愛の狂戦士部隊、見参!!

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第五章 血戦 (その6)

 唐突に戻った明かりに、ナーレムは狼狽した。
「あたしの『デスパレイト・ダーク』が!? なぜ!?」
 間抜けなことにキーモも驚き、切れ長の眼を丸く見開いていた――明かるくなったことにではなく、目の前にいるあまりに淫靡な雰囲気の美女に。
「……効果を打ち消せないなら、魔法自体を打ち消せばいいってことさ」
 ナーレムが声の方を見ると、鍬を担いだ魔法使いが膝をはたきながら立ち上がるところだった。
「何を……したの……――何をした、魔法使いぃっ!!」
「ふふん」
 きらりとストラウスの眼が光る。気を呑まれたように、ナーレムは思わず声を飲み込んだ。
「『ディスペル・マジック』――あらゆる魔法効果を打ち消す、魔法使いの使う呪文としては基本中の基本。……まあ、基本的すぎて忘れてたんだけどね。うちの連中の戦い方じゃあ、あまり活躍の場はないから」
 ぺろっと舌を出して苦笑する。
「愛の狂戦士部隊のモットーは、『殺られる前に殺る』だからさ。こんな魔法チンタラ解いてる暇あったら、『ブレイズ・バースト』の一発でもお見舞いしてやれってもんで。……ナーレムさん?」
 呆然としていたナーレムは正気づく。
 その目尻がたちまち吊り上がり、頬に引き攣りが走った。
「……いい気になるんじゃないよ、魔法使い。次は解けない闇を――」
「――さすかいっ! 『ライトニング・ストライク』ッ!!」
 両手を差し上げて新たな呪文を唱えようとした刹那、電撃が背後からナーレムを貫いた。黒のナイトドレスが無残に破れ去り、不健康に透き通るほど白い肌が全て露わになる。
「………………っっ!!」
 悲鳴もなく、まして全て曝されてしまった肢体を隠すことも出来ず、白目を剥いて倒れ伏すナーレム。全身から白い煙のようなものが立ち昇る。
 もちろん、雷撃の呪文を放ったのはキーモだった。
 そのうえ、それで手を緩めなかった。さらに『ブレイズ・バースト』を叩き込む。
 爆炎が消えたその場から、ナーレムの姿は消えていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ダンスホールに明かりが戻った瞬間、眠れる獅子は跳ね起きた。
 飛来するテーブルを蒼い炎をまといし魔刀で両断する。
「……え!?」
 驚いたノルスが手を止めた隙に、グレイは一気に距離を詰めにかかった。
「く、来るなっ!!」
 慌ててテーブルを投げるノルス。再び一刀の下に両断するグレイ。
「来ないで来ないで来ないでっ! 来ないでったらぁっ!!」
 次々と飛来する巨大な凶器。そのうち、ネタが尽きたノルスは椅子にも手を出した。
 テーブルより軽いがゆえに、より高速で飛来する椅子を斬り捌くため、グレイの前進が止まる。
 そして、その膠着の隙をついてグレイの背後に隠れていたシュラが飛び上がった。
 きりきりと華麗に捻りと回転をかけて舞い上がり、ノルスを狙う。
「ラリオス暗殺術、鋼糸殺法、点の奥義、その十一、心点――」
 銀の糸を放とうとしたその刹那――いきなり、部屋の黒檀の扉が爆発した。
 それは本当の意味での爆発ではなかったが、少なくともそう形容する他はないほど威勢の良い破壊だった。
 周囲に撒き散らされる黒檀の木っ端に襲い掛かられ、思わずシュラの意識がそれた。グレイも同じく。
 ノルスだけが好機と見て咄嗟に霧に化け、姿を隠した。

