愛の狂戦士部隊、見参!!

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第六章 暁光の決戦(その2)

 ストラウス、ゴンと別れた一行はシュラがデュランと戦った小部屋を抜けて、さらに奥へと進んだ。
「さっき、お前らのところへ戻る前に、この辺りは一通り探っておいた。こっちだ」
 案内役のシュラの後ろから、鎧をガチャつかせながらグレイとキーモが走ってついてゆく。
 顔の部分が引き破られた人物画を横目に階段を駆け上り、細い廊下を駆け抜ける。
 シュラは二人に先んじて、直接階上へと跳び上がったり、螺旋階段の中心の隙間をするするっとすり抜けてゆく。
「はぁ、はぁ。……ええなぁ。俺もアレくらい身軽やったらなぁ。はぁ、はぁ……」
 ほうほうの態でついてゆくキーモが息を乱しながら呟く。
 その後ろからついてくるグレイは、キーモより激しく息を乱し、呟きを漏らす余裕さえない。
 キーモは階段の踊り場で足を止めて、一休みがてらにグレイを振り返った。
「ふぅ……。大丈夫かいや、グレイ」
 キーモに続いて足を止めたグレイは、膝をついてライフサッカーを杖代わりに身体を支える。乱れに乱れた息を整えるのに必死で、手の平を見せて応えるのがやっとだった。
 キーモは渋い表情で腕組みをした。
「ほんまに、そんなざまでクリス取り返せるんかぁ? そんなん、剣を振り回すのも無理ちゃうかぁ?」
「……うるさい。はぁ……ふぅ、はぁ……」
「なあ、ええ加減その魔法の剣、俺に任せんか?」
 たちまち、俯いていた顔が起き上がった。
「ダメだ」
「何でそん時だけ元気になんねんな」
「……お前の、ために、言っているんだ。はぁ……はぁ……はぁ……。これは前にも言ったが、はぁ……呪われし剣だ。はぁ、ふぅ……他人に、使わせるつもりはない」
「どんな呪いがかかってるんや?」
「……確実に、寿命を縮める」
「ああ。ほな、大丈夫や。わしはエルフやさかいな。寿命は人の十倍ほどある」
 脳天気にかっかっか、と笑うキーモに、虚ろな眼差しだったグレイはやるせなさげに首を振った。その口元が緩んでいる。
「つくづく、前向きというかなんというか……元気だな。その底抜けの陽気さがうらやましい」
「なーに言うてんねん。悪い方へ考えるさかい、身体もついてこーへんようになるんや。気持ちで身体をついてこさせるんや。呪い呪い言うとらんで、ええように考えてやな――」
「――おい、何してんだ!?」
 階上から、逆様になったシュラが顔を覗かせた。
「あ、いや。グレイがな」
「俺なら大丈夫だ」
 ついさっきまでの苦悶が嘘のように落ち着いた呼吸で、すっくと立ち上がる。
「――すまん、行こうか」
 頷いて、シュラは告げた。
「こっから先はいよいよ城の中枢――謁見の間やら城主の部屋やらのある区域に入るぜ。この先は俺にもわからん。勘で進むからな。変なものが出るかもしれん。気をつけろよ」
 言うが早いか、階上へ姿を消す。
 キーモとグレイもすぐさま残る階段を駆け上った。
 昇り切ると、広い廊下が走っていた。
 灯りはなかったが、窓から差し込む曙光が大分明るくなってきており、周辺のだいたいの状態は見て取れた。
 ふかふかの絨毯が敷かれ、高い天井といい、白く塗り染められた壁といい、半分壁に埋もれた柱といい、豪勢な装飾が施された実に立派な廊下だ。あちこちには巨大な額が掛けられている。
 しかし、造りは立派でも、よく見ると状態は決して芳しくはなかった。
