愛の狂戦士部隊、見参!!

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第五章 血戦 (その9)

「ゴオ゛オ ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッッッ!!!!」
 爆炎と土埃を突き破って姿を現わした黒き鎧は、既にその形を失いつつあった。
「なにぃ……これだけ喰らってもまだ!?」
 驚愕した分、ストラウスは野性的本能によって瞬時にその場から離れたキーモより動きが遅れた。
 充分に開けたと思っていた彼我の距離は、しかしいつの間にかマルムークの手に戻ってきた巨戦斧によって埋められていた。
「しまっ――」
 これまでにない、コンパクトな振り。力ませの破壊ではなく、確実な殺傷を目的とした素早いその一撃は、目論見どおりストラウスを切り裂いた。
 左脇腹から右肩への逆袈裟切り。
 噴き出す鮮血。ストラウスの瞳が虚空に揺れる。
(やっべー……もらっちまった……)
「ストラウスっ!?」
 斬られた衝撃で跳ね飛ばされ――無論、その前に自ら後方へ跳んではいたが――浮遊感を味わっていたストラウスは、キーモの悲鳴じみた呼び声を聞きながら手を体の前で組んだ。
(まだ……動く……!)
 大地に落ちる瞬間、ストラウスの手は複雑な印を切り、その唇は血を吐きながらも呪文を唱えていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 自分の左腕と右肩を治していたゴンは歯噛みをしていた。
 グレイがノルスに口づけを受けてしまっていた。
「この……グレイから離れろぉっ! リパルス・アンデッド!!」
 治癒した両手から放たれた神の光はしかし、あっさり躱された。霧に姿を変えて。
 再び姿を現わした少女は、泣き別れていた上下半身が一つに繋がっていた。ただし、ダメージを負ったのは確からしく、斬られた部分からじくじくと鮮血が溢れて滴っている。
 少女の吸血鬼は、腕組みをすると鼻を鳴らしてゴンを睨みつけた。
「ふん。そんなの、当たるもんですか。……よくもナーレムお姉様を。こんな奴、切り刻んじゃえ」
 少女の指がゴンを差し、立ち尽くしていたグレイがゆらりと動いた。生気の感じられない動き。それだけに不気味な動きだった。
 両手で魔刀を握る。くっとあげたその蒼白な顔――瞳が爛々と紅く輝いている。
「――グレイ!?」
 ゴンは思わず拳を顔に引き寄せて、拳闘のスタイルをとった。
 明らかに正気ではない。ジョセフのように意識を乗っ取られたのか、それとも『チャーム(魅了)』の魔法にかかってしまったのか。
「ちょ、ちょっとグレイ! クリス一筋じゃなかったの!? なんで……はっ、まさかロリ――」
「ごああああああああああっっ!!」
 まるでゴンの言葉を遮るかのようにグレイは襲い掛かった。
 やばいと見て逃げを打つゴン、追うグレイ。
 その追跡劇をノルスは高笑いをあげながら見ていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「騎士らしくない戦い方ゆえ、あまり使いたくはないが……貴様が相手なら卑怯のそしりも受けるまい」
 デュランは足から床へと沈んで行く。
 シュラは空中でその様子を見つめたまま、右肩を押さえた。出血は続いている。
「なるほど。壁の向こうに潜んで、襲ってこようって魂胆か。てめえ自身が切り刻まれるのも厭わずに」
「わかっているならば話は早い」
 デュランは胸まで沈んでいた。
「我が剣が貴様を貫けば、その時点で戦いは終わる。貴様の生命力の全てを奪い取り、以って我が霊力の糧としてくれよう。……ふふ、わかっていようが、壁の向こうには貴様の糸も届かぬぞ」
「だが、俺を斬るにはこの部屋に入ってこなきゃならねえ。入れば、俺の結界の餌食だぜ」
「あと数度聖水をかぶせられたとて、まだ消えぬほどの霊力は残っている」
 デュランの姿は完全に床下に消えた。どこからともなく声が響いてくる。
「貴様の懐に、それだけの聖水が残っていればだがな」
「ちったあ、頭使えるようになったじゃないか」
 覆面の下で皮肉げに頬を歪めるシュラ。
 静寂が落ちた。
 部屋のほぼ中央でぴくりとも動かないシュラ。
 シュラを揺さぶるかのように、絡まった糸を震わす五つの武器。
 シュラの右腕から滴った血が、銀の糸を伝い――床に落ちた。
 刹那、シュラの頭上からデュランが落ちてきた。剣を下に向け、自身を一本の槍と化して。
 シュラの手が懐に残る最後の糸を紡いだ。

 ―――――――― * * * ――――――――

 夜目にもわかるほど盛大に大量の血を撒き散らしながら大地に落ちたストラウス。
 それにとどめをさすべく、ゆっくりと迫るマルムーク。
「ストラウス!!」
 キーモは呼びかけながら考えた。
(魔法切れた+魔法の武器なし+ストラウスやられた=勝ち目なし)
 ここまで0.001秒。
(勝ち目なし+相手が見てない=逃げろ!)
