愛の狂戦士部隊、見参!!

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第五章 血戦 (その1)

 閃く稲妻が、渦巻く暗雲を背景にそびえ立つ古城のシルエットを描き出す。
 そそり立つ絶壁の上に建てられたノスフェル城は、天へと突きつけた三叉矛(トライデント)のように見える。
 城の周囲で吹き荒び、唸り、吠え、猛る風はまさに宴を前にした魔物の雄叫び。
「――見えてきたな」
 峠で足を止めたストラウスは、ついっと麦藁帽子の鍔を指先で上げ、谷の向こうで一行を待ち構えているかのように佇む城のシルエットを見上げた。その口許はにんまり不敵に緩んでいる。
「予想外に早く来ちゃったね」
 松明を掲げたゴンは、対照的に表情を引き締めていた。
「夜明けまではまだ間がある。少し待つか?」
 同じく松明を掲げたグレイの言葉に、シュラが首を振った。
「いや、どうせ邪魔が入る。ボス戦の前にザコどもを蹴散らさなきゃならんのはいつものこったしな」
「違いない。そんじゃま、ぱっぱと片づけますか」
 薄く笑ってストラウスは再び歩き始めた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 道はやがて鬱蒼と茂った森の中へと入っていった。
 なだらかな斜面を一筋、森を割って真っ直ぐ上がってゆく道。その彼方に、稲妻の閃きに浮かび上がる城門が見えた。
 不意にストラウスが足を止めた。
 シュラとグレイの瞳が素早く左右に走る。
 ゴンだけが不思議そうに行軍の停止を訝しんでいた。
「どうしたの?」
「……魔物の気配じゃないな」
 肩に担いでいた鍬を一振りするストラウス。
 シュラは懐に手を入れながら、吐き捨てた。
「こんなとこでこんな阿呆な真似をするようなバカたれは、あのタコだけだろ。気配も殺せねえくせに隠れてどうしようってんだか……間抜けが」
「……エライ言われようだな。つくづく、礼儀を知らんチンピラだ」
 少し先の茂みから、人影が現れた。さらにその背後のあちこちから茂みを揺らして、わらわらと人影が道に出てくる。
 松明の揺れる灯火でよくは見えないが、それぞれ棒やらフォークやら農作業用の大鎌などで、武装しているようだ。
 暗がりに潜む気配と人影を、シュラは素早く勘定した。
「ひぃふぅみぃ……ざっと二十人てとこか。こんな夜更けに、集めたもんだな。道理で神殿に帰って来ねえわけだ」
「ミアだけではないな。近隣の村から集めてきたか……だが、しょせんは烏合の衆」
 グレイがずらりと腰のバスタードソードを抜き放つ。刃が雷の閃きを弾き、辺りを押し包む人影が一斉にどよめく。
「何人だろうと、何者だろうと、往く手を阻む者は全部敵だ。死ぬ気でかかって来い」
「わがままもいい加減にしたまえ」
 最初に出てきた人影――松明と稲妻に禿げ上がった頭が光るブラッドレイが、うんざりした声で吐き捨てた。
 彼の内に渦巻く怒りを代弁するかのように、空で雷が唸っている。
「わがままだと?」
 グレイの怒りの稲妻を宿した鋭い瞳がブラッドレイを睨む。
 ブラッドレイは進み出てきた。松明の灯りにその厳めしく強張った顔が露わになる。
「……たかが一人の娘のために、一つの地方を危険にさらすのがわがままでなくて、何だというのだ」
「知ったことか。俺にとっては、クリスとの約束の方が大事だ」
 後ろで手を組んだブラッドレイは、四人をじろっと一瞥した。
「子供の理屈だな。社会を維持するためには、人はそれぞれ多少なりの犠牲を我慢せねばならん。ミアの地のような辺境では特にだ。そんな子供の理屈は通用せん。そして、ルールを破った者、いや、破る者には制裁が加えられる」
 グレイはもう答えもせず、ただ少し身を屈めた。飛び掛る寸前の肉食獣のように。
 ブラッドレイの背後に居並ぶ人影からも殺気が放たれる。