 絨毯そのものはやたら埃っぽいし、天井は蜘蛛の巣だらけになっているし、壁といい柱といい塗装は剥げ落ち、装飾も壊れている。額も中身がすっかり薄汚れて、風景画なのか人物画なのか判別するのは難しい。
 二人は左右を見回した。
「えぇと、シュラはどっちへ行ったんやいな……」
「来たぞ」
 キーモの反対側を見ていたグレイが告げて、バスタードソードを引き抜いた。
 そのずしりと来る重さに顔をしかめ、迷わず両手で柄を握る。
 廊下を包む闇の向こうから、シュラが真剣な面持ちで走って来た。そのまま二人の前を素通りして、急停止する。
 二人が何事かと問い質す前に、状況は明らかになった。
 シュラが来た方向から響く、妙な音。軽石同士をぶつける音と、武器や鎧がガチャつく音が交じり合って、押し寄せてくる。
「――なんや?」
 顔をしかめながら槍を構えるキーモ。剣を正面に構えるグレイ。
 その背後に立ったシュラが告げた。
「え〜と。スケルトンの団体様がお着きだ。悪いが、逃げ道回り道はないんで、丁重にお出迎えを頼む」
「丁重にて」
 言葉通り、動く骨格標本の大行進が三人の前に迫って来ていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 じめつき、冷えた空気を掻き分け、黒い弾丸が走る。
 その肩に担いだ鍬の先に灯る青白い光が流星のように尾を引いて闇を裂く。
「とっと――」
 黒い弾丸――ストラウスはある辻で急停止し、懐から地図を取り出した。鍬の先の光にかざす。
「え〜と……三つ目の角を左だから……あれ? ここが三つ目だっけか? それとももう一つ先だっけ?」
 前後左右を見てみても、無論、道標はない。
「……迷ったかな?」
 地図を見ながら記憶を辿り、行く先来し方をきょろきょろと見回す。
 そこへ、いささか騒々しく鎧をガチャつかせてゴンが追いついて来た。
「は、早過ぎ……ひぃ、はひぃ、置いてかないでよ。ふぅ、ひぃ」
「時間がおしてるんだ、しょうがないだろう。それより、ここ、どの角かわかるか?」
 ストラウスの突き出した地図を、ゴンはげんなりした顔で押し返した。
「わかるわけ、ないでしょ。ひぃ、ふひー。こっちは、回り、見てる、暇もなしに、走ってきたんだ、から」
「使えねーな」
「先走り、すぎなんだよ、慌てん坊」
 両手を膝にかけて、前屈みで呼吸を整えるゴンを横目で見やりつつ、地図を見直す。
「しょうがないな……ちょっと戻るか――待て」
 溜め息をつきつつ来た道を振り返ったストラウスの表情が、急に険しくなった。
「はぁ、はぁ……なにさ?」
「足音が聞こえる……小走りの。金属製の鎧の音はしない」
 その指摘に、ゴンも耳を澄ませば、確かにブーツが床を叩く音がかすかに響いてきていた。
 それは徐々に近づきつつあった。
「……シュ、シュラかな?」
 頬を引き攣らせながら、ゴンが希望的観測を述べる。
 しかし、ストラウスはにべもなかった。
「そんなわけあるか。……足音からして、一人っぽいな」
「じゃあ、ネスティス?」
「なんで実体のないあいつが、わざわざ靴音鳴らすんだ」
「ええと……まさか、伯爵……」
 さっと蒼ざめるゴン。
「バカ言え。伯爵でも靴音鳴らして来る意味がないっつーの。だいたい、これはそれほど余裕ぶっこいた足音じゃないぞ。いいとこ、村の衛兵――」
 闇の彼方で光の玉がゆらりと揺れた。
 ストラウスの鍬の先に灯された青い光とは違う、儚げな炎の色。
「ひぃぃぃ、ひ、ひ、人魂……っ!」
 ストラウスの背後に回りこみ、肩をつかんで震え上がるゴン。
 たちまち、それまですかした表情だったストラウスの顔が歪んだ。