 さらに0.001秒。
「――すまん」
 名前に続けて謝り、すぐにもっとも安全な逃げ道を求めて傍らを見やる。
 ふと眩しい光が目を射した――光源は脱皮した(違)マルムークが残した鎧。そこに差したままの、太陽の輝きを宿した槍。
「……太陽の槍か。高う売れそうやな」
 行きがけの駄賃、とばかりにキーモはその槍をつかんだ。
「んん? くそ、抜けへんな。この」
 立ったままの鎧の首から抜こうとして乱暴に扱うと、槍と鎧がぶつかってガラガラ鳴った。
「オ゛ゥッ! オ゛オ゛ヴッ!!」
 咆哮というには微妙な声が響いた。
 敢えて形容するなら、唐突に男の急所を握られたような。
 キーモは声の主を求めて振り返った。
 今しもストラウスに斧を振り下ろさんとしている、マルムークの黄色く澱んだ眼と目が合った。
 双方黙ったまま、見つめあっていること数秒。
 キーモは見つめあったまま、槍をぐりんと動かしてみた。
「グ、ガオ゛」
 力が抜けたかのように、巨体を揺るがすマルムーク。膝がぐらぐら揺れている。
 再び、ぐりん。
 鎧の縁に、少し乱暴に当たった。
「オ゛……ゴォッ!」
 ぼろりと手から巨戦斧が落ちた。マルムークの背後の大地に突き刺さる。
 たちまちキーモの眼が輝いた。
 かなり強めに、鎧ごと倒れてしまえとばかりに槍を縁にぶつける。
「ゴォァッッ!!」
 鎧と同じ動きをして、マルムークは倒れてしまった。
「ぷ……ぶはははははははははは、なんじゃそら。ひゃははははははは、おもろいやんけ! ほれほれ、これはどないや! こっちはどうや!?」
 まるっきり子供のような無邪気――否、まさにいじめる対象を見つけた子供のごとく邪気たっぷりに、槍と鎧を打ち合わせて遊ぶキーモ。
 その度に悶絶しているマルムーク。
「なはははははははは、なんやなんや。お前これが弱点か。めっちゃ強い思てたら、目茶目茶弱いやんけ! そのざまで、よーも俺様をいたぶってくれたもんやな! ぎゃはははは、くっらえぇい! 復讐の一撃ぃ!」
 調子に乗ってブーツの先で思いっきり蹴飛ばした。
 瞬間、キーモの顔色が変わった。
「ぐぁ……○*△+▼@■фдッッ!!」
 ブーツのつま先をつかんで、転がる。
「い、痛っ……いたたたたっ! めっちゃ硬いやんけ、アホかっ!! 何でこない硬いねんっ! くそ、あいたたたたーーっ!!!」
 鎧の傍で転がり回り、片膝立ちでブーツの先を必死に擦る。訳もなくふーふー息を吹きかける。
 その背後に影が差した。
「いたー……ん? ……んん?」
 ゆっくり振り返る。
 マルムークが立っていた。その頭部で輝く黄色い輝きは怒りを表現しているのか、ちょっとした炎のように揺れていた。
 キーモの顔からさあっと血の気が引く。
「えーと……」
 マルムークは拳を振り上げた。
「どひゃーっ!!」
 咄嗟に前転してその拳を躱したキーモは、そのまま目の前にあった太陽光を発する槍を鎧から引き抜き、マルムークに突き出した。
 槍はいとも容易くその身体を貫いた――否、透過した。
 『ソーラー・フラッシュ』がかけられているだけで、魔法の槍ではないその槍でマルムークを傷つけることは出来ない。だが、太陽光を直接受けたマルムークは明らかに怯んだ――引き抜く瞬間に、鎧のどこかに当たったので怯んだのかもしれないが。
 その刹那、キーモは異様な悪寒を感じて飛び退った。
 マルムークのものではない。もっと恐ろしい肌が粟立つような感覚――
「――ストラウス!?」
 なぜかキーモはそう感じ、倒れているはずのストラウスを見やった。
