愛の狂戦士部隊、見参!!

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第五章 血戦 (その8)

 ネスティスの表情が硬張っていた。
「ナーレム様が……!!」
 振り返った涙顔にも、ノスフェル伯爵は少し不愉快そうに鼻を鳴らしただけだった。
「捨て置け。あの程度の坊主一匹処理できぬようではな。しょせんは身体だけの女か。使えぬことよ」
 その揶揄に眉を跳ね上げたのは、女騎士ではなくクリスだった。
「ちょっと……何言ってんのよ!! 彼女が誰のために――」
 少し目をしばたかせた伯爵は、愉快げに唇を歪めた。
「想い人を殺そうとしたあ奴をかばうのか? くく、愉快な娘だな」
「そーゆー問題じゃないわよ! 状況はどうあれ、自分のために命を懸けてくれた人を嘲うなんて、人として――」
「知らぬわ」
 伯爵は再び画面に目を向けた。
「結果が出せぬ者に用はない。あの程度の者なら掃いて捨てるほどおる」
「道具じゃないのよ……人は」
「そうだな。道具の方がよほどましだ」
 怒りに拳を握り締めるクリスに目もくれず、くっと再び唇を歪める。
「期待する働きさえこなせぬ。あの女は道具より役に立たなんだ」
「最っ低」
 今にも平手打ちを放ってやりたげに唇を噛むクリス。、
「クリス=ベイアード。一つ言っておくが――」
「なによ」
「我らは人に非ず。故にあの程度で完全に滅びは――どこへ行く、ネスティス」
 クリスが振り返れば、赤の騎士が部屋から出て行こうとしていた。
 足を止めたネスティスは、少しうつむいて答えた。
「……ノルス様だけでは、あの戦士と司祭を捌ききれますまい。助太刀に参ります」
「放っておけ。力足らざる者は滅ぶ。それが真なる理(ことわり)だ」
「それでも、行きます」
 振り返りもせずに告げる伯爵に、ネスティスは珍しく抗うように答えた。
「ノルス様が敗れし後は、私が彼らを倒さねばならぬのはかわらぬはず。今行けば、上手くすればノルス様と協力して戦うことも出来ましょう」
「ネスティス…………よもや、うぬはスペクターナイトにあるまじき感情に因って、ノルスを案じておるのではなかろうな」
「……………………」
「だったら、どうだっていうのよ」
 押し黙るネスティスに代わって答えたのは、クリスだった。
 両拳を腰に当てて、口をへの字に曲げてノスフェル伯爵を睨みつけている。
「道具扱いするのなら、彼女が何を感じて、何を考えようと関係ないんじゃないの? 結果さえ伴えばさ。……ああ、でもまぁ、あたしのグレイが負けるわけないから、彼女でも結果は出せないでしょうけど」
「クリス殿……?」
 振り返ったネスティスは、伯爵に向かって舌を出しているクリスを不思議そうに見つめた。
 しばらくして、ネスティスは伯爵の背中に視線を移した。
「伯爵様。お訊かせ下さい」
 ノスフェル伯爵は無言でもって返答した。
 ネスティスは少しうつむいて、言葉を継いだ。
「先ほどのお言葉……私も、また?」
 驚いた顔でネスティスを見やったのはクリス。
 先ほどの寝室でのやりとりで『伯爵様に付き従うのみ』と言い切った女騎士のセリフとしては、あまりに意味深な問いだった。
 何の感情も見て取れない青白い頬を伝い続けている滂沱の涙。その胸の内に、どんな思いが揺れているのか。
「無論だ」
 即答だった。しかも鼻先で笑っていた。
「ネスティス、思い違いをするな。確かにうぬには様々なものを与えてきた。だが、それはうぬが特別だからではない。わしが必要とするものをうぬが持たず、与えれば使いこなしたからだ。……まぁ、暇潰しであったことは否定せぬが」
「……………………」
「この際、肝に銘じておけ。うぬは我が配下でもっとも古株というだけに過ぎぬ。ナーレムと何ら変わるところなく、我が下僕で我が所有物、そして我が付属物に過ぎぬのだ」
「……………………」
「よしんばこの戦いでうぬを失おうとも、わしには何の痛痒もない。その時は我が手で奴らを葬り、その後にうぬらの代わりを見つけるまでのことよ。――もっとも」