「そっちもやる気満々みてえだな。なら、話は早い。蹴散らすまでだ」
「いいのかね、それで」
 懐に手を入れたシュラを牽制するように、ブラッドレイはじろりと一行を見やった。
「我々と戦って手傷を負ったり、無駄な力を使った状態で【転生体】であるノスフェル伯爵に勝てるとでも思ってるのかね。悪いことは言わん。帰りたまえ。それが、君達にとっても、我々にとっても最善の選択だ」
「は、舐められたもんだな」
 シュラは軽く鼻先で笑った。
「伯爵にたどり着くまでに、山ほどの雑魚を蹴散らさなきゃならんのは予定の内だ。多少増えたところで、痛くも痒くもない」
「そうそう。まー、そもそもその選択で助かるのはそっちだけで、こっちには全く何のメリットもないしね。こっちの約一名は、命を捨てる覚悟で挑んでるわけだし、生きて帰ることばかりが最善とはいえないでしょ。死ぬつもりもさらさらないけど」
 ストラウスは鍬の頭を地面に立て、その柄の先に両手と顎を乗せていた。
「……マーリン君。神殿での物分りの良い返事は、やはり演技だったというわけだな」
「演技? 演技なんかしてませんし、何か約束をした覚えもありませんが? あなたが勝手にそう思い込んだだけでしょう? ――戦いもせずに伯爵に勝てない、と思い込んだみたいに。それはこちらの責任じゃない」
「あくまで戦うと言うのだな。ならば仕方がない」
 苦渋か、それとも憤怒か。顔を歪めるブラッドレイ。
「ちょっと待って」
 両者の間に、いきなりゴンが割り込んだ。
「戦う前に、話をさせてくれないか」
 ストラウスは肩をそびやかし、シュラとグレイは鼻を鳴らして構えを解いた。
 両者の間に立ちはだかるように進み出てきたゴンに、ブラッドレイは困惑げに顔をしかめた。
「ゴン司祭……君もやはり我々と戦うことを選ぶのかね。やはり、あの男の弟子だな」
 ゴンは少しむっとした。
「師匠は関係ありません。けど、こんな争いは馬鹿げてます。そっちも、こっちも本当の敵はノスフェル伯爵でしょう? こんなことしたって、奴の利になるだけじゃないですか。全然意味がない」
「だからわしは退け、と言っておる。聞く耳を持たぬのは、君達の側だ。説得する相手が違うのではないかね、ゴン司祭?」
「いいえ。僕が説得すべきは、あなたです」
「それは無駄なことだ。私は絶対に節を曲げない」
「じゃあ、言わせていただきますが……あなたは間違っている」
 ブラッドレイはやるせなさそうに首を振った。
「間違っている、か……若いな。人が人を思い、守ろうとする気持ちが間違いなら、この世の愛は全て間違いだ。そこのグレイという男の考えも間違っていることになる。自分の考えが通用しないからといって相手を間違っていると切り捨てるのは、ただの思い上がりだよ、ゴン司祭」
「そうじゃない。あなたがこのミア地方の人たちを大事に思う気持ちは、僕にもわかっています」
 ゴンはゆっくり辺りに群がる人影を見渡し、再びブラッドレイに戻った。
「だから、神殿で初めてお目にかかったときに言ったあの言葉は嘘ではないし、今でもあなたを尊敬する気持ちに変わりはありません。十年もの間、貧困という姿のない敵と戦い続けたこと、だからこそあなたが声をかけるだけでそうやって二十人もの人たちが集まったこと。全て素晴らしいことだと思います。でも――」
「でも?」
「それとは全く違うことで、僕はあなたを糾弾しなければならない。同じモーカリマッカの司祭として」
 びしりと指を差され、驚くブラッドレイの頭上で稲妻が跳ねた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 天を走る白き稲妻も届かぬ闇の中を、蠢く者があった。
 それは、渇いていた。
 飢えていた。
 獣のごとくにその飢えを、渇きを癒すものを求め、鼻を利かせていた。
 やがて、それは捉えた。渇きを癒すものを。
 餌を。

