愛の狂戦士部隊、見参!!

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第五章 血戦 (その3)

 歯車と滑車と木の軋みと石の擦れ合いが奏でる壮絶な不協和音を撒き散らし、門が動いた。
 門上部の櫓部分が左右に分かれた。それぞれ、脇にはみ出した部分から円柱を二つ上下につないだような物がぶら下がる。
 続けて、一面幅三mはある門脚が、その上に乗っている門ごと上方へ伸び上がった。
 要するに――今、ストラウスの前では門が立ち上がっていた。
「……足元ガラ空きだし、門の意味ねーじゃねーか」
 パクパク口を開閉させていたストラウスは、ようやくそれだけ吐き捨てた。
 立ち上がった城門は、門扉ごと上方へと伸び上がったため、それまで門が塞いでいた部分は完全にガラ空きになっている。
 数秒呆然としていたストラウスはしかし、顔を振りたくって我に返った。
「ええい、今はそれどころじゃない。とりあえず鎧どもを片づけてからだ」
 振り返って、押し寄せる鎧人形に向けて手を突き出す。鎧は既にそこまで迫っていた。
「ライトニング――う!?」
 背後でひときわ高く響き渡る、岩と岩が擦れ合う異音。背筋を走る悪寒。
 ストラウスは呪文を中断し、脇の草原に飛び込んだ。
 わずかに遅れて襲い来た、突き上げるような震動に立っていられず、転がり倒れる。
「のわああああっ!?」
 何か重いものの落下で巻き上げられたとおぼしき土埃が背後から吹き抜け、跳ね上げられたとおぼしき石つぶてがバラバラとストラウスの背中に当たる。
 恐る恐る振り返ったストラウスは、予想通りの展開に頬を引き攣らせて笑うしかなかった。
 "門"が歩いていた。
 そこにいた鎧人形など蟻か何かのように無造作に踏み潰して。
 見ている間に、二歩目が――再び鎧人形の上に落ちた。
 金属板が押しひしゃげる耳障りな音、石畳の砕ける音、震動。巻き上がる土埃、降りそそぐ石つぶて。
 ストラウスの額に焦りの汗がにじむ。あの脚の下を駆け抜けるのは相当の根性がいりそうだ。
「……ガラ空きでも通さねえってか。んなろー、いい度胸だ。やってやろうじゃないか」
 不敵に歯を剥いて嗤う。
 そして、駆け出した。ぼうぼうに伸び切った草を掻き分け掻き分け、仲間がいる外門の方向へ。