 思わせぶりに言葉を切った伯爵に、ネスティスは顔を上げた。
「そこまで教え込んだ剣の腕、あたら無駄に失うのは惜しいと思わぬでもないが」
「――いい加減にしなさいよっ!!」
 クリスの叫びとともに、伯爵の頬が乾いた音を立てて鳴った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 城の前庭は穴だらけでちょっとした畑のように掘り返されていた。
 もっとも、畝のように整然としたものではない。全く規則性や意図の読み取れない、ただ雑然と掘り返された跡だ。
「……んなろー」
 頭からだくだくと血を流しながら、肩で息をするキーモがマルムークの前に立ちはだかっていた。
 既に盾は真っ二つに断ち割られ、長剣も一本が中ほどで折られて放置されている。
 全身鎧のあちこちがへこみ、変形し、汚れてしまっていた。
 対するマルムークには全く傷ついた様子がない。
 キーモのように肩で息をしていることもない。
「ヴゴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッッッ!!!」
 マルムークの雄叫びが轟き、巨大な戦斧が土埃の尾を引いて振り上げられる。
 キーモは逃げようとして、巨戦斧のえぐった穴の一つに足をとられた。へたり込むように尻餅をつく。
 たちまちその表情が蒼ざめ、引き攣る。
「と、わ……ま、ちょ、待てっ、待てっちゅ――」
「――キーモ! 待たせた、いいぞっ!!」
 相手を制しようと突き出していたキーモの手の平が、その刹那、人差し指一本を残して握り込まれた。 
 引き攣り笑みが、不敵な――を通り越して、狂喜の笑みへと変わる。
「マジック・アロォォォォォォッッッ!!」
 ざらりと発生した魔法の光矢は、一斉に指差した目標に向かって飛んだ。すなわち、マルムークのヘルム目掛けて。
 厚手の鍋を殴ったような音がして、角付きヘルムが再び跳ね飛ばされた。
「ゴア゛!!」
 剥き出しになった黄色い双眸を包む暗黒の霧、そしてその中から生えた槍の穂先。
 さらに光の矢の二、三発が戦斧を横から襲った。振り下ろされた戦斧の軌道が変わり、キーモの長い金髪を数本かすめて地面に突き刺さった。
 跳ね飛んだ石つぶてに背中から襲われたキーモが悲鳴をあげる。
 その頭をストラウスが踏んづけた。
 たっぷり助走をつけて、キーモを踏み台に空中に舞う黒衣の農民――もとい、魔法使い。
 マルムークのさらに上空へと舞い上がったストラウスは、鍬の先をがらんどうの鎧の襟首に引っ掛けて飛び越えるのをこらえ、逆の手で槍の穂先を握った。
 シュラの十八番を奪うかのような空中曲芸。
 そして、叫んだ。呪文詠唱の最後の一節を。
「――イキリス・エスタ・エンケ! ソーラー・フラッシュ!!」
 その瞬間、昼が生まれた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 斬ったはずのシュラの姿が揺らいだ。
「なに!?」
「――何か斬ったのか?」
 驚くデュランの背後から聞こえる、含み笑いを伴った声。
 その場で振り返ったデュランは、自分に目掛けて投げつけられた何かを、確認する前に剣で叩き割っていた。
 それは小瓶だった。
 砕かれた小瓶は無数の破片と、何かの液体を撒き散らした。そのほとんどをデュランはまともに喰らった。
「!? ――!!??」
 最初に驚いたのは、その液体をいつものように透過させることができなかったことだった。
 しかし次の瞬間には、襲ってきた異様な感覚に対する驚きに取って代わられていた。
 液体をかぶった場所から白煙が上がり、全身をありえない感覚――痛みが走る。ただの痛みではない。生きていた間にもついぞ味わったことのない――火焙りにでもされたかのような激しい熱と痛み。
「ぐああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」
