愛の狂戦士部隊、見参!!

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第五章 血戦 (その4)

「うわ、ひっろー……」
 キーモの声が、空しく暗がりに響く。
 確かに、そのエントランスホールは広いの一言に尽きた。
 二階吹き抜けの広大なホールは、おそらく首都のグラドス城エントランスホールより大きく壮麗だ。ここで盛大なダンスパーティが開けるほどに。
「田舎貴族の城にしては、大きすぎないか?」
 グレイの訝しげな口調に、ストラウスは頷いた。
「……ノスフェルの家系ってのは代々見栄張りなのかね。いずれにせよ、明かりがないと――」
 その言葉に反応したかのように明かりが急に灯り、ホールの全景が明らかになった。
 光源は両側の壁に設置された三叉の燭台、そして天井からぶら下がる三段重ねの巨大な円形燭台二基。そのそれぞれに並んだろうそくに炎が揺れている。
 ホールは二階吹き抜けの長方形だった。壁に沿って空中通廊が走り、それをアーチ式の柱が支えている。そこに弓兵でも揃えておけば、突入して来た敵を四方から狙い撃ちできるだろう。
 正面には巨大な肖像画がかかり、その下に大きく重たげな黒檀の扉が一行を待ち構えるかのようにどっしりと構えていた。その扉の両側からは階段がカーブを描きながら空中通廊へつながっている。
 そして、一行の足元からその扉へ向かって目にも鮮やかな緋毛氈が伸びていた。両側には、なぜか銅像のない台座が幾つか並んでいる。
 驚いて各々の得物を握っていた一行だったが、それ以上の変化はなかった。
 ストラウスは少し唇を噛んで、鍬を下ろした。
「自動的に着火する魔法でもかかってたのか、それとも……こっちの話を聞いていたのかね」
「どちらにしても、油断ならんな」
 グレイも腰のバスタードソードから手を放す。
 その時、シュラが顔をしかめてストラウスの肩をつついた。
「おい、ストラウス。あれ」
 シュラが指差した先、真ん中辺りの台座の陰にでろりと力なく横たわっている人影があった。
 ストラウスとシュラは顔を見合わせ、頷き合う。
「罠臭いな――って言ってるのに、おい!!」
 二人で頷いている間に、チョコチョコっと近寄っていったキーモが、その人影を槍の穂先で突っついていた。
「大丈夫や。死んでるみたいやで?」
「そりゃ、ここは吸血鬼と化け物どもの巣だからな。つーか、死体に襲われる場所なんだぞ、ここは。何でそんなに無頓着なんだ」
 憮然とした面持ちでシュラが吐き捨てる。
 残る四人もホールの中ほどまで歩を進め、改めてそれを見る。
 装備から見て、軽装の戦士か盗賊の類だろう。無残にもその右脚は失われていた。左膝と両肩もおかしな状態になっている。
「死んでるね」
 目の横に指を当てたゴンが、キーモの見立てを補足した。その眼が緑色に輝いている。
「邪悪な影は見えない。少なくとも、ゾンビだとかヴァンパイアの『犠牲者』ではないみたいだ。安全だよ」