「い……い、いた、いたたたたっっ!! こ、こらっ、バカ力でつかむなっ!!」
「だだだだだってぇぇ……」
 ゴンのつかみ方の加減か、ストラウスの意思を無視して左腕が持ち上がってゆく。
「おぉあ、あだ、あだだだあ!! 痛いっ、いーたーいっっつーのにっ!! 放せーっ!」
「やだ」
 離れたくない、といわんばかりに今度は右腕をストラウスの胴に回す。
「やだじゃねーバカ! あだだっ、折れるっ! だ、だいたい、人魂だったらお前の守備範囲だろうがっ!! 『リパルス・アンデッド』で消し飛ばせっ!!」
「……効かなくっても、置いて逃げないでよ?」
 ぴたりとストラウスの動きが止まった。
「?」
「……保証はできんなぁ」
 にへら、と信憑性の欠片もない薄笑いを浮かべたのが、背後からでもわかる。
 ゴンの握力が強まった。軽く、こき、と音が鳴る。 
「ごあぁっっ!! あーーーーーーだだだだだっっっっ!!!! 嘘、嘘だっつーの! ちょっとした冗談だって!! 逃げねーからっ!! 絶対効くからっ!」
「……効くって何が?」
 いつの間にか目の前にきた炎の向こうから、男の声が聞こえた。
 ストラウスとゴンはぎょっとした。
「あれ、その声……?」
 ストラウスには、その声に思い当たる節があった。
 ぱちぱち爆ぜる松明の向こうを覗き込むようにして、訝しげに男の顔を見る。
「――ジョセフ? さん?」
 ストラウスは作戦会議の前後もすっかり忘れていたことを、その時になってようやく思い出した。
 ノルスの呪縛が解け、意識を失ったままの彼をダンスホールの入り口辺りに放置したままだったということを。

 ―――――――― * * * ――――――――

「うりゃああああああああああああああああああああっっっ!!! ――あれ?」
 キーモが突いた槍の穂先が肋骨の隙間をすり抜けた。
「とととっ、あぶなっ」
 つんのめって骸骨に抱きつきそうになり、慌てて槍を横に払う。
 軽々と吹っ飛んだスケルトンは無様に倒れたものの、すぐに起き上がった。曲がった首を軽くコッキン、と直して。
「ぬぬぬ、小癪な。骨だけのくせに」
「こいつらに突き、斬りは効果が低い! 叩け! 叩き潰せっ!! 力に多少なりとも自信があるなら――」
 砂岩を砕くかのような、豪快な音を立ててグレイの剣がスケルトンを叩き潰す。
「――とにかく剣を振り回せっ!!」
 ごう、と空気を押し退けるかのようなスイングに巻き込まれ、二、三体の骸骨が全身骨折で再起不能と化す。
 グレイは剣の刃ではなく、腹で叩き潰していた。
 キーモも慌てて槍を捨て、長剣を抜き放つ。
「ぬありゃっ!」
 よたよたと近寄ってきた一体を剣術ではないやり方で、薙ぎ払う。やたら軽い音を立てて吹っ飛んだ――肋骨粉砕骨折、頸部破断骨折、左上腕部亀裂骨折。
「……ぬははははは、ほーれ、今度は廊下の端まで飛んで行けぃっ!!」
 両手で長剣の柄を握り、片足をひょいっと上げて――下ろすと同時に振る。
 剣を叩きつけられたスケルトンは吹っ飛んで仲間を巻き込み、こんがらがったまま手すりを飛び越えて階段の下へと落ちていった。
 その時、キーモの耳がピンと立った。
「む!? これや、この振りやっ! ふっふっふ、開眼したど……。これぞ、名づけて『フラミンゴ打……』――もとい、『一本足剣法』!! よーし、目指せ868体!! こんかいっ、骸骨どもっ!! 全員城外に飛ばしたる!!」
 何かを勘違いしたエルフの猛撃が始まった。

 その頃、シュラは二人の背後で、回りこんでくるスケルトンを相手に素手で戦っていた。