 デュランは無様にも墜落した。
 そして、無様な格好で床を転がり回った。
「ぐおおおおおおっっっ!! 何だっ!? 貴様、何を、何をしたあああああああっっっ!!」
 膝立ちで身体を起こしたものの、そのまま液体をかぶった顔、胸腹を掻きむしる。
「うぐあああああっっ……!! この、この我がっ!! こんな無様なっ!! ぐうううううっっ!!」
「水だよ。くくく」
 降り立ったシュラは、覆面の中で楽しげに顔を歪めた。
「ただし、高位の司祭の祈りで清められた『聖水』って水だがな」
「せ、聖水――だと!?」
 全身に広がる痛みを騎士の忍耐を発揮してこらえ、身体を起こしてシュラを睨む。
 シュラはもう一つ瓶を左手の中で放り投げて弄んでいた。
「ああ。しかもこいつは、モーカリマッカの最高司祭アレフ印の聖水だからな。……くく、呪われしアンデッドの身には効くだろ?」
「き、貴様ああああっっ!!」
 怒りと痛みで全身を震わせながら、デュランは立ち上がった。
「我を愚弄するだけでは飽きたらず……神聖であるべき戦いまでもっ!! 貴様という男はっ!」
「暗殺者だからなぁ」
 デュランの怒りなどどこ吹く風で、へらへらと笑うシュラ。
「別に騎士の流儀で戦いを受けるといった覚えはないし、付き合う義理もねえだろ。勝手にそう思い込んだお前がバカなんだよ。……暗殺者ってのはな、どんな手段でも相手を殺せりゃそれでいいんだぜ?」
 弄んでいた小瓶をぱしっと受け止め、指を突きつける。
「相手がバカならバカにつけ込む。相手の思い込みが強いなら、より強く思い込ませる。相手が勘違いしたなら、それを増長させる。弱みを見せたら、そこをつく。くく……『蜘巣陣』を破れば勝てると思ったか? 甘いねえ。一度見せた技が次も通じると思うなってのは、うちの師匠の口癖でな」
「……破られると、わかっていたというのか……?」
「破られなきゃ、そのまま切り刻むだけだ。破られた場合のことも色々考えてるってだけのことだ。言ったろ? 屋内戦闘では、暗殺者は最強だってな。ちったぁ理解できたか?」
 言うなり、無動作で瓶を軽く投げつけた。
「バカめ、二度も同じ手に――」
 今度は体をさばいて躱すデュラン。
「かかるよな。バカだから」
 放物線を描いて落ちる小瓶を貫くダガー。
「いや、想像力が貧困なのか」
「な――」
 瓶は砕け、飛び散った聖水は再びデュランに――
 小部屋にデュランの悲鳴とシュラの嘲笑が響いた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ノルスの紅く輝く瞳がグレイの動きを完全に押さえ込んでいた。
 グレイの全身から汗が噴き出す。
(く……なんだ!? 何故動かない?)
 全身の力を総動員して動こうとしているのに、全くびくともしない。壁の中に塗り込められたかのようだ。
「知らなかったのかしら?」
 首筋からわずか1cmのところに迫った、蒼炎の刃を恐れる風もなくノルスは笑っていた。
「ヴァンパイアの視線には、相手を金縛りに出来る能力があるのよ。ふふ、こればかりは愛とやらでもどうにもならないみたいね」
 くすくす含み笑いながら、刃を避けてグレイの懐に潜り込んできた。
 まるで姪か娘が抱っこをせがむかのように、グレイの首筋に両手を巻きつけその身体によじ登る。
 ノルスは動けないグレイの顔の前にひょっこり顔を出すと、無邪気な笑みを浮かべて言った。
「今からあなたの首に噛みつきま〜す。……うふふ。あなたをわたくしの仲間にしてあげてよ」
 たちまち無邪気な笑みは、十にもならぬ少女とは思えぬ淫靡な笑みに変わった。
 唇を押し退けて二本の牙が伸びる。唾液滴る真っ赤な口を大きく開けたノルスは、その牙先をグレイの喉に突き立てた。
 次の瞬間。背後で白い閃光が炸裂した。
 ゴンたちには背を向けているので、何が起きたのかはわからない。
 しかし、その光景を直視したらしきノルスは、驚いてグレイの喉元から口を離していた。
「ナーレム姉様っ!?」
(……む? 動く!?)