「そうか」
 頷いて、ストラウスはその死体の傍に膝をついた。うつ伏せのその身体を仰向けると、グレイが呻いた。
「……ギゼー。第三部隊にいたギゼーだ。だが、何故ここに?」
「確か、今日の昼間に傭兵部隊も何人かさらわれよったやろ。その一人とちゃうか?」
「そうだろうな」
 キーモの予想にストラウスが頷く。
 その間に、シュラが死体の状況を手早く調べた。
「……ひでえな。右足が引きちぎられて、左ひざと両肩を砕かれてやがる。死因は……失血てとこか。どこかでやられて、執念でここまで這いずってきたんだろう。この膝と両肩で……見上げた根性だぜ」
 シュラにしては珍しく神妙な口調で漏らしつつ、辺りをぐるりと見回す。
 その後ろで、ゴンが手を合わせて死者の冥福を祈っていた。グレイも目を伏せて胸に拳を当てている。
 ストラウスは指先で、ギゼーの胸を突っついた。
「もう少し早く来てれば、聞けたかもしれないな。……みんなが囚われている場所を」
「聞いてみようか?」
 友達に聞くかのような気安いゴンの一言に、全員が振り返った。
「死者の魂と話できる呪文があるんだけど。でも、あんまり長くは話せないよ?」
 ストラウスが手づちを打って頷いた。
「ああ、『デッドトーク』か。その手があったな。だが、大丈夫か?」
「古い霊だと曖昧な話しか聞けないけど、まだ死んで間もないから意識はしっかりしてるはず。じゃあ、やってみるよ」
 ストラウス、シュラと入れ代わって死体の傍に膝をついたゴンは、すぐに呪文を唱え始めた。
「死せる者の最後の息吹よ、今ひとたび戻りたまえ。死せる者の最後の思いよ、今ひとたび蘇りたまえ。死せる者の魂よ、今ひとたび還りて我にその声聞かせたまえ……――デッドトーク」
 かざした手が仄かに光る。
 やがて、死体から煙のようなものが立ち昇り――人の形となった。
『……もう少し……もう少しで外へ出られるんだ……』
 煙のようにたゆたうそれは、呻いた。
「ギゼー、お前はもう……」
「しー……」
 思わず声をあげようとしたグレイに、ゴンが唇に指を当てて黙らせた。
 そして、その霊魂に向き直る。
「……ギゼーさん、ギゼーさん」
 ゴンの声に、霊魂は反応した。
『……君は? 司祭か? それに、俺は……』
 ゴンは答えず、ただギゼーを見つめた。見つめ返すギゼー。
 やがておのれの立場を悟ったギゼーは、悲痛な面持ちで頷いた。
『そうか……俺は…………死んだのか……死んで……しまったのか……』
「こうして話せるのは、そんなに長くではありません。あなたにお聞きしたいことがあります。あなたと一緒に捕まった人たちのことです。何か知っていますか?」
 ギゼーは頷いた。
『ああ、知っている。……いや、それぞれがどうなったかは知らない。だが、おそらくはほとんどがもう……』
 グレイの表情が険しくなる。
「一体何があったんですか?」
『それは……』
 ギゼーは話し始めた。地下で起きた惨劇を。おのれの最期を。