 黒衣の魔法使いは、片膝立ちの姿勢でこちらに右手を突き出していた。広げた手の平が微妙に揺らいでいる。
「オ゛オ゛オ゛ッッ!?」
 マルムークの悲鳴じみた咆哮に、慌てて見やると前屈みのマルムークが膝に両手を当てていた。倒れるのをこらえようとするかのように。
「なんや? あいつ、なにしてんねや?」
 不思議そうにしているキーモに、立ち上がったストラウスはゆっくり近づいてきた。
 右手をマルムークに向けたまま、左手の中で小石を軽く投げて弄んでいる。血に濡れたその口から何か呟きが漏れている。
「……天の理、地の理を司る力よ……汝の力を強めよ。物の理を破壊するほどに……」
 ストラウスは小石を投げ上げ、落ちてきた小石を空いている左手で再び受け取った。
「お前に言っても無駄だろうが……小石が落ちてくるのはなぜか知ってるか、マルムーク。それは大地が小石を引き付けるからだ。しかも、落ち始める高さが高ければ高いほど、落ちてくる速度は速くなる。だから、重い物を高く持ち上げれば、それだけ威力が増す。お前の斧の振るい方は、実に理にかなってるんだよ」
 小石をマルムークに向けて投げつける。すると、放物線の途中で小石は真っ直ぐ地面に落ちてしまった。土にめり込んでいる。
「この呪文はその力を百倍以上に跳ね上げる。お前自身の鎧の重さが、お前を潰すんだ。そぅら、まだまだ上がるぞ」
 見えない巨大な拳に殴られたように、マルムークが膝を着いた。起き上がれない。それどころかだんだん頭が下がっている。
「……二百……三百……」
「ヴ、グ……ググゥゥ……ゴォ、ゴガ……」
 めりめりという不吉な音が聞こえた。
 キーモが驚いてその音の源と見やれば、マルムークの堅牢そのものの黒く分厚い鎧が変形し始めていた。
「鎧が核でなければ、もう少し効き目が薄かったかもしれないが……残念だったな。これまでお前を無敵たらしめていたその頑丈な鎧が、お前自身を滅ぼすんだ。さあ、この世から消えろ。跡形も残さずに。――『グラビティ・プレッシャー』最大効果!!」
 前に向けていた手の平を、下に向ける――その手の平の下にマルムークがいると仮定して、それを押し潰すような仕草。
 マルムークの鎧を中心に五歩程の範囲の地面がごっそり沈み込んだ。
 マルムークの鎧は紙のように圧延された。霊体も一瞬押し潰された後、土の下へ沁み込むように消えた。
 最大効果は一瞬だった。
 通常の重力に戻った穴の中では、薄く潰れたマルムークの鎧だけが残されていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「うふふ……あははははははは、ほほほほほほ」
 ダンスホールにノルスの笑い声ころころと響く。
 ゴンは恥も外聞もなく逃げ惑っていた。
 グレイの剣閃はただごとではない。懐に飛び込むことも出来ない。
 改めて武器を持った戦士の恐ろしさを、ゴンは味わっていた。
「あーらあらどうしたの、モーカリマッカの司祭。逃げてばかりでは、戦いにならなくてよ?」
 楽しげなノルスの声。ゴンは舌打ちを漏らしながらも、グレイから目を離せない。
「グレイ、正気に戻って! 君はまだ噛まれただけだから、自分の意思じゃないはずだ! そりゃ噛まれる前よりは効きやすくなってるんだろうけど、気を確かに持てばその程度の『チャーム』なんて――うわぁっ!!」
 蒼炎の刃が切り上げられ、ゴンの鎧の肩当てを斬り飛ばした。
 幸い身体は斬られなかったが、あの一撃を受ければ致命傷に近いダメージを喰らいかねない。