 仲間の危機に集中が途切れたのか、喉に噛み付くためにグレイが真紅の瞳を直視しない位置に動いたせいか……いずれにせよ、グレイは素早くノルスと自分の体の間に左腕をねじ込んだ。
 軽く突き放す。
 乱暴さを感じさせないその軽い突き放しに、ノルスは不満げな声をあげた。
「(ちょっと、動かないで――)」 
 不思議な声だった。耳から入る声と頭の中で響く声が同時に聞こえる。
 違和感を覚えながらも、グレイは右腕を一閃した。
 蒼炎の尾を引いて少女の胴を一直線に斬り断つ刃。
 手応え十分。同時に、体の奥底から何かがずるりと引きずり出される感覚。寒気さえ伴うその感覚を、グレイは歯を食いしばって耐えた。
 驚愕に目を見開き、落ちて行く少女の上半身。膝から崩れ落ちる下半身。その間に生まれた空隙を満たす鮮血の朱。その朱は、床に落ちる寸前に少女の口からも噴出した。
(……とどめをっ!!)
(動くなっ!!)
 今度は頭の中だけに響く声。だが、それはまぎれもなく少女の声。
 その瞳はまだグレイを睨んでいた。
(よくも……よくもやったわね……)
(なん、だ……なにが……)
 真紅の輝きがグレイの視界を覆う。
 ふっつり意識が途切れる寸前、暗闇に少女のヒステリックな叫びだけが聞こえた。
(あんたたち……許さないっ! よくもお姉様を……!! 全員、全身ズタズタに引き裂いてやるっ!!)

 ―――――――― * * * ――――――――

「伯爵様っ!? クリス殿、いかにあなたでも――」
「捨て置けい」
 クリスに向けて剣を抜こうとしたネスティスを、伯爵は止めた。
「伯爵様? しかし……」
「わざとやってるんでしょ!!」
 ネスティスの戸惑いなどもはや目に入らず、クリスは伯爵に突っかかった。
「わざと他人の神経逆撫でして、悲しませて、怒らせて!! そんなに楽しい!? 彼女がどんな思いで今の言葉を搾り出したか、わからないほど脳味噌腐ってんの!?」
「くっくっく……ネスティスの思い、か」
「何がおかしいのよっ!」
「わかっておらぬのは、うぬの方だ。クリス=ベイアード。こやつは人形だ。感情表現一つろくに出来ぬ。悲しみも知らず、喜びも知らぬ。ただ我が意に従いて働く人形なのだ。わしが黒と言えば、白いものでも黒だと頷く。そのような人形に思いなどあろうはずもない」
 クリスはきり、と歯を食いしばった。
「……あんたが黒と言ったって、白はどこまでいっても白だわ。黒じゃない。それに、人は教えられなくったって、与えられなくったって、自分で学ぶものだわ。もうあなたが教えたことだけが、彼女の全てじゃない」
 話題の中心ながら、二人のやり取りの蚊帳の外に置かれたネスティスは困惑げに小首を傾げていた。
 伯爵はただ、くくと笑っただけだった。顎で画面を指し示す。
 意味不明の行動に、クリスは訝しみながらもつい画面を見やった。
「……え?」
 その表情が凍りつき、目が見開かれる。
 グレイが、上半身だけの少女に抱きつかれていた。
 少女の口はグレイの筋肉質な首筋に吸いついている。唇と首筋の隙間から鮮やかな命の赤が漏れ出していた。愛しき戦士の瞳にいつもの輝きがない。白昼夢を見ているかのように虚ろだ。
 クリスに兆す絶望。顔面蒼白になる。
「あ……ああ……グレイ……?」
 へなへなと膝砕けにへたり込むクリス。
「グレイ……グレイ、グレイグレイグレイグレイィィィィィッッ!!!」
 クリスは画面を映し出している壁に這い寄ると、猫のように画面に爪を立てて引っ掻き始めた。
「ちょっと、離れなさいよそこのガキッ!! それは、あたしの、あたしのなんだからぁっ!!」
 届かぬ叫びに、溢れる涙。
「グレイっ! あたし、待ってるんだよ!? ここで待ってるんだよ!? あなたが来るのをっ! そんなのに負けないでよ! グレイ、お願いだから、グレェェイィィィッ!!!」