 ―――――――― * * * ――――――――

「な……なんじゃあらあ……」
 キーモの声は、四人の心の声だった。
 行く手を塞ぐ城門が立ち上がったかと思うと、歩き始めたのだ。その光景に四人は顎が外れたかのようにポカンと口を開けっ放しにしていた。
「ゴーレム……かな。『これ』じゃあ……ちょっと無理だよねぇ。は、はははは……」
 手に下げたガーゴイルの塊魔法の糸包みに目を落としたゴンの引き攣り笑いが、虚ろに響く。
 城門ゴーレムはゆっくりとだが、確かに動いていた。仲間であるはずの鎧人形の群れを踏み潰して。
 元々櫓があった部分の真ん中には今、円錐形の突起があり、蒼い眼のようなものが一つ、光っている。
「シュラ、何か手はないのか?」
「俺に聞くな俺に。あんなデカブツ相手に、何をどうしろってんだ」
 グレイの問いにシュラも苦々しく即答する。
「なーなー、あれ……ストラウスが近寄ったか触ったさかい動いたんやんな」
「あん?」
 シュラが顔をしかめる。
「ほっとったらストラウス追っかけていくさかい、その間にガラ空きのあそこを突破するっちゅうのは、どや」
「おお、それいいな。それで行くか」
「……いいのか、それで」
「いいわけないでしょ」
 ゴンが呆れ顔でため息をついたとき――
「火矢、放てぇーい!!」
 背後から老人の号令が飛び、続いて流星が暗雲渦巻く夜空を彩った。風が草原を渡るような音を立てて、城門ゴーレムに襲い掛かる火矢の雨。
「魔法使い、射程範囲に入り次第、各個で魔法攻撃!」
 何事かと振り返った愛の狂戦士部隊の前に、勢揃いした傭兵部隊の姿があった。
「――ヤン指揮官殿、先走るにもほどというものがありますぞ」
 先頭に立つシノは笑っていた。その背後からは、鏃に火を灯した矢が次々と放たれている。
 キーモも笑い返した。
「おお、シノか。案外早かったのぉ。せやけど、えらい時に来たもんやな」
「確かに。何か策はございますか?」
「あらへんな」
「それは困りましたな」
 何がおかしいのか、二人ははっはっはと笑い合う。
 そこへ風を巻いて一陣の黒影が――ストラウスだった。危うく行過ぎそうになって、鍬の先を地面に突き立てて急停止する。
「――とっと。おいシュラ、手を貸せ! あいつを倒す!」
「……なに?」
 勢い込んで喚くストラウスに、シュラは露骨に嫌そうな顔をした。
「あれは機巧式のゴーレムだ。歯車の音がうるさいのなんのって。黙らせてやる」
「黙らせてやるって……倒せるのかよ」
「お前次第だ。まあ、耳貸せ」
 シュラは渋々ながら耳をストラウスに寄せた。
「キコウシキ? ……何だ、ゴン司祭?」
 聞き慣れない言葉にグレイがゴンを見やる。ゴンは頷いた。
「さっきのガーゴイルや鎧人形みたいに、動かないはずの物に魔法で擬似的な生命を与えるのではなく、魔力を動力にしながらも、基本的には内部の機械的なもので動くタイプのゴーレムのこと。歩いたり、腕を振ったりといった基本的な動作に費やす供給魔力が少なくてすむから、それ以外のギミックに凝れる。少ない魔力で巨体を動かす時にも使ってるかな」
「弱点は?」
「今言ったように基本が機械だから、内部の機械を壊すか魔力の供給さえ止めてしまえばいいんだけど……それが簡単に出来れば世話ないよね」
 二人が話をしている間に、シュラとストラウスの相談はまとまったらしかった。
 シュラが苛立たしげに吠えている。
「てめー、ほんとにそれでいけるんだろうな!」
「俺の頭脳を見くびるな。それより、お前こそしくじるなよ」
「へっ、てめえこそ相手を見てものを言え」
「おい、俺達は援護しなくていいのか?」
 グレイの問いに、ストラウスはちらっと傭兵部隊に視線を飛ばした。
「じゃあ、キーモとグレイは傭兵部隊の火矢を止めておいて。邪魔」
 一刀両断。邪魔扱いされたシノの表情が強張る。
「ったく、あんなデカブツ相手に人海戦術挑むなんて、どこのウスノロ将軍様だよ。ああいう力の塊は、昔っから知恵と技で倒すもんだろうが」
「知恵と勇気じゃないの?」
 ゴンの指摘に、ストラウスは鼻で笑った。
「そんなもんは標準装備だ。だいたい、アレに挑むって決める以上の勇気が必要か? ゴンはいちいち下らんことほざいてないで、魔法を使える連中率いて防御魔法の準備しとけ。どんな隠し技持ってるかわからんぞ」
「……ほんとにそれだけでいいの?」
「それ以上はいらん。邪魔」
「――おい、ストラウス! 行くぞ!」
 シュラが苛つきの隠せぬ声で促す。
「うぃ」
 表情を引き締めたストラウスは、シュラとともに城門ゴーレムに向かって走り出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

