愛の狂戦士部隊、見参!!

【一つ前に戻る】      【目次へ戻る】   【ホーム】



第五章 血戦 (その7)

 人が二人、並んでようやく通れる通路を異常な速さで駆け抜けて行く二陣の風。
 一陣は跳ね回る鞠のごとく、天井、床、左右の壁を変幻自在に弾みながら奥へと跳ぶ黒の風。
 もう一陣は通路の真ん中を、その場でくるくる上下左右自在に方向を変えつつも真っ直ぐ後退する緑の風。
 二陣の風が交わる時、その周囲では白い火花が飛び散る。
「ふははははは、なんと、なんと愉快な! このような動き、攻撃、戦い、百有余の年月でも初めてだぞ! 実に愉快だ!」
 幾合目かの金属と金属の弾け合う音が響き、両者はほぼ同時に終着点へ飛び込んだ。

 ―――――――― * * * ――――――――

 巨大な戦斧の刃がストラウスを脳天から両断し、その下の床までも打ち砕いた。
 撒き散らされる破片。揺れて消えるストラウス――その時、既に本物のストラウスはスライディングでマルムークの股下を潜り抜けていた。
「……へ、ウスノロが」
 ぼそりと放った呟きを聞いていたのか、マルムークは振り返った。
「――って、そこのエルフが言ってましたよ?」
 再度振り返ったマルムークの黄色い目が、恐る恐る近づいていたキーモを捉える。
 狙われたエルフはたちまち耳と髪の毛をピンと逆立てて、限界まで目を剥いた。
「ちょちょちょちょちょちょちょっと待て! わしなんもゆーてへん――きゃーー!!!」
 ダンスホールを震わせる咆哮をあげて、巨戦斧を振り上げる。
 泡を食って逃げ惑うキーモ。
「マジック・アロー!!」
 ストラウスの放った魔法の矢がマルムークの横っ面に降りそそいだ。昼間の再現のように、角付きのヘルムが飛ばされ、ダンスホールに転がった。
 その頭部はやはり形がない。黒い闇の塊と、その中で薄暗く灯っている濁った黄色の二つの輝きだけ。
「なるほど」
 ストラウスは薄笑みを浮かべた。
「ヴオ゛オ゛……ヴヴオ゛ゥヴヴ……オ゛オ゛オオオオ〜」
 うろたえた様子で呻き、ヘルムを拾い上げるべく身を屈めるマルムーク。
 その時、キーモの眼が輝いた。
「――くらえっ!! 悶絶地獄突きぃっ!!」
 脇を抜けて背後のエントランスホールに回りこんだキーモは、屈み込んだマルムークが突き出している尻のど真ん中に対して、槍を突き出した。
「ぬはははは、油断しおったなデカブツッ!! カンチョーやカンチョー、カン……チョ? おおおおお!?」
 槍はどこまでも沈んでゆく。
 それを抜く間もなく、マルムークが振り返った。キーモの眼が再び見開かれる。
 なんと、二つの濁った黄色の光の間から、槍の穂先が生えている。マルムークはそれをまるで気にするでもなく、その上にヘルムを乗せてしまった。
「な、なんやあああああっ! どないなってんねやああああっ!」
 喚くキーモに一言、ストラウスは冷静な声で突っ込んだ。
「身体の無いスペクターにカンチョーが効くわけないじゃん。つーか、カンチョーて。ガキかお前」

