愛の狂戦士部隊、見参!!

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第五章 血戦 (その10)

 背後から突き飛ばされたような衝撃。
 ふと自分の胸を見下ろしたノルスは、妙な物を発見した。
「あ……」
 胸の内側から生えた刃。蒼い炎が噴き出している。
 たちまち、体の奥底から力が霧散して行くのがわかった。
 喉奥から湧き上がってきた何かの塊が口を内側から割り、噴き出す――血の塊。
 膝ががくがく揺れる。
 視界が緩やかに動いている。
 赤い鎧騎士が――ネスティスが振り返ろうとしている。
(な……なにが…………)
 何が起きたのかわからない。
 そこへ、野太い男の声が脳裏に直接響いてきた。
(お前の生い立ちには同情する。だが、情けはかけん。……次は、良い所へ生れ落ちろ)
 それが自分の牙を受け、支配下に落ちたはずの戦士の思考だとわかった時、ノルスは全てを理解した。
 自分は背後から刺されたのだ。グレイに押し潰されて支配が解けたのか、ネスティスが現われたことで気が緩んだのか……いずれにせよ、致命的な一撃――心臓を貫かれていた。
「ネ……ネスティ……ス……」
 ぼやける視界で振り返る紅の騎士に手を伸ばす。騎士も手を伸ばす。
 その手が握り合えれば、この状況を抜けられるとでもいうかのように、ノルスは一心に指先を伸ばした。
 しかし、二つの指先は二度と触れ合うことなく――少女の指先は灰になって崩れ落ちた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「ノルス様っ!!」
 珍しくネスティスが見せた狼狽。
 グレイはその隙を逃さなかった。手を伸ばしたまま灰の彫像と化した少女をそのまま突き貫いて、魔刀ライフサッカーをネスティスの胸に突き立てる。
 ノルスの灰を打ち崩して突っ込んできた戦士の突きを、女騎士は避け切れなかった。
 紅の鎧を簡単に貫く切っ先。そして文字通りバターのように溶ける鎧。
「ぐうっ……な――なにっ!?」
 ノルスの最期に驚いていたネスティスを襲う、新たな驚愕。ネスティスはそのまま後方に跳ね飛んだ。
 グレイの剣の届く範囲を遥かに逃れ、血の海の只中に立つ。
 ネスティスは胸を見下ろした。魔刀の切っ先が抜けたにも関わらず、鎧の再生が行われない。
 赤いヘルムがグレイを見やった。
「……貴様、その剣……」
「ゴン、助かった」
 ネスティスを睨みつけながら、グレイは苦笑を浮かべた。
「お前の鉄拳制裁で目を覚ますのは、これで二度目か。さすが司祭。効き目はばっちりだな」
 右手で握った刀を水平に構えて刃をネスティスに向け、左手の甲で左頬を拭うように撫でる。そこには、ゴンの拳の跡が赤いアザになって浮き上がっていた。
「ゴン、こいつは俺が引き受けた。お前はストラウス達のところへ行ってやれ」
「うん。わかった」
 ゴンは大きくネスティスを避けるように迂回して玄関へと向かった。

 ―――――――― * * * ――――――――

「……ノルス様……」
 床に撒き散らされたノルスの灰を見つめ、呟くネスティス。
 その全身からにじみ出る気配は、紛れもなく怒気。
 グレイは魔刀を肩に乗せて構えた。
「仲間をやられて怒ったか。冷酷非情な女騎士かと思っていたが」
 うつむいていたヘルムが、少し持ち上がった。
「怒る? ……貴様をとやかく言うつもりはない。ノルス様を助けに来て、それが果たせなかったおのが不甲斐なさが許せぬだけだ」
「お前もすぐ後を追わせてやる――昼間の決着、ここでつける」
「ぬかせ、人間風情が」
「はあああああああああああああっっっ!!!」
 気合の声を発して、グレイが踏み込んだ。受けるネスティスも真っ直ぐ突っ込む。
 一瞬に、二・三度刃と刃が打ち合わされ、両者はお互いをすり抜けたかのように立つ位置を交換した。
 お互いに背中を向け、剣を払った姿勢のまま動かぬ二人。
「……さすが」
 にやりと頬を歪めたグレイの右肩当てが、破裂したように裂けた。がっくり片膝をつく。血がにじむ。
「抗うな、戦士。お前達の死は、すでに運命づけられている」
 剣を下ろしたネスティス――その紅のヘルムがぱっくり割れた。黒髪が揺らめく。
 ネスティスの瞳から滂沱と溢れる涙は、頬を伝い、顎先から落ちてゆく。
「私が涙を流しているということは、お前達は避けられぬ死に直面しているということ――かつて、私の涙を見て生きのびた人間はいない」
「だったら俺が――いや、俺達が最初だ。ネスティス」
 グレイは全身を伸び上がらせるようにして立ち上がった。肩の傷はさほど深くはないのか、腕を伝う血の滴りはそれほど多くはない。
 両手で柄を握り、大きく引き絞る体勢。
「愚かなり、人間。残念なことだが――」
 ネスティスもまた振り返って、剣先を上げた。
「その言葉を吐いて生きている人間もまた、いない」