「……私の中に、そのようなものはない……ようだ」
 ネスティスは静かに、自分の内を覗き込むような低い声で答えた。
「少なくとも……私自身の意思としてお前達を全て殺したい、と思ったことはない。今も、精神状態は平静だ」
「ふぅん、そうなんだ」
「それに、言われて気づいたのだが……私は今まで生者の精気を喰ったことがない。いや、喰い方すら知らぬ」
「……………………はい?」
 思わず出してしまった間抜けな声に、クリスは慌てて口元を押さえた。
「あ、ごめんなさい。つい。――ええと、それってどういうこと?」
「わからぬ」
 首を振るネスティスの表情は、わずかに陰が差している。
「伯爵様もナーレム様、ノルス様も生者の生血、もしくは精気を摂らねば衰える、と仰っておられた。同じスペクターであるデュラン、マルムークも人の精気を奪い、負の感情を浴びることで実体なき存在を支えている」
「ちょっと待ってよ。おかしいじゃない」
 クリスは苦笑した。額を押さえて首を振る。
「何で疑問に思わなかったわけ? 自分だけ、そういう――こう言っていいのかどうか知らないけど、『食事』をしなくても大丈夫なことを」
「ノスフェル伯爵様あっての私だからな。自分のことなど顧みたことはない。今回が初めてだ」
「だけど、それじゃああなた……ええと、なんだっけ? スペ……スペクターじゃないんじゃないの」
「そうだな」
 拍子抜けするほどあっさり頷く。
「お前の言う通りやもしれぬ。では、私はなんなのだ?」
 さして困惑する風もなく、小首を傾げるネスティス。しかし、クリスも唖然として首を振るのみ。
「私に聞かれても……わかんないわよ。あなたたちのこと、詳しいわけじゃないし……」
 ふむ、と頷いたきりネスティスは再び考え込んだ。
 しばらく経って顔を上げたネスティスは、薄く微笑んでいた。
「――そうだな。それは別に大事なことではないな」
「え?」
「私が何者であろうと、なすべきことは変わらぬのだからな――そう、それが愛情に基づこうとも、基づくまいとも。実に些細なことだ。少し迷いが晴れたぞ」
「はぁ」
 ネスティスが何を納得したのかわからぬクリスは、頷くしかない。
「私が知りたいのは、愛情とは何か……どうすればその愛情とやら、御することができるのかだけだ」
 話は振り出しに戻り、しかし、立場は微妙に悪くなって――クリスは渋面で首をひねった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 数体残っていた鎧人形を鍬と鋼線であっという間に行動不能に陥れた二人は、足を止めて城門ゴーレムと向い合った。
 睨み合う暇もなく、ゴーレムが左の連結円柱を振り上げる――それは腕らしかった。
 轟音が大地を揺らし、傭兵部隊がざわめく。
 腕を振り下ろした場所に立ち昇る土煙。そして弾け飛んだ石つぶては、傭兵部隊にまで降りそそいだ。


 柱の腕先を包み隠す土煙を突き破り、まとわりつく土埃を振り払ってシュラが姿を現わした。
 城門ゴーレムの左腕を坂代わりに、一息で肩の櫓部分まで駆け上がる。
「へ、ウスノロが」
 櫓部分に取り付く。すると、頭部らしき円錐形の蒼い光が左に動いた。
 次いで肩に止まる蚊でも潰すかのように、右の連結円柱が左の櫓に叩きつけられた。
 全く手加減のないその一撃に、櫓は木っ端微塵に砕け散り、左腕がボロリと落ちる。
 重く鈍い響きを残し、城門ゴーレムは左肩から先を失った。
 傭兵部隊から盛大な歓声が湧き上がる。
「……呑気なもんだな、おい」
 苦々しく呟くシュラ。間一髪で右腕の攻撃をくぐり抜け、城門ゴーレムの背中に片手でぶら下がっていた。
「うー……りゃっと」
 一声唸って、華麗にゴーレムの肩の上へ戻ると、頭部らしき円錐形を跳び箱代わりに跳び越え、右肩の櫓部分へ駆け込んだ。
 構造上、城門ゴーレムは右腕で右肩を殴ることは出来ない。
「さて、後はあいつのお手並み拝見、だな。下手こきやがったら承知しねえぞ――おっとっと」
 シュラを振り落とそうと、右肩を水車か風車のように腕ごと大きく回し始めた城門ゴーレム。
 上が下に下が上になって回り続ける櫓の中で、シュラは縄跳びでもしているかのようにリズム良く跳ね続けた。


「さすがに仕事が速いな」
 シュラが右肩の櫓に入るのを見届けたストラウスは、頷いて軽く指先で虚空に印を切った。
 城門ゴーレムが振り回す腕の速度が徐々に早まっている。そのうちにシュラの対応できる速度を超えるだろう。そうなれば、シュラはあの中でミンチにされる。
「……そは見えざる翼にあらず、我を包む繭。大地の理から我を解き、我が占めるべき場を我が意志に委ねん」
 ストラウスは城門ゴーレムの左腕があった部分を見上げながら、呟くように唱えた。
「――『フライト』」
 見えない力場が、ストラウスの身体を包む。
 その力場ごと自分の占位空間を動かすイメージ――その通りに、ストラウスの身体は浮き上がった。
 そのまま、城門ゴーレムへと突進して行く。目指すは左肩のあった部分。そこに開いた穴の中。