 ―――――――― * * * ――――――――

「ほう、面白いことになったな」
 マルムークの突撃に合わせ、再びダンスホールが画面に映った。
 そこに健在なグレイの姿に笑顔を浮かべたクリスは、しかしすぐに顔をしかめた。
「……ゴン君は?」
「司祭なら、あそこに倒れておるな」
 伯爵が指差すのは、黒檀の扉をぶち破って獲物を確認するがごとくに周囲を見回している黒い鎧の背後だった。
 扉の脇の壁に蜘蛛の巣状のひびが入り、その下で倒れ伏している。
 クリスの表情が目に見えて硬張る。伯爵はその表情を横目で見ながら、低く笑った。
「――『コルファスの平穏』のおかげで、マルムークはわしが注ぎ込んだ魔力を全て失い、元の破壊の化身に戻ったようだな。皮肉なものだ……そのせいで奴らは危機に立っている。くっくっく」
「伯爵様、マルムークが暴走しすぎるとまずいのでは? 奴らの首が……」
「構わぬ。ああは言ったが、これはこれで面白そうだ」
「私が行ってマルムークを止めた方が」
「構わぬと言っておる」
「は……」
 主人の不興を感じ取り、頭を下げて引き下がるネスティス。
 その様子をクリスは少し眉根を寄せて見つめていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「何だ何だ。不躾なやろーだな。扉は開くもんで壊すもんじゃねーぞ」
 シュラの軽口に、グレイは変な顔をした。
「玄関の扉を『ブレイズ・バースト』で吹っ飛ばしたお前達がそれを言うのか」
 グレイの心の中の突っ込みを、壊された扉の向こうから顔を覗かせたデュランが代弁する。
 シュラは腕を組み、胸を張って答えた。
「俺達はいいんだよ」
「?」
 何かを聞き損ねたかと、デュランが少し考え込んだ隙にマルムークが動いた。
 咆哮。
 天井を見上げ、おのれを誇示するかのように、朗々と吠える。小山ほどもある魔獣があげるかのようなその野太い叫びに、ダンスホールがびりびりと震える。
 許容量を超えた音量に、愛の狂戦士部隊は耳を押さえて膝をついた。
 ひとしきり吠えたマルムークは、黄色に光る眼を足元に落とした。
 そこに転がっているのはジョセフとオブリッツ監査官。二人を縛めた魔法の糸はそのままだ。
 獲物を見つけたマルムークの兜の中から、ひときわ濃い瘴気が吹き出す。
 巨大な戦斧が振り上げられた。光を弾く刃。
「く……やばいぞっ!!」
 グレイが駆け出した。言われるまでもなく、シュラも銀の糸を放つ。
「っざけんなぁっ!!」
 鎧を身にまとうグレイの足で間に合うはずもなかった。
 シュラの銀糸も、狙われたジョセフを縛る魔法の糸を絡め取るのが精一杯だった。
 グレイ以上の重装備であるキーモなど、間に合うはずもない。
 無情の刃が落ち――フロアの床材が全て跳ね上がるような衝撃。砕けた石片が粉塵となって、一瞬マルムークの姿を隠す。
 その粉塵の一部は、赤く染まっていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「……何て、ことを」
 ジョセフを抱き、スライディングした姿勢のまま仰向いたストラウスは呆然と呟いた。
 視線の先にあるのは、胴を真っ二つにされたオブリッツ監督官。
 口から多量の血を吐いた高級官吏は、しかし、安堵したかのようににんまり笑っていた。


 狙われたジョセフを救うべく、自慢の駿足を飛ばして落ちかかるギロチンの下へと滑り込もうとしたストラウス。
 しかし、シュラが引き寄せただけでは届かなかった。呪文を唱えようにも時間はない。
 刹那、刃の向こうからジョセフの身体が押し出された。人の力ではその短時間にストラウスが受け止められる場所にまで押し出されるはずもない。
 ストラウスは見ていた。オブリッツ監査官が体当たりしてジョセフを跳ね飛ばし、代わりに刃の下へ入り込むのを。