 ―――――――― * * * ――――――――

 空中から攻めるノルスの化けた大蝙蝠。
 迎え撃つべく腰を下げた途端に見えない壁のようなものを叩きつけられ、グレイはのけぞった。
「ぐ……」
 奥歯を噛み締めて、かろうじて態勢を立て直す。
 その隙に襲ってきた大狼ナーレムの牙は、ゴンの左手に装着された盾で弾かれた。
 巨体をくるくる空中で回転させ、見事な着地を見せる狼。
「ちぃ、しぶとい坊主だね!」
「うるさい年増!」
 その瞬間、ダンスホールの時間が凍りついた。
 狼があんぐり口を開け、蝙蝠が羽ばたきを忘れる。
「と………………とぉしまあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!????」
 ナーレムは変身を解いて人間の姿に戻った。
「ふざけんじゃないわよ、このクソガキッ! ろくに女も知りゃあしないくせに!!」
「知らなきゃどうだってんだよ!」
「女の扱い方も知らないガキが、いっちょまえに大人の女を年増呼ばわりすんなってんのよっ!!」
 叫ぶなり、ナーレムは自分の身に巻きつけていた緋色のカーテンを自ら剥ぎ取った。
 もちろん、その下は下着一枚身につけない素っ裸。
 ゴンだけでなく、刀を構えていたグレイも、そしてナーレムの背後に降り立ったノルスも目を剥いた。
「さあっ!! とくと御覧よ、この身体が年増なんて言われるほど衰えてるかどうかっ!! これ見ていきり立たないようじゃあ、あんた――不能だよ?」
 悪女の、しかし男の理性を蕩かすような媚笑。
「あ……あうあう……」
 ゴンは――もちろん反応してはいたが、不能扱いされたくない、さりとて化け物相手に反応したなどとも思われたくない、という二つの感情の板ばさみになって、硬直していた。
 無論、目を逸らそうなどとは考えなかった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 そこは控え室なのか、衣装の着替え室なのか。
 広さは10m四方ほど、天井までは4mほどはある。
 壁際に幾つか並んだ鏡台、タンス、ソファ、そして散らばる小物入れやかつて衣装であったらしき布切れの数々。
 その中央でデュランとシュラは向い合って構えていた。
 シュラは肩で息をしている。
「……体力を消耗してい――」
 皆まで言わせず、シュラが動いた。
 セリフを言わせてくれるものだと思っていたデュランは慌てる。
「ラリオス暗殺術鋼糸殺法、条の奥義その五――蜘巣陣!!」
 銀色の投網がシュラの右手から放たれる。暗がりがちの控え室に広がったそれは、きらきらと明かりを弾き、朝露に濡れる蜘蛛の巣となってデュランを押し包む。
「なんと……美しい……これが伯爵様の御右腕を――」
 呟き、見とれている間に網の中に捉えられたデュラン。その全身から、白煙が上がる。
 次の瞬間、引き絞られた白銀の網はデュランの身体を賽の目状に切り裂き、中空にばら撒いた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 玄関を塞いでいる落し戸が、内側から叩き破られた。
 分厚い木材を鉄で補強した板である。周囲の石壁ごと突き破られた、という方が正しい。
 石材と木材と鉄板が瓦礫の山を為している玄関を、二体の影が転がり出てきた。
 そのすぐ後から、破壊孔をさらに突き崩すようにして巨体が姿を覗かせる。落し戸と扉、崩落した壁の残骸を踏み割り、口元から黒い瘴気を噴き出し――正面のストラウスを睨みつける。
「ヴガオ゛ゴオ゛ッ!!」
「うわお」
「ひゃあっ!!」
 物凄い風切り音と共に、寸瞬の差で伏せたストラウスとキーモの頭上を斧の刃が擦過してゆく。金髪と帽子の麦わらが何本か犠牲になったようだ。
 続け様に分厚い斧の刃が頭目がけて振り落ちてくる。ストラウスは体を反転させて頭をマルムークに向けると、ゴキブリ並みの俊敏さでその股の間を抜けた。刃は大地を抉る。
(むぅ、このパワー。開墾に役立ちそうなのになぁ……ん?)
 深く刺さりすぎたか、引き抜くのに苦労している隙にキーモはわたわたとその場を離れた。
