愛の狂戦士部隊、見参!!

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第五章 血戦 (その2)


 稲妻が窓の外に広がる暗雲を切り裂く。
 静寂に、ぱた…、ぱた…、と液滴の落ちる粘着質な音が響く。
 暗闇に抱かれ、奇妙な格好で空中に揺れる女。
 両手両足をしどけなく広げ、首をやや右に傾けたまま、虚空を見つめる目は焦点を結んでいない。その表情は恍惚と絶望の入り混じったものだった。頬には涙の跡が生々しく、左のうなじ辺りが闇に侵食され、そこから二筋の血が胸元へ流れ落ちている。
 身にまとう皮の鎧はところどころ引き裂かれ、衣服どころかその下の肌まで露出していた。
 最後の力を失ったかのように、右手に握っていた小剣が転がり落ちた。
「……ふぅぅぅぅぅ…………」
 闇の呼吸。
 女は糸の切れた操り人形のように、無様な格好で床に落ちた。生の名残か、びくびくと細かく痙攣する。
「やはり、女は乙女に限るな。このようなあばずれでは、いささかわしの口に合わぬ。まるで焼きすぎた肉のようだ」
 闇そのものが震えているかのような低い声は、野獣の唸りを思わせる。
「そうは思わぬか、クリス=ベイアード」
 闇の中、ただ二つ浮かぶ真紅の輝きが、部屋の中央に置かれた天蓋付き寝台の上で怯える少女を見つめる。
 白い木綿の寝着をまとう少女――クリスは必死で首を振っていた。
 叫ぼうにも、声がうまく出せない。かすれ声しか出てこない。
 しかし、身体をぶるぶると震わせながらも、その切れ長の眼は伯爵を睨みつけている。
「くくく、我が口づけを二度も受けながら、いまだ抵抗する意志があるとは……本当に楽しませてくれる。あのナーレムですら、二度目で堕ちたというに。そなたはゆっくりと、ゆっくりと我が下僕に堕としてくれよう。せいぜい抵抗するがよい」
 闇の中をさらに黒い闇が動く。寝台を軋ませてクリスにのしかかる――ぴたりとその動きが止まった。
「――ネスティスか」
 窓の外で白刃がきらめき、部屋の隅に立つ細身の鎧騎士を照らし出した。
「何用か。今がどのような時か、わかっておるのだろうな」
「申し訳ありません」
 ノスフェル伯爵の恫喝にも似た呻きにも動ずることなく、ネスティスは膝を折って頭を垂れた。
「しかし、外門の外で騒ぎが。奴らが来たようです」
 クリスの表情が輝いた。恐怖が喜びに取って代わる。
 漆黒の闇に浮かぶ紅の輝きが少し歪む。
「ふん。ブラッドレイはどうしておる。奴ならばそのような動き、つかんでおろう」
 ノスフェルは体を起こし、踵を返した。ばさりと絹のマントが翻り、室内の燭台が一斉に光を放つ。
 床に数人の女性が倒れていた。
 質素な服装の女は村人か。まだ十五にもならぬであろう娘に、三十代後半の女。革鎧の女戦士に黒いローブ姿の魔法使いもいる。
 ある者は天井を向き、ある者はうつ伏せに。いずれも体から力は失われ、ぐったりしている。虚空を見つめる瞳にも生気はなく、その首筋に空いた二つの穴から血の筋がわずかに流れ出していた。
「邪魔だ」
 足元を塞いでいた一人を、ノスフェルは無造作に蹴り飛ばした。ネスティスの脇の壁面に叩きつけられ、ずるずると滑り落ちる。
 ネスティスはぴくりともせず、報告を続けた。
「門外の林で近隣の若者を引き連れ、隠れていたようですが……あの辺りには飢えたゾンビどもがうろついております」
「ならば、騒ぎはゾンビどもと奴のものかもしれんな。クク、あの小心者がどのような面をさらしておるか、見てみるか。――クリス=ベイアード」
 呼ばれて、クリスは勝気な瞳をノスフェルに向ける。
 足を止めて振り返った伯爵は、生気の蘇った娘を見やり、唇の端を持ち上げた。
「ククク……よい目だ。そなたのその勝気な瞳が、絶望に彩られる様を見たくなった。あの剣士が八つ裂きになる様を見せてやろう。……絶望に打ちひしがれるそなたの魂は、さぞかし甘露であろうな。ククク、クククククク……」