「――ぐおっ」
 城門ゴーレムの内部へ飛び込んだストラウスを迎えたのは、凄まじい轟音だった。空気が震動しているのが肌で感じられる。
 その騒音のあまりの大きさに、一瞬ストラウスは意識が飛びかけ、膝も砕けかけた。
 危ないところでなんとかこらえ、呪文を唱える。
「だーっ、うるさいっ!! ブレイズ・バースト!」
 突き出した手の平から放たれた炎の矢は、城門ゴーレムの胸の中を横切って反対側の壁際で爆発した。閉所で発生した爆風が、出口である左肩の突破口から吹き出して行く。それ以外にもあちこちの隙間から噴出しているようだ。
 今の爆発が向こう側の歯車を一まとめ壊したのを確認して、ストラウスは周囲を見回した。相変わらず音はうるさいが、先ほどより少しましになった気がする。
「さて、動力部は……と。パワー・デテクション」
 目の横に指を当てて呪文を唱え、もう一度周囲を見回した。
 多くの歯車がギリギリグリグリ動き回っている隙間を覗いてゆくと――
「……あった。あれか」
 背部の一番下側に、ストラウスの眼にだけ緑色に輝いて見える部分があった。御丁寧にも、石のブロックで硬めて守っている。
 緑色の光が直視しにくいほど強い。光の強さはそこに働く魔力の強さに比例する。
「むー。結構魔力が貯まってるな。……下手に壊すと暴発しそうだ」
 ストラウスはしばらく頭を下げたり上げたりしながら、その動力部分が何とどうつながっているかを確認した。そしてその結果、中心部で勢い良く回り続けている歯車に手を向けた。
「ま、魔力が一番最初に運動エネルギーになってる部分を壊せば、力がいくら有り余っててもね――ディスインテグレイション」
 ストラウスの手の先の直径二mほどの範囲が陽炎のように揺らいだ。その揺らぎの塊が、そのまま狙った場所へと飛んで行く――途中にある物全てを消滅させながら。
 目標の歯車が消滅した途端、城塞ゴーレムが大きく揺れた。
 歯車が一斉に動きを止める。歯車を失ってもなお勢い良く回り続ける、一本の芯棒を除いて。

 ―――――――― * * * ――――――――

 唐突に右腕を振り上げた格好で動きを止めた城門ゴーレムは、そのまま前のめりに倒れ始めた。
 最初は歓声を挙げていた傭兵たちも、巨体が自分たちの方へ倒れてくると知るや慌てふためいて騒ぎ出す。
 それを守ったのは、ゴンだった。いち早く魔法を使える者に指示を出し、正面に向けて防御魔法を展開する。

 巨大な門が高所から倒れ落ちる音と、倒れて壊れる音、それにこれまでで最大級の地響きが傭兵部隊と愛の狂戦士部隊を揺るがした。
 すぐに石つぶてと呼ぶには大きすぎる石の塊や、櫓の破片、小さめの歯車などが舞い上がる土煙に隠されたまま、必殺の威力を以って降りそそぎ始めた。

 見えざる盾が防ぐ。
 人の頭ほどもある石の塊も、鋭利に尖った櫓の柱も、腕ほどもありそうな鉄の釘も、人の胴より大きく厚い歯車も、もちろん当たれば痛いだけで済むような小石も、自分の腕どころか肩さえ見えなくなるほどの濃密な土埃さえも、全て愛の狂戦士部隊と傭兵たちの前に展開された見えない力場に弾かれる。
 やがて土埃が治まり、ゴンはその力場を解いた。周囲の使い手も次々と解く。
 生き残ったのが信じられない様子で顔を見合わせる傭兵部隊。
 彼らがお互いに無事を確認し合っている間に、愛の狂戦士部隊はもう前進していた。