 ―――――――― * * * ――――――――

「とりあえず血止めだけでいい。どうせ俺はこの先戦力にならん」
 苦しげな表情で言ったストラウスの台詞に、治癒魔法で治していたゴンは顔をしかめた。
「……ひょっとして、魔法を?」
「ああ。ほぼ使い切った。鍬で参戦しても、さすがに伯爵やあの赤い騎士には勝ち目はない」
 顎でネスティスを示すストラウスに、ゴンは振り返って見やった。
 鳴り続く派手な剣戟。
 グレイとネスティスの剣腕は互角なのか、一進一退の攻防を繰り返している。
「……確かに、あれじゃあ僕らで割り込む隙はなさそうだねぇ」
「いけるとしたら、シュラか戦士としての腕も持ってるキーモだけだな。くそ……つくづく、傭兵部隊が全滅させられたのが悔やまれる」
「じゃあどうする? ことが済むまでここで休んでる?」
「バカ言え。伯爵と女吸血鬼どものねぐらを襲って、土の浄化をしないと。ゴンが一緒なら、何とかなるだろ。グレイが奴と戦っている間に、地下への入り口を見つけて……そういえばお前、さっきの幽霊から何か聞いたんじゃないのか?」
「あ、うん。場所は大体わかってる――キーモ?」
 ゴンは珍しく静かなエルフに顔を向けた。
 輝きの消えた槍を支えに、じっとグレイとネスティスの戦いを見つめている。
 その表情は曇っていた。すねているみたいに口をとんがらせている。
「どうしたの?」
「ん〜。昼間と違うて、あの女の剣から迷いが消えとる。ちょいヤバイかな」
「ええと……何がどうヤバイなのか、僕にもわかるように言ってくれる?」
 キーモはしばらく口の中をもごもごさせたあと、首をかしげた。
「グレイは負けるかもしらん」
「あー……確かにそれはやばいね」
 ゴンの口調にかなり深刻な陰りが混じる。
「どうかしたのか、ゴン?」
 少し顔色の良くなったストラウスが立ち上がりながら聞いた。
「うん、実は……回復魔法が切れかかってる。あと一回ぐらいかな」
「なんやて!?」
 驚いたのはキーモ。ストラウスは少し眉間に皺を寄せただけだった。
「おいおい、どないすんねんな。この先回復無しでやんのかいな。そらきっつい話やで」
「それどころか、グレイが致命傷を負う事態も避けないと」
 とは言うものの、ゴンにもどうしたらいいのかわからない。
 そのとき、じっと考え込んでいたストラウスがキーモの槍をつかんだ。
「キーモ。グレイを援護してやれ」
「はぁ?」
「――エンチャント」
 ストラウスは空いている手で素早く印を切り、魔法を唱えた。通常武器に魔法的な属性を与える強化呪文。キーモの持つ槍が淡く青白い光に包まれる。
「お、まだそんなん残しとったんかい」
「これで、あいつにも効くはずだ。ゴンの『ゴッド・ブレッシング』には及ばないが、打撃を受けるというだけでも十分牽制にはなるだろ」
「ほーほー」
 嬉しげに立ち上がり、ほのかに光る槍を見上げる。
 その肩にストラウスは手を置いた。振り返るキーモを、まじまじと見つめる。
「いいかキーモ。いつもどおりだ。いつもどおりにやればいい。わかったな」
「おう、まかせんしゃーい!」
 キーモの顔に、いやらしい笑みが広がる。
「けけけ……ほな行って来るで! ひゃーはははははっ」
 喜び勇んで、戦場へと駆け込んでゆくキーモ。
 ふとストラウスが横を見ると、ゴンが目の辺りをこすっていた。
「どうした?」
「あ、いや……一瞬、悪魔の尻尾が生えてたみたいに見えたんだけど……錯覚?」
「ああ、心配しなくていい」
 ストラウスは鍬に身体を預けながら、大きく息をついた。
「前からだ」