「あ、危なっ……ええと、グレイ! ほら、クリスが! クリスが君を待ってるんだよ!? こんなとこでこんなことをしてる場合じゃないって――ばぁっ!!」
 大きく飛びのいたゴンの股間を剣先がかすめた。股間を守る腰当ての部分がバックリ二つに分かれた。
「ひえええええっっ!」
 縮み上がった股間を押さえ、恥も外聞もなく駆け出す。
 その無様な格好を、追いかけるようにノルスの笑い声が響いた。
「あはははははっ、面白〜い。――そうだ」
 何かに気づいたノルスは目を閉じた。
 その異常に気づく間もなく、ゴンは新たな敵と向かい合う羽目になった。
 ジョセフ。
 監査官が命をかけて救い出した青年を縛めていた魔法の糸も、今は効果時間が切れて消えている。
 剣を構えてじりじりと迫るジョセフの表情は、グレイと同じ。
 ゴンはグレイとジョセフに挟まれ、今までのように派手に逃げられず、じりじりと追い詰められてゆく。
「さあ、どうなさるのかしら、司祭様は? 仲間の戦士に斬られるか、助けに来た相手に斬られるか、それとも……わたくしに殺されるか。選ばせてあげてよっ!!」
 勝利者の高揚に酔った口上を唱えつつ、ノルスが大蝙蝠に変身した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 シュラの伸ばした左手から蜘蛛の巣が広がる。
「敗れたり暗殺者! それは破ったはずだっ!!」
 わずかな修正で、剣の切っ先を死点である糸に向け、突く。
 蜘巣陣に走るたわみ、歪み。その先にあるシュラの胸に目掛け、そのまま突き進む――その瞬間、デュランは信じられないものを見た。
 自分に向けられたシュラの右手。そして、その右手から放たれ、広がる蜘蛛の巣。
「な――」
「条の奥義その九――『双蜘陣』」
 まだ完全には崩れ切っていない左手の蜘巣陣が邪魔で、死点が見えない。
 デュランは重なった二つの蜘巣陣の只中へ突っ込んだ。
「ぐ、ぐおおおおっっ!!」
 全身を包む銀の糸がデュランに痛みを味合わせる。しかも、落下するデュランに合わせて引き戻しているのか、身体は寸断されることなくダメージを与え続けられている。
「バカな、バカなああああああっっッッ!! ぬぐああああああっっっ!!!」
 デュランは落下を止めて、自ら身体を上昇させた。
 全身を細切れに切り刻まれがらも、銀の網を抜け、空中で身体を再構成する。
 眼下で獲物を取り逃がした網を手早く分解しているシュラを睨みつける。
「き……貴様っ!! その右腕……!!」
「これか?」
 こきん、という音ともに右腕が力なく垂れ下がった。すぐに同じ音がして元の力強さを取り戻す。
「盗賊系暗殺者のたしなみだ。使えないといった覚えはないしな」
 覆面越しにでもわかる、してやったりの笑み。
「くっくっく、使えないふりなら多分お前にでも見破れただろうが、本当に使えなくしておけば見破れねえもんだろ?」
「このときのために……たばかり続けていたと言うのか……っ!」
「そーゆーことだ。わかったか。いくら覚悟を決めたところで、騎士の流儀が身に染み付いたてめえに俺の相手は荷が重いってことが。相手が悪かったな」
「く……だが、それさえわかっていれば、もはや不意討ちは効かぬ。最後は我が――」
 シュラの右手が、握った拳を少しはね上げるという意味不明の動きをした。
 刹那、デュランは背後から飛んできた糸で縦に真っ二つになった。
「お……ぐ……っ!」
「『双蜘陣』は前ふりだ。てめえそこへ追い込むためのな」
 再構成。姿勢の制御――今度はシュラの左手が、右肩から水平に動いた。
 胴が水平に寸断された。
「ぬぐぁっ!!」