 ストラウスも立ち上がり、駿足を飛ばしてたちまちキーモに追いつく。
 前を向いて走るキーモに、後ろを向いたまま併走する。
「キーモ、キーモ。あれあれ、あれ見てみろ」
 ストラウスは、マルムークを指差していた。
 城門のあった場所まで逃げてきた二人は、足を止めた。
「……なんや?」
 振り返ったキーモは顔をしかめた。
 斧を引き抜くマルムークの姿勢がおかしい。俗に言うへっぴり腰。上体が立っているのに、腰だけ異常に引いている。要するにお尻を突き出す姿勢だ。
 体を巡らせてこちらを向く。その動きにあわせて奇妙な音が響いていた。何かが石の床を擦るような、からからという軽い音。
「何だ、あの音?」
「たぶん、わしの槍の石突やな。あいつ、刺さったまんまになっとるんや」
「ああ、それであんなへっぴり腰に。――なるほどぉ?」
 顎に手を当てたストラウスの両眼が妖しく光り輝いた。
「キーモ、囮頼む」
 こちらへ迫ってくるマルムークを見つめながら、ストラウスはキーモの肩を叩いた。
「はぁ? ……はぁあ!?」
「俺は呪文の用意に取り掛かるんで、その間あいつの気を引いていてくれ」
 言いながら、虚空に印を描いてゆく。
「無茶言うな、あんなん一人でどうにかできるわけあらへんやろ!」
「キーモ」
 頭を巡らせてキーモを見つめたストラウスの目は、真剣そのものだった。印を中断して、両手をキーモの肩に置く。
「キーモ、君なら出来る。いや、君にしか出来ない。なぜなら、今回、君こそがヒーローだからだ」
「……なんやねん、それ」
 キーモはげんなりと耳を垂れ下がらせた。
「なーにが君こそが、やねん。わしが今さらそんなおだてに乗るやとでも……」
「いやいや、おだてなんかじゃない。よく考えてみろ、今回の発端。キーモが城の衛兵の鎧を盗んだもんで、その件の免赦も兼ねてここへ派遣された。その話が出たときには王様達と渡り合ったよな。ただ一人で、俺達の師匠と渡り合うお前、輝いていたよ」
「あー……そんなこともあったかいな」
「その後、船の上ではシュラと大騒動。関所でもシュラと組んで色々騒ぎを起こした。周りの目は全部キーモに行ってたから、俺達は動きやすかった」
「ほうほう」
「デービスの件ではいち早くヴァンパイアを倒して傭兵部隊の全滅を防いだし、傭兵部隊をまとめる役目も立派に果たした。伯爵の襲撃だって、キーモが機転を利かさなきゃネスティスに全員やられてたかもしれない」
「いやいや、なになに、ぬはははははは」
「その上、俺達が忘れていた傭兵部隊をいち早く組織して、この戦場に連れてきてくれた。おかげで無駄に消耗せずに済んだ――これだけ活躍してるキーモが、ヒーロー以外の何だと言うんだ」
「おお、言われてみればそうやな。わし、今回大活躍やんけ」
 まんざらでもなさそうに顎を撫でる。耳もむっくり起き上がる。
「わしならできる、か? 確かにそんな気がするな」
 ぬふふふふ、と下品な笑みを漏らして剣を抜く。
 マルムークは威圧感を与えるかのように、一歩一歩ゆっくりとこちらに近づいてきている。
「くっくっく、せやせや。あんなウスノロにこの高貴なるエルフ様が負けるわけあらへんわな。それに、他の連中の相手からしても、こいつの方がワンランク上やろ」
「そうだ、一番強いのと二番目に強いのを倒してしまうのはヒーローの宿命なんだっ!!」
「ぬはははははは、わしに任せんかーい!!」
 握り拳で胸を叩くと、金属鎧特有の軽い音が響いた。
「じゃあ、そのヒーロー様にこの卑しい魔法使いめからお願いがあるんだが」
「おうおう、何でもゆーたれや。わしはヒーローやさかいにでけへんことはあらへんぞ!!」
「俺が呪文唱えるまでの時間稼ぎを。それともう一つ、俺が合図したら――」
 続きはキーモの長い耳をつまんで耳打ちする。
「――は〜ん。ほんなもんでええのか? りょーかいりょーかい、まーかせとけ。ぬはははははははは、ほな行くでえええっッッ!!」
 叫ぶなり、キーモは剣を振りかざしてマルムークに突撃をかけていった。
 手を振るストラウスの口許に浮かぶ、酷薄な笑みに気づかぬまま。