「鷹羽落としっ!」
 背後へ回り込んで両腕をねじり上げ、そのまま相手を前のめりに床へ叩きつける。
 絨毯のせいで壊れはしなかったが、呆気なくぽっきり両肩が抜けた。
「ぐ、ぬ……ええい、技の掛け甲斐のないっ!!」
 両手に握った両腕の骨を振り回して、足元のスケルトンに叩きつけて本体もろとも砕き、次の標的へと跳ぶ。
「裏肩車・鶏頭ひね――」
 背後から相手の肩に飛び乗って足で脇から腕を極め、両手で首をこっきり捻って相手を殺す技――のはずが、乗っかった時点でシュラの体重と落下速度に耐え切れず、スケルトンはバラバラになった。
「――ぬぐわーっ!!」
 シュラは両手を突き上げて苛立たしげに喚いた。
「生きた骨格標本がいるから関節技極め放題だと思ったのにーっっ!!!! 掛ける以前の問題じゃねえかっっ!! 弱いっ、弱すぎるぞ、骸骨っ!! 鍛え方が足らんわっ!! こぉの、バカ弟子がーっ!!」
 意味不明の叫びとともに手近にいたスケルトンが数体、次々と手加減無しの関節技を喰らい、あっという間に分解粉砕された。
 その八つ当たりとしか思えないやり口を肩越しに聞きながら、グレイは疲れた溜め息を漏らした。
「わからん……最弱のアンデッドに何を求めてるんだ、あいつは」

 ―――――――― * * * ――――――――

「僕が案内しよう――いや、させてくれ。マーリン君」
 ジョセフの言葉に、ストラウスとゴンは顔を見合わせた。
「ええと……判るんですか?」
 不審げなストラウスに、ジョセフは頷いた。
「君たちの話は聞いていた。……まさか、話しかけられもせずに放っていかれるとは思ってなかったけど」
「あ、いや、それは……その」
 救いを求めてゴンを見る。しかし、ゴンもそっぽを向いていた。
 ジョセフは許す笑みを浮かべ、話を進めた。
「とにかく、僕には納骨堂がどこにあるかは判らないが、闘技場らしき場所と牢屋の位置はわかる。二、三度行き来したからね。そこまでなら案内できるよ」
「二、三度行き来したって……何で捕まってたのにそんな自由が」
「ストラウス。ほら。例の"人間狩り"」
 ゴンに肘で突付かれ、ストラウスはああ、と頷いてジョセフに顔を戻した。
「なるほど。でも、あいつらに追い回されてたろうに、よくそんな冷静に」
 ジョセフは照れ臭そうに頬を染め、頭を掻いた。
「いや、僕は臆病者だし……牢屋の周辺をうろついて、そこに隠れていたんだ。まさか自分から牢屋にいるとは思わないだろうし、と思ってたんだけど、ネスティスに見つかって……」
「へぇぇ……あ、と。その辺の話は後でゆっくり」
「そうだね。今は急がないと――でしょ?」
「ええ。じゃあ、その牢屋と闘技場、どっちかから近い場所なら道案内を頼みます。ええと――ゴン、ちょっとこれ持ってて」
「ほい」
 鍬をゴンに預けて地図を広げ、図面上を指で辿る。
「――んーと。広い空間はいくつかありますね。どれだろう」
「ここが僕らが入った入り口だから――」
 ストラウスの横に並んだジョセフが指を差す。その指先が地図の上を走った。
「こっちの方向で、こうだから……この辺かな。牢屋は。で、その先の――ここだ。ええと、ちょっと待って……うん、この近辺の他の広い部屋と違って、この部屋だけ通路が四方に出てる。ここだよ、僕らが集められたのは」
「ストラウス?」
「なるほど?」
 ゴンとともに、ストラウスの頬に笑みが広がる。
 シュラの指定した部屋は、その部屋からさらに奥へ入ったところにあった。いくつかの辻は越えなければならないが、現在地から闘技場へ向かう道のりの複雑さに比べれば容易い。