 笑いながら顔を戻したノスフェルは、うずくまる部下に声をかけた。
「――ネスティス」
「は」
「クリスを玉座裏の小部屋へ連れて来い。奴らの死に様を見せつけてやりながら、残る精気と血潮を吸い尽くしてくれよう」
 そのまま伯爵は扉を開けて出て行った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 クリスは、安堵のあまり放心状態でベッドに崩れ落ちた。知らず、涙がボロボロとこぼれ落ちる。
 ふと気づけば、ネスティスが横から見下ろしていた。
 窓の外で光る雷刃が、人形のような女騎士のシルエットを浮かび上がらせる。
「……何よぉ……」
 泣いている顔を見られるのが嫌で、両腕を顔の前で交差させた。
「お前はなぜ死なぬ」
 ネスティスのぶしつけ極まりない言葉に、クリスはびくん、と身体を強張らせた。
「……なに…………言ってんの?」
 交差させた腕の下から、そっと傍に立つ女騎士を覗く。
 その表情には何の感情もない。人形でももう少し愛想のいい笑みを浮かべているだろう。
「先ほど、ヴァンパイアにされるぐらいなら死を選ぶ、と言った者がいた。そいつは、愛する者のためなら命を捨てる、と言って本当に死のうとした。伯爵様が愛など幻想だと仰られているにも関わらず、人はそれにすがって命を捨てる。なら……お前はなぜ死なぬ?」
 女騎士はまるで物を見るかのような眼差しで、じっと見下ろしていた。その冷ややかな眼差しがクリスの神経を逆なでする。
「………………その人……男の人でしょ」
「ほう。よくわかったな」
「自ら命を断つということは、あなた達と戦っても勝てないって絶望したってことだもの……。残されてるのが女の人なら、助けは期待できないし……でも、あたしは違う」
「ほう?」
 ネスティスは片眉を上げた。
 クリスはまだ濡れたままの瞳で、ネスティスをしっかと見据えていた。
「グレイは絶対助けに来る。だからあたしは、あなた達なんかに負けない。死なない、殺されない、堕ちない」
 鼻先で笑われるのか、それとも冷ややかにあしらわれるか、と唇を噛んで身構えるクリス。しかし、ネスティスの見せた仕草はそのいずれでもなかった。
 女騎士は小首を傾げたのだった。何かを聞き違えたかのように、さりげなく。
「わからぬな」
「なにがよ」
 クリスは手の交差を解き、上体を起こした。予想外の反応に少し腹が立っていた。
「同じ感情に基づきながら、あの男は死を望み、お前は生を望む。……愛とは、なんなのだ?」
「愛なんて幻想なんでしょ。言ってもわかんないわよ」
「幻想ではあっても、実際お前達はそれに左右されている。これからもお前や、お前の男のようにその幻想にすがって伯爵様にたてつく者が出るだろう。その時のために、その幻想がいかなるものかを知っておくにしくはない」
 ネスティスの表情は相変わらずほとんど動かない。その言葉も実に事務的で無感情。
「理解が出来れば、対策もおのずと立つ。幻想を打ち砕き、絶望に沈めることで煩わしき争いを前もって抑える方策が」
 きっとクリスのまなじりが吊り上がった。
「理解なんかできるもんですか。あなた達みたいな人の生血をすすらなきゃ生きていけない化け物なんかに」
「言葉に出来るのなら、理は立つということだ。ならば、理解は可能だ」
「愛情や、好きって気持ちは理屈じゃないわ」
 夜着の袖で涙の跡をぐいっとぬぐったクリスは、ネスティスに負けじとばかりに表情を引き締めた。
「相手のことを思いやる気持ち、相手の喜んでいる姿を見たいって気持ち、相手の弱さを守ってあげたいって気持ち、好きだから一つになりたいって気持ち、好きだから離れなきゃいけないって気持ち、重い荷物を背負う人を助けてあげたいって気持ち、重い荷物を背負わせなきゃって気持ち、長い旅の中で一時でも安らぎを得てほしいと思う気持ち――」