 ―――――――― * * * ――――――――

「私を……糾弾する、だと?」
 ブラッドレイは鼻で笑った。
「入信して既に四十年を経ているこの私を? 君は……十年だったか? たかだかその程度の若造が、よくもそこまで思い上がった口を利けるものだ。いや、そこまでいけばもう思い上がりではないな。驕りだよ。さすがはあの男の弟子。もう、呆れて告ぐべき言葉も見つからん」
「僕はストラウスみたいに辛辣な皮肉は得意じゃないけど……四十年もあれば、道を見失うのには十分な時間があるということなのでしょうね」
 一瞬表情を失ったブラッドレイは、しかし、すぐに苦笑を浮かべた。
「……それこそ、充分に辛辣だと思うがね。いいだろう、聞いてあげよう。言ってみたまえ。君が、私の何を糾弾するというのかね」
「あなたは僕に言いましたね。僕達司祭は神の尖兵だと。神の尖兵たるあなたが、モーカリマッカの教えの敵であるアンデッドを放置し、あまつさえその軍門に下っていることは、十分糾弾に値すると思いますが」
「若いな。何度も言うが……若い。底が浅いぞ、ゴン司祭」
 憐れみを伴った眼差しでゴンを見やる。
「モーカリマッカ様が、いつアンデッドを敵と見なしたのかね。モーカリマッカ様の敵は、経済活動を阻むもの。世にいう悪や魔、闇の勢力などではない。そもそも、盗賊ですら崇めることもあるモーカリマッカ様に、アンデッドを悪と見なす正義がどこにあるのかね」
「商売できるゾンビはいない」
 ブラッドレイの眉が、少し跳ね上がった。
「賃金を要求する骸骨(スケルトン)もいない。実体を持たない多くのアンデッドは貨幣をその手につかむことすら出来ず、むしろ生前に貯め込んだ財宝を誰にも使わせないよう守っている。そして、ヴァンパイアなどの実体を持つ高等アンデッドは買い物をしない。連中は奪うだけだ。だから、明確にモーカリマッカ様の敵だ――私はそう教えられました。もっともだと思います」
 ブラッドレイは黙り込んでいた。その表情からは苦笑も消えている。
「僕達司祭職にある者は、世のため人のためだけでなく、神のためにも働かなければならない。いや、むしろ神のために働くことこそが第一義であって、世のため人のためはその副次的な効果に過ぎない、とさえ言ってもいいんじゃないんですか」
「……その考え方こそが思い上がりを生み、他の宗派を排除したり弾圧することにつながるのだ。司祭職にある者も人である以上、そのような考え方に立つべきではない。目に見える人々のために働けぬ者が、なぜ姿見えぬ神のために働くことができるのかね。大事なのは人だ。神ではない」
「それは神の意志の代行者たる司祭位にある者の吐く言葉じゃありませんよ、司祭!」
 ゴンは怒りも露わに、拳を傍らの木の幹に叩きつけた。
「僕らは入信する時に、神への忠誠を誓う。それを違(たが)えるのですか!?」
「違えはしない。だが、何が大事かを考え、順序をつければこうなるということだ。この件でもそうだ。私に伯爵を倒せるだけの力があるのなら、私は彼を倒そう。だが、私にはそんな力はない。力も無いのに伯爵に立ち向かえば、必ず殺されるだろう。そして、反抗者を出したこの地域は、伯爵によって死の地へと変えられる」
「違う! そんなのは司祭位にある者が無条件に屈服する理由になんて、ならない!」
 再び拳を幹に叩きつける。
「優しいだけでいいのなら、町の篤志家だってそうだ。貴族にだってそういう高潔な人間はいる! 僕ら司祭職にある者は、神の意志と人の理を同時に満たす働きをするからこそ、特別な存在と認められているのでしょう!? 神への信仰を貫きつつ、人への優しさを忘れないからこそ、尊敬されるんじゃないんですか!?」
「それは理想論だよ。現実は、そんな理想通りに行くものではない」
「だけど、司祭の誓いは理想を追うことへの誓いのはず! それを捨てるということは、神との約定を破棄することでしょう!? 他の者ならともかく、数多くの信者の範となるべき司祭が選択していい決断じゃない!」
「では、どんな手があるというのだ!」
 業を煮やしたように、ブラッドレイも叫び返した。
「嵐を呼び、魔術を操り、霧に、コウモリに、狼に化け、闇を見通し、恐るべき配下を束ねるあの魔王を相手に、どんな策があるというのだね! たった一度の反抗がこのミアの地を死と闇に沈む王国へと変えるかもしれないのに、あたら迂闊な行動は取れるはずがない。それとも、戦って死ねというのかね。親しい者も、愛する土地も全てを巻き込んで。そんなことが出来るほど、私は非情にはなれん。私は、人なのだ」