 再構成――右手を前に突き出し、落とす。
 今度は二本の糸。首を水平に斬られた直後、右肩から左脇へ断層が走る。
「が……えふ……っ!」
「言ったろ? 最高奥義を見せてやるってな。『斬糸結界』から派生するこれこそが――」
「く、ぐ……この……この程度でぇぇぇ……我は最強の騎士……ロンウェルを滅ぼしたる――」
 再構成。紅い瞳の輝きは今や炎と化していた。両手の剣を握り直し――シュラは両手を胸の前で交差させ、一気に開いた。
 デュランが襲い掛かる前に、凄まじい勢いで全方位から糸が襲ってきた。
「ラリオス暗殺術鋼糸殺法最高奥義・『天壌無窮』」
 もはや苦鳴を漏らす暇さえ与えられず、デュランは切り刻まれ、空中で踊り続ける。
 シュラは左手の指先で糸を操りつつ、右手で懐から聖水の入った小瓶をありったけ取り出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 エントランスホールへ続く破壊された入り口を背に、ゴンは細い目と目の間に苦悩の皺を寄せていた。
 右からはグレイ。左からはジョセフ。そして中央上空に、大蝙蝠。
「くそ、『リパルス――ぐあっ!!」
 手をノルスに向けた途端、見えない壁を叩きつけられ、2mほど跳ね飛ばされた。
 鼻から血が噴く。しかし、それを構っている暇は無かった。
 自分が後退させられた距離を越えて、二人が踏み込んできていた。
「く……『プロテクト・シールド』!」
 見えざる防御壁が二人の剣を弾いた。それを見て再び放たれた大蝙蝠の『見えざる壁』も防御壁が弾き返す。
 三人が怯んでいる隙を突いて、ゴンは次の魔法を唱えた。
「『マス・ホールド』!」
 ジョセフが硬直し、剣を構えたまま彫像と化す。しかし、グレイと大蝙蝠には効かなかった。
 見えざる防御壁を挟んで、睨みあう。ゴンは肩で息をしながら、袖口で鼻血を拭った。
「……うう。武器がないのはきついなぁ。ねえ、グレイ。何とか目を覚ましてくれない?」
 ゴン以上に大きく肩で息をしているグレイから明確な返答は無い。
「となると、やるしかないのか」
 地面の底に沈んでしまいそうなほどやる気の無いため息を吐いて、ゴンは拳を固めた。
「ううう〜、でもやだなぁ」
 ゴンは司祭として修行をしている。そのため、戦闘技術に関してはどうしても戦士に引けをとる。
 かわし、逃げることに集中しても、その差は埋めきれるものではない。まして武器と無手では……。
 突破口を必死で考えるゴンは、グレイの迫力に押され、じりじりと後退してゆく。
 打ち壊された扉を踏み越え、入り口を抜け――
 エントランスホールに入ってもなおしばらく下がったとき、何かを踏んだ。
 ちら、と足元を見やる。
「ああ、足か。………………足!?」
 驚いて見直すと、足元は粘つく赤い液体に満たされ、周囲には肉片と化した人間の体が……。
 ゴンは振り向けなくなった。振り向かなくても、背後の状況は想像できる。ここで、傭兵部隊三十数名とさらわれた村人達が全滅したのだ。
 ゴンは足を止め、グレイとその背後で羽ばたく大蝙蝠をじっと凝視した。
「いまさら……か。これだけ人が死んでるのに、いまさら……何を躊躇してるんだ、僕は」
 表情を引き締め、拳を顎にひきつける。重心を前に傾け、一歩踏み込んだ。
「今一番大事なのは、伯爵を倒すこと。そのためには、グレイが相手でも――」
 『プロテクト・シールド』が解けた。術者であるがゆえにその気配を先に察知したゴンの方が、グレイより一瞬早く踏み込んでいた。
 さらに――
「――マジック・アロー!!」