 ―――――――― * * * ――――――――

「うふふふふ、坊やには刺激が強すぎたかしらねぇ……」
 媚笑を浮かべたまま、くねくねと淫靡に揺らめかせる。真っ赤な舌が真っ赤な唇をゆっくりとねぶる。
 ゴンの表情がだらしなく緩み、涎が漏れそうになる。
「――きぇえいっ!!」
「きゃあっ!!」
 唐突な一喝とともに、突進してきたグレイの一振りが空を切った。
 慌てて跳び退るナーレム。正気に戻るゴン。
「――く、戦士! あたしの裸まで見ていながら、何で『チャーム』にかからないの!?」
「当然だっ!!」
 胸を張ったグレイは、親指で自分を指した。
「俺には、クリスがいるからなっ!」
 たちまちナーレムは、甘すぎる物でも食ったかのように顔を歪めた。
「そ……そういう問題じゃないわよ、このスットコドッコイ! 魔法なのよ、魔法ッ!」
「魔法であろうがなかろうが、関係ないっ! 俺はクリス一筋だっ!!」
「こんの……クソ馬鹿……ッッッ!!! これだから脳味噌筋肉の戦士はっっ!!! ただでさえ純愛風味のデレデレおバカップルなんてうざったいったら――」
 怒りに拳を震わせるその頭上を、影がよぎった。
「お姉様、こいつはわたくしにっ!!」
 蝙蝠に化けたノルスはグレイに見えないブレスを叩きつけた。顔の前で両腕を交差させ、2〜3m後退させられながらもこらえるグレイ。
「任せたわよ、ノルス」
 ナーレムは惜しげもなく曝した裸身のまま、くいっと首を振った。長い黒髪がしゃらりと揺れる。
 対するゴンは、拳を握り締めて拳闘の構えを取っている。目はあちこち虚空をうろついているが。
 ナーレムの頬が緩んだ。
「はん、ヴァンパイアのあたしと殴り合いで勝てるつもり? 眼も泳いでるし。ふふん……その胸に、二つ目の凹みをつけてあげるわっ!」

 ―――――――― * * * ――――――――

「きゃー♪ グレイ、頑張ってー!! そうよね、あたし達の愛は魔法や年増の裸なんかに負けないんだからっ!!」
 グレイの吐いた愛情たっぷりの言葉に、クリスの黄色い声援が飛ぶ。
 ネスティスが泣きながら、理解不能の態で首を傾げる。
 ノスフェル伯爵は少し目をすがめただけで、何も言わなかった。ただ、その口元に笑みを浮かべていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「何だ、呆気ないな」
 銀の糸を収めたシュラが呟く。
「――それは失礼」
 声とともに、粉微塵になったはずのデュランが再び姿を現わした。シュラの背後に。
「旋嵐!!」
 シュラの周囲を渦巻き護る銀の螺旋。しかし、デュランの剣は既に防御圏内を突破していた。
 剣先が振り向いた右肩先を切り裂く。
 苦鳴も漏らさず床を蹴って後方へ跳んだシュラ。防御圏内に入ったデュランの体が銀の糸に切り裂かれる。
 しかし、すぐに修復した。
「く……」
 血の滴る右肩口を押さえ、覆面から覗く眼を憎々しげにすがめる。
 デュランは剣先に滴るシュラの血をうっとりと見つめた。
「すまぬな、黒き強者よ。我は亡霊騎士(スペクターナイト)ゆえ、何度五体を粉砕されても死ぬことはないのだ」
 しゅっと剣を一振りして血飛沫を床に叩きつけ、再びシュラに剣先を向ける。
「我を滅ぼしたくば、我が存在の礎たる『核』を打ち砕くか、我が存在を構成する霊力の全てを浄化する以外にない。ちなみに、今までのお前の技で削られたのは……まあ、百分の一にも満たぬであろうな」
「………………」
「そしてこの空間。貴様にはこの壁も調度品も障害物であろう。だが、我が身にこれらは障害とはならぬ。判るか。この狭き部屋を狭きままにしか使えぬ貴様が、最強の騎士たる我と戦って勝てる道理はもはやない。潔く――」
「アホか」
 シュラの低い呻き。その声には、デュランでも聞き違えようのない嘲笑が混じっていた。
「なに?」
「もう、どこから突っ込んでいいのかわからんぐらいアホだな、お前」
「…………何が言いたい」
「別にぃ。……くっくっくっくっく」
 シュラは喉を鳴らすように低くくぐもった笑いを漏らしながら構えを解き、真っ直ぐ背筋を伸ばした。右腕は力なくだらりと垂れ下がったままだ。
「人間なら三回も殺されてる奴が最強とかぬかして、何の説得力があるんだかな。くくくくく」
「む……」
「空は飛ぶわ、切り刻まれても合体するわ、剣で斬りながら生命力を奪うわ……んで、なぁにが潔いって? ま、俺も暗殺者だ。卑劣だの何だの言うつもりは全くないが、一つだけ言わせろよ」
「……………………」
「騎士ごっこは楽しいか? 滑稽だな。……ぷ」
 口元を押さえて噴く。
 たちまちデュランの全身を痙攣が走った。
「貴様……」
「ま、どうだっていいんだよ」
 シュラは左腕一本を振るって、銀の糸を指先から垂らした。
「お前が騎士だろうが化けもんだろうが、知ったことじゃあない。てめえの弱点がどこで、ここがどこだろうと関係ない。お前を倒すのに百万遍切り刻む必要があるなら、刻んでやるまでだ――あぁ、と。すまん。もう一つ言っておくべきことを思い出した」
 左手を右肩の高さに振り上げると、銀の糸が虚空を薙いで踊った。シュラの瞳が、妖しい輝きを放つ。
「こと屋内戦においては、暗殺者こそが最強だ」