「司祭は……『人』であることを理由に人を許すことはあっても、自らがそれを口実にするべきではありません。それが身を正すということでしょう? 第一、直接戦うことだけが戦いではないはずです」
「そうだ。直接戦うことがかなわぬゆえ、私はこの戦い方を選んだ」
「違う」
 ゴンは苦しげに顔を歪め、首を振った。
「伯爵が存在する限り決着することのないそんな方法が、最善の選択であるはずがないでしょう。伯爵は人ではないんですよ? 寿命で死ぬこともなければ、ありきたりの方法で殺せる相手でもないんですよ」
「だからこそだろう。そんな存在に、我々か弱き人間がどう戦えと君は言うのかね」
「……なんでアレフ師匠に助けを求めなかったんです」
 少しの間が空いたが、ブラッドレイは答えなかった。
「いや、師匠でなくてもいい。他の宗派の司祭たち、冒険者、傭兵……力が足りないなら、集めればよかったんです! 敵が【転生体】のヴァンパイアなら、心ある人は手を貸してくれたはずです! なんで……そう、そもそもなんで四ヶ月も放置したんですか!」
 ブラッドレイは急に首を締められたかのように苦悶をよぎらせた。
「……それは……」
 言葉に詰まる。頬が引き攣る。うつむいた司祭は、呻き声を搾り出すように言った。
「……いずれ、伯爵はここからグラドスへと向かうからだ……その間だけ、我らは耐え忍べばよいからだ」
 たちまち不意討ちでも食らったかのように、ゴンの表情が強張った。
「ちょっと……待ってください。どういうことです、それは。奴がグラドスへって……」
「伯爵がまず手始めにやりたかったのは、復讐だ。シュバイツェンたちへのな。だから……実は、連絡をつけるように言われていたのだ」
 ゴンだけでなく、その後ろで話を聞いていたストラウス、シュラ、グレイもぽかんとしていた。
「そして、シュバイツェンも薄々気づいていたようだ。君がシュバイツェンに託された手紙、あれにも書いてあった。伯爵が帰還するらしいからその兆候があれば、すぐ連絡をつけるように、と」
「だったら、なぜ!」
「決まっている。ミアのためだ!」
 ゴンの問いに、ブラッドレイはばっと顔を上げて答えた。
「私が連絡をつけ、シュバイツェンがここへ来たとしよう。返り討ちにあって戦う者がいなくなった後、次に伯爵が取る行動は何だ? そのとき、この地はどうなる? ……だが、私がシュバイツェンに連絡をつけず、むしろ無視を決め込んでいると伯爵に伝えれば、伯爵は首都へと向かわざるをえん。伯爵を迎えた首都グラドスは混乱するだろうが、我らはその時点で助かる」
「な……」
 ゴンは絶句した。脳裏をよぎる友人・知人、隣近所の人々。その全てが、実は四ヶ月前から襲われそうになっていたというのか。
「なに、グラドスにはミアよりも多くの人がおり、多くの力ある者がおる。なんとかできるだろう。だから、それを待ったのだ。伯爵が腰を上げるのを。それを……それをこんな形で終わらせはせぬ」
「ふざけんな、このクソ生臭坊主! もう許せ――」
 背後から飛び出して殴りかかろうとしたシュラ。その肩を、ゴンは素早くつかんで止めた。
「ぐ、あ……」
 シュラの表情が歪む。止められた怒りではなく、革の鎧を歪ませるほどに込められた、ゴンの指の力に。
 ゴンは加減なくシュラを後ろに投げ捨てた。受け止めたグレイが、勢い余って尻餅をつく。
「……よくわかりました」
 ゴンの言葉に、シュラが目を剥く。再び飛び出そうと身を屈めたところで、ストラウスが手を伸ばして素早く遮った。目顔で、動くな、と牽制する。
 ゴンは軽く、拳を手の平に打ちつけた。
「そうであれば、僕も余計に引き返すわけにはいかなくなりました――グラドスには大切な人達がたくさんいます。やっぱり、伯爵はここで倒しておかないと」
 ブラッドレイは少しほっとしたような、しかし哀しげな顔で頷いた。
「致し方あるまいな。君達と私達の間には、この山の渓谷より深い溝がある。それはもう、いくら言葉を重ねても埋められるものではない。もはや君達が退くか、我々が君達を排除するか……二つに一つしかないのだ」
「いいえ」
 ゴンは首を振った。
「それでは何の解決にもなりません。最初に言ったように、伯爵の利になるだけじゃないですか」
「他の選択肢などあるかね?」
「ええ。ブラッドレイ司祭も一緒に来ればいいんですよ。僕らと」
「……………………は?」
 ブラッドレイの――否、ゴン以外のその場にいる者全ての驚きを代弁するかのように、稲妻が天を駆け抜け、雷鳴が轟き渡った。