「了解です。じゃあ、お願いしますジョセフさん」
 地図を閉じて、ジョセフに差し出す。しかし、ジョセフはそれを押し返した。
「いらない。それがあると帰って迷うから。とにかく、僕に任せてついて来て」
「うぃっす」
「お願いします」
 頷いて歩き出したジョセフ。ストラウスとゴンもすぐに続いて歩き出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 東の空の朝ぼらけの光が、ステンドグラスを通して大広間を仄かに照らし上げていた。
 玉座に座るいかつい体躯の男の姿が浮かび上がっている。目を開けたままの死体を思わせる無表情な男だった。笑みの刻まれた唇の端から、鋭い犬歯の先が覗いていた。
 男の身体から染み出した闇が光を飲み込み――男の姿ごと大広間を闇の中に沈めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 突然、女の悲鳴じみた音が城の闇に響き渡り、大広間の扉が開け放たれた。
 同時に骸骨が文字通り飛び込んできて、床に叩きつけられてバラバラになった。
 続いて三つの影が進入して来た。
 そのまま魔界へと続くかのような闇の奥――正面の玉座に闇より黒い何かがうずくまっていた。
 もそり、と動いたそれは、ぼそりと低く重い声を漏らした。
「来たか、弟子ども」
 呟きでしかないはずのその声は、距離にして約二十mは離れている侵入者達に届いた。びりびりと肌が震動を感じる。
「はっ、おエライ伯爵様にご足労してもらうのも悪いんでな、こっちから来てやったぜ」
 覆面を引き上げたシュラが吐き捨て、拳をボキボキ鳴らす。
「おんどれの部下どもは全滅や! 次はおんどれの番や! 覚悟せえや、くらぁっ!!」
 槍を構えたキーモ。しかし、その威勢のいい啖呵とは裏腹に、足は震えている。
 そして、のっそり歩き入って来たグレイが伯爵に負けず劣らずの低い声で呻くように言った。
「――クリスを返せ、化け物」
 伯爵は腰を上げぬまま、ふんと鼻を鳴らした。
「品のない啖呵よな。あの師匠どもにしてこの弟子あり、か。やれやれ……」 
 ゆらり、と伯爵が立ち上がった。
 漆黒のマントを翻すと、触れてもいないのに室内に備わった燭台に次々と灯が点る。
 たちまち闇は退き、大広間が露わになった。
 三人の足元から、伯爵の足元まで続く幅の広い紅い絨毯。その両側に並ぶ二抱えもある石柱、片側四本計八本。燭台の多くはその石柱に掛けられていた。
「師匠共を呼べばまだ良き勝負になるやも知れぬものを……よくよく人間とは度し難く愚かなものよな」
「わしはエルフや。それに、師匠もおらんわい」
 赤い眼にじろりと睨まれ、キーモは思わず半歩後退さった。
「うぬらにチャンスをやろう」
 伯爵は壇を下りつつ言った。
「我が部下を殲滅したその実力、我が覇道の一助になろう。我が部下となれば――」
「お断りだ、バカ」
 終わりを待たず、シュラが吐き捨てた。
「俺達より弱い奴の部下になって、どうすんだよ。第一、うちの師匠舐めんじゃねーぞ。あれは……」
 ふいっと目を逸らす。そこにいる師匠を直視できないかのように。
「お前……あれは、そのぉ……あれだよ。ほら――なんちゅーか、ちょっと違うんだよ」
「えーと、わしはその話、正直魅力的なんやけどぉ――」
 たちまち、背後から蒼い炎を揺らめかす刃が肩越しに置かれ、シュラの鋼線が音もなく首に回る。
 耳を垂らしたキーモが、両手を挙げ、へつらうような薄ら笑いを浮かべる。