 ―――――――― * * * ――――――――

「ちょいあああああああああっっ!!!」
 奇声を発して踊りかかるキーモ。
 しかし、斧の一振りで軽く吹っ飛ばされる。
「んきゃー!!」
 がんがらがんしゃかと派手な音を立てて転がったキーモを、雄叫びと地響きが追いかける。
「ヴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ン!!」
「くわあっ!!」
 巨大な刃が地面をえぐり、その余波で多量の土砂が左右に吹っ飛ばされる。その中にかろうじて身を翻したキーモの姿もあった。
「どぎゃーっっ!! ……ぁぁぁぁぁあああああ――ぐへっ!」
 再び派手な金属音とともに落着するキーモ。頭からかぶった土砂を犬のように顔を左右に振って払い飛ばし、立ち上がる。
「うぉのれ、ヒーロー様に向かってなにさらして――」
 眼前に立ちはだかる黒い壁。キーモの表情が硬張った。
「モ゛ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!」
「わあああああ、待て待て待て待て待てぇぇぇぇぇっっっっ!!」
 手を突き出したキーモの叫びに、なぜかマルムークが動きを止めた。
 予想外の展開に、キーモも思わず動きを止める。
 しばらく、お互いに見つめあったまま時間が過ぎてゆく。風が二人の間を吹き抜け、頭上で唸る稲光が時折二体の彫像を照らし出す。
 やがて、キーモは恐る恐る口を開いた。
「――……あー、ちみちみ。ここは一つ、話し合おうじゃないかね。人間、話し合えばきっと分かり合える」
 ブレイズ・バーストが炸裂したかのような音が轟いて、多量の土砂が吹っ飛んだ。 

 ―――――――― * * * ――――――――

「く……このぉっ!!」
 空中からグレイを狙う大蝙蝠の叫びには焦りが混じっていた。
 その口から吐き出す超音波ブレスは、先ほど自分が投げたテーブルの破片で防がれている。
 グレイは徹底的に防御を固めていた。
 テーブルの天板を盾に身を隠し、ノルスのブレスをことごとく防ぐ。だが、それでもその鋭い目は虎視眈々と機会を狙っている。
 突き刺さるようなその視線に、ノルスは近づけずにいた。なんだかわからないが、近づくのは危険だと頭の隅で何かが命じている。だから狼にも変身できないし、霧に姿を変えて近づくことも躊躇っていた。
 しかし、このままでは埒があかない。
(……今は一旦、ナーレム姉様の加勢を……)
 やがて、ノルスは空中で元の少女の姿に戻り、フロアに降り立った。
 小さくため息をついて、肩をそびやかす。
「や〜めた。馬鹿じゃないの。そこでそうやってずっとこもってなさいな、臆病者。わたくしは先にあの司祭を――」
 その時、グレイが動いた。天板を立て、盾代わりに押しながらノルスに突っ込んで来る。
 可憐な唇に、笑みが浮かぶ。
「――お馬鹿さん♪」
 姿が薄れ、霧に消える。
 その霧の塊を突進してきたテーブルの天板が打ち払い――グレイは待っていたとばかりに振り返りながら、魔刀を振りかぶった。
 果たして、予想通りノルスが姿を表した。
 一撃必殺の威力を込めて振り上げられた青白き刃は、止まっていた。ノルスの紅く輝く瞳に魅入られたかのように。