 言いながらベッドを降りる。その眼差しはネスティスの瞳をじっと凝視し続ける。
「なんだかわかんないけど相手のものになりたいって気持ち、自分のものにしたいって気持ち、一緒に過ごす時間がたまらなく素敵って思える気持ち、素敵って思わなくてもそれが自然だと感じられる気持ち――」
 立ち上がり、言葉を並べ立てながら顎を突き出すようにしてネスティスの顔に自分の顔を近づけてゆくと、知らずネスティスは退がっていた。
「――わかる? 愛情にはいろんな顔があるわ。理屈なんかで割り切ろうったって、そんなこと出来ないんだから。だって……だってそれが人間の心の一番大事な部分だもの。好きだから死ななきゃって思う心と、好きだから絶対に死なないって思う心が同時にあるのが人間の心だもの。……あなたに、そんなことが理解できる?」
「矛盾だらけだな。……となると……理屈も何もないのではなく、お前がそこに潜んでいる理を理解していないだけではないのか? ……例えば、もしお前の言うことが本当だとしたら――」
 そこまで言って、ふとネスティスの目が泳いだ。何かに気づいたように。
「本当だとしたら、何よ」
 ここぞとばかりに迫るクリス。
 その時、ネスティスはあろうことか目にもわかりやすく狼狽して、そっぽを向いた。
「いや、まさか……そんなはずはない。――ありえない」
 片手で自らの顔をつかむように覆い、首を振る。顔色がおかしい。
「一人で合点しないで、言ってみなさいよ! それとも、私の言葉が正しいって、認めるのかしら?」
「認められるものか」
 ネスティスの語気が、少し荒くなっていた。
 片手で顔を押さえたままのネスティスは、指の隙間から少女を睨んでいた。その瞳に怒りに似た稲妻が走る。
「お前の言ったことが正しければ…………お前が化け物と呼ぶ我らもまた、愛を持っていることになる」
 不意討ちされたようにクリスの表情が強張った瞬間、窓の外でひときわ激しく稲妻が閃いた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 漆黒の中に青白い光射す林を抜け、斜面を駆け上がると暗黒渦巻く雲の中で時折閃く稲妻を背景に、人の背丈の十倍はあろうかという巨大な石造りの門がそびえ立っていた。
 ノスフェル城の城門。吹き渡る風にも負けぬほど、轟々と燃え盛るかがり火の明かりに照らし上げられている。
 その前に立つ、五つのシルエットがあった。
「……さて、全員いるか?」
 ストラウスの呼び掛けに、それぞれ声が上がる。
「いるぞ」
「大丈夫だ」
「……あっちの方、放って来てよかったのかな」
「心配すな。三十人もの傭兵どもがおるんや。よもや負けたりはせんやろ」
「………………あれ?」
「うん?」
「??」
「……何で?」
「なんやなんや。なんかあったんか」
 城門の前に並んだ人影のうち四つが最後尾の一つを見る。他の影よりも明らかに重装備で明らかに耳の長い影を。
 一同の疑問を代表して口にしたのはシュラ。
「何でお前がいるんだ、キーモ」
「なんでて。ストラウスが呼んだんやんけ。愛の狂戦士部隊は来いて」
 前に進み出ながら、さも当然のように胸を張る。
「それより、あの呼び声でグレイがここに来とることの方がわしには驚きやがな」
「グレイはもう仲間でいいだろうが。目的も一緒なんだしよ。何か不服でもあるのか」
「まあまあ、そう怒んなや。ベリウスたらいうヴァンパイアを一緒に倒して、神殿でも一緒に戦った仲やしな。愛の狂戦士部隊扱いは別にええんや。ただ、えらい馴染んどるのがおもろかっただけや」
 まったくこだわりなさげにからから笑う。
 そこへ、ゴンが心配そうに斜面を見下ろしながら言った。
「それより、本当に傭兵部隊の方いいの? キーモが指揮とってたんでしょ?」
 林の中ではまだ時折魔法だか『リパルスアンデッド』だかの光が閃いている。戦闘は続いている。