 ―――――――― * * * ――――――――

「遅かったな、ネスティス」
 地鳴りのごとき低く陰鬱な声が女騎士とクリスを出迎えた。
 玉座のある大広間の裏、本来なら謁見の間へ出る前に身だしなみを整えるための小部屋に佇む魔王。
 その姿にクリスは思わず足元から凍ってゆくのを感じた。
 這い上がる悪寒と鳥肌。膝が恐怖に震え、一歩も進めなくなる。
「申し訳ありません」
 ネスティスは頭を下げただけだった。
 クリスと話していたことも、クリスが来る道すがら折をみては姿をくらませようとして、無駄に時間を浪費させられたことも話さない。そのことに、クリスは軽く驚いた。
「奴ら、城門を突破しおったぞ。……今、玄関ホールでなにやらしておるようだ」
 愉快げに笑みを浮かべた伯爵。その目は、正面を見ている。
 部屋の中央に置かれたクリスの顔ほどの高さの台の上に、おのずから光を放つ水晶が設置されていた。その光は正面の壁に投影され、玄関ホールの様子を映し出していた。
「あの城門を? 生身で突破したのですか」
「思ったより頭が働くようだな。ここまでのところ一人も脱落しておらぬ。見上げたものよ。……さすが、奴らの弟子、と褒めておくか」
「じゃ、じゃあグレイも無事なのね!?」
 急に叫んだクリスに、ノスフェル伯爵の唇がさらに嬉しげに歪んだ。
 ぎろり、と動いた伯爵の眼がクリスを射抜く。
「クク……健気よな。だが、城内に入ったからにはもはや奴らの命運は尽きた。後はここで、八つ裂きにされるのを見るのみ。覚悟しておくが――」
「うるさいっ! グレイがあんたなんかに負けるもんですかっ!!」
 先ほどまでの恐怖に震える娘の表情はなくなっていた。そこに愛する人がいるだけで、勇気を得たかのように。
 その変わりようを伯爵は楽しみ、ネスティスは訝しむ。
 失礼を咎めようと振り返りかけた女騎士を、伯爵はごつい手を挙げてとどめた。
「吠えるな、娘。うぬの思い人が何者であろうとも、人である限り我が配下に勝てる道理はない。よしんば、奴らを倒せたとしても、わしには勝てぬ」
 その言葉にクリスは答えず、ただその瞳の炎を燃やして伯爵を睨みつけている。
 むしろその両者の脇で表情を変えたのはネスティスだった。眉をひそめて、伯爵を見やる。
 しかし、伯爵はその視線に気づくことなくクリスに向けて続けた。
「ここで見ておれ、クリス=ベイアード。思い人の哀れな末路をな。うぬが絶望のそこに叩き落とされたその時にこそ、うぬの魂までも喰らい尽くし、堕としてくれようぞ」
「グレイも……ゴン君も、あんたなんかに絶対負けない。もちろん、あたしだってっ!!」
「それは、実に楽しみだ。ククククク、ぐふはははははははははは」
 狭い室内に、轟雷のごとき哄笑が響き渡った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ギゼーの語った話に、一行の雰囲気が怪しく揺れていた。
「……人間狩りか。何で貴族ってのはこう悪趣味なことを……」
 ぼそりとシュラが漏らした声には怒りが満ちている。
「けどまあ、さらわれた連中の半分ぐらいはまだ生きている可能性がある、ということはわかった」
 眼を細めたストラウスの言葉に、すっかり蒼ざめていたグレイが顔を上げた。
「何故わかる?」
「連中はわざわざ殺すために捕まえたわけじゃない。二つの理由がある。一つは血の渇きを癒すため、もう一つは戦力にするため。いずれの場合にしろ、ヴァンパイアに噛まれた人間はすぐ吸血鬼になるわけじゃない。例え一度で血の全てを吸い尽くされて殺されたとしても、復活するまで一晩二晩はかかる」
「そうか。今晩噛まれたとして、今晩襲ってくるわけではないということか」
「そして、やつらが反撃を受ける危険を冒してまで傭兵部隊や衛兵に手を出した以上、さらわれた人間の内の相当数は殺されることなく、ただ口づけを受けただけだろうと推測できる」
「どういう意味だ?」
「もし、血を吸い尽くしていたら復活までは完全に死んでるわけで、戦力には出来ない。まして、そんな『犠牲者』は蘇ったところでゾンビと同じ。生前の記憶も知性もない、まさに血に飢えた野獣なわけだから、わざわざ傭兵を選んでさらう必要はない」
「必要なのは傭兵の腕と経験、頭脳、ということか」
「高いレベルでの戦闘技術を持ち、無限の再生力と絶対の忠誠心を持つ兵士になるからな。けど、そのためには血を吸い尽くさず二度、三度と呪いの口づけを与えることで心と魂を堕とし、仲間にするしかない」
「なるほど。つまり、さらわれてまだ半日ほどしか経っていない今なら、堕ち切ってない可能性が高いということだな」
「そういうこと。そいつらは口づけを与えた吸血鬼さえ灰に返してやれば呪いが解けて元に戻れる……クリスはともかく、ジョセフに関してはそっち側に入っていることを祈るしかないけど」
「ちょっと待て」
 喜びかけていたグレイは、顔をこわばらせてストラウスの肩をつかんだ。
「何でそこで、クリスを外す」
 ストラウスは何でそんな当たり前のことを聞くんだ、と言いたげに顔をしかめた。
「クリスは伯爵に連れて行かれたからだよ。わざわざ伯爵が自ら迎えに行くような獲物を、下っ端が喰うわけないだろ。で、あの悪趣味なロリコンエロオヤジのことだ。どうせ、助けに来た俺達がやられる様を見ながら、クリスの血をすすろうとか考えてるはず。だから、クリスはまだ無事だ……と思う」
「信じるぞ」
「保証はせん」
「構わん。信じる――あいつは、まだ無事だ」
 グレイの表情に、再び生気が戻る。
 それを横目にしながら、ストラウスは内心でため息をついていた。
(……問題はそこより、そういう連中は傀儡(くぐつ)の術がかかりやすくなってるから、敵に操られて俺たちに襲い掛かってくるかもしれん、ということなんだけど……さて、言っていいものかね)