 新たなる獲物を求めて、ストラウスを見やるマルムーク。
 再び振り下ろされる刃。
 しかし、今度はフロアを揺るがすことも断ち割ることもなかった。渇いた戟音が響いただけだった。
 刃は宙空で止まっていた。
「――ふざけるんじゃないぞ」
 怨嗟のごとき響きが刃の下から漏れ出た。
 刃を支えているのは見えない力場。その下にモーカリマッカの紋章を描いた盾。そして、それを支えているのは、唇の端から一筋血を流しているゴン。
 その背後には、二階の手すりを経由させて斧の柄に縛り付けた銀糸を引き絞るシュラの姿があった。
 さらにそこへライフサッカーの一閃と――
「マジック・アロー!!」
 キーモの放った数本の魔法の矢が叩きつけられた。
 切り裂かれた瘴気の向こうに見えた鎧に直接魔法の矢を受けたマルムークは、巨体に似合わぬ軽さで吹っ飛ばされた。
 悲鳴じみた雄叫びを上げてエントランスホールへと押し戻されるマルムーク。
「シュラ、奴からやるぞ!」
「応っ!!」
 グレイの声に応じ、シュラも駆けた。銀糸を回収しつつ、打ち破られた扉へと走る。
 そして、その向こうの光景を見た。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ストラウスはマルムークの咆哮で気絶しているジョセフの蜘蛛糸を『ディスペル・マジック』で解いて、オブリッツの元へ駆け寄った。
 ゴンも寄って来たが目で回復を訴えるストラウスに対し、首を振るしかなかった。
「ダメだ……内臓が根こそぎやられてる。こんなの、回復呪文をいくら使っても間に合わない。生きてるのが不思議なくらいで――」
 唇を噛み締める。
 キーモはそれを横目に、エントランスホールへと向かった。
「……それは私が……かなりヴァンパイアに近づいているからでしょう……皮肉な、ものです……ね……」
「オブリッツ監査官」
 ストラウスは監査官の上半身を抱き上げた。
「申し訳ない……皆さん」
 オブリッツ監査官は喘ぎ喘ぎ、八の字ヒゲを震わせながら微笑んだ。
「私に……もう少し剣の腕でもあれば…………このようなざまになる前に自ら命を断てたものを……ご迷惑を……おかけ、しました……」
「ナーレムに、操られてたんですね」
 ストラウスの言葉に、顔を歪めて頷くオブリッツ。
「信じてください…………決して……あの女の色香に迷ったわけでは……ない」
「ええ……ええ。わかってます。あなたは、最後まで本当の意味での公僕だった……実に立派で、優秀で……――言葉が、言葉が見当たらない」
「……ありがとう……ございます……」
 ゴンも傍に寄り添い、オブリッツの手を握る。
「自分の命を顧みず、田舎の一青年の命を救った。それがあなたの生き方だったと、王にも伝えます」
「……娘と……妻にも…………わた、し……は……人と……して……」
 オブリッツの瞳から、急速に光が失われて行く。言葉が聞き取り辛くなり、身体を支えるストラウスの腕にずっしり重みがかかってくる。
 耳を寄せるストラウスに、オブリッツは何事かを伝えた。
「……さあ、早く………………伯爵を……」
 光を失った瞳で、それでも微笑みながらオブリッツは息絶えた。
 死――それは、彼がまだ人間である証だった。

 ―――――――― * * * ――――――――

「おいおい……」
 シュラの軽口も、この時ばかりはそこで止まってしまった。
 エントランスホールは文字通りの血の海だった。
 傭兵部隊とヴァンパイアに捕まった者たち、計五十名以上の殺戮現場。
 とはいえ、原形をとどめているものは一体もない。そもそも、そこにいた人数がわからなければ、何人のパーツがその場所に転がっているか、わからないほどだ。
「全滅……か……」
 グレイも立ち止まって頬を引き攣らせていた。
「これは…………酷いな。戦場でもここまで酷いのは見たことがない」
「戦場じゃあ、ここまで無茶のできる奴がそもそもいねえだろ」
「そうだな。それより――」
 二人の視線はその血の海の中で立ち上がり、深呼吸をしている黒い鎧に向けられた。
 なにやら黒い霧のようなものが血の海から立ち昇り、吸収されている。
 シュラが腰を落とし、銀糸を引き出す。
「あのデカブツを――」
「――ぶった斬る」
 グレイがライフサッカーを低く構える。
 そこへ槍を小脇に抱えたキーモもやってきた。