「ええがなええがな。あっちにはシノっちゅう第二部隊の組頭張っとったおっさんもいるさけな。ガキやあらへんねんし、頭(かしら)の一人や二人がおらんでもなんとでもしよるて」
「無責任だなぁ」
「つーかな」
 ため息をつくゴンの横で顔の下半分を覆面で隠し、腕組みをしたシュラが冷ややかにキーモを睨んでいた。
「――キーモ、てめえの考えてることはお見通しだぞ」
「は? 何の話や」
「お前……俺達を出し抜いて先に伯爵を倒し、あわよくば城の中の財宝独り占めにしようとか考えてるだろ。そのために傭兵ども煽ってここへ来させたな? 五人で挑むより、傭兵三十人の方が勝ち目あるとか計算してよ」
 たちまちキーモの長い耳が、わかりやすくピコピコ上下した。シルエットだけではよくわからないが、視線も泳いでいることだろう。
「な……なんのことかな? いやいや、そんなこと思うてへんわい。当たり前やんけ。わしはただ、傭兵部隊の連中も仇を討ちたがってるし、ミリアちゃんとかグレイの彼女のことがやな――」
「じゃあ、財宝が目当てじゃないんだな?」
 不意にストラウスが口を挟んだ。途端にキーモは押しとどめるように手を突き出す。
「あーいや待て待て、ストラウス。慌てんな。確かにそれが目当てではないけどやなー……あったらあったでそれはしょうがないやろ? わしは別にそんな場合でもわしの取り分を放棄したりは――」
「いや、多分ないよ? 財宝とか」
「「「「は?」」」」
 ストラウスを除く四人の声が見事に重なった。
「な、なな、ななななな、なんでやねーん!!」
「いやだって。考えても見ろよ。さっきゴンが言ってたように、ああいうタイプのヴァンパイアは購入活動はしないからな。強奪か貢がせるかしかしない。けど、追い出される前に溜め込んでいた分は十年前、この城が空になった時点で差し押さえ済みだし、十年も放浪した末にようやく元の城に戻ってきて四ヶ月。別にこれまで民衆から搾取したわけでもなし。財宝なんて溜め込んでるはずがないだろ」
「あー……確かに」
 ゴンの納得に合わせて、キーモ以外が頷く。
 キーモだけが納得しなかった。
「ちょお待て! ほななんや? わしら何のためにここにおるんや!?」
「……クリスとジョセフ、それに他にさらわれた人達を助けるためだろ。自分で今言ったじゃない」
「約束が違うー!!」
「誰との約束だよっ!!」
「もう、行こう」
 重々しく宣言したのは、グレイ。
 ストラウスとゴンも表情を引き締め直して頷いた。三人は城門を開けるべく、前に進む。
 ガックリ落ちたキーモの肩を残ったシュラが叩いた。そしてそっと囁く。
「……その気落ちを連中にぶつけてやれ。それに、ひょっとしたら多少は溜め込んでるかもしれんぞ」
「シュラ、お前……」
「……見つけたら七:三な」
 さらに声をひそめて耳打ちされ、キーモは喜色を満面に浮かべた。
「わしが七やな?」
「んなわけあるかっ! 俺が七だ。この広い城の中、お前一人でどうやって探す?」
「むー……ほな四:六や。四:六に負けといたろ。もちろんわしが六やで」
「……俺が六、そっち四だ」
「誰が言い出しっぺやと思てんねん」
「ここに地図がある」
 シュラは自分の左胸を軽くぽんぽんと叩いた。
「城の地下に広がっているドワーフの作った地下迷宮の地図だ。多分大事なものを隠すなら、このどこかだと思うんだが……んん?」
「……五:五にしとこかい」
「俺が六、そっち四」
「ラリオスのおっさんに匿名で報告すんぞ」
「……わかった。山分けな」
 視線が交錯し、腕を交差させた二人は共犯者の顔で頷き合った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 それは石だった。
 まごうことなき石。石の身体に石の羽、石の尾に石の槍。
 門の上部両側に鎮座し、迫り来る凶事を払うために祀られし守護像――鳥と爬虫類を混ぜて擬人化したようなその石像は、守るべき城の主を倒さんと迫る敵意を討ち払うべく、魔力によって動き始めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 派手な金属音が響き渡り、グレイがバスタードソードを取り落とした。
