愛の狂戦士部隊、見参!!

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第六章 暁光の決戦(その4・前)

 倒れ伏したグレイを見やりながら、ノスフェル伯爵は混乱の極みにあった。
 片膝をついたまま動けない。
 力が抜けてゆく。まるで目の前の戦士が握っていた剣に斬られた時のように。
(……なんだ、これは……? なぜ、わしが膝をついておるのだ? ……この脱力感……よもや、もう夜明けが!? ぬぅ、予想より早いではないか!)
 頭を巡らせ、先ほど自分が空けてしまった壁の穴を見やる。
 しかし、そこから見える稜線のシルエットの向こうに、まだ太陽自身は顔を見せていない。
(違う!? ならば……なんだ? これは? …………まるで、魔力が漏れているような……魔力だと!?)
 驚愕に見開いた伯爵の眼が、自分の足元の床に落ちる。次いで、再び壁の穴を。
 魔力で固定されているはずの暗雲が、風に吹き散らされつつあった。日の光を閉ざし、おのが恐怖を誇示するための天の蓋が、開いてゆく。
(まさか……まさか……!!)
 倒れたままの戦士を見やる。指一本動いていない。
 視線で射殺さんばかりに見つめながら、伯爵の唇がわなわなと震える。
「――う、うぬ……うぬら……わしの、わしの棺を浄めおったのかあああああああああっっっっ!!!
『勝負あったな』
 どこからともなく響く、含み笑い。
 伯爵はその声の主がいるはずの壁際に視線を飛ばした。
 いない。黒装束の暗殺者――否、曲芸師の姿は消えていた。
 たちまち、ノスフェル伯爵は頬を引き攣らせた。屈辱と怒りに。
「性懲りもなく……うぬの技は、効かぬといっておろうっっ!!」
 一振りした右腕の軌跡に沿って放出された魔力が、障害物を手当たり次第に打ち砕く。
 石柱が三本抉れ、粉塵が舞い散る。
『うおっ!! ――くそ、まだそんな力が』
 焦りを含んだ声に、伯爵の頬に優越の笑みが戻る。
「舐めるな、若造が。わしを誰と思うておる。おのが魔力と魔術により転生し、夜の覇王となりし者――カイゼル=フォン=ノスフェル伯爵ぞ!! 棺に蓄えし魔力を失おうとも、うぬらごとき我が身の魔力だけでも充分よっ!!」
 ここぞ、というところに魔力塊をを放出――しようとした途端、再び腕が壁の孔を向き、孔の直径が広がった。
「ぬぅっ!? なんだ、先ほどから。わしの身体になにが――」
 伯爵は眼をすがめた。腕に何かが引っかかっている。射し込む曙光の前触れに鋭い銀の光を弾く、細い糸。一筋白い煙が揺れ立ち昇る。
「……なるほど、そういうことか。くく、小賢しい手を」
 牙を剥いて笑った伯爵の体が、ぶるぶるっと震えた。体中から獣毛が生え出し、四つ這いになる。
 伯爵は大狼へと変化した。
 牛ほどの大きさの狼は、身体を一振りすると態勢を低くして牙を剥いて唸る。
『……うぬらごときに、この姿を曝すことになろうとは思わなんだが……。時間がない。どこに潜もうともこの鼻で探し出し、この牙でその喉笛、食い千切ってくれるわっ!!』
 一声、石造りの部屋全体が震えるような方向をあげ、弾かれたように走り出す狼。
『そこだっ!!』
 石柱と石柱の間を華麗に蹴って駆け上がり、天井近くに潜んでいたシュラに襲い掛かる。
「――ちっ!」
 牙を躱し、爪を躱し、隣の柱に飛び移るシュラ。
 狼はすぐに追ってきた。
「旋嵐っ!」
 再び空中へ飛び出しながら、銀の糸による旋回防御陣を敷く。
 狼の牙は銀糸の陣など簡単に押し破った。
『効かぬわぁっ!』
「るせーっ、なめんなっ!!」
 力を込めて旋回速度を上げる。
 牙で左肩を削られるのと引き換えに、一度たわんだ銀の糸が大狼の右眼を打った。
『ぬぐっ!!』
 呻きを残して、床に着地する大狼。
 その正面に、シュラも降り立つ。
『……ほほう。少しはやるな。くく、意地か?』
 まだまだ余裕の態で低く笑いながら、大狼は顔を振った。塞がっていた右目蓋がたちまち復元する。
『だが、銀の糸程度ではこの程度よ。いくらわしを切り刻もうとも、しょせんは皮一枚。止めを刺すなど不可能――なんだ?』
 小馬鹿にするように口の周りを長い舌で嘗め回して勝ち誇っていた伯爵は、狼の姿で不審げに眉間を寄せた。
 シュラが、眼を細めていた――その唇に見る見る笑みが広がってゆく。
『なにを笑ろうておる? なにがおかしい?』
「わからんのか、伯爵。俺の技が……お前を切り裂いたんだぞ」
『!!』
 シュラの言葉の意味を瞬時に理解した伯爵の表情が凍りついた。
 魔力の漏出を避けるため、大量の魔力を消費する防御魔法を無意識のうちに解除していた。
 確かに、そうしなければものの一時で魔力は枯渇していただろう。
「棺の浄化か、夜明けが近いからか、それともその格好に変身したからか、俺にはわからねえが……」
 シュラが銀の糸を両手の間に張って、これ見よがしに見せつける。
「まぁ、どうでもいいこった。大事なのは、俺の技が効くってところだからな」
 くく、と優越の笑みを漏らすシュラ。
 狼は目元をぴくぴくと引き攣らせた。
『舐められたもの、と怒るべきか……傷がつけられた程度で喜ぶ志の低さを滑稽と嗤うべきか……。つくづく度し難き愚か者よな、うぬは』
「……否定はしねえさ。だがな――そうだな。じゃあ一つ、教えといてやろうか」
 ふといたずらを思いついたように、覆面から覗く目元をにんまり緩ませるシュラ。
「愚か者は一匹じゃあたいしたこたあねえが、群れると凄いんだぜ? 責任の押し付けと、義務感と、友情と、上下関係と、義理と、信頼と、ジンクスと……おエライ人にはわからん作用がいーろいろ働いて、エライことになるんだぜ?」
『……うぬはまず、ものの話し方から学び直した方がよいな。何も――伝わらぬわっ!!』
 苛立ちを隠さぬ声で吼えた大狼が床を蹴り、シュラも立ち向かうように真正面へ跳んだ。