 ―――――――― * * * ――――――――

『……しょせんは官吏か。愚かの極みだわ』
 ナーレムの吐き捨てる声がダンスホールに響く。
 ゴンが眉間に皺を寄せた。
『せっかくあと少しで死の呪縛から解放されたものを、むざむざガキ一人を助けるために投げ出すとは。ふん、最後の最後まで使えない奴』
「ふざけるなっ!!」
 ゴンは叫んで振り返った。
 ダンスホール正面二階のロイヤルボックスに、女吸血鬼が二人並んでいた。ナーレムは失ったナイトドレスの代わりに背後の赤いカーテンを引き裂き、巻きつけている。
「人の命を喰らう化け物ども……モーカリマッカの御名において、お前達を滅する!!」
「あたしの拳一発で今までおねんねしてた坊主が、何を言ってんだかね」
 指差して吠えるゴンを鼻で笑い飛ばすナーレム。その隣でノルスも嘲りの笑みを浮かべる。
「さっきはわたくし達二人に対してそっちは五人だったけど、今は二対二。今度こそわたくし達の恐ろしさ、思い知らせて――」
「……もういい」
 ノルスの声を遮って、ストラウスが立った。そのあまりに静かな声に、ゴンは怪訝そうに振り返った。
 鍬を拾い上げて肩に担ぎ、首を一つこきっと曲げるストラウス。
「伯爵戦を考えて、何とか魔法をセーブしつつやっていくつもりだったけど……もういいや」
 振り返ったストラウスの黒瞳が妖しい光を放っていた。
「てめえら、わかってるんだろうな」
 ナーレムとノルスは農民姿の魔法使いが放つ異様な雰囲気に、思わず声を呑んだ。
「古今東西、魔法使いを怒らせた馬鹿どもがどういう目に合ってきたか……――悪夢、見せてやる」
 一振りした鍬の先が二人に突きつけられた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「お前の相手は私だ」
 マルムークへ踊りかかった三人のうち、シュラの前に緑の騎士が床から出現した。
 慌てて後方へ宙返りして距離を置く。
 キーモとグレイはちらりと見やったが、そのままマルムークとの戦闘に入った。
「――何だ、てめえ」
 警戒感剥き出しのシュラ。
 一方、緑の騎士は恭しく頭を下げた。
「元ロンウェル王国騎士にして、現在はノスフェル伯爵様の亡霊騎士(スペクターナイト)デュラン。そなたであろう? 伯爵様の右腕を落したという糸使いは」
「ラリオス暗殺術継承者、シュラ」
 呟いて、口元の覆面を引き上げる。頭は下げず、構えも解かない。
「シュラか。いい名だ。……一つ、手合わせを願おう」
 剣を抜き、顔の正面で垂直に立てる。
「ガタガタうるせーよ、緑のトンチキ」
 シュラは唸って糸をくるくると指先に巻きつけた。
「雑魚のごたくはいいからさっさとかかって来い」
「無粋な」
「粋で戦えるか、バカ」
 デュランは前触れもなく動き出した。そして、それがわかっていたかのように、シュラも床を蹴った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 グレイが瘴気を切り裂き、キーモが槍で突く。
 しかし、甲高い音と共にその穂先は弾かれた。手に走る痺れにキーモが毒づく。
「なんやねん、この硬さはっ!」
「この巨体を支える鎧だ、分厚さも相当ということか」
 マルムークの振り回す戦斧がごおと風を生み、二人に叩きつけられる。
 二人は風に逆らわず、後ろへ飛び退った。鎧を着ている二人が簡単に数m後退させられた。
「……パワーも尋常じゃないな」
「なんかないんか、なんか手は」
「そういうのは傭兵より、冒険者の君達の方が場数を踏んでるんじゃないのか」
「アホー! 場数踏んでたかて、こんな奴は滅多におらへ――おおおわっ!!」
 キーモは慌てて横様に転がった。今立っていた位置に斧の刃が突き刺さる。
 飛び散った床材の破片がキーモを襲う。
「いたたたたっ」
 マルムークの唯一の弱点はその動きの鈍さにある。キーモを引きずり起こしたグレイは、そのまま柱の陰へと走り込んだ。
「お前はエルフだろう。さっきみたいに魔法を使え」
「アホ言え。効いてるかどうかわからんのに、無駄撃ちできるかい。ストラウスと違うて、こっちはそんなに余力あらへんのや。なんか知恵絞らんならんな」
「……そうだな。多少ダメージを与えても、回復してるみたいだしな」
「なんやて?」
 マルムークの様子をうかがっているグレイの横から顔を突き出す。たちまち、その耳がへなへなと力なく萎れた。
 黒い巨鎧は血の海の真ん中で吠え、新たな瘴気を補充していた。
「うーわー……あかんやん」
「あれでは、いくらこいつで斬ってもきりがないな。何か方法はないか」
 キーモは顎に指を当てて考え込んだ。
「……要はミスマッチなんやな。わしらでは無理っちゅうこっちゃ」
「しかし、それを言い始めたら――」
「そもそもあの手のは、普通の武器では倒せへん。本来やったら魔法使いとか、司祭の出番や」
 二人の視線は、自然とダンスホールの方へ向いた。
「なるほど。では、戻るか? ヴァンパイアなら、こいつで斬れる。それは証明済みだ」
 グレイはいたずらっぽく唇の端を歪めた。キーモも頷く。
「せやな。それがええやろな、ストラウスらと相手をチェンジ――て、おわっ!!」
 柱の向こうで、マルムークが巨戦斧を振り上げていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「斬の奥義その八、三日月!」
 シュラの手から銀の糸が三日月型になってデュランに襲いかかった。
 ふん、と鼻で嗤われ、軽く剣で払われる。
 その時には、シュラはすでに空中にあった。
「――我に空中戦を挑むか」
 すーっと垂直に浮き上がったデュランは、空中で次の技を仕掛けようとしていたシュラに襲い掛かった。
「人は宙空を飛べぬ! それが道理」
 ふん、とシュラが鼻で嗤い返した。
 デュランの剣先からシュラの姿が消える。
「なに!?」
 シュラはデュランのさらに上まで跳ね上がっていた。
「バカな――」
 次の技を仕掛けようとしていたのではなく、頭上の巨大燭台に糸を絡ませていたのだと気づいた時には、シュラの技が発動していた。
「点の奥義その十五、蛇牙波槍!」
「ぐおっ……!!」
 シュラの左手から放たれた幾条もの波打つ銀糸がデュランを貫き、その勢いのまま床に墜とした。