 ―――――――― * * * ――――――――

 打ち合わされた剣と刀の刃が弾き飛ばされる。
 両者はその勢いを駆ってその場で一回転し、再び今度は左右を入れ替えて打ち合った。
 びりびりと両者の腕が震える。
「……やるな、戦士」
「やらねばならんからな!」
 涙をこぼし続ける女騎士と戦士の双眸が炎を放ち、互いの間で火花を散らす。
 凌ぎ合いの末、両者は剣を振り上げて間合いを取った。
 それは、絶妙の間合い。
 ほとんど条件反射で二人は床を蹴って突進した。
 響き渡る甲高い剣戟音。グレイの左肩当てが斬られ、ネスティスの右肩当てが割れる。
 同時に振り返った二人は、再び刃を打ち合わせた。
「むうぅっ!!」
「おおおおぉぉっ!!」
 鎬を削る鍔迫り合い。ライフサッカーの蒼い炎が二人の相貌を照らす。
「むぅ……昼間より剣の筋が走っているな」
「当然だっ! 奴らが……俺より若いストラウス達が、やってみせたのだ! 俺だけ無様な姿を曝すわけにはいかんっっ!!」
 渾身の力でせめぎ合い、ギリギリと食いしばった歯の間から声を漏らす。
 ひときわ大きな音を弾かせて、二人は距離を取った。
 その刹那。
 ネスティスは背後から貫かれた。
「…………かっ……!」
 淡く青白く光をまとった槍の穂先が、ちょっぴり胸から突き出している。
「な…………ぐぅっ……」
 身体を前へ投げ出すようにして槍の穂先から逃れ、振り向く。
「けけけけけ、隙ありや」
 エルフがいた。およそ高貴を旨とするエルフとは思えぬ、下卑た笑みを満面に浮かべて槍を構えている。
「――く、挟み討ちか」
「悪いのぉ。わしら、決闘しに来たんやない。確実に勝たせてもらうで」
 一瞬文句を言いかけたグレイも、邪悪な笑みを浮かべたキーモの口上に口をつぐんだ。
「……ああ、そうだな。キーモの言うとおりだ。手段を選ぶつもりはない」
「誰も責めはしない」
 ネスティスは、もう一本剣を持った。右手の剣と違い、手の中に直接現われた。
 二刀流で、それぞれの切っ先をそれぞれに向ける。
「それでも、お前達の死は既定事項なのだから」
 ネスティスの瞳は、いまだ枯れることなく濡れ続いていた。
 ふっと、ネスティスの瞳がグレイのいる方に流れた。
「もろたっ!!」
 その瞬間、キーモが槍を繰り出した――しかし。
「キーモっ!!」
 それは誘いだ、という一言は間に合わず、キーモはネスティスの術中に嵌った。
 突き出された槍の穂先を、旋風(つむじかぜ)のように身体を捻って躱し、そのまま回転の力を乗せて斬りつける。
 キーモは咄嗟に槍の柄で受けた――と思いきや、剣の刃は槍をすり抜けた。
「な……っ!? ――ぎゃいんっ」
 驚いている間に一撃目がキーモの腹部を切り裂き、二撃目が槍の柄を真っ二つに断ち切った。
 もんどりうってぶっ倒れるキーモ。気絶したのか、そのまま動かない。
 とどめを刺そうと剣を振り上げたところへ、グレイが踏み込んで来た。
「やらせんっ!!」
「!!」
 蒼炎の刃を受けた左手の剣は、中ほどで寸断された。
 かろうじて右手の剣で受け止める。響く戟音、震える剣身。
「くっ」
 交わる刃の両側で、偶然にも二人は同じように呻いた。
「我が剣を斬り断つとは……やはり、その剣……霊体を切れるのか。道理で私の鎧を切り裂くわけよな」
「板金鎧の上から中だけを切りやがるとは。そっちこそ、ただの剣ではないな」
 ぎりぎりとお互いの全身の力を込めた鍔迫り合いが続く。
「あれはデュランより教えられし霊体の剣……肉を裂かず、命を斬る。ただの鎧や槍など、守りにならぬ。受けられもせぬ。我が剣の前では、貴様らなど不用の重しを身につけた愚物よ」
「なるほど。つまり剣に見えても、お前の体の一部ということか。斬られれば、当然お前も傷つく」
「わかっていて、出すと思うか。貴様ごとき、伯爵様より下されたこの剣一振りで充分っ!! ――はああああああぁぁぁっっっ!!!」
 気合一喝、ネスティスの力がグレイの力を上回った。その容姿からは想像も出来ぬ力に、板金鎧装備のグレイがふわっと浮き上がり、3〜4mほども押し戻された。