 返らぬ答えに、両手を壁に爪立てたままうつむき、へたりこむ。
 その様子を見ていた伯爵は初めて身を起こした。その両眼は爛々と欲望に輝き、満面には心底楽しそうな笑みが広がっていた。咆哮のような笑い声が小部屋の空気を震わせる。
「ふははははははははは、そうだ。その顔だ。そのざまだ。その叫びだ。それが見たかったのだ。それが聞きたかったのだ。ぐふふははははははは。愉快、愉快ぞクリス=ベイアード」
 伯爵の揶揄にも、クリスはうつむいてグレイの名前を繰り返し呟くのみ。
「グレイ……待ってる……あたし、絶対…………絶対待ってる……だから……助けに来て……お願い、グレイ……」
「くく、もう一押しか。……さて、これまでの無礼、貴様が完全に我が下僕となりし時に償わせてくれるぞ。両手両足を千切りとって放置してくれようか、それとも再生する端から切り刻んでくれようか。最後には貴様もわしの恐ろしさを骨の髄まで思い知り、心の底からわしに服従を誓うことになろう。ぐははははははははは、その時が実に楽しみだ」
 へたり込んで放心状態のクリス。哄笑で小部屋を揺るがす伯爵。
 ネスティスは無言のまま踵を返すと、部屋から出て行った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 槍が輝いていた。
 まるで太陽のように――否、太陽そのものの輝きを放って、闇と暗がりを切り裂いていた。
「モ゛ゴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォォォォォォッッッ!!!」
 マルムークは身をよじり、悶えていた。
 まるで火の塊でも飲んだかのように、のけぞっては鎧の胸を掻きむしる。
 その鎧の中から太陽の光が放たれているようだった。
 滑稽なほど前後左右に揺すっていた上体は、いつの間にか円運動になっていた。倒れ込みたいのかもしれないが、自分で掘った穴に槍の石突が見事に刺さってしまい、前にも後ろにも横にも倒れこむことが出来ないでいる。
「はっはっは、動きに影響がないからと放っておいたのがあだになったな!!」
 着地したストラウスは、勝利宣言でもするかのように親指を立てて突き出した。
 黒き鎧を包む禍々しき暗黒の瘴気が、太陽の輝きに打ち払われてゆく。
「……なんや、この魔法は」
 ようやく立ち上がったキーモの呟きに、ストラウスはそっちへも親指を立ててみせた。ウィンクも追加する。
「新魔法『ソーラー・フラッシュ』。魔法で太陽の光を再構成するという、これまで誰も開発したことのない魔法だ! スペクターは太陽の光に弱い。これだけで奴を倒すのは難しいが、あの瘴気を打ち消すことはできる。あいつ自身を輝かせようとすると抵抗されるんでな、お前の槍にかけてやった。……ふふ、天才と崇め奉れ」
 立ち上がったキーモは、犬のように頭を振ってそこについた土砂を払った。
「うう。……せやけど、別に珍しいっちゅーほどでもないような気もするけどな? ただの光の魔法やろ?」
 腕組みをしたストラウスは自慢げに胸を反り返らせた。
「ばっかお前、太陽の光ってのは再構成が難しいんだぞ。太陽を司る神様から力を借りるならともかく。それは魔法使いの領分じゃないしな」
「光の色が違うっちゅーんはわかるけど、なにが違うんや」
 太陽の光は白。魔法『フラッシュ・ライト』の光は青みがかっている。
 ストラウスは少し呆れた風に、ため息をついた。
「魔法使ってるくせに、魔法のこと何も知らんのなぁ……あのな。魔法ってのは、効果に無駄がなくて純粋なほど簡単に作れるし、使いやすいんだよ。光が欲しいのに熱持った太陽の光なんて、エネルギーの無駄だし、より呪文が複雑になる。それより、光そのものを呼び出すか再構成した方が簡単だし、楽だろうが」