 ―――――――― * * * ――――――――

「ありがとう、ギゼーさん」
 グレイとストラウスのやり取りを背に、ゴンはギゼーの霊魂に頭を下げた。
 傍らではシュラがスミスにもらった地図を折りたたんで懐に収めている。
「これで地下迷宮浅部の状態はおおむね把握できた。さすが……同業者。助かったぜ」
「あなたたちの無念、僕らが必ず」
 ゴンが拳を突き出して頷く。
 ギゼーも頷き返した――その足元が揺らぐ。本人も気づいたらしく、少し顔をしかめる。
『ああ……もう時間のようだ。そうだ……司祭殿、頼みがある』
 ゴンは心得ている、とばかりに頷き返した。
「はい。……どこのどなたに、何と伝えれば?」
『ありがとう、司祭殿……』
 ギゼーは微笑んで、最期の言葉を紡ぎ始めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ゴンがギゼーの霊と話している間に、傭兵部隊が到着した。
 ホールの中の一行を見つけて、どやどや踏み込んでくる。
 先頭のシノは、さすがにうんざりした顔でエルフに近づき、言った。
「指揮官……どうしてそう先走られる」
「あほう。お前らが遅いんじゃ。ごちゃごちゃやっとらんと、だーっと行ってがーっとやったらええやんけ」
 腕組みをしたキーモは、不満げに口を尖らせる。
 シノはやるせなげに首を振った。
「こうした邪悪な存在と一戦を交える場合は、気をつけて折々に人員確認しておかねば、後ろから消えてゆくということがよくある。戦力の逐次把握は必要ですぞ」
「わしの性に合わへんなぁ。――ほんで、何人やられてん」
「……幸い指揮官殿たちの活躍で、全く。全戦力がほぼ温存できておる」
「――それじゃあ、ここから活躍してもらおうか」
 話に割り込んできたのは、ストラウスだった。指先をくいくいと動かしてシュラを招く。
「とおっしゃると?」
 キーモ同様顔をしかめているシノ。
「僕らはこのまま奥へ進む。傭兵部隊は隊を分けて地下へ入り、伯爵達の棺を探してくれ。そっちにも司祭も盗賊もいるみたいだから、見つけて浄化も出来るはず――シュラ、地図を彼に渡して」
「ちょっと待――」
「ちょっと待ったらんかーい!!」
 シノの声を遮ってキーモが叫んだ。
「それはないやろーが!! それはぁ!!」
「そうだそうだ、俺達の希望を奪う気か貴様ー!!」
 キーモに続いてシュラまで必死に喚く。ストラウスはじと目で二人を睨んだ。
「……希望ってなんのことだ」
「あ、いや、えーと……」
「そのー、なんやな。あれやあれ」
 たちまち二人はしどろもどろになって視線を逸らした。
「まあいい。……とにかく、ここから先は敵の主力である、亡霊騎士と女吸血鬼どもが問題になってくる。あいつらをどう捌くかだ」
 シュラとキーモは渋々頷く。ストラウスの背後ではグレイも頷いていた。
「奥へ進めば、連中は伯爵を守るために僕らを襲いに来る。そうすれば傭兵部隊は比較的安全に棺を浄化できる」
「逆も考えられますな」
 シノが静かに言った。ストラウスは怪訝そうに片眉を持ち上げた。
「ノスフェルの強さを信じ、わしらを先に討ちに来るやも知れぬ。さればどうする?」
「どうするじゃなくて、そっちで倒せよ」
 苛つきを隠さぬ口調で、ストラウスはシノを睨みつけた。
「よもや出来ないとか言うなよ? そっちの戦力はざっと見たって三十人。しかも全員こっちより年上、中には二倍から三倍年取っている人もいるんだ。無駄に年喰ってきたわけじゃないだろ?」
「これはまた手厳しい。……キーモ殿以上ですな」
 シノは苦笑してつるつるの頭を撫で上げた。
 ストラウスはにこりともしない。
「それに、そうやって敵の主力がそっちへ行ってくれれば、僕らはさしたる邪魔もなく伯爵にたどり着き、さっさと奴を倒せる。そっちが全滅してたら、後で僕らがケツを拭けばいい」
「そっちがやられたらいかがする?」
「僕らは負けない」
 根拠も何もなく言い切るストラウスに、シノは苦笑が消せない。
「了解した。では我らは――」
「――やれやれ。来るとは聞いておりましたが、このような大人数は聞いておりませんぞ?」
 エントランスホールに響き渡る声に全員の動きが凍りついた。
 特に愛の狂戦士部隊は、眼が点になるほどの驚きようだった。
「……シュラ? 今のは空耳、か?」
 奥の扉に背を向けているストラウスが顔を強張らせたまま、傍らのシュラに訊く。
 同じく背を向けているシュラはゆっくりと首を振った。その頬がひくひくと引き攣る。
「いや。俺の耳にも聞こえた……聞き覚えのある声、だよな」
 その時、ギゼーの霊魂を送り終えたゴンが声の主を見つけて声をあげた。
「え…………ちょ……何であなたがそこに」
 ストラウスと向かい合わせのキーモでさえ、腕組みをしたままあんぐり口をあけて絶句している。
 シノもびっくりした表情のまま固まっている。何か手に持っていれば、間違いなく取り落としていただろう。
「……何故だ」
 グレイだけが形相も険しく腰のバスタードソードに手をかけていた。敵を威嚇する狼のように唸る。
「何故、あんたがそこにいる…………答えろ、オブリッツ監査官!!」
 その叫びと共にストラウス、シュラが振り返った。
 黒檀の重々しげな扉の前に、男が立っていた。
 きっちり着こなした正装、手入れされた八の字ヒゲ。一同の驚きを快さげに薄笑うその男――メイジャン=オブリッツ北方領地監査官だった。