 ―――――――― * * * ――――――――

「やっぱりわかんないわ」
 ひとしきり唸っていたクリスは、ぶっきらぼうに答えた。
「愛情をどうにかする方法なんてさ。だいたい、そんな方法があるんなら、あたしが知りたいぐらいよ。そしたら、グレイを旅に出させることもなかったし、彼を追ってきてこんな目に合うこともなかっただろうし……」
 言いつつ、ブラウンの髪をそっと掻き上げ、首筋の傷痕を指先で恐る恐る撫でる。
 そして、きっとネスティスを睨んだ。
「だいたいね、齢十七の小娘に愛なんてこっぱずかしいものをまともに聞かないでほしいわ。あたしだって昨日の昼まではあなたと一緒で、一方的にグレイのことが好きなだけだったんだから。……まぁ、グレイもあたしのことちゃんと好きだったってわかったからいいんだけどぉー。やぁん♪ 何言わすのよぉ」
 照れ臭そうに両手で頬を覆い、実に嬉しそうに左右に顔ごと揺らす。
 それを見つめるネスティスの視線はただ冷たい――というより、その行動の意味を図りかねている。
「……今のはどういう意味だ? やはりお前は愛情をよく知らないのか?」
 醒めた声に、クリスの表情もたちまち醒めた。
「だから、最初に言ったでしょ? 愛情は理屈じゃないって。色んな形の愛情があるから一口では説明しにくいけど、そこにある愛情はちゃんと気をつけていれば必ずわかるものなんだから」
「気をつけていればわかる……我々が、生者の生命の印を感覚的に捉えられるのと同じようなものか」
「良くわからないけど、そうじゃない?」
「では、お前にこれ以上聞いても無駄と言うことだな」
「え、あー……」
 思わず頷きそうになって、慌ててクリスは首を横に振った。
「違う違う。ちょっと待って。ええとね、だからね、あのね……」
 バタバタと慌しく両手で顔の前の虚空を掻き混ぜた後、考え込む。
 ここで話が終わってしまえば、伯爵の下へ連れて行かれてしまう。話を続けなければ。
「――愛情愛情愛情……ん〜、よく言われるのは、『愛情はその人のためを思うこと』かな」
「『その人』?」
「愛情って、誰かに対して注ぐものでしょ。男と女だったり、親から子供、子供から親だったり。友達同士だったり、仲間同士だったり。その相手にとって良いことをしてあげるの」
「忠誠とどう違う? 忠誠を尽くすことは、相手のためになることだ。ならば、忠誠とは愛情か」
「う〜ん……ちょっと違う気がするわ。よく知らないけど、忠誠って上下関係で逆らっちゃダメなんでしょ? まして、相手を傷つけたりとか」
「バカなことを言うな。守るべき相手を傷つけてどうする」
「でも、愛情はその人のために、その人を傷つけることさえあるわ。傷つけてでも相手に大切な何かをわからせないといけない時なんかに。例えば……グレイもそうだった。あたしが傭兵部隊に入るって言ったら、あたしが戦の中で命を落とさないように止めようとしてくれたの。『婚約を解消する』とまで言ってね」
「その時に斬られたのか?」
「ぶ」
 あまりにもトンチンカンな問いに、少しうっとりと眼を細めていたクリスは思わず噴き出していた。
「ちょっとちょっと! 何で斬られんのよ! それじゃあグレイは見境なしの人斬り魔じゃない!」
「だが、傷つけられたのだろう?」
「傷ついたのは心よ、心! あたしのこ・こ・ろ!」
 クリスは自分の胸に親指を押し当てて叫んだ。
「自分の大、大、大、だ〜い好きな人に、自分との関係を白紙に戻すなんて言われてみなさいよ! 無茶苦茶傷つくんだからね、特にあたしみたいな純情可憐な年頃の乙女はっ!!」
「そうなのか」
「そうなのよ!」
「心が傷つくとは、つまり動揺するという意味でいいのか?」
「この………………っ!!」
 クリスは傍にあった枕を引っつかんで、何度もベッドに叩きつけた。
 心ゆくまで叩いた後、その枕を持ったままネスティスに突きつける。ネスティスは少し驚いたように上体をそらした。
「あーもうっ!! 人の心の痛みが想像できないってあたりがほんとに化け物よね! ……だったら、想像してみなさいよ! あなたの大大大好きな伯爵から、お前なんか嫌いだって言われたらどんな気持ちになるか!」
「伯爵様は、そのようなことは言わぬ」
「言わぬじゃなくって、想像しなさいって言っ・てん・の・よっ!」
 喚きながら、また枕をベッドに何度も叩きつける。
「想像とは、起こりうることを予め想定し、行為や意志の決定をなす際の一助として使うものだ。現実に起こりえぬことを想像したとて、何の意味もあるまい」
「そーゆー問題じゃないでしょー!? 愛情ってのは、相手のことを思うことなんだから、相手の身になって考えることができなけりゃ、絶対理解できないんだからね! それでもいいの?」
「それは困る」
「だったら言うことききなさいよっ!!」
 とどめとばかりに枕をネスティスに投げつける。しかし、枕はネスティスを突き抜けて飛んでいった。
「承知した」
 頷いて、女騎士は眼を閉じる――