「えー、こういうわけでやねぇ」
「エルフは好かぬ。うぬはいらん」
「おいおい、なんやそれー! 人種差別かいや!!」
 叫んだキーモに、糸を納めたシュラが軽くぽんぽんと肩を叩く。同情を込めて。
 グレイもさっとライフサッカーを納めた。殺気立つ眼差しを、伯爵に戻す。
「俺の愛する女を、何度もその汚らわしい牙で犯しやがった化け物が。貴様だけは、俺の命に換えても完全に葬る」
「あの娘か」
 にぃ、と優越の笑みを浮かべたノスフェル伯爵が親指で玉座の背後を指し示す。
 虚ろな目をしたクリスがのっそり姿を現わした。
 たちまちグレイの顔色が変わった。
「クリスッ!! 来たぞっ!! 今、助ける!」
 しかし、クリスは虚ろな目をグレイに向けただけで何も答えなかった。表情すら変わらなかった。
「クリス?」
「くっくっく。無駄だ。もう、あの娘にうぬの声は届かぬわ」
 愉快げにノスフェル伯爵は、肩を揺らしていた。
「絶望に落ちた魂に我が魔力が染み込み、その心を闇に閉ざした。もはや、あの娘は我が物よ。うぬの前で辱めてやろうとも、泣き声一つあげぬであろうよ」
「きぃさぁまあああぁぁぁぁぁっっ!!!!!」
 吠えて、一旦は納めたライフサッカーを引き抜く。
 燃え上がる蒼い炎に空気の灼き裂かれる音が、戦闘開始の合図となった。

 ―――――――― * * * ――――――――

「ここが、そうだよ」
 長い通路の果てに開いた鉄の扉の先は、確かに地下闘技場だった。
 全体の直径は5、60mほど。四方に重々しい金属製の扉、中央に直径2、30mほどの石の舞台、周囲は観客席を兼ねた石段。
「すごいな」
 ストラウスが感嘆の声をあげて、中へと入った。
 辺りを見回しながら、舞台を避けて反対側へと回ってゆく。
「ここ、ドワーフが造ったって話だったけど……何をするところだったんだろうな?」
「演劇場か闘技場じゃない?」
 後からついてくるゴンも見回しつつ当り障りのないことを答える。
「でも、ドワーフって闘技場を作ってどうこうより、その場でケンカして終わりってイメージが強いけどな」
「じゃあ、みんなで酒を飲む宴会場とか……あるいは議会とか」
「ああ、確かに。グラドスの貴族院の議場の雰囲気にも似てるな」
 話をしながら反対側の鉄の扉を開いた。
 ストラウスは地図を懐から取り出した。
「さて、ここからは案内無しだが――」
「この距離なら、大丈夫でしょ。じゃあジョセフさん、ありがとう」
 二人で振り返ると、ジョセフはなぜかきょとんとしていた。
 ストラウスは滅多に下げない頭をぺこりと下げた。
「いやぁ、ここまで時間が短縮できるとは思いませんでした。おかげで本当に助かりました」
「え、いや、ちょっと……」
 何か言おうとするジョセフに手を突き出して制する。
「いえ、もう大丈夫です。これ以上、あなたを巻き込むわけには。ジョセフさんはミリアさんのところへ戻ってあげてください」
 隣でゴンも頷く。
「彼女はお父さんお母さんと一緒に、モーカリマッカ神殿にいます。あなたが帰れば、喜びますよ」
「待って待って待って」
 ジョセフは両手を突き出して、激しく首を振った。
「何を言ってるんだよ、マーリン君。ゴン君も。僕は一応、衛兵なんだよ? それに君たち、行きはいいけど、帰りはどうするの? ここまでは戻って来れても、その先ちゃんと迷わずに外まで行ける?」
 二人は顔を見合わせた。
「大丈夫だと思うけど……なぁ」
「さっき迷いかけたストラウスが言っても説得力ないよ?」
「あう」
 ゴンの顔に似合わぬ辛辣な意見に、ストラウスはがっくり俯いた。