 ―――――――― * * * ――――――――

「何故、ですか」
 オブリッツは首をひねった。その仕草。敵に回ると実に嫌味ったらしい。
「難しい御質問ですな。この場においては、色んな意味を持つ。さて、なんと答えたものか……とりあえず、今のわたくしはカイゼル=フォン=ノスフェル伯爵様の執事を任ぜられております。おいでになると仰られていた愛の狂戦士部隊の皆様をもてなすため、ここに参上つかまつった次第でございます」
 丁寧に頭を下げる。
「答えとしてはこんなところですか。……しかし、その後ろの方々は招いた憶えも、来ると御連絡があった憶えもございませぬ。直ちにお立ち去りいただきたい」
「……そうはいかぬ、と言えばどうするのだ。監査官殿?」
 ショックから立ち直ったシノが、傭兵部隊を代表して切り返す。
 返答は爽やか過ぎる笑顔。
「もちろん、正当なる権限によりてあなた方を排除いたすだけでございます」
 ぱちん、と指を鳴らす。
 途端に玄関に重い落し戸が落ちて逃げ道を塞ぎ、次いでエントランスホールの窓という窓を突き破って何かが飛び込んできた。
 傭兵部隊は咄嗟に円陣を組んだ。
 周囲を囲む人、人、人。そのいずれもが正気を失った面持ちでいる。
「く、『犠牲者』か?」
「ゾンビもいるようだな」
「グール(喰屍鬼。文字通り死体を喰らうモンスター)じゃないか、あれ?」
 飛び交う会話を打ち消すように、高らかにオブリッツが続ける。
「ゾンビ、『犠牲者』、グール、それに傀儡(くぐつ)。元のお仲間を殺すのも、元のお仲間に殺されるのも一興。悲嘆と懊悩の末に悲劇を演じ、せいぜいノスフェル伯爵様を楽しませてください」
 そして、再び慇懃な仕草で頭を下げる。
「……オブリッツ!!」
 剣を抜き放ったグレイが駆け出した。
 それを見たストラウスが、叫ぶ。
「愛の狂戦士部隊、行くぞ!」
 にんまり笑って踵を返し、黒檀の扉の向こうへ姿を消した監査官を追って、一行は次々に飛び込んだ。