 ―――――――― * * * ――――――――

「ああっ……あ〜もう、あのバカッ!! くそ、役立たずが!」
 無様にやられてしまったキーモに、ストラウスは舌打を漏らした。
 すかさずゴンがたしなめる。
「ちょっとちょっと。いくらなんでも、それは……言いすぎでしょ」
 振り返ったストラウスは、じと目でゴンを睨んでいた。
「あほう。お前、あいつと何年付き合ってんだ。わからんのか」
「……なにが」
「あいつ、死んだ真似してやがるんだぞ」
「えぇ?」
 細い目をさらに細めてよく見ると、確かにキーモの眼がぎょろりと動いた。戦う二人が視界に入ると慌てて目を閉じたが、代わりにぴくりと長い耳が震えた。
「……何してんの、キーモは」
 目を点にしているゴンから、ストラウスは再びグレイとネスティスへ目を向けた。
「とどめの一撃を自分でやるつもりなんだろ、あのバカ。死んだふりして、ネスティスが弱るのを待ってるんだ。十分弱ったら、相手が背を向けてるときにがばっと起き上がって――」
「あー…………ありうる話だね。キーモなら。よくやってるし」
「よく失敗もしてるがな。いつもどおりでいい、といったのが仇になったか。これでキーモは戦力に数えられなくなったな……一応、今は互角みたいだが……グレイ一人でいけるか?」
「やっぱり、僕も参戦した方が」
「武器もないのに、あの剣の達人相手にどう戦うつもりだよ。くそ……せめて、シュラが戻ってくればな」
 ストラウスは珍しく焦りを隠しもせず、じっと戦いの成り行きを見つめた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「はああああああっっっ!!!!」
 ネスティスの剣が踊る。
 迎え撃つ蒼炎の刃。
「おおおおおおおおおっっっ!!!」
 二人の動きは似ていた。ともに柔か剛かで言えば、剛の剣。
 優美さとはかけ離れた、鋭さと力を極限まで追求した剣だった。
 手数で勝負とばかりに幾十合をぶつけ合った後、受け流した勢いに自らの膂力に上乗せしてその場で旋回、再び刃と刃を打ち合わせる。
 その一撃は相手の武器を吹き飛ばすとか、力比べで競り勝とうなどというレベルではない。相手の得物を叩っ斬ることしか考えていない斬撃。いや、ひょっとすると得物ごと敵を寸断しようとさえしているのかもしれなかった。
 だが、そうなると不利なのはグレイだった。
 体力という面では圧倒的に人間であるグレイに分が悪い。
 今も大きく肩で息をしているグレイに対して、当たり前だがネスティスに疲れの色はない。
「なかなかの腕だな。だが、貴様では私に勝てない。理由はわかっているだろう」
 剣戟の合間。ネスティスは笑いもせず、淡々と告げた。
 グレイは答えず、息を整えることに集中していた。
「無駄な足掻きはやめて、覚悟を決めよ。これ以上は、見苦しいだけだ」
「知ったことか」
 一際大きく息を吐き、背筋を伸ばすグレイ。
「奪われたものを取り戻すために戦いに、見苦しいもクソもあるか。伊達や酔狂じゃねえんだ。てめえこそ、その無駄口とっととつぐめ。見苦しいぜ」
 ふ、とネスティスは一息ついて剣の切っ先をくるくるっと回した。
「よかろう。ならば、次で最後にするとしよう――死ね」
 振り下ろされた剣を迎え撃つ蒼炎の刃。
 耳を塞ぎたくなるような金属の擦れ合う音が響き渡る。
 再び剣戟が始まった。