 ―――――――― * * * ――――――――

「いよいよ、突入だな」
 グレイが気を引き締めるように呟く。
 内門のあった場所に、再び愛の狂戦士部隊は勢揃いしていた。傭兵部隊は大所帯だけあって、少し遅れている。
 一行の正面には古い城がそびえ立ち、その周囲に荒れ果てた前庭が広がっていた。
 左右は鬱蒼と生い茂る、手入れを忘れ去られた林。林へ行く途中にそれぞれ噴水らしき壊れた施設の跡が見える。そこには澱んだ汚水が溜まり、妙なガスらしきものさえ発生しているようだ。
 そして中央、城の玄関まで伸びる無数の手の通路――
「……手ぇ?」
 最初に気づいたストラウスが顔をしかめる。
 見直すと、確かに無数の青白い手が玄関までの通り道を埋め尽くし、蠢いている。
 招く手、握る手、指を別々に動かす手、天に向かって伸びる手……なぜか力なくぱったり倒れてる手まで。
 さらにはその腕を起点に、土が小山のように盛り上がってゆく。地下から何かが出ようとしているらしい。
「うっわー、キモいのぉ。……なんや出て来よるな」
 いささかうんざりした面持ちでキーモが漏らす。その耳は下を向いている。
「んー、ただのシーズ・ハンド(つかむ腕)かゾンビが潜ってんのか……どっちだろ」
「どっちでもいいだろうが」
 悩むゴンにシュラが軽く突っ込みをいれて、銀糸を懐から引き出す。
「何だろうと、突破するのみ。行くぞ」
「俺も行こう」
 グレイも剣を抜いて一歩を踏み出そうとすると、いきなりストラウスがそのつま先に鍬の刃先を突き立てた。
「うぉっ!?」
 慌てて靴を引いて一歩退がるグレイ。
「な、何をする!?」
「いいから。こういうのは俺達の領分――キーモ、ゴン、やるぞ」
「へいへい」
 やややる気なさそうな仕草で槍を肩に担ぎ、人差し指を城の玄関に向けるキーモ。
「ほーい」
 肩をぶんぶん回してやる気満々のゴン。その手の平を同じように城へと向ける。
「灼き尽くせ、魔の業炎! ブレイズ・バースト!!」
 ストラウスの放った炎の矢は玄関前まで飛び爆発した。紅蓮の爆炎が、盛り上がりつつあった土くれごと敵を吹き飛ばす。その余波で、玄関の扉が吹き飛んだ。
「奔れ、電光!! ライトニング・ストライク!」
 キーモの指先から伸びた青白い電光が、通り道に生えている『手』を焼き尽くしながら通り過ぎる。
「去れ! 悪霊よ! 夜の下僕共よ! リパルスアンデッド!」
 残る『手』を退魔の閃光が滅して過ぎる。
 たった一発ずつで、そこここに埋まっていた亡者の群れは完全に沈黙した。
「よーし。今のうちに走り抜けろ!!」
 ストラウスの号令一下、一行は城の正面玄関に向かって駆け出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 突然、ネスティスが膝をついた。
 貧血でも起こしたかのようにふらっと。胸を押さえ、眉間に皺を寄せてうつむいている。 
 驚いたのはクリスだ。予想外の反応に、どうしたものかとうろたえる。
「ちょ、ちょっと、どうしたの?」
「……やはり、私には伯爵様が私を嫌いだと言うような状況は考えられぬ」
 相変わらずの堅い口調に、少し安堵しつつもクリスはむすっと唇を尖らせた。
「いやだからね」
「だから、伯爵様に『お前は必要ない、役に立たぬ』と言われることを想像してみた」
「え……」
 顔を上げるネスティス。その瞳から流れ落ちる涙。
(……わ…………きれい……)
 クリスは思わずその顔に見とれてしまった。
 元から冴え冴えと整った顔立ちに理知的な輝きを宿した瞳の、クールな印象の美人だと思ってはいたが、その怜悧な表情が崩れたときの愛らしさに同性でありながら思わず頬が熱を持つ。
 いつもは氷の像のように無表情を決め込んでいる女性が苦しそうに顔を歪ませ、両の眼から涙をこぼしている様は、嫉妬するのもバカらしいほど美しい。美人は泣かせたくなるという男の気持ちが、少しだけわかったような気がした。