「……判った。じゃあ、勝手にして。でも知らないよ? ミリアさんに会えなくなっても」
 一瞬、ジョセフの表情が硬張った。しかし、すぐに引き締めて深く頷いた。
「ああ。……でも、彼女と会うなら、やっぱり全て片づけてからにしたいんだ。僕は……そうしないと償いができない」
「償い? ミリアさんに?」
 怪訝そうにストラウスは訊き返した。
 ジョセフは少し目を伏せ、小さく頷いた。
「僕は……一度、諦めたんだ。生きることを。生きて、彼女と家庭を作って、それを護ることを。諦めて、自分で命を絶とうとした。ノルスに邪魔されたけど」
「でも、それってミリアさんは知らないんじゃ?」
「彼女は知らなくても、僕はその償いをしなけりゃならない」
「償い、ねぇ……。判らないなぁ。誰も何の損害も迷惑もこうむってないのに」
 訊きながら、ストラウスは歩き始めた。ゴンも耳を傾けつつ、ストラウスと肩を並べて歩き出す。
 ジョセフは頷いて、二人の後を追って足を踏み出した。
「僕らは結婚にあたって、誓いを口にする。でも、誓いって口にした時から始まるんじゃないだろ?」
「違うんですか? じゃあ、いつから?」
 ジョセフはふっと笑った。
「"思った時"からさ。もしくは、"決めた時"から、かな。他の人はどうであれ、僕はそう思う。だから、僕は彼女をお嫁さんにもらう前に――」
「――償わなきゃならない、か」
 ジョセフの言葉を引き取ったストラウスも、黙ったままのゴンもその頬に笑みを浮かべていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「――ラリオス暗殺術、中略、『双蜘陣』!!」
 闇から舞い降りたシュラの両手から放たれし蜘蛛の巣二つ。
 しかし、それをかぶった伯爵は力任せの腕の一振りで破ってみせた。
「きぇええええいぃっっ!!!」
 斬り込んだグレイの一振りは、あっさり躱された。
「こなくそーっ!!」
 キーモの攻撃はもう躱しさえしない。肘で挟み受けると、槍の穂先を握り締めてキーモの手から奪い取った。
 得物を失ったキーモは慌てて飛び退り、残る長剣を抜き放った。
「……その程度か、弟子ども」
 あっという間に間合を詰められたキーモが吹っ飛んだ。シュラにもやっと見える速さの拳。しかも軽く撫でた程度の。牽制のジャブですらない。
 物凄い勢いで壁に叩きつけられたキーモは、二、三度痙攣してそのまま動かなくなった。
「キーモ! う――」
 叫んだ瞬間、今度はシュラが間合を詰められた。
 グレイが援護に割って入る隙など与えぬ、凄まじい速度。デュランの見せた速度など問題にならない。ひょっとしたら、師匠ラリオスより早いかもしれなかった。
 それでもシュラは、伯爵の右フックを上体を反らして辛うじて避け、続く左の手刀をそのまま蜻蛉返りを切って危うく躱した。
 しかし、体勢を立て直して顔を上げた瞬間、瞼の裏に花火が炸裂した。伯爵の蹴りを顔面にくらったのだと理解したのは、窓際の壁に叩きつけられ、その凄まじい衝撃に意識を失う直前だった。
 残るはグレイだけ。
「まったく……口ほどにもない。もう少し楽しませてくれるかと思ったが」
 埃を払うように軽く手を叩く伯爵の背後から、グレイが切り込んだ。青い光条が尾を引く。
 命と引き換えの、捨て身の突撃。しかし、伯爵はいとも簡単に躱した。
「ほほう、今のを見せられてもまだやる気があるか」
 口元を嬉しげに――しかし、完全に侮りきって――歪める。
 グレイは右脚を後ろに下げ、腰を矯めてライフサッカーを右後方へ引くように水平に構えた。左手は柄に添えてあるだけ。