「く……硬い」
 呻くその瞳は、空中ではばたきをしつつ次の攻撃を狙っている二体の悪魔像に向けられていた。
 こちらを嘲っているのか、カラスに似た耳障りな甲高い笑い声をあげている。
 斬りつけられたその身体には、目だった傷らしきものは見えない。
「……ガーゴイルか。実にオーソドックスな門番だな」
 ストラウスが鍬を構えてグレイをかばう。
「しかし、まずいな。あれは要するに魔法で動く石像だから、剣で倒すのは難しい。ハンマーとかメイスとかで、動けなくなるぐらいにぶっ壊さないと……それとも、岩とか斬れるか?」
「どこの達人の話だ、それは」
 苦笑しながらグレイはバスタードソードを拾い上げた。再び迎え撃つ構えを取る。
「残念ながら、まだそこまで極めてない」
「アンデッドじゃないから、『リパルスアンデッド』も効かないしねぇ。いきなりピンチだね、どうする?」
 背負っていた盾を左腕に装着しながら、背後に回るガーゴイルの一匹をじっと見つめるゴン。
「どうするったって……魔法しかないなぁ。あんまり無駄撃ちはしたくないんだけど――シュラ?」
 振られた暗殺者は即座に首を振った。
「無茶言うな。あんなもんに糸や針が効くと思うか。……まぁ、うちの師匠なら素手でやりかねんが……そうだ。キーモ、お前何かそういう武器は持ってないのか。殴る系統の」
「メリケンサックでええか?」
 鎧の首元から紐で通したメリケンサックを取り出す。
「いらんっ! てめえが殴り合え」
「アホ言うな。こっちの拳が壊れるわ」
「致し方ない。剣でも出来るところまでやってみよう。まったく効かないわけではないのだろう?」
 いささか邪魔臭そうにグレイが剣の先をゆらりと巡らせる。
「……まあ、それはそうだけど……数も多いしなぁ」
 渋い顔で呟くストラウスに、グレイは顔を曇らせた。
「数? ……二体だけだろう?」
「そうでもないみたいだけど?」
 ストラウスが顎で指し示す先――門の向こうから、いくつものはばたきが不気味に聞こえてくる。なぜか、先ほどまでしきりに鳴っていた雷轟はぱったり止んでいた。
「あと十体ぐらいいそうだな……――どうする?」
 誰にともなく聞いたストラウスの言葉に対する答えを、誰も持たなかった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 十秒ほどか、一分ほどか数分か、それとも十分か。
 クリスとネスティスは押し黙ったまま見つめ合っていた。
(……化け物が愛情……? そんなのありえない。でも……そう言っちゃったら、ここで話は終わっちゃう……)
 クリスは震えそうになる体を必死で押しとどめた。
 話が終われば、この女騎士は自分を伯爵の待つ場所へ連れて行くだろう。
 嫌だ。あんな化け物に三度(みたび)牙を突き立てられ、魂までも犯されるぐらいなら、この女騎士の亡霊と話をして時間を潰している方がましだ。まして、ここにいればその間命の保証だけはされる。このチャンスを逃す手はない。
(グレイが来るまで……時間を稼がなくちゃ。そうよ、それが私の戦い……何が何でも生きてやるんだから)
 一つ唾を飲み下して、クリスは腹を決めた。
(お父さんが言ってた。暇を持て余してる旅の人に時間を潰させるには、相手の話を聞くのが一番だって。訳ありの人はともかく、普通は自分のことや知ってほしいことがいっぱいあるから、それを引き出すように話を向ければ、いくらでも時間は潰せるって――宿屋の娘の真骨頂、見せてやるんだから)
 唇を軽く湿らせると、切り出した。言葉を選んでいるようにゆっくりと。
「……そうよね。ありえない話よね。でも…………だからってそう言い切るのもおかしいわよね」
「なに?」
 ネスティスは顔をしかめた。