 ―――――――― * * * ――――――――

 巨大な鐘を打ち鳴らしたかのような音が響き、ゴンの鎧の胸に二つ目の拳の跡が刻み込まれた。
 しかし、ゴンは踏みとどまった。噛み締めた口元から新たな血がわずかに滲む。
 ナーレムはわずかに怯んだ。
「……師匠の拳の方が……痛いっ!! 重いっ!!」
 お返しの拳が二発、ナーレムの頬と鳩尾に入った。
「が……ふっ……!!」
 いつの間にかかけられた『ゴッド・ブレッシング』。白い光の尾を引く文字通りの鉄拳に、妖艶な女吸血鬼は身体を『く』の字に折った。
「神の裁きだ、大人しく――」
「……神の……裁きだとっ!? ふざけるなぁっ!!」
 体を崩していたはずのナーレムが、突如ありえない態勢から腕をすくい上げた。伸びた爪先が易々と板金鎧の装甲を貫き、ゴンの右肩を串刺しにした。
「ぐぅっ!!」
 飛び散る血飛沫、噛み締める苦鳴。
 ナーレムの瞳が血の輝きを放つ。女吸血鬼はこれまでにないほど激昂していた。
「神だと? 裁きだと!? 長年教えを広めるために尽くしてきたあたしが、真に救済を求めた時、奴らは何をしてくれた! 何の助けもよこさなかった自分勝手な天の神に、今さらあたしを裁く資格などあるのかっ!!」
 喚きながらずぶずぶと爪先を沈め、ゴンをどんどん押しやってゆく。
 やがて、ゴンは壁際に追い詰められた。肩を貫いた爪先は、そのまま壁に突き刺さってゆく。
「ぐ…………お前……まさか……」
 ナーレムの右腕をつかもうとしたゴンの左手は、ナーレムの右手につかみ止められた。そのまま、朽木でも握り潰すかのように呆気なく、ゴンの左腕はへし折られる。
「ぐあああっっ!!!」
「いい声だねぇ……うふふ」
 心地好さげに口元を緩めた女吸血鬼は、ゴンの左腕を鎧の背後に回させると壁と鎧の間に挟み込ませて固定してしまった。
 その美貌を苦痛に歪む顔に近づけ、毒花の汁のように甘くかぐわしい吐息を吐きかける。
「はははぁぁぁぁぁ……どう、これから魂を犯される気分は。……あたしはかつて、エイドル神の司祭だった……あたしは伯爵様の汚らわしくも甘美な口づけを受ける刹那、一生の全てをかけて祈りを捧げたわ。けれど奇跡は起こらず、あたしはこのざま。あの時、あたしは神に見捨てられたのよ」
 そして、とナーレムは艶かしくゴンの耳に囁き、耳を舐めた。
「あなたも同じ道を辿るのよ」
 蛇を思わせる動きで首を揺らめかせていたナーレムは、不意に大きく口を開いた。長く伸びた二本の犬歯がゴンの首筋に――
「――ごめん」
 ゴンの言葉に、ふとナーレムが動きを止めた刹那。
「我が財産金貨三千枚を捧げる……リパルスアンデッド!」
 常人ならば直視するのも難しいほど純白の輝きが、ゴンごとナーレムの腹部を撃ち抜いた。
「ぎ………………ぎゃああああああああああっっっ!!!!」
 凄まじい断末魔の叫びをあげ、灰と化してゆく全身を振り撒きながらナーレムは床を転がり回る。
「司祭相手に近づきすぎだよ。……それとも、勝ったと思った? 腕を封じたぐらいで」
「き、貴様、貴様ぁぁぁぁぁっっ!!」
 まず腹部が灰と化して消滅した。腰から下と胸から上が別々にのたうっている。
 ナーレムは凄まじい形相でゴンを睨んでいた。
 ゴンは右手を左腕に添えて回復呪文をかけながらも、その目を逸らさずに見返していた。
「正直、あなたの境遇には同情するよ。でも、それとこれとは話が別。あなたがどれだけ悲惨な境遇にあったにせよ、今のあなたは排除されるべき敵なんだから」
「あたしの、あたしの何が悪かったのよ! あたしは何も悪いことをしていない!」
「今のあなたは存在しているだけで、死と悪を撒き散らしているっ!」
 髪を振り乱し、喚いていたナーレムがゴンの一喝で声を失った。
「オブリッツ監査官も、マイク=デービスも、傭兵部隊も……全部あなたが死に追いやった」
 ゴンは痛みではない何か別のもののために、顔を歪めていた。
「今のあなたにはもう……消滅が唯一の救いで、安らぎだ」