 ―――――――― * * * ――――――――
 
 重い。
 グレイはネスティスの刃を捌きながら顔を歪めていた。
 傍からは憤怒に彩られているように見えたが、実はそれは苦悶の歪みだった。
 腕が、足が、身体が――芯から重い。
 グレイとて子供の頃より父とともに危険溢れるレグレッサ王国を股にかけて旅をし、長じては傭兵として戦場を渡り歩いてきた。いかに相手が強敵と言えども、疲労がこれほど早く押し寄せてきたことはない。
(く……影響がもう出てきてるのか……)
 わずかずつだが、反応が鈍っているのがわかる。このままでは捌ききれなくなる。
 だが、現状を打ち破る方策は、今のグレイの手の中にはなかった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 一際高く鳴り響く金属音。
 お互いの刃が弾かれる――グレイの戻しが遅れた。
「ちぃっ!!」
「もらった!!」
 迸る紅い風が、グレイを襲う。
 ライフサッカーで急所へのいくつかの斬撃を防いだものの、それを上回る斬撃がグレイを斬り刻む。
「……ぐおっ!!」
 全身から血霧を撒き散らし、グレイはぶっ倒れた。
「――どうやら限界か」
 傷を確認する間もなく、すぐに身を起こしたグレイに投げかけられる冷たい声。
 グレイは四つん這いのまま、声の主を睨みつけた。
 ネスティスはとどめを刺す好機にもかかわらず攻めては来ず、剣先も下ろしている。
「昼間より消耗が早いようだが?」
「てめえには……関係ない。……ぐっ!!」
 力んで身体を起こそうとした拍子に、刻まれた傷のいくつかから滴った新たな出血が床を叩いた。荒い息も収まらない。全身を使い、大きく波打たせるようにして呼吸を繰り返す。
 グレイはひとまず、冷静に自分の身体の状況を把握することに務めた。
 全身についた傷の数は十数か所。いずれも浅い傷で済んだのは不幸中の幸いか。出血は多そうに見えて、そう激しくはない。だが、長引けばまずい。
 それより問題は疲労だ。倒れて集中力が切れたせいか、先ほどよりずっと重くのしかかってきている。
(くそ……)
 ちらりと手の中の魔刀を見下ろす。刃を包む蒼い炎がゆらりと揺れた。
「――なぜ、ノルス様を刺した?」
 唐突な問いに、グレイは顔をしかめた。上体を起こし、ライフサッカーの切っ先を床について片膝立ちになる。
 だが、起こしきれず左手を床に当てて、上体を支える。荒い息も収まる気配がない。
「なぜも何も、あれは敵だ。それ以外に何をしろと」
「あのままノルス様の忠実な下僕となっていれば、クリス殿と貴様は同じ永遠の命を得、ともに生きて行くことも出来たはず。にもかかわらず、貴様もまたそうならぬことに命を懸けるのか。クリス殿や、あのジョセフとか言う男と同じく」
 思わず叫び返そうとして、グレイは口をつぐんだ。
 ネスティスの物言いに引っかかりを感じた。頭の中でセリフを反芻し、ふと笑みを浮かべた。
「……そうか。クリスも拒んだか」
 薄く笑うグレイに、ネスティスは首をひねる。
「なにがおかしい」
「おかしくない。嬉しいのさ」
「うれしい?」
「そうだ。あいつもまた戦っている。……共に同じ目的のため、姿は見えずとも戦い続けていることがわかる。これほど嬉しいことがあるか。絆ってやつだ。力が、湧いてくるね」
「……………………」
 ネスティスは黙ったまま動かない。
 グレイはそんな女騎士を凝視しながら、ひたすら息を整えることに務めていた。逆転の目を見つけ出さなければならない。今も戦っているはずのクリスのために。
「…………グレイ、と言ったか」
 ネスティスの口から出た自分の名前に、グレイは少し驚いた。
「なんだ」
「今からでも遅くはない。我らの側へ来い」
「……………………」
「ここへ来る前、私はクリス殿とともにいた」
 グレイは目を見開いた。
 彼女の無事を問い質す前に、ネスティスは続けていた。
「私はあの方と話し、いくつかのことを教えてもらった。そしてまた、あの方は敵である私のために伯爵様と言い争いさえしてみせた。彼の人は、私が知るどの人間とも違う。……今、私はクリス殿にもっと多くのことを教えてもらいたくなっている」
 戸惑いを隠せぬグレイ。
 ネスティスの語る言葉をどこまで信じていいものか。いや、それ以前にこの女騎士はなぜ今そんな話を。
「勝負はついた。その傷、その疲れでは先ほどと同じ動きはもはや出来まい。ここで貴様を殺すことは簡単だ。だが……それをクリス殿は望んではいない。クリス殿の望みは、貴様とともにあること。ならば、貴様がこちらへ来ればよい」
「……バカな。何を言い出すやら」