「だって、思い当たる節があるからそういうことを言ったんでしょ、あなた。それは、あなたの中できちんと理屈が立っているの?」
 賭けだった。癇癪でも起こして話自体を打ち切られれば終わり。しかし、必ず乗ってくるとクリスは感じていた。
 果たして、少し目をすがめたネスティスは唇を噛んで、視線を泳がせた。
「いや……それは……」
「じゃあ、自分のことは棚に上げて、人のこと矛盾だらけだとか理屈がわかってないとか言ってたんだ。へー……えらいのね、あなた」
「く……」
 言葉を失って口を閉ざすネスティスを尻目に、クリスはベッドの縁に腰を下ろした。
「ともかく、話を聞かせてもらいましょっか。何でそんなことを思ったのか。ね?」
 自分の横をぽんぽんと叩きながら、にっこり微笑む。その心の内で、クリスは密かにガッツポーズをしていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ごがしゃごっ
 岩と岩が勢いよくぶつかる音が響き渡り、悪魔を模した石像の一つが木っ端微塵に砕け散った。
「……五匹目!」
 叩き潰したのはゴン。武器は魔法の糸『ストラングル・ウェブ』でぐるぐる巻きにされたガーゴイル。糸の中は既にその形を失ってはいるが。
 キーモが放ってガーゴイルを捕らえた魔法の糸の束の端をつかみ、力任せに振り回すゴンの周囲には、元ガーゴイルだったものの残骸の山が築かれていた。
「さあ、次っ!」
 ゴンの声に応じて、他の四人が連携を取って動く。
 ストラウスとキーモとグレイが他のガーゴイルを牽制している間に、シュラが鋼の糸を絡ませて目標のガーゴイルの動きを止めた。
「ラリオス暗殺術・鋼糸殺法・縛の奥義その27――『堕天』!! 変化、シュラ流体術奥義・『竜巻稲妻投げ』!! ううりゃああっっ!!」
 翼を絡め取られ、落下する石像を空中で背後から捕まえると、ひねりを加えてゴンの待つ方へと投げる。
 投げつけられたそれを、ゴンの持つガーゴイルの糸包みが見事に迎え撃ち、六体目が石へと戻った。
 残り六体となったガーゴイル。途端に、その動きが変わった。
 それぞれバラバラに獲物を狙っていたのが、一つの目標に定めた――すなわち、投げ役であるシュラを。
 ケーケー鳴きながら空中から急降下して、次々襲ってくるガーゴイルの槍、爪、尾の波状攻撃。
 しかして、それらを見事な体技と体捌きで躱し続けるシュラ。
 やがて、その足が止まった。息を荒げ、周囲の様子を見回す。
 ここぞとばかりに頭上を囲み、一気に攻めかかる六体の石像。
 シュラはにぃ、と頬を緩め――跳んだ。ガーゴイル達の包囲の只中へ。
 空中から舞い降りるガーゴイルの腿、肩、頭に次々と手を置いては、それを支えに身体をひねって隙間隙間を潜り抜け、さらには踏み台にさえしてその頭上へと踊り出る。
 それはまさに、『蛇のごとくにすり抜けた』という表現以外に形容のしようのない、見事な動き。
「――後は任せたぜ」
 空中で呟くシュラに、応えるは射程範囲内におびき寄せてもらったゴン。
「了解ぃ。いっせーのーでぇ……どりゃあっ!!」
 一斉に頭上のシュラを見上げていたガーゴイル達を石の塊が横殴りに襲い――六体は砕け散った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ネスティスはクリスの招きに応じず、ベッドへは腰を下ろさなかった。
 クリスの前に立ち、腕組みをして険しい面持ちで見つめている。
「……私は、伯爵様に忠誠を誓っている。伯爵様に仕えることのみが全て。伯爵様の喜びが私の喜び。ただあの方のお役に立つことだけが私の存在理由。あの方と出会ってすでに五年。この気持ちが揺らいだことはない。お前の言うことが愛だとするなら、この気持ちは愛だというのか?」
「何か……見返りはあるの? お金とか、欲望を満たしてくれるとか、満たしやすいとか」