「熱が欲しい時はどないすんねん」
「暖めたいだけなら『ヒート』の魔法があるし、火をつけたいなら『イグニッション』、爆発させたいなら『ブレイズ・バースト』。……他にご所望の条件は?」
「んん〜……日焼けしたい時は?」
「夏の日中、屋上行って裸で寝とれ。つか、シーズン以外で日焼けすんのは不自然だし、どこからそんな要望が出て来るんだ。どうしても肌を茶色にしたけりゃ、魔法使うより肌を塗った方が早いって」
「そういや、『フラッシュ・ライト』で肌は焼けんのか?」
 どうにもピンと外れな質問ばかりに、ストラウスはかぶりを振る。
「あのな、そもそも『フラッシュ・ライト』の光は――おお!?」
 続きそうになったストラウスの魔法講義は、突如トーンの変わった咆哮に遮られた。
 二人が振り向くと、鎧を脱ぎ捨てたマルムークが天に向かって吠えていた。
 だが、鎧の中から出てきたのはやはり鎧。大きさの変化もない。物理的にはありえないが、同じ大きさのものが中から出てきていた。
「だ……脱皮しおった!? あ、さてはカブト虫の亡霊やったんか、あいつ!」
「アホ。そうじゃなくて、鎧から霊体だけを分離させたんだよ。今がチャンスだ」
 目が点になっているキーモの胸を叩いたストラウスは、まるで極地から生還したかのように吠えているマルムークに向けて手早く印を結び、呪文を唱える。
「月に輝く蜘蛛の糸、日に輝く蚕の糸、星に輝く魔法の糸! ストラングル・ウェブ!!」
 放たれた粘着質の魔法の糸束が、マルムークを包む。
「ヴグ? グゴガゴォ゛ォ゛ォ゛ッッッ!!」
 グルグル巻きになった巨大な鎧騎士は、その糸を引きちぎるのに手間取っている。
 ストラウスの瞳がきらりと光を放った。
「ふふん、瘴気を太陽光で浄化されすぎて、力を失ったな? 今だ。魔法全弾撃ち尽くせ、キーモ!!」
「おおう!! くっくっく……よーもこのスーパーヒーロー・キーモ様を血ダルマにしてくれよったな!! くらえ、正義の鉄槌ぃぃぃ!! 必殺ブレイズ・バースト! 降り注げマジック・アロー! ぶち抜けライトニング・ストライク! 炸裂ブレイズ・バースト! 爆殺ブレイズ・バースト! 直撃ライトニング・ストライク! ぬははははははは」
 同時にストラウスも魔法を矢継ぎ早に唱えた。
「ブレイズ・バースト! ライトニング・ストライク! マジック・アロー! フリーズ・ストーム!」
 爆炎が轟き、稲妻が疾り、光の矢が降りそそぎ、氷の嵐が吹き荒れる。
 城の前庭は一瞬の昼に彩られた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「……ゆ、る、さん……」
 霊体の維持も難しくなっているのか、まるで鎧が酸でも浴びて溶けて崩れかかっているかのような有様のデュランが、ゆっくりと立ち上がった。
 おぼつかぬ足元をしっかり広げ、上体を起こす。
 そのまま、天井に胸を突き出すように両手を広げた。
「――来い、我が手足よ! 汝らの力、今こそ借り受ける!!」
 新しい小瓶を持ってニヤニヤしていたシュラの表情に緊張が走る。
 咄嗟に投げた小瓶はしかし、ダガーを投げるまでもなく空中で割れた。ただし、デュランには届かず床にぶちまけられる。
 いつ、どこから取り出したのか。デュランは一振りのポールアックス(柄の長い斧状武器)を構えていた。長さはデュランの身長を越えており、その先端についた斧刃の部分が濡れていた。
「三度目は、ない」
 憤怒に満ちた声。バイザーの奥で瞳が一際紅く輝きを放つ。
 背後には二本の槍と、二振りの剣が浮かんでいた。
「我が魔剣、魔槍で肉片も残らぬほど斬り刻んでくれる!」
「へえ、そいつが奥の手か」