 何かを言い返そうとしたナーレムは、しかしふっと表情を緩めた。
「クク……でも、あたしはまだ死なない。『土』がある限り、あたしは何度でも蘇るんだよ……」
「当然、それも浄化します。必ず」
「やれる……もの、なら――」
 豊満な胸が灰の山となり、美貌までもが輪郭を失い始める。
 ゴンは咄嗟にナーレム自身の長い髪の毛をその顔にかぶせて隠した。
「……あ、ら…………気が……利く、わ…………ね…………」
 最後に残っていた顔は髪ごと灰の山になり、その美貌が崩れる瞬間は露わにならなかった。
 胴部で二つに切り離された女の形をした灰の山――ゴンは胸の前でモーカリマッカの印を切った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 同時刻。首都グラドスはモーカリマッカ神殿のゴンの部屋。
 床下に隠された秘密の宝箱の中から、金貨三千枚に相当するダイヤが消失していた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「なるほど?」
 デュランは剣を下ろし、構えを解いた。
「安い挑発だが、一理ある。貴様に出来ぬことをしてしまうのは、確かにフェアではないな」
「誰がそんなこと言ったよ」
 呆れ声で右半身を引いて構えるシュラに対し、緑の騎士は手を突き出して制した。
「まあ聞け。……ならばこうしよう。十回だ」
「あん?」
「百万遍でも、と言っただろう。だから、貴様の攻撃十回受ければ我の負けを認め、潔くここは退くとしよう。貴様の仲間にも手は出さぬ。ここではな」
「……………………」
「まあ、そうむくれるな。勝負を対等なものとするために、我も貴様の身体を斬らぬ。生命力をいただくだけとする。十回我が貴様を斬れば、貴様の命が尽きるようにな。これならばよかろう? 我は三回受けたから、あと七回――」
「馬鹿馬鹿しい。――もういい、これ以上は時間の無駄だ」
 予備動作なしに、シュラは跳んだ。真っ直ぐ上へ。
 その動きをデュランのヘルムが上向いて追う。
 空中で態勢を反転させ、天井を蹴ったシュラは宙を走りはじめた。壁を床を天井を、調度品を蹴り、その度に速度を上げてゆく。
 やがて、その姿は一陣の黒い風へと変わり――最後にはその風すらも闇に消えた。
 初めからそうであったかのように静まり返った室内。
 うつむいた鎧人形のように微動だにせず佇むデュラン。
「――むぅ、見事……といいたいところだが」
 ヘルムが動き、部屋の隅に置かれた衣装ダンスを捉えた。剣を振るう。
 ぶれた剣の先が虚空を裂き、衣装ダンスが真っ二つになった。
 瞬間、走る銀の閃き。
 デュランの剣がそれを弾く。
 真っ二つになった衣装ダンスの片割れが床に落ちた時には、別の方向で閃く銀の輝き。
 上体を逸らして躱すデュラン。
「見えておるぞ」
 右腕がぶれるほどの剣閃。今度は鏡台の一つが斜めに寸断された。暗がりに砕け散ったガラスの破片が舞い散る。
 その全てにシュラの黒装束が映り込む。ゴンから受けた『ゴッド・ブレッシング』の仄かな光をまとって。
 そこへ、デュランの姿が割り込んだ。
「その白き光、闇に潜むにはいささか邪魔よな! ――ぬ!?」
 剣を握るデュランの右手首――そこにシュラの足がかかった。
 デュランが剣を振り抜く威力を得て、その頭上でくるりと前転しつつ再び宙に舞い上がり――
「蜘巣陣!!」
 左手から放たれた銀のきらめきが広がる。
「二度も同じ技をっ!! ――そこが死点だ!!」
 振り返ったデュランは蜘巣陣の中心に向けて剣先を突き出した。
 剣先は針の穴を突く正確さで、巣を構成する銀の糸の一つを突く。たちまち、その糸は力なくたわみ、ほつれた。
 糸のたわみは瞬時に波紋となって広がり、銀の蜘蛛の巣は不恰好に歪み、ほつれ、分解して崩れた。
「敗れたり、蜘巣陣!」
 空中で動きの取れないシュラの胴を、デュランの剣が薙いだ。



【次へ】
    【目次へ戻る】    【ホーム】