「そんなものはない。デュランは強き者に仕えることが騎士の喜びだと言っているし、ナーレム様達はご寵愛をいただくことが目的のようだが、私はそんなもの求めたこともないし、求めようとも思わぬ。ただただ、あの方のお役に立ちたいだけだ」
「う〜〜……ん」
 腕組みをして俯いたクリスは、本気で考え込んでいた。聞いているだけでは愛情といえなくもない、と思える。
「どうなのだ?」
「どうって……それっぽいけど」
 返答を急かされ、クリスは眉間を寄せたまま思うところを答えた。
 たちまちネスティスの表情が歪む。醜悪なものを見た人間のように。
「……馬鹿な。私はスペクターだぞ? 生者への憎悪と破壊欲の権化、死ぬに死に切れず、さ迷い歩いては生者の命と負の感情をすすり、喰らう呪われし化け物だぞ。なぜそんな私が――」
「でも、伯爵には駆け引きとか見返り抜きで仕えられるんでしょう? 生者には憎悪と破壊欲の権化でも、伯爵に対しては違うとか」
「それは……。……そう……なのだろうか」
 今度はネスティスの方が考え込んでしまった。
「あのさ……なんでそこまでして伯爵に仕えるの? 好きとか嫌いじゃないんだったら、何か理由があるはずよね」
「理由? 理由などない。しいて言えば、私は全てを伯爵様から与えられたからだ。剣も、知識も、ネスティスという名も、おそらくは『私』という意識さえ」
 ネスティスは誇らしげだった。久々に明確な答えを返せるのが嬉しいように。
「伯爵様と出会うより前の記憶はあやふやで、ほとんど思い出せぬ。自分が何者かも、何をしていたのかもわからぬ。だから、私は伯爵様の元から離れることなど、考えたこともない。伯爵様の手で作り上げられたこの『私』が、伯爵様のおられぬところで何をなせばいいのだ?」
「ふーん……子供みたい」
「なに?」
「親とはぐれるのが怖くて、必死でその手を握ってる子供みたい。……まあ、それはいいんだけど。今、すっごい疑問がわいちゃった。訊いていい?」
「なんだ」
「あなた、ほんとに憎悪と破壊欲の権化なの?」
 実に素朴なその疑問に、ネスティスは劇的なほど表情を強張らせた。
「な……に?」
「伯爵から離れたら何をしたらいいかわからない――なんて、言ってることが違うじゃない。伯爵がいなかったら、ただ手当たり次第に人間を襲えばいいんじゃないの? それとも、それがまずい理由でもあるわけ?」
「いや……それは…………ない……が……」
 クリスの問いがどれだけの威力をもってネスティスに襲い掛かったのか。女騎士は思わず半歩後退ってよろめいた。
 クリスは畳み掛けた。
「それに、今は侵入者が来てるんでしょ? 生者が憎くて、殺さなきゃ気がすまないってわりになんだか殺気立ってもいないし。早く現場に行きたくてそわそわしている風もないし……本当に生者への憎悪が、あなたの中にあるの? あるんだったら説明して。それは、どんな気持ちなの?」
「わ、私は………………私の中には……」
 ネスティスは氷漬けにでもされたかのように、一切の動きを止めた。
 窓の外では、いつの間にやら稲妻の輝きも収まり、ただこれから起きる事態を予告するように低く、唸りをあげているような音が響いていた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 巨大な城門を押し開くと、幅3mほどの石畳の道が真っ直ぐに走っていた。左右は庭なのか雑草が伸び放題の草原になっている。
 道の両脇には槍を真っ直ぐ捧げた鎧武者の人形だか彫刻だかが、台座の上で等間隔に並んでいる。その数、ざっと片側二、三十体、合計五十体ほど。
 その先は次の門の前に続いている。そこまでの距離は100mほどだろうか。
「……なんだか展開が読めるな」
 うんざりした声でシュラが呟くと、ストラウスも頷いた。
「まあ、ありがちってことはそれだけ効果が高いってことだからねぇ。……問題はあれが鎧か、彫刻かってことなんだけども」
「何か違いがあるのか?」
「大違いや」