 ―――――――― * * * ――――――――

 子牛ほどもある狼と、胴部が大型犬ほどもある大蝙蝠が一斉に襲い掛かってくる。
「去れ、悪霊よ! 夜の下僕共よ! リパルス・アンデッド!!」
 退魔の閃光はしかし、獣特有の素早い動きで躱された。
 驚いている間に、横合いから狼の突進を受けてゴンは跳ね飛ばされる。
『おほほほほほ、鎧着てるくせに軽い――』
 軽口を喚く狼の横っ腹に魔法の矢が五本、立て続けに着弾する。
「げふう」
 身体を横様に『く』の字に折って吹っ飛ぶ狼。
 かばうように急降下した蝙蝠が呪文を放ったストラウスに襲い掛かる。
『よくもお姉様をっ!』
 見えない力場が発生した。
 ストラウスは硬い壁にぶつかった時の感触を味わいながら、後方へ吹っ飛ばされる。吹っ飛ばされながら、呪文を唱えた。
「――マジック・アロー!!」
 ざらりと現われた輝く光の矢は一瞬の間も置かず、大蝙蝠に襲い掛かった。
 ブタの泣き声のような声を残して、これもまた軽々と吹っ飛ぶ。吹っ飛びながら、霧に姿を変える。
 床に叩きつけられながらも、身体をゴロゴロ転がせて威力を低減しつつ体勢を立て直したストラウスは、鼻の奥に血の気配を感じて舌打ちを漏らした。
(くそ、噛み合わせが悪い。正味のどつきあいになれば、こっちに分がない。それに――)
 頭を振り振り立ち上がろうとしているゴンの背後に、霧が集まるのが見えた。
「ゴン、後ろだっ!!」
『――あなたの後ろにもね』
 うなじの毛が逆立つようなざわめきを覚え、咄嗟に振り返る。
 その瞬間、女の爪がストラウスの右肩に突き刺さっていた。
「ぐ…………ぬ――ぬぁぁぁりゃあああっっ!!」
 漏れかかった苦鳴を意地で噛み殺し、そのまま身体の回転ごと小脇に抱えた鍬を振り回す。
 予想外の動きだったのか、女が躱す間もなく鍬の刃がまともに顔を削いだ。
「ぎゃあっ!!」
 顔を押さえてのけぞり倒れるナーレム。べちゃりと嫌な音をたててその足元に落ちる顔。
 ストラウスはその間に駿足を生かして、距離を置いた。
 すぐに顔の欠片を拾い上げたナーレムは、それを傷口に押し当てて元の通りに治した。
「き、貴様ぁぁぁ……あたしの、あたしの美しいこの顔を……鍬ごときでぇぇぇぇっっ!!」
「鍬ごとき? 鍬をバカにするな」
 ひゅんひゅん、と右肩の傷を感じさせない華麗な動きで、鍬を『∞』の字に振り回す。
「およそ人が食する物の半分は、この鍬の一掻きから始まる。残りの半分は猟師や漁師の領分だが……鍬とは、人が大地という強大な試練に打ち勝つために作り出された最強最高の道具なのだ。見ろ、この機能美の極致。人を傷つけるだけでろくに野菜も切れないような剣と一緒にするな」
「……そうだ。しょせんは道具のはず。なのに、どうしてあたしを傷つけた?」
 まだ接合部を押さえたまま、ナーレムは機能の復帰を確かめるように顔をしかめた。
「あたしはヴァンパイアなのよ? 道具ごときで傷つけられるはずなど――」
「愚か者め」
 振り回していた鍬をがっしり肩に担ぎ、一歩踏み出す。
「鍬を嗤う者は、鍬に泣く。鍬は、剣など及びもつかぬほど人々の手に行き渡っている。考えたことがあるか? 戦士と農民、どちらが多いか。数えたことがあるか、一国の中にどれほどの農民がいるか。そしてそのそれぞれが、一体どれほどの農具を所持しているかっ!! 剣など、そう、剣など及びもつかないのだよっ!!」