 一笑に付して、首を振る。
 ネスティスは少し意外そうに言い募った。
「至極妥当な提案だと思うが。他の者達は伯爵様の仇敵どもの弟子ゆえ見逃すことはかなわぬが、貴様は違う。私が取り次ごう。貴様の腕なら、充分戦力となる」
「本気か」
「あいにく、私は冗談を言えぬ」
 やはり、無表情――とめどなく頬を濡らしている涙の意味はよくわからないが。
 グレイも認めざるをえなかった。このしつこさは本気だ。本気で自陣営にグレイを誘っている。
 だが、それに乗るわけにはいかなかった。
「答えは――否(いな)、だ」
「なぜだ。意地か? それとも、ジョセフと同じく、愛とやらのせいか?」
「愛? 愛か……そうかも知れんな」
 グレイはぐいっと上体を起こし、左手を魔刀の柄頭に載せた。魔刀を杖代わりに両手で支えにして、いまだ火の消えぬ瞳をネスティスに向ける。
「あいつはな、いつでも明るくて、元気で、真っ直ぐで、優しくて、宿屋の娘のくせに妙に正義感が強くて、思い込みが激しくて、行動的で、感情に任せて思いつきで動くくせになぜかうまくことを収めちまう、そんなやつなんだ」
 話のつながりがわからぬげに、ネスティスは小首を傾げている。
「十年前に祖父が亡くなったときも、三年前に親父とお袋がモンスターに襲われて死んだ時も、あいつは俺を元気づけようとしてくれた。7つも年下のガキのくせにな。いや、俺だけじゃない。あいつの笑顔、あいつの笑い声、あいつの叱咤、あいつの膨れっ面……そんなあいつのちょっとしたことに救われた人間は山ほどいる。あいつは――そう、みんなを照らすお日様なんだよ」
 グレイは自分の表現に満足したように、にんまり笑った。ゆっくり立ち上がり、刀を握った拳を突き出す。
「そんなあいつに、夜の世界も透き通るような白い肌も似合いはしない。だから、助ける。そう……今度は俺があいつを助ける番だ」
「……訳のわからぬ理屈だが、なるほど、要するにそれがお前の愛というわけか」
 ふ、と小馬鹿にしたようなため息をついて、肩をすくめてみせる。
「だが、その気概も愛とやらも、もう手遅れだ」
「なに……?」
 ネスティスは、ふと天井の片隅を見上げた。グレイにはわからぬ仕草だが、それは『物見の小部屋』で水晶玉が映し出す画面を通し、見ている者たちへ向けられた視線だった。
「私が最後に見たのは、貴様がノルス様に血を吸われた時だった。それを、私と伯爵様、そしてクリス殿は別室で見ていたのだ」
 グレイの表情が歪む。自分がやられる様を見ていたクリスがどう思ったか、何を叫んだか、想像に難くない。
「クリス殿はかなり動揺しておられた。そして、伯爵様はおっしゃっておられた。クリス殿の気丈な心が折れ、絶望に陥った時こそが、最も甘美なお食事の時だと。思うに、あの時こそが伯爵様の心待ちにされていた、まさにその時であっただろう」
 声もなく、唇をわななかせるグレイ。その真っ青な顔に、汗が伝い落ちる。
 ネスティスは剣の切っ先をグレイに突きつけ、容赦なく続けた。
「わかるか。クリス様はもう既に闇へと堕ちられた。これから助けに行こうとも、貴様が見るのは我らの仲間となったお姿なのだ。だから、あのお方と共にありたいのならば、貴様も――」
「……ふ」
 首を俯け、全身をぶるぶると震わせているグレイが何か呟いた。
「"ふ"?」
 ネスティスが顔をしかめる。現状で、『ふ』から続く言葉を連想できなかった。
「ふざけんなああああああっ!!」
 魔刀ライフサッカーが火を噴いた。
 それまでの蝋燭を思わせる揺らめく炎ではない。火口から噴き出すマグマのような勢いで青白い炎が伸びる。それは炎ではなく、炎で形作られた刃だった。
「な、に!?」
「づああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!!!」
 柄を両手で握ると同時に、地面から天へと立ち昇るような炎刀一閃。
 躱す間もなく、斬断されるネスティス――否、動きを読んでネスティスは飛び退っていた。
「な――」
 ライフサッカー本体が届く間合いの、さらに倍は飛び退っていた。にもかかわらず、股間から頭頂へ斬り抜ける青白き炎の刃。炎が届かぬはずの距離を越えていた。
 まさに斬断。股間から脳天まで、真っ二つ。
「うあああああああっっっっ!?」
 ネスティスの鎧が――正確には、胴部を構成する部分の全てが真っ二つに割れた。割れて、ネスティスの身体から剥がれ落ち、そのまま落下するより早く、塵芥のように消えた。
 ネスティス自身も勢い良く吹っ飛ばされ、透過することも忘れたようにマルムークが切り崩した柱の瓦礫に叩き付けられた。