「これらいずれも無銘にして、さしたる付加能力を持たぬ魔剣ではあるが……我が意を忠実に守りて、敵を葬る。こやつらの攻めを逃れられたのは、後にも先にもただ一人。赤の亡霊騎士ネスティス殿だけよ」
「そうかい。……けど、ちょいと遅かったな」
 シュラは動かぬ右腕をかばうように半身を引きながら、にんまり頬を緩めた。
「俺が何で、こんな得意げにわざわざ解説してやったと思う」
「知ったことか。行くぞっ!!」
 振り上げた刃はしかし、落ちて来なかった。
「な、何!?」
 焦りの色を隠さず、垂直に立ち上がったままのポールアックスを振り下ろそうとするが、全く動かない。
「なるほど? そのポールアックスは実体があるってこったな」
「ぐ……何だこれは。貴様、何を!?」
 シュラの返事を待たず、デュランは背後の魔槍を二本、肩越しに握った。それを振り下ろす要領で前に持ってこようとした途端、その槍もまた動かなくなった。
 三つの槍状武器は、力なく空中にぷかりと浮いていた。
「バカな。何なのだ、これは……!?」
 驚きの隠せぬデュランは、シュラの含み笑いに顔を戻した。
「くっくっく……騎士様よぉ。一体いくつ銀の糸と鋼の糸を放ったか、数えてたか? 準備はすでに整った。お前がどう足掻こうと、逃げられずに切り刻まれる準備がな」
「何をバカなっ……ならば、これでどうだっ!!」
 デュランはシュラに背を向けて両腕で魔剣を握った。身体に巻きつけるようにして引き寄せ、振り返るなり風を巻いて襲い掛かっる。
 襲い掛かってくる緑の騎士に対し、シュラは不思議なステップで後退する。
「逃すかっ!!」
 それを追って真っ直ぐ突き進んだデュランの全身が、たちまちいくつものブロックに切り刻まれた。
「ぐおぉっ!?」
 切り落とされた腕から二本の剣がこぼれ落ち、高らかな音を立てて床に転がる。それは不自然にも切っ先だけを床につけ、柄の側を空中に浮かばせていた。
 切り刻まれた霊体は、一瞬後に再生した。
「……ぬ。これは……!!」
 剣の柄を支えている細い糸。
 改めて周囲を見回したデュランは、そのとき初めて自分が無数の糸に囲まれていることに気づいた。
「くっくっく……百八あるラリオス暗殺術鋼糸殺法・条の奥義が百四――『斬糸結界』」
「むぅぅっ! バカな……これだけ大掛かりな仕掛けを、私に気づかれずにしたというのか……!!」
 デュランは出口を探すかのようにもう一度周囲を見回した。
 一見無造作に張り巡らされた無数の糸の結界――しかし、デュランの体が通り抜けられるような隙間などない。
「それこそが条の奥義の真骨頂。そして……言ったはずだぜ。百万遍切り刻むとも、破られた場合のことも色々考えてるともな。単発での斬糸の技が効き目薄いみたいなんで、継続的にダメージ与える方法を考えてたのさ。くっくっく……」
 顔を押さえたシュラは、さも愉快げに肩を揺らして笑っていた。
「こんな呆気なく仕掛けが出来たのは初めてだ。なーんも考えずに突っ込んでくるもんだからよ。ぷぷぷ、ぎゃははははははは! ばっかでー、だから騎士ってやつはよ」
 デュランは無言のまま腰を屈め、二本の魔剣を拾い上げた。その動きの間もどこかしことなく霊体が切り刻まれてゆく。
 シュラは笑いをこらえつつ、指差した。
「おいおい、言っとくがその剣で糸を切れるとは思うなよ。剣を振り回すスペースなんか、与えてねえぜ。振り上げたら最後、槍と同じ末路を辿るだけだ」
「……ふん、貴様こそ我を――ロンウェル王国を滅ぼしたる亡霊騎士・デュランを甘く見るな」
 言うなり、剣の切っ先を二本とも床に突き刺した。剣はそのまま沼地に沈むかのように、床の中へ沈みこんでしまった。
「なに?」
「――我も言ったはずだな。我に障害物はない、と。そして、我が魔力は……我が所有物にも同じ能力を与える!」
「!!」