 全身を震わせるように叫び、意気揚々と鍬を突き出すストラウス。
「ま、まさか……」
 愕然として半歩後退るナーレム。
「そうとも! この鍬、無銘なりといえども魔法が――」
「何やってんだよ、ばかっ!!」
 今しも勝ち誇りの頂点を極めようとしていたストラウスに、背中からゴンが体当たりをした。
 突き飛ばされたストラウスが振り返った瞬間、ゴンの前に張られた見えない力場で何かが弾けた。
「――なんだ!?」
「さっきからこうなんだ! あの蝙蝠、見えないブレスか何かを吐いて――」
「農民かぶれの魔法使いなどっ!!」
 襲い掛かるナーレム。体勢を崩したままのストラウス。ゴンは振り返れない。
 刹那、両者の間を、黒と緑の旋風が駆け抜けた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「なに!?」
 思わず身を引いたナーレムの前で、シュラとデュランの戦闘は続けられていた。
 デュランの繰り出す剣をトリッキーな動きで躱すシュラ。だが、時折避け損ねて切り傷が生まれている。
 シュラの繰り出す変幻自在の斬銀糸を、スペクター特有のあらゆる物理法則を無視した動きで躱し続けるデュラン。そのヘルムの奥で輝く紅い光は、これまでにないほど嬉しそうに輝いていた。
 二人はついては離れ、離れては接近しながらダンスホール狭しと暴れ始めた。
 あらゆる足場と銀糸での移動を使い、ノルスが化けた大蝙蝠よりも的確かつ俊敏に宙を舞うシュラ。
 そのシュラに負けず劣らず、高速で空中を自在に飛び回るデュラン。
「あ、あやあや、あわわぁ」
 二人の動きに、ノルスが巻き込まれた。
 行き場を失ってまごまごしていた大蝙蝠は、シュラに一言
「邪魔だ」
 と言われるなり銀の糸でばっさり片翼をやられてあっという間に落下した。
 その上、デュランまでが
「御免」
 の一言でノルスを空中の踏み台替わりにした。
「ちょ、デュラン――」
 ノルスの悲鳴じみた抗議の声も届かず、デュランとシュラの衝突は激しくなるばかり。
 床に叩きつけられて元の少女に戻り、斬られた肩を押さえたノルス。そこへ現われたナーレムは苦々しげに舌打ちを漏らし、ノルスを連れてロイヤルボックスへと戻る。
「これじゃあ、あたし達が戦えないじゃないの。何やってんのよ、あのバカ」
「あんなデュラン、見たことない……」
 ノルスの表情に怯えが走る。
 それを見たナーレムは、ため息をついた。
「元々デュランはああいう奴なのよ。城の中では諍いがないし、外敵はマルムークが根こそぎやってたから、穏やかに見えてただけで……しょせんは破壊衝動の塊、スペクターなのよ」
 それより、とナーレムは驚愕の眼差しを黒い少年に向けていた。
(デュランの剣技をあそこまで凌ぐだけでなく、ずっと空中戦を続けられる……何者なの?)
 その答えを考えつくより早く、新たな騒ぎが起きた。
 エントランスホールから、残りの二人が戻り――それを追ってマルムークも突入してきた。
「お姉様……」
 不安げにナーレムを振り仰ぐノルス。思わずナーレムは呟いた。
「本当にね……どうなるのかしらね、この戦い」