 ―――――――― * * * ――――――――

(ぐうぅっ……く、何だ! あの剣はっ!?)
 凄まじい威力――いや、ネスティスには何が起きたのかわからなかった。
 斬られた自覚はある。だが、斬られた感覚ではなかった。
 霊体であるとはいえ、人体を模した姿をしているため、その感覚は人間に近い。霊体を斬れる剣で斬られれば、人で言う痛覚に近い衝撃を受ける。
 だが、ネスティスが実際に感じたのは斬られた衝撃ではなかった。
 それはありえない感覚。自らの身体の奥に隠した核から、大量の力が強制的に吸い出される感覚。
 しっかり根を張った樹を一息に引き抜かれる大地の気分、とでもいうべきか。もしくは、胴部の骨を無理やり引き抜かれる感覚というべきか。
 なぜそんな感覚を味合わされたのか、ネスティスにはわからなかったし、それを理解する暇も与えられなかった。
 瓦礫の中から身を起こした刹那、眼前に迫る戦士。襲い来る横薙ぎの一閃。
「とっとと――」
「くぅ……――いかん!」
 伯爵様より賜りし剣にて受け流して反撃を、と考え、その通りにした。
「――消え失せろぉっ!!」
 ごお、と風を灼いて炎の刃が白き刃に打ちかかる。
 澄んだ金属音とともに、白き刃はあまりに儚く、あまりに脆くも砕け散った。
「バ――」
 頭に血が上る間もなく、蒼炎の刃が水平に切り抜ける。
 かろうじて残っていた紅い鎧の残骸――肩当てと腕を守る装甲全てが、軒並み消し飛んだ。
 再び味合わされる絶望的な、そしてあまりに暴力的な虚無感。腕の骨が引きずり出されたかのような感覚。
「ぐああああっ!!」
 ネスティス自身も横様に投げ出され、再び柱の残骸に叩き付けられた。
「ぐあ……ぐぅぅう」
 それでも、ネスティスはすぐさま立ち上がろうとした。
 騎士の矜持と、戦いへの本能が妙にふわふわする体を支えていた。
 その視界を遮る、白い何か――
(……布?)
 それが自分の鎧の下から現れた袖口だと気づいた時、既にグレイの三撃目が迫っていた。
 伯爵からの剣を失ったことも、白い衣装もとりあえず頭の隅に押しやって、横へ跳ぶ。
(く……ここは一旦退いて――)
 躱す――横に立っていた柱を透過して、その裏側へ抜ける。
(これならっ――うあ!?)
 炎の刃は呆気なく石の柱を斬った。当然、その後ろにいたネスティスごと。
 飛んで逃げようとしていたネスティスの足が、その刃を受けた。
 脚を守る装甲の全てが、一瞬にして剥ぎ取られた――足の骨を引き抜かれたかのごとき感触に、呻き、崩れ落ちる。
 ネスティスは全てを奪い去られた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「なんじゃ、あらあっっ!?」
 死んだ真似も忘れて、キーモが跳ね起きた。
 槍より長い、青白い炎の刃。
 それを三度振るっただけで、ネスティスの鎧が全て粉砕された。その上、二抱えもある石柱を流水でも切るみたいに、すっぱり切り裂いている。
 だが、そこまでだった。
 四振り目を振りかぶる前に、グレイは不自然な格好で倒れこんでいた。
 同時にグレイの手からライフサッカーが転がり落ち、炎が消えた。

