドォォォォッッッ!!!」
掌に太陽より眩しい光球が生まれ、膨れ上がった。
次の瞬間、それは全てを消し飛ばさんばかりの勢いで噴き出した。
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白い輝きが大広間を埋め尽くし、影という影が消える。
「な……――」
襲い来る光の津波になすすべなく、伯爵は凍りついた。
(な……なんだこの光は……っっ!! ……これが……これが『リパルスアンデッド』だと――)
顔をかばった自らの手すら見えないほどの光。それはまさに光の闇。白い闇。
その白き闇の中へ、声なき悲鳴をあげながら伯爵は飲み込まれていった。
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中空で生じた閃光は、光の奔流と化して謁見の間を建物ごと吹き飛ばした。
そこで放たれた輝きは、ミアの村からも見えるほどだった。
事情を知らぬ者は『もう一つの太陽が光った』と噂し、事情を知る者もノスフェル伯爵の新たな企みかと恐れおののいた。
ただ――ごくわずかの者はその光に祈りを込めた。
モーカリマッカ神殿で、婚約者と彼を救いに行った冒険者達を案ずる娘と、その冒険者に銀の糸を作ってやった鍛冶、そして――愛しき娘に会うために、山道を必死で駆け下りる最中にふと振り返った一人の若い衛兵だけは。