 高まっていた緊張感が、一瞬にして霧散した。
「あなたの司祭としての力があれば僕らも助かるし、戦い方にもっと幅が出て伯爵もその部下も倒しやすくなる。倒しましょう、一緒に。カイゼル=フォン=ノスフェルを」
 拳を解いて、手を差し出す。握手を求めて。
 沈黙の帳が落ちたその場を強い風が吹きぬけ、頭上で稲妻が踊る。
 やがて、誰かが吹き出した。
 暗がりに笑いの輪が広がり始める。ブラッドレイ司祭もこらえきれずに苦笑を浮かべている。
 ゴンの後ろにいるシュラ、ストラウス、グレイだけは笑っていなかった。
「何を言い出すかと思えば」
 笑いをこらえつつ、ブラッドレイは首を振った。
「伯爵は、君達に私を加えたぐらいで倒せる相手ではない。十年前の伯爵ですら、シュバイツェン達がよってたかって追い出すのがやっとだったのだ。今の伯爵に君達ごときが何をしたところで――」
「ぐおっ!!」
 突然、短い悲鳴がブラッドレイの声を遮った。
 一斉にその声の方向に眼が動く。
 一人の青年が、何もない虚空を見上げて痙攣していた。
 その左首筋が、闇色の何かに侵食されている。そこからぢゅるぢゅると不気味な音が響き渡っていた。
「お、おい……ブラム、お前何を――」
 仲間が声をかけた途端、ブラムはその男に向かって手を伸ばした。
「……た、助け……助け……」
 一歩、一歩。背中に何かを背負ったまま、震える足を踏みしめ、救いを求めて進み出る。
 しかし、周囲の若者達は一斉に後退った。
「ば、馬鹿野郎……来るな、来るなよっ!!」
 誰かが叫ぶ。同時に、ぐるん、とブラムは白目を剥いた。
 そして脱力したように崩れ落ちるブラムの肩越しに、奇妙に崩れた男の顔が――松明の揺れる明かりに口許を染めた血が輝く。
「ひ、ひ、ひぃ……」
 誰ともなく悲鳴を漏らし、一斉に振り返って斜面を――
「ゴン、封じろ! シュラ、グレイ!!」
「マス・ホールド!」
 暗がりに立ち並ぶ彫像のごとく、パニックに陥った若者達は凍りついた。
 同時に、シュラとグレイが飛び出していた。
 呆然と立ちすくんでいるブラッドレイ司祭を蹴りのけ、唯一動く気配の源へと踊りかかる。
 その刹那――
「――フラッシュライト!!」
 女の凛とした声と共に、林間の闇と影を切り裂いて光が溢れた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 うずくまる影と闇を消し飛ばし、青白い魔法の光がそこにあるものをあからさまにする。
 たちまち、そこここに潜んでいた敵意と悪意が、姿を現した。
 シュラもグレイも思わず足を止め、何が起きたのかと思わず二、三歩跳び退さる。
 愛の狂戦士部隊もろとも、ブラッドレイの連れてきた若者たちは囲まれていた。
 生気を失った肌、四肢のいずれかを欠いた者、明らかに動けるはずのない致命傷を負った者、器官の一部を引きずっている者、蛆すらたかっている者……。いずれも一目で腐乱死体と知れる醜いその姿、そのだらしなく開いた口から漏れる呻き、唸り、喘ぎ、よだれ、体液――それらはゾンビ(動く死体)だった。
「「「「リパルスアンデッド!!」」」」
 いくつもの声が同じ言葉を発し、響き渡った。
 樹間をすり抜けて、いくつもの光条が迸った。
 そのうちの一つがブラムの背中にしがみついていた醜い腐乱死体を直撃し、木っ端微塵に打ち砕く。
 包囲網の一角がその光条に撃たれ、砕け散った。水を掛けられた蟻の群れの様に、慌てふためく生ける死体ども。
「「「「ブレイズ・バースト!!」」」」
 同じように重なった声と共に、死体どもがいくつも紅蓮の炎に包まれて燃え上がる。
 続けて、ときの声をあげて人影が斜面を駆け下りてきた。各々が手にした得物が魔法の光を弾いてきらめく。
 たちまち、斜面は乱戦模様と化した。
「リパルスアンデッド!」
 叫びが光を呼び、もう原形すら保っていないほどに腐れ切ったゾンビが、土塊に戻される。
「うりゃああああああ!!」
 斧が唸りを上げ、さらに小さな腐肉の塊と化すゾンビ。
「マジックアロー!」
 光の矢が闇を切り裂いて、金縛りで動けぬ若者に噛み付こうとしていたゾンビの頭を粉々に吹っ飛ばした。
「なーっはっはっはっはっはっは、一匹たりとも逃がすんやないでぇ!! 全部土に返したるんやぁ!」
 左手の最後方からひときわ大きく届く、スラム訛りの声。
 状況がわからず、呆気に取られていたグレイとシュラ、ストラウスとゴンはそれぞれ顔を見合わせた。
「キーモ!?」