 ―――――――― * * * ――――――――

 愛の狂戦士部隊が奥へと消えたのを見たシノは、ふっと微笑んだ。
「やれやれ。まるで迷いのない……これは、こちらも少々頑張らねばなりませんな」
「シノ隊長。この状況……全て斬り捨てて活路を?」
 訊ねる副官格の男の声は、上ずっている。
 周囲に湧いて出た敵は、こちらの倍はある。その上、相手の中にはこちらの仲間だった者の姿や、正常な思考の者なら切っ先の鈍りそうな幼い子供の姿もある。
 いかに傭兵とはいえ、怯えや躊躇が走るのも無理からぬことだ。
「ふむ、相手がそれを狙っておる以上、そうもいくまいな。それでは面白くない」
「では、なんと」
「そうさの――」
 ふとシノの眼が虚空を泳いだ。その脳裏に小耳に挟んだストラウスの言葉が蘇った。
「……傀儡(くぐつ)はまだ人間、か。ふむ。ならば、この手が使えるやもしれぬ」
 にんまり笑って、周囲に指示を出す。
「司祭達は範囲無制限で一斉に『マス・ホールド』をかけよ! 戦士どもは発動を合図に打って出よ! 動かぬ者は無視、動く者のみ全て斬り伏せよ!」
 明確な指示にためらいを吹っ切ったか、応、と力強い返事が返ってきた。
「よ、よろしいので?」
「『マス・ホールド』はアンデッドには効かぬ呪文。効いておるということは、まだ人間である証。効かぬということは、呪文に対する耐性が高かったか、もはや死んでおるということだ」
「しかしそれでは……仲間を」
 一瞬、顔を険しくしかめたシノはしかし、すぐに諦めにも似た柔和な笑みを浮かべた。
「傭兵は戦場で死すが定め。敵となれば斬られるも致し方なし。それが戦場の掟というもの。じゃが、村人は呪文に対する耐性などほぼ持ち合わせてはおるまい。我らが救うは村人ぞ。傭兵ではない」
「り、了解しました」
 素早く切り替えて、剣を抜く副官。
 シノは、手を頭上に差し上げた。次々に円陣のあちこちで手が突き上がる。
「それでは、始めるとしよう――『マス・ホールド』!」

 ―――――――― * * * ――――――――

 一行が飛び込むなり、扉は自動的に閉まった。
 だが、誰一人振り向かなかった。
 そこは、ダンスホールらしかった。先ほどのエントランスホールと同じ二階吹き抜け、正面二階の位置にホールを見渡す演壇だかロイヤルボックスだかが設けられており、そこから左右の壁に沿ってぐるり室内を取り巻く回廊が伸びていた。
 ロイヤルボックスの奥は分厚い緋色のカーテンが下りている。
 一行が立つ場所の左手隅には、テーブルや椅子がまとめて山積みにされていた。
 一足先に入室した監査官は、そのロイヤルボックスの上で一同を待ち構えていた。
「……オブリッツ」
 グレイはバスタードソードを握り直して一歩踏み出す。
「と、ジョセフ」
 ストラウスの一言で一同は気づいた。監査官の後ろから進み出てきた若者に。
 シニカルな笑みを浮かべているオブリッツとは違い、眼が澱み、据わっている。明らかにおかしな精神状態に陥っている。既に剣は抜き身だった。
「とりあえず、傭兵連中に斬られる心配はなくなったな」
 呟いて、ストラウスは軽く鍬を振り回し、構えた。
 同じようにキーモも槍を振り回して構え、シュラが鋼線を懐から引き出す。ゴンは右拳を左手に打ちつけた。
「さて、皆様」
 静まり返ったホールにオブリッツ監査官の声が響く。
「せっかくおいでですが、主はあなた方の死を求めておいでです。それも出来るだけむごたらしく、かつ惨めに死んでゆく様を見せてほしいと」
 誰も応じない。ただ、構えている。
「もっともあなたがたが死ぬか、わたくしどもが死ぬか……」
 オブリッツ監査官とジョセフはロイヤルボックスから跳んだ。
「どちらでもノスフェル伯爵様はお喜びになりますから御安心を!!」