 エントランスホールに朗々と響き渡るストラウスの叫び。
 ゴンの頭上を駆け抜けた五つの光矢が大蝙蝠に炸裂した。
「きゃあっ!!」
 ノルスの悲鳴に、思わずグレイの動きが鈍る。
 いかに技術で戦士に劣るとはいえ、これだけの条件が揃えばゴンにも勝機は訪れる。
 狙い済ました右フックが、グレイの左頬をとらえた。
 ゴンの怪力をまともに喰らった戦士は、首を引っこ抜かれるような勢いで吹っ飛んだ。
 落ちてきた大蝙蝠にぶつかり、そのまま壁に叩きつけられる。
「――ぐえぇっ!」
 鎧装備の戦士と壁に挟み潰された大蝙蝠の口から少女の声で、少女らしからぬ蛙のような呻き声が漏れた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 空中で踊る緑の騎士に次々と聖水が浴びせ掛けられる。
 今やデュランは騎士の姿を維持するのも難しいほどになっていた。徐々に姿が薄れ、背景が透けて見えるようになってきている。
「――ぐ……ぬぐああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!」
 一瞬、小部屋が震えたかのような咆哮。それは恥も外聞もかなぐり捨てた、怒りの叫び。
 爆発するかのように放たれた瘴気に応え、二振りの魔剣、二本の魔槍、一本のポールアックスが自らの縛めを解こうと、暴れ始めた。
 そこで発生した震え、たわみ、歪みは全ての銀糸・鋼糸に走り――『天壌無窮』のタイミングがずれた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!! 見よ!! これが、これが騎士の意地だっっっ!!! 我はぁぁぁっっ……我はっ、まだっ、消えぬぞぉぉぉおおおおおおっっっ!!」
 裂帛の気合。空中で両腕を広げ、天井に向かって吠える。瞳から紅の炎が噴火のように立ち昇り、全身から黒い瘴気がにじみ出てきた。
 相変わらず刻まれ続けてはいるが、その衝撃でいちいち踊りはしない。全身斬り刻まれるに任せ、ただ吼えている。
 不意に、何かが弾けた音がした。
 糸がいくつか耐え切れずに切れたらしく、二本の魔剣が自由になった音だった。それは素早く主の下へと戻った。
 シュラの顔色が変わった。腰を落し、警戒の色を強める。
「よくぞ戻った、我が手足よっ!! づあああああああああああああっっっ!!」
 魔剣を両手に握ったデュランは、その剣を振るい、襲い来る『天壌無窮』の糸を次々と弾き、断ち始めた。
 デュランの霊体で構成された剣なら銀の糸で打撃を与えられるが、実体を持つ魔剣はそうはいかない。
 舌打ちをして、シュラは『天壌無窮』を止めた。
 訪れる静寂。弾む息。
 デュランが顔を戻し、シュラを見下ろした。その肩は大きく上下している。呼吸など必要ないはずのスペクターが。
「ふぅぅぅぅう……クク……クククククク……よくぞ……よくぞここまで我を追い詰めた。ふうぅぅぅぅぅ……貴様の奮闘は賞賛、いや驚嘆に値する……ふぅぅぅぅうう……だが、だからこそ貴様を倒したくなった。何が何でも――そう、騎士の誇りも何もかも全て捨て去ってでも、だ!」
 喚きながら魔剣の先を打ち合わせる。
 デュランの姿が変わっていた。もはやそれは騎士とは呼べない。
 鎧は深い緑のローブに、ヘルムは深いフードに変わっていた。金の象嵌細工はそのままローブの刺繍模様に変わっている。その姿はもはや魔道士と呼ぶ方がしっくりくる。
 そして、もはや人型ではなかった。腰から下は形を失い、たなびく煙のようになっている。さらにローブの前あわせの中は、黒い影のようなものが揺らめいているだけに過ぎない。