 ―――――――― * * * ――――――――

 地下から駆け上がってきたストラウスとゴン、ジョセフはそのままエントランスホールを抜け、穴だらけの前庭に出た。
 緩めているとはいえ、ストラウスの猛スピードについて来させられた二人は汗だくで突っ伏し、声を出す余裕もなくただ息を荒げている。
 ストラウスは空を見上げていた。その頬に、勝利を確信した笑みが浮かぶ。
「――魔力供給の元を断った成果だな。見ろ、ゴン」
 乱れた息を整えられないまま、視線だけを上げるゴンとジョセフ。
 尖塔の立ち並ぶ城の上空――暗黒の雷雲が風に吹き散らされ、合間から群青色の明けゆく空に瞬く星々が覗いていた。
 ストラウスはそのまま東の空を見やり、頷いた。
「……夜明けまで、あと数分てとこか。おいゴン、伯爵のいる場所を探せ!」
 顔を上げたものの、まだ息の乱れているゴンはただ首を横に振った。
「なんだ、いやだってのか。馬鹿、そんなこと言ってる場合か。違う? じゃあなんだ? ああ、わからんという意味か? なんかこう神様のお告げとか、邪悪な存在を感じるとかないのか? ない? 使えねーな」
 辛辣な言葉にも言い返せず、顔を歪めるゴン。
「しょうがない。……まだ使えるかな?」
 ストラウスは右のこめかみに指を当てた。
「パワー・デテクション」
 魔法をかけた眼で周囲――見える限りのノスフェル城を見回す。
「おし。ええと――ああ、あそこか」
 ストラウスの目には、奥の方の建物の一箇所からあふれるように放たれている緑色の輝きが見えていた。
「ゴン、見つけた。行くぞ!」
「行くったって……こ、この、状態で……まだ、走るの?」
 ようやく声が出せる程度に落ち着いてきたゴンが、ぜいぜい喉を鳴らしながら漏らす。
 しかし、ストラウスはにんまり笑って首を振った。
「いーや。走るまでもないさ」
「は?」
 不思議そうに小首を傾げるゴンの前で、ストラウスは呪文を唱え始めた。
「……そは見えざる翼にあらず、我を包む繭。大地の理から我を解き、我が占めるべき場を我が意志に委ねん」

 ―――――――― * * * ――――――――

「斬の奥義その――」
『遅いわっ!!』
 糸を振りかぶるその隙に、大狼の体当たりがシュラを吹っ飛ばした。
 直前に自ら後方へ跳んだとはいえ、牛並みの巨体に当たられてはいかにシュラでも無傷ではすまない。全身の骨が軋み、覆面から唯一覗く目元が歪む。
「ぐぅぅっ――速いっ!!」
『当然だ』
 気づいたとき、すぐ脇で大狼が嗤っていた。まだシュラの身体は宙を舞っている。
『四脚全てを移動に使えるこの体型は――』
 すくい上げるような一撃。
 寸前で身体を捻って両腕でガードしたものの、なすすべなくさらに高く放り上げられる。
『うぬごときが捉えられるものではない』
 石柱の間を蹴って跳ね上がってきた大狼の、本格的な狩りが始まった。
『覚悟せよ――』
 上空から叩きつける一撃。
『我が棺を汚したうぬらは――』
 床に落ちる前に、再び跳ね上げる一撃。
『楽には殺さぬ――』
 今度は右から。
『全身の骨という骨を砕き――』
 左から、捻りを加えて。
『苦しみの中で――』
 肩を。
『あがきもがいて――』
 足を。
『死なせてくれる――』
 腰を。
『そしてうぬらの素っ首――』
 背中を。
『師匠どもに送りつけてくれるわっ!!』
 上下前後左右、あらゆる方向から襲い来る狼の瞬撃を躱すことも出来ず、さりとて速過ぎる動きに防御することもままならず、シュラは跳ね踊る鞠のように空中で弄ばれ続けた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 静まり返った城内を、男はびくびくしながら歩いていた。
 自分が何のためにそこを目指しているのか、わからぬままに。
 果たしてそこに、どんな光景が待っているのか、わからぬままに。
 自分が何をなすべきなのか、わからぬままに。
 動くものの姿一つない城の中、生まれ出る朝日の先触れに明るくなってゆく階段を、男はふらつきながらただ黙々と上がり続けていた。



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