「なんなのだ、これは……お前には、わかるのか? これがなんなのか」
 唐突な涙に驚き、呆けていたクリスは慌てて首を振って雑念を払った。
 なぜ、気丈で、非情で、融通の利かないガチガチの女騎士がここにきていきなり泣き出したのか、わからない。それほど伯爵に必要なしと思われる想像が辛かったのだろうか。
「あ、あの、えーと。これって……なに?」
「この、胸の奥を何者かにつかまれているかのような感覚……誰が私の奥をつかんでいるのだ? いや、それだけではない。全身の力が抜けそうになる。これは魔法か? それとも、呪いか?」
 ネスティスは胸を押さえた手を、ぐっと握り締めた。何かに耐えるように眉をひそめて。
「そうだ。これは、この感覚はまるで……誰か生者が死ぬとき、いつも感じてしまうあの感覚と同じだ……なんなのだ、これは」
 苦しげに眉をたわめたまま、答えを求めてクリスを見つめるネスティス。
 クリスは怪訝そうに顔をしかめて聞き返した。
「どういうこと? もう少しわかるように説明して」
「……わからぬ。理由はわからぬが、私の周囲で生者の命尽きる時、いつも私はこのような感覚を味わう。その場に座り込み、騎士にあるまじき声を上げて泣き叫びたくなる。私だけが、そうなる。なぜだ」
「いつも?」
「いつもだ」
「ここの奥が締めつけられるのね?」
 ベッドから下りたクリスは自分も膝をつき、ネスティスと同じ目線の高さになって自分の胸を押さえた――心臓の上を。ネスティスは頷いた。
「そうだ。そこだ。人間でいう心臓の場所だ。だが、実体のない私には心臓などない。誰が実体なき私の心臓を握っているのだ? これは私に……伯爵様と出会う前にかけられた何らかの呪いなのか? お前にはわかるか?」
 クリスは頷いた。そんな感覚といえば、クリスは一つしか知らない。
「うん。わかる。多分、それは呪いじゃなくて悲しいって気持ち。切ないって気持ち。寂しいって気持ち」
「悲……しい?」
 上手く理解できていない態で小首を傾げ、クリスを見返すネスティス。
 クリスは頷いた。優しく微笑んで。
「誰かの命が失われることは、悲しいことだもの。そして、二度と会えないってことは切なくて、寂しいことだわ。あなたにとって全てである伯爵の傍にいられなくなったら、それは多分、あなたには伯爵が死んだのと同じ意味があるんじゃない? それは悲しくて、切なくて、寂しいことのはずだわ」
「これが……悲しみ……か」
 拳で押さえている胸を見下ろす。
 ふと顔を上げた。
「ならば、どうすればこれをなくすことができる? 人はこの感覚をどうやって打ち消すのだ?」
 クリスは首を振った。
「打ち消さない。それは消しちゃいけないものだから。でも……あたしたちはよく忘れちゃうのよ」
 クリスは舌をぺろっと出して、苦笑した。
「忘れる?」
「そう。忘れて……それでも時々思い出すの。その悲しい気持ちを。グレイが私の前から姿を消した時の悲しさを、あたしは彼を追う旅の間、何度も思い出して泣いた。でも、その悲しみがあったから一人でここまで来れた。悲しみは……愛情を深くして、時に人を強くするんじゃないかな」
「…………………………」
 ネスティスは微笑むクリスの顔を見つめたまま、じっと考え込んでいる。
 クリスは続けた。
「そして、そうやって人は他の人のことを思いやる気持ちを育ててゆくんだわ。きっと。……もしかしたら、それが愛情の基本なのかもしれないわね。悲しみから命の大切さを、好きな人が生きていることの大切さを知って、そのかけがえのなさを知る……」
 後半は、自分自身に言い聞かせるように気持ちを込めた。
 その言葉を聞いているのかいないのか、ネスティスはずっとうつむいたまま動かない。
「それだけ素直に悲しみを感じられるのなら……あなたの心にもいつか愛情が芽生えて、わかるようになるかもしれないわ」