「……今の我が霊力を、最も力を発揮できる姿に再構成してみたが……鎧さえ失うとはな」
 その口調に悲壮感はない。むしろそれを楽しんでいる風情がある。もしくは、そこまで追い詰められた自分を自嘲しているのか。
「だが、今はこの腕さえあればよい。我が魔剣を持ち、貴様を切り刻む感触を感じられる腕さえあればな。クククク」
 シュラの手がピクリと動いた。
 デュランの背後から襲い掛かった斬糸を、およそ人間ではありえない角度で動いた魔剣が迎え撃つ。
「無駄だ――もはやこのデュランに死角はない」
「……どうかな? 無けりゃつくるまでだ。盗賊あがりの暗殺者を舐めるなよ? くく……」
「もはや貴様の虚偽に満ちた言など、聞く耳持たぬ」
「そうかい」
 シュラは両腕を広げ、デュランとの間に立ちはだかっていた糸を全て移動させた。
 すかさずデュランがその空隙を真っ直ぐ突っ込んで来る。
 待っていたとばかりに、一度退いた糸が再び襲い掛かった――しかし、斬り刻まれてもひたすら突っ込んで来るデュラン。
「ぬうおおおおおおおおおおお死ねええええええええええええええええええっっっ!!」
「てめえがな」
 デュランの前に、自らの魔槍が飛び出してきた。絡みついた糸に操られている。
「ちぃっ!! ――我が槍を使うか、卑劣なっ!!」
 魔剣で払う。続けざまにもう一本。逆の魔剣で払う――その時点でシュラはもう剣の届く距離にあった。
「もらっ――」
 ぷつん。
 弦の飛んだ間抜けな音とともにシュラは落下した。シュラの胸を狙った魔剣の切っ先は、傾けた首の横の何もない空間を突き刺し――衝撃がデュランを貫いた。
 落下したシュラの背後に隠されていたポールアックスが、デュランを貫いていた。
「……が……」
 立ち直る暇を与えず、魔剣で払われた二本の魔槍がデュランを背後から次々に串刺しにする。
「お……おおお……」
 姿が急激に薄れてゆく。  魔槍によるダメージは銀の斬糸の比にならない。それを三度も立て続けに喰らったのだ。もはや弱りきったデュランに、こらえるだけの霊力は残っていなかった。
「なぜ、だ……なぜ、我が……こんな……」
 シュラは久々に床に立ち、空中で三方から串刺しにされたデュランを見上げていた。
「てめえの敗因はたった一つ。騎士にこだわったことだ」
「……我、は……騎士、な……り……」
「そうかい。だったら納得するんだな。剣技だけってんならともかく、こと命の奪り合いで、死ぬまで――いや、死んでもスタイルにこだわってる騎士が、はなから手段を選ばねえ暗殺者に勝てるかよ」
 もはや反論の声さえ上げることなく、デュランの姿は消えてゆく。
 瞳に燃え盛る炎だけが、まるでその無念を象徴するかのように天井に向かって伸び上がり――消えた。
 支えを失った二振りの魔剣が、虚空に張られた糸のいくつかに弾かれて奇妙なダンスを踊りながら床に落ちた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 左頬が熱い。
(許さない……あいつらはいつもそう。私をいじめる……私は何にも悪いことしてないのに)
 少女の声が闇に響く。
 映像が閃いた。目で見る映像ではない。記憶が甦るときに映る瞬間的な光景。
 残飯より酷いゴミを食べる少女。
 住処の穴に集めたそれを、遊び半分に踏み潰す子供達。
 それを見ているしかない少女。
 やがて子供達の標的は自分に移り――つぅんと鼻の奥に血の匂いが広がる。
 いつしか日が暮れて子供達は去っていた。