 ―――――――― * * * ――――――――

(やべー……)
 倒れたまま、グレイは他人事のような気分で考えていた。
 床に押し付けた頬が冷たい――その冷たさが、失われてゆく。
 身体の奥底から、何か大事な物が引っこ抜かれた気分だった。あるべきところにあるべき物がなく、大きな虚無の穴がぽっかり空いているような気分。
 体力も、気力も湧いて来ない。
 このまま眠りにつくように、死んでも構わないとさえ思えてしまう。
(……これは…………死ぬか……親父…………爺さん……)
 思い出すのは、魔刀ライフサッカーによって命を落とした肉親。
 祖父は冒険者だった。年甲斐もなく野山を駆け回り、ついにはグリフォンだかマンティコアだかと一騎打ちをした挙句に、死んだという。
 父は傭兵だった。といっても戦にはかかわらず、イークエーサ周辺の村で、モンスターや野盗を退治する用心棒的な仕事をしていた。
 あるモンスターの部族と衝突し、直接家を襲ってきたモンスターどもを壊滅させた代わりに自分も命を落とした。人質になった母を助けるためにライフサッカーを持ち出し、命を炎に換えて連中をなで斬ったが、母は既に殺されていた。
 唯一の救いは、父がそのことを知らぬままに逝ったことだろう。
 父はグレイの腕の中で息絶えた。そして、その際にライフサッカーの封印を息子に託した。
 人の命を吸う魔刀を息子本人が決して使わぬようにと厳命して。祖父も、そうして息子である父に託したのだと。
 一年後、グレイはライフサッカーを背に故郷を後にした。魔刀封印の方法を探すために、父と同じ傭兵の道へと進んだ――クリスを置いて。
(そう、だ……クリ……スを…………助けない、と。……ま、だ、俺は……償い、を…………して、ない……)
 だが、思いとは裏腹にグレイの感覚は漆黒の闇に塗り潰されてゆく。穴だらけの身体に、寒風が吹きすさんでいるかのように、寒い。
 そのとき、暖かい光が差し込んできた。春の陽だまりのようなぬくもりが、虚無だらけの身体を満たしてゆく。
(ああー……お風呂に入ってるみたいだな……)
 グレイは思わず頬を緩めていた。
 それが引き金になった。頬の緩みに、床の冷たさが甦り、押し付けられた胸に食い込む鎧の感覚が甦る。全身の傷が悲鳴を上げ、どっしりとした疲れが全身の倦怠感となって襲い掛かってくる。
 苦しみに満ちた現実の生(せい)の感覚。
 だがそれは、戦士として生きてきたグレイには何よりの気付け薬だった。
(――お……れ、は…………俺はまだ、生きているのかっ!?)
 全ての苦しみを振り切るように、拳で床を押しやり、身を起こす。
「ぬあああああああっっ!!」
 目の前に、ゴンの顔があった。開けているのかいないのか、笑っているのかいないのかわからぬ細い目――いや、今は確かに笑っていた。
「ああ、よかった。あのまま死んじゃうかと思ったよ――大丈夫?」
 ゴンには、グレイが呆然としているように見えたかもしれない。
 グレイはしばらく生の実感を反芻した後、唇をひん曲げて薄笑んだ。
「……ああ、大丈夫だ。ちょっとびっくりしただけだ。うん、大丈夫」
 知らず、同じ言葉を繰り返す。
 疲れきって立ち上がるのも億劫な身体に鞭を入れ、立ち上がったグレイはライフサッカーを拾い上げて鞘へと納めた。
 ふぅ、とため息をついてふと視線を上げる。天井の向こう、そのさらに彼方へと。
(……親父……俺もあんたの後を追うことになりそうだ。つくづく……つくづく、親子だよな)



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