 その態勢で、大きく、深く、息を吐いた。
「ぬかせ。クリスを取り戻すまでは……命尽きるとも貴様を倒す!」
「愚かな話よな。娘はうぬが死んだと勘違いして絶望し堕ちた。そしてうぬは堕ちてしまった娘を救うために無駄な戦いを挑む……。くく……いいことを教えてやろう」
 嬉しげな笑みが下卑たいやらしい笑みへと変わる。
「この城へ連れて来た直後、正気に戻してから口づけを与えてやったが……泣き叫んでおったぞ? グレイグレイとうるさいほどであったわ。……良いものよな、生娘の泣き喚くあの甲高い声は。クククク」
「ノォォォォォスフェェェェェェェルッッッッッ!!!!」
 グレイの全身から凄まじい怒気と殺気が渦巻き立ち昇った。
 ライフサッカーの青い炎が一瞬揺らめき、次の瞬間凄まじい勢いで燃え上がる。その炎は刀身の二倍以上の長さに達していた。
 髪は逆立ち、眼は殺意に燃え上がり、指はライフサッカーの柄を白くなるほど握りしめている。
 グレイの放つ凄まじい怒気と殺気の流れに、意識を失っていたシュラが眼を覚ました。
「う……、なんだあの剣は……?」
 痛む頭をさすりつつ起き上がる。
 辺りを見回すと、キーモがわずかに身じろぎしたが、起き上がる気配はない。
 伯爵はシュラに気づかず、ライフサッカーから噴き出す蒼い炎を見つめていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「うん、確かにここみたいだな」
 『リパルス・アンデッド』で墓守代わりらしきスケルトンとゾンビを殲滅しているゴンの横で、ストラウスは石扉の一つと地図を見比べていた。
 石扉に彫られた仰々しい彫刻は鷲だろうか、鷹だろうか。
 ここへ来るまでいくつもの石扉を見てきたが、こんなものが彫られた扉はなかった。扉の収まったアーチ部分にも装飾が施されている。
「……はぁ、はぁ、片付いたよ」
 ゴンとジョセフが戻って来た。
「うむ、ご苦労。それでは、この中へ入るぞ」
 懐に地図を収めたストラウスだったが、それきり何をするでもなく、ぼーっと突っ立っている。
 心配そうにジョセフが横から覗き込む。
「……ストラウス君?」
「はい?」
 ストラウスは呼びかけられて、きょとんとしていた。
「いや、入るんでしょ?」
「ええ」
 頷いたストラウスは、ゴンを振り返った。まだ肩で息をしている。
「おい、ゴン。何してるんだ」
「は?」
「力自慢のお前以外に、誰がこの石の扉を開けるんだ。俺には無理だぞ」
 ゴンは思いっきりがっくり首を折った。
「何で自慢げなのさ。……判ったよ。つくづく人使いが荒いなぁ」
 ぶつくさ漏らしながらも、袖をまくって石扉に両手を突く。
「ふンッ…………んんんんんんん〜〜〜〜っっっ、ぬぬぬぬぬぬぬぬぬうううううううううううああああ」
 ごり、と石臼を回したような音が足元から響いた。 
「んぐぐぐぐぐぐぐぐぐううううううううううっっっっ!!!」
 歯を食いしばって押し続けるゴンの腕に力こぶが盛り上がり、重々しく岩を引きずる音を立てて扉が動き始める。
 ストラウスがぼそりと呟いた。
「……うむ、引き上げ戸でなくてよかった」
「ストラウス君……」
 苦笑いを浮かべてジョセフがストラウスを見やる。
 その時、ストラウスの表情が急に引き締まった。
「――ゴン!」
 開いてゆく扉の奥、一条の光も指さぬ闇の彼方に白い影が――


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