 少女は汚れた身なりのまま、食べ物をもらうために村の中へ人目を避けて入ってゆく。
 しかし、そこでも投げかけられるのは子供達と同じ眼差し。子供達より酷い仕打ち。
 目の前に放り出されたカビだらけのパンに汚物をかけられ、食えと顔面を押し付けられ、食えば汚いと蹴り上げられる。
 それでも、少女は頭を下げて汚物まみれのそれを持って帰るしかなかった。
(あの時は……それが当たり前だと思っていたから……理由なんか知らない。そういう扱いをされるのが私だと思っていたから………………でも)
 ある日、少女は大人に囲まれた。
 大人達はしかし、いつものように少女をいたぶることはなかった。
 ただ、住処である穴から連れ出された。
 怖れを内心に隠し、ただ黙々とついていった先は廃墟と化した城だった。
 大人達が妙に背の曲がった老人と話す間、少女はその隣に立つ黒髪の女に眼を奪われていた。鎧に身を包み、あまりに澄んだ瞳でこちらを見ている大人の女性。
 その頬は月のように白く、滑らか。
 少女は生まれて初めて、欲望を感じた。生きるために必要ではない欲望――あの肌に触りたい、と。
 怒られ、罵られ、蹴り飛ばされるのを承知で、少女はそのささやかな欲望を口に出した。
「とってもキレイ。……ほっぺた、触っていい?」
 女は何も言わず、膝を折り、触らせてくれた――実際にはまだ生者だった少女には、触れられなかったが。
 だがそれだけで充分だった。胸に暖かいものがあふれた。
 嬉しかった。
(ネスティス……ネスティス、助けて…………ネスティス!!)
 それは母親にすがりつく娘の叫び。
 流れ込んでくる恐怖と憎悪。
(あいつらを、私をいじめる奴らを殺して!! 殺すのよ!!)
 心の芯が、獣に噛みつかれたかのように痛い。
 そして……左頬が熱い。

 ―――――――― * * * ――――――――

「今だっ!!」
 折り重なるようにして倒れているグレイと大蝙蝠に向けて、ゴンは手を突き出した。
「去れ! 悪霊よ! 夜の下僕――」
「させん」
 低く響いた女の声とともに、ゴンは殴り飛ばされた。
 どこから現われたのか――立ちはだかるは紅の鎧騎士。
 そのヘルムに隠れて表情はうかがえないが、面当ての下から光るものが滴り落ちている。
「ネ……ネスティス?」
 グレイの下から這い出たノルスは、少女の姿に戻っていた。
「ああ……ネスティス。来てくれたのね」
 これまでの経緯を忘れたかのように、嬉しそうに顔を輝かせる。
「助けが必要かと……今、お呼びになったように思いましたが」
「え?」
 ノルスは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔になって頷いた。
「……ええ。そうね。実はお姉様が――」
「存じております」
 頷いたネスティスはノルスを守るように、背を向けたまま剣を抜いた。
「どうやら、マルムークも敗れた模様」
 ネスティスの視線が起き上がろうとしているゴンの遥か後方、玄関口に立つエルフと、それに肩を借りている農民姿の魔法使いを見やる。
「こうなったからには、私とノルス様でこやつらを蹴散らし、この戦いを御覧になっておられる伯爵様の御心を安んじ差し上げましょう」
 ノルスの表情が引き締まる。深く頷いて、紅く輝く瞳を三人の侵入者に向ける。
「ええ。……そのうちデュランも戻ってくるはずよ。それまでには――」
 刹那、肉を貫く鈍く艶かしい音が響いた。



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