 ―――――――― * * * ――――――――

 打ち壊された扉から吹き飛ばされたように戻ってきたグレイとキーモ。
 派手に転がるキーモ、転がったもののすぐに態勢を立て直したグレイ。
 ゴンとストラウスが駆け寄った。
 グレイの表情がやや疲れているように見える。
「大丈夫か?」
「一応な。だが、あれは俺達の手には負えん」
 グレイの呻きに、キーモも補足する。
「エントランスホールの柱、片側半分を根こそぎ倒しよった。こいつの剣一本でどないかなる相手やないで」
「あの動きのとろさだ。魔法を使えるお前さんがたの方が噛み合うんじゃないか?」
 グレイの提案を聞いたストラウスは、ちょっと考え込んで言った。
「――実はこっちも困ってる」
「ほう?」
 グレイの口許に笑みが浮かぶ。
「相手の動きが俊敏で、追尾式の『マジック・アロー』以外、魔法が当たらない。おまけに結構こっちもやられる。そもそもこっちは魔法使い、学究の徒なんだ。ガチンコは不得意っていうか、そういう野蛮なことはやりたくないんだがな」
「それは奇遇だな。そういう方が得意だ」
「それじゃ、交換するか?」
「承知した」
 軽く手を叩きあって頷く。
 丁度マルムークが入ってきたところだった。頭上では黒と緑の旋風がぶつかり合っている。
「じゃあ、キーモは俺と奴を。ゴンはグレイと組め」
「なんでやねん」
 自分もヴァンパイアの方へ行くものだと思っていたキーモの耳が跳ね上がった。
「ちょっと考えがある。それに、グレイの疲労が結構たまってるみたいだ。回復役がいた方がいい」
「俺の回復は誰がしてくれんねん」
「あいつに捕まったら、その時点で死んでる。ゴンでは力不足だ」
 不服そうに耳を萎らせて口を尖らせるキーモ。
「とにかく、これがベストだ。迷ったら死ぬぞ」
「言われるまでもないわい。――くそ」
 憎々しげに吐き捨てて、槍を握り直す。
 マルムークが雄叫びを上げながら突進してくる。その姿、10日ほど前にグラドスの港で戦ったミノタウロスのヒュージタイプを思い出させる。しかし、その威圧感は比べ物にならない。
「そんじゃま、行きましょうかね」
 旅に出るかのような気安さで呟くと、ストラウスは黒鉄の城塞めいた敵に向かって駆け出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 魔法使いとエルフがマルムークに向かい、戦士と司祭がこちらへ向かって来る。
 ナーレムは歯を軋らせ、上空の戦いを見上げた。
「デュラン! いい加減になさいっ!」
 ひときわ激しく弾け飛んだ緑と黒の旋風は、それぞれの味方の元へと降り立った。
「お呼びになったかな、レディ?」
 剣を握り締め、階下の黒装束の少年を見つめたまま、緑の亡霊騎士は訊いた。その口ぶりは明らかに高揚しきっている。かつてないほど、戦いを楽しんでいる。 
「失礼、奴から目を離す訳にはいかぬゆえ、このままでの会話をお許しいただきたい」
「それはいいけど、あんたたちがそこで暴れてるとあたし達が戦いにくいのよ。どっか他所でやってちょうだい」
「他所、といわれましても」
「……この奥でやればいいじゃない」
 少し目を離し、ノルスの声に応じる。少女はナーレムが破ったカーテンの奥に続く通路を指差していた。
「この奥なら、部屋も狭いし壁抜けのできるあなたが圧倒的に有利になるんじゃなくて、デュラン?」
 デュランは束の間、黙り込んだ。
 その思考を読んで、ナーレムが険しい顔になる。
「正々堂々とか考えてんじゃないわよ、バカ。今は奴らを倒すのが先決でしょ」