 足元からの殺気。咄嗟にシュラは後ろへ跳んだ。
 床から飛び出してきた魔剣は、シュラの左太腿を切り裂いた。
「……ちぃ!!」
「まだあるぞ」
 二本目が着地点に生えてきた。
 空中で身を捻ったシュラの右脇腹をかすめて天井に沈む。
「この野郎、触れずに操れるのか」
「――安心するなよ、暗殺者」
 着地の刹那を狙いすまして、天井に消えた一本目の魔剣が襲い掛かる。
 しかし、その切っ先は空を切った。
「――なに?」
 デュランが怯む。
 シュラは着地していなかった。空中に両足を広げ、少し前屈みの姿勢で立っている。
「ふふん……俺が張った糸に乗ることなんぞ、朝飯前だっつーの」
「曲芸師め」
 吐き捨てた呟きが消えやらぬうちに、床から同時に二本の剣が飛び出してきた。
「どぅおっ!? ――ちぃぃっ!」
 空中で器用に身を翻し、左手で躱しきれない一本を払い飛ばす。そして再び空中に立つ。
「うおー、びっくりしたー」
「ふふふ……天井に消えたからといって、天井の上で刃を翻らせるとは限るまい?」
 先ほどの立ち位置から全く動かず、腕組みをしている緑の騎士は愉快げにくつくつと笑み声をこぼした。
「右腕は使えず、左腿と右脇腹を斬られ、足場も不安定な貴様がいつまで躱せるかな? 貴様が斬糸結界ならば、我はこの剣と槍とを以って斬刺結界とでも名づけようか。……そぅら、今度は槍も来るぞ?」
 デュランの背後で無様に揺れていた二本の魔槍は、きゅるきゅる音をさせて回転していた。
 微妙に揺れて方向を定めた槍は、真っ直ぐ天井に向かって飛び出し、姿を消した。
「武器を縛るのが糸ならば、方向次第で抜けられよう? 自ら回転して糸を緩めることも出来よう? 特に槍のような凹凸の少ないものはな。ポールアックスは使えぬようだが……なに、貴様ごとき魔槍と魔剣が四つもあれば十分!」
 言い終わるや否や、槍が壁から飛び出してきた。
 背後から伸びてきた槍をシュラは空中後転で躱し、左手を走らせる。
 指先から伸びたきらめく糸が、穂先と柄の継ぎ目に絡まった。
「……かかったな」
 その間に、三方から時間差で襲い掛かる二振りの剣と、一本の槍。
「舐めんなっ――縛の奥義その三十七・『クナイ盗り』っ!!」
 糸を投げながら、その場でくるりと一回転する。
 きゅるん、と妙な残響を残して走った糸は、三方から高速で迫っていた三つの武器を瞬時に絡め取った。
「な、なんと!?」
 それにはさしものデュランも腕組みを解いて、驚きの声をあげていた。
 態勢を立て直したシュラは、三方から向けられた切っ先の真ん中で勝ち誇ったように頬笑みを見せた。
「くはははは、甘いぜ騎士。所詮は付け焼刃。さっきてめえと戦ったときの圧力もなければ、殺気も足りねえ。斬刺結界だ? 結界使いを名乗るには、百年ほど早かったな」
「く……くく……くはははははは」
 デュランはいきなり笑い始めた。
 シュラの表情が曇る。
「? 何だ? 観念したか?」
「ある意味、そうだ」
 笑いを止めたデュランは、両手に剣を作り出した。最初に使っていた自分の霊体を再構成して作った剣。その刃に触れし者の命を奪う、ある意味もっとも魔剣らしい魔剣。
「追い込まれなければ、その気になれぬのは我が最大の弱点よな。先に謝っておこう。貴様を下賎な暗殺者ごとき、と侮っていたことを。このデュラン、覚悟を決めた。伯爵様の剣として、たといこの身滅ぶとも――貴様を斬る!!」
 バイザーの奥で紅い輝きが、さらに紅く、強く輝く。放たれる殺気は、これまでと比べ物にならない。
 それを見下ろすシュラは笑みを浮かべていた。
「その覚悟は上等だが……遅かったな。見せてやる――最高奥義をな」



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