 監査官は人間離れした跳躍力でグレイに打ちかかった。
 耳をつんざく戟音が響き渡り――グレイの膝が沈んだ。
 片膝をついたグレイの表情に焦りの色が走る。
「……ぐぅ、この力……!!」
「おやおや、弱いですねえ。これが第三部隊組頭の実力ですか」
「く……」
 グレイの顔が歪む。揶揄されても、答える隙がないほど圧力が強い。このままでは押し切られる。
 監査官は片手で剣を押し込みながら、空いた左手で自分の襟をぐいっと引き下ろしてみせた。
 そこに刻まれた、二つの小さな穴。乾ききらぬ血の色が生々しい。元の人となりからは考えられぬほどいやらしい薄笑いに、口元から鋭く尖った犬歯が覗く。
「わたくしは既にナーレム様より二度目の口づけを受けましてございますゆえ、元のわたくしと思わぬが――ぐおっ」
 勝ち誇っていたその横っ面に、鍬の背が突っ込まれた。
 さすがにもんどりうって倒れる――かと思いきや、低空にもかかわらず器用に空中で一回転して着地した。
「――他人の口借りてごちゃごちゃうるさいんだよ、お前」
 ストラウスの怒りに燃える瞳が、オブリッツを睨みつけていた。
「ゴン、どうだ?」
 ストラウスの背後で緑色に輝く眼で様子を見ていたゴンが、親指と人差し指をつけて円を作る。
「大丈夫。まだかろうじて人間だね」
「じゃあ、なんとでもなるな」
 監査官はへらへら笑いながら身を起こした。
「ほほう……面白い。魔法使い風情がヴァンパイアの力を得たこの私相手に、どうするつもりですかな?」
「こうする」
 言うなり、鍬の先を突き出した。
 視界を塞がれた監査官がバックステップして距離を置こうとしたそのとき――ストラウスはその脚力を生かし、懐に踏み込んでいた。
「な――」
「人選を誤ったな」
 空いている左手を監査官に向けて突き出す。
「月に輝く蜘蛛の糸――中略! ストラングル・ウェブ」
 魔法の力で紡がれる粘着性に富んだ糸の束が手の平から噴き出し、あっという間に監査官を包み込んだ。
 糸巻きのように喉元から膝下までぐるぐる巻きになった監査官は、無様に倒れた。
 ストラウスは、パンパンと手を叩いた。
「はい、一丁上がり。戦い慣れてないのがまるわかりだよ。期待外れで悪いけど、こんなの殺すまでもない」
「こ、このっ、こんなものなど……ぬぬぬぬぬ」
 すまき同然の姿で倒れたまま、脱出しようと暴れる監査官にストラウスは首を振った。
「そいつはまだ『人間のまま』の監査官には脱出できないさ。後は……ゴン、頼む」
「はーい」
 いそいそと出てきたゴンは、唯一監査官の自由になる頭部をつかんだ。
「うお? な、なんだ!? 何をするつもりです1? こんなことをしても、わたくしは――」
「ごめんなさい、ちょーっと眠っててね」
 手の中の首を絶妙の角度でねじる。
 こきゃ、という音がして、白目を剥いた監査官は沈黙した。