「正々堂々を極めてこそ騎士。……とはいえ、レディのお邪魔を続けるのも騎士道に反する。ノルス殿の申し出、受けさせていただこう」
 デュランはロイヤルボックスの縁の手すりに足をかけた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ゴンとグレイの前に着地するなり、シュラは片膝を着いた。
 身体中切り傷だらけになっている。
「シュラ、大丈夫?」
 駆け寄ったゴンがすぐに回復呪文をかける。
「大丈夫じゃねえ。奴に斬られたところの反応が鈍い……麻痺してるみたいだ」
 頷いて、麻痺中和の回復呪文もかける。
「スペクターだからね。多分斬る度にそこから生命エネルギーを奪ってるんだと思う。……大丈夫?」
「何とかならねえか? こっちは銀の糸しか当たらねえ。ダガー(短剣)も拳も、蹴りもすり抜けちまう」
「ん〜……」
 少し考え込んで、ゴンはシュラの肩をつかみ新たな呪文をかけた。
「ゴッド・ブレッシング」
 ほわん、と白い光がシュラを包む。
「シュラ自身にかけた。これでシュラの拳も、蹴りも、体当たりもあいつに効くはず。でも、あいつ自身の攻撃を防げるわけじゃないから気をつけて」
 自分の身体を包む仄白い光を見ながら、シュラは眉をたわめた。
「……この光は何とかならんのか。陰に潜めん」
「もともと派手好きでしょ」
 鋭い突っ込みに目を逸らしつつ、立ち上がった。
 そこへ、デュランの声が響いた。見れば、ロイヤルボックスの手すりに片足をかけてシュラを呼んでいる。
「黒装束の強き者よ、ついて来い。我らにこそ相応しき場所で、この楽しき、実に楽しき決闘を続けようぞ!」
「……そんな見え透いた罠にわざわざ飛び込むほど、バカに見えるのか、俺は」
「我が騎士道にかけて、そのような卑劣な真似はせぬ。ただ、ここで戦いを続けるは、こちらにおられるレディ達に迷惑をかけるのでな。そなたも武を嗜む者なら、その程度の礼節をわきまえているだろう?」
「バカだな」
 シュラの呟きに、ゴンも頷く。
「うん、バカだね。暗殺者に礼節って……」
「お前らはどうなんだ?」
 シュラはデュランを睨んだまま、背後の二人に聞いた。
「どっちでも構わん」
「……あの二人と戦ってる時に、あいつの邪魔が入るかもしれないのは困る、かな」
「わかった」
 シュラは銀の糸を放った。デュランが足を置いている手すりに絡ませ、それを引き絞りながら跳ぶ。
 デュランはその態勢のまま、滑るように背後へと移動した。人が二人通れる程の通路へと入って行く。
 ロイヤルボックスに跳び込んだシュラは、そこで殺意に目を閃かせる二人の女吸血鬼にちらりと視線を送った。
「――今は見逃してやる」
「く――」
 なぜか歯噛みしたナーレムが文句の言葉を継ぐ前に、シュラも通路へと姿を消した。

 ―――――――― * * * ――――――――

「ナーレム姉様、何で? 今、あいつを金縛りにすれば、二人で労せず――」
「……気づいてなかったの、ノルス?」
 ロイヤルボックスの縁へ進み出るナーレム。階上から、階下の司祭と戦士を見下ろす。
「あいつがここに巻きつけていた銀の糸……あいつがここへ乗り込んでくると同時に、目の高さで輪切りに出来るようあたし達の頭の周りにぐるっと回されていたのよ?」
「ええ!?」
 ノルスは慌てて頭の周りを手で払った。
「もうないから安心なさい。それより……やるわよ、今度こそ」
「は、はい。あの司祭と戦士を血祭りに上げてやりましょう、お姉様!」
 二人は再び姿を変えた。子牛ほどもある大狼と大型犬ほどもある大蝙蝠に。



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