「――必要ない」
「え?」
 ぼそりと漏らしたネスティスの素っ気ない言葉にクリスは顔を曇らせた。
「もういい、よくわかった。……消せぬのなら、このような感覚など無視すればよい。これまで通りにな。この感覚が私の剣を鈍らせたことは、今までないのだから」
「え、え、え?」
 すっくと立ち上がったネスティスは、言葉とは裏腹にその両の瞳から滴をこぼし続けていた。
 その表情と、言っていることの落差が大きすぎ、クリスはついてゆけない。
「私は伯爵様の剣だ。剣が愛情だの悲しみだのに捕らわれて、その切れ味を落とすようなことがあってはならぬ」
「で、でも、愛情のことを知りたがったのは――」
「確かにな。しかし」
 じろり、と涙の浮かぶ瞳で睨まれ、クリスはそれ以上言葉を次げなかった。
「別に困っているわけでもない。そのような愚か者どもは、我が剣で切り伏せればいいだけのこと――そもそも伯爵様のお許しもなく、争いを前もって制しようなどと考えたこと自体が間違いだったのだ。私は伯爵様の命に従い、敵を倒すのみ。余計な気を回すことこそ、伯爵様への侮辱にあたる。私は危うく、臣下としての道を踏み外すところだった。……心のどこかに楽をしようなどという気持ちがあったのかもしれぬ」
(あなたみたいなのに限って、それはないと思うけどねぇ)
 心の中で突っ込みつつ、一人合点をぼーっと聞き続ける。
 やがて、ネスティスは全てを吹っ切った面持ちで、クリスに軽く頭を下げた。
「すまぬな、クリス殿。いらぬことを訊いて、手間を取らせた。だが……無意味ではなかった。おのれの立場、おのれの在り様を見つめ直すいい機会となった。……私は、どこまで行こうともただ伯爵様につき従うのみ」
「あ、いえ……あの、ええと」
 雰囲気は完全に会話を終える方向へ向かっている。この先をどう続けるべきか、クリスは悩んだ。
 永い永い一秒ほどの懊悩の末に、ふと口走った。
「じゃあ、じゃあ、伯爵があなたのことどう思ってるかも訊くってのはどう? やっぱりね、あの、愛情無くて忠誠だけでも、その……相手が何を考えて、自分が何を求められてて、相手にとってどんな価値があるのかを知っておくのは、知らないことより大事だと思うのよ」
「……ふむ。確かにわかる理屈だ。もとより伯爵様の意を慮(おもんばか)って動くが臣下の務めではあるが……求められているところをより詳しく知っていれば、より正確にお役に立つことが出来ようしな」
 疑う様子もなく乗ってきたネスティスに、クリスは心の中でガッツポーズを決めた。
(よっしゃー! キタキタキタぁー! ……あー、あっぶないあぶない)
「ならば、これより伯爵様がお待ちになっておられる『物見の小部屋』にお連れするゆえ、その際に訊いてみるとしよう」
「はえ?」
 予想外の展開。背後の世界が割れる感覚。足元が消え、どこまでも落ちてゆく――クリスは凍りついた。
「それから、クリス殿は人の心について造詣が深い御様子。これからも折に触れて助言をいただきたい」
「あ、いや、あのね、あたしは別にそんなに――」
「さあ、参ろう。伯爵様がお待ちだ」
 手を差し出すネスティス。それを見つめるクリスは、焦っていた。顔の全部から汗を滴らせている気分で突破口を探す。
 しかし、ことここに至っては話を続ける方法は見当たらなかった。
「や……やだ……って言ったら?」
 クリスは内心ドキドキしながら、上目遣いに訊いてみた。
 すると、女騎士は胸の前で右拳を左の手の平に打ち付けた。
「腕ずくで連れて行くのみ。少々痛い思いをするやもしれぬが?」
「……わかったわよ」
 ガックリ首を折って降参し――クリスは地の底まで落ちて行きそうなほど盛大なため息をついた。


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