 ―――――――― * * * ――――――――

 幹部を引き連れ、少し高い場所から状況を見下ろしているキーモ。
 ヘルメットこそ脱いでいるが、完全武装で腕組みをして、悪党の笑みを浮かべている。
「くっくっく、こんだけ乱戦になっとったら、ブラッドレイのおっさんも、ストラウスどももわしの邪魔はでけへんやろ。……あいつら、怪我でもしてくれたらもうけもんやねんけどな」
「何か? ヤン指揮官殿?」
 隣のシノがキーモの呟きに、少し顔をしかめて聞いてきた。
「いーや、何でもあらへん。それより、あの邪魔なん何とかならへんのか」
 キーモの言う邪魔とは、『マス・ホールド』で固められた若者たちだった。
 しかし、シノは首を振った。
「おそらくあれは近隣の若者だと思うが、むしろ今動かれてはかえって邪魔になるというもの。なに、ゾンビどもを掃討し終えてから解放してやるとしよう」
「ほっといたらええんや。こんな夜更けにこんな――」
 ちらりと山道の続く先、シルエットだけが稲妻に浮かび上がる城門を見やる。
「――危ないとこに集まっとる連中なんぞ、それなりの覚悟しとらんとおかしいわい。斬られたかて自業自得じゃ」
「指揮官殿は、厳しいのう」
 言葉とは裏腹に、シノはからからと笑った。
「ま、ゾンビごときに後れを取るような “わしの” 部隊やあらへんやろ。しばらくは高みの見物と行こか」
 キーモもからからと笑った――刹那、混乱を告げる叫びがあがった。
「――マス・フリー!!」
 何のことかわからぬキーモは顔をしかめただけだったが、シノは――たちまち青ざめた。

 ―――――――― * * * ――――――――

 掌を突き上げたブラッドレイを中心に、不思議な力が広がってゆく。
 たちまち、周囲で硬直していた若者達が次々解き放たれ、茂みに突っ伏して行く……
 ブラッドレイは叫んだ。
「みんな、早くここを離れたまえ! 一旦離れて城門の前へ集まるんだっ!」
 そして、その無茶な指示が、現場に更なる混乱をもたらした。

 ―――――――― * * * ――――――――

「あの馬鹿、この状況で解きやがった!!」
 シュラは若者の一人に襲いかかろうとしていたゾンビを蹴り飛ばし、たまたま放たれた『リパルスアンデッド』の効果範囲内に押し戻す。
 たちまち土塊に戻るゾンビを見ることもなく、吐き捨てた。
「えらい騒ぎになるぞ! どうすんだ、ストラウス!」
 その言葉通り、戦場は混乱に陥った。
 生存本能に従い、斜面を駆け下りてひたすら逃げる者、恐慌状態に陥ってどこへともなく走り回る者、せっかく戒めが解けたにもかかわらずその場で立ちすくむ者、律儀に命令を守ろうと山道を駆け上がる者……たちまち、悲鳴と怒号、罵声が響き渡った。
「何考えてんだ、このバカッ!」
「先にてめえから三枚におろすぞ、ガキっ!」
「邪魔だっ!」
「どけっ!!」
 突き飛ばされる者、蹴り飛ばされる者、砕けた腐肉の塊に頭から突っ込んで全身腐汁だらけとなり、気が触れたかのような叫び声をあげて前後左右もわからぬままに駆け出す者……。
 ついには切り倒される者も出て、さらに混乱はその度合いを増した。
 逃げ惑い、方向を見失い、右往左往して殺されそうになる若者達の群れは、戦場を思う様掻き回していた。
 もはや誰も正しい敵を認識することが出来なくなりつつあった。
 そして、その状況をただおろおろと見ているしか出来ないブラッドレイ。
 その隙にストラウスが動いた。
「――愛の狂戦士部隊、突破!!」
 たった一度響いたその声に、一行は即座に反応した。
 グレイが、シュラが、ゴンが、目の前の敵を倒すや踵を返して山道を駆け上った。立ちふさがる影はゾンビであろうが、若者であろうが殴り倒して戦場を駆け抜ける。
 混乱に乗じて戦場を離脱する愛の狂戦士部隊。それを追う者は誰もいなかった。



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