 グレイの問いに、キーモが槍をしごきながら進み出た。
「石の彫刻やったら、さっきのガーゴイルとおんなじことになる。せやけど、ただ単に中身のない鎧やったら、剣でも使いようで貫くんはでけるやろ」
「どっちにしろ壊さなきゃならないわけだし、僕が行くよ」
 大分小さくなったが、まだ魔法の糸にガーゴイルの破片を包んだ即席の破壊球を引きずっていたゴンが、それを振り回しながら進み出た。中にいたはずのガーゴイルの足やら腕やらが飛び出して、ほどよく凶悪な凸凹が出来ている。
「……一斉に襲ってきたら、牽制よろしくね」
 それだけ言い残し、ゴンは駆け出す。
 その後姿を見ながら、ストラウスはぽんと手を打った。
「ああ。一斉に来てもらった方がいいかも」
「「「は?」」」
 驚く三人に、ストラウスは企み顔でにんまり笑った。
「おし、ちょっと行ってくるか。……荷物頼むわ」
 背負っていたザックをグレイに渡し、軽く屈伸運動を繰り返したストラウスは鍬を担いだまま――ゴンを追って駆け出した。

 ―――――――― * * * ――――――――

 鎧は近づくゴンを感知して動き出した。
 両側の台座の上から一体ずつが飛び降れば、がしゃんと派手な音が響いた。
(鎧か……じゃあ、リビングスタチュー(動く彫刻)よりは壊しやすいかな)
 鎧の板金同士が触れ合って立てる騒々しい音を響かせながら、槍を構えた鎧がのたのた近づいてくる。
 ゴンがガーゴイルの糸包みメイスを振り上げたその時、すぐ脇を一陣の黒風が吹き抜けた。
「……え? ストラウス?」
 慌てて二体の鎧を叩き潰している間にも、ストラウスは石畳の道を真っ直ぐに駆け抜けて行く。当然、道の両側に鎮座している鎧たちが次々と降りてくる。
「な……何してんのーーーーーーっ!!!!???」
 追って来たキーモ、シュラ、グレイも慌てて武器を抜く。
「くそ、あの馬鹿なに考えてんだっ!?」
「あの数の鎧を一気に相手にする理由がわからん。どういうことなんだ、ゴン司祭!?」
「僕が知るわけないでしょー!?」
「いくら足に自信があるゆーてもやな、帰りはどうすんねや――て……あーそうか。そーゆーことかいな」
 不意に何に気づいたのか、キーモは主を失った台座に槍を立てかけて道の真ん中に進み出た。
「何だ、キーモ何を……」
「鎧どもは全部道の上におんのや。幅3mほどのな。せやから、こないしたったらええんや――『ライトニング・ストライク』!!」
 叫びと共に突き出した手の平から迸った魔法の稲妻が、石畳の上に居並ぶ鎧を次々と貫いて走った。
 道の半ばほどまでの鎧が射程距離内にいたらしく、声もなくガシャガシャと崩れ落ちる。
 おお、とまるっきり観衆じみた歓声を上げるゴン、シュラ、グレイ。
「ぬはははは、どんなもんやい」
 キーモの勝ち誇った笑い声が響き渡った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 石畳を走り抜けたストラウスは、内門にタッチして振り返った。
 丁度キーモがライトニング・ストライクを放った時だった。激しい閃光が弾けるのが見えた。
「おー。キーモか。ええと、射程距離から考えて半分くらいは逝ったかな。……別によかったんだけど。ま、時間の短縮にはなるか。後はこっちから俺が――が?」
 手の平を道の方向へ向けて構えたその時、異様な音がどこからともなく響いてきた。
 ストラウスの視線が泳ぐ。
 大きな音だった。人の背丈ほどもある歯車同士が噛み合って動いているような、ふた抱えもある木の柱が悲鳴をあげているかのような。そして、人家ほどもある石臼がゴリゴリ動いているかのような音。
「……や、やぁーな予感が……」
 おそるおそる振り返る――その目が最大限に見開かれ……
 えもいわれぬ悲鳴が夜闇を切り裂いた。


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