 ジョセフが襲い掛かったのはシュラだった。
 しかし、持ち前の運動神経で軽々と身をかわし、三回転半のトンボを切って着地する。
「結構速えな。……そういや関所で見た顔だな。こいつがミリア=エルシナの婚約者か」
「その通りよ」
 シュラの呟きに、ジョセフはにんまり笑って答えた。その瞳は焦点が合っていない。
「あなたたちは、彼を助けに来たんでしょ? でも、彼は今やわたくしの忠実な下僕。さあ、どうするのかしら」
 二十代の青年が、女言葉でしゃべるのはかなり違和感がある。
 シュラは汚らわしそうに唾を吐き捨てた。
「下僕を身代わりに、てめえは姿隠したままか。幼稚なもんだ。それで勝てると思ってるんだからよ……ああ、そうか。てめえ、ノルスとかいうガキンチョ吸血鬼だな」
「ガキ……? その言葉、後悔――うわっ!!」
 急に覚醒したかのように叫んだジョセフは、海老のように腰を後ろに引いて飛び退った。
 その胸元を、キーモの槍が掠めて過ぎる。その一撃に込められた必殺の意志の片鱗が、衣服の胸元を破いて走った。
 ち、と心底惜しそうに舌打ちを漏らすキーモ。
「エ、エルフ! 何をするっ!」
「なにするて」
 先ほどのジョセフを上回る邪悪な笑みを浮かべて、キーモは愉快げに言った。
「おのれがあの娘の婚約者なんやろが。要するにおのれが死ねば、あの子はフリーになるっちゅーこっちゃ」
「はぁ? ……何を言っている?」
 もうジョセフが自意識を取り戻したのか、操っているノルスが慌てているのかわからない。
「くっくっく、伯爵の財宝もちょーっと手に入りにくぅなってもたさかいな。金の次は、女やっ!! 安心せぇ。あの娘は……幸せにしたるさかいなぁっ!!」
 槍の穂先が連続で突き出される。その一撃一撃が重い。確実に殺意をまとっている。
 剣を振り回し、かろうじてさばきながらジョセフは叫んだ。
「き、貴様! 本気かっ! 本気でこの男を――」
「わしはいつでも本気やっ! あのねーちゃんはわしのもんやっ!!」
「ええい、この……エロエルフがっ!!」
 突き出された槍を下から跳ね上げ、体勢を崩しておいて――踏み込もうとしたところへ、シュラが横から飛び込んできた。
 驚く間もなく、体のあちこちを極められ、不思議なまでにあっさりと持ち上げられたかと思うと、そのまま床に叩きつけられる。
「ぐは……っ!!」
「ラリオス流体術奥義、山崩し」
 頭を振り振り立ち上がるジョセフを傲然と見下ろし、シュラもにんまり笑った。
「そういうことなら、俺も参戦するぜ」
「は……はぁ!?」
 ぼきぼき、と両拳を鳴らすシュラの目は、暗く輝いている。
「乳吸うことしか知らんエルフごときに後れを取ったとあっちゃあ、末代までの恥。――あの女は俺がもらう」
「へ。ほな、こいつにとどめさした方があの女をものにするっちゅうことでどないや」
「乗った」
「乗るんじゃねえ!!」
 ハイタッチでお互いのルール締結を行う二人に、ジョセフが吼えた。
 剣を振りかざし、二人に踊りかかる。凄まじい速さで剣を突き出す。キーモなどは受け流すことを諦め、シュラに任せて一目散に後退っていた。
「お前たちの下手な演技でわたくしを騙せるとお思いっ!? あんたたちにこの男は殺せない、それが人間の弱さよ!!」
「――そう思い込むのが、てめえの弱さだ」
 軽く剣を受け流し、懐に飛び込んだシュラはがら空きの顔面に拳を叩き込んだ。
 のけぞったところへ、下から掌底で打ち上げる。顎の先から、内部へ突き抜けるような衝撃を送り込む。
「ご……」
 いかに傀儡(くぐつ)といえども、脳が揺らされ運動神経が麻痺しては咄嗟の動きは取れない。
「キーモ!!」
 シュラが身を退く。既に呪文を唱え終えていたキーモが、勝利を確信して手をかざしていた。
「ストラングル・ウェブ!」
 その手から放たれた魔法の糸の束が膝から砕け倒れるジョセフを包み、縛り上げた。 



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